ジークフリート聴いて考えないと。

うーん、最近のMovable Type(このブログのシステム)が重いなあ、と思っていますが、Wordpressなどに移行するのも面倒。もう少し軽いCMSがないか、と探し出したのがdokuwikiなのですが、インストールうまくいかない。ちょっと考えます。まあ、Movable Typeのウェブページ機能を使ってもいいのですけれどね。重いからなあ。。。

明日はいよいよ東京リング第二夜「ジークフリート」です。だいぶんと予習も進んできました。今日はレヴァイン盤を聴いています。

ジークフリートはライナー・ゴールドベルク、ブリュンヒルデはヒルデガルト・ベーレンス。ミーメはハインツ・ツェドニク。豪華だ。レヴァインらしく重みと絢爛さを併せ持った演奏です。

先日聴いたカラヤン盤は、意外にもテンポを動かしているので驚いたのですが、レヴァインはテンポ感覚が実に面白くて、ダイナミックなのです。レヴァインのヴァルキューレを聴いてみたい。まだ持っていないのです。

しかしやっぱり面白いのは第三幕のブリュンヒルデが絡んでくるあたりからですね。まだこのあたりは幸福感に満ちあふれています。「神々の黄昏」の悲劇的な終幕を知っているからこそなのですが。ある種、幸福は盲目ですので。

ジークフリートは真っ白な純真無垢な英雄ですが、その彼が初めて恐れを感じたのが女性だったとは。うーむ、考えさせられます。男女は互いに完全に理解することは不可能ですので、未知ほど恐ろしいものはありませんから、でしょうか。トリスタンとイゾルデの大人の愛や、ジークリンデとジークムントの禁断の愛に比べて、ジークフリートとブリュンヒルデの愛になにか物足りなさを感じてしまうのは私の読み込みが足りないからでしょうか。トリスタンとイゾルデも、ジークリンデとジークムントも、障壁を持った愛情関係ですが、ジークフリートとブリュンヒルデは一目惚れ状態で全く障壁がありません。障壁は「神々の黄昏」で登場するわけですけれど。

明日、じっくり聞いて考えてみます。