Tsuji Kunio

73年三羽烏という言葉があるそうです。辻邦生、加賀乙彦、小川国夫の三名をさしてこういうのだそうですが、この方々は1973年に純文学界で活躍したということで、辻邦生「背教者ユリアヌス」、加賀乙彦「帰らざる夏」、小川国夫「或る聖書」が話題になったからだそうです。

この言葉はネット上ではウィキペディアに存在するのみ。それ以外ではあまりさしたる情報が出てきません。

もう一つは小谷野敦さんの「現代文学論争」のフォニイ論争の項目において取り上げられています。

現代文学論争 (筑摩選書)
小谷野 敦
筑摩書房
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というわけで、フォニイ論争のことを考えなければなりません。少し気が重いですが、いつかは考えなければなりませんので。

Tsuji Kunio

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相変わらず人参畑。太陽の光がバターのようです。

まいどすいません。「春の風駆けて」を読んでいます。

「真晝の海への旅」って、映画化が計画されていたんですね? 実際にどうなったのか、調べていますが、どうもよくわかりません。「北の岬」が映画化されているのは有名ですが。

黒澤明と仕事をしていたプロデューサの松江陽一氏が映画化しようという話があって、どうやらイタリアの若手監督を起用する、というはなしになっていたようです。そうか、日本語ではない映画化、ですか。もう少し調べてみようと思います。

「真晝の海への旅」、一度読んだきりです。それも20年ほど前に。私の友人がこの本を読んで「これはマンだ!」と言っていたのを記憶しています。

ちょっとこちらも再読しないと。

では取り急ぎ。

Tsuji Kunio

春の風駆けて―パリの時
辻 邦生
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うーむ、本当に赤裸々な感じ。

社会主義が実現するには人間が変質しなければならない。貨幣が鋳直されるように、鋳直される必要がある。それはドストエフスキーの小説の中の人物が願望するような意味で、人間が改造される必要がある。人間が一歩神に近くならなければならないのだ。

辻邦生「春の風駆けて」より

辻邦生は、当時の知識人なら誰しもそうだったように、社会主義へのなにかしらの共感なようなものがあったと思います。それは「ある生涯の七つの場所」において、色濃く現れているように思います。人民戦線の物語となればそうなるでしょう。

ともかく、ここに書いてあることに従うと、社会主義は無理だったということなんでしょうね。

私が読んでいるのは1981年3月のころの様子です。ちょうど、ジスカール=デスタンとミッテランの大統領選挙が行われていた時で、時節柄、政治的な考察も随分と掲載されています。私、テレビで、学生が「ミッテラン」を連呼する映像を見ましたが、いまでもそれを覚えております。

では、グーテナハトです。

Tsuji Kunio

春の風駆けて―パリの時
辻 邦生
中央公論社
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いや、この「春の風駆けて」は、赤裸々、ということを昨日書きましたが、以下の様な文章も、あの辻先生をして、と思わせる切迫感があります。

ぼくは才能の存在など信じないと行った。「それが好きかどうかということだけじゃありませんか?好きだったら、朝から晩までそれをやるんです。それも一日二日ではなく、毎日毎日、生きている限り、二十年も三十年も。現代のような時代にものを創るということは、それについて何を言われようと、何を考えようと、自分の意見にすら摑まらずにその一歩先を走ることじゃありませんか」

ぼくはJ子さんを慰めるというより、明らかに自分を弁護している。だが、これ以外に何を言えよう。

辻邦生「春の風駆けて」73ページ

いやまあ、もうこういうことを仰るのですが、これは別に小説家に限ったことではないのでしょうね。一般的な物書きだろうが、プログラマだろうが、スポーツ選手だろうが、ピアニストだろうが、こういうことなんでしょう。才能なんてものはなく、ただひたすら続けるんですか、という感じ。

そういえば、辻邦生の言葉「ピアニストがピアノを弾くように文章を書け」という言葉をさらに思い出します。

この引用した部分、10年以上前に読みました、当時も線を引いてあって、栞まで挟んでありました。さすがに印象的な場所です。

というわけで、今日もグーテナハトです。

Tsuji Kunio

パリのデモ行進のこと

パリで起きた、テロ事件の件。風刺週刊誌「シャルリ・エブド」の襲撃事件。それを受けたデモが日曜日にありました。フランス全土で370万人が参加したとのことです。

このデモの映像を検索してみたところ、以下のリンク先の画像が出てきました。

http://www.jpost.com/Operation-Protective-Edge/New-anti-israeli-demo-in-Paris-despite-government-ban-368992

振られている旗が、パレスチナの旗で、あれれ、と思ったのですが、記事を読んでみると、昨年7月の反イスラエルのデモ行進でした。日曜日のデモと同じく共和国広場からバスティーユへ向けて行進したそうで、警官隊と衝突がおこり70名が逮捕されたとのことです。

エルサレム・ポストの記事ですので、なにかしらのバイアスがかかっている可能性もありますけれど。

で、思ったのは、性格が異なるデモが同じ所で発生する、というところに、なにかフランスの奥行きのようなものを感じました。

ちょうど、昨日から手に取った辻邦生「春の風駆けて」の中に、1980年にミッテラン大統領が当選した時の様子が書かれています。これは「雲の宴」の冒頭にも取り入れられているものです。革命の国フランスらしいものだと思います。

フランス国内での捉えられかた

さて、今回の「シャルリ・エブド」への襲撃事件がフランス国内でどのように捉えられているのかは、以下のリンク先が参考になりました。

フランスの新聞社 シャルリー・エブド襲撃事件について

シャルリ・エブドは、左翼系の風刺雑誌で、もともとは「アラキリ」という名前だったそうです。これ、「腹切」で、切腹のことだそうです。

どうやら、リンク先の解説によれば、過激な風刺画であったとしても、それをあえてやっていて、これまでもなんども襲撃されたりしているわけです。ですが、そうした風刺画は「表現の自由」を守るためにあえてやっている、ということのようです。他国では許されないような表現の自由を守ってきたのがフランスと言う国である、ということのようです。

辻邦生がフランス語の授業で語ったこと

これを読んで、辻邦生がフランス語の一般教養授業で言ったという言葉を思い出しました。これは、私の仕事場の先輩から聞いた話で、出典は不明ですが、一応紹介します。

フランスは自由の国です。ですから、この授業において何をしようと構いません。ただ、他の人をじゃまをするのはやめてください。

このような趣旨のことをおっしゃっていたそうです。

そうだとすると、冒頭に触れた、反イスラエルのデモも、こういう文脈の中で捉えると、先に触れたように「奥行き」のようなものをよく理解できると思います。

ここまで成熟した社会を作れるのは、フランスが革命の国だからでしょうか。自由を血で勝ち取った国だからでしょうか。

 

こちらの本。「春の風駆けて」。1980年に辻邦生がパリ大学で教鞭をとっていたときの記録です。辻邦生の、かなり「赤裸々」な心情が沢山つめ込まれていて、本当に刺激的な一冊なのです。

春の風駆けて―パリの時
春の風駆けて―パリの時

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辻 邦生
中央公論社
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ではおやすみなさい。

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先日初詣に向かう途中でとった写真。季節外れですが、余りにさわやかな風景でした。

城・ある告別―辻邦生初期短篇集 (講談社文芸文庫)
辻 邦生
講談社
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辻邦生「西欧の光の下で」を今日も読んでいますが、その中で、文学が有効な表現形式であるかどうかを考えることが極めて難しく、それ自体が文学的主題となりうる、というようなことが書いてありました。

昭和30年代のことです。戦後の頃といえば、まだまだ文学に力があった時代で、文学をやるなんていうことは普通に出来た時代と思っていたんですが、そうではないということですね。この様なことを辻邦生が考えていたということは前から知っていましたが先日ボエームの記事を書いたあとだっただけに、なにか少し気になるものを感じました。

辻邦生は「小説が書けない」という状況を突破するのに苦労したとのことなのですが、それは辻邦生個人の問題として捉えていました。終戦によって価値が転換してしまったことで、根底から価値観が変わってしまったという状況が、辻邦生にとって文学を難しくしてしまった、ということです。ですが、当時にあっても、文学形式が時代遅れ、というような空気もあったのではないか、と思ったのです。

文学なんてもう時代遅れで、これからは映画やテレビの時代だ、というような空気。

それは今とあまり変わっていないのではないか、という感じです。

最も、今は映画やテレビにくわえて、SNSやゲームが競合です。とくに若い世代にとってはゲームが必需品となっています。ゲームには、物語性もビジュアル性もあれば、さらにそこにインタラクティブな要素もあります。

そんな中にあって、辻文学に限らず、文学全体が時代遅れ、という言い方もできるかもしれません。もっとも、先に書いたように、今も昔も時代遅れなのかも。

ただ、結局は先鋭的な意見は誤っている、ということなのでしょう。時代遅れと言いながら何十年も残っているのが文学であり、音楽であり、映画であり、という言い方もできます。時代遅れ、という価値評価自体が時代遅れなのかも、などと思います。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Book,Japanese Literature,Tsuji Kunio

城・ある告別―辻邦生初期短篇集 (講談社文芸文庫)
辻 邦生
講談社
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この文庫ですが、講談社からの出版です。講談社からの辻邦生の出版本はほとんどありません。この「城・ある告別」、それから「黄金の時刻の滴り」、安土往還記の英訳版 “The Signore"です。

2003年に出版されたこの文庫は、辻邦生初期短編のうち重要なものが網羅されており、今でも持ち歩いてよく読んでいます。「ある告別」「サラマンカの手帖から」「見知らぬ町にて」などは、どれも素晴らしい初期短編だと思います。

今回は「西欧の光の下で」という短篇。非常に短いものですが、重要なテーマが収められています。パリに留学したのだが、パリの形式的で冷たい風情に辟易していた主人公が、ある日、夕日に染まるパリをみて、西欧の光を感じた、という内容。ストーリではなく、おそらくはエッセイに近い短篇です。

この夕日に染まるパリを見る場面は、ある種の至高体験のようなものです。辻邦生の至高体験は3つあることはなんどかここでも取り上げています。パルテノン体験、リルケの薔薇体験、ポン・デ・ザール体験です。これは「言葉の箱」においても取り上げられているのが有名です。(別のエッセイでも取り上げられていたはず)。

ですが、この西欧の光を感じた至高体験は、それを遡るもののようです。ここで感じた、西欧文明が現実と戦った結果として、秩序において生きている、ということの源流を探るために、ギリシアに旅立つ、というのですから。

ここでの体験の結果のモノローグは以下のとおりです。

お前が、どのような動機であれ、よそに、すでに出来上がったものを求めにいったのは、間違ったことだった。精神が、他の精神にふれうるのは、それが生みだしたものを通して、いかにそれが現実と闘い、そのなかから自らの糧を汲みだしたかに注意するときだけだ。

この現実と闘い、という「現実」こそが、辻文学の主人公たちが戦っていたものなのだなあ、と思います。例えば、あの俵屋宗達が「この世は全て背理である」といったときの「この世」こそが、ここでいう「現実」なのだろうなあ、と思います。

参考情報。22年前に買った中公文庫の辻邦生全短篇1です。「西欧の光の下で」はこちらにも当然所収されています。

写真 1 - 2015-01-07

このように、壊れてしまいました。分厚い本で無理して装丁したのでしょうから、何度も読めば仕方ないですね。この本を受験帰りの新幹線東京駅ホームで読んでいたのを思い出しました。幸福な読書の記憶です。

写真 2 - 2015-01-07

ではグーテナハトです。

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先日の続きです。

オペラと映画、といった時に、レリスは「映画がオペラを救う」とありましたが、実際にはそうではないのでしょう。映画はオペラの座を奪ったのでしょう。オペラの後継が映画なのです。

逆に言うと、そういう意味では、映画はオペラを救ったとも言えると思います。

人々にプロットと音楽を一度に見せるという機能を持っていたのは、かつてはオペラや演劇でしたが、その主役は映画になった、といえるのですから。オペラや演劇という、コストのかかるプロットから、映画というコストレス(あるいは、収益率の高い、かもしれませんが)なしくみができたと言うことが重要なのかもしれない、などと思いました。

やはり、大勢の観客が一堂に集まって、一つのスペクタクルを共有するというのは大事なことなのでしょう。たとえ、観客同士が知己でなくとも。

その感覚を、黒田恭一さんが「はじめてのクラシック」という本で書かれていたのを覚えています。もう30年以上前に読んだのですが、確か第九の感動的なレコードを聴いていたのだが、聞き終わると虚しさを感じた、というった話だったと思います。

映画館での映画も、オペラも演劇も、観客が一つの機会においてある意味「拘束」され、一つのプロットに向き合うという仕組みが、大切なのではないか、と思います。

後もう3つねるとお正月。お正月には餅食べて、お掃除をして、休みましょう。早く書け書け年賀状。

頑張ります。。

ではグーテナハトです。

Book,Opera

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また、レリスの《オペラティック》を、NHK-FMの《神々の黄昏》を聴きながら読みつまんでいます。美しい装丁ですね。

オペラ映画について書いているところが、いつも私が考えていることが書いてあり、面白かったです。というか、これはすでに1958年には考えられていたことなんですが。

オペラ映画は、オペラではない、ということが書かれています。レリスが《蝶々夫人》のオペラ映画を見た後に、指揮者であるマッソンに「これからは、オペラは映画によって救われるのではないか」というのですが、マッソンはそうではないと応えるわけです。

「パフォーマンス」としての側面が映画では消えてしまうわけで、そうすると失敗する恐れのないハイCは、その価値をなくしてしまうのだ、と。成功するまで何度も何度もやり直しが出来るわけですから、その魅力は減じてしまう、というわけです。

その場その場の音組織は全く変わらないわけですが、我々はやはり文脈の中におけるその音の意味を捉えているわけです。だからこそ「パフォーマンス」という観点があり、そこで音楽に命が吹き込まれている、ということなのでしょう。

これは、実に非論理的なものです。ですが、その類例が、今年の2月にあったあの「愉快な」佐村河内事件に見て取ることができるでしょう。たとえば、どんなに技術的に問題があったとしても、それが自分の息子や娘の演奏であれば、素晴らしい演奏に聞こえる可能性だってあるということなのですから。

レリスは「真のオペラ愛好家はオペラを実際に意味肉人間である」というようなことを言っています。それはまさにその通りなんですね。音だけ聞いても理解した事にはならず、映像を見ても、なにか煮え切れないものが有ります。実演に接して何時間も椅子の上にいて、その場に居合わせるということが、大切なことなのです。ですが、それは現代日本においてはハードル高いですね。

もっとも、1958年と違うのは、ライヴ映像がリリースされているとか、ライブビューイングを見ることができるようになった、という具合に、映画とは違う形のコンテンツがあるということだとも思いました。ライヴのDVDを見るとか、いろいろな工夫をしてみないといけないです。

冬至を回って徐々に春に近づいています。インフルエンザ大流行だそうです。みなさまどうかお気をつけて。私も最近はマスクをしてでかけています。

ではグーテナハトです。

Book

イブイブな今日。一応あさから規則正しく生活したつもりでしたが、できることは限られています。

最近、家では(承認を得ていないかもしれないですが)家のための庶務雑事を行っていて、なかなか自宅で家を読むという感じにはなりません。まあ、それはそれで納得はしています。

なので、今や自宅での読書は贅沢ですね。読書だけでなく、映画を見るといった行為の贅沢となってしまった感はあります。

では、どこで本を読むのかというと、これはもう仕事場へ行く電車の中しかありません。ですが、それはそれでやることもあり、なかなか時間の捻出が難しいです。

そうは言いながらも今日はこちらをほんのすこしだけ読みました。

オペラティック (批評の小径)
ミシェル レリス
水声社
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シュールレアリズムの系列に連なる詩人で、どうもオペラも相当詳しかったようです。詳細は今後。ですが、気になるフレーズが。歴史劇は自由主義へ、ヴェリズモは社会主義へ。その集大成がヴォツェック、だそうです。その通りですわ、まったく。。

では取り急ぎグーテナハトです。