Anton Bruckner,Symphony

ブルックナーの交響曲を好きな順番に並べてみると。。
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という感じでしょうか。五番には本当に愛着があります。でも、録音でいうと、あまり印象に残っていない。あえて言うならチェリビダッケ&ミュンヘンフィルの録音でしょうか。
そういえば、2007年にはティーレマン&ミュンヘンフィルを聴きに行きましたし。あのときの緊張感も忘れられない。ティーレマンはかなりの年輩になっていて、渋みすら感じさせていました。若々しさのような甘っちょろいものは全くない感じでした。
“https://museum.projectmnh.com/2007/11/04195214.php":https://museum.projectmnh.com/2007/11/04195214.php
好きなブルックナー振りは、チェリビダッケとジュリーニですねえ。実はどちらもラテン系。チェリビダッケはルーマニア系です。ルーマニア人はラテン系といわれています。ルーマニア語はロマンス語系だそうですので。まあ、いわゆるローマ時代にダキアとしてローマの植民地ですからね。
それで、私は思ったもんです。私はドイツ人がドイツ音楽を振る音源より、ラテン系の指揮者がドイツ音楽を振るのが好きなんじゃないか、と。
ブルックナーの交響曲第五番を久方ぶりにチェリビダッケ指揮で聴いてますが、いいですねえ。この指揮っぷり。テンポが遅いのはまあ常識的ですが、遅いだけじゃなくて緊張含みの熱い演奏です。辛うじてピアノ線で舞台上につるされている感じ。このこのまま止まってしまうんじゃないかとも思える速度で、いやいや、止まらないでちゃんと緊張感とか統制感を保ちながら演奏しますよ、という感じ。だからといって、遅いばかりじゃない。第三楽章の冒頭なんてかなり速度揚げて迫力とダイナミズムを巧く表現している。さすが。
しかし、ミュンヘンフィルは相当しごかれたはず。チェリの可愛がりは怖いです。でも、理想のためには仕方ないですね。最初から二番になろうとしていたら一番にはなれない。「二番じゃいけないんですか?」 ダメです。じゃあ「何でも一番!」これもダメ。人生も歴史も選択の連続です。
でも、最近、私は、全部やらないと行けない、とまたまた思い始めました。
ミュンヘンフィルもかわいそうでした。チェリがレコーディングしたくないから、経済的にもきつかっただろうなあ。で、チェリの次はレヴァインで、その次がティーレマン。でも、CD不況で新録音はすくないでしょうから。
そう言う意味で言うと、ベルリンフィルはチェリじゃなくてカラヤンでよかったかも。ベルリンフィルのいないグラモフォンなんて想像つかない。
五番は印象的なコントラバスのベースラインから始まり、木管が印象的な美しい旋律を奏でます。私はここはジャズに転用できると思っていますが、まあ素人考えでしょうね。弦楽器のピッチカートが支配する場面が多いのでわりとインテンポでも聴けそうなんですよね。
今朝は悪夢で目が覚めて、しばらく動悸が止まらなかった。稼働システムが障害を起こしている夢。名寄せとか銀行引き去りとか、そんな感じのことがうまくいかなくて、夜中に修復している夢。
というのも、最近、稼働させるシステムが、稼働ごとにインシデントを出しまくっているからでしょうねえ。
まあ、僕も悪いんですが、僕だけが悪いわけでもない。ソフトウェア、ハードウェア、環境、周りの人間、全部がそろわないと、きちんとしたものは出来ません。SHELLモデルと言うんだそうです。

Anton Bruckner,Symphony

 でも書いちゃいます。だって、そうでないと、いつまで経っても書けないままでしょうから。

ブルックナー好きの方は誰しも一家言お持ちだと思います。それが自分にあるのか、と問われると答えに窮してしまう。10年ほど前に狂ったようにブルックナーを聴いていた頃ならまだ語れたかもしれません。それでも不完全燃焼感がありました。 今の状態はといえば、オペラのほうに時間を割いてしまっていて、ブルックナーを語るほど聞き込めていない。しかし、いつ聞き込むのか? いつ語れるのか? とはいえ、語れないからといって沈黙を続けるのは逃避だといえましょう。ここは果敢に書いてみましょう。

書こうと思ったのは、昨日のお昼休みに、急に交響曲第9番の旋律が頭に浮かんできて離れてくれないからです。

とりあえずは、昨日はiPodでチェリビダッケ=ミュンヘンフィル盤を聴いて家に帰りました。家では、ブロムシュテット=ゲヴァントハウス管盤を聴きました。今日の昼休み、バーンスタイン=ウィーンフィル盤を聴いて、ジュリーニ=ウィーンフィル盤を帰宅時に聴いた次第。

チェリビダッケ盤がテンポを抑えることは有名です。発売当時のレコ芸で、レビューした音楽評論家の方でさえ「この暑さの中、チェリビダッケの演奏を聴くのは辛い」とこぼしておられたほどですから。ですが、失速寸前までテンポを落として歌い上げるところは見事としかいえないです。それでもやはり指揮に楽器がついてこれないところもあったりするのですが、ご愛嬌でしょうか。

家で聴いたブロムシュテットは、少々ながらで聴いていましたが、ダイナミックレンジの大きさに感嘆しました。第二楽章のマッチョな感覚もすごい。

昼休みに聞いたのはバーンスタイン盤の第三楽章。ゆったりしていますが、チェリビダッケ盤ほどではない。甘くて耽美的。ですが、思ったより個性が感じられないです。これはちょっと意外。

今日の帰宅時に聴いたのがジュリーニ=ウィーンフィル盤。これは絶品です。第三楽章を中心に聴いているのですが、テンポもチェリビダッケほどは遅くないですが、それでも歌うに十二分なため方です。華麗に歌い上げるところも実に感動的。冒頭の弦楽器のポルタメントも実に艶やかです。バランスでいうとジュリーニ盤が一歩リードでしょうか。

いずれにしても、音楽についてなにを語り得るのか。考えることしきり。まあ、悩んでいたら語り続けよ、というところだと思うのですが。がんばりましょう。