苦悩する強さ──1962年バイロイト《パルジファル》におけるジョージ・ロンドンのアンフォルタス

はじめに

メガネを新調しました。今、流行のJ●NSにて。
ですが、色々失敗。
まず、度数調整を失敗。
目が疲れるのでPC用ということにしたので、度数を測るときにiPadを持って行って、距離を測りました。実際に使ってみると、iPadを使う時とPCを使うときは微妙に距離が違います。その差はおおよそ10センチ。その差が致命的。iPadは快適ですが、PCはダメ。肩こりがひどくなってしまいました。
次の失敗。ブルーライトカットなんで、メガネが薄茶色なんですが(すこし予想はしていたんですが)私がかけると、完全にあっち系の人に見えるらしい。これではガードマンに止められて出勤できません(おーげさ)。形はいいのですが。

クナッパーツ・ブッシュのパルジファル



今年の夏は、ワーグナーの研究をしないと。というわけで、今日はパルジファルを聴きました。
クナッパーツブッシュのバイロイトにおけるパルジファルの録音は複数残されていますが、私が聞いているのは1962年の録音。
パルジファルはジェス・トーマス、グルネマンツはハンス・ホッター、そしてアンフォルタスはジョージ・ロンドンです。

ジョージ・ロンドンのアンフォルタス

ジョージ・ロンドンのアンフォルタスには感動しました。
私は、アンフォルタスに一番共感を覚えます。
アンフォルタスは聖杯を守る城主。ですが、「罪」を犯し、槍の傷に苛まれている。
苦悩に耐え、死ぬことも生きることも能わない地獄にいる男。自分の弱さがゆえと知っているからこそ、誰をも責められず、ただ自らを責め続け、自らの責めに苛まれている。
聖杯の守護という重責を担うにはあまりに人間的。全然ヒーローなんかじゃありません。
ジョージ・ロンドンのアンフォルタスは激しい。全然枯れてなくて、苦悩しまくっています。苦悩しているのですが、が、苦悩を続けているからこそ得た強さのものを感じます。多分、普通に生きるには十分に強い王なのです。ですが、生半可に理想を求めてしまったのですね。
パルジファルが第二幕で「アンフォルタス!!!」と絶叫して、アンフォルタスと同じ罠にはまらない箇所がありますが、あそこは、パルジファルを通してアンフォルタスの胸中を見る思いがして、2010年の東京春祭では、あの場面で思いっきり泣いて、浄化された記憶があります。というか、本当に浄化されたんだろうな、と思います。

録音について

私の持っている録音は、1993年7月発売。S/N比は若干高めですが、そんなに気になるまではありません。
クナッパーツブッシュの1962年の録音についてはこちらのサイトが詳しいです。
http://solarisu.sakura.ne.jp/Record/Parsifal-Kna62/Parsifal-Kna62.html
この録音なんですが、第一幕と第二幕に途切れがないように聴こえます。いや、第一幕の最後で拍手がないのはいいのです。それが慣例なので。ですが、休憩なしというのは大丈夫なんですかね。

終わりに

カミさんに駄目だし食らったので原稿はまだ出来上がらない。おっしゃるとおり。それじゃあ書評にならんよ。。締め切りは水曜日。大丈夫か、オレ。