Symphony

ぐんぐん寒くなる毎日。自宅を朝6時過ぎに出ているのですが、この時期はまだ日が昇りきっておらず、暗い藍色の光が空から落ちてきているだけです。夜明け前の寒さはまだ耐えることができますが、きっと1月や2月になるともっと冷え込むでしょう。うがった見方ですが、少し楽しみです。ただ、少し雪が降っただけで止まってしまう最寄の鉄道はどうにかしてほしいですが。

懐かしい曲をiPodに入れました。カール・ニールセンの交響曲第四番「不滅」です。 この曲は、中学生の頃にNHK-FMでエアチェックしたものを良く聞いていました。この20年間は一度か二度聴いたぐらいでしたので、昨日から今日にかけて3、4回ほど聴いてみると、中学生の頃のことが思い起こされてなりません。本当なら吹奏楽部に入りたかったのになぜか入らなかったこと、などなど。

ブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を振った全集版。かなりビビッドな演奏で、リズムが揺らぎなくきっちりとそろったメカニカルな演奏で、聴けば聴くほど爽快感が高まります。管楽器セクションも弦楽器セクションも巧いです。弦楽部の音がいつも聴いている欧州系のオーケストラと明らかに違います。これは気に入りました。

第三楽章の弦楽器の切迫感がすばらしい。後ろで鳴り響くティンパニーの打擲が意味ありげで、これは次の楽章のティンパニーソロを導く糸口でしょう。第三楽章の中後半部には壮大なフーガ的変奏。弦楽器群がユニゾンで激しく歌います。金管楽器も絡んでくると、荘厳な世界へと導かれる。これは本当にすごい。 第三楽章最終部、チェロとコントラバスが激しくユニゾンして、第四楽章に突入するあたりは、この曲の聴き所のひとつですね。第四楽章は、ティンパニーの壮絶なソロ部分があります。ここも聴き所。

しかし、弦楽器巧いなあ。弦楽器の音が個性的で、もしかしたらこの音を気に入らない方もいらっしゃるかもしれません。そう思えるぐらいユニークです。 アメリカのオケのすばらしさは、諸先輩のブログなどでも知ってはいましたので、今後はより一層聴いていきたいものです。

それにしても、若い頃に聴いた音楽はほとんど忘れないですね。最近になって聴き始めた曲は覚えにくくて仕方がないです。というか、覚えようとしているのがワーグナー、プロコフィエフ、ベルク、シベリウスだったりするので、それはそれでハードル高いとは思いますが。 やはり、若いうちにいろいろな音楽をたくさん聴いておくのが良いですね。こればかりは今悔やんでもどうしようもありませんので、ともかく、聴き倒すしかないと思います。がんばります。

Symphony

昨日書いたローマ紀行。紀行文としては、一日目が終わったか終わらないか、というところ。記憶も薄れているので、早いところ終わらせたいと思っているのですが、なかなか。気合入れて最後まで完成させます。

さて、先だってのシベリウス交響曲第二番に引き続き、交響曲第七番を聴いています。この曲は短いので、もう10回ぐらい聴いてしまいました。聴いても聴いても面白いです。 楽章の切れ目がありませんので、全体を支配する空気をつかもうとしています。第二交響曲のときにも書きましたが、チェロやコントラバスの使い方が面白くて、旋律を下支えしていて安定感を感じます。

第一楽章は、ゆったりとしたテンポで若干憂いをも感じる曲想。ブルックナー的な気宇壮大な感じです。第二楽章は、オーボエの導く動機にヴァイオリンが応えながら始まっていきます。ここでも弦が波もように揺らめいています。後半は速いパッセージで、木管と弦が互いに呼び合います。

第三楽章は切迫感のある弦楽器群のアルペジオから始まります。少し暗澹とした気分のうねり。管楽器がアルペジオに寄り添いながら少し憂えも感じられる演奏。

第四楽章の冒頭がすばらしい。アルペジオで波打つ弦楽器の上を管楽器が飛翔しています。ブルックナー的、マーラー的とでも言いましょうか。壮大です。なんでいままで気づかなかったのでしょう。これがあるのでクラシックはやめられない。しばし休息をとった後のフィナーレも良いですね。三度と六度に音が当たって、一度に収斂していく感じ。

演奏はヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団。指揮はパーヴォ・ベルグルンド。録音は1984年。All Saints church, Tooting, Londonにて録音。教会なのでリヴァーヴ感が気持ちいいのかもしれません。録音的にはとても好みです。

指揮のベルグルンドはシベリウスの専門家で、交響曲全集を三度も完成させているのだそうです。凄い!

Symphony

週末は大忙しで、更新できませんでした。ちょっとペースが落ち気味。 今週末は新国立劇場で「ドン・ジョヴァンニ」ですが、あまりに聞き込みすぎたので、気分を変えようと思いました。

というわけで、シベリウスの交響曲第二番を聞いています。 この曲は名曲300にも加えられていますが、個人的にはシベリウスをきちんと語れるほど聞いたことがありませんので(「フィンランディア」、「悲しいワルツ」はきちんと聴いた記憶があります)、ほとんどはじめて聴く感じです。

きいている中で良いな、と思ったのは、中低音の弦楽器の使い方でしょうか。チェロやコントラバスが低音で支えているのですが、響きをより味わい深いものへと熟成させる要因のひとつでは、と思いました。

第三楽章は早いパッセージから入っていきますが、中間部オーボエが導く旋律、泣けますね。オーボエから、フルート、チェロへと渡っていき、もう一度オーボエへ戻って歌い上げる場面は、生への肯定が織り込まれているようですが、そのあとでまた曲調が速くなるあたり、やはり何事も一筋縄では行かないものです。再びオーボエの歌う緩やかな旋律が大いに盛り上がり、速いパッセージと和解して第四楽章へ。あ、この旋律は有名ですね。コントラバスが波打って、深い弦楽器の音が波に乗るようなたおやかに主旋律を歌っています。すばらしい。実に興味深いです。

曲を聴いて、北欧的な針葉樹の森を思い出したり、白夜のもとによこたわる湖を思い出したりするのは、完全にアポステリオリな経験の所産ですね。シベリウスが北欧人であることから連想される紋切り型のイメージです。ですので、先入見を取り払って聴こうと努力していますが、なかなか難しい。苦笑。

クラヲタへの100の質問(1)」では、「シベリウスが苦手」と書きましたが、どうしてどうして、聞き込めば、そんなことはない。単に僕のほうで聞く準備ができていなかった、というだけのようです。

仕事のほうは今週に入ってようやくひと段落です。今週末の「ドン・ジョヴァンニ」は何とか行くことができそうです。

Classical

嵐のようなトラブルは過ぎ去りぎみで、今日の仕事は久々に落ちついたものになりました。東京も今週から途端に寒くなって、11月だというのに、気温的には年末と同じぐらいになったそうです。

いよいよ年末が迫ってきたわけですが、今年の振り返りをする季節になったということです。ところが、大変残念なことに年始に建てた今年の目標、ぜんぜん達成できていないです。欲張りすぎでした。すいません。来年はもう少し身の丈にあった目標を立てることにします。

とはいえ、まだ今年は終わっていませんのであきらめてはいけません。せめて読書だけでも目標に近づきたいです。 読んだ本はといえば、ここで紹介できるような本ではないです。要はビジネス書の類を読みすぎました。少々後悔です。

それにしても、一年を通して年末年始休暇ぐらいしか心休まる休日はないなあ、と思います。ウチの会社ですと、夏休みはなくて、個人個人が業務に応じて一週間休みを取れる仕組みです。夏休みとはいえ、他の方々は働いていらっしゃるわけで少々気が引けるのですよ。そういう意味では年末年始は皆さんお休みですので気兼ねすることなく羽を伸ばせるというわけです。楽しみですね。

さて、昨日から、プロコフィエフの交響曲6番を聞いていたのですが、10回ほど聴くとさすがに疲れてしまいました。プロコフィエフの旋律はとても捕らえにくくて、捕まえたと思ったらすぐに逃げて行ってしまいます。どうやって語れば良いのか。標題音楽的ではないにしても、第二次大戦の記憶が埋め込まれているのではないかと思うのですが、それぐらいしか語れない。私にはまだ難しいということでしょうか。

曲調はショスタコーヴィチにとても似ていると思います。それからピアノの使い方が効果的ですね。第二楽章の前半は重苦しいねっとりとした感じで始まるのですが、中盤には拍節のパルスが現れて、急激に曲調が変わります。このあたりの感覚も難しくてなかなか語れない。もう少し想像力を磨いたほうがよさそうです。

小澤さんの指揮は明快だと思いますし、爽やかさすら感じます。ベルリンフィルの演奏も傷を感じさせない完成されたものだと思います。

プロコフィエフばかり聴いていたので、モーツァルトやバッハのみずみずしさが心地良いです。もちろんプロコフィエフが嫌いというわけではないです。同じ音楽ばかり聴くと、なぜか感動が薄まっていくというところ。モーツァルトだって、何度も何度も聞けば疲れますよね。美的な感興というものはある種の驚きを伴うものですので不思議ではないのですが。

Classical

思い立って、プロコフィエフの交響曲第5番を聞くことにしました。CDラックに眠っていたものです。iPodに全7曲の交響曲を入れ終わりました。指揮は小澤征爾さんで、演奏はベルリンフィル。グラモフォンの廉価版ボックスCDです。

昨日から少しずつ聴いているのですが、思い起こせばプロコフィエフの交響曲はきちんと向き合って聴いたことがない。1番の「古典交響曲」はジュリーニの指揮小さい頃から何度も聴いていましたが、5番、6番を社会人になりたての頃にそろりと聞いたぐらい。すっかり忘れ去っていますが、確か晦渋な曲である印象でした。そういう意味ではプロコフィエフといえば、私にとってはアルゲリッチとアバドが演奏するピアノ協奏曲第三番だけだったような気がします。不勉強ですが。ともかく、今回iPodにプロコフィエフの全交響曲を入れてみると、あらためて交響曲の世界に身を浸す喜びを感じます。

昨日聞いた第1番ですが、「古典交響曲」ののとおりハイドンらしい小粋な感じの曲。小澤さんの指揮で聴くとフランス音楽のような爽やかさを感じます。改めて聴くと良い曲です。

交響曲5番は今朝から聞き始めました。良いですね。ショスタコーヴィチに似ている気がします。長和音と短和音が混ざり合っています。意外にもフランス音楽の響きが聞こえてきて、フランクの交響曲のような和声が聞こえたりします。これは小澤征爾さんのフランス的な部分が発露しているといえましょうか? 旋律的にはドイツ的な朗々と歌うような旋律美はないのですが、旋律が繰り返し違う色合いで代わる代わる現れる感じです。あるときは深い茶色、あるときは深い紫色。

とはいえ、交響曲第5番の四つの楽章は、二つに分けることができるといえましょうか。第一楽章と第三楽章は重々しく行進する楽章、第二楽章と第四楽章は舞曲的なリズミカルな楽章です。作曲されたのは1944年。第一楽章と第三楽章の威儀ある感じは、戦争中の空気を反映しているのでしょう。

すこしカミングアウトしますと、このCDを買った当初、そうですね、もう7年ぐらいまえになるでしょうか、そのときに一度聴いたときに、全く受け入れることができなかったのです。どうしてかは分からなくて、それがもしかしたら小澤さんの指揮だからなのか、と勘違いしていたようなのです。小澤さんの指揮に対する苦手意識はこの頃からあったのかもしれません。もちろん、今回聞き直してみて、そうした苦手意識を払拭することができたのですが。

Classical

仕事がとんでもないことになっています。こういうときは、身をかがめて過ぎ去るのを待つだけ。黙々と作業をして折衝をして泣きを入れて、みたいな。まあこういうこともあります。でも今年は会社に入ってから最大の当たり年な気がします。

こういうときにベルクの「ルル組曲」を聴いたり、ウェーベルンをつまみ食いするのはよくありません。かえって落ち込むだけですので。

明るい南欧の空気を吸いに行きましょう。といっても、向かうのはハイドパーク@ロンドン。雨が振っていますが、彼の周りにはさんさんと陽光が降り注いでいるのが見えます。音楽の聴き方としては邪道かもしれませんが、聴きたい音楽だってその時々の気分に左右されるものです。

そうして聴いているパヴァロッティの録音。以前にも取り上げたことがあると思います。 取り上げられている曲の中でも、オペラのアリアよりもイタリア民謡のほうに食指が動いてしまう。またいつかは行きたいイタリア。いつのことになるでしょうか。そうそう遠くはないと思いたいところですけれど。

お勧めは、Mamma(Bixio)とかLa mia canzone al vento(Bixio)。非常にステレオタイプなイメージですが、日差しの強いイタリアの街路を歩いているイメージ。このCesare Andrea Bixioという作曲家は1896年生まれで、イタリア歌謡を作曲した方。1978年になくなられています。パヴァロッティが取り上げられて有名になったとか(from Wikipedia)。

音楽はいいですね。美しく好奇心を刺激してくれるベルクのような作曲家がいる一方で、快闊でさっぱりした朗らかさを持つ曲もありますし。いつでも音楽を聴けるような会社に入れるといいのですが。.

Classical

iTuneストアで、メシアン生誕100年のアニヴァーサリーボックスが1500円で売っていました。全部で168曲入っているのに1500円です。衝動的に購入。しかし買ってよかったです。CDだとHMVで7947円です。Ituneだと解説書のたぐいはありませんが、それにしても安いですね。ITUNEをお持ちの方は以下のリンクをクリックすると試聴できます(私が試したときはできなかったけれど、あと数時間でできるようになるそうです)。

メシアン生誕100年 icon

以前、iTuneストアで1500円のボックスCDが大量放出されたことがあったのですが、そのときは祭りに乗り遅れてしまい購入できませんでした。今回は何とか間に合ってよかったです。もし購入されるのならお早めに購入された方がよいかもしれません。いつ消えるかわかりませんので。

さて、最初のメシアン体験は中学生の頃で、トゥランガリラ交響曲をNHK-FMでエアチェックしたのが始まりでした。オンドマルトノの音にぶったまげて、なおかつ曲名がサンスクリット語なのだという説明にもぶったまげました。当時関西に住んでいて、休みの日に京都の三十三間堂にいったのですが、そこで仏像の説明にサンスクリット語が書かれていて、ああ、これってメシアンだ、みたいな妙な感動をしたのを覚えています。当時のカセットテープはいずこかへ消え去りましたので、それ以来トゥランガリラ交響曲はお預けでした。ですので、もう20年ぶりぐらいに聴く感じです。プレヴィンがロンドン交響楽団を振っているのですが、きらびやかに安定していて、全く違和感なく入っていくことができます。トゥランガリラというのはサンスクリット語で愛の歌という意味なのだそうですが、派手なヒンズー教の宗教画が舞い散っている感じで、迫力があります。いいですねー、メシアン。

楽章名を書いておきます。

  1. 導入部
  2. 愛の歌第1
  3. トゥランガリラ第1
  4. 愛の歌第2
  5. 星たちの喜び
  6. 愛の眠りの園
  7. トゥランガリラ第2
  8. 愛の展開
  9. トゥランガリラ第3
  10. 終曲

メシアンの曲でもう一つ思い出深いのが「主の降誕La nativite du Seigneur」というオルガン曲集で、これも中学生の頃狂ったように聴いていました。もちろんこの曲もこのボックスに所収されているのですが、戦前モノラル録音の古いもの。ですが、これはどうやらメシアン自身の演奏のようです。メシアンのオルガンの演奏は派手さはないですが(録音のせいかもしれません)、緻密に律儀に演奏しています(あやうく「高い精神性」みたいなことを書きそうになりましたが、私は実際にはそこまで見破れません)。

 しばらくはこのメシアンボックスで楽しめそうです。

Alban Berg,Classical

歳をかさねると判断力とか注意力が落ちてきますね。ただでさえ記憶力も落ちているのに。別のところで力を出したいと思うのですが。ようは仕事がうまくいっていないのですね。まあ、どうにかなるものなのですが。

落ち込んだときにベルクを聴くなんてどうかしていますね。それでもなおムターが弾くヴァイオリン協奏曲を聴いてしまい、一緒に暗鬱な穴の中に落ちていく感じ。 しかし、この演奏の退廃美はすさまじい。甘くもあるけれど、その奥には牙を向いた野獣がこちらをにらんでいるのがよくわかります。第二楽章の最後でほんの少し救済の余地が残っているけれど、それも最近の株式市場よりもずっと不確かで、はかないもの。

ムターは高音域の微細な音程のコントロールまでかなり健闘していて(少し不安はあるけれど)、勇気ある演奏家なんだなあ、ということを改めて認識。ある意味演奏家は勇者でなければならないでしょうから。

まあ、落ち込んだときに聴くベルクもいいかな、というのが結論。そういうときは、派手で陽気な曲を聴いても仕方がなくて、陰鬱な茂みの中で休むような曲を聴いてもよいものだ、と思います。

帰宅時もやっぱりベルク。オッターさまの歌う「初期の七つの歌(オケ版)」と演奏会用アリア「酒」を聴いてうっとり。帰りの電車で読んだ「アルバンベルク年報も面白かったですよ。こちらは明日にでも書いてみようと思います。

Classical

忙しいですねえ。納期が来週に迫っていますので、おのずと追い込まれてくる。10月の納期分にはインシデントがあったけれど、今度は大丈夫なはず。強気前向で生きたいものです。とはいえ、今日になってプログラムに手を入れることになったりと少々波乱含みですが。

疲れたときに慰めてほしい曲というものがあって、僕にとってそれは次の曲たちなのです。

  • シュトラウス「カプリッチョ」から「月光の音楽から終幕部へ」
  • プッチーニ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」
  • プッチーニ「蝶々夫人」第一幕終幕部への二重唱
  • イリアーヌ・イリアスの「ドリーマーズ」(ジャズです)

どれもiPodに入っていますので、いつでも聴けますね。今日はその中から「カプリッチョ」をクレメンス・クラウスとシュヴァルツコップの組み合わせで。シュヴァルツコップさんの歌は一言一言を丁寧に歌っている感じがします。モノラル録音なのが残念です。

帰宅時にはベートーヴェンの弦楽四重奏曲を珍しく聴きました。第15番をアルバン・ベルク弦楽四重奏団にて。けちらもすばらしい演奏。ふくよかな香りの漂う弦の音にうっとり、です。そういう意味では、この曲もいやしてくれる曲かもしれません。ベートーヴェンの弦楽四重奏ですが、ABQの全曲盤を1万5千円ぐらいで買いましたが、その後廉価版が出たようですね。残念。

帰りの電車では、ムターが弾くベルクのヴァイオリン協奏曲も聴いたのですが、こちらもすばらしい演奏。ムター、巧すぎ。柔らかさと強靱さを併せ持っている。こんな方だとは今まで知りませんでした。以前外してしまったことがあったので。ちょっとこれから注目して聴いていきたいと思います。

Classical,Tsuji Kunio

チェリビダッケ指揮でバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を二回聞いてから、パユのフルートでバッハのブランデンブルク協奏曲第5番を聞いています。バーバーのほうは、昂ぶる気持ちをやわらげてくれますし、バッハのほうは、やわらいだ気持ちに鍬を入れて耕してくれているようなイメージ。不毛な土地に何かが生まれる予感、だといいのですけれど。

今日、久方ぶりに辻邦生師の「パリの手記」を手に取ったのですが、中に入っていけないという悲しみを覚えました。それはそうです。この三ヶ月間、文学からは少々遠ざかり気味でした。確かに読んだ本の数だけでいえば30冊以上は読んだと思いますが、すべて実践的な内容のものばかりでした。それはそれで生きるために有用な知識を得ることができましたので、プラスにはなったのですが。 「パリの手記」のような評論を読む量が絶対的に少ない。それに小説を読んだ数だって絶対的に少なすぎる。今年ベースで言えば、前半に塩野七生さんの「ローマ人の物語」をかなり読破しましたが(「ローマ人の物語」を小説に数えれば、の話ですが)、この三ヶ月は目も当てられないです。

クラシックを能動的に聞けなかったという意味でもこの三ヶ月は悔いが残ります。あるいは年始に目標に掲げた「プルーストの再開」も果たせていません。 読みたい本は山ほどあるのですが、読む時間も体力も足りていないという感じ。まあ、少々厳しい感じの目標ではあったのですが。 とはいえ、まだ残り二ヶ月ありますから、がんばるのですが。

ところがです。帰りの電車で良いことが待っていました。

続きはあした。