2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera

霜柱ゲット。

今朝は冷え込みました。本日撮影した霜柱です。

高校のころ、冬場にグラウンドに霜柱ができまくって、部活の練習ができず困っていたようです。朝方に立った霜柱は夕方には泥濘となりますから。

で、体育の時間に、霜予防の薬剤をまるまる一時間グラウンドに散布しました。それも何週間も何週間も。本当はバスケットをやる時間だったんですが。四回目ぐらい、さすがに生徒はキレてましたね。一回ならいいが、四回連続で部活のために体育の時間で作業をさせるのは何事だ、と。

まあ、世の中そういうものです。

カトリシズムの話の前に一つだけ。フェリペ2世の父親は、いわゆるカール5世です。ハプスブルク家最大版図を築いた王。それも戦争ではなく婚姻で、というやつです。高校時代にかじったポール・ケネディ「大国の興亡」の冒頭がカール5世だったんですが、予備知識なくして読めるわけもなく。その後高校で世界史を学んでいろいろ理解が進んだ記憶があります。

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Charles V, Holy Roman Emperor by Tizian" by かつてはティツィアーノ・ヴェチェッリオ の作とされていた。. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.
で、このカール5世は、神聖ローマ帝国肯定としてはカール5世なんですが、スペイン王としてはカルロス1世なんですね。これは有名な話。

《ドン・カルロ》においては、カルロ5世とイタリア語読みとなっていました。カルロ1世でも良いはずなんですが。

原作者シラーはドイツ人ですので、カール5世としたのか。ヴェルディが活躍した頃のイタリアは、オーストリアの支配が及んでいた頃、あるいはその直後だったのでカール5世のままとしたのか。

ちなみに、ウィキペディアには、初号一覧が乗っていて、とても興味深いです。シチリア王としてはカルロ1世。オーストリア大公としてはカール1世。ブルゴーニュ公としてはシャルル2世、だそうです。

痛風に悩まされ、統治と戦争につかれたカール5世は晩年修道院に隠遁するそうです。なるほど。こういう権力者もいるということなのですね。

それでは取り急ぎグーテナハトです。

2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera

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蒼天へと向かう木々も葉を枯らして冬支度をしています。私も冬支度をしたいところですが、なかなか。。この前、「夏だけどカラッとしてる」なんて書いた気がしますが、あっという間に冬です。

東京の冬は、実のところ快適なのかも、などと。とあるドイツ人は「東京の冬の青空は観光資源だ!」言っていた、というエピソードを思い出しました。確かに鉛色の曇天のもと何日もすごさなければならないヨーロッパの冬に比べると、東京のカラッとした冬空は魅力的なのかもしれません。ちなみに、このエピソード、ICEの中で偶然同席した某大学の哲学科教授から伺ったものです。

さて、新国立劇場《ドン・カルロ》の件。やはり後期ヴェルディは面白いですね。人間ドラマ、歴史ドラマを堪能しました。

スペイン王宮が舞台となるこのオペラですが、主人公ドン・カルロの父親がフェリペ2世です。あのスペインの黄金期を体現したフェリペ二世です。劇中ではフィリポ二世ですが、スペイン語読みではフェリペ二世です。

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King PhilipII of Spain" by アントニス・モルWeb Gallery of Art:   Image  Info about artwork. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

フェリペの逡巡の場面がありました。エリザベッタの愛情を得られていない、と苦悩する場面です。

ですが、あれは文学者が作り出した幻想だと思いました。あんなことつゆぞ思わないのが権力者でしょう。文学者は、こうして溜飲下げているにすぎません。権力者にああした心の動きがあるのか。権力者は心を明かすことはありません。きっと、我々が、権力者を憐れむことで、何かを代謝しているに過ぎないのだと思います。

フェリペ二世はエリザベッタに愛されなくても何も気にしないのではないか。がゆえに、エボリ公女とも関係を持つわけです。そう思いました。世間の権力者というものは、芸術生成者
とは全く異なる論理で動いていますから。

そうした前提にたって、フィクションとしてのフェリペの苦悩を味わうのが、あのシーンの権力者への嗜虐的な感情を持ちながら観るのが醍醐味だったのかもしれない。などと思います。

人間と人間は、思った以上にわかりあえないものです。一人ひとりが、独立した宇宙と論理を持っているわけですから。約束も守らず、嘘を突き通すような人間はあまたいるわけです。

ですが、長い歴史において、今もなお文字として残るのは芸術生成者の手になるものに限られるのかもしれず、そうだとすると、いわゆる「芸術生成者史観」のようなものに基づいた権力者像というものが、現在残っているにすぎないのではないか、などと思うわけです。

がゆえに、実のところ、私はあのフェリペ逡巡の場面にはリアリティを感じることができなかった、ということになるのかもしれません。

もっとも、リアリティとはなにか、という問題も生じてくるわけです。(1)事実と、(2)歴史的事実と、(3)事実の解釈、この3つのズレのようなものがあるわけで、ここでのフェリペ像は、この三者のどれに当たるのか、ということが問題で、劇中のフェリペは(3)事実の解釈に基づくもの、とすれば、それはそれで首肯すべきものなのかもしれません。

そういえば、この劇におけるカトリシズムの問題も興味深いです。そちらは次回です。

ではグーテナハトです。おやすみなさい。

2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera

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すっかり冬模様の新国立劇場です。冬至に向けて一直線。お昼が短いというのは悲しさもありますが、なにか非日常の感覚も覚えます。なんだか北欧にでもきた気分かも、などと。

それにしてもご無沙汰してしまっています。生活リズムが変わり、書く、という行為をいささか後回しにしすぎました。少しずつ新しいリズムにも慣れてきましたのでようようと再開します。
(というか、こういうムラはなくさないと行けないんですがね。。ここで食べているというわけではありませんが、反省すべきことだと思います)

先だって新国立劇場で《ドン・カルロ》を見てきました。ヴェルディオペラのドロドロとした人間模様を堪能してきました。

歌手の方々、最高すぎて、ほんと東京にいるとは思えないぐらい。いや、東京がここまでレベルが高くなったということを喜んだほうが良いのかもしれません。もちろん、外国歌手の方々に支えられている部分もあるのですが、山下さんや妻屋さんといった新国をささえる日本勢のみなさん、いつもながら素晴らしい合唱の方々には本当に頭が下がります。

指揮のピエトロ・リッツォは素晴らしいのひとこと。さすがにオケを完全解決とまでは行きませんが、統御された指揮で、激空間を支え続けたのだと思います。全く違和感なく劇に身を浸すことができました。

ああすごいなあと思ったのは、カルロが人違いでエボリ公女と愛を歌うシーン。わざと早めのテンポを取っているように聞こえました。なにか空疎な感覚を感じさせるように。なんだか、オケが空元気のようにおもえたのですね。音でドラマを創り出すというのはこういうことなのか、と、あらためて認識しました。本当にうまいなあ、と思います。

明日に続きます。

Miscellaneous

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秋は深まるばかり。アンニュイな日々。

昨日からジョー・ザヴィヌルのアルバム聴いていました。彼はウィーン音楽院に通っていたんですね。ウィーン伝統の先にウェザーがあったのか、となにか新鮮な気分です。

今日も短くおやすみなさい。

Miscellaneous,Photo

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11月も半ばを過ぎました。そろそらクリスマスなんですかね。先日、夏の写真を載せていた気もしますが、時の経つのは早いものです。

これまでに体験したことのない時間の使い方を求められる今日この頃です。工夫しないと何もできなくなってしまいます。はやく適応しなければ。

ではおやすみなさい。

Giuseppe Verdi

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良い天気の一日。紅葉を目前に控えた樹木がなんだか最後に太陽を浴びている姿を見て、少し感動しました。まあ、紅葉したって枯れるわけではないのですが、きたるべき冬に向けて最後の日光浴を楽しんでいるように見えました。

東京地方の空はもう真冬のそれで、快晴でした。ただ、残念なのは空が真っ青にならないことです。やはり空気が澄んでいるとはいえません。それが少し残念なところです。

今日の一枚。

Don Carlos
Don Carlos

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プーランクばかり聴いていたい気もしますが、そろそろ我に返らないと。

ドン・カルロの予習をしようと思います。

新国立劇場で演奏されるのは、どうやらミラノ版のようです。

2006年/2007年シーズンの記録

wikiによれば、ミラノ版は1884年イタリア語版と呼ばれ、リコルディから出版されたため、リコルディ4幕版とも言われるそうです。一番長いフランス語原典版が4時間以上かかるのに対して、ミラノ版は3時間半ぐらいで終わるようですね。

いま、ショルティを聴いていますが、いや、これは本当にいいですね。《オテロ》のような緊密な音作りがたまらないです。しばらくはコレばかり聴かないと。ジュリーニ盤を入手済みで、カラヤン盤を狙っております。

それでは取り急ぎグーテナハト。

Piano

最近はまっているプーランク。といっても、詳細を調べる時間がとれず、ただただ聴き続けているだけなんですが。

それで、珍しくピアノ曲を聴いています。私はオケやらオペラばかり聴いていたんですが、なぜかピアノ曲。それは、おそらくはビル・エヴァンスなどをこの数ヶ月よく聴いていたのかもしれません。

それで見つけたのがこちら。「15の即興曲」なんですが、その第15曲「エディット・ピアフを讃えて」。

ずいぶん有名な曲のようですが、私は恥ずかしながら初めて聴きました。やけに感傷的で洒脱な曲だなあ、と思います。プーランクにありがちなどこか茶目っ気のあるようなところはなく、一貫して感傷的。ただひたすらに。

最初聴いた時は、この曲がエディット・ピアフに関係があるとは知らないままに聴いていました。で、ライナーを確認すると、エディット・ピアフの名前があり、いろいろウェブで読んでいました。いや、本当に劇的過ぎる方ですね。

有名なのは美輪明宏も歌っている「愛の讃歌」です。古くから有名なんで知ってはいましたが、私にしてみればすこし過剰に感動的すぎるようなんですが、背景を知ると、感動的過ぎるなんていうのが恐れ多いぐらいなんですね。この曲は、事故死した恋人に捧げられているんだとか。マルセル・セルダンというプロボクサー。ニューヨークに滞在するピアフに会うために、船旅を変更して飛行機に乗ったんですが、アゾレス諸島に着陸しようとした乗機は山腹に激突し全乗客が亡くなる惨事となったようです。

で、このプーランクの「エディットピアフを讃えて」曲、なぜピアフなのかを少し考えたんですが、もしかして「愛の讃歌」の反行形なんじゃないか、などと勘ぐりました。

ですが、まあ、どうやらウェブを検索するとこれは「枯葉」なんですね。たしかに、コード進行は枯葉です。ジャズセッションで500回ぐらい枯葉を吹いているのにまたお恥ずかしい限り。

そうか。「枯葉」は、私にしてみればビル・エヴァンスなんですが、ここでつながるんですね。

ビル・エヴァンス → エディット・ピアフ → フランシス・プーランク

どうも、最近フランスにどんどん吸い込まれている気がします。プーランクもそうですし、プルースト読もうと思ったり、ミシェル・フーコーが面白かったり。

では、グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

仕事場近くの風景。水があると心が安らぎます。

辻邦生のお母様もやはり水辺がお好きだったとか。不忍池のほとりに立っていたようなことがあったそうです。「のちの思いに」のなかで紹介されていたエピソードです。

私もどっちかというと近くに水辺があった方がいいなあ、と思います。数年前引っ越しで家を探していたとき、池の近くの部屋を選ぼうとおもったことがありました。ですが、その池は下水が流れ込み決して美しいとはいえなかったので諦めました。

いまでも水辺の見晴らしのいい部屋に済むのが夢です。

それでは夢のままおやすみなさい。

Béla Bartók,Classical

NML → http://ml.naxos.jp/album/CD94.224

今日もマゼール。1958年録音のロリン・マゼールによるバルトーク《管弦楽のための協奏曲》。

やはりこれもスゴイ演奏なのですね。まだ20代の演奏なんですが、晩年に通じるダイナミックな演奏スタイルです。若さゆえの初々しい感じとかあまり感じないです(これはもちろん後の演奏スタイルを知っているがゆえの偏った見方なのかもしれませんがそれでもなおそう思います)。このテンポ感覚は素晴らしいです。第二楽章の冒頭部でリズムが少し揺れるのが面白いです。木管ソロが掛け合うところなので、いろいろあるのかなあ、と想像しています。

レーベルのページはこちら。 有用な情報は少ないかも。

長いと思っていた三連休も終わりました。部屋の片付けやらたまった仕事は片付きましたが、それでもなおやることがたくさん。大丈夫か、わたし? 明日は早起きの予定。

では、グーテナハトです。おやすみなさい。

Miscellaneous,Photo

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本日も休息日。体を使いすぎるとどうも調子が悪くなります。そういう時はよく食べよく眠り、ひたすら部屋を掃除するぐらいしかありません。いろいろと片付けてスッキリしました。

木もビルも上へ上へと伸びていきますが、いつかはなくなるのですが、どうやってなくなっていくのか。林立するビルを眺めながらそんなことを想像すると面白いです。

それではグーテナハト。