J.S.Bach

いやあ、先週から今週にかけて夏祭りです。といってもあまり気の乗らない夏祭り。久々に会社のシステムが大爆発を起してしまい、収拾に大わらわです。私の記憶では入社以来二回目の最大級爆発です。本来なら休日出勤なのですが、事情により私は免除。しかしながら、私に割り振られた作業が少なくなるわけではありませんし、普段の仕事も抱えていますので、かえって休日出勤をした方が後々では楽なのではないか、という説も。というわけで、ああ、今週は人事面談もあるのです! 資料作ってないし。まいったな。

家に帰れば、たくさんの作業リスト。昨年流行った「GTD的手法」で、やるべきことをとりあえず思い切り書き出してみて、スカッとした感じ。まあ全部はできないでしょうが、人生とはそういうものですよね。なんでも8割ぐらいできればいい方なんです。でも、システムは10割主義ですので、困るわけです。ああ、結局また大爆発ネタに戻ってしまった。

ともかくバッハを聴いています。こういうときこそ、静かにバッハを聴いて心を落ち着かせたいものです。ブレンデルが弾くイタリア協奏曲です。

作曲は1734年ですので、バッハ49歳頃の作品。バッハはイタリア音楽の研究に余念がなかったようで、先だって取上げたコレッリや、ヴィヴァルディなどの研究を青年時代からしていたようです。イタリアバロック音楽はヴィヴァルディにおいて確立されましたが、バッハはヴィヴァルディらイタリアの作曲家のヴァイオリンのための協奏曲をチェンバロのタメの協奏曲に編曲していたのです。そういう背景のもと、このイタリア協奏曲が成立しました。クラヴィーア一台で演奏されますが、総奏的な部分と独創的な部分のコントラストが上手く表現されています。全三楽章は、急-緩-急の組み合わせで、この形式もヴィヴァルディに影響を受けた模様。ヴィヴァルディの「春」もやはり急-緩-急でした。

個人的な思い出ですが、高校時代の友人で、ピアノの巧い男がいたんですが、互いの家が近かったと言うことでとても仲良くなりました。彼が家に来て弾いてくれたのが、このイタリア協奏曲です。私も譜面を手に入れて弾こうと思ったのですが、難しいです。左手の内声部のパッセージが速くて、右手と左手の同期が取れないです。右手も弱っていましたし、左手なんてもっと弱っていますから、弾けっこないんです。1ページぐらい弾いて挫折。でも、最初の短和音を弾いただけで嬉しくなったものです。一台で協奏曲をやるわけですから、自ずと右手と左手がバラバラに複雑に動くので、ピアノ素人にはなかなか難しかったです。

ブレンデルの演奏は少しリズムに揺らぎがありながらも、端正でまめやかなのです。フェルメールの絵のような静謐な美しさ。落ち着いた色調の中に注意してみてみると光の輝きが表現されているといった感じ。美飾華麗な教会ではなくて、粗野な石造の教会だけれど、中に入ると祭壇の背面のステンドグラスだけが静かに輝いている、といった感じ。力強さとか情熱とかいう言葉は当てはまりません。

少し涼やかな日が続いている気がします。ふとした拍子に秋を感じますね。蝉の骸が地面に幾つも落ちていて、鉄砲百合も絢爛な花びらの色を変えて頭を垂れて始めています。夜気は冷たく、微風にのって虫の声が聞こえ始めました。季節は容赦なく弧を描いて回りますが、そうした円環の回転に取り残されないように生活していきたいものです。

Alban Berg

昨日の続きです。抒情組曲をさらに繰り返し聞いています。

アルバン・ベルクは、シェーンベルク、ウェーベルンと並ぶ新ウィーン学派三巨頭の一人ですね。若い頃にはマーラーやシュトラウスに傾倒しましたが、作風は無調から十二音技法、そして十二音技法と調性音楽の融合へと進んだ作曲家で、オペラで言うと「ヴォツェック」や「ルル」を作曲した方。ブーレーズは「ヴォツェックはオペラそのものの総括であり、おそらくヴォツェックをもって、このジャンルの歴史が最終的に幕を閉じたのである」と語っています。

個人的には、かつてBSで放送されたグラインドボーン音楽祭で演奏された「ルル」に衝撃を受けたのがベルクを聴き始めた始まりです。あの映像はDVD化されていますが、「ルル」についてはまた今度。

ベルクはなくなる10年前から、ハンナ・フックス・ロベッティンという夫ある女性と激しい恋に落ちていたのですが、この抒情組曲はハンナへの愛情が表現されているのだそうです。譜面上にアルバン・ベルクのA・B音とハンナフックスののH・F音が表されているのだそうです。人間の愛憎の問題は何時の時代にもあるもの。興味は尽きませんね。

抒情組曲自体は弦楽四重奏のための作品で6つの楽章を持っています。弦楽合奏版もありますが、第二、第三、第四楽章のみが編曲されているだけです。

実は、私はこの曲を聴いて、素晴らしいと思うのですが、それを言語化する道が見つからずに困っているという状態です。先日も「クラヲタへの100の質問」のなかでも少し書きましたが、一体「音楽が分る」というのがどういう状態のことを指すべきなのかといことを考えずにはいられません。

おそらくはレヴェルがあって、音大の楽理科を出たような方の「分る」と、一般愛好家の方が「分る」というのでは量的な差異があると言うことなのだと思うのですが、それが倫理の問題に発展していって、楽理科の方の「分る」があるべき「分る」であって、私のような駆け出しの音楽愛好家が「分る」というのは許されないのではないか、という怖れがでてくるのです。 まあ、考え過ぎなのかも知れません。

駆け出し音楽愛好家は、そのレヴェルで全力を尽くして、あわよくばレヴェルをあげていけるように日々努力を惜しまず、というところが落ち着く結論なのだとは思います。譜面読んだり本を読んだりして日々謙虚に勉強をします。

Giacomo Puccini,Opera

旅行明けで会社に戻ってみると、驚きの連続。良い意味でも悪い意味でも。早くイニシアティブを取り戻して行きたいですね。

今日はまたオペラの話題。

今年はプッチーニの生誕150周年となります。そういえば、お正月に見に行った「NHKニューイヤーオペラコンサート」でも、プッチーニの動画本邦初公開みたいなコーナがありましたね。

図書館で借りてきたシノポリの振る蝶々夫人、これがめっぽう面白いのです。第一幕を執拗に聞き込んでいます。それだけでも本当にすばらしいのです。

テンポが激しく操作されていて、実に楽しい。ここでこのテンポ? みたいな驚きの連続。でもそれでいてしっくり来るテンポ。僕のデフォルト盤であるカラヤン盤がそんなにテンポを動かさないので、そう思うのかもしれませんが。個人的にはテンポを動かす演奏が好きですので、いたく気に入りました。

シノポリのプッチーニといえば、「マノン・レスコー」を聞いたことがありますが、こんなにテンポ動かしていたかなあ、と思ったり。

ちなみに、ピンカートンを歌うホセ・カレーラスがすばらしすぎる。パヴァロッティのようなあらぶれたところもなく、ドミンゴのような甘さもないけれど、なんだか直情的で真摯に歌う感じですね。不品行なピンカートンには少し似合わないかも(そういう意味ではパヴァロッティはピンカートンにぴったりですが……)。でも好きなんですね、こういう声。ここまで一生懸命歌われるとこちらも心が動きます。ピンカートンのカレーラスは当たりです。

Giuseppe Verdi,Opera

先日から隙間時間で少しずつ見ていた「アイーダ」のDVD。ようやく完了です。音楽を聴いてかなり覚え込むと、映像をみるととても愉しめます。

マゼールの指揮はキリッとしている。盛上げるところはテンポを上げてダイナミクスをつけています。まあ、オケや歌手が追随できていないところもありました。それから、第二幕の第一場で少々オケが乱れるところも。カラヤン盤でもやはり少々リズムが揺れるところなので難しいのだと思いますが。裏と表の拍節の取り方が難しいところなのです。ライヴですし仕方がないと思います。ですのでご愛敬です。全体的に割合に濃密な音作りだと思いました。

ラダメスのパヴァロッティは絶好調。張りがあって威力ある歌声はすさまじい。アイーダを歌うマリア・キアーラさんも健闘。アムネリスを歌うゲーナ・ディミトローヴァさんは、悪役なのか味方なのかよく分からないアムネリスの難しい役回りをうまくこなしていましたが、演出の都合もあるのでしょうけれど、もう少しナイーヴなアムネリスも見てみたいなあ、という感想も。

やはり第四幕の前半はアムネリスが悲劇のヒロイン的な状況で、アイーダの悲劇的状況も相俟って見ると、ラダメスよ、しっかりせよ、と言いたくなりました。二人の女性を死に追いやったり絶望の淵に立たせたり、とラダメスはなかなかに女泣かせな男なのです。自分への真偽を貫くのはいいのですが。

アイーダはプロットしてもとても面白いので、いろいろ翻案してみると面白そうです。

今回、アイーダをむさぼるように聞いたおかげで、ヴェルディのオペラが面白くなりました。やはり理解できない楽曲であっても、諦めずに聞き込むと面白くなってきます。この調子で、ヴェルディの他のオペラ群も楽しめるようになれるといいなあ、と思います。

 

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ロリン・マゼール
  • 管弦楽==ミラノ・スカラ座管弦楽団
  • 合唱==ミラノ・スカラ座合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==マリア・キアーラ
  • ラダメス==テノール==フェルナンド・パヴァロッティ
  • アムネリス==ソプラノ==ゲーナ・ディミトローヴァ
  • アモナスロ==バリトン==フアン・ポンス
  • ランフィス==バス==ニコライ・ギャウロフ

Gustav Mahler

また一週間が始まりました。週末は不本意ながら休息となってしまいましたので、ブログもかけずに終わってしまいました。週末は週末で仕事ははかどらず、少々苦しい思いをしましたが、新しい週は何とか充実したものにしていきたいものです。

週末のことを書きますと、いろいろと乱れ聞いていました。カーライル・フロイド「スザンナ」、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、内田光子さんとザンテルリンクのピアノ協奏曲「皇帝」などなど。

気を取り直しまして、今日は、先日に引き続きバーンスタインのマーラーを聞いております。

第三楽章はウィナーワルツなわけですが、ホルン協奏曲と思うぐらいホルンが活躍しますね。音いいです。 第四楽章はテンポを動かすことでダイナミズムを得ています。ためるところはかなりためていますが失速することもなく、哀切とした感じが色濃くのってきています。またある場所では、さらりと身をかわすように旋律を続けざまに展開させていく場面もあります。いずれにせよよく統御された演奏です。あまりに有名すぎる楽章ですが、バーンスタインの演奏は実に雄弁です。

第五楽章も同じ色合い。フィナーレの疾走感も格別です。 全体にいえることですが、バーンスタインがテンポを動かすことで、音楽の躍動感を救い上げています。ただ、遅いの一点張りではなく、テンポを上げるところでは、ちょっと速過ぎるのではないか、と思う寸前までいくのですが、テンポを下げるところではぎりぎりのラインまで落としています。先日も書きましたが、テンポを落とすと、解像度が増して、響きがくっきりと浮かび上がってきます。

聞きごたえのある演奏なのですが、かなり考えて聞かなければなりませんし、軽く聞き流すことを許さない演奏ですので、疲れたときに一息入れたい、なんて場合にはちょっと遠慮しておいたほうがいいでしょう。もっとも、マーラーで一息入れる、ということ自体が難しいわけですけれど。

季節は周りましたね。夏至を過ぎたわけです。これからは昼の時間が少なくなっていきます。すこし残念な気分。

Gustav Mahler

 今週から読み始めたブルノ・ワルターの「マーラー 人と芸術」を読んだから、ということもあって、昨日、今日とマーラーを聞いています。昨日は交響曲第4番を聞いたのですが、4番の中でトランペットが、交響曲第5番冒頭のファンファーレを吹いているのに気づいて、ああ、5番を聞かなければ、と思い、バーンスタイン盤を聞いている次第。

まずは第一楽章から。冒頭のファンファーレ、フレーズ自体の速度の遅さより、休符をためてテンポを遅くしているのがわかります。全体に荘重な空気に支配されていて、テンポの遅さからくるまどろっこしさを感じることはありません。きちんと統御されているのがわかります。

バーンスタインのテンポの取り方に注目し始めたのは最近になってからで、特にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」やブラームスの交響曲などを聞いて大いに刺激を受けたのですが、この曲でもやはりたっぷりとした器の大きさを感じて、いいなあ、と思います。 テンポが遅くなると、音楽が拡大鏡で覗いたように思えることもあります。ティンパニーがパッセージをたたいたり、鼓笛隊の沈鬱なスネアドラムが聞こえたり。交響曲第10番の第1楽章、あるいはベルクの「ルル組曲」のような、トーンクラスター的な響きが聞こえたり。いろいろな意味でとても刺激的です。 第二楽章の冒頭はテンポが上がりますね。波打つように弦のうねりが迫ってきて、金管が吠えまくりますが、チェロの葬送行進曲風の旋律はかなりゆったり。テンポの変化が雄弁な楽章です。

上述のワルターの著書の中で、「音楽は地中海の明るい海なのではなく、なみうつ大洋のような暗さを持つのだ」、といったことが書かれているのですが、マーラーの曲はまさにそれに当てはまりますね。音楽に関わらず、世界認識も変えられてしまうかも、とまで思ってしまいました。そういう意味では実にショッキングな一文でした。

しかし、マーラーの曲は集中力を非常に要します。特にバーンスタインはゆっくりと重みのある演奏なのでなおさら。マーラーの五番だって、これまで何度聞いたか分らないのですが、分らないことが多すぎます。だからといって聴き過ぎると疲れてしまう。疲れるぐらいの曲のほうが歯ごたえがあって、分ったときのうれしさは格別なのだと思いますが、まだそこまで辿り着いていないです。 第三楽章以降は次回へ続く、ということで。

  • 作曲==グスタフ・マーラー
  • 指揮者==レナード・バーンスタイン
  • 管弦楽==ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

Gustav Mahler

今日はちょっと短めです。所用で都心に出たもので、ちょっと時間が取れませんでした。

ブルノ・ワルターの「マーラー 人と芸術」ですが、音楽之友社から昭和44年に発売されたものを古本でゲットしましたので読んでいる次第。訳自体は戦前。

「回想」と「反省」の二部構成で、「回想」はワルターがマーラーと接した七年間の思い出話。「反省」で、マーラーの音楽的、芸術的な側面を分析しています。

マーラーには、音楽的才能と劇的才能の両方が備わっていて、だからこそオペラ指揮者として成功したのである、とか、マーラーの音楽は古典的側面とロマン的側面という二面性から理解されなければならない、など。もう少し分析的に読んでいく予定です。

ともかく、この本を読みながら、マーラーの三番などを聞いていたのですが、マーラーは聞いている人間を安心させることがなくて、あるときは流麗で映画音楽的美しさを持つのだけれど、次には突然、夜の兵舎に鳴り響くトランペットや鼓笛隊がうつろに行進するさまが描かれていたり、次には愛の告白をしているように聞こえるのだが、次には皮肉っぽく嘲笑って見せたりするわけです。マーラーの音楽を聴くと言うことは、人間や世界の多面性を理解すると言うことなのだなあ、なんてことを漠然と思ったりしていました。

Opera,Richard Wagner

今朝起きると激しい雨音が。先日の「谷間の水」を思い出したので、道順を変えて出勤。今日はぬれずにすみました。

最近はどうもまとまってクラシック音楽を聴くことができないでいました。どうやらそれは、先週末の結婚パーティで、ジャズとブルースの生演奏を聞いたから。ちょっとした衝撃だったようで、本当はブルックナーを聞きたいはずなのに、あいま時間にジャズを聴いてしまうことがありました。べつにジャズを聴くのが悪いというわけではありませんが、気持ちにノイズがのった感じでした。それでも通勤時間や会社の昼休みになんとか聞き続けて、ようやく今日になってワーグナーに回帰できました。

というわけで、「ラインの黄金」をカラヤンの指揮で。あらすじを大体把握したので、音楽だけ聴いても面白いです。初めて聞いたのはショルティ盤でしたが、音のよさではカラヤン盤が勝っています。演奏も録音に助けられてダイナミック。「ラインの黄金」は、「ヴァルキューレ」や「神々のたそがれ」ほどには聞き込んでいるわけではないです。「ジークフリート」と並んで、理解が急がれる曲です。まずは聞き始めなければ話は進みませんね。

 ラインの黄金は、女性歌手の活躍の場が少ないですね。ラインの乙女やフリッカやフライア、エルダも登場しますが、ジークリンデやブリュンヒルデといった主人公クラスの女声がないです。それがとっつきにくさなのかな、とも思います。そういえば、ジークフリートも終幕にブリュンヒルデが出てくるだけ。鳥の声もありますが。そうか、ラインの黄金とジークフリートが僕にとって聞きにくいのは女声が少ないからか、と気づきました。

たまには立ち向かって刺激を受ける選曲もだいじですね。それがまた愉しみなわけです。

あと二日で仕事もおしまい。今週末は自宅でやることが満載。静かな週末になるはずですが、充実した週末にもしたいです。

Opera,Richard Strauss

昨日は、せっかく書いたのにアップできず。ちと本業が忙しくて、ということで。今日からは日次更新予定です。

通勤時間に聞いたのは、シノポリの振る「サロメ」。昨日はカラヤンの「サロメ」でしたが今日はシノポリを聞くことができるという幸福。うれしいですね。シュトラウスもまさかiPodに自分のオペラがいくつも入れられて、電車やバスの中で聞かれるようになるとは想像すらしなかったでしょうね。考えてみれば贅沢なお話だと思います。

ちょっと調べてみようと思って、Googleで「サロメ シノポリ」で調べていたら、1月29日版の本ブログの記事が出てきてしまいました。あらら。そうか、ウシャコワさんのサロメの予習をしていたときにこの「サロメ」を聞いていたのでした。 サロメを歌っておられるステューダさん、混ざりけのないきれいで豊かな声。音量のダイナミクスレンジもあるし、テンポも意外といじっている感じでした。それも割りとゆっくりめに演奏していて、ハーモニーが良く聞き取れる。幸せですね。

リヴァーヴ感がいいなあ、と思っていたら、ベルリン・イエス・キリスト教会だったのでした。ドレスデン・ルカ教会よりも残響時間は少な目ながらもいい音です。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ジュゼッペ・シノポリ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
  • ヘロデ==ホルスト・ヒーターマン
  • ヘロデヤ==レオニー・リザネク
  • サロメ==チュリル・ステューダ
  • ヨカナーン==ブリン・ターフェル
  • ナラボート==クレメンス・ビーバー
  • 録音日時==1990年12月
  • 録音場所==ベルリン・イエス・キリスト教会

Opera,Richard Strauss

今日も日差しが戻っています。昨週の天気の悪さが不思議なぐらい。ですが、今日は休日にしては盛りだくさん。午前中は都内のスタジオで来週に迫ったジャズコンボのリハーサルを二時間。昼食を、バンドメンバーと摂りながら他愛もない世間話に舌鼓を打つ。もう10年以上もつきあっている方々でしたので、懐かしい話も織り交ぜながら、あるいは初めてあったときから10年以上経って、お互いの境遇が変わっていることに驚かされたりしながら、という感じでした。

今日は、カラヤンの振るサロメを聴いています。予想していたのですが、やはりオペラに戻ってきてしまいました。久々に聴くシュトラウスは実に美味です。もちろん単なるおいしさではなくて、歯ごたえもあれば粘りも腰もある。録音の感じも僕好みで、低い倍音が豊かで、リヴァーヴ感もほどよい感じに聞こえます。

ホセ・ファン・ダムさんのヨカナーンがすばらしいです。意志力に満ちた力強い声。ヨカナーンの境遇や性格をよく映し出しているなあ、と思った次第。とても良いですね。ベーレンスさんのサロメは、どうしてもブリュンヒルデに聞こえてしまう。いけませんね。僕の中でショルティ盤のリングのイメージが抜けきらない。僕の聴き方が悪いのですが、とにかく力強い歌唱です。

サロメ、本当に難しいですよね。演奏もそうですし、聴くのも同じく。さすがに何度も聞かないと理解が深まらないです。それでもなんどとなく聴いてますので、徐々に分ってきていると良いのですが。とにかく、聴いていて楽しい、という領域には入ってきています。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • ヘロデ==カール=ワルター・ベーム
  • ヘロディアス==アグネス・バルツァ
  • サロメ==ヒルデガルト・ベーレンス
  • ヨカナーン==ホセ・ファン・ダム
  • ナラボート==ヴィエスワフ・オフマン
  • 録音日時==1977年5月、1978年5月
  • 録音場所==ウィーン、Sophiensaal