Alban Berg,Classical

先週の木曜日頃から執拗にベルクのヴァイオリン協奏曲を聞いています。もう何度聞いたことでしょう。30回はくだらないでしょうか。しかし、聞けば聞くほど、わかるところはわかるのですが、わからないところはわからない。ただ、この曲の叙情性や美しさといった面を感じるようになってきたのは確かです。

1935年2月(ベルク死の年)、アメリカのヴァイオリニストのルイス・クラスナーからヴァイオリン協奏曲の作曲依頼を受けることになります。そのころ「ルル」の作曲を行っていたベルクは、「ルル」だけは夏までに作曲を終わらせたかったのですが、ナチスによりドイツでの作品演奏が禁止されたこともあって、経済的に厳しい状況だったということで、依頼を引き受けてしまうのです。 なかなか作曲が進まなかったのですが、アルマ・マーラー=ヴェルフェルと建築家グロピウスの間に生まれたマノン・グロピウスが小児麻痺に罹患し闘病の末に亡くなってしまうという出来事がありました。ベルクはマノンのことをかわいがっていて、マノンへのレクイエムとして、ヴァイオリン協奏曲の作曲にあたることになったのです。

ここまではとても有名な話なのですが、この曲にはマノンに加えて二人の女性の姿が登場します。ベルクと女性とのかかわりが実に興味深いのです。

まずは、17歳の頃にベルク家で女中をしていたマリー・ショイフル(この方もやはりマリーだ!)との間にアルビーネという娘をもうけていますし、あるいは、アルマ・マーラー=ヴェルフェルの夫フランツ・ヴェルフェルの妹であるハンナ・フックス・ロベッティンと恋愛関係にもあったわけです。

このヴァイオリン協奏曲には、1)マノン・グロピウス、2)マリー・ショイフル、3)ハンナフックス・ロベッティンという三人の女性が登場するわけです。1)のマノンは言わずもがな。2)のマリーは、ケルンテン民謡において現出しています。マリーはケルンテン地方の出身でした。3)ハンナは、H音(ハンナ)とF音(フックス)において現出しています。いわば、ベルクの女性回顧録的な状態です。

Classical,J.S.Bach

修理に出かけていたiPodが無事に戻ってきました。今回は液晶が壊れましたので、プラスチック製の透明なハードカバーを発注中。届いたらレポしてみます。

ベルクのヴァイオリン協奏曲を研究中です。この協奏曲では大バッハのカンタータ第60番からの引用があると言うことで、くだんのカンタータのCDを物色中ショッキングなものを発見してしまいました。

HMVでiPodが売っているのです。それも中にバッハ全集が入っているというのです。しめて68800円。バッハの全集に120GBのiPod Classicがついているというわけですよ。これをCDで買うと、172枚40キロで97171円。CDで買うより安いのですか……。しかも、iPod付きで、iPodに入れる手間もなし。

マジですか……。

それだったら壊れたiPodを修理しないで、このバッハ全集を買いたかったかも。というか、ボーナスで買いたいかも。

一生かかっても聴ききれるかわからない大バッハの作品を文字通り手中に収める時代が来ようとは。

説明を読むと、どうやらDVD-ROMに12GB程度の楽曲データが入っていて、iPodにインストールするみたい。ということは、待っているとこのDVD-ROMだけ発売される、なんてことがあるかも? いや、あってほしい! あったら即買いです。

 

Alban Berg,Classical

今日もベルク。飽きもせず本当に楽しいし刺激的です。どこまで分かっているのか分かりませんが。

ともかく、今日はアシュケナージがベルリン・ドイツ交響楽団を振ったベルク曲集。このCDの白眉は、あの「初期の七つの歌」をオーケストラ伴奏版で聴けると言うこと。「七つの初期の歌」は、オッターさんの以下のアルバムで聴いてはおりました。ピアノ伴奏版ですが。

Berg/Korngold/R. Strauss: Lieder
Alban Berg, Erich Wolfgang Korngold, Richard Strauss, Anne Sofie von Otter, Bengt Forsberg
Deutsche Grammophon ( 1994-03-21 )

 

それはそれですばらしいのですが、オケ版だとどうなるのだろう、と思って聴いているわけです。

 
ところが、これがすばらしい! 
 
シュトラウスの「四つの最後の歌」的な流麗で甘美な音のうねりです。
 
「七つの初期の歌」はベルクが二十歳の頃に書いた作品で、それだけでもすごいのですが、1928年(四十三歳)の時にオーケストレーションが施されて初演されています。ちなみに、オケ版の出版は死後20年がたった1955年です。そういう意味では、シュトラウスの「四つの最後の歌」(1948年作曲)よりも20年も前にこのオケ版が成立していたことになります。ベルクが進んでいるととらえるか、シュトラウスが保守的だととらえるか。たぶん後者なのだと思うのですが、あとから味わうものにとって、それが何年もののワインであろうとも、旨ければいいわけですので、前後関係を過度に評価しても意味がないのではないでしょうか。
 
ただ、ピアノ伴奏版においてもシュトラウスの影響を受けていることは確かなようです。私はシュトラウスの歌曲系についてはまだ抑えられていないのですが(また課題が見つかりました! うれしいものですね)、ベルクの歌曲とシュトラウスの歌曲の聴き比べなどをしてみるのも面白いかもしれません。
 
ともかく、オケ版の「初期の七つの歌」はすばらしい。しばらくは私の癒しの音楽になることは間違いないでしょう。
 
 

Alban Berg,Opera

相変わらずベルクを聴く頻度を増やしています。日曜日から今日にかけては、メッツマッハーの「ヴォツェック」を聞いています。何度も聴かないと難しいです。

マリーの子守歌のところは、アバド盤よりテンポを落ちていて、耽美的で惑溺的で情感的。 アバド盤がどんなに冷静な演奏だったのかが分かります。 少々ハーモニーが乱れるところがあるけれど、そうそう気にはなりません。

しかしマーラーの影響が大きいですね。マーラー的すなわち悪魔の舞踏にも思えるレントラー。あるいは「ばらの騎士」のオックス・ワルツのフレーズさえも聞こえてくるような気もしますね。カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」のような男声合唱が入りますし。ベルクの音楽が過去や未来とどれだけつながっているのか、という感じです。

それにしても、マリー役のソプラノのアンゲラ・デノケAngela Denokeさんが強力。アバド盤のベーレンスさんに迫る勢い。サロメもレパートリーのようですが、意外にも「ばらの騎士」のマルシャリンも歌っておられる。1997年のザルツブルク音楽祭では、アバドの指揮でもヴォツェックのマリーを歌っていらっしゃるようです。

週末は穴を開けました。こんなに穴を開けたのは久しぶり。少々疲れているらしく、いつも書いている時間に睡眠を入れざるを得なかったりして、ついつい、というところ。今日から復活予定です。

Alban Berg,Classical

昨日書いた記事、公開してませんでした。せっかく書いたのに……。

仕事はかなりマズイ状態。明日も朝からシビアなミーティング。来月に稼働を控えたプロジェクトだというのに、メンバーの引き上げが発生。しかも、キーパーソンだったりするので痛いのですが。これはちょっと頭使って凌いでいかないとまずいなあ、という予感。まあ、うまくいくのでしょうけれど。

さて、先日タワレコで入手したシノポリがシュターツカペレ・ドレスデンを振ったベルクのCD。「抒情組曲からの三章」と、「ヴォツェク断章」、そして「ルル組曲」のカップリング。シノポリがどんなベルクを聴かせてくれるか、楽しみでしたが、私の大好きなアバド盤と比べると、意外にも遅いテンポでじっくりと料理しております。遅いテンポでの演奏は、複雑な曲になればなるほど、楽曲を拡大して見ることができるわけで、シノポリの演奏はまさにそれにあたっています。アバド盤を聞き慣れている身にとっては、ここはもう少し早くしてほしいなあ、と思うところもあるのですが、それはもう少し聞き込むことで解決していくことでしょう。

不思議なのは、ルル組曲の三曲目「Lied der Lulu」の歌詞。Alesanndra Marcが歌っているのですが、ブーレーズ盤、アバド盤、シェーファーのDVD盤と少々歌の旋律が違うのです。版の違いがある訳ではないと思うのですが。これは継続調査。

録音場所ですが、ルカ教会ではなく、シュターツオーパ・ドレスデンです。残響音はあまりないですね。ルカ教会だともうひと味違う録音になったでしょうね。

しかし、ドレスデン、恋しいなあ。シュターツオーパ・ドレスデンの写真を載せますね。また行きたいなあ、ドレスデン。

送信者 DRESDEN REISE 2006

Giacomo Puccini,Opera

iPodが故障しました。バックライトをつけると画面に線が入るように。しかもその線は増殖している……。原因は分かっているのですが、悔しいので書けません。ただいえることは、修理代金が高いこと。お小遣いが吹っ飛びました。というより、お小遣いがこの一年間赤字のままなんですけれど……。もうCDは買えません。

ところが、昨日はふらりと新宿のタワレコに行ってしまったのですよ。そこで、シノポリがDSKを振ったルル組曲のCDがあって、即買いしてしまいました。そうしたら、なんと10月10日から19日まで、新宿店の全CD15%引きになるパスカードをもらってしまった。10月13日はトゥーランドットを観に行きますので、タワレコにふらりとよってしまいそう。株価が下がる可能性より高い確率。ごめんなさい→財務大臣。

ともかく、いま新宿のタワレコで買い物をするとパスカードがもらえるようですよ。お近くの方はおすすめです。私は、お小遣いが赤字のみであるにもかかわらず、何を買おうかと画策中です。たぶんショスタコーヴィチのオペラか、ベルクの作品になるか、というところだと思います。

送信者 For Blog

さて、昨日の刺激的なオペラ・トークで面白いことを黒田恭一さんがおっしゃっていました。リコルディ社からでているトゥーランドットのヴォーカルスコアなのですが、トゥーランドット役の歌詞はイタリア語とドイツ語が並列して書かれているのだそうです。理由は、トゥーランドット役はドイツ系の女性歌手が歌うことが多いから、ということです。インゲ・ボルクやビルギット・ニルソンが実際にトゥーランドットを歌っていたそうですし。なるほど。確かに冷たくも気高いトゥーランドット姫には、ブリュンヒルデ歌いが適任かもしれません。

ちなみに、オペラトークでは、実際にリュウのアリアとカラフのアリアをピアノ伴奏で聴くことができました。

第1幕より 

  • リュー「ご主人様、お聞き下さい!」
  • カラフ「泣くな、リュー!」 

第3幕より

  • カラフ「誰も寝てはならぬ」
  • リュー「氷に包まれた貴女さま」

   リュー:浜田理恵    カラフ:水口 聡

浜田さんは、10月のトゥーランドットの実演でもリュウを歌われます。さすがにうまい。水口さんの「誰も寝てはならぬ」、力強くてすばらしかったですよ。

Giacomo Puccini,Opera

送信者 For Blog
送信者 For Blog

新国立劇場2008年/2009年シーズンの冒頭を飾るのが、プッチー二のオペラ「トゥーランドット」です。今日は、指揮者のアントネッロ・アッレマンディ氏と、演出のヘニング・ブロックハウス氏、そして音楽評論家の黒田恭一さんの司会で催された「オペラトーク」に行って参りました。

会場は新国立劇場中劇場。お客さんは半分ぐらいでしょうか。 結論から申し上げますと、実に濃密な90分で、これで1000円の入場料だなんて信じられないぐらい。私にとっては、「オペラトーク」に出てから聴く「トゥーランドット」は、以前の「トゥーランドット」ではなくなっています。

黒田恭一さんといえば、小さい頃からNHK-FMで親しんできた音楽評論家でいらっしゃいますが、もう七十歳のお歳だそうで、時の流れを感じます。まずは最初にお一人で壇に上がられて、イタリア・オペラにおけるプッチーニの位置、あるいはプッチーニにおけるトゥーランドットの位置についての概論が示されます。

ヴェルディの「アイーダ」、「オテロ」で頂点を見たイタリアオペラですが、「アイーダ」後、「オテロ」後のイタリアオペラ作家にとって新しいこととは何かという問いに、ヴェリズモという流れがあり、レオンカバッロ「道化師」やマスカーニ「カバレリア・ルスティカーナ」が生まれるわけです。プッチーニもヴェリズモの文脈において「ボエーム」を作り、プリママドンナオペラを導入することで「トスカ」を完成させます。

それでも飽きたらず、次は「異国情緒」の導入をすすめ「蝶々夫人」を完成させ、「西部の娘」へと続きます。 そして、「トゥーランドット」で目指したものは、19世紀末から20世紀にわたる新しい音楽です。プッチーニが、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の詳細を研究していたのはもちろんのことですが、それ以外にもマーラー、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ラヴェルなどの影響などが「トゥーランドット」において現れている、と指揮者のアッレマンディは述べていました。

「トゥーランドット」は、イタリアオペラが最後に咲かせた大輪の花です。国破れ流浪の王子となったカラフが、氷の冷たさをもつ美しいトゥーランドット姫の三つの謎に答えて、晴れてトゥーランドット姫と結ばれるというお伽噺的オペラ。ですが。そんなに事情は簡単ではありません。問題はいろいろあります。

「トゥーランドット」の問題のうち最大のものが、未完のオペラであったということ。プッチーニは「トゥーランドット」を完結させることができませんでした。うかつにも、私は、喉頭癌が悪化して、手術に失敗して死亡したがゆえ、と信じていました。 ところが、演出のヘニング・ブロックハウス氏はの指摘は、実際のところプッチーニは死の「二年前」(注:おそらくは1923年の夏にはリュウの場面にたどり着いており、死去するのは1924年11月であるから、ブロックハウス氏は二年とおっしゃったけれど、実際には一年半ぐらいは時間的猶予があったのではないか、と思われる)に、問題の「リュウの死」の場面を書いて、そこから先に進むことができなかったのです。プッチーニはスケッチに「ここから先は『トリスタンとイゾルデ』になる」といって絶筆しているというのです。ヘニング・ブロックハウス氏は、つまりは、トゥーランドットとカラフの「和解」にはもう一つオペラが必要である、という示唆ではないか、と述べておられました。

指揮者のアッレマンディは、プッチーニの「トゥーランドット」においては、他の作曲家、たとえばモーツァルトと比較して、実生活とその作品には断絶がないのだ、ということを指摘します。モーツァルトは貧窮や病気に悩まされながらも、明るい曲調の音楽を書くことができました。しかしながら、「トゥーランドット」においては、プッチーニの置かれた状況を色濃く反映しているのだ、というのです。

リュウのモデルとなったのはドリアという小間使いで、プッチーニ家にきたときには十六歳でした。確かにプッチーニはドリアを気に入っていたことや、後にプッチーニの妻エルヴィラからの執拗な追求に苦しみ自殺したというエピソードは有名です。そして、私が知っている限り、ドリアとプッチーニの間には肉体関係はなかったとされていて、それはドリアの司法解剖によって明らかにされたのだ、というエピソードだったはずです(※1)。 しかし、ヘニング・ブロックハウスは、実は司法解剖にあたった医師は、プッチーニの友人なのであるから、プッチーニの意を汲んで真実を明らかにしなかったのではないか、と言うのです。真実は謎のままですが、プッチーニとドリアの間になにもなかったはずがない、とヘニング・ブロックハウス氏は示唆していました。

※1:それが不思議なことに、このエピソードをどこで読んだのか分からないのです。家にあるプッチーニの伝記数冊を当たったのですが発見できません。

リュウの最後の場面で、合唱は「眠っておくれ! 忘れておくれ! リュウよ! 詩のような娘よ!(dormi ! Oblia! Liu! Poesia !)」と歌います。リュウを「詩」と呼ばせているのです。そしてその詩は永遠の眠りにつく。つまり、プッチーニの詩的感興はここで潰えたのです。もうこれ以上書くことはできなかった。妻のエルヴィラを象徴するトゥーランドット姫(※2)と、自らの象徴であるカラフの和解(※3)を描くことはできなかったのです。ですから、フランコ・アルファーノやルリアーノ・ベリオの補遺盤が不完全であるのは仕方がないのです。

※2:トゥーランドット姫の冷たい高貴さは妻のエルヴィラの象徴ではないか、という解釈も示されました。

※3:ただ、現実世界では、プッチーニとエルヴィラは和解するのですが、時はすでに遅く、プッチーニは病に倒れるわけで
す。

ほかにも興味深い話しがたくさん。ヘニング・ブロックハウスの演出プランも種明かし的に披露されました。詳しく書くのは道義上問題がありますので詳しくは触れませんが、どうやら劇中劇を導入した入れ子構造のプランのようです。10月の公演がすごく楽しみです。

Alban Berg

ベルクの「三つの管弦楽曲作品6」は1915年に作曲されます。ベルク30歳頃。初演は1923年に第一曲、第二曲が初演されます。指揮はウェーベルン。全曲演奏は1930年です。ベルク45歳の時です。マーラーの影響が聞き取れるのはもちろんですが、シェーンベルクの「五つの管弦楽曲」の影響も受けています。

聴いていますと、マーラー風のレントラーやマーチが聞こえてきますし、極めつけはマーラーの交響曲6番のようにハンマーが使われているということもあり、やはりベルクはマーラーの後継者の一人なのだなあ、ということが分かります。

曲は「1.前奏曲(56小節)」、「2.輪舞(121小節)」、「3.行進曲(174小節)」の三曲からなる無調的音楽。シェーンベルクに献呈されています。本来は1914年9月13日のシェーンベルクの誕生日に完成して献呈するつもりだったようですが、第二曲目が間に合いませんでした。

カラヤン盤とアバド盤を聴いていますが、構築美や力強さを見せるのはカラヤンであるのに対して、アバド盤は繊細美麗ながら聴くものの不安をかき立てるような情緒性にあふれています。好みとしてはアバド盤かなあ。カラヤン盤は、弦楽器が本当にきれい。カラヤン=ベルリンフィルの音だなあ、と思います。

楽譜が読めるといろいろと楽しそうですが、ベルクの譜面はあまり見かけないですし、アマゾンにもなさそう。あるところにはあるのですが、高くて手が出ない。没後73年ですので著作権はきれていると思うのですが(日本ですと50年、EUやアメリカは70年)。そろそろ安く出してほしいですね。

アバド盤はAnvil Films Studioでの録音。以前にも書きましたがこのスタジオの音は結構よいですね。リヴァーヴ感が少々長めでほどよく、しかも丸く柔らかい。アバドの演奏に言いしれぬ不安さを感じる要因はこのリヴァーヴ感にある、と言っても良いと思います。カラヤン盤の録音場所はベルリン・フィルハーモニーです。こちらは聞き慣れた音です。

それにしても、仕事帰りの電車の中で聴くベルクは最高! どうしてこんなに心が落ち着くんでしょうかね。まあ今日は金曜日ですので、解放感もありますけれど。

仕事あ相変わらずテンパッていて、参っています。最近は朝早く会社に行くことにしています。午前中の方が捗りますので。そのかわり、夕方になると急に効率が落ちますねえ。最近はトラブル続きですので、今週末は近所の神社にお参りしようと思っています。っつうか、気合い入れて頭使って仕事しようと思います。

Classical,Ludwig van Beethoven

徐々に涼しくなってきました。夏はもう終わりましたね。ただ蝉の鳴き声だけがまだ残っています。これから徐々に本当の秋へと進んでいくわけですが、秋は涼しくて好きな反面、日が落ちるのが早くなるので、寂しい気もしますね。冬至への道程もそろそろ半分と言ったところでしょう。

まあ、仕事をしていれば、おのずとトラブルに巻き込まれるわけですが、今は複数トラブルに見舞われている感じで少々大変。今日もお客様に謝罪に行きました。まあ、お客様も納得してくださったので今回は何とか乗り越えた感じ。

さて、今日は珍しくベートーヴェンを聴きました。というのもiPodのアーティスト画面ではBergの上にBeethovenがきますので。ベルクを聴こうと思いながらも、ついつい(?)ベートーヴェンに踏み入れた感じです。 聴いたのは弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第二番」です。これがすごく良いのです。

正直申し上げて、私はベートーヴェンの弦楽四重奏の世界にきちんと足を踏み入れたことはありません。ただ、10年ほど前に買ったABQ(アルバン・ベルク弦楽四重奏団)の全曲盤でを買いました。今は廉価版で出ていますが、当時は高かった……。あまりまとまって聴いているわけではなく、少しずつ聴いていたぐらいです。ちなみに、ABQはベートーヴェンの弦楽四重奏を二度録音していますが、私が聴いているのは一度目の方です。だから廉価版が出ているのです。残念。

ベートーヴェンの弦楽四重奏になれていなかったとはいえ、不思議なことに今日はなにかこうズシンと来たのですね。ようやくベートーヴェン弦楽四重奏世界の国境線を越えることができたようなイメージ。これまでは入国管理官が厳しくて中に入れてくれなかったのですが、ようやく足を踏み入れてみると、いいですねえ、これは。ABQの演奏もすさまじくいい。一挺の弦楽器でここまで豊かな音が出せるんだ! という驚き。オケ的な豊かさといってもいい。それに四人ともめちゃめちゃうまい。あたりまえですかね。ピッチもいいですし(私的にピッチ感については少々自信はないのですが)、音も豊かで、律動的なグルーヴ感もすばらしい。

ABQは今年の七月に解散して残念ではありますが。

この曲はホ短調ということになっていますが、長調の調性と、単調の調性の色彩がほどよく混ざっている感じ。印象的なのは第二楽章でして、慈愛に満ちた静謐な世界。やはり長調と短調の混ざり具合が気持ちいいです。ベルクの弦楽四重奏もよかったですが、ベートーヴェンも良いですね。この2年ほどはオペラを優先的に聴いていて、弦楽四重奏は手薄でしたので、これからきちんときいてみようか、という感じです。

Alban Berg

最近ちまたで話題のGoogle Chrome。Googleがとうとうウェブ・ブラウザを出したというわけです。すこしは時間が自由になるこの週末に私もインストールしてみました。

めちゃめちゃ速い!

ページの描画はInternet Expressより、Firefoxより速くて、ほとんど世界が違うという感じ。 ただ、ネットで読んでみると、まだまだベータ版ですので、トラブったりしているらしいし、いろいろと言いたいことはある。なんでGoogle Toolbarがないんでしょう、とか、Firefoxのようなアドインはないのか、とか。せめて、Google ブックマークを使えるようにしてほしいなあ、など。

ですがこの速さにまさる難点は思い当たらない。特にJava Scriptの処理速度が速くなったので、ブログの管理画面ではきびきびと動いてくれます。しばらくはFirefoxと一緒に使って、徐々に機能が上がっていくのを楽しむことにいたします。

そんなことを思いながら聴いていたのが、アシュケナージがベルリン交響楽団を振ったベルクのシリーズ。「七つの初期の歌」のオケ伴奏版、「ルル組曲」弦楽合奏版、「アルテンベルク歌曲集」、「三つの管弦楽曲」、と盛りだくさんでして、特に「七つの初期の歌」のオケ伴奏版は珍しいのでは? アシュケナージの指揮は濃厚で妖しさを持っています。ベルクはやっぱりいいですね。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==ヴラディーミル・アシュケナージ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ交響楽団
  • ソプラノ==ブリジット(ブリギッテ?)・バリーズ(バレイズ?)