その作家の作品の中で、一番最初にであった作品ほど印象深いものはありません。
それはまるで、ある音楽作品を聴くのが初めてで、その演奏がきわめて印象深かったとき、音楽作品と演奏が深く結びつき、まるで音楽作品と演奏が切っても切り離せない不可分な関係にあるかのように思えるのと似ています。実は、その音楽作品の演奏は、さまざまな演奏者によって行われていて、その演奏の解釈はそれぞれにおいて違うはずで、もちろんどれがもっとも優れた演奏であるといったような命題は陳腐な命題となるのでしょうけれども、その音楽作品を聴いた私にとっては、初めて聴いたその演奏が最も優れた演奏に思えてならないのです。
作家の作品においても、最初に出会った作品において、八分がたその作家の評価を定めてしまいかねず、それがいい方向に向かえば、その作家との良い関係を築くことができるでしょうし、それが悪い方向に向かえば、その作家との関係を修復するのは難しくなることでしょう。そして、前者であったとすれば、それは恩寵とでも言うべき幸福な関係となるに違いないのです。
私が辻作品に出会ったのは、高校2年の年で、炎暑に見舞われた京都から下る東海道本線の座席について、今は休刊となってしまった「音楽芸術」誌を開いたときでした。「樂興の時 十二章」と題された連作短篇集の第11話「桃」がそれだったのです。マーラーの交響曲第3番をモティーフにしたその作品は、老外交官が死に際して己の人生を振りかえるにつけて覚える苦い悔恨と、幼い孫の無邪気さや看護婦の若い力による諦観が描かれていました。
タイトルの「桃」は春の若々しさを想起もさせ、また人間の根源的欲求をも感じさせるモティーフで、老外交官が中国奥地へ赴いたときに、霧中から突如あらわ得る桃畑のイメージが、精神の底深いところに常に存在する若々しさや生への根源的欲求を象徴しているのでした。
マーラーの交響曲第3番では清純な少年合唱が登場しますが、幼い孫たちのイメージと重なります。少年合唱は「ビム、バムBim Bam」という歌詞で始まります。鐘の音は、ミサを想起させますし、果ては葬送をも想起させるのです。短篇中にゴシック文字で挿入されるエピソードに登場する子供たちの姿は、交響曲第3番の少年合唱でもあり、あるいは老外交官を彼岸へと導く天使たちの行進なのかもしれません。
老外交官の苦い悔恨を読んで、自分はそうならぬよう人生を生きなければならぬ、と読んだ当時強く決心したものでした。しかし、現実はそうも上手くゆかないようです。今朝方の通勤電車の中でもう一度短篇を読み返してみたのですが、老外交官の覚えた悔恨に似た人生の苦みを噛みしめたのでした。
しかし、老外交官は、幼い孫たちや若い看護婦との邂逅によって救済され彼岸へと旅だったようにも読めるのです。辻作品はどれも一遍的な解釈を許しません。答えを与えることはしないのです。そこにあるのは現前とした事実の提示とあるべき理想の姿の示唆です。読み手は、事実の提示と理想の示唆の間で、まるで解決を求める不協和音の響きのような心地よい不安定感を感じつつ、その両者を止揚する努力を決意させられてしまうのです。僕が今朝方感じたのもやはり同じ止揚への決意でした。
しかし、なんということでしょう。これまで辻作品を幾度となく読んで何度もこの止揚への決意を感じたはずだったのに、現実世界の濁流に呑み込まれて、そこをただ泳ぐことに必死で、岸辺へと向かい濁流から身を上げる努力を怠っていたことに気づかされたのです。それが、先ほど述べた悔恨に似た苦みだったのです。 ですが、次の二つの引用をもって、辻邦生作品から「生きること」の大切さを再認識したいと思うのです。 そして、また止揚への努力へと自らを奮い立たせようと思うのです。
生きると言うことに後も前もない 今があるだけだった こうして黄金にきらめく海を泳いでいるように今がすべてであり いましかなく 今に抱かれるとき 今は豊かな母の胸に変わっていた
「樂興の時 十二章」/辻邦生/1991年/音楽之友社/200ページ
「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね。裸足でね」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かに向かってゆくのさ」
「サラマンカの手帖から」/辻邦生/1975年/新潮文庫/282ページ
「桃」についてはまだまだ語りたいことがたくさんありますし、辻邦生作品について語りたいことはもっとたくさんあるのですが、今日はひとまずこのあたりで終わりにしておきましょう。