Classical

この数ヶ月のことを思い出すと、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を9冊分を読了、加えて、「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷、「神の代理人」を読了、という感じで、個人的に限られた時間の中で塩野七生作品を結構読んだなあ、という感じ。しかし、今年の目標である、年間100冊には及ばないです。半年が経ちましたが、まだ40冊ぐらい。後半はペース上げないとだめかも。

仕事の方はといえば、今月稼働するはずだったプロジェクトが11月に稼働延期となったものの、6月になかなか手がつけられなかった10月稼働のプロジェクトの方が追い込まれてきていて、少々厳しい状況に追い込まれつつあります。そうはいっても、何とかするのですけれど。

音楽の方はといえば、この一ヶ月弱を「アイーダ」に捧げきりました。

というわけで、いろいろと根を詰めてやっていますので、ちょっと休みたいなあ、ということで、今日はコレッリを聞いてみることにしました。大分前に図書館で借りていたのですが、聞けていなかったものです。Concerti Grossi Op.6です。ディスク二枚組ですね。

イタリア語はあまりよく分っていないのですが、直訳すると大きな協奏曲集となります。しかしながら、辞書を引きますと、Concerto grossoで、「合奏協奏曲」とありますので、Concerti Grossiは合奏協奏曲集ということになりましょう。concertoは男性名詞ですので、語尾がiとなることで複数形となります。勉強になりました。間違いがあればご指摘を。

コレッリは1653年にフジニャーノに生まれ、1713年にローマで亡くなっています。ちなみに、ヴィヴァルディは1678年に生まれ、1741年に亡くなっていますから、コレッリはヴィヴァルディの一つ前の世代ですね。 17歳でボローニャのアカデミア・フィラルモニカの会員になった、とブリタニカ百科事典にありますが、神童ぶりを発揮していたんでしょうね。アカデミア・フィラルモニカは基本的には20歳以上じゃないと入れなかったのだそうです。コレッリの他にもやはり20歳に満たずにアカデミアに入会した音楽家がいるのですが、それはモーツァルトなのだそうです。コレッリ恐るべし。

合奏協奏曲、また本当に良いのですよ。心のオーバーホールということにいたしましょう。これはヴィヴァルディに影響を与えたであろう響きですよ。通奏低音がとても気持ちよいのです。これはちょっと癖になりそうな音楽です。録音もなかなか良いのです。ほどよいリヴァーヴ感が良く出ていて、とても気持が良い。コレッリの音楽は、同じバロックでもバッハとは違いますね。バッハの音楽にはある種の憂愁感、敬虔さ、生真面目さがあると思うのですが、コレッリの場合は、奔放に明るく素直に歌い上げている感じがします。もちろん、愁いに満ちた楽章もあるのですが、それですら、黄昏時の美しさを描写したのではないか、という気がするぐらい、美への透徹とした眼差しが失われていないように聞こえるのです。

バロック音楽ですので、テンポをこまめに変えたりはしないのですが、対旋律を巧く聞かせることでダイナミックな音作りになっていると思います。フーガも気持ちいいです。これは本当にお勧めです。

第8番のPastorale:Largoは、どこかで聴いたことがある曲。クリスマスという題名ですね。記憶間違いでなければ、イギリスのテレビ映画「小公子」だったかなあ、と。アレック・ギネスが伯爵役で出演していた心温まる映画で、最後のクリスマスパーティの場面で演奏されていたような。

Classical

昨日は所用で学習院大学のキャンパスにいってまいりました。学習院大学は、辻邦生師が教鞭を執っておられたゆかりの場所です。きっとこの道、この風景、この木々を眺めておられたのだろうな、と思うと感慨もひとしおでした。個人的には学習院大学には苦い思い出(受験したわけではないですよ)もありますので、なかなか複雑な気分を味わいました。

本当に暑い一日でしたが、今年の東京は、なんだか蝉の鳴き声が聞こえません。夕方に家の外に出てみると、か細く蝉が鳴いているのが聞こえたぐらい。毎年こんなものでしたでしょうか? なんとなく静かな夏という風情です。

この数週間は緑(Verdi)一色でしたので、たまにはベートーヴェンなども、と思いました。「葉っぱに埃がついたので水をかけて払ってやったでちブログ」さんのrudolf2006さんがベートーヴェンの弦楽四重奏を取り上げておられて、急に聞きたくなった次第。持っているのはアルバンベルク四重奏団の全曲盤で、10年近く前に大枚をはたいて買ったのです。どうやら最近は廉価版で出ているようですね。ショックでかいです……。

Beethoven: The Complete String Quartets
Alban Berg Quartett
EMI Classics (1999-11-16)
売り上げランキング: 11693
おすすめ度の平均: 4.5

5 永遠の金字塔
4 スタンダード

この曲の第三楽章、2分半ほどたったところのフレーズが好きで好きで仕方がないのですよ。長い音符が響き渡って、まるで川が静かに流れているのを眺めている気分だったのが、突然、典雅で優美で上品でたおやかな美しさを持つフレーズが現れる。ABQの演奏は思ったより遅いテンポでカンタービレ、みたいな感じ。7分半ほどのところでも再度登場しますが、微妙に旋律は変奏されていてふくよかな味わいを増している。四人の奏者だというのに雄弁です。これもやはりご馳走ですね。最終楽章も良いですねえ。少し愁いを帯びた旋律が徐々に上昇していって、情感がほとばしっていくのがよく見えてきます。

フランクフルトからケルンへ向かうインターシティに乗ったことがありますが、ライン川の滔々とした流れを眺めていると突然向こう岸の山の頂に古い城があるのが見えてきて、驚いたのですが、そんなことを思い出してしまいました。古き良きドイツの良心だなあ、と思います。

ABQは一度だけ聴きに行ったことがあります。やはりベートーヴェンの弦楽四重奏でした。サインもしてもらったはずなのですが、そのCDは何処に行ったのだろう……。

Classical

今週の仕事も大詰め。若い方と接するのはとても楽しいです!物理には歳をとっても、精神的には常に若さを受け容れられるようでありたいです。

さて、バーンスタインのが振るチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を聞いています。図書館から借りてきましたので、AmazonにもTowerrecordにもHMVでも、同じ音源と思われる演奏を見つけることが出来ませんでした。録音は1964年です。もう44年も前の演奏ですね。

期待にたがわず、テンポを大きく変えてダイナミックレンジを広げています。壮大で甘い。バーンスタインの指揮は、聞き手に多くを考えさせる音楽作りだと思います。一時も油断がならないですね。BGMなどにはならないです。第二楽章は小気味よい5拍子の舞曲風です。ここは流麗に速度を維持して飛行を続ける感じですが、意外と淡白にも思えます。第三楽章は小学生の頃は好きな楽章でしたが、今は第四楽章の方が心に染み入ってきます。第四楽章は伸びやかに哀しく歌いあげるかんじ。やはりテンポは少し遅めでじっくりと攻めてきます。これは本当に感動的な演奏です。これがバーンスタインらしさですね。

チャイコフスキーの悲愴を聞くのは何年振りでしょうか? 少なくとも5年は聞いていませんでした。小学生のころは、チャイコフスキーが好きで仕方がなかったころがあって、ただただ悲愴やスラヴ行進曲を聴いていた時代がありましたね。あのころは何を聞くにも新鮮で楽しかったです。

いやいや、今のほうが楽しいですね。小さい頃とは比べものにならないほど幅広く音楽を知ることが出来ましたし、iPodだってあるんですから。昔のカセットテープエアチェックの苦労がウソのよう。

余談ですが、当時は、毎週のようにNHK交響楽団の定期演奏会をNHK-FMで聞いていて、もし東京に住めたら、N響の会員になろう! と心に決めていましたが、結局会員になったのは新国立劇場のほうでした。管弦楽も好きですが、それ以上にオペラのほうにベクトルが向いている感じです。

  • 作曲==ピョートル・イリーチ・チャイコフスキー
  • 指揮者==レナード・バーンスタイン
  • 管弦楽==ニューヨーク・フィルハーモニック

Classical

新国立劇場でバレエを見てきました。チャイコフスキーの「白鳥の湖」です。 「白鳥の湖」は組曲版では小さいころから親しんでいたのですが、全曲版を聴くのは初めてでした。あの有名なオーボエの旋律が、悪魔「ロッドバルト」のライト・モティーフだったのですね。

今回の版では、白鳥に変えられたオデットが、最後には呪いが解けてジークフリート王子と結ばれるというハッピーエンドだったのですが、ウィキによれば、原典版ではジークフリートとオデットが呪いが破られないことに絶望して湖に身を投げるという悲劇的な終わり方をしているようです。最終曲で悪魔「ロッドバルト」のライトモティーフが短調から長調に転調していきますので、音楽的にはハッピーエンドでも納得がいったのですが。

これで、チャイコフスキーの三大バレエは全曲制覇(←意味レス(笑))。

  • 2004年「眠りの森の美女」@ミュンヘン州立歌劇場
  • 2007年「くるみ割り人形」@新国立劇場
  • 2008年「白鳥の湖」@新国立劇場

一番感動的だったのは、「眠りの森の美女」でしたでしょうか。虚構の美的世界が、現実界に大きくせり出してくるのに衝撃を受けました。音楽的には「くるみ~」が一番好きですね。上演もクリスマスのころで、祝祭的ムードですし。「白鳥の湖」は、組曲版を聴き倒していたころから少し苦手めではありました。組曲版は、カラヤンとベルリンフィルの演奏をグラモフォンのカセットテープで、聞いていたものです。なつかしいですねえ。もう何十年も前のことです。

実は中劇場では、同じ時間に若杉弘さんが「ペレアスとメリザンド」を振っておられたのですが、都合でそちらは断念。新国立劇場の大劇場(=オペラパレスですか)は5月10日の「軍人たち」以来でした。劇場に入った途端に思い出したのが「軍人たち」強烈な印象で、あそこにジャズコンボがいて、スピーカーが随所に設置されていて、なんて感じでした。

Classical

今日は目の回るような忙しさでした。 食事の時間も10分強あったかなかったか。こういうときこそ、きれいな音楽を聴いて元気を付けたいものです。

というわけで、私的にストレス解消の音楽となっている、プッチーニ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」を、パヴァロッティ盤とドミンゴ盤で聞き比べて見ました。

パヴァロッティは力で押して、ドミンゴは優しさで圧倒する。「北風と太陽」のイメージ。もっともパヴァロッティ盤は、ハイドパークのライブ版であるのに対して、ドミンゴ盤は、カラヤン指揮のスタジオ録音全曲版ですので、方法論は違うでしょうね。パヴァロッティは、伴奏よりも相当走ったテンポでぐいぐいオケを引っ張っている。オケが必死に追随している様子がわかります。ライブならではの臨場感。ドミンゴ盤はもちろんそういうことはありません。完成された美という感じ。

ふう。ストレス解消になりました。

Classical

今朝も起き上がれず。目覚ましの音がむなしく鳴り響いているのを止めて、また寝床に戻る感じ。今日でやっと仕事も終わりです。ですが目の回るような忙しさでした。果断に乗り切れるように努力しています。

塩野七生さんの「ローマ人の物語4 ユリウス・カエサル ルビコン河以前」、余すところ十数ページまできました。ガリア総督時代のカエサルの所業を読むのは実に楽しいですね。二十年前に「ガリア戦記」を読んだはずですが、さっぱり覚えていません。塩野七生さんの手にかかると、ここまで史実が生き生きとよみがえるのですね。

今日もフォーレに挑んでいますが、今度はちと難敵です。室内楽曲全集Ⅲからチェロソナタ第一番を聴いているのですが、冒頭からピアノとチェロの複雑なモティーフが異様なリズムに乗って現れます。実にモダンな感覚で、調性も激しく揺れ動いているように聞こえます。それでいて一つ一つの要素は優雅さを纏っている。なんと表現していいのかわからないです。

この作品は1917年に作曲されました。フォーレは1845年に生まれていますので、72歳頃の作品ということになります。時代は確かに無調へと進んでいます。ウィキペディアによれば、フォーレの晩年作風は、無調的になる瞬間はあるとしても、それは激しい転調のなかに生じているわけであり、完全な無調音楽ではない、といった内容が書かれています。私は譜面をきちんと読めるわけではありませんし、絶対音感を持ち合わせているわけではないので、感覚的にしか聴くことができていないわけですが、それでもやはり、この転調の激しさと、無調感。拍節の複雑さなどを感じるにつけて、ある種の畏怖感をも覚えます。劇付随音楽のような節回しのわかりやすい音楽とは一線を画します。

明日から二日はありがたいことに休日です。何とか一週間を乗り切りました。充実した休日になると良いのですが。それにはまず明日の朝早く起きることが必要です。明日こそ必ず!

Classical

今朝も起き上がれず。結局6時20分まで眠り込んでしまいました。参りました。そしてまたへんてこな夢を見続けました。夢ほど面白いものはありませんが、おきてすぐにメモを取らないと忘れてしまいます。今日はメモする時間がなかったので、きれいさっぱり忘れてしまいました。残念。

今日は一昨日に引き続いてフォーレ。今度はピアノ四重奏曲第一番です。一昨日のヴァイオリンソナタに比べて、ピアノ四重奏曲の方が数段激しい。激烈といってもいいでしょう。第一主題はきわめて深刻な旋律から始まるのですが、徐々に柔らかみをおびてきます。第二楽章はピチカートで始まる優雅な心地よい速度の舞曲風。中間部も変わらずピアノの低音部がリズムを刻み続けています。バレエの振り付けをつけたらきっと面白いことになると思います。第三楽章は転じて静か。霧深い森の中に分け入る感じ。第四楽章は長和音と短和音のせめぎあいが面白い。第二主題(?)が孤高の美しさでたまりません。第三主題(?)も高みを極めようとする強い精神が感じられるフレーズで元気付けられますね。コーダの盛り上がりもまたすばらしい。最後は調和音で締めくくられます。

この曲、聴いたら本当に元気が出ました。また譜面が見たくなる病がでてきました。ちょっと時間があったら、譜面に取ってみようかな、と思います。 仕事はなんとか平衡を保っている感じ。難しいことはまだまだたくさんありますが、一つ一つ着実にクリアしていくこと。予断を許さない状態。ともかく、気を張って立ち向かうしかありません。

Classical

朝も起き上がれず。なんということでしょう。関東地方も梅雨入りしたそうですが、今日の雨はそれほどでもない感じ。道も水であふれている何ってこともなく駅につきました。 昨日から面倒なことに巻き込まれていますが、まあいつものようにえいやっと、うっちゃって片付けてしまいましょう。その片づけを今日やる予定です。

昨日のマニャールから時代をくだりフォーレへ。同じフランスの作曲家ですね。ヴァイオリンソナタ第1番、第2番をデュメイのヴァイオリン、コラールのピアノで。 この曲をはじめて聴いたのはもう十年ぐらい前になります。そのころ「フォーレの室内楽は、歳を取ってからじゃないとわからないのである」といった雑誌記事を読んだ記憶があります。確かに、あの若いころには、どうにもなかなか入っていけませんでした。ところが、最近はフォーレの室内楽も徐々にわかるようになってきた感じがします。昔はフォーレの室内楽にはある種の晦渋さのようなものを感じていた記憶があるのですが、いまはそうした渋みよりもむしろソフィスティケイトされた味わいのようなものを感じます。ただ甘く快いだけの音楽ではなく、そこにいくばくかの隠し味がきちんと利いている感じです。

フランス音楽を聴いたからといって、フランスのことを思い出す必然性はないはずなのですが、それでもやはり昔パリに行ったときのことを思い出します。それもオルセーの展示室のこと。19世紀末美術の絵画を順々に回っていくと突然マルセル・プルーストの肖像が突然現れたのです。この絵はここにあったんだ、という驚き。それから懐かしさも。当時、「失われたときを求めて」に取り組んでいたということもあるのだと思いますが、思いがけない邂逅に驚き感謝したのでした。

「失われたときを求めて」まだ読みきっていないのです。「ソドムとゴモラ」の途中で中断しています。この本も死ぬまでに絶対に読みたい本。長いですが、また再開しようかななどと。鈴木道彦さんの訳でまた読み始めないといけないですね。とはいえ、「失われたときを求めて」を読んで、幸せな気分なのか、というわけでもなく、いくばくかの悔悟を念も生じるわけですが。

デュメイさんのヴァイオリンは力強くもあり、優雅でもある。まるで騎士の馬上槍試合を見ているような感覚。着飾った騎士と馬の持つ典雅さと雄雄しさとでもいいましょうか。豊かな音と繊細なテクニック。デュメイさんのヴァイオリンを始めて聴いたのは、フランクのヴァイオリンソナタのCDで、このときはピアノはピリスさんでした。コラールさんのピアノも絶品ですよ。柔らかいタッチを聴くと、水辺の草原で風に吹かれている気分でした。

このCDを聴きながら欧州を旅できたら幸せですよ、きっと。いやいや、旅だなんていわないで、どこか北海に面した小さな漁村に部屋を借りて、静かに住むのですよ。フォーレやフランクを聞きながら、ものを書いたりして過ごせたらどんなにすばらしいでしょう! 夢は努力で実現しましょう。

Classical,Japanese Literature

今朝も起き上がれず、6時過ぎに起床。たくさん夢を見たということは、質のいい睡眠ではなかったということでしょうか。

往路では、いよいよ「ローマ人の物語4 ユリウス・カエサル ルビコン河以前」に取り掛かることができました。せめて五賢帝時代までは今月中に読み終わりたいのですが、少々無理が過ぎるでしょうか。 「ローマ人の物語」は決して史実に寄り添ってはいますが、決して事実を述べているわけではありません。歴史学者の書いた本にはない人間っぽい出来事がそっと差し込まれているのを感じます。たとえば……、とある元老院議員が会議に遅れたのだが、遅れた理由は、子供が生まれたから。日は9月23日で、あのオクタヴィアヌス=アウグストゥスの誕生のエピソードになっているんですね。これが史実だとしたら、よく見つけていらしたのだな、と思いますし、史実でなかったとしたら、作家の天才的なイマージュとでもいえましょうか。

しかし、塩野さんは本当に優秀な方でいらっしゃるのですね。大学は学習院大学哲学科で、そこで「リベラル・アーツ」を学んだのだとか。ラテン語やら、哲学史やら、歴史やら、そういったことだと想像します。その後、欧州で友人と語られるとき、そうしたリベラル・アーツを学んでいたおかげで、共通の話題についていけたのだ、と書いておられます。

でもその後イタリアに遊学されるんですが、そこがなかなか引っかかる。あの時代にイタリアで「遊」学出来るとは、本当に幸運なことだと思います。やはり外国で「遊」学しないとだめなのかしら、などと……。

私は、決してまじめな大学生ではなかったので、悔やんでも悔やみきれないところはありますね。英語は当然として、ほかの諸欧州語も少しでもいいからかじっておけばよかった、と後悔しています。まあ、「老い易く学なり難し」の典型ですが。それにあきらめるのもまだ早くて、そんなことすると神様の罰が当たりますので。

昨日に引き続きマニャールの交響曲第三番をミシェル・プラッソンの指揮にて。第一楽章に現れるフーガが印象的。第二楽章は軽やかな舞曲ですね。第三楽章はオーボエに導かれる静寂とした音楽。雨の中、ひっそりと森の中に身を横たえる池に、幾重もの波紋が広がっているのを見ている感じ。そろそろ梅雨入りですので、なんだか今のアンニュイな気分にとてもフィットする曲想です。第四楽章も不穏な動機をはらみつつも、弦楽器の旋律が曲を先導していきます。静かです。

演奏は少し迫力に欠ける感もあり、私の再生環境(iPod+BOSE QuiteComfort2)では弦楽器の音に不自然さを感じたりもします。録音場所に恵まれなかったのでしょうか?いい曲であることは間違いないです。他の指揮者でも聴いたみたいです。そうですね、意外とバーンスタインとかレヴァインのような、ちょっとまったりした甘さをかぶせてみるとまた違った味わいの曲に聞こえるのではないか、などと思っています。

Classical

今朝は起き上がれず、8時まで眠ってしまいました。昨日、(医者に止められている)ビールを一口飲んだせいでしょうかね。アルコールは楽しいですが、睡眠 の質を低下させるとのことで、眠るという観点からはあまり良くないらしいです。学生の頃は、飲んだ翌日は寝起きが良くて良いな、なんて思っていたのです が、単に眠りが浅いだけなんですね。だから、翌日は一日中ぼーっとしてしまう。お酒はほどほどにいたしましょう。 って、家に溢れんばかりにワインが転がっている(そうなのですが)。どうしよう。ワインパーティでもしようかな。

さて、今日もちょっと穿ったCDを聴いてみました。マニャールの交響曲全集から交響曲第一番を。この曲もCDラックの中から探し出した隠れた名盤。ミシェ ル・プラッソンの指揮、トゥールーズ・キャピトル管弦楽団の演奏です。以前聴いた頃は、どうにも入っていけなくて死蔵していたのですが、今日聴いてみると なかなか良いですね。ジャケットの絵が軽妙な感じだったのですが、軽やかさとは縁の遠い世界です。フランク的循環形式が見られたり、フーガがおもしろかっ たり、ルーセルやオネゲルが聞こえてきたり、いやいや、それだけではなくマーラーだって登場する。何遍も聴いているとそういった面白みが味わえます。iPodに入れましょう、これは。

今日は天気が良かったので、いつものカフェが忙しくなると見越して、行くのを遠慮しました。家でそのマニャールを聴きながら仕事をしようとしたのですが、 なかなかうまくいかず。11時頃、思い立ったように家の周りを散歩。十数分だけ歩いたのですが、空は高くて、空気は柔らかく、実にすがすがしい天気でし た。しかし、仕事は困りました。納期は来週。間に合うかどうか……。今15時過ぎですが、これからまた取りかかりましょう。平日にどれだけこなせるかが勝 負だなあ。