Italy2007

ヴェネツィアを発ったのはその翌日。7時半をまわったころに宿を出発したのだが、まだ日は昇らない。それでもヴァポレットは通勤客でいっぱいだった。ジャンパーを着た男、ズボンに赤い太い線の入った国家警察カラヴィニエリの将校……。夕食の調達で御世話になったスーパーマーケットBILLAの店の前には、台船に載せられたBILLAマークのトラックが。なるほど、ヴェネツィアにはトラックが乗り入れられないから、台船にトラック毎載せて店の前に着岸し、荷物の搬入を行うのだった。軽いカルチャーショック。

Italy2007
Italy2007 posted by (C)shushi

ローマ広場でヴァポレットからバスに乗り換える。バスはとても空いていて、本当に空港に行くのか心配。バスがラグーナにかけられた長い橋を渡りはじめると、なんだかヴェネツィアへの惜別の念がこみ上げてくる。ああ、また車の支配する文明社会に戻らなければならないのか、という感じ。車道の傍らには捨てられたゴミが片付けられないまま放ってあって、落書きも見られる。ヴェネツィアの美しさとは対極的な本土メストレ地区の風情。突然バスに小学生が乗ってくる。小さな男の子や女の子が色とりどりのジャンパーを着ている。乗ってきたと思ったらすぐに下車。学校の前だった。歩ける距離なんだがなあ……。

空港には定刻に到着。バスは到着ロビーについたものだから、閑散としている。出発ロビーに上がるとすごい混雑ぶり。フランクフルト行き、ミュンヘン行き、驚いたのはニューヨーク行きの飛行機もあったこと。ルフトハンザのチェックインカウンターへの列は乱れに乱れていて、割り込みしている男もいるが、腹の立つのを抑えてただただまつ。チェックイン出来たのは出発の直前で、あわてて手荷物検査場を通り過ぎて、搭乗口の列に並ぶ。

機材は、エアバス320。隣にはUS Airwaysのボーイングが並んでいる。きっとニューヨーク行きだ。アメリカ路線がヴェネツィアに乗り込んでいるのは、それだけ観光客がたくさん訪れていると言うことか。そう言えば、ロビーには裕福そうなアメリカ人が多かった気がする。思うところは色々。

エアバスが離陸すると、ラグーナに横たわる左側の窓に魚の形をしたヴェネツィア市街地が見える。今度この街に来るのはいつになるのだろう。きっと、もう一度来てみせる、そう誓いを新たにする。

Italy2007
Italy2007 posted by (C)shushi

エアバスは、アルプスを越え、フランクフルトへお昼前には到着。日本へのANA機は夜の20時に出発だから、まだまだ時間はたっぷりある、ということで、ドイチェ・バーンにのってマインツに向かうのであった。 (続く)

Miscellaneous

昨日も少しアクセス解析のことを書きましたが、最近傾向が変わってきた感じを持っていて色々調べていました。GoogleでMuseum::Shushi bisを検索ワードにすると今まではこのこのブログがトップに出てきたのに、検索されてこないのです! これがいわゆる「Google八分」という奴か! と思ったのですが、どうやらそうでもないらしい。このブログのランクが大幅に下がっているということのようです。

原因はただ一つ。http://shuk.s6.coreserver.jpの直下にエントランスページを作ったのですよ。それが先月半ばのこと。それ以来、アクセス傾向が変わっていることが分かったのです。どうやら、ドメイン直下に新しくページを作ると、下位のウェブページのランクが新しいページに依存してしまい、ランクダウンするみたいです。エントランスページを削除しようかとも思ったのですが、まずは現状のURL構成で復旧させるべく、Googleサイトマップなどを試してみることにしました。

ともかく、定期的にご覧になって頂いている皆様には全く影響なく、ご覧頂けているようで大変感謝しています。改めて御礼申し上げます。

今日もコルンゴルトを聴いたり、モーツァルトを聴いたり、という感じでしたが、最後に聴いたクレンペラーのミサ曲ロ短調が白眉。スケールの大きさが大好きで、何より冒頭のKyrieのおどろおどろしいともいえる合唱の入りにあらためて感銘を受けるのでした。

午前中はいつものカフェに言って、なんとか仕事をはかどらせました。月曜日が〆切ですが、後もう一息です。

 

Japanese Literature,Opera

今日もなんとか時間を取ることができました。ブログ書くのは楽しいですね。どんな方がごらんになっているのだろう、とアクセス解析を見ることがありますが、いろいろな方に見ていただいておりまして、大変感謝しております。本当は、美術館のようにいろいろなものを「陳列」したり、「展示品」の感想を書いたりするブログにしたくて、2003年からMuseum::Shushiをはじめたのですが、もうそろそろ5年にもなりますか。当初思ったような形とは違う方向に進んできた感もありますが、ともあれ、この一年ぐらいは「ほぼ」毎日更新になっていると思っています。そういう意味では少しは前進したといえそうです。今後も引き続き書いていくことになると思います。

今日も引き続き「死の都」を聞いていますが、昨日の夜あたりから、この雰囲気、プッチーニの「西部の娘」と似てないだろうか、と思い始めてきました。「西部の娘」はアメリカを舞台にしたオペラですが、ほかのプッチーニ作品に比べて、若干渋みのある作品で、「私はミミ」か「私のお父さん」と比べられるような大人気アリアを持たない作品です。しかしオーケストレーションの厚みとか色が鮮やかでなのです。「死の都」の持つ空気の色と同じなのです。これを楽理的に言えればもっといいのですが。

「ローマ人の物語」はとうとう6巻に突入しました。全15巻ですので、まだ半分にも達していない。先は長いです。今年は、せめて第11巻「終わりの始まり」までは今年中に読みたいと思っているのですが、ちょっと気を張らないと読み終われなさそうですね。さて、6巻は初代皇帝、オクタヴィアヌス治世のお話。「パクス・ロマーナ」という題名から察せられるように、ローマ帝国の国力は地中海世界を覆っていて、しばしの平和が訪れるわけですね。オクタヴィアヌスがどのようにして皇帝の地位を獲得してゆくのか。その老獪ともいえる手腕をまさに眺めながら、という感じで読んでいます。

「ローマ人の物語」をはじめとした塩野七生さんの著書を読んで良かったことは、困難なことに立ち向かう力がまた湧いてきた、ということにあります。特に仕事面でその効果は大きいです。オクタヴィアヌスの意志力の欠片にあずかった気分。読んで良かったです。

Japanese Literature

今日もブログがかけることを感謝しています。ものを書くのは結構楽しいですね。昔の知り合いがテレビでインタビューされているのを見ました。彼は、 10年近く前に会社を辞めていたのですが、どうやら夢をかなえるべく頑張っていたようで、いまでは某地方自治体の議員になっていたのでした。すばらしいですねえ。

「ローマ人の物語5 ユリウス・カエサル ルビコン以後」読了です。

ポンペイウスとの戦いを終え、ローマに凱旋するカエサル。終身独裁官に就任し、事実上「皇帝」となるカエサルでしたが、カエサル的な融和政策で、かつての敵をも寛容さを持って許してしまったため、反カエサル派の動きを掣肘しないまま。子飼いの部下も不遇にかこつけて反カエサルに身を投じ、運命の3月15日、ユリウス・カエサルは、元老院会直前に刺殺されます。傷跡は二十数箇所。

カエサルの下、平静を保っていたローマ情勢は緊迫します。カエサルの右腕で、執政官の同僚だったアントニウスは、カエサルの意外な遺言書に驚きます。カエサルの示した後継者は無名の若者、オクタヴィアヌス。だれそれ? と誰もが言うぐらい無名だったのです。ですが、オクタヴィアヌスは、カエサルから指名されただけのことはある若者だったのです。

ローマ史の最もおもしろいところが終わってしまいました。少し寂しい気分。あと、楽しみなのは五賢帝の時代でしょうか。そういう意味で言うと、ユリアヌスがどう描かれているのかも楽しみですね。辻先生の「背教者ユリアヌス」とどういった違いがあるのか、など。

音楽のほうは、引き続き「死の都」を。ストーリとは裏腹に、映画音楽的な甘い旋律も現れるわけですが、ただ甘いわけでは決してなくて、旋律もオーケストレーションも複雑。シュトラウスやマーラーの影響下にあったといいますけれど、それよりもコルンゴルトが影響を及ぼした種々の映画音楽との関連性のほうが浮き上がってくる感じを持っています。それだけ、コルンゴルトのオリジナリティが発揮されているのだと考えています(楽理的に述べられないのが痛いのですが。本気で音楽理論や譜面の勉強したいのですが、いまからでも間に合うものなのでしょうか、という感じ)。

あと余すところ一日。それで週末です。長いようで短い一週間。あっという間でした。ということは充実していたということでしょうか。

Opera

会社も今週3日目。今週もやっと半分を超えました。

今日から、コルンゴルトのオペラ「死の都」を聴き始めました。先だってからコルンゴルトを聴いているので、この機会に、ということでです。ちょうど、家に「死の都」の映像があるのを思い出して、最近はオペラの予定も入っていないということで、「死の都」を聞き込んで、DVDを観ようかな、と思った次第。

あらすじ。舞台はブリュージュ。パウルは、マリーという妻を亡くしたばかり。ところが、マリエッタというマリーとそっくりの踊り子が現れ、パウルはマリエッタにおぼれていくのだが、最後には、マリエッタにも愛想をつかされてしまう。ところが、すべての出来事は夢の中の話であった。パウルは友人の進めに従いブリュージュを去っていく、というもの。

しかし、ここでも「マリー」が登場ですか。ベルクの「ヴォイツェック」もマリー、ツィンマーマンの「軍人たち」もマリー、コルンゴルト「死の都」もマリー。関係ないとわかっていても、なにか繋がりがあるんじゃないかとかんぐってしまう。

しかし、23歳でこんなオペラ作ってしまうコルンゴルトはすごいですね。ウィキペディアにはすさまじい略歴が載っております。天才はすごい。戦時中はアメリカに亡命して映画音楽を作り、オスカーも取っています。戦後、ヨーロッパに戻りますが、すでに時代遅れになっていただなんてかわいそうではあります。

ですが、コルンゴルトの映画音楽の及ぼした影響はすごいですね。先だって少し書きましたが、先日から聴いているコルンゴルトの映画音楽集のCD に収録されているKing Rowという作品、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」とか「スーパーマン」に大きく影響しているのが分ります。

最近は、オペラの予定がなくてさびしかったので、いい目標ができてよかったです。演奏については後日ということで。しばらく聞き込みます。

  • 作曲==エーリヒ・ヴォルフガング(エリック)・コルンゴルト(コーンゴールド)
  • 指揮者==エーリヒ・ラインスドルフ
  • 管弦楽==・ミュンヘン放送管弦楽団
  • 合唱==テルツ少年合唱団
  • 合唱==バイエルン放送合唱団
  • パウル==テノール==ルネ・コロ
  • マリー、マリエッタ==ソプラノ==キャロル・ネブレット
  • フランク==バリトン==ベンジャミン・ラクソン
  • ブリギッタ==メゾ・ソプラノ==ローゼ・ヴァーゲマン
  • フリッツ==バリトン==ヘルマン・プライ

Japanese Literature

通勤電車の中では、引き続き塩野七生さんの「ローマ人の物語5 ユリウス・カエサル ルビコン以降」を読んでいます。いよいよ軍勢を率いて禁じられたルビコン側以南への兵力侵攻を成し遂げたカエサルは、宿敵ポンペイウスを追ってイタリア南部へ。当方へ撤退するポンペイウスを引き止められなかったカエサルは、一転してスペイン属州へ向かい、自治都市マルセイユを攻略し、スペイン属州群を大破せしむる。サルディニヤとシチリアを攻略し、食糧補給地を確保。カエサル隷下の元老院議員クリオ率いる軍団はアフリカ属州へ向かうが、ヌミディア軍に破れ全滅。ポンペイウスを追って、アドリア海を渡り、バルカン半島へ。さてどうなるのか!?

下手な漫画やドラマより、ぜんぜん面白いです⇒ローマ人の物語。史実としての面白さもあるのだけれど、やはり塩野七生さんの冷徹な筆致と、そこから浮き上がってくるカエサルへ向けられたある種の普遍的な感情。ついつい塩野さんと一緒にカエサルに感情移入してしまう。 それにしても、カエサルの人身掌握術はすばらしい。ストライキを起こした軍団に、厳罰で臨みながらも、軍団長らの(おそらくはカエサルが仕組んだ)とりなしに、仕方がなく従うあたりとか。これは、読む人が読めば実世界にも役立ちますよ。

そんなときに聴きたい曲を考えていたのですが、やはりダイナミックな音楽を。シュトラウスの「ツァラ」かな? とも思ったのですが、実際に聴いたのは先だって聴いたばかりのコルンゴルトの映画音楽集。古きよき映画音楽は、「ローマ人の物語」に良く似合う。血がたぎるぐらいに読書がワクワクします。それにしても、コルンゴルトの音楽は、肌触りが良い中に、難しいフレーズとか、無調感が仕組まれていたりして、面白いです。ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」にそっくりなのもびっくり。

Japanese Literature

昨日今日の週末はなかなかに充実。「ローマ人の物語4 ユリウス・カエサル ルビコン以前」を読了。英雄譚を読むのは悪くないです。カエサルの人心掌握術とか、目的へ向かう強い意志などに魅惑されてしまいます。ルビコン川を渡ってからのカエサルは何を考えどう行動するのか。ポンペイウスとの闘いは? クレオパトラ? そしてブルータス。興味は尽きません。

今朝はなんとか5時に起きましたし、昨日は3時半頃に起きました。朝が充実すると、午後になるとどうしても疲れてしまいますね。バランスが大事です。いつもの家でやる作業は、はかどるにはかどったのですが、疲れに任せていきおい睡魔に襲われ、久々に午睡を派手に取ってしまいました。頭を使いすぎると、破裂しそうになるのですが、もう歳なのでしょうか? それともそう言うものなのでしょうか? まあ、資料を作ったりするのもやはり労働ですからね。時には身体を休まねばならない、と言うところでしょう。

今日もフォーレの室内楽を聴いてから、iPodに入っているフォーレのピアノ曲を聴きました。ピアノ曲自体聴くのは久しぶりでした。ノクターン集だったのですが、特にノクターン第三番は有名ですね。ノクターンだけで言えば、室内楽ほどに先鋭的ではありません。むしろ柔らかみをおびたしなやかな曲調で心が安まります。ピアノはジャン・ユボー。静謐なタッチに吸い込まれていく感じです。こういう世界に身を浸すのもいいものだと思いました。

 

Classical

今朝も起き上がれず。目覚ましの音がむなしく鳴り響いているのを止めて、また寝床に戻る感じ。今日でやっと仕事も終わりです。ですが目の回るような忙しさでした。果断に乗り切れるように努力しています。

塩野七生さんの「ローマ人の物語4 ユリウス・カエサル ルビコン河以前」、余すところ十数ページまできました。ガリア総督時代のカエサルの所業を読むのは実に楽しいですね。二十年前に「ガリア戦記」を読んだはずですが、さっぱり覚えていません。塩野七生さんの手にかかると、ここまで史実が生き生きとよみがえるのですね。

今日もフォーレに挑んでいますが、今度はちと難敵です。室内楽曲全集Ⅲからチェロソナタ第一番を聴いているのですが、冒頭からピアノとチェロの複雑なモティーフが異様なリズムに乗って現れます。実にモダンな感覚で、調性も激しく揺れ動いているように聞こえます。それでいて一つ一つの要素は優雅さを纏っている。なんと表現していいのかわからないです。

この作品は1917年に作曲されました。フォーレは1845年に生まれていますので、72歳頃の作品ということになります。時代は確かに無調へと進んでいます。ウィキペディアによれば、フォーレの晩年作風は、無調的になる瞬間はあるとしても、それは激しい転調のなかに生じているわけであり、完全な無調音楽ではない、といった内容が書かれています。私は譜面をきちんと読めるわけではありませんし、絶対音感を持ち合わせているわけではないので、感覚的にしか聴くことができていないわけですが、それでもやはり、この転調の激しさと、無調感。拍節の複雑さなどを感じるにつけて、ある種の畏怖感をも覚えます。劇付随音楽のような節回しのわかりやすい音楽とは一線を画します。

明日から二日はありがたいことに休日です。何とか一週間を乗り切りました。充実した休日になると良いのですが。それにはまず明日の朝早く起きることが必要です。明日こそ必ず!

Classical

今朝も起き上がれず。結局6時20分まで眠り込んでしまいました。参りました。そしてまたへんてこな夢を見続けました。夢ほど面白いものはありませんが、おきてすぐにメモを取らないと忘れてしまいます。今日はメモする時間がなかったので、きれいさっぱり忘れてしまいました。残念。

今日は一昨日に引き続いてフォーレ。今度はピアノ四重奏曲第一番です。一昨日のヴァイオリンソナタに比べて、ピアノ四重奏曲の方が数段激しい。激烈といってもいいでしょう。第一主題はきわめて深刻な旋律から始まるのですが、徐々に柔らかみをおびてきます。第二楽章はピチカートで始まる優雅な心地よい速度の舞曲風。中間部も変わらずピアノの低音部がリズムを刻み続けています。バレエの振り付けをつけたらきっと面白いことになると思います。第三楽章は転じて静か。霧深い森の中に分け入る感じ。第四楽章は長和音と短和音のせめぎあいが面白い。第二主題(?)が孤高の美しさでたまりません。第三主題(?)も高みを極めようとする強い精神が感じられるフレーズで元気付けられますね。コーダの盛り上がりもまたすばらしい。最後は調和音で締めくくられます。

この曲、聴いたら本当に元気が出ました。また譜面が見たくなる病がでてきました。ちょっと時間があったら、譜面に取ってみようかな、と思います。 仕事はなんとか平衡を保っている感じ。難しいことはまだまだたくさんありますが、一つ一つ着実にクリアしていくこと。予断を許さない状態。ともかく、気を張って立ち向かうしかありません。

Classical

朝も起き上がれず。なんということでしょう。関東地方も梅雨入りしたそうですが、今日の雨はそれほどでもない感じ。道も水であふれている何ってこともなく駅につきました。 昨日から面倒なことに巻き込まれていますが、まあいつものようにえいやっと、うっちゃって片付けてしまいましょう。その片づけを今日やる予定です。

昨日のマニャールから時代をくだりフォーレへ。同じフランスの作曲家ですね。ヴァイオリンソナタ第1番、第2番をデュメイのヴァイオリン、コラールのピアノで。 この曲をはじめて聴いたのはもう十年ぐらい前になります。そのころ「フォーレの室内楽は、歳を取ってからじゃないとわからないのである」といった雑誌記事を読んだ記憶があります。確かに、あの若いころには、どうにもなかなか入っていけませんでした。ところが、最近はフォーレの室内楽も徐々にわかるようになってきた感じがします。昔はフォーレの室内楽にはある種の晦渋さのようなものを感じていた記憶があるのですが、いまはそうした渋みよりもむしろソフィスティケイトされた味わいのようなものを感じます。ただ甘く快いだけの音楽ではなく、そこにいくばくかの隠し味がきちんと利いている感じです。

フランス音楽を聴いたからといって、フランスのことを思い出す必然性はないはずなのですが、それでもやはり昔パリに行ったときのことを思い出します。それもオルセーの展示室のこと。19世紀末美術の絵画を順々に回っていくと突然マルセル・プルーストの肖像が突然現れたのです。この絵はここにあったんだ、という驚き。それから懐かしさも。当時、「失われたときを求めて」に取り組んでいたということもあるのだと思いますが、思いがけない邂逅に驚き感謝したのでした。

「失われたときを求めて」まだ読みきっていないのです。「ソドムとゴモラ」の途中で中断しています。この本も死ぬまでに絶対に読みたい本。長いですが、また再開しようかななどと。鈴木道彦さんの訳でまた読み始めないといけないですね。とはいえ、「失われたときを求めて」を読んで、幸せな気分なのか、というわけでもなく、いくばくかの悔悟を念も生じるわけですが。

デュメイさんのヴァイオリンは力強くもあり、優雅でもある。まるで騎士の馬上槍試合を見ているような感覚。着飾った騎士と馬の持つ典雅さと雄雄しさとでもいいましょうか。豊かな音と繊細なテクニック。デュメイさんのヴァイオリンを始めて聴いたのは、フランクのヴァイオリンソナタのCDで、このときはピアノはピリスさんでした。コラールさんのピアノも絶品ですよ。柔らかいタッチを聴くと、水辺の草原で風に吹かれている気分でした。

このCDを聴きながら欧州を旅できたら幸せですよ、きっと。いやいや、旅だなんていわないで、どこか北海に面した小さな漁村に部屋を借りて、静かに住むのですよ。フォーレやフランクを聞きながら、ものを書いたりして過ごせたらどんなにすばらしいでしょう! 夢は努力で実現しましょう。