Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

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DCF_0013 posted by (C)shush

新国立劇場12月のオペラ公演である「ドン・ジョヴァンニ」のオペラトークに行って参りました。刺激的な90分で実にinterestingな内容でした。

  • 司会==黒田恭一氏
  • 指揮==コンスタンティン・トリンクス氏
  • 演出==グリシャ・アガサロフ氏

本来なら、芸術監督の若杉弘さんが登壇されるはずでしたが、前回に引き続きご病気とのことで、かわって音楽評論家の黒田恭一さんが司会として登場されました。

まずはトリンクス氏のお話から。 トリンクス氏はカールスルーエ生まれの若き俊英。大野和士さんの薫陶を受け、来季からはヘッセン州立歌劇場の音楽監督に就任予定。今回が初来日とのこと。ドン・ジョヴァンニの指揮は三度目ということで、キャリアとして若いにもかかわらず三度も振っているのは珍しいのでは、とおっしゃっていました。 今回のドン・ジョヴァンニの公演においては、初演版であるプラハ版と、その後モーツァルトによって改訂されたウィーン版のうち、ウィーン版を中心にしますが、プラハ版のみに存在するアリアなどは復活させるなどして、ウィーン版とプラハ版をあわせた版とでもいうべきバージョンで演奏するとのこと。

また、ピリオド奏法の要素を取り入れて、たとえば、弦楽器や木管楽器のビブラートを小さくすることでモダン楽器でありながらピリオド奏法の良さを引き出すといったことを試みるそうです。トリンクス氏は、古楽演奏にも造詣が深いとのことで、こうした観点が出てきたのだと思います。もっとも、現代のオペラ劇場という、初演当時とは異なった環境で演奏されるものですので、すべてを古楽風にするのはナンセンスであると行った趣旨のことを述べておられました。

ここで、トリンクス氏はこれからオケとのリハーサルがあるということで、退場され、続いて、演出のアガサロフ氏のお話し。アガサロフ氏もドイツはジーゲンのお生まれ。キャリアのあるベテランの演出家でして、チューリッヒ歌劇場芸術監督を務めておられます。新国立劇場では、「カバレリア・ルスティカーナ/道化師」、「イドメネオ」に続いて三度目の登場。

今度の演出は、良い意味で「保守的」なものなのだそうです。今の欧州における演出のはやりは、オペラの舞台を現代に置くというもの。ですが、今回の演出では時代設定は初演当時に合わせることにしたそうです。というのも、批評家は保守的な舞台を批判することがしばしばなのですが、聴衆は「保守的」な舞台を望んでいる部分が多いのではないか、というのがアガサロフ氏の見解でした。アガサロフ氏もトリンクス氏も同様に自分たちはよい意味で「保守的なのである」とおっしゃっていました。

一方で舞台設定ですが、登場人物の名前がスペイン風であることを除けば、設定上の舞台であるセヴィリアにこだわらなくて良いのではないか、というのもアガサロフ氏の意図でして、原作者のダ・ポンテがカサノヴァと知己であったという事実から、ドン・ジョバンニをカサノヴァに重ね合わせルということで、舞台をカサノヴァが「活躍」したヴェネツィアに置くということにしたそうです。また、演じられる場面はすべて夜であると言うことに着目して、ヴェネツィアの夜の幽玄さをだすような舞台にしたい、とおっしゃっていました。

ドン・ジョヴァンニは、奇をてらった演出ではなく、落ち着いた演出になりそうですね。

その後は、ピアノ伴奏で以下の三曲が演奏されました。

  1. 第一幕第七曲「お手をどうぞ」(ドン・ジョバンニ/ツェルリーナ)
  2. 第一幕第十一曲「シャンパンの歌」(ドン・ジョバンニ)
  3. 第一幕導入曲より(ドン・ジョヴァンニ/騎士長/レポレッロ)

ドン・ジョヴァンニを歌われた星野淳さんがすばらしかったですよ。歌ももちろん、挙措もドン・ジョヴァンニ的で、オペラを歌われる歌手の方々のすさまじい技量に感嘆でした。尊敬してやむことがありません。

ちなみに、会場は新国立劇場の中劇場だったのですが、オケピットを床下に収納して、オケピットの上でトークをしたり歌ったりしていました。客席と非常に近いところでお話を聞けたり、歌を聴けたりしましたので、臨場感があってよかったです。

というわけで本公演がとても楽しみ。予習もしないといけませんね。

 

Classical

嵐のようなトラブルは過ぎ去りぎみで、今日の仕事は久々に落ちついたものになりました。東京も今週から途端に寒くなって、11月だというのに、気温的には年末と同じぐらいになったそうです。

いよいよ年末が迫ってきたわけですが、今年の振り返りをする季節になったということです。ところが、大変残念なことに年始に建てた今年の目標、ぜんぜん達成できていないです。欲張りすぎでした。すいません。来年はもう少し身の丈にあった目標を立てることにします。

とはいえ、まだ今年は終わっていませんのであきらめてはいけません。せめて読書だけでも目標に近づきたいです。 読んだ本はといえば、ここで紹介できるような本ではないです。要はビジネス書の類を読みすぎました。少々後悔です。

それにしても、一年を通して年末年始休暇ぐらいしか心休まる休日はないなあ、と思います。ウチの会社ですと、夏休みはなくて、個人個人が業務に応じて一週間休みを取れる仕組みです。夏休みとはいえ、他の方々は働いていらっしゃるわけで少々気が引けるのですよ。そういう意味では年末年始は皆さんお休みですので気兼ねすることなく羽を伸ばせるというわけです。楽しみですね。

さて、昨日から、プロコフィエフの交響曲6番を聞いていたのですが、10回ほど聴くとさすがに疲れてしまいました。プロコフィエフの旋律はとても捕らえにくくて、捕まえたと思ったらすぐに逃げて行ってしまいます。どうやって語れば良いのか。標題音楽的ではないにしても、第二次大戦の記憶が埋め込まれているのではないかと思うのですが、それぐらいしか語れない。私にはまだ難しいということでしょうか。

曲調はショスタコーヴィチにとても似ていると思います。それからピアノの使い方が効果的ですね。第二楽章の前半は重苦しいねっとりとした感じで始まるのですが、中盤には拍節のパルスが現れて、急激に曲調が変わります。このあたりの感覚も難しくてなかなか語れない。もう少し想像力を磨いたほうがよさそうです。

小澤さんの指揮は明快だと思いますし、爽やかさすら感じます。ベルリンフィルの演奏も傷を感じさせない完成されたものだと思います。

プロコフィエフばかり聴いていたので、モーツァルトやバッハのみずみずしさが心地良いです。もちろんプロコフィエフが嫌いというわけではないです。同じ音楽ばかり聴くと、なぜか感動が薄まっていくというところ。モーツァルトだって、何度も何度も聞けば疲れますよね。美的な感興というものはある種の驚きを伴うものですので不思議ではないのですが。

Alban Berg,Opera

昨夜の夕食時、家人と一緒にベルクの「ルル」のDVDを見ました。とはいっても最初の30分ほどでしたが。映像は、クリスティーネ・シェーファーが脚光を浴びたグラインドボーンでの「ルル」公演。アンドリュー・デイヴィス指揮のロンドンフィルハーモニック管弦楽団。 この映像、おそらく初めて全曲通して観たオペラ映像です。これまでも何度か取り上げたと思います。

最初のあたり、第一場、画家とルル(シェーファー)の演技のきわどさに、二人で「怖いねー」などといいながら見ていたのですが、第二場で、シェーン博士とルルの過去が言及され、にわかに緊迫し始めて、食い入るように見てしまいました。今日は30分ほど見ておなかいっぱい。

しかし、奥深いドラマです。シェーン博士や画家、医事顧問官を死に至らしめる魔性の女としてのルル像という見方もありましょうし、逆に「踊り子」として、おそらくはつらい生活を送っていたに違いないルルが、シェーン博士にすくいあげられたという、救済物語としてみるとすると、ルルはシェーン博士のエゴの被害者なわけですね。最近ではどうも後者の読み方のほうがしっくり来るような気がしています。シェーファーの妖艶なルルをみると、どうしてもルルの「強さ」に見方が傾いてしまいますが、違う読み方もできると言うことのようです。

それにしても画家が死んだ医事顧問官にかける言葉が怖いです。

「私はあなたとかわりたいよ。彼女をあなたにかえすよ。その上に私の青春をあなたにあげよう」

ルルの魔力にすでに絡め取られていながらも、足をばたつかせて逃れようとする若き画家の恐れ。恐ろしい。恐ろしい。

また続きを見ることにいたしましょう。

Classical

思い立って、プロコフィエフの交響曲第5番を聞くことにしました。CDラックに眠っていたものです。iPodに全7曲の交響曲を入れ終わりました。指揮は小澤征爾さんで、演奏はベルリンフィル。グラモフォンの廉価版ボックスCDです。

昨日から少しずつ聴いているのですが、思い起こせばプロコフィエフの交響曲はきちんと向き合って聴いたことがない。1番の「古典交響曲」はジュリーニの指揮小さい頃から何度も聴いていましたが、5番、6番を社会人になりたての頃にそろりと聞いたぐらい。すっかり忘れ去っていますが、確か晦渋な曲である印象でした。そういう意味ではプロコフィエフといえば、私にとってはアルゲリッチとアバドが演奏するピアノ協奏曲第三番だけだったような気がします。不勉強ですが。ともかく、今回iPodにプロコフィエフの全交響曲を入れてみると、あらためて交響曲の世界に身を浸す喜びを感じます。

昨日聞いた第1番ですが、「古典交響曲」ののとおりハイドンらしい小粋な感じの曲。小澤さんの指揮で聴くとフランス音楽のような爽やかさを感じます。改めて聴くと良い曲です。

交響曲5番は今朝から聞き始めました。良いですね。ショスタコーヴィチに似ている気がします。長和音と短和音が混ざり合っています。意外にもフランス音楽の響きが聞こえてきて、フランクの交響曲のような和声が聞こえたりします。これは小澤征爾さんのフランス的な部分が発露しているといえましょうか? 旋律的にはドイツ的な朗々と歌うような旋律美はないのですが、旋律が繰り返し違う色合いで代わる代わる現れる感じです。あるときは深い茶色、あるときは深い紫色。

とはいえ、交響曲第5番の四つの楽章は、二つに分けることができるといえましょうか。第一楽章と第三楽章は重々しく行進する楽章、第二楽章と第四楽章は舞曲的なリズミカルな楽章です。作曲されたのは1944年。第一楽章と第三楽章の威儀ある感じは、戦争中の空気を反映しているのでしょう。

すこしカミングアウトしますと、このCDを買った当初、そうですね、もう7年ぐらいまえになるでしょうか、そのときに一度聴いたときに、全く受け入れることができなかったのです。どうしてかは分からなくて、それがもしかしたら小澤さんの指揮だからなのか、と勘違いしていたようなのです。小澤さんの指揮に対する苦手意識はこの頃からあったのかもしれません。もちろん、今回聞き直してみて、そうした苦手意識を払拭することができたのですが。

European Art,Roma2008

ヴァチカン美術館の至宝はいくつかあるけれど、その中でも最重要なものに数えられるのが、ラファエロの手による壁画で、特に有名なのが世界史の教科書や資料集の手合いには必ず登場する「アテナイの学堂」。だが、壁画の部屋には観客がすし詰め状態。山手線ぐらい込んでいて、ゆっくり見ることなんてできやしない。部屋は薄暗くて、写真をとってもちゃんとピントが合わない。だが、壁画が思った以上に大きいのには驚いた。

ローマに来てからのラファエロは少し変わってしまったようにいったんは思っていた。ローマ以前に描いた聖母子像のたおやかさは消えてしまい、なんだか実利的なお抱え宗教画家になってしまったような感があったのだ。そういう意味では、壁画の折衷的な雰囲気に少々さびしさを感じた。でもこの壁画を描いたのが1508年から1511年(25歳~28歳にかけて。あのドレスデンの絵画館にある「システィナの聖母」は1512年頃(29歳)。「システィナの聖母」をみたときの強烈な衝撃は忘れられない。まだまだラファエロの力は衰えるどころかまだまだ進化しているというのが本当のところだろう。下の写真が「システィナの聖母」で2006年の旅行で撮影したもの。

「システィナの聖母」の凛々しさは、「キリストの変容」の力強さへと続く。美術館の出口近くの展示室の「キリストの変容」を見て、やはりたおやかさは消えたけれども、そこには雄々しさとか強い意志が感じられる。すさまじい迫力。超自然的な神々しさ。野心的な色遣いや構図。

ラファエロは確かにローマで変わった。ローマで何が変わっていったのか、いつかラファエロの側に寄り添ってみたいと思うのだった。

Roma2008

ヴァチカン美術館の古代ローマ彫刻のコレクションはすばらしい。有名なラオコーンや、アポロ神像は言うに及ばず。あまりにもたくさんの彫刻がごろごろしているので、その偉大さが薄れてしまうと思うぐらい。

ラオコーンやアポロをみてうれしかったのはもちろんだが、皇帝ティトゥスの像を見つけたときは本当にうれしかった。この短命に終わった偉大な皇帝のことは、塩野七生さんの著作で感銘を受けた。

というか、塩野さんのローマ人を呼んで元気付けられたことを今になって思い出す。ローマの将軍や皇帝の偉業に比べれば、今やっている仕事なんて簡単すぎる、ということで、今年の5月~7月ごろはかなりアグレッシブに仕事に打ち込んだもの。最近はそうした塩野さん効果が薄れてしまったのだろうか。また読むとしよう。

ラファエロのことを書きたかったが、それは次回へ。ちょっと調べ物がありますので。

Classical

仕事がとんでもないことになっています。こういうときは、身をかがめて過ぎ去るのを待つだけ。黙々と作業をして折衝をして泣きを入れて、みたいな。まあこういうこともあります。でも今年は会社に入ってから最大の当たり年な気がします。

こういうときにベルクの「ルル組曲」を聴いたり、ウェーベルンをつまみ食いするのはよくありません。かえって落ち込むだけですので。

明るい南欧の空気を吸いに行きましょう。といっても、向かうのはハイドパーク@ロンドン。雨が振っていますが、彼の周りにはさんさんと陽光が降り注いでいるのが見えます。音楽の聴き方としては邪道かもしれませんが、聴きたい音楽だってその時々の気分に左右されるものです。

そうして聴いているパヴァロッティの録音。以前にも取り上げたことがあると思います。 取り上げられている曲の中でも、オペラのアリアよりもイタリア民謡のほうに食指が動いてしまう。またいつかは行きたいイタリア。いつのことになるでしょうか。そうそう遠くはないと思いたいところですけれど。

お勧めは、Mamma(Bixio)とかLa mia canzone al vento(Bixio)。非常にステレオタイプなイメージですが、日差しの強いイタリアの街路を歩いているイメージ。このCesare Andrea Bixioという作曲家は1896年生まれで、イタリア歌謡を作曲した方。1978年になくなられています。パヴァロッティが取り上げられて有名になったとか(from Wikipedia)。

音楽はいいですね。美しく好奇心を刺激してくれるベルクのような作曲家がいる一方で、快闊でさっぱりした朗らかさを持つ曲もありますし。いつでも音楽を聴けるような会社に入れるといいのですが。.

Wolfgang Amadeus Mozart

トスカニーニの振るモーツァルトの39番、40盤、41番のCDを図書館から借りてきました。トスカニーニの演奏にはこれまではそうそう親しんでいたわけではありません。ファルスタッフやボエームの録音は聞いたことがありましたが、ドラマティックで激しく情感的な演奏だな、という感想でした。それから映像で見た「運命」の指揮もすごかった。第4楽章の入りの場面だったのですが、気合の入り方が尋常ではなかったです。それで、いつかはトスカニーニを体系的に聞いてみたいものだ、と常々思っていたのです。

幸い、図書館にトスカニーニのCDが何枚かありましたので、借りてきて聴いてみることに。 トスカニーニのモーツァルトの交響曲は、実に個性的ですね。これまでこんな演奏は聴いたことがないです。細部にわたって実は緻密に音量やテンポのコントロールをやっている。テンポのコントロールはややもすれば過剰と思われるギリギリのところまでコントロールしている。音量のコントロールも同じ。最近の指揮者もテンポを動かすのですが、動かし方が違うのです。先日の新国立劇場の「トゥーランドット」を指揮したアッレマンディ氏の場合もやはりテンポを大胆に動かしていましたが、トスカニーニのように細かいレヴェルまで動かしていたかというとそうではなかったと思います。トスカニーニの場合、音楽の流量や水圧を損なうことなくテンポやボリュームを変えているという印象です。聴き方によってはテンポの変更は計算されたものというよりかなり直情的なものにも思えます。

アーティキュレーションも独特に思えます。40番の第三楽章の旋律を聴いたときには、おやっ、と思いました。

 三曲の交響曲を聞いた中で一番印象的なのが39番の3楽章でした。三拍子の舞曲的楽章なのですが、縦割りにきっちりそろったリズムで激しく演奏されています。クライバーの運命を聴いたときに、第三楽章でコントラバスの一糸乱れぬ合奏を聴いてたまげたことがありましたが、あの時と同じぐらいの驚愕。こういう音楽もあるんだ、と思うぐらいです。

あとは、非常に劇的な40番の第一楽章が印象的です。トスカニーニはオペラを振るような感覚で交響曲を振っているのではないか、などという感想を持ちました。ドラマティックで激しくて、オペラ的な愛憎劇が重ねられているといっても過言ではありません。特にソナタの展開部以降はすさまじいです。

私は、クラシックを聴いている絶対量があまりに少ないので、トスカニーニのような偉大なペルソナについてとやかく感想を各資格はないのかもしれませんが、浅学菲才の身ながらもなんとか書きたいと思うことを書いているわけです。はやく音楽をきちんと聴けるようになれるといいのですが。

Classical

iTuneストアで、メシアン生誕100年のアニヴァーサリーボックスが1500円で売っていました。全部で168曲入っているのに1500円です。衝動的に購入。しかし買ってよかったです。CDだとHMVで7947円です。Ituneだと解説書のたぐいはありませんが、それにしても安いですね。ITUNEをお持ちの方は以下のリンクをクリックすると試聴できます(私が試したときはできなかったけれど、あと数時間でできるようになるそうです)。

メシアン生誕100年 icon

以前、iTuneストアで1500円のボックスCDが大量放出されたことがあったのですが、そのときは祭りに乗り遅れてしまい購入できませんでした。今回は何とか間に合ってよかったです。もし購入されるのならお早めに購入された方がよいかもしれません。いつ消えるかわかりませんので。

さて、最初のメシアン体験は中学生の頃で、トゥランガリラ交響曲をNHK-FMでエアチェックしたのが始まりでした。オンドマルトノの音にぶったまげて、なおかつ曲名がサンスクリット語なのだという説明にもぶったまげました。当時関西に住んでいて、休みの日に京都の三十三間堂にいったのですが、そこで仏像の説明にサンスクリット語が書かれていて、ああ、これってメシアンだ、みたいな妙な感動をしたのを覚えています。当時のカセットテープはいずこかへ消え去りましたので、それ以来トゥランガリラ交響曲はお預けでした。ですので、もう20年ぶりぐらいに聴く感じです。プレヴィンがロンドン交響楽団を振っているのですが、きらびやかに安定していて、全く違和感なく入っていくことができます。トゥランガリラというのはサンスクリット語で愛の歌という意味なのだそうですが、派手なヒンズー教の宗教画が舞い散っている感じで、迫力があります。いいですねー、メシアン。

楽章名を書いておきます。

  1. 導入部
  2. 愛の歌第1
  3. トゥランガリラ第1
  4. 愛の歌第2
  5. 星たちの喜び
  6. 愛の眠りの園
  7. トゥランガリラ第2
  8. 愛の展開
  9. トゥランガリラ第3
  10. 終曲

メシアンの曲でもう一つ思い出深いのが「主の降誕La nativite du Seigneur」というオルガン曲集で、これも中学生の頃狂ったように聴いていました。もちろんこの曲もこのボックスに所収されているのですが、戦前モノラル録音の古いもの。ですが、これはどうやらメシアン自身の演奏のようです。メシアンのオルガンの演奏は派手さはないですが(録音のせいかもしれません)、緻密に律儀に演奏しています(あやうく「高い精神性」みたいなことを書きそうになりましたが、私は実際にはそこまで見破れません)。

 しばらくはこのメシアンボックスで楽しめそうです。