Anton Bruckner,Book,CD紹介,Classical

先日も書いたとおり、エーリヒ・クライバーの伝記を読んでいます。

その中で紹介されていた失神に関するエピソードを。

運命の失神

1927年3月、ベートーヴェン没後百年祭の演奏会のこと。
ボンでエーリヒ・クライバー指揮による演奏会で交響曲第5番が取り上げられました。その日はどんよりと曇った日でした。
スケルツォから終楽章へ突入する瞬間、雲の切れ目から一筋の太陽の光がガラスの屋根から差し込んできました。
途端に立ち見で聴いていた学生たちが気を失ったそうです。
戦時中、エーリヒ・クライバーが夫婦で南米の小さい町を歩いていると、男が近づいてきて「私は、あのベートーヴェン百年祭演奏会で気を失った学生の一人なんです」と話しかけてきたそうです。
これは伝説とされていますが、先日出版されたエーリヒ・クライバーの伝記で紹介されているエピソードです。
あそこで突然光が差し込むなんて、出来過ぎた話です。本当なら私も失神したはず。

神は存在する?

これって、朝比奈隆がザンクト・フローリアン協会でブルックナー交響曲第7番を降った際に、第二楽章が終わった途端に、教会の鐘がなった、というエピソードを思い出しました。神様はいるのかも。
このアルバムです。



私はかなり遅い目のテンポをとり、広間の残響と均衡をとりつつ、演奏を進めた。十分な間合いを持たせて第2楽章の和音が消えた時、左手の窓から見える鐘楼から鐘の音が1つ2つと4打。私はうつむいて待った。ともう1つの鐘楼からやや低い音で答えるように響く。静寂が広間を満たした。やがて最後の鐘の余韻が白い雲の浮かぶ空に消えていった時、私は静かに第3楽章への指揮棒を下ろした。

朝比奈さんの言葉です。
第2楽章はレクエイムです。ザンクト・フローリアンに眠るアントン・ブルックナーに演奏が届いたのかもしれません。
ここでも私は失神するかもしれません。
鐘の音を確かめるためにCD聴き始めましたが、このアルバム、いろいろ言われていながらも、かなり感動的です。おすすめ。
ドライブした演奏。朝比奈さんがグイグイ引っ張ります。デュナミークの統率感は格別。
1975年の録音ですから、もう38年前ですか。

失神とは?

先日、読響の《アメリカン・プログラム》で、失神寸前と書きましたが、まあ、音楽で失神をするというのはよくある話なのでしょう。
失神とは「大脳皮質全体あるいは脳幹の血流が瞬間的に遮断されることによっておこる一過性で瞬間的な意識消失発作」です。
この内、音楽を聞いて失神するのは「神経心原性失神」のうち「血管迷走神経反射性失神」と呼ばれています。長時間の起立、驚愕、怒り、予測外の視覚、聴覚刺激、ストレスなどによるものが多いようです。
おそらくは、立ち見の学生は、立った状況で、予測外の視覚と聴覚刺激によって血流が脳から失われ、崩れ落ちたのでしょうね。
というわけで、また明日。

Classical,Concert,Symphony

ご存知のように、佐村河内氏の件は種々の問題を孕んでおりますが、あえてこの記事を残しているものです。関連記事としてはこちらもご覧ください。

今回の問題についての感想

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昨日今日と少し涼しいですが、今日も熱い音楽を。
今最も熱い現代音楽かもしれません。佐村河内守の交響曲第一番《HIROSHIMA》を、みなとみらいホールで聴いてきました。
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音楽の印象

音楽は、幾重にも折り重ねられた静謐と爆発の繰り返し。原爆の投下、被爆者の苦しみ、被爆者の怒り、そして絶望。それらが繰り返し繰り返し現れてくるように聞こえてきました。
先日からCDを何度か聞いているのですが、曲の構成が我々の聴き知ったものと異なるようです。知らず知らずに私はソナタ形式を探そうとしているのですが、私にはうまく見つけられません。
代わりに、何人もの作曲家のイメージを見つける事になります。メシアン、レスピーギ、ニールセン、ブルックナー、そしてマーラー。
こうなると、こうしたイメージのコラージュとして理解すると、かなり面白い聴き方をすることができます。

フィナーレ

暗い色調の音楽は、フィナーレで、やっと調性がメジャーとなり、救済へと至ります。
このフィナーレは、マーラーが二番や三番で構築した壮大なフィナーレを思い起こさせる程のものです。マーラー二番のフィナーレを初めて聴いた時(小学六年生の時)私の中ではここまでやってしまっていいのか、と思うほど戸惑ったのを覚えています。こんなにもフィナーレらしいフィナーレは、いかがなものかという違和感でした。
今日の《HIROSHIMA》のフィナーレもやはりそういうもの。ただ、今の私は、こうして当たり前のものをきちんと作れるということが凄いのだ、ということを知っています。
また、単なる救済でありながらもチューバとコントラバスが低音でなにか水を差すような旋律を奏でます。単なるカタルシスではない、という予感。ここは本当に感動しました。

音列

もちろん、だからといってオリジナリティがないとか、曲の印象がバラバラといったようなことはありません。一貫して、BACGisの4つ音を中心とするテーマが流れています。循環形式というか、変奏曲というか。あるいは変奏曲に近いのかもしれません。
この4つの音がBACHとくるとバッハのフーガの技法になりますし、ショスタコーヴィチ十番で執拗に登場するDSCHの音列になります。そんなことも思い出しながら聴いていました。

打楽器

また、破壊的なまでに凄まじい打楽器群の使い方。こんなにオケで大音響を聴いたのは初めてかもしれません。一番前の席ならきっと凄いことになっていたはず。今日は前から十五列目でしたが、それでもあの凄まじさでしたので。ティンパニー、スネアドラム、大太鼓の全力打撃は凄いですよ。

ご本人の登場

どのツアー開場でもそうなのかもしれませんが、佐村河内守さんご本人が最後に舞台に上がられ、スタンディング・オベーションを受けていましたね。胸が熱くなります。
ベートーヴェンと同じく全聾ながら交響曲を書いてしまったという事実。ベートーヴェンは、自分に向けられた喝采を理解できなかったという逸話が残っていますが、今日の佐村河内さんは、オケのメンバーに感謝を表してから、客席のほうに、手話でありがとう、と言ってました。意外にも気さくな感じを受けました。もっと鬼気迫る感じの方かと思っていたので。

終わりに

みなとみらいの入り口、いつもに増して人がたくさん並んでいて、客足が多かったことがよくわかります。ただ、こんなに並んでいるのは初めて観たので、ダブルブッキングが起きているんじゃないか、と心配になるほどでした。まあそういうことはありませんでしたが。
あとは、曲が終わって拍手をしている時に、座席に辿り着いたお客さんが数名いました。まさか、終わるまで外で待たされていたということはないでしょうけれどちょっと心配してしまいました。
みなとみらいの音は素晴らしかったですよ。残響が天井を走り回るのがよく聞こえました。本当によくまとまって輪郭のある残響だと思います。また行きたいですね、みなとみらいホール。
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CD紹介,Classical,Concerto

仕事また始まり。なんかこう砂をかむ思い。
今日は珍しく音源紹介です。

完全にバイアスかかった見方なのはわかっていますが、どうもデュ・プレを聴くとこの映画を思い出してしまいます。10年前に観たので、かなり記憶が薄くなっていますが。
「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ(1998)」です。

デュ・プレの姉はヒラリーという名のフルート奏者なんですが、ジャクリーヌほどの激しいセンスを持ち合わせているわけではありません。田舎で音楽を教える静謐な暮らしを送ります。ですが、ジャクリーヌは違います。もちろんダンナのバレンボイムもしかり。二人はアーティストなので、かなりぶっ飛んでいる。で、ぶっ飛んで行き着く先が。。。というお話だったと記憶しています。ジャクリーヌの病的でもろくあやうい精神状況をエミリー・ワトソンが演じていました。
この1963年の録音ですが、ジャクリーヌ・デュ・プレが18歳ごろの演奏です。高校生が弾いているということですね。でも、その後病気でチェロを引けなくなってしまうというアクシデント。1973年に引退してしまいます。
天才もラクじゃないです。余程の楽天家でなければ、みんな同じかな、などと。
デュ・プレのチェロは、ディストーション、つまり、エレキギターを歪ませるエフェクターですが、そのディストーションがかかったような激しく荒々しい音です。その鋭い激しさは音源を聴いてこれですから、実演ですと計り知れないものがあったのでしょう。エルガーのチェロ協奏曲も有名ですが、こちらもそれに劣らず激しさに満ちています。
ここで、「悲しみ」とか書いてしまうと改善に、映画のイメージに影響されている事になりますね。反省。
明日はエルガー?

Classical

すっかり夏本番で、今日は海の日ということですが、朝から晩まで本を読んで音楽を聞いてプログラム作って過ごしました。インドア生活でしたが、頭の中身は19世紀から20世紀前半のドイツでした。目からウロコが落ちることばかり。
で、インドアだけでは体を壊すので、散歩がてら写真を取りに行きました。近所のひまわり。ちょうどいい塩梅にミツバチが飛んできました。

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少し遅いですが、7月のプレミアムシアター。本当は6月後半にアップする予定でしたが、なかなかNHKのウェブにアップされなかったので、見過ごしてしまいました。すいません。
ではどうぞ。

7月22日(21日深夜)

ベルリン・フィル ワルトビューネ・コンサート

  • バイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 (メンデルスゾーン)
  • 交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」 (ベートーベン)

※ ラトル指揮 ベルリン・フィルです。

ウィーン・フィル シェーンブルン夏の夜のコンサート2013

  • 歌劇「アイーダ」から 凱旋(がいせん)行進曲 (ヴェルディ)
  • 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 (ワーグナー)
  • 歌劇「第一次十字軍のロンバルド人」から 私の喜びは呼び覚ます (ヴェルディ)
  • 歌劇「オテロ」から ダンス (ヴェルディ)
  • 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から 前奏曲と愛の死 (ワーグナー)
  • 歌劇「ルイザ・ミラー」序曲 (ヴェルディ)
  • 歌劇「ローエングリン」から はるかな国に (ワーグナー
  • 歌劇「運命の力」序曲 (ヴェルディ)
  • 楽劇「ワルキューレ」第3幕から ワルキューレの騎行 (ワーグナー)
  • ※ロリン・マゼール指揮 ウイーンフィルです。

    7月29日(28日深夜)

    ポリーニ&ティーレマンによるブラームスのピアノ協奏曲 第2番&交響曲 第2番

    • 喜劇序曲 作品38 (ブゾーニ)
    • ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83 (ブラームス)
    • 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 (ブラームス)

    ポリーニ&ティーレマン指揮 ドレスデン国立管弦楽団演奏会

    • 悲劇的序曲 作品81 (ブラームス)
    • ロマンチックな組曲 作品125 (レーガー)
    • ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15 (ブラームス)

    8月19日(18日深夜)

    グラインドボーン音楽祭2013 歌劇『イポリットとアリシー』

    歌劇「イポリットとアリシー」(ラモー)
    ※ ウィリアム・クリスティーです!

    8月26日(25日深夜)

    バイロイト音楽祭2013 歌劇『さまよえるオランダ人』

    ※ 今年はオランダ人。ティーレマン指揮です。
    バイロイトは当然として、グラインドボーンのラモーも楽しみです。実は、私、ラモーが好きなんですよね。マゼールとウィーンフィルのコンビのワーグナー・ヴェルディガラも面白そうです。というか、観る時間いつなんだ。。

    編集後記

    オペラログをつけているのですが、随分と多くなりました。初めてオペラを観たのが2002年ですので、10年以上観ているようです。が、まだまだわからないことだらけです。奥深すぎます。
    夏なんで、バイロイトやプロムスがあります。METライブ・ビューイングのアンコール上映もあります。頼まれている仕事もあるし、試験もあるし。どこまで追随できるかなあ。でも楽しいので忙しくてもぜんぜん大丈夫です。

    Classical,Concert

     ジメジメした一日ですが、今年導入したエアコンのお陰で自室で仕事ができて嬉しいかぎり。スタバに行かなくても済んでいます。

    はじめに

    今日も、朝からiTunesに入った《シンフォニック・ダンス》を聴いたり、全曲盤《ウェスト・サイド・ストーリー》を聴いたり。




    右側のリンク、ホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワのバージョンは、オリジナル編成です。エレキギターがカッコイイ。サウンドもキレがあります。
    今日も、昨日の読売日響の《アメリカン・プログラム》の記憶を、さらにたどってみます。

    《シンフォニック・ダンス》

    ヒュー・ウルフのテンポは、私には中庸から少し遅め、という感覚でした。テンポを大袈裟に動かすことなく、インテンポに徹した演奏だったかと。これは、おそらくはジャズの文脈で捉えるとするなら妥当なものかと思います。 《シンフォニック・ダンス》のMamboのところで、弦にスイングを要求するところ、身体全体を使って
    Mamboのところは、オケメンバーが"Mambo!!"と叫ぶんですが、ビオラの最前列のお二人が、身を乗り出して録音用マイクに向かって顔を真赤にして楽しそうに叫んでいたのも印象的。音楽やって楽しい、という感覚が伝わってきて胸が熱くなりました。

    《ニュー・イングランドの3つの場所》


    アイヴスの《ニュー・イングランドの3つの場所》は実に興味深いです。一曲目"The St. Gaudens in Boston Common"は静謐な音楽。武満の《弦楽のためのレクイエム》を思い出しながら聴きました。
    二曲目の Putnum’s Campは、マーチング・バンドの音楽が、少しずつ改鋳されて、無調とポリリズムへと変容していくのが鮮やかで面白いです。さすがに読響メンバーも演奏が終わると汗を拭っていました。難しい曲です。
    三曲目は"The Housatonic at Stockbridge"、最初はララバイ。フォスターか黒人霊歌のような旋律なのですが、これも徐々に形が崩れていき、無調とポリリズムという不安の高揚へと至ります。なんだろう、このペシミズムは。。
    この曲、"American Tapestry"というアルバムで聞くことができます。

    東京芸術劇場のサウンド

    音響の評判が良くなかった印象の東京芸術劇場ですが、確かに少し不満はあるものの、総じて音響を楽しめました。
    私が座っていた前列正面の音響が今ひとつなのは知っていましたが、これがどうして、今回のプログラムだとすごくハマります。繊細な弦楽器のニュアンスを聞き取れますし、遠くの方から金管群がリバーヴを伴って押し寄せてきます。ホールのリバーヴ感は少し効きすぎに思えましたが、元来リヴァーヴ感が好きなので問題ないです。ただ、リヴァーヴが高音域に偏って聞こえるのが気になる方がいるかもしれません。
    個人的には、病みつきになりそうなサウンドです。

    おまけ

    昨日の《シンフォニック・ダンス》聴いて、無性に楽器が吹きたくなったので、家でこっそりサックスを吹きました。久々すぎるのですが、指は覚えているものです。多分、ですが、指を動かすこと、くわえて旋律を考えて即座に繰り出すこと、譜面を読むこと、を続ければ、脳が活性化する、はず。。

    終わりに

    明日は、初台で《三文オペラ》です。どんな舞台なのか、楽しみです。

    Classical,Concert


    photo

    私の上司はメリハリのある勤務を実践しておられるので、私も真似をしようとしましたが、どうも馴れないことはするものではないようです。無理やり仕事終えて後ろ髪を引かれる思いで会社を出て池袋に向かいました。
    私は、さる方の影響で、オケを最前列で聴くという悦楽に目覚めましたが、今回もやっぱり最前列。音に包まれて日頃の芥を流れ落としました。

    読売日響 第2回読響メトロポリタン・シリーズ

    • バーンスタイン:キャンディード序曲
    • アイヴズ:ニュー・イングランドの3つの場所
    • ガーシュイン:パリのアメリカ人
    • バーンスタイン:シンフォニック・ダンス

    指揮:ヒュー・ウルフ/読売日本交響楽団
    2013年7月12日 19時 東京芸術劇場
    アイヴスの曲は未聴でしたが、そのほかはいずれも見に染みこむぐらい聞いている曲なので、本当に楽しかったですよ。
    特に後半のシンフォニック・ダンス。
    実演は、20年ぐらいまえに、佐渡裕指揮のシエナ・ウインド・オーケストラで聴いたことありましたが、オケ版は初めてかもしれません。
    っつうか、プロローグの最後のところ、ドラムがホイッスルを吹いた瞬間、頭に血が上りました。頭がすーっと、後ろにひっぱられるような感じ。これ、失神する瞬間なんだな、と思いました。よく、コンサートで失神するという話を聞きますが、そんなわけないだろ、と思ってましたが、どうやらそういうこともあるみたい。
    明日に続きます。

    Art,Classical

    酷暑です。電車で座っているだけでじっとりと熱くなります。アンチ夏。ビバ冬。

    音楽家作曲家肖像画集

    昨日の続きで、大貫松三さんの音楽室の肖像画についてです。
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    ネットの情報では今ひとつでしたので、二次文献にも当たりました。2005年に平塚市美術館で「湘南の洋画家・大貫松三展」が開かれましたが、そちらの展示記録を入手し調べたところ、間違いなく大貫松三さんが書かれたもののようです。
    この肖像画は文部省標準学校教材規定に則った「音楽家作曲家肖像画集」というもののようです。
    パレストリーナ、ウェーバー、ブラームス、コレッリ、ロッシーニ、サン=サーンス、ヘンデル、シューベルト、チャイコフスキー、バッハ、ベルリオーズ、グリーグ、グルック、メンデルスゾーン、リムスキー・コルサコフ、モーツァルト、リスト、プッチーニ、ベートーヴェン、ヴェルディ、ラベルなどが大貫松三さんのものとされています。
    (後述しますが、その後の調査で、ベートーヴェンについては、別人の作品である可能性が高いそうです)

    ベートーヴェンは誰が書いた?

    こちらのブログに、「トリビアの泉」でこの話が取り上げられた時の記録が残っています。また肖像画は以下のリンク先でも見られますが、そちらの記載は、手元にある展示記録と少し違います。
    http://ameblo.jp/patricia-o/day-20120210.html
    リンク先では、大貫松三が、作曲家肖像のカレンダーの原画を手がけたという記載になっていますが、大貫松三が手がける前にすでにカレンダーができていたのだそうです。
    そのカレンダーのために描かれたベートーヴェンの肖像が、そのまま音楽家作曲家肖像画集に使われたようです。ですので、この肖像画を描いたのは大貫松三ではなく、ホッタさんという別の方なのだそうです。
    その後、カレンダーの評判が良かったため、大貫松三さんによって改めて肖像画が描かれ、音楽家作曲家肖像画集が完成したということのようですね。
    たしかに、言われてみれば、ベートーヴェンだけ画風が違うのが納得できます。

    おまけ

    参考までにグーグル画像検索もどうぞ

    編集後記

    禁酒5日目。まだ耐えられます。体重は1キロ減りました。ですが、まだまだオーバーウェイト。ですが、睡眠の質がどうにも悪いようです。絶対に眠くならないはずの帰りの電車でも眠気がひどいです。これは、もしかして、アルコールを飲んだほうが生産性が上がるということでしょうか? という悪魔の囁きにさいなまれる今日このごろです。 

    Art,Classical

    はじめに

    禁酒4日目。いい感じで耐えています。 
    ですが、以前になく、夕方睡魔に襲われます。これって、眠れていない、ということ? 通説では、アルコールは睡眠の質を悪化させるものです。禁酒によって、睡眠の質が改善し、翌日のパフォーマンスが向上するはずなんですが。。
    もう一つの謎。体重が減らない。予定では、アルコールにより過剰に摂取されているカロリーがなくなるので、体重がどんどん減っていくはずなんですが。。
    もう少し様子を見ます。

    大貫松三氏の絵

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    さて、今日の本題です。
    二週間ほど前の日曜日、記念日ということで、都内某百貨店にあるレストランにまいりました。
    そのレストラン、雰囲気もお味も素晴らしい。なにかあると決まってそこに行くことになってしまうのです。料金も良心的かと。
    座った席は壁よりで、横にかけられていた絵が目に止まりました。
    セザンヌのような果物の静物画でした。ただ、色合いは全く違います。
    目を凝らして見てみると、全くキズがありません。本当のプロでないと、こんなに完璧な絵はかけないのです。これは、少ないながらもこれまで何枚も見た絵から得た暗黙知のようなものかもしれません。
    しかもですね。構図がかっこいい。普通に考えると、果物のがあったとして、余白を3分の2ぐらい上にとります。というか、私の月並みな写真だとそういう構図をとってしまうのですが、それは違いました。余白が下にあるのです。
    さらに、その余白を埋める色。茶色地なのですが、グラデーションの階調があまりにあまりに滑らかできめ細かいのです。
    これはすごい絵だ、と直感しました。
    ここまでならば、きっとお店の自慢の一つに違いない、と思い、スタッフの方に聞いてみました。
    すると、シェフのお父様の作品だとのこと。
    その後ネットで調べに調べたところ、作者のお名前がわかりました。
    大貫松三さんです。
    で、ネットで調べてみると、クラヲタ、音楽愛好家にとって馴染み深すぎるあの絵が、大貫松三さんの手によるものだと分かったのです!!
    続きはコマーシャルのあとで。
    明日に続きます。









    明日の予告

    と思いましたが、ググればわかるので書きます。
    音楽室に飾られた作曲家の肖像画を覚えている方が多いと思います。
    あの絵が大貫松三さんの手によるものなのだとか。
    まさか日本の画家が描いておられたとは!
    明日は、具体的な資料を入手しましたので、そちらを紹介します。明日に続きます。

    CD紹介,Classical

    禁酒三日目。アルコールの代わりに1リットル100円の炭酸水を飲んでいます。
    今日はご令息のカルロスの《美しく青きドナウ》。1989年のニューイヤーコンサートです。


    当時、私も元旦の教育テレビでみているはずなのですが、クライバーの偉大さを知らなかったので記憶には残っていません。全く残念なかぎり。
    聞いていると、ところどころ、父親のエーリヒとそっくりなフレージングがあって驚きます。
    たとえば、前奏からの入りにかけてのもたらせ方とか、絶妙な拍のもたらせ方は、そっくりで驚きます。
    このもたらせ方が絶妙な美学なのです。
    これは、あれですね。若い二人が初めて一緒に踊ろうかというシーン。

    おずおずと手をあわせて、ステップを踏み出すのだけれど、最初はぎこちなく、呼吸も合わずゆっくりとしたステップなのだが、そのうちに互いの呼吸を理解し、音楽のノリにあわせて、スピードをあげてステップを踏む。女は紅潮し微笑み、男は真剣に前を見つめるが、女の背に当てられた手は動くことなく、女を支え続けている。

    みたいな。
    ただ、1923年から76年間で、世界も音楽もずいぶん変わっていますので、ボルタメントがないのは当然として、速度もずいぶん速いです。時代の必然でしょう。
    昨日紹介したエーリヒの演奏のテンポは、チェリビダッケ並みに遅いもので、現代のコンサートなどではうけいれられるのか、と心配になります。
    あー指揮してみたい、と四半世紀ぶりに思いました。
    明日もトラブル対応。では。

    Classical

    今日の関東地方は熱暑でした。で、当然のように夕方には激しい雷雨がやって来ました。雨粒があまりに大きく、叩きつける様は、スネアドラム100台がロールしているような感じ(大袈裟)。
    雨が上がる寸前に、太陽が差し込みましたので、これは! と思い窓の外を眺めると、やはり。虹が出ていました。それもしばらくするとダブルレインボーに。
    Double Rainbow
    先日から進めているエーリヒ・クライバーの「研究」ですが、ふと思い立って、親子対決のシリーズを始めます。《美しく青きドナウ》、《運命》などを予定。
    まずは《美しく青きドナウ》をお父上のほうから。
    エーリヒ・クライバーの《美しく青きドナウ》を。

    このアルバム、1923年とありますから、エーリヒ・クライバーが32歳〜33歳の演奏。ベルリン国立歌劇場管弦楽団との演奏です。ベルリン国立歌劇場に着任したのが1923年の8月ですので、秋から冬にかけての録音でしょうか。
    当時のベルリンは、大インフレ前夜あるいは、大インフレ開始のころでしょう。第一次世界大戦に敗れた直後です。そんな時代にあって、ワルツだなんて、というところなのでしょう。第一次大戦で古き欧州は崩れ去りました。ドイツは領土を削られ多額の賠償金を課せられました。そんな時代にあって、ウィーンの甘美な記憶は浮世離れしていたものだったはずです。
    とにかく、録音の状態はよくありませんが、当時の状況を想像することはできます。
    それにしても、ゆったりともたらせ、ポルタメントを使った演奏は、とにかく大きく優雅です。丁寧にゆっくり作りこまれた白磁器のようです。
    このポルタメントは、最近の演奏では聴かれないものです。またテンポの落とし方もかなり拡大されています。また、パウゼもかなり長めに取られています。時代なんですね。
    昨日取り上げた1954年録音の《ばらの騎士》第二幕最後のオックスのワルツと相通じるテンポ感ですこしつながりが見えた気がします。ただ、《ばらの騎士》のほうが時代が降っていますので、かなりさっぱりとした指揮になっています。
    ちなみに以下の本「エーリヒ・クライバー 信念の指揮者、その生涯」、めちゃお勧めです。エーリヒ・クライバー研究には必携。というか日本語で読める唯一の書物かも。エーリヒ・クライバーの事績はもちろん、戦間期のベルリンがよくわかります。

    明日からお仕事。
    追記:禁酒2日目。まだ大丈夫。