Opera,Richard Strauss

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上の変な写真になってしまいましたが、行ってきました東京二期会公演の《ダナエの愛》。東京二期会は、意欲的な演目をやりますが、今回は本当に運良く行かせていただいた感じです。

いや、本当に面白かったです。演出も最高だったし、なによりオケが素晴らしかった。歌手の方々も。10年以上前にもやはり同じ団体の別のオペラを東京文化会館で観たことがあったんですが、そのときよりも全体に底上げされている!、と本当に思いました。

今日は短信にとどめますが、深作さんの演出は、シュトラウスが指環へのオマージュとして《ダナエの愛》を書いた、と思わせる演出になっています。神々から人間へ世界が渡される、というテーマを色濃く描く演出で、これはもうほとんど指環の世界観でした。第三幕のユピテルは、全くもってさすらい人ヴォータンでした。シュトラウスのパロディ精神をすくい取っているなあ、と感動です。

演出の深作健太さんのアフタートークも聴きましたが、いや、本当にオペラが好きで演出をやりたくて夢を掴んだ、ということだったようです。

というか本当に面白い演出でした。

<ここからさき、ネタバレ&ご覧になった方しかわからないはずです。すいません>

ざっと、思いついたことを書きなぐってみます。ブログじゃないな、これは。本当なら、誰かと話したいところですが、そういう知り合いがいない。。

演出の深作健太さんが登壇したアフタートークでは、深作さんがコンヴィチュニーに影響を受けているというコメントがあり、それを受けて、今回の公演についても聴衆の質問の中からもコンヴィチュニー的な演出だ、というようなコメントが有りました。たしかに、コンヴィチュニーの《ばらの騎士》など、未来の暗い世界が舞台になっているということもありますし。

最初は、第三幕が急激に現代劇になってしまい、あまりの唐突感に驚いたのですが、劇が進むに連れて、第一幕から第二幕がダナエの夢で、第三幕が現実なのだ、という解釈なのか、というところで、なるほど、と思いました。

クリムトはダナエを題材とした絵を描いています。ミダス王は触れたものを黄金に変えるということで、このオペラのなかに通底する黄金のイメージ。ここから、クリムトの「ダナエ」につながり、クリムトが好んでつかった金のイメージに繋がり、ということで、クリムトのデザインが衣装に採用されていました。これも少しやり過ぎもあったんですが、その衣装を着ているのが4人王女で、彼女らは《トゥーランドット》のピン、ポン、パンのような位置づけですので、そうしたパロディ精神も面白いなあ、と思いました。

で、この四人の王女は、実際には三重唱なんだそうです。四人いるのに。私なりの持論はあるのですが、今回は一旦は伏せておきます。

また、第三幕最後において、ダナエが懐胎しているという読み替えなんですが、この衣装とメイクは完全にボッティチェリの「春」をモチーフにしています。これ、辻邦生の「春の戴冠」においては、懐胎しているシモネッタをモデルに描かれたもの、とされていますので、ここもとてもおもしろかったです。

短信になっていませんが、半分メモ的なエントリー。

で、指揮・オケ最高でした。シュトラウスは本当に素晴らしい。明日ももう少し書くかも。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Opera,Richard Strauss

Richard Strauss: Die Liebe der Danae
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うーん、いいオペラだなあ、《ダナエの愛》。シュトラウスらしい、濃厚な音楽世界で、時間を忘れますね。折り重なる転調の織り目とか、あるいは華々しい金管の方向とか、深く味わい深いうねるような弦とか、本当にシュトラウスらしい音楽です。

今日、明日、明後日と東京二期会の公演が上野であります。そちらに幸運にも行くことができそうです。私は明日の会です。指揮は準メルクル。楽しみですね。

これが戦争中に作られたということ。1940年6月28日がその完成の日だそうです。そうした意味を考えながら、明日は観に行ってみようと思います。

それにしても、体調を整えていかないと、オペラは理解できませんので、そのあたりも気をつけないと。

それではまた明日。グーテナハトです。

Opera,Richard Strauss

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こちらを引き続き。さすがに手強い。だが美しい音楽。本当に終わることのない甘美な音楽の連続ですが、全体をつかむにはまだまだ時間がかかりそうです。感想を書くのはもう少し先かも。

《ダナエの愛》ですが、初演は1952年とされていて、シュトラウス存命中の公演はかなわなかったようですが、実際には、1944年にゲネプロだけは行われていたのですね。ハンス・ホッターがユピテルを歌い、指揮はクレメンス・クラウスだったようです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Die_Liebe_der_Danae

ザルツブルク音楽祭での公演の予定だったようですが、ヒトラー暗殺未遂、戦局の悪化やシュトラウスがナチスに不興を買っていたなどが原因のようです。

ヒトラー暗殺計画は、7000人が逮捕、200人処刑、ロンメル元帥に自殺を強いる、という過酷な結果に終わったようです。

そんな時代に《ダナエの愛》が演奏されようとしていたとは。なんとも皮肉というかなんというか。もちろんオペラなので政治的な意味も隠されているはずですが。

こちらにいくらか当時の事情が書かれていました。ただそれが真実かどうかは知る良しもありません。

大作曲家 R.シュトラウス

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それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous,Wolfgang Amadeus Mozart

どうも厳しいスケジュールを抱えてしまっていて、大変な状況になっています。

そういう時に限って、なにか別のやるべきことが現れてしまうわけです。

それにしても昨年末からいろいろと状況が変わりながら、無理を重ねてきましたが、まあ、無理を重ねてという表現をすると今一つですが、なんとか乗り切っているというのが正しい表現だと思いたいところです。

ただ、そろそろ忙しさとのつきあい方も少しずつ変えたい時期だったりもしますので、今後はもう少しセーブしていきたいものです。

物事を変えるためには、時間配分を変える、付き合う人を変える、住む場所を変える、三つのうちどれかを選ばなければならないそうですが、まずは時間配分を変えるところから始めていきましょう。

明日は辻邦生先生の誕生日ですが、もしかすると、特集的な記事は来週28日以降から順次ということになりそうです。明日から週末が勝負です。

今日はこちら。

正当的と思われるモーツァルト。この中から35番「ハフナー」を聴きました。この曲、本当に大好きでして、冒頭のオクターブの跳躍のダイナミズムが本当に現代感覚にマッチするのだと思います。ベームの指揮は、さらりと流すだけではなく、あれ、という引っ掛かりがあります。テンポを急激に落とすのですね。これがベームらしさです。

それではグーテナハトです。

Opera,Richard Strauss

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驟雨のあと。空気も秋めいてきて涼しくなってきた気が。

いよいよ、夏もおわりつつありますね。早いものです。

それにしても、なんなんすかね、この忙しさは、みたいな。

今週やっと3時間だけ自分の時間が取れそうで、それもあと30分でおわってしまいます、みたいな。

今年は、ワークライフ・バランス推進の役割を仕事場で担っているんですが、どうやら、仕事人間だったみたいで、まだまだ頭を切り替えられません。ムダに深読みするクセもあるみたいでして、本当にワークライフ・バランスしていいのか分からないのです。

「効率あげて、仕事の成果を変えずに早く帰ろう!」が趣旨なはずですが、「効率上げて、仕事の成果を増やそう!」が趣旨のダブルスピークではないか、と深読みしてしまうのです。趣旨を腹で理解できていないということですので、意識を変える意味でももっと勉強しないと。

今日はこちら。

コヴェントガーデンでの《ばらの騎士》。ライブ録音なので、子役の子どもたちの声なども入っています。トモワ=シントウ、クルト・モル、バーバラ・ボニーなどおなじみのメンバーが集っております。1995年の録音です。あのクライバーの録画の数年後ですね。Apple Musicのせいか、なにか音作りがライトな感じで、室内楽的に聴こえます。トモワ=シントウは円熟といえば円熟です。カラヤン盤《ばらの騎士》でのトモワ=シントウの素晴らしさとは違う円熟でした。蔵出しな音源という感じです。

詳細はこちら。

http://www.opusarte.com/details/OACD9006D#.Vdnjk3hxE69

明日は涼しい一日になりそうです。皆様お身体にお気をつけて。おやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner,Apple Music

引き続きApple Music

今日も引き続きApple Musicを楽しみました、Woody Hermanや菊地成孔などを楽しみつつ、ブログ記事を書こうと思いました。

Apple Musicには、For You、New、Radio、Connectをいう4つのセクションがあります。

For Youというのは、最初に設定するお気に入りのジャンルやミュージシャンにあわせて、様々なプレイリストやアルバムをサジェスチョンしてくれるものです。どうやら再生すればするほど、その傾向を見ていて、プレイリストのバリエーションが最適化されてくるようです。

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Newでは、お気に入りのジャンルにとらわれずに、全てのジャンルの楽曲を選ぶことができます。あるいは、iOSのiTunesでは、自分が探したい楽曲を選ぶのはこのNewがスタート地点になるようです。

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Radioはまだつかっていませんが、どうやらApple Musicの目玉の一つのようで、キュレーションされた音楽が提供されるようです。

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Connectでは、フォローしたミュージシャンからのメッセージを読んだり聴いたりできるようです。私の場合、EWFとサイモン・ラトルが表示されています。今後、増えていくのかと思いますが、これからの機能でしょうか。

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今日の一枚

で、面白かったのは、このプレイリストの中で、ミステイクを見つけたことです。最初だけの混乱かと思いますけれど、とある有名作曲家のプレイリストだったはずが、そこに誤った作曲家の楽曲だけが登録されていたというものです。一応フィードバックしてみましたが、最初なのでいろいろ混乱があるのかもね、と思いました。

ちなみに、そこに含まれていた誤った作曲家の楽曲というのがこちら。

Symphonies 3-5 & 7-9 (Coll)
Symphonies 3-5 & 7-9 (Coll)

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チェリビダッケが振ったブルックナーの交響曲第七番の音源です。チェリビダッケのブルックナーといえば、ミュンヘン・フィルとEMIに残した音源が有名ですが、グラモフォンにも、シュトゥットガルト放送管との音源が残っています。そちらの音源を聞いているのですが、録音も良く、ミュンヘン・フィルとの音源ほどテンポが緩くなく、実にスッキリとした端正で美しい演奏なのです。ちょっとこれはいいなあ、とあらためて聴きほれてしまいました。ちなみに、私、このCDもっていますが、この10年ぐらいお蔵入りでした。そういう意味では、Apple Musicのお陰でいろいろと新たな再発見をしたことになり、ますます音楽が楽しくなってきました。

ついこの間まで、なんだか新しい音楽の切り口がなくて悶々としていたのですが、Apple Music
のおかげで、立ち直れそうです。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss

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凄烈な夕空でした。これは夕暮れの東の空です。夕焼けといえば西空ですが、反対側の東空を振り返ってもなかなかの風景があります。

Capriccio
Capriccio

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今日はカプリッチョ。グンドラ・ヤノヴィッツの心あらわれる声を楽しみました。意外とテンポがダイナミックで驚きました。最近良く聞いていたのがシルマーなので、なおさらそう思ったのかもしれません。

オペラにおいては、詩か、音楽か、いずれが優位なのか? あるいは演出は? という問いを投げかけるオペラです。この問いを、伯爵夫人マドレーヌが、詩人オリヴィエと音楽家フラマンのいずれを選ぶか、というラヴストーリーになっているというのがなかなかおもしろいのです。私は、きっとマドレーヌは音楽家フラマンを選ぶと思いますが。

このオペラ、作曲されたのが、第二次大戦まっただ中なのです。初演は1942年です。まだ戦局は一進一退のころです。何を思ってこうしたオペラを書いたのでしょうかね。
ユダヤ人排斥のなかにあって、台本作家ツヴァイクとオペラを作れなくなったり、ナチスとうまく行かなくなったり、大変な時期だったはずです。

がゆえに、こんな、あるい意味他愛もない世間ずれしたオペラを書いたんだと想像してしまいます。

そういえば、オーウェルの「1984」の二重思考を思い出しました。。これも二重思考なのかもしれません。「戦争は平和なり」とか、「自由は隷従なり」という「1984」に登場する「二重思考」の言葉のように、この他愛のなさがあまりに不気味です。「1984」では、イングソックという社会主義的政権がアメリカやイギリスを支配しています。そこでは「2+2が5」とされていれば「2+2は5」と言わなくてはならず、「2+2は4」と言えない世界なのだそうです。先日書いたショスタコーヴィチは、交響曲第5番に隠されたメッセージを込めているという話のように、シュトラウスも、ナチス政権下にあって、言いたいことを言えなかったが故に、なにかを込めたんじゃないか、という漠然とした想像をしてしまうのですが、どうでしょうか。

それではおやすみなさい。グーテナハト。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

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新国中庭のパノラマ写真を撮ってみました。首都高速の騒音をブロックするための外壁に囲まれた水庭は本当に素敵です。

《ばらの騎士》に政治的意図はあるでしょうか? ヴェルディオペラだと、そこに政治的な意図がたくさん仕込まれていますので、いろいろと面白いのですが、シュトラウス=ホフマンスタールでそうしたことを考えたことがありませんでした。

もちろん、第一次世界大戦前の時代が変わりゆくことへの漠然とした不安のようなものがながれているのはたしかでしょう。爛熟の次に来る破局への予感のようなものでもあります。18世紀のフランス革命に向けたフランスの状況などを想像していたのかもしれません。

あるいは、現代においてもやはり、バブルの次に来る崩壊をなにかそこはかとなく感じていて、例えば、今のアベノミクス相場はもちろんのこと15年前のITバブルも、なにかそうした威勢の良さのあとに来る破局への漠然とした不安を感じるような気がします。

現実と乖離しているような株価の高騰が、日銀や年金機構が政策に基づき株を買い続けているという状況で、創られた株高状況とも言われているようです。

インフレ・ターゲットが設定されてはいますが、それに連動して、給与が上がっている実感がない、という話はよく聞きます。

(ですが、こちらのデータでは、2013年度においては、平均給与は2%とはいえませんが、それでも上がっている、とされていますので、面白いですね)

なにか、こういう爛熟の美と、次に来る破局の感覚、というのは、日本的とも言えるのでしょうかね。というか、辻邦生の「美と滅び」とか、太宰とか、三島の感覚とよく似ているなあ、と思います。それは、実はマンなのかもしれないですね。

ホフマンスタールの《チャンドス卿の手紙》は、なにか大人の諦念のようなものを感じるのですが、それがこのオペラの魅力だとおもいます。

というのは、ある程度人生経験を積んだ人の意見になると思いますが、きっと若い方々にはオクタヴィアンとゾフィーの恋愛成就ハッピーエンド物語になるのでしょうね。第二幕でさっそうと登場するオクタヴィアンは、きっと若い方にとっては、卒倒するほどのかっこよさです。

年代ごとにその魅力が発揮できるようになっているのかも、なんてことを思いながら観ておりました。

それでは取り急ぎ。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

Photo

いや、すいません。今日も、ちゃんと書けなくて。

でも、《ばらの騎士》については、今回はパフォーマンスも素敵すぎたのですが、それ以上に、劇についていろいろ気づきがありました。

前から思っていたのですが、とあるあのオペラ(あるいはオペレッタ?)と実に似ているのではないか、とか。

あとは元帥夫人のモノローグがことのほか味わい深く、8年前に比べてずいぶんと感じ方が変わっていたり、とか。まあこちらも歳をとっていますので当たり前です。もしかすると、元帥夫人の週末感のようなものはすでに超えてしまったような気がします。

ホフマンスタールが《ばらの騎士》を書いたのは30歳台後半です。確かに《ばらの騎士》を初めて観た時は、元帥夫人と同じぐらいの年齢でした。

ですが、私はすでにそこを超えましたので、ホフマンスタールの感じる終末感を超えていてもおかしくありません。この感覚、昔、少し上の世代のかたと《ばらの騎士》について語った時に、その方がおっしゃっていたことなのかあ、などと思いました。

ということは《ばらの騎士》については、別の見方ができるようになってきてもいいんだろうなあ、と思います。それが今回の課題かもなあ、などと。

で、夏が来てしまいます。今年の立夏は5月6日ですが、小学生の時にならった目安でいうと、5月までは春で、6月からは夏、ということに成りますので、とうとう夏がきました、ということになりますね。

冒頭の写真は、近所の桜の木とかえでのコラボ。

近所の桜。江戸彼岸で、染井吉野よりも早く満開を迎えています。

4月に撮影したあの桜の木、つまりエドヒガンは、冒頭の写真のように青々と生い茂っているわけです。

時のうつりゆくのはやはり早いものですね。もちろん、歳をとればとるほど早くなるわけですが、その早くなる加速度は歳をとればとるほど小さくなります。

それではまた明日。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,Miscellaneous,NNTT:新国立劇場

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先日の新国立劇場《椿姫》について。書きたいことがタスク台帳に残っていましたので、忘れないうちに書かないと。。

ヴェルディらしい楽しさがありましたが、やはり、台本はかなり無理をして刈り込んでいるのですね。第二幕の最初のところ、ヴィオレッタが宝飾品を売り払っている、ということに気づいたアルフレードは、張り裂けるように自分の未熟さを恥じ入り、パリへと向かいます。

この部分の劇の長さがバランスがおかしいほどに短いのです。

特に今回の新国立劇場の演出だと、あれあれあれ、という間にアルフレードが激昂して去っていき、そのあと、ヴィオレッタがすかさず登場、という感じで、なんだか紙芝居のような展開の早さでした。

オペラ化するにあたっては、台本を大きく省略することは多いですので、まあ、当たり前といえば当たり前なのです。

あとは、今回の演出ですと、ジェルモンの登場もかなりスピード感がありました。

それにしても、最近の新国立劇場の歌手の皆さんは安定しています。昔は、なんだかこのあとはずさないか、と心配になってしまうようなこともあったのですが、この数年は、そうした不安のようなものもなく、自然体で集中して見ることができるように思います。本当にすばらしい劇場になってきたんだなあ、と思います。

開場して17年。私が初めて観に行ったのが2002年ですので、あれから13年がたちますが、どんどん成熟しているような気がしてなりません。

今週末の《ばらの騎士》も期待ばかり、です。

では、とりいそぎおやすみなさい。グーテナハトです。