Béla Bartók,Classical

NML → http://ml.naxos.jp/album/CD94.224

今日もマゼール。1958年録音のロリン・マゼールによるバルトーク《管弦楽のための協奏曲》。

やはりこれもスゴイ演奏なのですね。まだ20代の演奏なんですが、晩年に通じるダイナミックな演奏スタイルです。若さゆえの初々しい感じとかあまり感じないです(これはもちろん後の演奏スタイルを知っているがゆえの偏った見方なのかもしれませんがそれでもなおそう思います)。このテンポ感覚は素晴らしいです。第二楽章の冒頭部でリズムが少し揺れるのが面白いです。木管ソロが掛け合うところなので、いろいろあるのかなあ、と想像しています。

レーベルのページはこちら。 有用な情報は少ないかも。

長いと思っていた三連休も終わりました。部屋の片付けやらたまった仕事は片付きましたが、それでもなおやることがたくさん。大丈夫か、わたし? 明日は早起きの予定。

では、グーテナハトです。おやすみなさい。

Miscellaneous,Photo

Photo

本日も休息日。体を使いすぎるとどうも調子が悪くなります。そういう時はよく食べよく眠り、ひたすら部屋を掃除するぐらいしかありません。いろいろと片付けてスッキリしました。

木もビルも上へ上へと伸びていきますが、いつかはなくなるのですが、どうやってなくなっていくのか。林立するビルを眺めながらそんなことを想像すると面白いです。

それではグーテナハト。

Gustav Mahler,Symphony

少し間があきました。さすがに書けない状況がつづきました。

プライベートでイベントがあり、それと並行して、仕事場で論文を書いたりしていました。論文は45枚ほどのもので、大したものではなかったのですが、時間を見つけて書くのが難しく、提出後にあらたな資料が出てきて頭を抱えたりもしました。仕方がないです。全く…。

ようやく落ち着いたので、またそろりと書いていこうと思います。

先週末、ようやくスマホデビューしました。買ったのはiPhone6 plus です。今まではガラケーと携帯音楽プレーヤーとしてのiPod touchの二台持ちでしたが、一台に統合となりました。

初代iPhoneが出てから7年です。我慢を重ねましたが、世間もスマホがデフォルトになりつつある時代となり、理解も進んだということになりましょうか。

iPhone6 plusとしたのは、画面が大きいほうがいいなあ、と思ったからです。Kindleで本を読むことが多くなりましたが、Kindle自体を仕事場に持ち込めないので、苦慮していたので、小さい画面で頑張ってましたが、さすがによみづらく、というところでした。

iPhone6 plusとしたところ、Kindleは読みやすくなりました。間違いはありません。文庫本1ページとまではいきませんが、それに近いレベルまで大きくなりました。文字を小さくすれば、一画面あたりの情報量は文庫本1ページに近づくとおもいます。

最初はやはり、こんなに大きいのか、という戸惑いがありました。今までは片手で入力出来ていたのに、今後はできなくなるのか、という心配も。たしかに、大きくなっただけ、入力画面も大きくなり、重くもなりましたから。

ですが、慣れるとなんとも思わなくなるものです。数日で手に馴染んできたのですね、これが。だんだんとiPhone6 plusが愛おしくなってきた今日このごろです。2年間大事に扱ってあげたいと思います。

今日の一枚

今回聞いているのはこちら。

Symphonies 4-6
Symphonies 4-6

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G. Mahler
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NMLの方はこちらです → http://ml.naxos.jp/album/SIGCD361

7月に亡くなったロリン・マゼールのマーラー。フィルハーモニア管弦楽団との演奏で、2011年の録音のようです。

本当に巨大な演奏で、新鮮な気分で聴いています。ここまでで5番と6番を聞きましたが、いやあ、これはいい演奏ですよ。本当に。

実は、ニューヨーク・フィルとの録音によるマーラー5番を聴いたことがありますが、その時はあまりいい印象はありませんでした。でもこの盤のマーラーは本当に素晴らしいですね。戦術のように巨大な、というのは、実にゆったりとした雄大なマーラーということです。本当にオケをよく歌わせています。

これは、以前聴いたシュトラウスも一緒です。マゼールが、バイエルン放送管弦楽団と演奏したシュトラウスの「英雄の生涯」、「アルプス交響曲」、「家庭交響曲」を聴いた時にも同じ感想を持ちました。

https://museum.projectmnh.com/2009/10/09222538.php
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マゼールのマーラーにくるまれて眠りにつきたいです。

この連休、東京地方は雨が続くようです。11月に入り、寒さもましてきました。みなさまどうか体調にはお気をつけて。おやすみなさい。グーテナハト。

Tsuji Kunio

その基本に、もう一度人間を人間らしい展望の中に取り戻す仕事をしようとしているんだという姿勢を取り返していただきたいと思います。

辻邦生「言葉の箱」新潮文庫 45ページ

言葉の箱―小説を書くということ (中公文庫)
辻 邦生
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久々に、自宅で風呂に浸かりました。ずいぶん寒くなりましたので、湯温を上げてゆったりと。静かな夜でした。

湯船に浸かりながら本を読むのが楽しみなのですが、この「言葉の箱」の文庫本をパラパラとめくりながらしばし体を休めました。どうせ多忙なので、まとまった時間本を読むことなんて出来やしません。ですので10分の読書を何回もやればいいのである、そう思いました。

で、冒頭の一節。

人間らしいとはなにか、という問題はありますが、それは学術的な問題なのでしょう。文学はテーゼを述べてもよいのかもしれず、そうだとすると、ここで言っている人間らしさ、というものが何なのか、というものは自ずとわかってくるはずです。

そうだとすると、思い浮かぶのは、中世ヨーロッパの手工業者の市民的生活でしょうか。辻邦生作品にもなんどかモティーフが現れていたと思います。仕事をしながらも歌を愛するマイスタージンガーのような人物なのかもしれません。あるいは、同じく「言葉の箱」にでてくる、会社の社長をやりながらも、登山に明け暮れる人物のこととか。

最近、ヒューマニズムだけは、人間である以上原理原則になりうる、ということを考えていたこともあって、この文章が眼に入ってきたようです。

明日も早起きの予定です。みなさまも体調にお気をつけて。おやすみなさい。

Miscellaneous

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仕事場の近く。柱状列石のようです。

いろいろばたばたしていました。

《ドン・ジョバンニ》も断念しましたが、行った方に聞いたところでは、楽しいパフォーマンスだったそうです。

今日はビル・エヴァンスConsecration と、シュトラウス
の《平和の日》を聴きました。脈絡なし。ビル・エヴァンスを聴き込むというプロジェクトも少しずつ着手です。

では取り急ぎグーテナハトです。

Photo

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連休中にお参りにでかけた神社にて。
なんか、30年前の写真のようです。小説か映画のような光景で少し驚きました。
いまでもこんなことってあるんですね。すこし心が洗われる思いがしました。

明日からもまたフルパワーでいきたいところですが、落ち着くまで少し時間がかかりそうな感じ。

ではグーテナハトです。

Classical

フォーレ:管弦楽曲全集
フォーレ:管弦楽曲全集

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トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団 シュターデ(フレデリカ・フォン) アリックス・ブルボン・ボーカル・アンサンブル ゲッダ(ニコライ)
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フォーレの管弦楽曲全集。本当にリラックスできる良い音楽ですね。

以前から大好きな楽曲群でした。特に、1枚目が大好きでしたが、2枚目も素晴らしいです。

昨日の10月12日、このアルバム二枚を朝の9時から13時ごろまで何度も繰り返して聴きました。若干の大仕事をしながらだったのですが、おかげで、大仕事ながらすこしはリラックスできて進められたのだと思います。

1枚目はやはり「マスクとベルガマスク」の第8曲ですかね。弦のピチカートに乗せて、管楽器の青磁のようにアンニュイで美しい合奏が繰り広げられます。ホルンのあげる狼煙のような合図が

2枚目ですと、有名な「ヴァイオリンと管弦楽のための子守唄」が絶品ですね。定番ながらもたゆたうリズムと美しい旋律は、のどか小川のせせらぎを聴くような風雅な気分になれます。

というわけで、今日もまた印象的な一日でした。

台風で大変な方もいらっしゃると思います。どうかみなさまお気をつけ下さい。東京地方はこれからが本番のようです。

それではグーテナハトです。

Vocal

今日は三代テノールのひとり、ルチアーノ・パヴァロッティの誕生日です。天秤座。芸術と生活のバランス感覚などはここから来ているのでしょうかね。

私が初めて聴いたパヴァロッティはこのアルバムの二曲めの「カタリ・カタリ」であることに今日気づきました。

オ・ソレ・ミオ~イタリア民謡集
パヴァロッティ(ルチアーノ)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-05-20)
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おそらくは1988年か1987年のこと。当時、小澤征爾の弟さんの幹雄さんが「やわらかクラシック」という番組をやっていました。毎週聴いていたのですが、その時にこのアルバムが紹介されていたのですね。「Catari, Catari」という歌詞の二回目のCatariの哀愁に帯びた歌い方が印象的で、30年ちかくたった今でも、当時の記憶が蘇ります。

今日も印象的な一日でした。また明日も印象的な一日でありますように。

それではグーテナハトです。

Miscellaneous

違反車

仕事場近くで見つけました。残念。

アムフォルタス、について書こうと思いましたが、仕事でトラブルに巻き込まれかけずじまい。仕事中ずっと気を張り詰めている一週間で、今日は少し早く帰宅して、少しばかり近所で泳いできました。

今週末はあらゆる意味で山場です。難しい舵取り。集団と個人のバランス。などなど、思うところあり。

Inside Out
Inside Out

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今日の一枚。高校の時にこのアルバムを聞いて、「なんじゃこれは。。。」と衝撃を受けました。なんて曲だ、めちゃくちゃだ、と。サックスがバッキングに入ったり、奇天烈なリズムとキメキメフレーズ。こんなフュージョン聴いたことがない、と。。

ですが、今日聴くとそんなことはなく、実にジャジーな一枚です。プーランクやストラヴィンスキーのような、なにか流麗なんだが、いろんな疵や仕掛けが施されている、そういう音楽なのではないかなあ、と思いました。きっと小説もそういう小説が面白いはず。辻邦生もよく読むとそういうアンバランスさをはらんでいることに気づきますね。

それではとりいそぎですがグーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

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はじめに

世の中というのは十二分に非論理的で、自らの努力でその妥当性を変えることはできません。こうなったら、アウト、という状況にならないよう、常日頃細心の注意を払いますが、外的要因でそうした配慮がおじゃんになることなんていうことはままあるものです。だからこそ、常日頃の細心の注意が生きてくるのでしょう。

飯守さんの音楽

さて、今日は先日の新国立劇場《パルジファル》の演奏面について。といっても、後述しますが、オペラにおける演奏面というのは、なにか言葉にするのが難しい物があると思います。

飯守さんの指揮は、じつにゆったりとしていました。それは演奏時間にも現れていて、予定を20分オーバーしたぐらいです。それが、演奏時間のみに起因するかはともかくとして。

ただ、聴いている中では、まったくそのスローテンポに違和感を覚えることはありませんでした。それは奇をてらうようなことはない本当に湧き立つような自然なものでした。そのおかげで、劇空間に没頭できたのです。

以前から思いますが、いいオペラの指揮は、おそらく、それが印象に残らないぐらいがいいのではないでしょうか。音楽についてオペラ公演でかたる、というのは、いい場合もあれば悪い場合もあるのだと思うのです。音楽になにか不自然さがあれば、間違いなく劇空間に入っていけなくなる気がします。今回は、前述のとおり、劇空間に没入できましたので、素晴らしい指揮だったのだと思います。

これと似た経験は、2007年のペーター・シュナイダーの指揮でも感じました。あれが、私の中の最高のオペラ体験ですが、演奏中より、そのあとからその絶妙さを、反省的に認識しました。

逆のパターンも有ります。劇の流れを、自分の方向に矯正しようとする指揮です。まれに聴きますが、個人的には、劇に入ろうとした時に音楽が気になって、あれあれ?、と思うこともあるのです。このあれあれ?、というのは、もちろん良い面も含んでいます。私の考えでは、音楽における「驚き」こそが、音楽の「意味」なのですから。ここでこんなことやりますか? ということをやられてしまった時の驚きが、音楽の愉しみの一つなのです。

ですが、オペラの場合はどうなのか。緊密な一つの劇空間にあっては音楽だけが突出することはできません。もしそれがそうだとすれば、それはバランスを欠いているはずです。

そういう意味でも、今回の演奏は、劇空間を統一に導く、素晴らしい演奏だったわけです。音楽がだめなら、劇に没頭できません。私が、パルジファルの愚者ぶりに感動したり、クンドリの横顔に深い感銘を受けられたのも、音楽に支えられての事だったといえます。

終わりに

指揮者もやはり組織を束ねる長です。《パルジファル》という6時間に及ぶパフォーマンスを発揮させるためには並大抵の努力では足らないでしょう。

オケのメンバーも必死です。ピットをのぞき込むと、フリスクが譜面台に置いてあるのをみて、なにかオケの大変さを思い知った気がします。

芸術だろうが会社であろうが、組織の牽引は同じ。組織の長というものは、組織のために常に闘うものであるべきです。

飯守さんは十全に戦っておられて、オケを引っ張っていたのだ、そう思いました。

本日皆既月食。欠けた月を仕事場の洗面所の窓のブラインドの隙間からのぞきました。太陽に吠えろの石原裕次郎のように(笑)

ではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。