http://www.nhk.or.jp/bsclassic/crs/index.html
NHKのウェブを見ていたら、12月29日、カラヤンの「ラインの黄金」放映とあります! これはもしかして全曲放映してくれるのでしょうか? 期待は高まりますね!
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
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NHKのウェブを見ていたら、12月29日、カラヤンの「ラインの黄金」放映とあります! これはもしかして全曲放映してくれるのでしょうか? 期待は高まりますね!
トスカニーニの振るモーツァルトの39番、40盤、41番のCDを図書館から借りてきました。トスカニーニの演奏にはこれまではそうそう親しんでいたわけではありません。ファルスタッフやボエームの録音は聞いたことがありましたが、ドラマティックで激しく情感的な演奏だな、という感想でした。それから映像で見た「運命」の指揮もすごかった。第4楽章の入りの場面だったのですが、気合の入り方が尋常ではなかったです。それで、いつかはトスカニーニを体系的に聞いてみたいものだ、と常々思っていたのです。
幸い、図書館にトスカニーニのCDが何枚かありましたので、借りてきて聴いてみることに。 トスカニーニのモーツァルトの交響曲は、実に個性的ですね。これまでこんな演奏は聴いたことがないです。細部にわたって実は緻密に音量やテンポのコントロールをやっている。テンポのコントロールはややもすれば過剰と思われるギリギリのところまでコントロールしている。音量のコントロールも同じ。最近の指揮者もテンポを動かすのですが、動かし方が違うのです。先日の新国立劇場の「トゥーランドット」を指揮したアッレマンディ氏の場合もやはりテンポを大胆に動かしていましたが、トスカニーニのように細かいレヴェルまで動かしていたかというとそうではなかったと思います。トスカニーニの場合、音楽の流量や水圧を損なうことなくテンポやボリュームを変えているという印象です。聴き方によってはテンポの変更は計算されたものというよりかなり直情的なものにも思えます。
アーティキュレーションも独特に思えます。40番の第三楽章の旋律を聴いたときには、おやっ、と思いました。
三曲の交響曲を聞いた中で一番印象的なのが39番の3楽章でした。三拍子の舞曲的楽章なのですが、縦割りにきっちりそろったリズムで激しく演奏されています。クライバーの運命を聴いたときに、第三楽章でコントラバスの一糸乱れぬ合奏を聴いてたまげたことがありましたが、あの時と同じぐらいの驚愕。こういう音楽もあるんだ、と思うぐらいです。
あとは、非常に劇的な40番の第一楽章が印象的です。トスカニーニはオペラを振るような感覚で交響曲を振っているのではないか、などという感想を持ちました。ドラマティックで激しくて、オペラ的な愛憎劇が重ねられているといっても過言ではありません。特にソナタの展開部以降はすさまじいです。
私は、クラシックを聴いている絶対量があまりに少ないので、トスカニーニのような偉大なペルソナについてとやかく感想を各資格はないのかもしれませんが、浅学菲才の身ながらもなんとか書きたいと思うことを書いているわけです。はやく音楽をきちんと聴けるようになれるといいのですが。
歳をかさねると判断力とか注意力が落ちてきますね。ただでさえ記憶力も落ちているのに。別のところで力を出したいと思うのですが。ようは仕事がうまくいっていないのですね。まあ、どうにかなるものなのですが。
落ち込んだときにベルクを聴くなんてどうかしていますね。それでもなおムターが弾くヴァイオリン協奏曲を聴いてしまい、一緒に暗鬱な穴の中に落ちていく感じ。 しかし、この演奏の退廃美はすさまじい。甘くもあるけれど、その奥には牙を向いた野獣がこちらをにらんでいるのがよくわかります。第二楽章の最後でほんの少し救済の余地が残っているけれど、それも最近の株式市場よりもずっと不確かで、はかないもの。
ムターは高音域の微細な音程のコントロールまでかなり健闘していて(少し不安はあるけれど)、勇気ある演奏家なんだなあ、ということを改めて認識。ある意味演奏家は勇者でなければならないでしょうから。
まあ、落ち込んだときに聴くベルクもいいかな、というのが結論。そういうときは、派手で陽気な曲を聴いても仕方がなくて、陰鬱な茂みの中で休むような曲を聴いてもよいものだ、と思います。
帰宅時もやっぱりベルク。オッターさまの歌う「初期の七つの歌(オケ版)」と演奏会用アリア「酒」を聴いてうっとり。帰りの電車で読んだ「アルバンベルク年報も面白かったですよ。こちらは明日にでも書いてみようと思います。
新国立劇場2008/2009シーズン第二弾「リゴレット」にいって参りました。連休の最終日ということもあって、少々疲れ気味でしたが、何とかいくことができました。よかったですよ。
リゴレット役のバリトン、ラード・アタネッリさんと、ジルダ役のソプラノ、アニック・マッシスさんがすばらしかったです。アッタネッリさんの声は、艶のある光を帯びた豊かな声で、聴いたとたんに心を奪われました。マッシスさんも、安定したピッチコントロールを見せてくれた技巧的な声です。ハイトーンはかなりの迫力。このお二方の歌については終始安心して聴いていることができました。
マントヴァ侯爵はといえば、初っぱなでオケとピッチが全くあっていなくて、気持ちの悪い思いをしましたが、そのその後修正してきました。ただ、マントヴァ侯爵といえば、私が予習で聴いていたパヴァロッティの完成された歌の印象が強すぎて、少々物足りなさを感じてしまいます。
オケの方はといえば、先月聴いた「トゥーランドット」の強烈な印象に比べて、少々おとなしい印象。指揮のダニエレ・カッレガーリさんは、部分的には若干粘っこい感じもだしていましたが、全体的には割と淡泊な感じにまとめていた印象です。
演出の方は台本に忠実なオーソドックスな演出で、奇を衒うようなことは全くなし。それはそれでいいのですが、すこし野心的な演出もみてみたかったなあ、と、少々身勝手な感想。思えばオペラ公演に出向いたのも今日で51回目となります。そろそろ演出的なおもしろさを理解できる準備ができてきたというところでしょうか。
しかし、この作品、救いがないですね。ジルダの脳天気ともいえる人の良さって、いったい何? などと考えてしまいます。マントヴァ侯爵に辱めを受け、裏切られたというのに、それでも愛情を持ち続け、身代わりになって自分の命までも差し出すだなんて、なかなかできることではありません。ジルダはほとんどキリスト的存在と言っても過言ではない。人間の猥雑な欲望や野心などとは全く無縁でただただキリストの教えのみに接していたから、キリスト教的自己犠牲を体現できたのでしょう。なにはともあれ、おそらくはリゴレットの命で教会に行く以外は家に引きこもっていたというのも原因の一つ。自業自得の感もあります。かわいい子には旅をさせよ、というところでしょうか。
ともかく、陰惨な救済のない人間劇で、ただただ絶望するのみ。この後もきっとリゴレットは復讐の鬼となってしまうのでしょう。ジルダがリゴレットを諫める場面がありましたが、あるべき姿は憎悪の連鎖を断ち切るということ。そうでないと復讐が復讐を呼ぶ無限地獄へと堕ちてしまいますから。
さて、新国立劇場も、初めて訪れた6年前とくらべていろいろと変化があります。「オペラパレス」という愛称を前面に押し出すようになったのはこの2,3年のことでしょう。
次回は12月のドン・ジョヴァンニ。その前に11月23日にオペラトークを聞きに行きます。 また一ヶ月後が楽しみです。
忙しくて疲れていると、ついつい音楽を流して聴いてしまう感じがします。それから、聴く音楽も少々ビートのきついジャズなどに傾き始める感じも。とはいえ、徐々に落ち着いてきましたので、今週に入ってから少しずつアクティブにクラシックを聴けるようになってきました。
11月3日は新国立劇場でヴェルディの「リゴレット」を聴きます。数ヶ月前にパヴァロッティがマントヴァ公爵を歌う盤を聞いていたく感動しまして、はじめてヴェルディに入っていけた! という感動を覚えました。その後カラヤン盤の「アイーダ」を聞き込んで、さらに「アイーダ」の世界にも入っていけまして、ヴェルディへの苦手意識が徐々に解けていったのがうれしかったのでした。 それで、いよいよリゴレットまで日が迫ってきたということで、(昨日まで聞いていた「神々の黄昏」を途中でやめて)リゴレットを再び聴いています。
キャストですが、リゴレットがシェリル・ミルンスさん、マントヴァ公爵がルチアーノ・パヴァロッティ氏、ジルダがジョーン・サザーランドさん。指揮はリチャード・ボニング氏。
やはりパヴァロッティはすごいです。張りがあって劇的な迫力に満ち溢れた声に心が動かされないわけはありません。会社の昼休みに聴いていたのですが、しばしわれを忘れて感動しておりました。
ミルンスさんのリゴレットの性格表現が激しく的確ですばらしいです。ボニングさんの指揮もいいですよ。劇的なヴェルディ世界をたっぷりと堪能させてくれます。
本当は、家にあるDVDを見ようと思っていたのですが、土曜日に見る時間をとることができるかどうか……。今週末は幸い連休なのですが、いろいろあって少々忙しいのです。なんとか見る時間を見つけることにいたしましょう。
ヘルマン・ゲッツ(Hermann Götz)という作曲家がいらっしゃいます。1840年にケーニヒスベルクに生まれ(カントと同じ!)、1876年にチューリッヒでお亡くなりになりました。ブラームス(1833-1897)と同年代の作曲家といえましょう。思うに、日本ではあまり有名ではないのでしょうか? 私がゲッツを知ったのは10年ほど前にベルリンフィルのコンサートマスターの安永徹さんや、ベルリンフィルのビオラ奏者のヴォルフラム・クリスト氏などが、来日されて室内楽のコンサートをもたれていたのですが、あまりに演奏がすばらしくて、東京、神奈川のコンサートをはしごしたのを覚えています。そのときに演奏されたのがこのゲッツのピアノ五重奏曲でした。ブラームス的なメランコリーにあふれた美しい楽曲です。
cpoレーベルでゲーベルトリオが録音した盤を聴いていますが、堅実な質感のいい演奏です。
そのゲッツのオペラ「じゃじゃ馬ならし」の日本初演が2009年1月17日、18日の両日、東京新国立劇場中劇場で行われます。東京オペラプロデュースのウェブサイトにて詳細をみることができるのですが、私は早速チケットをゲットしました。どんなオペラなのでしょう? 予習用CDも見つけました。楽しみです。
なんだか音楽を聴く暇もないぐらい忙しい毎日でした。ブログの更新も滞りがちです。こんなに滞ったのは1年以上なかったような気がしますが、一応生きております。
音楽は聴くには聞いていたのですけれど、それを書くまで聞けたかというと少々疑問でしたので、書くのをはばかっていたという感じです。
ですが、ようやく感想が書けるCDを聴いております。ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集から、大好きな第3番と第5番をもう数回聴きました。両交響曲とも静謐な空気の中を漂うような感じで、会社帰りの疲れた頃に聴くと本当に慰められるような気持ちになります。ヴォーン・ウィリアムズの交響曲の中には、4番のように少々激しい曲想もありますね。小さい頃は7番の「南極交響曲」をプレヴィンの指揮で聴いていました。しかし、3番や5番のすばらしさに気づいたのはこのボールト指揮の全集を聴いてからですね。むしろ「南極交響曲」はあまり聴かなくなってしまいました。なにはともあれイギリス音楽もいいものです。
土曜日は人とお話をする機会が多いのですが、夕方の英会話はおもしろかったですよ。アメリカの方が相手をしてくださったのですが、 私が世界史好きなことが噂になっているようで、はなから最後までアメリカ史の話でした。ボストン茶会事件ってBoston Tea Partyというのですね。Partyには「会合」の意味もあれば「党派」の意味もあるのですね。世界史の丸暗記だけでは見えないものもあります。勉強になりました。
先日図書館から借りてきたリヒターのミサ曲ロ短調を聴いています。リヒターらしい力強いバッハです。厳格でありながらもただ精神的なものへだけ向かっているのではなく、生々しさも兼ね備えている。先だってローマでサンピエトロ大聖堂に行きましたが、キリスト教会に行くとまずは祭壇の神々しさにおどろくのですが、それと同じように驚くのが、骸骨をモティーフにした装飾が多いことです。それから、ガラス張りの棺のなかに聖人が横たわっているのが見えたりするあたりの感覚が僕にとってはかなり大きな衝撃であり続けています。リヒターのバッハも、単に神々しいだけではなくて、人間的、肉的な側面も併せ持っていると考えています。ピュアな感じではなく、世の中の汚濁までも抱擁しようとする大きさとでもいいましょうか。
私は、リヒャルト・シュトラウスやアルバン・ベルクなど、19世紀末から20世紀初頭にかけての音楽がもっともすきなのですが、それに並んで、バッハも大好きなんだな、に最近気づいています。まだまだ勉強不足ですが。先日かったカンタータのCDもよかったですし。
さて、この週末は大変でした。先週末に、デスクトップPCが起動しなくなり、いろいろと試行錯誤した結果、ハードディスクがクラッシュしたことが判明したのが18日土曜日のこと。東京に出る用事があったので、ついでに換えのハードディスクを購入して、セットアップしました。まだ復旧し切れていませんが、なんとか音楽ファイルの復旧は完了して、ようやくiPodに楽曲を取り込めるようにしました。今日はここまで。
それと平行して、問題となっていたのは、このブログのレスポンスの悪さ。Coreserverというレンタルサーバを借りているのですが、値段が安いのはいいとして、この半年でサーバーが重くなって仕方がありませんでした。サーバーの移転もかんがえたのですが、そうするとブログのURLが変わってしまいます。そこで、将来のサーバー移転も考慮して、ドメイン名を取得することにしました。いろいろと試行錯誤して、ようやくブログのURLの変更が完了しました。そちらについては後ほど告知することにいたします。
今週もなかなか忙しい一週間になりそうですが、元気を出してがんばりたいと思います。
先日、新国立劇場のトゥーランドットに行ってきました。すこし遅れましたがご報告を。
先だって紹介したように、演出のヘニング・ブロックハウスの舞台が楽しみでしたが、予想以上のすばらしさでした。舞台上にあふれかえる色彩の渦に目が回る思いでしたし、舞台上で繰り広げられる登場人物の様々な所作がもたらす情報量の汪溢に圧倒されました。音楽が始まる前にパントマイム劇が繰り広げられます。それは1920年代のイタリアの小さな街をイメージしていて、広場にはカフェがあって、人々が行き交います。カラフ役のフラッカーロさんと、トゥーランドット役のイレーネ・テオリンさんが現れます。広場には道化が現れ、劇の始まりを告げる。中国のマスクをフラッカーロさんに渡して、テオリンさんにはトゥーランドットの冠を渡す。道化が狂言回しなのですね。ここで音楽が始まり、一気にトゥーランドット劇の世界に引き込まれます。舞台上の人々もいつの間にか中国風の格好に変わっている。あふれる色彩に息をのみながら、ぐいぐいと劇の中に浸っていきました。
アントネッロ・アッレマンディの指揮は刺激的でした。頻繁にギアチェンジを繰り返し、劇的効果を最大限に引き出していました。すこしやり過ぎのかな、と思うところもありましたが、あれぐらいやらないと舞台の華々しさとのバランスがとれないのかな、と思いました。
トゥーランドットのイレーネ・テオリンさんは、二幕での最初の登場のときは、調子が今ひとつだったのですが、第三幕に至るまでにぐんぐん調子を上げていって、最終部では迫力あるトゥーランドットを表現されていました。オケの大音響にも負けない力強さ。すばらしかったです。カラフのヴァルテル・フラッカーロさんの声は少し鋭角で張りのある声。リュウ役の浜田理恵さんもすばらしい。豊かな中音域が魅力的で、個人的には大喝采でした。
もっとも印象的だったのは、実は道化役として出演されていたジーン・メニングさんでした。歌手の方ではなく、本職の道化役です。クラウンというのですね。道化は、舞台上で進行するオペラ・セリエとしてのトゥーランドット劇に滑稽な所作とともに加わるのですが、劇が、リュウの死の場面と言った深刻な場面にさしかかると、滑稽な動きで笑いをとっていた道化ですら、深刻でまじめな顔つきをして劇を見守るのです。道化は、劇中にあって劇を内部から客観的に見やる存在となっていて、舞台を見つめる我々と、トゥーランドット劇の間に介在しているわけです。劇中にあって劇の外にある道化は、トゥーランドット劇を現実として見ていますので、我々が道化を通してトゥーランドット劇を見ると、トゥーランドット劇の実在性が強調されてくるわけです。
最後の場面、その道化が帽子を振り上げて我々に別れを告げるのですよ。その瞬間なぜか涙があふれてきました。これでトゥーランドット劇という祝祭的な空間が閉ざされてしまい、我々は再び現実社会へと戻らなければならない。あのとき感じたのは惜別の感だったと思います。
そうしてもどった現実社会は、仕事の方が少々トラブル気味でして、少し問題あり。少々いっぱいいっぱいでして、なかなかブログがかけませんでした。週末になってやっとかけた次第。ああ、一週間も穴を開けてしまいましたね。最近ではなかったことでした。なるべく毎日書くようにしたいのですが、ちょっと厳しかったです。またこれからがんばります。
今日は先日ゲットした、タワレコの15%引きクーポンを持って、揚々として新宿に向かいました。新宿のタワレコは新宿駅南口の東側に隣接するフラッグスというテナントビルに入っているのですが、どうやら今月で10周年のようです。昔のタワレコは、新宿通りの南側、三越の裏の雑多とした界隈に1件と、駅ビルの「ルミネ」の最上階にと、二軒あったのですが、10年前に今のビルに移ったのです。その頃、ちょうどブルックナーばかり買っていた時期で、とても懐かしくて、もうあれから10年たったのか、と感慨深くなってしまいます。あの頃と比べてどれぐらい成長できたのかなあ、と。
ベルクのヴァイオリン協奏曲の第二楽章では、バッハのカンタータ第60番"O Ewigkeit, du Donnerwort"「永遠よ、汝おそろしき言葉よ」が使われているのですが、そのカンタータの音源を見つけようとバッハコーナーに向かったのですが、予想通りカンタータの数が多すぎて探せない。そのとき僕は恥ずかしい思いをしてしまったのです。これはもうクラヲタ失格どころか、クラシック音楽愛好者にさえなれていないのだ、ということを思い知らされてしまうのです。あまりに恥ずかしくてココにはかけません。
そういうわけで、アーノンクールのカンタータ全集ばら売りの中から一枚ゲットしました。なるほど、カンタータの原曲はこうなっているのか……。
最近ベルクに大きな関心があるので、持っていない音源の一覧を作って持って行きました。僕は、対人恐怖症なので(?)、あまり店員さんに話しかけたり、質問したりしないのですが、最近はそれ以上に時間を大事にするようになったので、分からないことは店員さんに気合いを入れて質問することにしたのです。それで、ベルクのなかでも持っていない以下の曲を探したい旨を再び店員A氏伝えました。
それでいろいろ探してもらったのですが、どうやらグラモフォンのアルバン・ベルク・コレクションにいずれも所収されていることが分かったのです。かなり時間がかかったのですが、店員A氏はイヤな顔をせずにつきあってくれました。感謝。
このコレクションを早速聴こうと思ったのですが、まずはヴァイオリン協奏曲を聴いてみなければ、とうことで、ムター&アバド盤を聴いてみました。これ、かなりすばらしいですよ。ムターの音ってこんなにも表情が豊かだったんだ、と驚きました。曲のテンポ取りも清冽できびきびとしています。いい録音だと思います。ズーカマン&ブーレーズ盤は冷徹な感じでしたが、ムター&アバド盤はきわめて感情豊かです。
残念なことも。このコレクションに入っている「ヴォツェック」と「ルル」はもう持っていたりするのですよね……。完全にダブってしまいました。「ルル」はブーレーズの初演版、「ヴォツェック」はアバド盤。無念。CDの方を売りに出そうかな、などと考えてみたりして。
さて、タワレコもフラッグスも10周年のお祭りと言うことで、5000円以上を買うとくじ引きを引かせてもらえます。タワレコのくじ引きを引いたところ、なんと当たってしまいまして、1000円引きクーポンをゲット。しかも、くじ引きを引かせてくれたのも店員A氏。本当にありがとうございます。
極めつけは、フラッグスの1階で引いたくじ引き。こちらも三等が当たってしまいまして、こちらは1000円の商品券をいただきました。しかもカード会社の商品券なのでどこでも使えます。ラッキーです。今朝、神社からいただいてきたお札にお参りをしてから出かけたのですが、もしかして御利益かも!?