Alban Berg,Classical

昨日書いた記事、公開してませんでした。せっかく書いたのに……。

仕事はかなりマズイ状態。明日も朝からシビアなミーティング。来月に稼働を控えたプロジェクトだというのに、メンバーの引き上げが発生。しかも、キーパーソンだったりするので痛いのですが。これはちょっと頭使って凌いでいかないとまずいなあ、という予感。まあ、うまくいくのでしょうけれど。

さて、先日タワレコで入手したシノポリがシュターツカペレ・ドレスデンを振ったベルクのCD。「抒情組曲からの三章」と、「ヴォツェク断章」、そして「ルル組曲」のカップリング。シノポリがどんなベルクを聴かせてくれるか、楽しみでしたが、私の大好きなアバド盤と比べると、意外にも遅いテンポでじっくりと料理しております。遅いテンポでの演奏は、複雑な曲になればなるほど、楽曲を拡大して見ることができるわけで、シノポリの演奏はまさにそれにあたっています。アバド盤を聞き慣れている身にとっては、ここはもう少し早くしてほしいなあ、と思うところもあるのですが、それはもう少し聞き込むことで解決していくことでしょう。

不思議なのは、ルル組曲の三曲目「Lied der Lulu」の歌詞。Alesanndra Marcが歌っているのですが、ブーレーズ盤、アバド盤、シェーファーのDVD盤と少々歌の旋律が違うのです。版の違いがある訳ではないと思うのですが。これは継続調査。

録音場所ですが、ルカ教会ではなく、シュターツオーパ・ドレスデンです。残響音はあまりないですね。ルカ教会だともうひと味違う録音になったでしょうね。

しかし、ドレスデン、恋しいなあ。シュターツオーパ・ドレスデンの写真を載せますね。また行きたいなあ、ドレスデン。

送信者 DRESDEN REISE 2006

Giacomo Puccini,Opera

iPodが故障しました。バックライトをつけると画面に線が入るように。しかもその線は増殖している……。原因は分かっているのですが、悔しいので書けません。ただいえることは、修理代金が高いこと。お小遣いが吹っ飛びました。というより、お小遣いがこの一年間赤字のままなんですけれど……。もうCDは買えません。

ところが、昨日はふらりと新宿のタワレコに行ってしまったのですよ。そこで、シノポリがDSKを振ったルル組曲のCDがあって、即買いしてしまいました。そうしたら、なんと10月10日から19日まで、新宿店の全CD15%引きになるパスカードをもらってしまった。10月13日はトゥーランドットを観に行きますので、タワレコにふらりとよってしまいそう。株価が下がる可能性より高い確率。ごめんなさい→財務大臣。

ともかく、いま新宿のタワレコで買い物をするとパスカードがもらえるようですよ。お近くの方はおすすめです。私は、お小遣いが赤字のみであるにもかかわらず、何を買おうかと画策中です。たぶんショスタコーヴィチのオペラか、ベルクの作品になるか、というところだと思います。

送信者 For Blog

さて、昨日の刺激的なオペラ・トークで面白いことを黒田恭一さんがおっしゃっていました。リコルディ社からでているトゥーランドットのヴォーカルスコアなのですが、トゥーランドット役の歌詞はイタリア語とドイツ語が並列して書かれているのだそうです。理由は、トゥーランドット役はドイツ系の女性歌手が歌うことが多いから、ということです。インゲ・ボルクやビルギット・ニルソンが実際にトゥーランドットを歌っていたそうですし。なるほど。確かに冷たくも気高いトゥーランドット姫には、ブリュンヒルデ歌いが適任かもしれません。

ちなみに、オペラトークでは、実際にリュウのアリアとカラフのアリアをピアノ伴奏で聴くことができました。

第1幕より 

  • リュー「ご主人様、お聞き下さい!」
  • カラフ「泣くな、リュー!」 

第3幕より

  • カラフ「誰も寝てはならぬ」
  • リュー「氷に包まれた貴女さま」

   リュー:浜田理恵    カラフ:水口 聡

浜田さんは、10月のトゥーランドットの実演でもリュウを歌われます。さすがにうまい。水口さんの「誰も寝てはならぬ」、力強くてすばらしかったですよ。

Giacomo Puccini,Opera

送信者 For Blog
送信者 For Blog

新国立劇場2008年/2009年シーズンの冒頭を飾るのが、プッチー二のオペラ「トゥーランドット」です。今日は、指揮者のアントネッロ・アッレマンディ氏と、演出のヘニング・ブロックハウス氏、そして音楽評論家の黒田恭一さんの司会で催された「オペラトーク」に行って参りました。

会場は新国立劇場中劇場。お客さんは半分ぐらいでしょうか。 結論から申し上げますと、実に濃密な90分で、これで1000円の入場料だなんて信じられないぐらい。私にとっては、「オペラトーク」に出てから聴く「トゥーランドット」は、以前の「トゥーランドット」ではなくなっています。

黒田恭一さんといえば、小さい頃からNHK-FMで親しんできた音楽評論家でいらっしゃいますが、もう七十歳のお歳だそうで、時の流れを感じます。まずは最初にお一人で壇に上がられて、イタリア・オペラにおけるプッチーニの位置、あるいはプッチーニにおけるトゥーランドットの位置についての概論が示されます。

ヴェルディの「アイーダ」、「オテロ」で頂点を見たイタリアオペラですが、「アイーダ」後、「オテロ」後のイタリアオペラ作家にとって新しいこととは何かという問いに、ヴェリズモという流れがあり、レオンカバッロ「道化師」やマスカーニ「カバレリア・ルスティカーナ」が生まれるわけです。プッチーニもヴェリズモの文脈において「ボエーム」を作り、プリママドンナオペラを導入することで「トスカ」を完成させます。

それでも飽きたらず、次は「異国情緒」の導入をすすめ「蝶々夫人」を完成させ、「西部の娘」へと続きます。 そして、「トゥーランドット」で目指したものは、19世紀末から20世紀にわたる新しい音楽です。プッチーニが、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の詳細を研究していたのはもちろんのことですが、それ以外にもマーラー、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ラヴェルなどの影響などが「トゥーランドット」において現れている、と指揮者のアッレマンディは述べていました。

「トゥーランドット」は、イタリアオペラが最後に咲かせた大輪の花です。国破れ流浪の王子となったカラフが、氷の冷たさをもつ美しいトゥーランドット姫の三つの謎に答えて、晴れてトゥーランドット姫と結ばれるというお伽噺的オペラ。ですが。そんなに事情は簡単ではありません。問題はいろいろあります。

「トゥーランドット」の問題のうち最大のものが、未完のオペラであったということ。プッチーニは「トゥーランドット」を完結させることができませんでした。うかつにも、私は、喉頭癌が悪化して、手術に失敗して死亡したがゆえ、と信じていました。 ところが、演出のヘニング・ブロックハウス氏はの指摘は、実際のところプッチーニは死の「二年前」(注:おそらくは1923年の夏にはリュウの場面にたどり着いており、死去するのは1924年11月であるから、ブロックハウス氏は二年とおっしゃったけれど、実際には一年半ぐらいは時間的猶予があったのではないか、と思われる)に、問題の「リュウの死」の場面を書いて、そこから先に進むことができなかったのです。プッチーニはスケッチに「ここから先は『トリスタンとイゾルデ』になる」といって絶筆しているというのです。ヘニング・ブロックハウス氏は、つまりは、トゥーランドットとカラフの「和解」にはもう一つオペラが必要である、という示唆ではないか、と述べておられました。

指揮者のアッレマンディは、プッチーニの「トゥーランドット」においては、他の作曲家、たとえばモーツァルトと比較して、実生活とその作品には断絶がないのだ、ということを指摘します。モーツァルトは貧窮や病気に悩まされながらも、明るい曲調の音楽を書くことができました。しかしながら、「トゥーランドット」においては、プッチーニの置かれた状況を色濃く反映しているのだ、というのです。

リュウのモデルとなったのはドリアという小間使いで、プッチーニ家にきたときには十六歳でした。確かにプッチーニはドリアを気に入っていたことや、後にプッチーニの妻エルヴィラからの執拗な追求に苦しみ自殺したというエピソードは有名です。そして、私が知っている限り、ドリアとプッチーニの間には肉体関係はなかったとされていて、それはドリアの司法解剖によって明らかにされたのだ、というエピソードだったはずです(※1)。 しかし、ヘニング・ブロックハウスは、実は司法解剖にあたった医師は、プッチーニの友人なのであるから、プッチーニの意を汲んで真実を明らかにしなかったのではないか、と言うのです。真実は謎のままですが、プッチーニとドリアの間になにもなかったはずがない、とヘニング・ブロックハウス氏は示唆していました。

※1:それが不思議なことに、このエピソードをどこで読んだのか分からないのです。家にあるプッチーニの伝記数冊を当たったのですが発見できません。

リュウの最後の場面で、合唱は「眠っておくれ! 忘れておくれ! リュウよ! 詩のような娘よ!(dormi ! Oblia! Liu! Poesia !)」と歌います。リュウを「詩」と呼ばせているのです。そしてその詩は永遠の眠りにつく。つまり、プッチーニの詩的感興はここで潰えたのです。もうこれ以上書くことはできなかった。妻のエルヴィラを象徴するトゥーランドット姫(※2)と、自らの象徴であるカラフの和解(※3)を描くことはできなかったのです。ですから、フランコ・アルファーノやルリアーノ・ベリオの補遺盤が不完全であるのは仕方がないのです。

※2:トゥーランドット姫の冷たい高貴さは妻のエルヴィラの象徴ではないか、という解釈も示されました。

※3:ただ、現実世界では、プッチーニとエルヴィラは和解するのですが、時はすでに遅く、プッチーニは病に倒れるわけで
す。

ほかにも興味深い話しがたくさん。ヘニング・ブロックハウスの演出プランも種明かし的に披露されました。詳しく書くのは道義上問題がありますので詳しくは触れませんが、どうやら劇中劇を導入した入れ子構造のプランのようです。10月の公演がすごく楽しみです。

Alban Berg

ベルクの「三つの管弦楽曲作品6」は1915年に作曲されます。ベルク30歳頃。初演は1923年に第一曲、第二曲が初演されます。指揮はウェーベルン。全曲演奏は1930年です。ベルク45歳の時です。マーラーの影響が聞き取れるのはもちろんですが、シェーンベルクの「五つの管弦楽曲」の影響も受けています。

聴いていますと、マーラー風のレントラーやマーチが聞こえてきますし、極めつけはマーラーの交響曲6番のようにハンマーが使われているということもあり、やはりベルクはマーラーの後継者の一人なのだなあ、ということが分かります。

曲は「1.前奏曲(56小節)」、「2.輪舞(121小節)」、「3.行進曲(174小節)」の三曲からなる無調的音楽。シェーンベルクに献呈されています。本来は1914年9月13日のシェーンベルクの誕生日に完成して献呈するつもりだったようですが、第二曲目が間に合いませんでした。

カラヤン盤とアバド盤を聴いていますが、構築美や力強さを見せるのはカラヤンであるのに対して、アバド盤は繊細美麗ながら聴くものの不安をかき立てるような情緒性にあふれています。好みとしてはアバド盤かなあ。カラヤン盤は、弦楽器が本当にきれい。カラヤン=ベルリンフィルの音だなあ、と思います。

楽譜が読めるといろいろと楽しそうですが、ベルクの譜面はあまり見かけないですし、アマゾンにもなさそう。あるところにはあるのですが、高くて手が出ない。没後73年ですので著作権はきれていると思うのですが(日本ですと50年、EUやアメリカは70年)。そろそろ安く出してほしいですね。

アバド盤はAnvil Films Studioでの録音。以前にも書きましたがこのスタジオの音は結構よいですね。リヴァーヴ感が少々長めでほどよく、しかも丸く柔らかい。アバドの演奏に言いしれぬ不安さを感じる要因はこのリヴァーヴ感にある、と言っても良いと思います。カラヤン盤の録音場所はベルリン・フィルハーモニーです。こちらは聞き慣れた音です。

それにしても、仕事帰りの電車の中で聴くベルクは最高! どうしてこんなに心が落ち着くんでしょうかね。まあ今日は金曜日ですので、解放感もありますけれど。

仕事あ相変わらずテンパッていて、参っています。最近は朝早く会社に行くことにしています。午前中の方が捗りますので。そのかわり、夕方になると急に効率が落ちますねえ。最近はトラブル続きですので、今週末は近所の神社にお参りしようと思っています。っつうか、気合い入れて頭使って仕事しようと思います。

Classical,Ludwig van Beethoven

徐々に涼しくなってきました。夏はもう終わりましたね。ただ蝉の鳴き声だけがまだ残っています。これから徐々に本当の秋へと進んでいくわけですが、秋は涼しくて好きな反面、日が落ちるのが早くなるので、寂しい気もしますね。冬至への道程もそろそろ半分と言ったところでしょう。

まあ、仕事をしていれば、おのずとトラブルに巻き込まれるわけですが、今は複数トラブルに見舞われている感じで少々大変。今日もお客様に謝罪に行きました。まあ、お客様も納得してくださったので今回は何とか乗り越えた感じ。

さて、今日は珍しくベートーヴェンを聴きました。というのもiPodのアーティスト画面ではBergの上にBeethovenがきますので。ベルクを聴こうと思いながらも、ついつい(?)ベートーヴェンに踏み入れた感じです。 聴いたのは弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第二番」です。これがすごく良いのです。

正直申し上げて、私はベートーヴェンの弦楽四重奏の世界にきちんと足を踏み入れたことはありません。ただ、10年ほど前に買ったABQ(アルバン・ベルク弦楽四重奏団)の全曲盤でを買いました。今は廉価版で出ていますが、当時は高かった……。あまりまとまって聴いているわけではなく、少しずつ聴いていたぐらいです。ちなみに、ABQはベートーヴェンの弦楽四重奏を二度録音していますが、私が聴いているのは一度目の方です。だから廉価版が出ているのです。残念。

ベートーヴェンの弦楽四重奏になれていなかったとはいえ、不思議なことに今日はなにかこうズシンと来たのですね。ようやくベートーヴェン弦楽四重奏世界の国境線を越えることができたようなイメージ。これまでは入国管理官が厳しくて中に入れてくれなかったのですが、ようやく足を踏み入れてみると、いいですねえ、これは。ABQの演奏もすさまじくいい。一挺の弦楽器でここまで豊かな音が出せるんだ! という驚き。オケ的な豊かさといってもいい。それに四人ともめちゃめちゃうまい。あたりまえですかね。ピッチもいいですし(私的にピッチ感については少々自信はないのですが)、音も豊かで、律動的なグルーヴ感もすばらしい。

ABQは今年の七月に解散して残念ではありますが。

この曲はホ短調ということになっていますが、長調の調性と、単調の調性の色彩がほどよく混ざっている感じ。印象的なのは第二楽章でして、慈愛に満ちた静謐な世界。やはり長調と短調の混ざり具合が気持ちいいです。ベルクの弦楽四重奏もよかったですが、ベートーヴェンも良いですね。この2年ほどはオペラを優先的に聴いていて、弦楽四重奏は手薄でしたので、これからきちんときいてみようか、という感じです。

Alban Berg

最近ちまたで話題のGoogle Chrome。Googleがとうとうウェブ・ブラウザを出したというわけです。すこしは時間が自由になるこの週末に私もインストールしてみました。

めちゃめちゃ速い!

ページの描画はInternet Expressより、Firefoxより速くて、ほとんど世界が違うという感じ。 ただ、ネットで読んでみると、まだまだベータ版ですので、トラブったりしているらしいし、いろいろと言いたいことはある。なんでGoogle Toolbarがないんでしょう、とか、Firefoxのようなアドインはないのか、とか。せめて、Google ブックマークを使えるようにしてほしいなあ、など。

ですがこの速さにまさる難点は思い当たらない。特にJava Scriptの処理速度が速くなったので、ブログの管理画面ではきびきびと動いてくれます。しばらくはFirefoxと一緒に使って、徐々に機能が上がっていくのを楽しむことにいたします。

そんなことを思いながら聴いていたのが、アシュケナージがベルリン交響楽団を振ったベルクのシリーズ。「七つの初期の歌」のオケ伴奏版、「ルル組曲」弦楽合奏版、「アルテンベルク歌曲集」、「三つの管弦楽曲」、と盛りだくさんでして、特に「七つの初期の歌」のオケ伴奏版は珍しいのでは? アシュケナージの指揮は濃厚で妖しさを持っています。ベルクはやっぱりいいですね。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==ヴラディーミル・アシュケナージ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ交響楽団
  • ソプラノ==ブリジット(ブリギッテ?)・バリーズ(バレイズ?)

Opera,Richard Strauss

iPod Classicは、メニュー操作でMusicを選ぶと、収録されているアルバムのジャケットをランダムに表示するのですが、昨日、フレミングさんがシュトラウスを歌う「シュトラウス・ヒロイン」のジャケットが表示されまして、これは聴かずにはいられない、と思いまして、何度か繰り返し聞いています。

このCDでは、「ばらの騎士」の第一幕最終部と第三幕の最終部を楽しむことができます。いずれのシーンもマルシャリン(元帥夫人)役が大活躍する場面。大活躍というと大立ち回りという感じがしますが、見せ所といったほうがいいでしょうか。あるいは、「ばらの騎士」の物語の大きな見せ場ともいえましょう。

私はばらの騎士の物語的頂点は三つあると思っています。一つ目は第一幕の最終部、二つ目は第二幕のばらの献呈の場面、三つ目は第三幕最終部の三重唱、です。このアルバムではそのうち二つの場面を聴くことができるというわけです。

第一幕の最終部では、時がたち齢を重ねていくことへの諦念と、いずれオクタヴィアンが自分の元を去っていくことに違いない、という予感が歌われます。自分の若い頃を「まるで去年の雪を探すようなもの」と喩えています。にくい喩え。この境地はやはり30歳を過ぎないと分からないかもしれません。設定上、マルシャリンも30過ぎということになっています。オクタヴィアンは、マルシャリンのそんな気持ちを全く理解できない。若いのですから当然です。若い頃はいい意味で無知ですので、そうした時間への諦念や死への心構えなどはできてない場合が多いですから。今のオクタヴィアンにはマルシャリン以外は見えていないわけです。

第三幕の最終部では、とうとう自分の元を去っていくオクタヴィアンを送り出すと場面。マルシャリンの歌詞を引用。

私が誓ったことは、彼を正しい仕方で愛することでした。彼(オクタヴィアン)が他の人を愛しても、その彼をさえ愛そうと。この世の中にはただ話を聞いているだけでは信じられないことがたくさんある。けれども実際にそれを体験した人は信ずることができるけれど、でもどうしてだかは分からない

カラヤン盤「ばらの騎士」のライナーより

そうそう、そうなのですよ。ここには、オクタヴィアンが去っていくことの諦念と、時間の流れへの諦観が重ねて歌われているわけです。オクタヴィアンと時間が重ねられている。 時の大切さを教える格言はいくつもありますが、若い頃にはその真の意味が分からないのですよ。わかり始めるのは自分が老いへの下り坂を歩いているらしいということが分かり始めてから。 人にも夜とは思いますが、きっと20台の後半からそれが分かり始める。時間の自由を奪われ、階段を上るたびに息が切れ始め、腹囲に脂肪がつき始める頃になってようやく……。私の場合なのですが……。

きっと今は若いオクタヴィアンもゾフィーもいずれはマルシャリンのように時間への諦念を覚えるに違いないという予感。今は若いからいいのですよ。だから二人には分からないのです。

マルシャリンは、時間への諦念に至り、若さの喪失を受け入れ、若さと訣別するわけですが、次は生への諦念と、老いへの準備と、死の了諾というステージがくるはず。時間への諦念とはそういうもの。だからこそ、シュトラウスは第三幕の最終部の三重唱を自らの葬儀で演奏してほしいと望んだのでしょう。

フレミングの声は本当に豊かな声。ビブラートの振幅が少し大きく感じることもありますが、苦手というところまでは行きません(以前にも書きましたが、ビブラートの振幅が大きすぎる女声がどうも苦手でして……)。指揮のエッシェンバッハの意向なのか、フレミングの意向なのかは分かりませんが、演奏はテンポがかなり抑えられています。フレミングの包容力のある豊かな声に包まれる感じ。いいですね。

第三幕最終部は本当に感動的な演奏。演奏者の力もありますが、やはりシュトラウスの音楽の作りと、ホフマンスタールとシュトラウスによって磨き上げられた最終幕に至るまでの物語の力の所産です。

Alban Berg,Opera

さて、今日はキャスト表を載せます。

この中で気に入っているのが、まずはシェーファーさん。ライヴということもありまれに少々ピッチが気になることもあるけれど、それを超えてあまりある美しさ。映像でみるともっといいのですけれど。それから、アルヴァのデイヴィッド・キューブラー氏。この方は、ティーレマンの「アラベラ」DVDでマッテオを演じておられた方で、張りのある声がいい感じ。映像でも切迫した感じをよく出していらっしゃったと思います。画家/黒人役のステファン・ドラクリッヒは、神経質で世間知らずでルルに振り回される画家の役をうまく歌っておられます。

ルルでは随所でアルト・サクソフォーンが活躍しますね。いい音です。つやと丸みの同居した輝く石のような音。ああいう音を目指せばよかったなあ、と少々思ったり。

「ルル」で思い出したのは、あの物議を醸した新国立劇場の「ルル」の顛末。確か2005年の2月だったと思います。三幕上演する予定だったのですが、演奏家のレヴェルの問題で第三幕の上演を見送り、キャストを入れ替えたのです。私は、ちょうど会社関係の結婚式が急に入ってしまいいけなかったのですが、代わりに見に行った家人によれば、第三幕の代わりに、おそらく「ルル組曲」からの抜粋を演奏したのだそうです。2003年には確か二期会でもルルを演奏したはず。こちらは三幕まで演ったのそうですが、旅行に行った関係で見に行けませんでした。「ルル」は是非にも実演に接してみたいオペラです。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==アンドルー・デイヴィス
  • 管弦楽==ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
  • ルル==ソプラノ==クリスティーネ・シェーファー
  • ゲシュヴィッツ伯爵令嬢==メゾ・ソプラノ==キャサリン・ハリーズ
  • シェーン博士/切り裂きジャック==バリトン==ヴォルフガング・シェーネ
  • 衣装係、馬丁、学生==バス==パトリシア・バードン
  • 支配人、銀行員、医事顧問、教授==バス==ジョナサン・ヴェイラ
  • 画家、黒人==テノール==ステファン・ドラクリッヒ
  • シゴルヒ==バス==ノーマン・ベイリー
  • アルヴァ==バリトン==デイヴィッド・ケネス・キューブラー
  • 猛獣使い、力業士==バス==ドナルド・マクスウェル(→マックスウェル)
  • 王子、下男、侯爵==テノール==ニール・ジェンキンズ

今日もようやくと更新。仕事のトラブルがなかなか収まりません。それどころか、新たなトラブルが発生。顧客側で政治的な動きがうまくいかず、表沙汰になった形。今日は上司と一緒に取締役に事象説明。まあ、取締役といっても数年前までは私の上司だった方ですので、話しやすいのですけれど。明日も無事に過ごせますように、という感じです。

しかしこの一ヶ月はトラブル続き。しかも同時多発テロ状態。いろいろなところでトラブルが吹き出している。しかもそれはすべて私のユニットで起こっている問題。ユニットリーダーはへろへろになっていますが、うまく裁けば、ユニットリーダーは男を上げることになるでしょうし、評価も高まることでしょう。

Alban Berg,Opera

私が初めてベルグ作品に接したのはおそらくは1997年から1998年にかけての頃でした。以前にも書いたことがあるかもしれませんが、NHK-BSで、1996年のグラインドボーン音楽祭で演じられたルルが放映されたのをみたのです。これは強烈でした。グレアム・ヴィックの抽象的にも具象的にもとることのできる円形の舞台上で演じられる、先鋭的で叙情的で凄惨なルル劇の世界を、食い入るように見たのを覚えています。シェーファーさんは、澄んだ美しい声で、魔性的女性をすばらしく演じています。

その後、2004年にこの演奏がDVDにて発売されまして、早速購入しました。最近の私的なベルクブームに乗った形で再聴していますが、音だけを聴いてもすごくいい。ライヴの疵はなくもないですが、シェーファーさんの声がすばらしくて、高音域まで豊かな声です。これで、ルルのアリア歌われてしまえば、もう何も言うことなくため息が出るばかり。

ルルについてもいろいろ考えたいのですが、今日は時間切れ。

ここのところ、トラブル続きでいろいろと大変。仕事にトラブルはつきものです。原因が自分になくともトラブル対応をするのも組織が故。組織には助けてもらうこともありますので、ギブアンドテイクだとは思います。

Opera,Richard Strauss

いつも充実した記事を楽しませてくださるさまよえる歌人日記さん取り上げられたドホナーニのばらの騎士が届きまして、早速iPodにいれてみました。 教えてくださったさまよえる歌人日記さんにこの場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございます。

グンドゥラ・ヤノヴィッツさんが元帥夫人、イヴォンヌ・ミントンさんがオクタヴィアン、クルト・モルさんがオックス男爵、ルチア・ポップさんがゾフィーと来れば、垂涎もの。加えて、カメオ出演のイタリア人歌手はパヴァロッティ様ですので、言うことはないです。

録音は1978年です。ライブ録音ですし、時代も時代ですので、録音状態は万全とはいえません。おそらくはFM放送のエアチェックをCDにしているはずで、ジジというFM特有の懐かしいノイズが乗っているのが分かります。音も少々揺れます。まあ、昔はこれぐらいの音質のエアチェック・テープをむさぼるように聴いていましたので、それを思えば何とやら、です。

まだざっとしか聴けていませんが、印象を。

1978年といえば、ヤノヴィッツさんは40歳ごろですので円熟期に差し掛かったころでしょうか。これまで聴いてきたヤノヴィッツさんよりもビブラートが強い、とも思います。私の大好きなベームとの「カプリッツィオ」の録音が1971年ですのでそれよりは少々お歳を召してからの録音となりましょうか。第一幕の元帥夫人のモノローグの部分を帰宅時の電車で何度もききましたが、ヤノヴィッツさんの新しい一面をみた感じ。意外と力強い元帥夫人です。「カプリッツィオ」の若々しい伯爵夫人(令嬢)でも、「ヴァルキューレ」でのはかないジークリンデとも違いますが、透き通るような高い声を聴くとうれしくなります。

クルト・モルさんはつややかな声質が感じられてこちらもうれしくて仕方がありません。ポップさんはゾフィーの持つはかなさというよりは、技巧的美しさとある種の力強さが出ています。心をしっかり持ったゾフィー像とでもいいましょうか。ミントンさんのオクタヴィアンは倍音を多く含んだ豊かな声質で、安定感があります。ドホナーニさんの指揮はあまり奇をてらうことのないさわやかな演奏ですが、聴かせどころでは、音量やテンポを少し大きめにコントロールして、心情表現をうまくやっておられます。

録音が今一つなところもありますし、ライヴならではの疵も少々ありますので、初めて聞くという方にはお勧めできないと思いますが、ばらの騎士ファンにはお勧めの一枚です。私も十二分に楽しんでいます。