Tsuji Kunio

はじめに

昨年12月末に辻邦生の夫人で、西洋美術史家の辻佐保子さんがなくなりました。
少し時間が経ちましたが、私なりに咀嚼する時間が必要だったようです。
“http://www.asahi.com/obituaries/update/1226/TKY201112260672.html":http://www.asahi.com/obituaries/update/1226/TKY201112260672.html
2004年でしたでしょうか。辻邦生氏の展覧会が学習院大学で開催された折、講演会を聞きました。その翌日、所要のため再び学習院大学を訪れた折に、展示ケースに収められた辻先生の遺品を落ち着いたお顔で眺めて折られる佐保子夫人の姿を見かけたのが昨日のように思い出されます。あの時お声をおかけすればよかった、といつものごとく激しく後悔しています。
これでなにか大きな区切りがついてしまったような寂寥感。涙が止まりません。

記憶が歴史に変わるとき

戦後日本の発展は経済面だけではなく、文化面においても目覚しいものがあったと思うのです。それは、戦前のアンチテーゼであったがゆえに、平常時に比べて強いものだったはずです。失われた理想を取り戻そうと躍起になった偉大な人々がたくさんいらっしゃったのです。
辻邦生の文学の源泉は、終戦で瓦解した「世界」を立て直すための試みであったはずで、それが、いわゆる辻邦生の重要な三つの直観の一番目である「パルテノン直観」にて基礎付けられたのでしょう。世界は美が支えている、という思うだけで涙ぐんでしまうような愚直でありながら正直で高邁で不可能な概念。この概念を背負って50年間も書き続けた辻邦生の勇気や想像力や精神力はいかばかりのものか。私には想像を絶するとしか言いようがありません。
そして、その生き証人である佐保子夫人が天に召されたという、大きな哀しみ。とてつもなく大きなものが永遠に失われてしまったという喪失の直観でした。これが記憶が歴史へと姿を変え始めると言うことなのでしょう。
ただ、今頃は、ご夫婦で談笑しておられると思います。そう思うことにします。
今朝も、会社に入ろうとする際、乱立する高層マンションを仰ぎ見て、大きな違和感を感じました。
戦う前にすでに白旗をあげる兵士もいるでしょうから。
2004年当時に前身のブログに書いた講演会の模様を以下のとおり転載します。

辻邦生展(2) 辻佐保子さん講演会

2004年11月28日 23:55
11月27日15時より、学習院百周年記念会館3階小講堂において、辻佐保子さんの講演会が開催された。辻佐保子さんは辻邦生さんの奥様であるが、ご自身も美術史家でいらっしゃり、女性初の国立大学教授になられたという方である。
15時開始のところ、14時から受付開始であったが、受付開始早々から来場者が続き、開始前には会場に入りきらないほどの来場者で、講堂の入り口のドアを開け放してロビーに椅子を並べているような感じ。大盛況であった。
学習院大学と辻邦生さんのつながりについて最初に話された。
学習院大学フランス文学科は鈴木力衛さんというフランス文学者を擁していたわけだが、実は佐保子さんは鈴木力衛さんの姪に当たるのだという。その関係もあって、辻邦生さんがパリ留学する前の31歳のときから学習院大学で教鞭を執るようになったのだそうだ。
また、学習院大学のフランス語非常勤講師であった、マリア・ユリ・ホエツカ夫人についても語られた。この方は、「樹の声海の声」の咲耶のモデルになった方とのこと。ご主人が入院されていて、苦労されていたことから、「樹の声海の声」の原稿料の半分を渡していたそうだ。展示会には、ホエツカ夫人の写真などが展示されていたが、古き良き美しき女性という感じだった。「樹の声海の声」が実話に基づいているということに初めて気づかされた次第。
展示では、「春の戴冠」の成立過程に関する資料を中心に展示されていたわけだが、辻邦生さんは「春の戴冠」をもっとも不遇な作品とおっしゃっていたとのこと。1977年に上下巻が刊行されるが絶版となった。文庫化もされなかったわけである。1996年に一冊本として再版されたが、これは辻邦生さんの希望によるものだそうだ。「西行家伝」が好評だったので、お願いしたとのそうだ。確かに「春の戴冠」は長いけれど、「背教者ユリアヌス」以上に辻文学の真髄を伝えていると行っても過言ではないと思う。佐保子さんからこの「春の戴冠」のあらすじと、それにまつわるエピソードが紹介された。フィレンツェに「お礼参り」に行ったときに、花のサンタマリア大聖堂の天蓋の螺旋階段で読者にばったり出会われたり、ウフィツィ美術館の「ヴィーナスの誕生」の前で読者夫婦と会われて、4人で広場でカンパリで乾杯をした、といったエピソードが紹介された。
このボッティチェルリのフレスコ画がお好きだったとのことで、ルーブルに行ったら必ず見に行かれていたそうで、「春の戴冠」のなかにもこのフレスコ画について言及されている部分がある。
最後に質問を受け付けていた。興味深いものとしては、歴史小説を書く上での方法論(資料の整理方法などを含む)については、トーマス・マンの「ファウストゥス博士の成立」を参考にしていた、ということが紹介されたこと。これももしかしたらどこかに書いてあるかも知れないが、初めて認識した話。早速読んでみなければなるまい。

Tsuji Kunio

1999年7月29日に亡くなった辻邦生さんの12回目の命日でした。
あの日のショックはまだよく覚えている。いまでもそのときの心のひだを手で触った時の実感がありありと記憶に残っています。辻邦生文学は普遍性を持っていて、現代日本においても十二分にその輝きと煌めきを喪うことはありません。けれども、辻文学を継ぐ文学はきっと成立しないだろう、とも思います。現代日本文学は因果性とか物語性にたいして厳しい目を向けているように思います。現代日本文学で辻文学がいかほど受け入れられるか。そのあたり、少し自信がありません。
ただ、一昨年ごろ、私の古い友人に辻文学を薦めたところ、とても気に入ってくれて、何冊も本を読んでくださいました。そういう意味では光を失うことなく、燦然と孤高の境地に立っている気がします。
今週、先週と所用で目白に行ってきました。学習院の構内でゆかりの場所の写真を撮ってきました。もしよろしければどうぞ。

Japanese Literature,Literature,Tsuji Kunio

はじめに

辻邦生文学のこと。久々に。
読んでいないわけではありません。常に文庫本がカバンの中に忍ばせてあって、気が向いたときには読んでいます。
昔は、辻文学の甘美で雄々しいストーリーに惹かれていましたが、この数年は処世訓のようなものを見いだすことが多いです。本当にこの方の小説群は私にとって聖書と思えるぐらい大事だな、などと。

引用してみる

「ただ一回だけの<<生>>であることに目覚めた人だけが<<生>>について何かを語る権利を持つ。<<生>>がたとえどのように悲惨なものであろうとも、いや、かえってそのゆえに<<生>>を<<生>>にふさわしいものにすべく、彼らは、努めることが出来るに違いない」
これ、「ある告別」という作品の最終部に近いところ。今朝バスの中で読んで、少し引っかかったので。
作品の舞台は半世紀前のギリシアで、主人公が若い女性二人連れと知り合ったり、ギリシアの田舎で娘とであったり、パルテノン神殿で啓示を受けたりする、ストーリー性はあまりない作品です。これは、数ある短篇の中でも「城」や「見知らぬ町にて」と同系統のエッセイのような短篇小説です。

随想的短編群

辻作品を読み始めた大学生のころは、このストーリー性が希薄な短篇群がどうにも苦手でよく分かりませんでした。それよりも「背教者ユリアヌス」とか「安土往還記」のような歴史ドラマの方が面白くて仕方がありませんでしたので。
しかしながらこのストーリー性のない短篇群がいつごろからか、じわりじわりと私の中で水位を上げてきて、いつしかこういう作品にも深く感動するようになっていたようです。
この文庫にそうした短篇群が多く収められています。私がカバンに潜ませているのはこの文庫本です。
城・ある告別―辻邦生初期短篇集 (講談社文芸文庫)

生の一回性

生の一回性って、よく出てくるテーマですが、今の私が本当に体得できているかは不明。というのも、わかったつもりのことが、本当は今まで分かっていなくて、最近になってようやく体得した、ということが多いから。歳をとったのでしょう。良い意味で。だから、きっとこの「生の一回性」も、もうしばらくすると、大きな扉がギギギとあいて、別の認識体となって迫ってくるんだろうなあ。
最近思うのは、大事なことは身の回りにこそたくさんあると言うこと。そういうことを大事にするのが一回限りの人生を巧く過ごすためのこつではないかなあ、などなど。
今日は少々残業。久々にシャカタクを聴いて、その後「愛の妙薬」を聴いて。夜になるとずいぶん涼しいですが、迫り来る夏が怖い。冬将軍は居るけれど、夏将軍っていうのは聴いたことがない。

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最近、どうにも齢を重ねたらしく、今まで見えなかったものがずいぶんと見通しよく見渡せるようになりました。
それとともに、辻邦生の作品への理解の質的変化を感じています。昔は、確かに理解していたかもしれません。ですが、今は理解を超えた理解になっている気がする。頭で分かっていたものが、腹の底から分かった、という感じ。
辻邦生の嵯峨野明月記で、本阿弥光悦が加賀の国へと出かけた歳に、海岸に立つシーンがあったと思います。あそこでは、打ち寄せる波の連続が、世の為政者の不断の変遷が、なんらの必然性を伴うことなく繰り返されるという、ある種の諦念の感覚だったのですが、なんだかずっしりとその考え方と一体化した感じです。
それから、俵屋宗達が行った「世の中は背理である。そこにあるのは哄笑だけなのだ」というセリフ。ずいぶんと心の中に残っていますが、今までとは違って腹の底にしっかりと座っている感じです。私も歳食ったんですねえ。
それから、同じく辻邦生「嵯峨野明月記」の以下の部分。

歳月の流れというどうにもならぬものの姿を、重苦しい、痛切な気持で認めることにほかならなかった。しかしだからと言って、そのゆえに行き、悩み、焦慮することが無意味だというのではない。そうではなくて、それは、むしろこの空しい思いを噛みしめることによって、不思議と日々の姿が鮮明になり、親しいものとなって現れてくる、といった様な気持だった。(中略)すべてのものが深い虚空へ音もなく滑り落ちてゆく、どうすることも出来ぬこの空無感と、それゆえに、いっそう息づまるように身近に感じられる雲や風や青葉や光や影などの濃密な存在感とに、自分の身体が奇妙に震撼されるのを感じた。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、210頁
なんだか、いろいろ分かってきた感じです。

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また、辻邦生を読んでいます。今度は「天草の雅歌」です。三回目です。
一回目はなんだか話しの面白さにぐいぐいと引っ張られて、最後まであっという間に読んだ記憶があります。15年ほど前でしょうか。その後もう一度読んでいるはず。10年以内だと思われます。少なくとも2006年以前だと思います。
この小説は、辻邦生初の三人称小説です。それまでは、すべて一人称小説だったわけですが、ここが一つの転機になったとのこと。私は辻邦生的な一人称小説が大好きですので、この「天草の雅歌」を読んでいて、パースペクティブが変わるようなところでドキドキしてしまいます。やはり少し勝手が違うところがあるかもしれません。
とはいえ、物語としても大変素晴らしい作品。江戸時代初期、まだ鎖国体制が確立していなかった頃の長崎を舞台にした、外国貿易を取り巻く血なまぐさい政争と、それに巻き込まれていく混血の美少女のコルネリアと長崎奉行所通辞の上田与志の物語。こう書いているだけで胸がときめきます。当時の政治経済の情勢が手に取るように分かる歴史小説でして、この物語がフィクションであることを知りながらも、それでもなお、物語世界が実在として迫ってくる力強さがあります。
当時の日本は、鎖国が成立していませんので、外国貿易を推し進めようとする勢力と、それに抗う勢力の争いは絶え間ないものでした。それにくわえて、キリシタンの問題がありましたので、ますます事態は複雑化しているわけです。そうした問題は、おそらくは天草島原の乱が最大の分水嶺となって、鎖国への道を駆け下りることになるわけですが、そこに至るまで、思いのほか饒舌な歴史が眠っているということがよく分かります。
もちろんこの物語はフィクションですし、歴史小説とは、史実と付かず離れずで成立しているものですので、そのまま史実とは言えますまい。ですが、辻邦生の他の作品と同じく、フィクションとはいえ、極めてリアルな真実在とも言えるような、なにか手を触れることの出来る実体のようなものを伴ったものですので、きっと長崎に行けば、上田与志やコルネリアの姿が見えることでしょう。
先日読んでいた「嵯峨野明月記」でもそうでしたが、細部に至る細かい描写が手に取るように感じられて、通勤電車の中にいながらも、気分はすでに当時の長崎に居るかのような思いを感じます。個々の描写は実にビジュアル的で、映画を見ているようにも思います。辻邦生師は、映画もお好きだったのですが、小説のシーンを、映画のワンシーンのように切り取ってビジュアル化するところは実に巧みだと思います。
今年の旅行はどこにしようかと思っていたのですが、長崎が候補に挙がっています。というのも、全集で「嵯峨野明月記」を読み終わって、解題を読んでいたときに、辻邦生が「天草の海の色は素晴らしい」と書いていることを知ったからです。残念ながら、長崎には行ったことがありませんので、本当に興味深いのです。また、長崎の教会に行けば、少しは西欧に近づけるかもしれない、という思いもあります。本当に行けるといいのですが。

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今日も無事に仕事を終えました。なんだか細々と忙しいですが、回っているコマは倒れませんので、しばらく回り続けることにします。
以前にも書きましたが、辻邦生の「嵯峨野明月記」を読んでいます。四年振りに読んでいるのですが、これまでは中公文庫版で三回ほど読みましたが、最後に読んだ四年前に、付箋を山嵐のように付けてしまいましたので、今回は重いのを承知であえて全集版で読むことにしました。
「嵯峨野明月記」は、全集の第三巻に「天草の雅歌」とともに所収されています。
しかし、俵屋宗達のモノローグを読んで感じるのは、よくもこれだけ画家に憑依して語ることができるなあ、ということ。画家の素養がなければ恐らくはここまで書けないのでは。もちろん、その後ろには、哲学的ないしは美学的な裏打ちがきちんとなされているわけです。恐らくは西田幾多郎の影響が色濃く感じられますし、ハイデガーの芸術論や最晩年の芸術論集である「薔薇の沈黙」で語られるセザンヌ論などが影響しているのだろうとは思います。辻文学は奥深い。哲学や美学の素養も必要ですから。私には哲学の素養も美学の素養もなさそうですが。
「春の戴冠」も、「嵯峨野明月記」と同じく画家が主人公ですが、あの本もやはり哲学的色彩が極めて濃かったです。ルネサンス期の新プラトン主義とキリスト教哲学の融合が通奏低音のように響いていましたから。
あとは、今回「嵯峨野明月記」を読んで感じているのは、文章の中に潜んでいる音の数々が実際に耳元でなっている様に思えていること。例えば、月に照らされた海岸の波の音と松籟の音の描写に、心底感嘆しています。それからちょっとした人間の動作が、その人間の性格を言い当てているようなところは、「小説の序章」で語られるディケンズ論との関連が感じられます。この方法もやっぱり「春の戴冠」でも数多く登場しました。
今日、この文章を書く中で、「嵯峨野明月記」と「春の戴冠」の類似性に思い当たりました。二つの小説の舞台は、一方は安土桃山時代、一方はイタリアルネサンス。時代は100年ほどしか離れていません。場所は地球の裏側ぐらい離れていますけれど。この二つの作品の中に立ち現れる芸術論の比較とか、「橄欖の小枝」や「薔薇の沈黙」などの芸術論との比較分析とか。私がもう15歳若ければ、取り組めたのですが。実に興味深いテーマです。今からでも遅くはないかもしれません。

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今日は辻先生の命日


今日は辻邦生氏の命日です。今から11年前の1999年7月29日午後零時四十分、軽井沢病院にてご逝去されました。当時、カミさんからの電話で、辻先生が亡くなった、ときいて、しばらくは言葉を継ぐことができないほどのショックでした。1925年9月24日のお生まれですので、当時まだ73歳。お若かったのに残念です。大変お忙しかったそうですし、自動車事故にあわれるなど、大変なこともあって、最晩年は大変お辛い状況だったようです。それでも仕事にまい進されて、最後まで原稿を離さなかったとか。
当時、私は追悼の意味をこめて一ヶ月間服喪し、アルコールを一滴も飲みませんでした。会社のビールパーティで、先輩に強要されましたが最後まで断りとおしました。
一度だけ少し言葉を交わしたことがありますが、ぜひ一度ちゃんとお会いしてお話をしたかったのですが、その願いもかなわぬまま。でも、そのほうがよかったのかもしれないなどと。

このところの辻体験、西田幾多郎との兼ね合い

このところ、急に「円形劇場から」とか「ある告別」を読んでなんだか展望が開けてきた矢先に訪れたご命日で、なんだかやっぱり僕はいつまで経っても辻先生の手のひらの中にいるんだなあ、ということを感じました。もちろん辻先生は私のことなどご存じないと思いますけれど。
今朝も、行きの電車で「春の風 駆けて」を読んでいました。以前読んだことがありますので、折り目、付箋、傍線から当時読んだときの感覚がよみがえってきています。おそらく2007年ごろに読んだのではないかと思います。
それで、その折り目の中に、辻先生が西田幾多郎の哲学について語るところが出てきます。私は常々西田哲学と辻文学の親和性に着目していましたが、その動かぬ証拠を再発見した感じで、なんとも名状しがたい気分でした。24ページです。特に「西行花伝」を読むと、その類似性には驚かされますので。
西田は、すべては純粋経験から始まり、純粋経験の中にある統一力が秩序となって、世界を形成する、といった感じの議論だったと思いますが(これであっていますでしょうか? I橋先生?)、辻邦生の場合、その統一力というものが美であるという捉えかたをしている、と最近は読んでいます。
辻先生も書いていますが、西田も辻も、論理明晰に哲学を語っていない。それは到底言語化し得ない原初的な体験なのであって、語れば語るほど離れていくもの。けれども、語らずにはいられない。そのため、西田の言説は迂遠であり、難解なものとなっている、ということ。これは辻先生の小説を読み込むときにも感じることです。一言で片付けられるわけはないのです。ましてやブログに、すべてを書くことなんてできやしない。でも書かねばならぬ、という衝動です。

小説を書くときのデモーニッシュなもの

それからもうひとつ。小説を書くときにデモーニッシュなもの、ミューズのようなものが降りてくる瞬間があって、ある種の憑依状態になって筆を進めるのがよい状態なのだそうです。たとえば山本周五郎が小説を書いていたときマーラーやシベリウスを聞いていたのだ、という話が出てくる。こうして音楽を聴くことが魔神性を呼び起こす最良の手段なのだとありました(188ページ)。これには私も同意します。
貼り付けた写真は当時のご逝去を知らせる新聞記事。これは、私のシステム手帳のポケットに11年間入っているものです。

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辻邦生の思想の「激しさ」

それにしても、辻邦生の思想は激しいです。劇場が世の中を支えている。すなわち、これは、辻邦生自身によって、美が世界を支える、という直観に読み替えられますので。この直感は辻邦生がパルテノン神殿をアテネでみた体験がゆっくりと醸成されて形成されて行ったものだと考えています。その証拠に、「パリの手記」と題された日記集では、ここまでラディカルには書いていなかったですし、先日紹介した「ある告別」でも少し脇役に回っていた感がありますので。
私はまだここまでの直感を実際に体験したことはありません。美の存在は直観しましたが、それが世界を支えている、あるいは我々の生活を支えている、とまでは、まだ行きません。修行が必要。ですが、ここをどうしても超えなければならない。これは、パルジファルの試練ぐらい難しい気がします。もっと辻邦生の本を読ままいと。
まあ、言う人に言わせれば、辻邦生の美学は50年前の古びた美学と言うことになるのかもしれません。現に、それと似たようなことを言われたことがあります。
確かに、こんな時代を辻邦生が想定していたのか? パフォーマンス臭が強く実効性に疑問があるにせよ、かの事業仕訳で科学文化予算が切捨てられて、それでもなお財源が足らないなんて言う状況にあって、劇場に、世の中を支える美があるのだ、と能天気に言えるのか? 辻邦生がこの直観を得たギリシアの国家財政が破綻したと言う皮肉な事態も。パルテノンの美も財政危機を支えることは出来なかったと言うことではないのか。
その答えを求めているのが、現在ということ。いまいまはオフシーズンのオペラ。いろいろ映像を見たり聴いたりしたい欲求。本も読みたいところ。「円形劇場から」では、夏休みの時間が一つのモティーフとして使われていますが、私には夏休みはありません。よくて秋休みかな。。
頑張る。
辻邦生の本一覧は以下のリンク先を
“https://museum.projectmnh.com/webs/tsuji/tsuji-worklist.php":https://museum.projectmnh.com/webs/tsuji/tsuji-worklist.php

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ちょっと遡行更新
うーん、また感動している。
辻邦生「ある告別」を「辻邦生全短篇2」にて読みました。2回読んだかな。
それで、過去記事を検索してみると、2年半ほど前に「ある告別」を読んで、同じようなことを考えているようです。ちょっと違う。この2年で私も変容したということでしょうか。
“https://museum.projectmnh.com/2008/02/11181405.php":https://museum.projectmnh.com/2008/02/11181405.php
あのときは、「若さ」と「美」を大括りしているようですが、いまはそうは思えない。全く別の原理だという直観。あのとき以上に「若さ」との訣別を意識しているのかもしれない。
2年半前の記事から引用。全体の分け方は適切のように思えます。
# パリからブリンディジ港まで:エジプト人と出会いと死の領域についての考察
# ギリシアの青い海:コルフ島のこと、若い女の子達との出会い、若さを見るときに感じる甘い苦痛、憧れ、羨望
# 現代ギリシアと、パルテノン体験
# デルフォイ、円形劇場での朗読、二人のギリシア人娘との出会い:ギリシアの美少女達の映像。
# デルフォイからミケーナイへ:光の被膜、アガメムノン、甘美な眠り
# アテネへもどり、リュカベットスから早暁のパルテノンを望む
# アクロポリスの日没
今回は、2番目のユニットと7番目のユニットを取り出して考えてみます。

若さの喪失直観

2番目のユニット「ギリシアの青い海」で語られること。
船上で、若い女の子二人と出会った瞬間に、若さの喪失を直観するわけです。
私が、最寄り駅に帰り着いたとき、近所の大学生の群団とよくすれ違うのですが、そのときの気分に似ています。まだ辛酸を知らず、屈託のない笑顔を浮かべる彼らの姿は、間違いなく以前の私の姿なのですが、決定的な断絶があると思わざるを得ません。

私は、実をいうと、少なからず狼狽した。それは、見てはならぬものを見た瞬間の気持ちに似ていた。なぜなら、それはまさしく自分がすでに若さから見棄てられたという実感から生まれていたからだった。こんな思いに襲われたことは一度だってなかったのである。(中略)もう自分は若くないのだという感じよりは、この孤独に取り残された感じの方が強く私にきた。それはいかにも若さから転落したみじめな没落を思わせた。

辻邦生全短篇2巻:78ページ
以前にも書いたかもしれませんが、私が若さを喪ったのはワイマールでドイツの若者に出会ったときです。決定的な瞬間でした。リヒャルト・シュトラウスが指揮者を務めたワイマールの劇場前広場で、ちょっとした若者達との苦い邂逅をしたのでした。
とはいえ、いまでは、齢を重ねるということは、悪いことばかりではないと思います。歳をとったから分かることもたくさんあります。おそらく歳をとらなければ「ばらの騎士」も「影のない女」も「カプリッチョ」も理解できなかったはず。

アクロポリスでの日没

最後のユニット。
主人公の語り手は、アクロポリスから日没を眺めるのですが、そこにやはり若者の一団がいて、夕焼けを眺めていて、バラ色に輝いているのです。ですが、いつしか太陽は沈むと、あたりは徐々に闇へと近づいていくのですが、若者たちの一団は放心したようにじっと動かないまま。その瞬間、若者たちが若さを失うということを直観するのです。

その瞬間、私が感じた感情を憐憫と名づけることにいくらか私は躊躇する。にもかかわらずそれはきわめて憐憫の情に似かよった感情だった。(中略)その瞬間、彼らが夕闇に沈んで、昼の役をおえたのみも気づかぬのと同じく、自分たちの「若さ」の役をいずれ終わらなければならないのに気づかずにいるのが、私には痛ましくてはならなかったのだ。(中略)どうして人はかくもみずみずしく健康で美しいものから離れなければならないのか。

辻邦生全短篇2巻92ページ
ですが、若さからの訣別こそ重要であると言うことが語られます。それは、主人公の語り手が、年老いた女が厚化粧をして、若々しい服装をしているのを見て、若さのイミテーションというおぞましさを覚えたことを思い出したからです。そして、次の直観。

おそらく大切なことは、もっとも見事な充実をもって、その<<時>>を通り過ぎることだ。<<若さ>>から決定的に、しかも決意を持って、離れることだ。熟した果実がそうであるように、新しい<<時>>に見たされるために、<<若さ>からきっぱりと遠ざかることだ。ただこのように若さをみたし、<<若さ>>から決定的にはなれることができた人だけが、はじめて<<若さ>>を永遠の形象として──すべての人々がそこに来り、そこをすぎてゆく<<若さ>>のイデアとして──造形することができるにちがいない。

辻邦生全短篇2巻93ページ

そして、この<<ただ一回の生>>であることに目覚めた人だけが<<生>>について何かを語る権利を持つ。<生>>がたとえどのように悲惨なものであろうとも、いや、かえってそのゆえに、<<生>>を<<生>>にふさわしいものにすべく、彼らは、努めることができるにちがいない」

辻邦生全短篇2巻94ページ
人生の一回性の重要性とか、生きていると言うことの奇跡的偶然性、あるいは、祝祭性。このかけがえのなさは、生きる喜びの源となるはず。
これは、辻文学をかたどる一つの重要な要素なのですが、改めて思うところは大きい。何やってるんだろう、わたくしは……、みたいな、焦燥。やりたいこと山ほどあるのに、完全に守りに入っている。もっと、攻めないとなあ。
やっぱり、辻邦生氏が、人生の師匠であるという事実。これは20年前から同じ。でも、まだ全部読めていない。入手可能な小説はすべて読んだけれど、論文集などでまだ読めていないものがあるんですよね。
がんばろう。
そして、もうすこし、ちゃんと読み書きできるようにならねば。それが読書ということらしい。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

どうしてこうも、不思議なことが起こるのでしょうか。
*「辻作品を読むたびに、今の自分にとって大事なことと出会う」*
ということは、これまでも書いてきたかもしれませんが、今回も驚きました。
先日、「詩と永遠」という、エッセイや講演録を収めた本を読んでいたのです。

私は、京都へ行くとお土産に落ち葉を持って帰る。柿などはすごく赤くなって綺麗です。パリでも蔦の葉を押し葉にして持ってくる。そういうものを持って行って喜んでくれる人と何かつまらなそうな顔をする人がいる。(中略)でも本当はそういうものが素敵だという考え方が幸福の土台を作っている。

207ページ
私がまだ独身でお金に余裕のあった時代、モレスキンを買いました。2004年に、学習院大学で「辻邦生展」が開かれました。秋でしたね。それで、展示を見終わって建物の外にでると、黄色い銀杏の落ち葉がたくさん落ちていたので、何の気のなしに一枚拾ってモレスキンに挟んでいたんですね。
それが、5年あまり経った先日、「詩と永遠」を読みながら、モレスキンにメモを書き付けている時に、急に飛び出してきたんです。5年あまり前の銀杏の葉っぱが。


葉っぱ一枚ですが、本当に驚きました。理性的に考えると、まあ、ほんの偶然に過ぎないんですが、辻邦生作品を読むと、こういうことが本当にたくさん起きます。先日も書いたように、僕にとって見れば聖書みたいなものなのだと思います。
また読み始めたいなあ。
再開したと言えば、さっきEWIを吹きました。いやあ、本当に腕が落ちている。アンブシェアなんてボロボロでございます。リトナーやダイアナ・クラールとコラボしました(笑)