Opera,Richard Wagner

今朝は暖かいですね。昨日のめまいは寒さも原因ではないかと。それぐらい昨日は寒かったのです。
今日は新国で「ジークフリート」です。と言うわけで、予習励行中。今朝はハイティンク盤を。
ハイティンク盤は、録音も好きなんです。ミュンヘンのレジデンス内にあるヘラクレスザールでの録音です。ベームの「カプリッチョ」もヘラクレスザールですね。ドレスデンのルカ教会のような強い残響感はありませんが、バランスの良い吸い込まれるような響きです。そう言う意味では新国の大ホール(オペラパレス)は僕にとっては響きは少々デッドかなあ。12月に聴いた「トスカ」で抱いた印象です。なんだか、音の良さにこだわりが出てきた感じ。しかしステレオなど買う気はありませんけれど。

  • 作曲==リヒャルト・ワーグナー[ヴァーグナー]
  • 指揮者==ベルナルト・ハイティンク
  • 管弦楽==バイエルン放送管弦楽団
  • ヴォータン==バリトン==ジェイムズ・モリス
  • ファフナ-==バス==クルト・リドル
  • アルベリヒ==バリトン==テオ・アダム
  • エルダ==ソプラノ==ヤトヴィガ・ラッペ
  • ジークフリート==テノール==ジークフリート・イェルザレム
  • 鳥の声==ソプラノ==キリ・テ・カナワ
  • ブリュンヒルデ==ソプラノ==エヴァ(エーヴァ)・マルトン

13==ブリュンヒルデ

キリ・テ・カナワ、いいっすね。鳥の声にスポット出演。カメオ的登場でしょうか。ブリュンヒルデのエヴァ・マルトン、この方も良いですねえ。私はドミンゴと一緒に出ている「トゥーランドット」のDVDで聴いたことがありますが、パワフルなソプラノで実に良い感じ。今日聴く予定のイレーネ・テオリンも新国でやはりトゥーランドット姫を歌っています。2008年11月に新国トゥーランドットのオペラ・トークで、故黒田恭一さんが、トゥーランドット姫の役柄はパワフルなブリュンヒルデ的ソプラノが歌うので、イタリア語の歌詞にドイツ語訳がついている、とおっしゃっていました。まさにその通りです。
ハイティンクの美的感覚は、実に素晴らしく、私が申し上げるのもなんだか畏れ多いぐらいです。音量のコントロール、抑制されながらもなお緊張感を保つ音作りです。私はリングは、ショルティ、カラヤン、レヴァイン、ハイティンクを聴いたのみで、お恥ずかしい限りですが、この四者のなかでもっともきにいっているのがハイティンク盤です。ああ、でももっと別の演奏も聴かないと。
今日の所要時間は5時間55分だそうです。。。終わるのは20時を回ります。休憩がめちゃ長い。50分と45分。まあ、歌手も長丁場ですので。特にジークフリートは出ずっぱりです。最終幕のジークフリートとブリュンヒルデの感動のダイアローグが待ち遠しいです。

Opera,Richard Wagner

うーん、最近のMovable Type(このブログのシステム)が重いなあ、と思っていますが、Wordpressなどに移行するのも面倒。もう少し軽いCMSがないか、と探し出したのがdokuwikiなのですが、インストールうまくいかない。ちょっと考えます。まあ、Movable Typeのウェブページ機能を使ってもいいのですけれどね。重いからなあ。。。

明日はいよいよ東京リング第二夜「ジークフリート」です。だいぶんと予習も進んできました。今日はレヴァイン盤を聴いています。

ジークフリートはライナー・ゴールドベルク、ブリュンヒルデはヒルデガルト・ベーレンス。ミーメはハインツ・ツェドニク。豪華だ。レヴァインらしく重みと絢爛さを併せ持った演奏です。

先日聴いたカラヤン盤は、意外にもテンポを動かしているので驚いたのですが、レヴァインはテンポ感覚が実に面白くて、ダイナミックなのです。レヴァインのヴァルキューレを聴いてみたい。まだ持っていないのです。

しかしやっぱり面白いのは第三幕のブリュンヒルデが絡んでくるあたりからですね。まだこのあたりは幸福感に満ちあふれています。「神々の黄昏」の悲劇的な終幕を知っているからこそなのですが。ある種、幸福は盲目ですので。

ジークフリートは真っ白な純真無垢な英雄ですが、その彼が初めて恐れを感じたのが女性だったとは。うーむ、考えさせられます。男女は互いに完全に理解することは不可能ですので、未知ほど恐ろしいものはありませんから、でしょうか。トリスタンとイゾルデの大人の愛や、ジークリンデとジークムントの禁断の愛に比べて、ジークフリートとブリュンヒルデの愛になにか物足りなさを感じてしまうのは私の読み込みが足りないからでしょうか。トリスタンとイゾルデも、ジークリンデとジークムントも、障壁を持った愛情関係ですが、ジークフリートとブリュンヒルデは一目惚れ状態で全く障壁がありません。障壁は「神々の黄昏」で登場するわけですけれど。

明日、じっくり聞いて考えてみます。

Opera,Richard Strauss

先だって購入した、シュトラウス「インテルメッツォ」DVD、前半部分を観ました。先だってNHKホールで上品で高貴な伯爵夫人マドレーヌを演じたロットが、「インテルメッツォ」でどんなパウリーネ、いやいや、クリスティーネを演じてくださるのか、どきどきしていましたが、いやあ、ロット、コケティッシュな風を演じていますが、上品さは失わないませんね。

それにしてもこのパフォーマンスを再生したとたんに、また感動しました。シュトラウスの音楽のすばらしさによるのはもちろんのこと。このオペラはたしか2004年の夏に新国中劇場で観たのですよ。釜洞さんのソプラノ、多田羅さんのバリトン、そして指揮は若杉さん。あのときの「インテルメッツォ」の楽しさを思い出して、なおいっそうのロットのクオリティの高さに驚き感動したわけです。冒頭の朝の場面でロベルトとクリスティーネがちょっとした諍いをする場面にでさえ、なぜか涙ぐみそうになるという状態でした。

このオペラは、サヴァリッシュ盤があって、そこではルチア・ポップとディースカウが歌うというすばらしいキャスティングが聞けるのですが、それに負けず劣らずのすばらしさ。

それからもう一つ驚きが。このDVDのパフォーマンスはグラインドボーンの映像(おそらく1983年)なのですが、歌詞が英語なのですよ。私は数分間気づきませんでした。それほど、英語の訳詞が音楽にマッチしていた驚き。英語だと気づいたのは、サブタイトルを表示させたからわかったという有様でした。ですが、どうしてこんなに音楽とマッチするのか。やはり英語の祖先はドイツ語ですからね。おそらくは単語の発音の長さなどが似ているのではないか、などと思いました。

「インテルメッツォ」の音源で簡単に入手できるのがサヴァリッシュ盤だけだっただけに、このフェリシティ・ロットのDVD(指揮はグスタフ・キューンです)は貴重です。

Opera

 本日郵送されてきました。取り急ぎ速報です。

  • 2010年10月==アラベッラ(新制作)★
  • 2010年10月==フィガロの結婚
  • 2010年11月==アンドレア・シェニエ
  • 2011年1月==トリスタンとイゾルデ(新制作)
  • 2011年2月==夕鶴
  • 2011年2月==椿姫
  • 2011年3月==マノン・レスコー(新制作)★
  • 2011年4月==ばらの騎士★
  • 2011年6月==コジ・ファン・トゥッテ(新制作)★
  • 2011年6月==蝶々夫人★

星マークは、私的に非常に気になるもの。シュトラウスにプッチーニをこれだけやられると、高いセット券をはいはい、と買いたくなります。

先日も取り上げたように、ばらの騎士はカミッラ・ニールントさんのようですし。

しかし、事業仕分け的にはどうなるのか。このラインナップ、夢や幻に終わらないように願っています。

Opera

それにしても、最近の私には開拓精神にかけます。同じところに安住しているだけ。そうです。またもやペーター・シュナイダーの「トリスタンとイゾルデ」に絡めとられました。何度も何度も書いて申し訳ありません。 しかしこのプロダクト、CD化すべきだと思うのですが、私の認識に間違いありますでしょうか??(って、これ仕事言葉ですが)。

ペーター・シュナイダーの音は、きわめてクリアで軽やかである、ということをどなたかがおっしゃっていたと思うのですが、私も同感です。 そしてなんでどうして聞いただけで涙がこぼれるのでしょうかね。 ほとんど追憶する老人のような気分ですが、2007年の新国立劇場の「ばらの騎士」とか、2009年1月の東京フィル定期での「ばらの騎士組曲」、曲が終わったら顔中涙で濡れてしまうぐらいでした。。。 なんとかまた実演に接したいと思います。日本にまた来て欲しい、いやいや、こっちから出かけたいぐらい。休みも取れないわ、給料下がるわで、それも夢かも。せめて、ネットラジオでシュナイダーさんを探せるように工夫します。

 

Giacomo Puccini,Opera

昨日のトスカ、まだ忘れられません。演出も実に秀逸でした。

昨日も少し書きましたが、第一幕最後のテ・デウムのところの豪華さは比類のないもののように見えました。

それから第二幕の最後。あそこがすごかったです。

トスカがスカルピアの胸にナイフを突き立てる。

「これがトスカの接吻よ!!」。

スカルピアは驚愕し呻きうろたえ、そのまま床に身を横たえ息を失う。

トスカはスカルピアの胸にもう一度ナイフを突き刺そうとするがいったん逡巡する。われに返ると、書類机にいってスカルピアに書かせた通行許可書を探す。書類が何枚も舞い散らばるのだが、通行許可書はない。

トスカはスカルピアの右手に通行許可証が握られているのに気づき、もぎ取ろうとするのだが、スカルピアの握り締められた右手がなかなか開かない。

ここ、秀逸すぎる!

通行許可証を手に入れると、机上の燭台の吹き消そうとするのだが、なかなか消えずに手で払ったりするのだが、一本だけ消えないまま残される。

トスカは書類机から火の灯った燭台2本を持ってきて倒れたスカルピアの両肩のあたり、床の上に置く。

トスカが部屋を出ようとするのだが、2本の燭台からの光を浴びて、背面にトスカの影が揺らめいている……。

あの2幕最後の一連の舞台、あまりの緊張感でした。唾を飲み込むのを忘れるぐらい食い入るように見てしまいました。

こういう一連のアクションが、プッチーニの織りなす、不安を一杯孕んだ音楽とともに演じられると、化学反応が起こったように爆発的な効果を生み出すようです。いつもはiPodで音楽だけ聴いて感動していますが、やはり実演やDVDで視覚でも観ないとダメですね。

「カプリッチョ」では、オペラにおいて言葉が先か、音楽が先か、という問題提起があります。あの場では二択のようにも思いますが、実はもう一つ演出が先か、と言うのもあります。登場人物的に言うと、

  • フラマン=作曲家=音楽
  • オリヴィエ=詩人=言葉(=台本)
  • ラ・ロッシュ=舞台監督=演出

という感じです。もしかしたら、1940年台、シュトラウスがカプリッチョを作曲した時点では、演出面の重要性は余り高くなくて、戦後バイロイトに始まった新バイロイト様式以降、演出の重要性が増してきたとも言えますので、現代オペラでいうと、ラ・ロッシュの役割が高まっているのでしょうね。

オペラは総合芸術と言われますが、昨日はよりいっそうその意味が分かってきた一日でした。

Giacomo Puccini,Opera

新国立劇場の「トスカ」行って参りました。最近、だいぶんと追い込まれているのですが、なんとか、という感じ。しかし、ここまで凄いとは思いもよりませんでしたよ。

ちょっと箇条書き風で。

トスカ役のイアーノ・タマーはグルジア出身の実力ソプラノ。憂愁を帯びた深い色のソプラノ。パワーと迫力も兼ね備えている。場数を踏んだ方だけが見せることの出来る揺るぎない自信を感じました。パワフルといっても、ワーグナー歌いとはちょっと違うのでしょうか。それは甘みとかふくよかさがあるから。でもこの方は、ブリュンヒルデ的ソプラノのはまり役といわれるトゥーランドットもちゃんと歌えると思います。アムネリスなんかがはまり役かしら。遠目に見た雰囲気がカラスに似ていて少し驚きました。

カヴァラドッシ役のカルロ・ヴェントレはウルグアイ生まれのイタリア人。ドミンゴを彷彿とさせる歌い回しに冷たい情熱を帯びた力強さ。この方のロングトーンには感動しました。ビブラートが実に綺麗。第一幕から飛ばしていて、冒頭部ではピッチに少し苦労していたけれど、暖まるにつれて安定感を取り戻していました。

スカルピア役のジョン・ルンドグレンはスウェーデンの方。僕のスカルピアのイメージは痩身で冷酷なイメージ。でも、この方のスカルピアは恰幅がよくてギラギラとした欲望をいくつも侍らしたような人間味のあるスカルピアでした。声質には幾分か甘みがある感じ。ピッチは終始良好だったと思います。

いずれにせよ、三人とも終始安定していらして不安感を感じることもありませんでした。この三人の強力な牽引力が大きな感興を読んだことは間違いありません。この方々が東京にいらしたことが凄いことなのだ、と思いました。

特筆すべきは、音楽を引っ張った指揮のシャスラン。額の形がグスタフ・マーラーにそっくりなのですが、作り出す音楽は迫力とパワーに満ち満ち溢れています。「トスカ」のスコアに含まれるうま味を十全に引き出すシェフ的職人芸だと思いました。シノポリが振る「トスカ」も相当凄いと思いましたが、実演でのシャスランの指揮はこれを上回る圧力でして、僕はもう最後まで圧倒され続けました。幸せな体験を今日もさせてもらいました。

今日初めて気づいたのですが、新国の「オペラパレス」の音は結構デッドですね。シノポリの「トスカ」のリヴァーヴ感が気持ちよかったのですが、今日の演奏の音は実にストレートに感じられました。昔からリヴァーヴ大好きな人間ですので、ちと物足りないかも。シノポリの「トスカ」は、ロンドンのAll Saint’ Churchです。教会のリヴァーヴは本当に素敵。

2003年に観たときは、左側のバルコニー席だったのですが、このときは舞台の右端しか見えない感じでした。カヴァラドッシが描いているマグダラのマリアも見えずじまい。第一幕の最後のテ・デウムの場面も全く見えませんでした。今日は二階の正面でしたので(しかも最前列! S席ではないですけれど)、舞台の様子がよく見えました。これは本当にお金のかかった舞台だと思いました。 当時のブログ。しかし生意気な記事で、赤面です。

http://shuk.s6.coreserver.jp/MS/2003/11/09232044.html

テ・デウムの場面、キリスト教の祭式をゴージャスに再現していて、これはもうただただ凄かったです。舞台装置もローマの建築をイメージしていてなんだか郷愁を覚えました。またローマに行ってみたいのですが、いつになることか……。

しかしこのパフォーマンスを日本で観ることが出来るのは本当に幸福なことかも知れません。この幸福が将来も約束されたものではないがゆえに、なんともいとおしい経験となりました。

Giacomo Puccini,Opera

今月の新国は「トスカ」、ということで、予習中です。「トスカ」は、ほかのプッチーニオペラのなかでも実はあまり好みではないなあ、などと不遜なことを思っておりましたが、先日から意見が変わりました。シノポリ盤の「トスカ」はすごすぎる。このオケの歌わせ方は、私が2003年ごろからお世話になっているシノポリ盤「マノン・レスコー」と同じく、甘く切なく流麗で豊かな音作りで、大感激です。

実は、トスカは某有名指揮者と某有名テノールの演奏を聴いていただけだったのですが、ここまで違うとは本当に思いませんでした。不明に恥じ入るばかり。 ともかく、シノポリのオケの歌わせ方はうまいです。緩急のつけ方が絶妙。全体的にはテンポは抑え目なのですが、心情にグサリと刺さってくるような感じがしてなりません。っつうか、あの有名なアリアもこんなに感動的だったっけ? みたいな再発見な状態です。

カラヴァドッシはドミンゴで、トスカはフレーニです。私の知っているドミンゴはもっと甘みを感じていたはずですが、この録音では甘みは感じられず、あれ、これは本当にドミンゴだろうか、と疑ってしまいました。 フレーニは、私のオペラ体験の最初期に、カラヤンの「ラ・ボエーム」でミミを歌っていましたが、この方は私のデフォルト・ソプラノですよ。この方が私にとってオペラの路を開いてくださった方のひとりなのです。もう一人はドミンゴでけれど。

これで、実演がいっそう楽しみになりました。

さて、このところ、以前より帰りが遅くてちとへこたれてまして、歳食ったなあ、ってかんじ。もっと体が丈夫だといいのですが。毎週ヨガに通っていますが、肩やら肩胛骨が痛くて痛くて。これって○十肩かなあ。。。

Opera,Richard Strauss

今日から久方ぶりに仕事。三連休もあるとなまってしまいますが、がんばります。

今日は朝から、「カプリッチョ」終幕の場面ばかり聞いています。とりあえず通勤中はシュヴァルツコップ、昼休みはキリ・テ・カナワ。

実は、今までカナワのよさが巧く理解できていないところがあったのです。マノン・レスコーをドミンゴと歌ったDVDとか、ティーレマンが振った「アラベラ」でおなじみのはずなのですが。ところが、このウルフ・シルマーが振った「カプリッチョ」のカナワはとても良いです。柔らかく包容力があって、豊かな倍音を含んだ慈愛に満ちた声でしょう。それから、"Bruder" を「ブルーデル」、"Oper"を、「オーペル」と発音されたり、"Der"を「デル」と発音される感じが、ちょっと面白い。ヤノヴィッツはそれぞれ、「ブルーダー」、「オーパー」、「デア」と発音しているように聞こえます。ヤノヴィッツの発音のほうが学校で習った発音に近いです。

ウルフ・シルマーは、思い出深い指揮者です。これまで新国に何度も登場していらっしゃいますが、一番すばらしかったのはエレクトラでした。あれはもう欧州級のパフォーマンスだと確信できた演奏でした。それから、2001年のブレゲンツ音楽祭で「ボーエム」を振っておられるはず。あのときの映像、VTRに撮ったのですが、演出も刺激的で若手歌手もみなすばらしく、感動したのを覚えています。

それから、これも何度も書いたかもしれませんが、また書いちゃいますと、私が生まれて二回目に観たオペラは「影のない女」でして、見た場所はなんとバスティーユです。そして指揮はウルフ・シルマー。今から思えば贅沢極まりない光り輝く演奏だったはず。ですが、仕事疲れに時差ぼけが重なり、昼間の間お土産探しに走り回った所為で、陥落してしまいました。意識を失う三幕の間。。。なんてもったいない。穴があったら入りたい。まあ、当時は「影のない女」なんていう難しいオペラを理解できていたとは全くいえませんでしたし。なにより、幕が下りてから、バスティーユから、夜中のバスティーユ広場をつっきって安宿屋へ無事に帰れるか、ということのほうが心配で心配で仕方がありませんでした。

話がそれました。ともかく、ウルフ・シルマーの隙のないスタイリッシュで雄弁な音楽は大好きですので、このCDもたちまち気にいってしまいました。まず最初にチェックするのは月光の音楽なのですが、結構ゆったりとしたテンポでホルンを歌わせています。感動。溶けてしまいたい。

シルマーは、来春「パルジファル」を振りますが、いまからとても楽しみです。

それにしても月光の音楽て、なぜあんなに美しいのでしょうか。僕はそのひとつの理由は頻繁な転調にあると思います。短三度ごとにフレーズが転調しながら高揚へと向かう部分。あそこはこの曲の白眉だと思います。以前のように譜面を書いて考えてみたり、MIDIファイルをおけるといいのですが。

Opera,Richard Strauss

行って参りました、二期会の「カプリッチョ」。

結論。泣けます。泣けました。演出の読み替えには白旗をあげましょう。やられましたよ。

日生劇場に行ったのは恥ずかしながら初めてでした。本当は「ルル」や「エジプトのヘレナ」など、行くべき公演はあったのですが、いけずじまいでしたので。60年代の日本がまだまだ成長するという進歩史観が有効だった時代で、建築も実にやる気に満ちあふれています。劇場内部は様々な曲線が織りなす不思議な空間で、俄然雰囲気を盛り上げてくれます。

「カプリッチョ」の実演は二回目でして、一回目はなんとドレスデンのゼンパーオーパーにてペーター・シュナイダーの指揮でみるという幸運。何度も書いたと思います。しかし、あのときはその凄さを十全に理解しているとはいえませんでした。繰り返しになりますが、「カプリッチョ」はいまや僕の宝物のような作品ですので、楽しみでならなかったのです。

今回の公演、演出の読み替えがすごかったのです。もういろいろなブログでも取り上げられていると思います。時代設定は作品が実際に作られた1942年当時でして、舞台は不明ですが、おそらくはドイツ占領地域でしょう。

冒頭の六重奏では、ダビデの星を胸につけたフラマンとオリヴィエが登場します。この二人がユダヤ人であるという強烈な読み替え。ダイニングホールとおぼしき部屋は椅子やテーブルが倒れ、シャンデリアが床に転がっています。二人はそこでソネットの楽譜を見つけ、女性の肖像画、おそらくは伯爵夫人マドレーヌの肖像だと思います。すると窓の外から自動車のヘッドライトが差し込んでくる。入ってきたのはナチスの兵士たち。おそらくは親衛隊でしょう。フラマンとオリヴィエは逃げていきます。親衛隊は、テーブルを起こし、シャンデリアを天井に上げ、椅子を片づけます。ここで時間が遡行したのに気づくわけですね。

整えられた部屋では、フラマンとオリヴィエがチェスを打ち、演出家のラ・ローシュはソファで眠りこけている。ここからは、特別な読み替えはなく舞台は進んでいきます。演出面で面白いのは、幼い女の子のバレリーナたちが現れるところ。彼女たち、切り分けられたチョコレートケーキを本当に食べていたのは微笑ましかったです。

後半の最後が圧巻でして、みんなでオペラの題材を決めて、じゃあ帰ろうか、みたいな雰囲気になったところで、さっきまで執事だった男や召使いたちが親衛隊に成り代わって登場する。さっきまで床をはいたり窓を磨いたりしていた年老いた老人が黄色いダビデの星をつけたコートを着せられて連行されようとしている。ラ・ローシュは親衛隊に渡された黒い革コートを来ていて、鈎十字の腕章をつけている。ラ・ローシュは、まさに親衛隊かゲシュタポの一味だったという読み替え。

親衛隊達は、フラマンとオリヴィエにも、ダビデの星のついたコートを着せる。互いに、詩の方がすごい、とか、音楽の方がすごいとか言うシーン、普通の演出だと、予定調和的な平和なところなのに、ここではあまりに切迫している。伯爵夫人は、フラマンとオリヴィエにかけよろうとするのだが、伯爵がそれを止める。泣きながら階段を昇って行く伯爵と伯爵夫人の兄妹。ラ・ローシュは、それでも、フラマンとオリヴィエを逃がしてやるのだが、その後は……、おそらくは冒頭のシーンに戻り、そのうちにナチスに捉えられ死に至るはず。

 それからがすごいですよ。月光の音楽で、舞台には群青色の光が差し込む。昼間部に登場するバレリーナが再登場。ドイツ軍兵士(男性バレエダンサー、もしかしたらドイツ軍兵士ではなくワルシャワ条約機構軍の兵士かもしれない)に銃を突きつけられるのだが、そのうち一緒に踊り出す。すると、テラスに杖をつく老婆が。これが、年老いた伯爵夫人マドレーヌなのでした。つまり、あれからもう何十年も経った戦後に舞台は移っている。

伯爵夫人は床に落ちていたフラマンとオリヴィエのソネットを取り上げるんだけれど、埃が積もっているので、手で払い息で吹き飛ばしたりする。このトランスクリプションがすばらしい。執事の歌は舞台裏で歌われている。これはあたかも伯爵夫人マドレーヌの幻聴である。伯爵夫人がフラマンか、オリヴィエか、と迷い歌うのだが、このトランスクリプションの中にあっては、悔恨の思いで歌っているとしか思えない。あのとき、なぜ決断しなかったのか、なぜ救えなかったのか、という思い。なぜか、歌詞を読むとそういう心情にフィットしていて、驚きました。

これはですね、もう20代の若者にはわからないだろうなあ、と思います。「ばらの騎士」の最終部で、マルシャリンが時のはかなさを歌うけれど、それよりももっと残酷で過酷で厳然とした時間の非遡行性への嘆息。これは30代過ぎないとわからない。歳をとればとるほど切実なはずで、だからこそ、年配の観客が比較的多かった場内で涙の音が聞こえたといえましょうか。私も涙が出ましたですよ。年をとればとるほど涙腺ゆるみます。涙を流すというカタルシスはある意味心地よくもありますので。

一緒に行ったカミさんは厳しくて、そんなに評価してくれなかったけれど、僕の心にはかなり響きました。

ただ、最後に舞台装置を壊してしまったのは残念。伯爵夫人マドレーヌのシルエットを強調したいために、セットを取り払ったのだけれど、なんだかちぐはぐに思えてしまいました。演出面で言うとそこだけです。

指揮とオケもすばらしかったですよ。指揮は沼尻竜典さんで、演奏は東京シティフィルハーモニック管弦楽団。ちょっとした疵はいくつかありましたが、うねるような波がいくつも押し寄せるような演奏で、弦楽器の音も豊かで暖かく、演奏だけでも涙したシーンがありましたし。特に第七場最終部の間奏曲的部分はすばらしかった。月光の音楽ももちろん、です。ただ、月光の音楽のところ、演出に気をとられ驚いていたもので、少々上の空だったかもしれません。

すばらしかったのは、ラ・ローシュを歌われた山下浩司さんでして、声は鋭く張りがある感じで、ピッチも終始安定しておられまして大変安心して聴くことができました。あのラ・ローシュの大演説の部分もすばらしかった。歌だけではなく演技もそれらしくて、大変良かったです。この方、新国の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」にも出ておられたのですね。

ともかく、またカプリッチョの実演に居合わせることができたのは大変幸福でした。これも一生の思い出になるのでしょうね。

次は、12月の新国メニューの「トスカ」です。トスカは久しく聴いていないですね。ま