昨夜、書こうかと思った矢先に仕事場に呼び出されました。
雨がしとしとと降るなか、仕事場に向かいましたが、土曜日の夜、人通りの少ない街の雰囲気がなんだかかっこよくて、少し感動しました。雨に濡れた街路が光を反射して、こういう都会もいいなあ、と思いました。そういえば、辻邦生先生も雨の都会が好きだったとか。前世は都会のホームレスだったのではないか、なんてことを書いておられたのを思い出しました。
ようやく涼しくなりましたが、体調など崩されないよう。
おやすみなさい。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
昨夜、書こうかと思った矢先に仕事場に呼び出されました。
雨がしとしとと降るなか、仕事場に向かいましたが、土曜日の夜、人通りの少ない街の雰囲気がなんだかかっこよくて、少し感動しました。雨に濡れた街路が光を反射して、こういう都会もいいなあ、と思いました。そういえば、辻邦生先生も雨の都会が好きだったとか。前世は都会のホームレスだったのではないか、なんてことを書いておられたのを思い出しました。
ようやく涼しくなりましたが、体調など崩されないよう。
おやすみなさい。
Instagramで慌ててとったセミ。
ブルブル震えていたので少しボケてしまいました。あるいはピントがずれたのか。
このセミ、本当に一生懸命泣いていていじらしいぐらいでした。時折こぶしを効かせて歌うので、ああ、日本のセミはいじらしい、と感情移入してしまいました。
彼もそろそろその長い人生を終えて永遠の休みにつくということになります。はかなさもありますが、お疲れさまともいいたくなります。
今日の一枚
ジャン・マルティノンによるサン=サーンスのオルガン付き交響曲。第1楽章第2部の静謐とした感覚が、この静かに去りゆく夏の風情を表しています。暑い盛りの夕方、暮れなずむ太陽、きらめく水面。いつか、夏の南フランスに行って、狂ったように光を浴びたいものです。
みなさまも残暑と秋をおたのしみください。
それではおやすみなさい。
最近つれづればかり。アウトプットばかりでインプットしていないからですかね。。
最近聞いているのはこちら。
このCDは、うちのカミさんがジャケ買いしました。で、ジャケットに違わず素晴らしいアルバムだったというわけです。カミさんのジャケ買いはかなりあたります。
このCDのには、ヴァイオリン・ソナタとピアノ三重奏曲が入っていますが、なにしろヴァイオリン・ソナタが素晴らしいです。特に第三楽章。最後のロマン派と呼ばれたプフィッツナーですが、本当に祝祭的で、華々しく、幸福に満ちた音楽です。この曲、私の結婚式の時のBGMに使いました。
たしかに、最終部にかけてなにか座りが悪くなるのです。つまりブラームスの室内楽のような調和はなく、なにか美しさを誇張するというか、無理やりふくらませているような居心地の悪さがあります。それが個性なのかもしれません。
プフィッツナーというひとは結構な曲者のようです。ナチスと関係を持ちながらも、戦後はナチとの関係を否定したりと、一貫性がないような状況。ですので、その価値もなかなか定まらずというような状況だそうです。ウィキペディアによれば、反ユダヤ的な言動があったようで、最近もベルリン・フィルで彼の楽曲を取り上げようとしたところ、批判にさらされたとか。
ジャケットは1905年にハインリヒ・フォーゲラーによって描かれた「夏の夕べ」です。2001年に東京駅で展覧会があり、私も見に行きましたが、ずいぶん大きい絵で迫力があったのを覚えています。ドイツの夏の夕暮れのアンニュイな雰囲気が漂ういい絵でした。たしかに、プフィッツナーのヴァイオリン・ソナタは、この絵の印象とぴったりあいます。
この絵は現存するこちらの建物の玄関です。ニーダーザクセン州のヴォルプスヴェーデというところです。リルケも滞在したことがあるようですね。
東京地方はいよいよ秋の風情で、実に涼やかな一日でした。ずっと仕事場の中にいたので実のところはよくわかりませんけれど。
それではみなさまもよい秋の夜長をおすごしください。おやすみなさい。
先週もですが、今週もまた目白に来ました。目白駅の階段を登りながら、20年前、きっと辻先生もここをのぼりおりしておられたんだろうなあ、と思いました。たしか山手線で福永武彦と文学談義をしていた、というエピソードがあったと思います。一緒にこのホームに立っていたこともあったのでしょうかね。
で、気迷いのころは、この本に必ず戻ってきます。私の座右の書にしてバイブル。嵯峨野明月記。毎度毎度取り上げていて、飽きてしまうこともあると思います。申し訳ないです。
この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく、正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生れるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。<中略>だが、この世の背理に気づいた者は、その背理を受け入れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。だが、それは嘲笑でも、憫笑でもない。それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。<中略>おれはまだまだ描きつくすものがある。絵師とは、ただ絵を乾坤の真ん中に据えて、黙々と、激情をそのあかりとして、絵の鉱道を掘りすすむ人間だ。くそっ、こんなところで、おれが足踏みしてたまるか。おれという人間なぞ、どうでもいいのだ。風神雷神の前で、おれなど、いったい、何だろう……おれなど、この俵屋宗達という男などは……。
辻邦生「嵯峨野明月記」
俵屋宗達の最終場面のモノローグです。これまでここで取り上げたのは、この世の背理を哄笑する、という場面だけに着目してそこから先まで取り上げていませんでした。哄笑するだけでは先に進まないこともありますが、ここでは哄笑し、自分を自覚する、とあります。ですが、その最後、自作の風神雷神像の前で自分がなくなっているように思います。つまり、自作のまえで自我が極小かしているわけです。おそらくは風神雷神の中に自我が溶け込んだような境地と言いましょうか。
このあと取り上げられる本阿弥光悦のモノローグにおいて、「太虚」の境地が出てきます。この中では「私」が太陽や空や花と同じものになる、とあります。
つまり、芸術作品のような自己の創造的営為により、まるで禅の悟りのように世界と一体化し、そこには主客がない状態になっている、という風に感じられます。
引用で「お前さん」として登場するのは、又七という絵師です。彼はこの世の不条理を呪詛するがごとく、極彩色の毒々しい絵を書き連ねているわけです。
そうした世の不条理も笑い飛ばせ、というわけです。
これは、この笑いは、もともとはニーチェではないかと考えています。
哄笑する者のこれらの王冠、バラの花を編んだこれらの王冠、これらの王冠を、私の兄弟たちよ、私はあなたがたに投げかける。哄笑をわたしは聖なるものと宣言した。あなたがた、高人たちよ、学べ──哄笑することを。
このあたりは継続調査ですね。
ただ、最近わからないのは、哄笑し続けることで生きることができるのか、ということです。あまりに実践的なといで、同じレベルで考えることができるものではないのはわかっていますが……。なんだかまとまりのないつぶやきのようなエントリーになりました。この間違った世界を笑い飛ばしてそのあとどうする?という疑問の回答は人それぞれで、それは一生かけて答えを出していくものなのだと思います。私にも私なりの答えがあるはずなんですがまだ見つからないです。見つからないのが当たり前です。
すこし時間がかかりました。もうすっかり秋の夜長になってしまいました。もうすぐ9月。名実ともに秋となります。みなさまも良い秋をお過ごしになれれますように。
それではおやすみなさい。
私は充電マニアです。ガジェットが充電されているのを見るだけで癒やされるのですね。この画像はフィクションではなく、全部わたしのもの。先日記念に撮りました。アホですね。でも、右上の銀のiPodClassicは充電されてませんね。すいません。
今日の一枚。
発売当時ジャケ買いしました。ほんとすいません。でも、その他にも理由はありました。このアルバム、あのクラウス・オガーマンが入っています。だからオーケストレーションが最高です。あのぶつかる不協和音。マイケル・ブレッカーとやったCity Scapeを思いだします。ダイアナ・クラールは低音の美しいアルトです。
データを見ると、そうそうたるメンバーなんですね。そうか。これ、ロンドン交響楽団だったんだ。。
こちらはYoutube。オケ付。ホルンとフルートのあたり具合が最高。これがクラウス・オガーマンのアレンジです。最高・
ではそろそろ眠ってわたしも充電します。みなさま、おやすみなさい。
なんだか、夏バテが思いのほか長引いてしまっています。思い返せば、仕事場が変わってからかなあ、などと思います。前の仕事場は40年以上前の古いビルでした。空調も古かったはずで、べつにそれなりに効いていたけれど、効きすぎとまではおもいませんでした。
ですが、3年前に仕事場が変わってからか、どうも空調がきついようなきがしています。どうも体温調整がおかしくなってしまっているようで、寒くて寒くてしかたがありません。最近は上着着てかよってますし。上着を着ると、道ゆく人にジロジロと眺められてしまいます。名実ともに変人です。
ですので、どうも体調もすぐれません。アルコールもやめて見ましたが、どうにもこうにも。
今日も調子が悪いの早々に撤収しました。昔の私なら無理をして働きますが、少しは私も大人?になったようで、今日は潔く仕事場を出たのです。
ですが、運の悪いことに電車が止まってしまいました。そこで、寄り道して、電車がの再開を待っています。
それで、ひさびさに寄り道してビール屋に来ました。はい。
このびーる。カラコル・サクソーというそうです。ベルギーナミュール州ディナン近くのカラコル醸造所のビール。ここはアドルフ・サックスの出身地だそうです。つまり、サクソフォーンの発明者の故郷のビールということになりましょうか。
こちらは、セリス・ホワイトという定番ビールだそうです。爽やかな甘みが素晴らしいです。日本のビールにはない味わいです。
今日は、夏バテの私にぴったりの一枚を今日は聞きました。(長いフリですいません)
ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第3番、つまり田園交響曲です。EMIのボックスです。ボーイトの指揮。このボックスを買ったのは2002年ごろですかね。おりに触れて聴いています。
この曲は実際にはヴォーン・ウィリアムズが第一次世界大戦に従軍していたときの思い出によるものだそうです。ですが、そこには戦争の陰惨さのようなものがあらわれているというわけではなく、なにか静謐で落ち着いた情感で、曇り空のした、霧がひたひたと草原を覆いはじめるような、そんな音楽です。夏の夜にビールやワインを飲みながら涼むには絶好の音楽かとおもいます。
私もずいぶんいやされました。また明日から頑張ります。
というわけで、みなさま良い週末をお過ごしください。おやすみなさい。
今日の東京地方は涼しい天気でした。小雨がぱらついたり、なにか秋雨を思わせるような風情です。
どうも最近戦闘モードに入ることが多くて困っていました。何かあると勝負ごとに置き換えて考えてしまい、その結果に一喜一憂という感じです。競争社会ですので、勝負は大切ですが、全てが勝負になってしまうのもどうかと思います。
で、そんな勝負に疲れてしまい、どうしたらいいのかと考えていたんですが、ふと気づいたのです。私は赤いものを沢山持っているということに。赤い手帳、赤いペン、赤いインクの万年筆などなど。赤は戦闘色です。シャアだって赤い彗星でした。
そこで、赤いインクではなく青いインクの万年筆い切り替えました。赤い手帳は使うのをやめて白い手帳にしました。
その結果、最近はずいぶんと落ち着いた気がします。まだまだですけれど。
実は私のラッキーカラーは赤です。なので赤を選んだんですが、やりすぎちゃいました。
なるほど。自ずとEMIの所有が増えてしまったのもこのためですかね。
今日の一枚は、仕事場に向かうときに戦闘力を高める音楽です。レスピーギの交響詩《ローマの松》の第三曲、アッピア街道の松。
この曲は本当に素晴らしい。何が素晴らしいかと、クライマックスへ至る男性的直線的高揚がすごいわけですね。一貫して低音部が一定のリズムを刻む中、上で木管のざわめきから始まり、最後の金管の咆哮にいたるまでの爆発力はたまりません。
この曲のイメージするところは、アッピア街道をローマ軍の兵士が更新するシーンなんだそうです。やっぱり聴けば戦闘力は高まりますね。
こちらももとは赤いEMIの音源です。
寝る前に、刺激の強いものを聴いてしまいました。これは寝る前に聴くときっと不眠症になります。聴くのは会社に行く前とか、勝負事の前とかのほうがいいと思います。
ではおやすみなさい。
最近、気圧が下がると頭痛が起こるようになりました。これが人間レーダーってやつか、って感じです。私の友人のご兄弟で、南海上に台風が発生すると頭痛する、という方がいらっしゃいます。台風を察知する頭痛に私もなってきたのでしょうかね。
天気図を見ると、残念ながら本日時点で台風は発生していませんので、私の偏頭痛はまだ台風を捉えるまでに至っていません。しかしながら、どうやら 現在太平洋を制振している低気圧か、日本海にいる低気圧をキャッチしているようです。あるいは北太平洋の低気圧でしょうか??
今日の一枚はこちら。チック・コリアのペイント・ザ・ワールドです。チック・コリアのエレクトリックバンドの系譜で言うと、事実上最後の一枚です。このアルバム、第二期エレクトリックバンドということでリズム隊が入れ替わっています。ベースのジミー・アールの音が個人的には好きです。
そのなかでもCTAという曲がありますが、これが循環コードです。OleoやAntholopologyと一緒。それをエリック・マリエンサルがメカニカルにふきまくるのでたのしいったらありはしません。ついつい鼻歌で歌ってしまいます。
そのエレクトリックバンドのライブはこちら。ジミー・アールも登場してます。そして、エリック・マリエンサルは本当に素敵です。この人のサックスの微妙なベンドが巧いんですよね。やり過ぎると演歌っぽくネバネバしてしまうんですが、なんだかツヤのようなものだけが残ったピッチベンドだと思います。
今日も短めです。おやすみなさい。
私がブログを始めたのは2003年9月でした。もう11年になります。当時からMovableTypeを使い続けていました。一時期FC2に移りましたが、広告が鬱陶しくなり、再びMovableTypeに戻り、かれこれ6年ぐらいでしょう。MovableTypeのテンプレートの仕組みなどを手探りで理解してずいぶん楽しい思いをしました。
ですが、本当に融通が効かないことが多く悩んでいました。MovableTypeでは、投稿すると、静的なHTMLあるいはPHPファイルを生成するなどの再構築と呼ばれるプロセスがあり、投稿に時間がかかります。サーバーの状況によっては、失敗することもあるという状況でした。
また、コメントが巧く入らないとか、プラグインという拡張機能をインストールするの大変で、インストール先も複数に渡るなど、手間のかかるものでした。
また、バージョンアップに際しては、バックアップとったり、プラグインをあらためてインストールしたりと色々と気を使うことが多かったのです。
ですが、今回Wordpressに移って、本当に目からうろこが落ちた思いです。
MovableTypeにあった面倒な作業があまりないわけです。非常に簡単なのです。やはりユーザーが多く、開発者も多いということもあり、プラグインが充実しています。またそのプラグインのインストールも非常に簡単です。これは、もうAmebaやFC2などのお仕着せのブログシステムと同じぐらい簡便です。
ここまで便利とは思いませんでした。
確かに移行に伴うリスクやコスト(時間ですが)はありましたが、やってよかったと思います。
もう少し詳しく書くかもしれませんが、今日は時間がありません。とりあえず、感動だけでも伝えておきます。迷っている方は(リスクはありますが)お勧めです。
次回は移行作業について少し書こうと思います。
今日はこちら。NMLで紹介されていました。フィル・マンザネラとセルジオ・ディアスによるMato Grosso。これはいいアルバム。アンビエントっていうのはこういうことを言うんですね。90年代サウンドを満喫です。まだ聴いたばかりなのできちんと書けません。詳しく紹介したいですが、ちょっと調査がすすみません。が、取り急ぎ紹介したかったので書きました。
ではおやすみなさい。
今日の東京は曇り空で蒸し暑い一日でした。仕事場の近くに咲いていた花。なんの花なのか。
コンスタンティン・トリンクスのモーツァルト。この方、ダルムシュタット州立歌劇場でタクトをとっているかたで、2010年に《ばらの騎士》をダルムシュタットで振っています。この時の音源を持っておりましたので、今日聴いていたんですが、旋律を歌わせるスケールの大きい演奏で楽しかったのです。
ということで、モーツァルトのCDのをNMLで聴いています。交響曲第39番。たしかに、旋律を拡大させて聴かせてくれるあたりなどは、わかりやすさというか押しの強さのようなものを感じます。(最近は新国立劇場で聴いていたにすぎませんが)、どうも若い世代の指揮者は、旋律を歌わせたり、リズムを拡大したりということが多いような気がします。カラヤンのような無機質で機械的な(これも異論はあると思いますが)ではなく、機械的でありながらもそこになにかエンブレムをつけたりするような飾りをしていて、しかもその飾りがきちんと全体の中で生きている、そういう指揮のタイプが多いような気がします。たとえば、ダン・エッティンガーなんかにはそういうものを感じます。ただ、確かにそれがやり過ぎとして感じられてしまうこともあるのです。おそらくはオールドファンはそういう指揮になにか違和感のようなものを感じるでしょう。
ただ、そうしたやり方にはたしてどこまでのオリジナリティがあるのか。私にはそれが分かるまでの音楽経験をさらにつける必要があるでしょう。そして、それが、同曲異演を聴いて認識できるものと、ただそれだけで認識できるものにわけて考える必要があるのではないかと思っています。つまり、カラヤンのブラ4はあーだったから、クライバーのブラ4はこうである、という評なのか。あるいは、ショルティのブラ4はこうである、という評なのか、ということです。
と語っている言葉自体も音楽を語っている時点でなにかうつろいゆくものであるかのように感じます。そこには何らの普遍的妥当性はなく、この瞬間の《私》の感情の発露であるに過ぎません。そうした感想がはたしてどこまで意味を持つのか。そして分かり合えるのか。私にはまだ良くわかりませんが、さしあたり書いてみるしかないので書いています。これがなにかしらの共感を呼べばいいのですが。。
今日の午前中の喚問は無事に終わりましたが、夜は数字パズルに苦しみました。数字が頭に入ってこないことがよくわかりました。小学生の頃から算数は本当に苦手です。数字にも美しさがあるようですが、どうもそうした美しさには嫌われているようです。祖父は数学の先生なので、数字は得意なはずなんですけれど。。。
ではグーテナハトです。