Alban Berg

最近ちまたで話題のGoogle Chrome。Googleがとうとうウェブ・ブラウザを出したというわけです。すこしは時間が自由になるこの週末に私もインストールしてみました。

めちゃめちゃ速い!

ページの描画はInternet Expressより、Firefoxより速くて、ほとんど世界が違うという感じ。 ただ、ネットで読んでみると、まだまだベータ版ですので、トラブったりしているらしいし、いろいろと言いたいことはある。なんでGoogle Toolbarがないんでしょう、とか、Firefoxのようなアドインはないのか、とか。せめて、Google ブックマークを使えるようにしてほしいなあ、など。

ですがこの速さにまさる難点は思い当たらない。特にJava Scriptの処理速度が速くなったので、ブログの管理画面ではきびきびと動いてくれます。しばらくはFirefoxと一緒に使って、徐々に機能が上がっていくのを楽しむことにいたします。

そんなことを思いながら聴いていたのが、アシュケナージがベルリン交響楽団を振ったベルクのシリーズ。「七つの初期の歌」のオケ伴奏版、「ルル組曲」弦楽合奏版、「アルテンベルク歌曲集」、「三つの管弦楽曲」、と盛りだくさんでして、特に「七つの初期の歌」のオケ伴奏版は珍しいのでは? アシュケナージの指揮は濃厚で妖しさを持っています。ベルクはやっぱりいいですね。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==ヴラディーミル・アシュケナージ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ交響楽団
  • ソプラノ==ブリジット(ブリギッテ?)・バリーズ(バレイズ?)

Opera,Richard Strauss

iPod Classicは、メニュー操作でMusicを選ぶと、収録されているアルバムのジャケットをランダムに表示するのですが、昨日、フレミングさんがシュトラウスを歌う「シュトラウス・ヒロイン」のジャケットが表示されまして、これは聴かずにはいられない、と思いまして、何度か繰り返し聞いています。

このCDでは、「ばらの騎士」の第一幕最終部と第三幕の最終部を楽しむことができます。いずれのシーンもマルシャリン(元帥夫人)役が大活躍する場面。大活躍というと大立ち回りという感じがしますが、見せ所といったほうがいいでしょうか。あるいは、「ばらの騎士」の物語の大きな見せ場ともいえましょう。

私はばらの騎士の物語的頂点は三つあると思っています。一つ目は第一幕の最終部、二つ目は第二幕のばらの献呈の場面、三つ目は第三幕最終部の三重唱、です。このアルバムではそのうち二つの場面を聴くことができるというわけです。

第一幕の最終部では、時がたち齢を重ねていくことへの諦念と、いずれオクタヴィアンが自分の元を去っていくことに違いない、という予感が歌われます。自分の若い頃を「まるで去年の雪を探すようなもの」と喩えています。にくい喩え。この境地はやはり30歳を過ぎないと分からないかもしれません。設定上、マルシャリンも30過ぎということになっています。オクタヴィアンは、マルシャリンのそんな気持ちを全く理解できない。若いのですから当然です。若い頃はいい意味で無知ですので、そうした時間への諦念や死への心構えなどはできてない場合が多いですから。今のオクタヴィアンにはマルシャリン以外は見えていないわけです。

第三幕の最終部では、とうとう自分の元を去っていくオクタヴィアンを送り出すと場面。マルシャリンの歌詞を引用。

私が誓ったことは、彼を正しい仕方で愛することでした。彼(オクタヴィアン)が他の人を愛しても、その彼をさえ愛そうと。この世の中にはただ話を聞いているだけでは信じられないことがたくさんある。けれども実際にそれを体験した人は信ずることができるけれど、でもどうしてだかは分からない

カラヤン盤「ばらの騎士」のライナーより

そうそう、そうなのですよ。ここには、オクタヴィアンが去っていくことの諦念と、時間の流れへの諦観が重ねて歌われているわけです。オクタヴィアンと時間が重ねられている。 時の大切さを教える格言はいくつもありますが、若い頃にはその真の意味が分からないのですよ。わかり始めるのは自分が老いへの下り坂を歩いているらしいということが分かり始めてから。 人にも夜とは思いますが、きっと20台の後半からそれが分かり始める。時間の自由を奪われ、階段を上るたびに息が切れ始め、腹囲に脂肪がつき始める頃になってようやく……。私の場合なのですが……。

きっと今は若いオクタヴィアンもゾフィーもいずれはマルシャリンのように時間への諦念を覚えるに違いないという予感。今は若いからいいのですよ。だから二人には分からないのです。

マルシャリンは、時間への諦念に至り、若さの喪失を受け入れ、若さと訣別するわけですが、次は生への諦念と、老いへの準備と、死の了諾というステージがくるはず。時間への諦念とはそういうもの。だからこそ、シュトラウスは第三幕の最終部の三重唱を自らの葬儀で演奏してほしいと望んだのでしょう。

フレミングの声は本当に豊かな声。ビブラートの振幅が少し大きく感じることもありますが、苦手というところまでは行きません(以前にも書きましたが、ビブラートの振幅が大きすぎる女声がどうも苦手でして……)。指揮のエッシェンバッハの意向なのか、フレミングの意向なのかは分かりませんが、演奏はテンポがかなり抑えられています。フレミングの包容力のある豊かな声に包まれる感じ。いいですね。

第三幕最終部は本当に感動的な演奏。演奏者の力もありますが、やはりシュトラウスの音楽の作りと、ホフマンスタールとシュトラウスによって磨き上げられた最終幕に至るまでの物語の力の所産です。

Roma2008

ヴァチカン市国は世界でもっとも小さい国家。面積は0.44km2。人口は821人。(ウィキペディアより)

ヴァチカンという名の由来は、古代ローマ時代にこの近辺がヴァチカーヌスの丘と呼ばれていたことに由来します。ローマ皇帝カリグラがこの地に運ばせたオベリスクが今でもサン・ピエトロ広場に立てられていて、ここが聖ペテロ殉教の地とされています。聖ペテロはパレスチナで漁師をしていたときにイエスの弟子となり、神の代理人となります。教皇はこの聖ペテロの後継者であるがゆえに、漁夫の指輪をしています。

送信者 Roma2008

というわけで、大聖堂に向かって右手奥に観光客が並んでいる列の最後尾につきました。どうやら、まだ並んでいる人は少ない模様で、広場の相当距離の半径を行列を誘導する柵が並べられているのですが、柵の間をすいすいと歩いていく感じ。セキュリティチェックを受けて、大聖堂に近づくと、スイス衛兵が微動だにせず槍を構えています。この入り口から続く階段はベルニーニが作った階段で、奥に行けば行くほど階段や床が小さくしつらえてありますので、実際よりも奥行きがあるように見えます。舞台装置と同じです。

送信者 Roma2008
送信者 Roma2008

いよいよ大聖堂に乗り込みます。振り返るとサン・ピエトロ広場が広がっています。広場を囲む回廊の屋根には何体もの天使像が並んでいますが、この広場を作ったのもやはりベルニーニ。天才的。ベルニーニの父親はトスカナで生まれたのですが、ナポリに移り住んで、そこでベルニーニが生まれます。程なくしてベルニーニ一家はローマへ移り住みます。ベルニーニの天才性を見抜いたのがシピオーネ枢機卿です。このあたりの話は、NHKで放映されていた「世界美術館紀行」でも取り上げられていました。ベルニーニをミケランジェロの再来であるとして、後ろ盾となってくれるわけです。ベルニーニはその才能を如何なく発揮して、彫刻に限らず、建築においても、天才性の刻印を現代にまで遺しているというわけです。

Alban Berg,Opera

さて、今日はキャスト表を載せます。

この中で気に入っているのが、まずはシェーファーさん。ライヴということもありまれに少々ピッチが気になることもあるけれど、それを超えてあまりある美しさ。映像でみるともっといいのですけれど。それから、アルヴァのデイヴィッド・キューブラー氏。この方は、ティーレマンの「アラベラ」DVDでマッテオを演じておられた方で、張りのある声がいい感じ。映像でも切迫した感じをよく出していらっしゃったと思います。画家/黒人役のステファン・ドラクリッヒは、神経質で世間知らずでルルに振り回される画家の役をうまく歌っておられます。

ルルでは随所でアルト・サクソフォーンが活躍しますね。いい音です。つやと丸みの同居した輝く石のような音。ああいう音を目指せばよかったなあ、と少々思ったり。

「ルル」で思い出したのは、あの物議を醸した新国立劇場の「ルル」の顛末。確か2005年の2月だったと思います。三幕上演する予定だったのですが、演奏家のレヴェルの問題で第三幕の上演を見送り、キャストを入れ替えたのです。私は、ちょうど会社関係の結婚式が急に入ってしまいいけなかったのですが、代わりに見に行った家人によれば、第三幕の代わりに、おそらく「ルル組曲」からの抜粋を演奏したのだそうです。2003年には確か二期会でもルルを演奏したはず。こちらは三幕まで演ったのそうですが、旅行に行った関係で見に行けませんでした。「ルル」は是非にも実演に接してみたいオペラです。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==アンドルー・デイヴィス
  • 管弦楽==ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
  • ルル==ソプラノ==クリスティーネ・シェーファー
  • ゲシュヴィッツ伯爵令嬢==メゾ・ソプラノ==キャサリン・ハリーズ
  • シェーン博士/切り裂きジャック==バリトン==ヴォルフガング・シェーネ
  • 衣装係、馬丁、学生==バス==パトリシア・バードン
  • 支配人、銀行員、医事顧問、教授==バス==ジョナサン・ヴェイラ
  • 画家、黒人==テノール==ステファン・ドラクリッヒ
  • シゴルヒ==バス==ノーマン・ベイリー
  • アルヴァ==バリトン==デイヴィッド・ケネス・キューブラー
  • 猛獣使い、力業士==バス==ドナルド・マクスウェル(→マックスウェル)
  • 王子、下男、侯爵==テノール==ニール・ジェンキンズ

今日もようやくと更新。仕事のトラブルがなかなか収まりません。それどころか、新たなトラブルが発生。顧客側で政治的な動きがうまくいかず、表沙汰になった形。今日は上司と一緒に取締役に事象説明。まあ、取締役といっても数年前までは私の上司だった方ですので、話しやすいのですけれど。明日も無事に過ごせますように、という感じです。

しかしこの一ヶ月はトラブル続き。しかも同時多発テロ状態。いろいろなところでトラブルが吹き出している。しかもそれはすべて私のユニットで起こっている問題。ユニットリーダーはへろへろになっていますが、うまく裁けば、ユニットリーダーは男を上げることになるでしょうし、評価も高まることでしょう。

Alban Berg,Opera

私が初めてベルグ作品に接したのはおそらくは1997年から1998年にかけての頃でした。以前にも書いたことがあるかもしれませんが、NHK-BSで、1996年のグラインドボーン音楽祭で演じられたルルが放映されたのをみたのです。これは強烈でした。グレアム・ヴィックの抽象的にも具象的にもとることのできる円形の舞台上で演じられる、先鋭的で叙情的で凄惨なルル劇の世界を、食い入るように見たのを覚えています。シェーファーさんは、澄んだ美しい声で、魔性的女性をすばらしく演じています。

その後、2004年にこの演奏がDVDにて発売されまして、早速購入しました。最近の私的なベルクブームに乗った形で再聴していますが、音だけを聴いてもすごくいい。ライヴの疵はなくもないですが、シェーファーさんの声がすばらしくて、高音域まで豊かな声です。これで、ルルのアリア歌われてしまえば、もう何も言うことなくため息が出るばかり。

ルルについてもいろいろ考えたいのですが、今日は時間切れ。

ここのところ、トラブル続きでいろいろと大変。仕事にトラブルはつきものです。原因が自分になくともトラブル対応をするのも組織が故。組織には助けてもらうこともありますので、ギブアンドテイクだとは思います。

Opera,Richard Strauss

いつも充実した記事を楽しませてくださるさまよえる歌人日記さん取り上げられたドホナーニのばらの騎士が届きまして、早速iPodにいれてみました。 教えてくださったさまよえる歌人日記さんにこの場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございます。

グンドゥラ・ヤノヴィッツさんが元帥夫人、イヴォンヌ・ミントンさんがオクタヴィアン、クルト・モルさんがオックス男爵、ルチア・ポップさんがゾフィーと来れば、垂涎もの。加えて、カメオ出演のイタリア人歌手はパヴァロッティ様ですので、言うことはないです。

録音は1978年です。ライブ録音ですし、時代も時代ですので、録音状態は万全とはいえません。おそらくはFM放送のエアチェックをCDにしているはずで、ジジというFM特有の懐かしいノイズが乗っているのが分かります。音も少々揺れます。まあ、昔はこれぐらいの音質のエアチェック・テープをむさぼるように聴いていましたので、それを思えば何とやら、です。

まだざっとしか聴けていませんが、印象を。

1978年といえば、ヤノヴィッツさんは40歳ごろですので円熟期に差し掛かったころでしょうか。これまで聴いてきたヤノヴィッツさんよりもビブラートが強い、とも思います。私の大好きなベームとの「カプリッツィオ」の録音が1971年ですのでそれよりは少々お歳を召してからの録音となりましょうか。第一幕の元帥夫人のモノローグの部分を帰宅時の電車で何度もききましたが、ヤノヴィッツさんの新しい一面をみた感じ。意外と力強い元帥夫人です。「カプリッツィオ」の若々しい伯爵夫人(令嬢)でも、「ヴァルキューレ」でのはかないジークリンデとも違いますが、透き通るような高い声を聴くとうれしくなります。

クルト・モルさんはつややかな声質が感じられてこちらもうれしくて仕方がありません。ポップさんはゾフィーの持つはかなさというよりは、技巧的美しさとある種の力強さが出ています。心をしっかり持ったゾフィー像とでもいいましょうか。ミントンさんのオクタヴィアンは倍音を多く含んだ豊かな声質で、安定感があります。ドホナーニさんの指揮はあまり奇をてらうことのないさわやかな演奏ですが、聴かせどころでは、音量やテンポを少し大きめにコントロールして、心情表現をうまくやっておられます。

録音が今一つなところもありますし、ライヴならではの疵も少々ありますので、初めて聞くという方にはお勧めできないと思いますが、ばらの騎士ファンにはお勧めの一枚です。私も十二分に楽しんでいます。

Alban Berg

最近ベルクに執心しているのはどうしてなのかは分かりません。決して易しい音楽だなどとは口が裂けても言うつもりはなくて、難しくて仕方がないです。無調感、12音音楽的な響きが調性の持つ安心感を取り去って、聴きながら浮遊するような感覚。決してフリーキーなジャズなどとは違います。どのように計算されているのか興味深くて、今度譜面を買ったり、文献を読んだりしよう、と思っています。

ABQ(アルバン・ベルク弦楽四重奏団)の古い録音を聴いています。新しいほうはEMIですね。TELDECの古い録音のほうが、むしろ柔らか味を帯びていて、新しい録音の尖鋭さが幾分和らいでいるように思えます。仕方がないのですが、少々SN比が高い。時代ものですから、過度に問題視するつもりはまったくありません。それよりも、ABQの音の変わり方のほうが気になりました。演奏もやはりEMIでの新録音のほうが緊張感にあふれているようにも思えます。しかしTELDECの古い録音には、滋味と申しましょうか、なにか優しさすら感じます。どちらが好みか? あえて申せばEMIの新しい録音でしょうか。激しさや凄味はEMIの録音に軍配が上がりそうです。

画像はTELDECではないですが、ジャケット写真が手持ちのTELDECのジャケット写真と同じなので、おそらくは音源は同じだと思われます。

今日も(締め切りすぎましたが)、なんとか更新。明日はルルについて書くか、日曜日に入手した「ばらの騎士」のことを書こうか、という感じです。