2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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はじめに

新国立劇場《死の都》に行ってまいりました。
いや、もう身も心もボロボロになりました。衝撃強すぎです。
最近、厳しい日々を過ごしているということもあり、今日も行けるかどうか微妙な状況でしたが、なんとかスケジュールの合間を縫っていくことが出来ました。実は無理やり行ったんですが。なので、チケット持たないで玄関をでて慌てて戻りましたし。

黙役の存在

今回の演出において最も画期的だったのは、死んだ妻マリーを黙役が演じたことです。
この件に関しては賛否両論あるようですが、私は賛成に回ります
主人公パウルは死んだ妻マリーを忘れられないわけで、そのマリーが舞台上に現れるという仕掛けになっています。物語の進行に合わせてマリーは表情を変え行動を変えます。マリーとの思い出に思いを馳せるパウル、マリエッタへの欲情に溺れるパウル。そのたびにマリーは喜び悲しみます。
ですが、マリーは亡霊ではないのです。マリーはパウルが作り上げた幻影であり、パウルの思いによってその表情を変えるだけなのです。
それは、もしかすると、語りすぎる演出であるといえるかもしれません。つまり、観客が想像すべきこと、考えるべきことを、演出が提示してしまっているということになるかもしれないのです。
ですが、パウルが追憶と欲望に引き裂かれる厳しい心情が直接的に伝わってきたことは事実です。それはリブレットを超えた表現だったはずです。
私は相当に心を揺さぶられ、終幕時にはもうヘトヘトでした。

Tsuji Kunio

嵯峨野明月記 (中公文庫)
辻 邦生
中央公論社
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辻邦生作品の最高峰の一つとも言える「嵯峨野明月記」を手にとっています。最近、仕事で、演繹法的手法をとって巧く行かず、帰納法的手法をとってなんとか進みだしたという経験をしました。
私のこの演繹法的手法を取りたがるという傾向は、どうもこの作品に影響されているように思います。
この「嵯峨野明月記」の中に狩野光徳という画家が登場します。光徳は世の中のものを全て描かなければならないという強迫観念ともいえる欲求を持ちながら若くして病に倒れることになります。
ですが、世界はそうした形で認識することはできないのです。
この辺りの世界認識の方法論については「小説への序章」においても語られていたはずです。世界そのものと一体化するという、西田幾多郎の純粋経験とでも言えるような文学的境地においてのみ世界認識に到達できる、という道筋でした。
これは、辻邦生の3つの原初体験の一つである、ポン・デ・ザールの直観と通じるはずです。辻邦生がパリ留学中にポン・デ・ザールでセーヌを眺めていたときに、このセーヌやパリ自体が自分のものである、という直観を得た、というものです。あのとき、世界と辻は合一していたわけで、そうした原初において相通じるところから、世界認識が開かれていく、そうした直観だったはずです。
ただ、それは芸術的文学的なものであり、実践的なものに適用することは難しいわけで、まあ、少し遠回りをしてしまいました。
昨今ジャズばかり。本当は週末に《死の都》へ行く予定なのですが、仕事で行けないかもしれません。残念無念。
では久々のグーテナハト。

Jazz

ゆえあって、この一週間はジャズを聴いていました。ジャズ史もひと通りまとめて、いろいろ再発見をしました。本職の方は全然進みませんけれど。
そんななかであらためて思い出したのがウェイン・ショーターの素晴らしさでした。ウェザーリポートのサックス奏者としても有名ですが、
まずはこちら。

Speak No Evil
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Blue Note Records (1999-03-11)
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twitterでも書きましたが、フュージョンやらクラシックを聴いていた大学時代に会って、意外にも60年代のショーターは集めていました。なぜなのか全くわかりません。何に惹かれたのかすらわかりません。
このアルバム、ピアノはハービー・ハンコックなんですが、今日聴いて感じたのは、どうやらハービーが作る空気感とショーターのアウトした無骨なサックスのコントラストがいいんじゃないかな、と。
たとえば、Infant Eyesのソロ部分で、ショーターのけだるいソロの間を、ハンコックが埋めていくあたりは、スリリングでもあります。この絶妙なやりとり、交感こそが醍醐味です。
冷たい雨の一日でした。濡れたアスファルトにヘッドライトが反射するのが見えます。
ではグーテナハト。

Jazz

Biting the Apple
Biting the Apple

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Dexter Gordon
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デクスター・ゴードンは、たしかマイケル・ブレッカーが敬愛するテナー奏者だったはず。マイケル・ブレッカーのように艶のあるエッジの聞いた音です。
以前、銀座のCD屋で、ちょうどそのお店でバイトをしていた私の友人がデクスター・ゴードンをBGMにかけていたんですが、マイケル・ブレッカーの演奏家と勘違いしたことがありました。
このアルバムは、有名な曲が多く収録されています。マイケル・ブレッカーも録音しているSkylarkがいいですね。
あとは、セッション曲のBlue Bossaも。この曲は私らが吹くと、演歌のようになってしまいがちですが、以下のとおり。黒いですが、洗練されていて、妙にシャクったりもたらせ過ぎることはありません。絶妙なバランスで歌っていると思います。

1976年のアルバム。ドラマーはアル・フォスターですね。
ではグーテナハト。

Béla Bartók

バルトーク:オーケストラのための協奏曲/ヤナーチェク:シンフォニエッタ
セル(ジョージ)
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なんか、少しジメジメしたたこと書きましたが、この曲聞いて元気が出ました。
緊張感が半端ないですね。
鮮烈・ビビッド。テンポコントロールの絶妙さというのもあるのでしょうけれど。
こういう楽しみもまだ残されているのですが、まだ十分に咀嚼できていないのです。どうすればいいのか。どのように語ればいいのか。まだまだ考えないと。
あらためてグーテナハト。

Miscellaneous

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先日行った熱海の海。美しい光景ですが、なにか引っかかります。このような景色をこの際未来も見ることができるのでしょうか。
この一週間は、音楽から遠ざかり気味でした。といっても、音楽は聴いてまして、あの例のT-SQUAREというバンドの昔の音源を聴いて懐かしんでいました。ただ、どうにも西欧音楽は聴けず、という感じでした。
少し最近の立ち位置を確認しなければなりません。
どうもあの偽ベートーヴェン事件で、音楽にしらけてしまってですね。いや、あの事件でしらけるなんて、そこまで音楽が好きじゃなかったのでは、と思われるかもしれませんが。
正直、偽ベートーヴェンについては、かなり「無理」をしてよく書いた記憶があります。ですが、CDを聴き、コンサートに行きましたので、そうした事実は記録すべきと考え書きました。が、そこに、なにか「長いものにはまかれろ」といったベクトルが作用していたのではないか、と反省する部分もあるのです。あんなにいいと言われているのに、自分だけがわかっていないのではないか、という疑念を感じたからでしょう。もちろんそこに「全聾の」とか「絶対音感」という雑音も含まれていたのでしょう。
私のモットーとして、批判はするまい、というのがあります。専門の音楽教育を受けていませんので、そこまで言っていいのか、という、少し引き気味のスタンスで臨んでいます。それが理由で、ブレというか、キレのなさというものが生じたはず。そういう意味では徹底できなかったという悔いがあります。
ただなあ。あそこまで、評価していたマスコミやブログを見ると、音楽を語るということの責任性というものを強く感じます。かつて、大学に居た時に、教授と大学院生が、音楽評論の妥当性について熱く語っていたことを思い出しました。評論についての妥当性が問われないままという状況に疑問を呈する議論だったと記憶しています。
言論は歴史を創るものであり、事実を変えることさえも可能です。昨年何度か書いたヴェルディがイタリア統一に果たした役割が後世に作られたものであるということや、昨今の歴史問題などもそうしたものにあたるのでしょう。言論に対する飽くなき妥当性の追求を可能な限り行う、ということの難しさは、この20年間のインターネットの時代にあって、問われ続けながらも解決されていないことなのでしょう。
そういう意味では、ブログであろうとも、言論活動の一環ですので、そこに妥当性を常に求め続けることは必要です。経済活動を伴わないものである以上、そこには常に妥当性を求める必要はあります。ただ、妥当という言葉はあまりに絶大なもので、求めることはできても実現できないものなのです。妥当という言葉は、ブレンターノに依っていたはずです。それほど重い意味を持つものはず。
なんだか絶筆宣言のようになってますが、絶筆はしないです。妥当というものは求めるものであり、実現できないものである以上、絶筆すると止まるので。
今日は新国立劇場でオペラトークを聴いてきました。そちらの報告は明日から。それにしても手を広げすぎていて、すこし戦線を整理しなければなりません。。
ではグーテナハト。

Oboe

大雪の影響でレッスンが飛んだので、一ヶ月ぶりのレッスンになってしまいました。
場所も変わり新宿にて。
どうもアーティキュレーションへの意識というものが向いておらず、楽譜を見てアーティキュレーションをコントロールするという行為が苦手なようです。そういったものはなんとなくできていたんでしょうけれど、改めて意識するとなかなか興味深いものです。
吹奏楽から上がったわけではない独学サクソフォーンにとってみれば、実に新鮮なことが沢山。みなさんこういうことを習っておられたというわけなのですね。
やはり、音楽は独学では限界があるということだと思いました。
口蓋の容積のコントロールの重要性も改めて再認識しました。少しの操作で音はずいぶん変わっていきます。面白いぐらいに良くなっていきますので。先生の的確なご指導に感謝しています。
今やっているのはHINKEですが、これだけでもずいぶん面白いものです。

Praktische Elementarschule fuer Oboe / Elementary Method for Oboe
Gustav Adolf Hinke
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今後やりたい曲をどうしようか、という話になりましたので、バッハのイタリア協奏曲でーすと申告しましたが、言っておきながら不遜だ、と思いました。しかし、この曲はピアノで弾いたこともあるので、思い入れあります。
こんなかんじで弦楽四重奏とやる編曲版があります。

アルブレヒト・マイヤーも演奏しています。

バッハ・アルバム
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マイヤー(アルブレヒト)
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というわけで、今回も妄想シリーズでした。グーテナハトです。

Oboe

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線路が雪で埋まってしまった出先の駅。まったく、どうかしてます。水曜日、木曜日とまた雪が降るそうです。山梨も大変な被害だそうです。
雪が多いからといって温暖化とかどうだかとか言うのは拙速らしいですが、ともかく黒潮の蛇行が原因だとか、ブロッキング高気圧とか言う強力な高気圧がシベリアからベーリング海峡あたりにいてジェット気流が蛇行しているから、とか、いろいろ原因はあるそうですね。
さて、オーボエのこと。先週、練習中にFキーのタンポが外れました。まあ、日が経つとそういうこともあるようで、修理をしていただき、今日も少しだけ練習。いい音が出るようになってきました。
が、音の出し方はわかっても、アンブシェアの力が無かったり、ブレスの方法が今ひとつということで、なかなかうまく行きません。やはり毎日練習してアンブシェアを作ることが必要です。
それから、先日ゆえあって、少し固めのリードを入手しました。これ、ほんといい音が出ます。でも、すぐに疲れてしまうんですが。。はやくリードを自分で作れるようにならないと行けないですね。
というわけで、新兵器を導入しましたが、これはまた後日。
さて、こちらもゆえあって、バンドをやるかもしれなくなりました。少し楽しみですが、どうなることやら。。
ではグーテナハト。

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いーぐるに行ってきました。大学時代の先輩後輩たちとともに。
“http://www.jazz-eagle.com/":http://www.jazz-eagle.com/
四谷にあるジャズ喫茶で学生時代によく行ってました。
昔良く聴いていたアート・ペッパーがかかっていて懐かしく、意外といまでもいいかも、と純粋に感動しました。ハービー、ラリー・コリエルなんかも。
ジャズもクラシックももっと体系的に戦略的に聴かないと行けないと改めて思いました。音楽を聴くことにについて初心にもどって謙虚にやり直さないと行けないです。

一生モノのジャズ名盤500(小学館101新書)
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日は変わってますが、グーテナハト。