Classical

今日一日、なぜか頭の中で流れているのがブルックナーの交響曲第7番の第2楽章。さっそく、チェリビダッケがミュンヘンフィルを振った盤を聞いてみる。今の自分の状況にとてもフィットする感じ。懐かしさ。幾重にも連なる甘い旋律の波間にたゆたう気分。

チェリビダッケの指揮とはいえそんなに重みや遅さを感じません。低音部のリズムがきちんと刻まれているからだと思います。こういうとき「グルーヴ」という安易な言葉を使ってしまいがちなのですが……。

それにしてもブルックナーばかり聞いていた十年前のことを思い出します。あのことは今とは違う夢とか希望がありましたが、十年たつとそれは変貌せざるを得ない。いい意味でも悪い意味でも齢を数えるということは、ある種の気だるさを伴った選択の積み重ねです。 この曲を聴いていると、少しく感傷的になったり、アンニュイな気分になったりします。やはり、昨日知らされた残念な出来事を引きずっているせいでしょうか。ネガティブな出来事は、人を落ち込ませもしますが、逆に奮い立たせることもある。その両側に手を引っ張られて、千切れそうな感じ。いけません。

ふと思いました。この波間に漂う感じは、ヴェネツィアのゴンドラではなかろうか、と。ワーグナーの死をいたむために作られたともいわれる第2楽章です。ワーグナーはヴェネツィアで天に召されたわけですが、棺は間違いなくゴンドラで運ばれたに違いない。動力船のない時代でしょうから、ワーグナーの棺をのせたゴンドラは、カナル・グランデを揺られながら運ばれたはず。さざめく水面は間違いなく夕陽で輝いていたに違いない。昔から、この曲には壮麗な落日のイメージを持っていましたが、なんだかいますっきりとつながった気がします。

今週の仕事は二日目で、機械仕掛けのように。人の間をいったりきたりして、メールを打って、パソコンで図表を作り続ける。いつもとそう大して違わない仕事。ですが、昼休みに近所の雑木林を散歩すると、いつのまにか夏の兆しに満ち溢れているんですね。蝶が舞い、羽虫が飛び、太陽はもう天頂近くにあって、下草には木漏れ日が揺らいでいる。木々の花は独特な匂いを発して虫たちを呼び集めている。その散歩のときにもやはりこの曲が頭の中で流れている。夏は成熟の季節ですが、休息と滅びの前触れでもある。まだ夏本番には程遠いとはいえ、なにか事物を俯瞰する無常観のようなものを感じました。誰しもすべてが波間にたゆたう存在であるに過ぎない。人間であろうと、虫であろうと、花であろうと、木々であろうと。

Japanese Literature

仕事が始まりました。ですが、土曜日にたくさんの人と会った衝撃が強すぎて、なかなか仕事モードに入れないです。人に当てられて気だるい熱っぽさに悩まされている感じ。まあこんなものでしょう。今日一日乗り切ればリズムに乗れるはず。今までもそうでしたし、これからもそうでしょう。ともかくいい刺激を受けたことは間違いないですので、これからがんばっていきたいですね。

「ローマ人の歴史」の傍ら、久々の再読、森村誠一さんの「人間の証明」。すっかり引き込まれてしまっていました。通勤電車の中で読み終わりました。スケールがすさまじい。なんら関係のない人々が一点に向かって凝縮していく感じ。ドストエフスキーの「罪と罰」を思い出しました。 それにしても周到に準備研究されたのもわかります。書かれた当時のニューヨークの状況も手に取るようにわかるし、地方の人里はなれた温泉の描写なども秀逸。なにより登場する人間が形を持って立ち現れてくる感じ。西条八十の詩からここまで物語を膨らますことができるとは、という驚き。読後感もなにか哀切感とでも言いましょうか、複雑な味わいがじんわり拡がってきますね。人間なんて、善悪で切り分けることなんてできやしないのです。

何度も映像化されるぐらいですので、もはや日本文学の古典的位置にあるといってもおかしくないと思います。 こういった推理ものの中には描写や構成が今一つのものも少なくないのですが、そういう違和感はまったく感じず。すばらしいです。森村誠一さんの本をもっと読みたくなります。

そんな森村誠一さんの本を読みながら聴いたのはヴィヴァルディのチェロソナタ集。初めて聴いたのですが、何とも言えぬ甘い清涼感。こちらも複雑な味わい。熟し切った桃が放つ匂いがしました。

Classical

怒濤の週末でした。それも極めつけは、さっきまで書いていた記事がサーバーエラーで全部消えたこと。ショック。やむなく抄版ですが書き直します。

金曜日の夜は、高校時代の友人が来訪。土曜は午前からお昼過ぎまでとあるイベントに参加。夕方は、後輩の結婚披露パーティでサックス演奏&ジャムセッションに参加。忘れないように曲名を書いておきましょう。

  • Days of wine and roses
  • Little house on the prarie
  • Confirmation
  • Chicken

演奏のできはどうでしょうか? 意外とアンブシェアの筋肉が持ったのが幸いでした。まあまあでしたかね。ジャムセッションの演奏は久々に大暴れしてみましたが、以前のようには行かないなあ。

パーティのあと、本来なら帰宅するところを、二次会に参加してしまいましたが、楽しい一時。後輩たちがみな立派になっているのが嬉しい。私も頑張らねば。会話出来ない自分にも驚き。休日は近所のカフェに行く以外は家に引きこもって音楽を聴いたり本を読んだり書き物をしているだけですので。ちょっとした危機感。

というわけで、きょうは寝込んでしまいました。人と会ったり、帰宅が遅くなったりで疲れていたのでしょう。まあ、「適度な睡眠は自己投資である」という言葉を信じましょう。まだ頑張れるチャンスはありますから。

今日はゲルギエフのくるみ割り人形。前にも記事で書いたかもしれませんが、今日は何となくチャイコフスキーを聴きたくなりました。チャイコフスキーは小さい頃から大好きで、後期の交響曲三曲や、バレエ組曲などを聴いていたものです。ゲルギエフ盤はバレエ全曲盤ですので、組曲版よりも曲数が多いですね。馴染みのない曲もありますが、とても美味しい一枚です。ダイナミックレンジが広いし、オケも上手くて安定している。派手に盛り上げるところのパワーは素晴しいです。昨年のクリスマス頃に新国立劇場で見たバレエを思い出します。バレエもオペラに負けず劣らず楽しいのです。

これで、予定がたくさん入っていた五月の週末はおしまい。来週からはまた静かな週末がやってきます。また明日から仕事も始まりますが、いろいろと頑張って参りましょう。

「やるべきことがおおいのは、さいわいである:17世紀の思想家アヴェールの言葉(ウソです(笑))」

 

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今日も少々ハード。ですが、何とか早起きできたので朝のうちに更新します。コルンゴルトを聴きながら、ですけれど。本当はやらないと行けない仕事があるのですが、少々逃避していますかね。そちらは25日に片付ける心づもりなのですが、さて、どうなるか。

昨日、ローマ人の物語第三巻「勝者の混迷」を入手しました。予定ではまだ第二巻を読んでいるはずでしたので、こちらの進捗はすこぶる順調。その功績はすべて塩野七生さんにあるのは間違いないです。

一次文献をよまねば、みたいなことを先日書きましたが、昨日はギボンの「ローマ帝国衰亡記」の抄訳を読んでいました。まあ一応原典をにあたっていると言うことで。先日読んだ「マンガローマの歴史」がいい予習になって良かったです。

さて、「勝者の混迷」も面白いといいのですが、グラックス兄弟の改革など少々残念な史実を読まねばならないというところでしょうか。先日の「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」でも高みの上り詰めようとするまではこちらもワクワクしながら読みますが、ローマはすでに覇権国家になっています。ここからはローマの爛熟した世相とか、暗愚な皇帝とか、すこし残念な歴史を読まねばなりません。そのあたりをどのように塩野七生さんが調理なさっているのか、楽しみではあります。

辻先生の本も読まないとなあ。いろいろ課題やタスクがありますが、出来るところから打ち崩していきましょう。余り焦るとろくなことはありません。

Classical

結構いろいろあるな毎日が続いていて、それが今週の土曜日まで波及しそう。仕事では納期があったり、珍しく取引先とミーティングをしたりと、いろいろあります。そのなかでも最大の難事は今週末のサックスの演奏ですが、それさえ乗り切れば平穏な日々が戻ってくるはずです。ブログの更新もなんとか食らいつきましょう。

さて、珍しくコルンゴルトなど聴いてみましょう。ウィキに乗っている壮絶な履歴に感服しながら。

交響曲嬰ヘ長調をウェルザー=メストさんの指揮によるフィラデルフィア管弦楽団にて。

ウィキには、コルンゴルトがアメリカ映画音楽の祖である、と書かれていますが、それはこの演奏を聴いても十二分に感じられます。聴けば聴くほどジョン・ウィリアムズに似ているのがよく分かる。いや、こちらが本家本元で、ジョン・ウィリアムズがコルンゴルトに影響を受けていると言うことなのですが。何が似ているのか? スコアを読めない立場からは少々言いにくいです。ホルンを積極的に使うところとか、弦楽器の美しい旋律など? 数回聴いただけではなかなか表現できないです。しかし、スーパーマンやらE.T.なんかを彷彿させる旋律が姿を現すのを聴くのは楽しいですよ。

コルンゴルトは当初はオペラを作曲していたのですが、ナチスから逃れるために米国に逃げて、そこで映画音楽に手を染めざるを得なくなる。本当はオペラを書きたいのに。しかし、映画音楽をやるなったら決定的にやることにしたようで、ライトモティーフを使った映画音楽などを作曲していくわけです。そう言う意味で言うと、スターウォーズの音楽を担当したジョン・ウィリアムズもやっぱりライトモティーフをたくさん使っていますよね。

しばらくは、この曲を聴くのが楽しみになりそうです。

 

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ふぅ、意外とハードな一日。午後から所用で都心に出たのですが、待ち時間が長すぎて、予定を2時間弱超過。ところが、その隙間時間のおかげで、「ハンニバル戦記」読了してしまいました。うーむ、久々に歯ごたえのある歴史物語に没頭できました。この感じ、5年ほど前に永井路子さんの全集を貪り読んだときに似ている。もう、先が気になって仕方がない仕方がないという感じなのです。

それにしても、現世的な戒めにたくさんであったなあ。

  1. リーダーは、なぜか明朗快活な場合が多い。ハンニバルに勝利した、スピキオ・アフリカヌスもその一例にもれない。
  2. リーダーは、その権力によるよりもむしろ互恵的関係によって部下を統率したほうが良い。すなわち、率いられる人々に、じぶんがいなくてはこのリーダーは成り立たない、とも思わせることに成功したリーダーが、優れたリーダーである。一方的な権力の押しつけであってはならない(2008/05/25追記)
  3. 敗軍の将はその責を問われることはない。なぜなら、敗北すること自体により、自尊心を失うという罰を与えられているのだし、敗北によって学んだことを、次の勝利へと結びつけることができるからである。
  4. 成功が人を頑固にする。成功体験によって得た自信が、抜本的改革に対するブレーキとなるのである。成功した人=年輩者が保守的傾向となるのはそのためである(2008/05/25追記)。

などなど。

仕事でプロジェクトマネージャとして、プロジェクトメンバを統率しなければならない局面が多々あるわけですが、塩野さんがおっしゃるようなマネージャになるのは難しい。プロジェクトがシステム不具合を発生させたら、くだんのプロジェクトのマネージャさんはいっせいに袋だたたきにあうのです。会社の人はもっとローマ人を見習ってほしいと思います。などなど。

ポエニ戦争は三度にわたって発生するわけですが、第二次ポエニ戦争におけるローマとハンニバルの死闘を知らないで人生を終えるのはもったいないです。これほど人智を結集した戦争はなかなかないでしょうね。戦争の勝利の鍵が兵力数から機動力に移った戦争だったわけですね。それはハンニバルが騎兵を活用してローマの強力な重装歩兵を打ち破るのですが、こんどはスキピオが騎兵ばかりでなく、歩兵をも高起動化させて、ハンニバルを打ち破るあたり、すごいですね。しかも、機動力を活用した戦術が、時を経ずしてローマの部隊司令官にまで浸透していくあたりも、ローマの組織力の強靭さを物語っているのです。

最近の米軍が情報化を推し進めと高機動化しているというのも、考え方の発端としては、ハンニバルや(その戦術的師であった)アレキサンダー大王にも関係があるのだな、というわけで、実に興味深いです。

単なる歴史物語であればこんなに面白いわけはない。歴史は繰り返すことは決してありませんが、現代に適用できる価値、アクチュアルな価値が読み取れる歴史物語だからこそこんなに面白い。

辻邦生先生の歴史物語が、人間の生き方自体とか、生とは何か?という内面へ向かうものであるのに対して、塩野七生さんの歴史物語は、いかに生きるか、という、実践的な外へ向かったものである、と感じています。そして、そのどちらもアクチュアルな価値が豊潤に含まれているのです。

Japanese Literature

今 朝は激しい雨に見舞われました。昔は山の頂であっただろうところに住んでおりまして、十数メートルぐらいの坂道をおりた谷あいに最寄り駅がある感じ。もち ろん、住宅街化されてますので、昔日の面影はわずかに残った一隅の雑木林のみではあるのですが。 それで、今朝のような大雨になると、道路に水があふれ、激流となって谷あいに流れ込みます。すると、谷あいはもう水浸しになるんですね。

駅 に行くまでに、川の中を歩き、池を越えて、という感じ。足首まで完全に水に浸ってしまい、革靴なのにもう子供の長靴のように、歩けばチャポチャポと音がな る始末。 当然靴下は水に浸ってますので、靴下を脱いで素足で革靴を履く。足元「だけ」が石田純一状態。これで一日仕事ですよ……。取引先とミーティングがあるとい うのに恥ずかしい限り。

そういうわけで、通勤電車も大雨で遅れてしまい、30分遅れで会社に到着。でも定時の30分まえなのでらくらくでし たが。 幸い、通勤電車では座席に座れたので、電車が遅れた分だけ、ゆっくり本を読めました。

今日は塩野七生さんの「愛の年代記」を読みながらいよいよ「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」に突入しました。

ここにいたるまでに、実は、さかもと未明さんの「マンガ ローマ帝国の歴史」三冊を読んでいます。最近なぜかローマづいています。そういうわけで、音楽もロー マ帝国に関係あるものになってしまいまして、シュトラウスの「サロメ」とか、レスピーギ「ローマの祭」などをついつい聞いてしまう感じ。

「マンガ ローマ帝国の歴史」は、ローマ帝国の通史かと思いきや、カエサルからネロ帝までの限られた時代を描いているものでして、カエサル、オクタヴィアヌスと いった名君の偉業をえがきつつも、当時の爛熟した社会風情を奔放に描いている感じ。帝政ローマ以降の内憂外患の端緒となる時代の雰囲気がよく描かれていました。

楽しめましたが、帝政ローマ以降よりも、共和制ローマ時代のほうがなんだか興味深く思っていて、ちょっと肩透かしを食らった感じです。もっとも漫画でロー マのすべてを描けるわけはなく、ローマ帝国の絶頂期でもあるカエサル、オクタヴィアヌス界隈を描くことに注力したのは正解だと思います。ただ、このマンガを最初に読むと、ローマ帝国についてはネガティブなイメージを持ってしまう可能性もありますので、注意が必要ですね。

ともかく、共和制ローマのメルクマールであるポエニ戦役を描いた塩野七生さんの「ハンニバル戦記」がとても楽しみですね。今週はこの本が読み終われば万々歳です。

音楽も聴きますが、本もむさぼるように読みましょう、ということで、がんばります。

 

Opera,Richard Strauss

昨日は、せっかく書いたのにアップできず。ちと本業が忙しくて、ということで。今日からは日次更新予定です。

通勤時間に聞いたのは、シノポリの振る「サロメ」。昨日はカラヤンの「サロメ」でしたが今日はシノポリを聞くことができるという幸福。うれしいですね。シュトラウスもまさかiPodに自分のオペラがいくつも入れられて、電車やバスの中で聞かれるようになるとは想像すらしなかったでしょうね。考えてみれば贅沢なお話だと思います。

ちょっと調べてみようと思って、Googleで「サロメ シノポリ」で調べていたら、1月29日版の本ブログの記事が出てきてしまいました。あらら。そうか、ウシャコワさんのサロメの予習をしていたときにこの「サロメ」を聞いていたのでした。 サロメを歌っておられるステューダさん、混ざりけのないきれいで豊かな声。音量のダイナミクスレンジもあるし、テンポも意外といじっている感じでした。それも割りとゆっくりめに演奏していて、ハーモニーが良く聞き取れる。幸せですね。

リヴァーヴ感がいいなあ、と思っていたら、ベルリン・イエス・キリスト教会だったのでした。ドレスデン・ルカ教会よりも残響時間は少な目ながらもいい音です。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ジュゼッペ・シノポリ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
  • ヘロデ==ホルスト・ヒーターマン
  • ヘロデヤ==レオニー・リザネク
  • サロメ==チュリル・ステューダ
  • ヨカナーン==ブリン・ターフェル
  • ナラボート==クレメンス・ビーバー
  • 録音日時==1990年12月
  • 録音場所==ベルリン・イエス・キリスト教会

Opera,Richard Strauss

今日も日差しが戻っています。昨週の天気の悪さが不思議なぐらい。ですが、今日は休日にしては盛りだくさん。午前中は都内のスタジオで来週に迫ったジャズコンボのリハーサルを二時間。昼食を、バンドメンバーと摂りながら他愛もない世間話に舌鼓を打つ。もう10年以上もつきあっている方々でしたので、懐かしい話も織り交ぜながら、あるいは初めてあったときから10年以上経って、お互いの境遇が変わっていることに驚かされたりしながら、という感じでした。

今日は、カラヤンの振るサロメを聴いています。予想していたのですが、やはりオペラに戻ってきてしまいました。久々に聴くシュトラウスは実に美味です。もちろん単なるおいしさではなくて、歯ごたえもあれば粘りも腰もある。録音の感じも僕好みで、低い倍音が豊かで、リヴァーヴ感もほどよい感じに聞こえます。

ホセ・ファン・ダムさんのヨカナーンがすばらしいです。意志力に満ちた力強い声。ヨカナーンの境遇や性格をよく映し出しているなあ、と思った次第。とても良いですね。ベーレンスさんのサロメは、どうしてもブリュンヒルデに聞こえてしまう。いけませんね。僕の中でショルティ盤のリングのイメージが抜けきらない。僕の聴き方が悪いのですが、とにかく力強い歌唱です。

サロメ、本当に難しいですよね。演奏もそうですし、聴くのも同じく。さすがに何度も聞かないと理解が深まらないです。それでもなんどとなく聴いてますので、徐々に分ってきていると良いのですが。とにかく、聴いていて楽しい、という領域には入ってきています。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • ヘロデ==カール=ワルター・ベーム
  • ヘロディアス==アグネス・バルツァ
  • サロメ==ヒルデガルト・ベーレンス
  • ヨカナーン==ホセ・ファン・ダム
  • ナラボート==ヴィエスワフ・オフマン
  • 録音日時==1977年5月、1978年5月
  • 録音場所==ウィーン、Sophiensaal

Miscellaneous

いやあ、今週は長く感じましたが、ある意味あっという間に終わってしまった感じもしています。ツィンマーマンの「軍人たち」のショックから、会社での出来事を思い返してみたり、塩野七生さんの本の余韻に浸ったり。ともかく、充実していたことには間違いないと思います。とある仕事を、少々やっつけですが期日までに提出することも出来ましたしね。

今日はビジネス書を読みながらバーンスタインのブラームスを聴いておりました。先日からブラームスの室内楽を聴いていましたが、オケのブラームスはどうだったかしら、などと思って聴いてみたわけです。ですが、おもったより感動しないのです。不思議なことです。以前はあんなに凄いと思ったのに……。やはり室内楽には室内楽なりの濃密な緊張感というものがあって、それはオケを支配する緊張感とはまた別の種類のものではないか、と思うのです。指揮者も居ないわけですから、お互いの息づかいや挙措で間合いを計りながら音楽を作っていくというのは、おそらくはオケやソリストとは全く違うメソッドなのではないか、などと想像しています。そして、室内楽を聴いてしまった僕には、まだしばらく室内楽的緊張感が必要なようで、ちょっと室内楽の世界を渉猟してみようかな、などと思った次第。でも、明日になったら「ばらの騎士」聴いていたりして、みたいなこともおこりえますが。

明日は一日フリーですので、自分の仕事に取りかかることが出来そうです。午前中は近所のカフェでまた一仕事。午後はゆっくり家の雑務に取り組んで参りましょう。日曜日はと言えばサックスの練習です。明日、また譜面をさらわなければ成りませんね。頑張ります。