Béla Bartók,CD紹介,Classical

Solti Conducts Bartok
Solti Conducts Bartok

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G. Solti
Decca (2012-08-30)
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なんでこんなにバルトークな毎日なんですかね。バルトークに捉えられてしまった感があります。音楽も人格も高貴である、とtwitterでやりとりさせてもらったりしましたが、全くそのとおりだと思いますね。ほれこんでしまっているようです。
さて、代表作である《管弦楽のための協奏曲》を。通称オケコン。
ずっとブーレーズ盤を聴いていましたが、ショルティ盤のほうが好みにあってきた感があります。
ショルティのバルトークは、鋭く鮮やかです。アタックもするどく、よく統率されています。
どうもブーレーズ盤はこの点に関してショルティ盤に譲るのではないかと思っています。ブーレーズにはなにか冷たさのようなものを感じていて、それが私の中で引き締まった印象となっていたのですが、それはすこし違うようです。
ただブーレーズ盤に比べて木管に物足りなさを感じます。これは録音の問題なのかもしれません。
全体の完成度はショルティ盤の方が好みかも。
ラトルの音源もあるので、次回の「バルトークな日々」は、そちらを取り上げる予定です。
いや、ほんと仕事はスリリングです。ジェットコースターな日々。
今日は真正なグーテナハト。

Classical,Concert

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こちら、いつぞやとった夕焼け。近所にマンションが出来てしまった、私の家からは夕焼けが見られなくなりました。悲しい限り。
本日、東京都交響楽団演奏会を聞きにサントリーホールへ。ヘスス・ロペス=コボス指揮で、トゥリーナ、ラヴェル、ショスタコーヴィチの演奏会でした。
ですが、席が今ひとつだったことと、体調も今ひとつだったということで、正しい判断ができているのかわかりません。無理していくべきではなかったのだと少々後悔しています。
雰囲気はとてもよいコンサートでした。特に前半のラヴェル《スペイン狂詩曲》では、沸き立つ音が、噴水のように吹き上げていて、それはそれは圧巻でした。
後半のショスタコ「バビ・ヤール」が、ラヴェルのような「バビ・ヤール」で、これが、どうも私が感じていた曲のイメージを覆されてしまいました。
もっとどす黒い情念のあるドロドロとした世界だったのですが、それがあまりに美しくなっていたように思えてしまい。。
でも、これを愉しむことも出来ははずなのです。ですが、繰り返しになりますが、席が今ひとつで音を聞き取るのが難しく、辛い状況が続いたということなんでしょう。
さすがに当日券は選ぶのが難しいなあ、と思います。
というわけで、ちょっと難しかった一日でした。。明日はラストスパート。グーテナハトです。

Béla Bartók,Classical

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
ペーテル・バルトーク
スタイルノート
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はじめに

11月に入ってから、私のブログはバルトークに埋め尽くされている感があります。なにもかも、バルトークのご子息であるペーテル・バルトーク氏による「父・バルトーク」によるわけです。
バルトークのことを書いた日に限って、アクセスが増える気がします。twitterでもリツイート頂いたりもしました。
これは、これまでにはないことのような感覚を持っています。バルトークはかなり人気があるのだなあ、と思ったわけです。

福田総理とバルトーク

私の記事に付いている「関連記事」の中に、2007年に書かれたitmediaのオルタナティブ・ブログのなかで藤井等さんという方が書いておられる記事が出てきまして読んでいたのです。
“http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html":http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html
題して「福田総理とバルトーク」
2007年は福田総理の治世下でした。そんな折に、日経新聞の「春秋」欄に福田総理とバルトークの関連が書かれていたそうです。福田総理は、クラシック好きであり、
ここからが本題でして、バルトークが好きな世代は60歳から70歳台の方が多いのではないか、と推理されるのです。そのポイントは1981年。ブログの中には明示されていませんが、1981年はバルトーク生誕100年でした。この歳にバルトーク全集がLPで発売されたのだそうです。40枚組だったようです。
1981年といえば、オーディオが趣味として全盛だった時代です。私の父も、SONYの新しいカセットデッキとFMチューナー、外付けのFMアンテナを買ってましたね。
ちょうどそのころ働き盛りでバイタリティの会った方々が、今頃がちょうど60歳から70歳にあたるのではないか、というのが藤井等さんの推理です。
なるほど、そういう見方もありますね。

私がバルトークを知ったいきさつ

それで、この見方を補強する私のエピソードをお聞きください。
カミングアウトしていいですか。
私がバルトークの名前を初めて知ったのは、こちらの本でした。

この本を懐かしく思う方は多いと思います。那須正幹さんのズッコケ三人組シリーズ第6作です。この本では、ズッコケ三人組が江戸時代にタイムスリップして平賀源内の世話になる、というSF時空ものです。三人が江戸時代へとタイムスリップするのは、音楽室においてある鏡でした。この鏡を通り抜けることで、タイムスリップをしてしまうのです。この鏡は江戸時代においてはとある大名家が保有していましたが、原爆のからみで三人組が通う小学校に鏡が置かれるという設定でした。そうそう、ズッコケ三人組の舞台は広島市ですね。
で、この鏡を取り戻すために大名家のお姫様が音楽の先生になって小学校に赴任してくるわけです。美人な音楽の先生で三人組のハチベエはメロメロに。この音楽の先生が弾いていたの曲の一つがバルトークでした。ハチベエは、バカの一つ覚えのように「あれは、バルトークだな」とつぶやいたりするという設定でした。
この時弾いていたバルトークの曲は何だったのでしょうかね? 《ミクロコスモス》だったのか。
この本で私はバルトークの名前を初めて知りました。多分小学生の頃。
たしか、他にも作曲家の名前は出てきていたはずです。ショパンだったか、ベートーヴェンだったか。ですが、唐突にバルトークの名前が出てきて、幼いながらも私は奇異を感じた記憶があります。
この本、じつのところ刊行は1982年なのです! つまり、バルトーク生誕百年の翌年です。バルトークが流行っていた頃でしょうか。作者の那須正幹さんは、1942年生まれです。当時の御年は40歳。現在は71歳。先ほどの藤井さんの仮説に適合してしまいます。
那須正幹さんとバルトークの関連は残念ですがネットでは分からずじまいで、継続調査です。

おわりに

というわけで、今日もバルトーク。
あ、東京オペラ・オケ事情ですが、すこし重複あったのでこれから調整します。というか、この幅では見難いですね。レイアウトの変更は考えないと、と思っています。最近いらっしゃる方の解像度の横幅が1200ピクセル以上なので。。
それでは、グーテナハト。

Béla Bartók,Classical

20世紀の音楽 (プレンティスホール音楽史シリーズ)
エリック ソーズマン
東海大学出版会
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はじめに

良い天気の一日でした。早起きして朝焼けを撮りました。明日も早起きしたいものですが、できるかな?
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午前中はなにか雑務を行い、午後は「一仕事」終えました。が、まだ時間がかかることがわかりました。明日も頑張らないと。

バルトークの音楽史上における位置について

ところで、バルトークは、音楽史上において、シェーンベルクやストラヴィンスキーほどの音楽的な革新性を取り上げられることが少ないように思っていました。ワーグナー、ドビュッシー、シェーンベルク、ストラヴィンスキーといった音楽史を変えた作曲家とは違う扱いです。かといって、ブラームスやシュトラウスのように、既存理論に添い遂げたわけではありません。むしろ、破壊者でもあったのではないかとおもうのですが。
で、いろいろ調べていたんですが、若いころにかった東海大学出版会からでている《20世紀の音楽》のなかにも同じような記述がありました。

バルトークの様式は、短い期間に若い作曲家たちの間にきわめて強い影響力を見せていたのだが、究極的にはあまりに個人的であり、音楽自然体の展開に対して直接的意持続的な影響力を持ち続けることはなかった。

エリック・ソーズマン(1993)「20世紀の音楽」東海大学出版会
それは、同じくアメリカに亡命したシェーンベルクやストラヴィンスキーが比較的巧いことやっていたのに比べて、バルトークが難渋したということに象徴されているのかもしれないと思います。やはり、民謡収集やピアニストとしても活躍していたことが周りからの視点がぼやけてしまったのではないか、とか、亡命したことで生活が困難になったこと、そしてなにより早くになくなってしまったことなどが、影響するのかもしれません。
まあ、バルトークの論文集も邦訳されているようですので、あたってみないといけないです。引き続き調査します。

ヤルヴィ盤《かかし王子》のファーストインプレッション

今日は《かかし王子》しか聴いてません。10回近く聞いているかも。でも、おかげで理解も愛情も深まりました。
新しい音源を、ということで、今は、ネーメ・ヤルヴィがフィルハーモニア管弦楽団を振った盤を聴いています。まだ一回目なので評価はしませんが、ブーレーズ盤に負けず劣らずの素晴らしさだと思います。ブーレーズよりスマートにさばいている印象です。第四舞曲の切り込みの鋭さや表現の鮮烈さははネーメ・ヤルヴィのほうが強いかもしれないですね。ブーレズはもう少し重みを付けた演奏だったように思いました。
よく聴くと案の定拍節が複雑。5連符のパターンが出てきた時の異様なリズム感覚が凄いです。譜面を見ると、1stと2ndヴァイオリン、ヴィオラが7連符で、チェロが6連符という私にとっては悪夢のような拍節パターンが出てきます。そういえば、「父・バルトーク」で、民謡の7連符のノリをオケが理解できないことを指摘するシーンがありました。

Bela Bartok: The Wooden Prince, Op. 13/Hungarian Pictures
Chandos (1992-10-28)
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では取り急ぎ。グーテナハト。

Béla Bartók,Classical


バルトークの《かかし王子》というバレエ音楽があります。バルトークの中でも特に叙情的な美しさを持った名曲と思います。
私は、この曲を聞いてドビュッシーやラヴェルを思い出しました。ウィキによれば、冒頭部分はワーグナーの《ラインの黄金》に影響が見られる、とありましたが、まさにあの始原の和音を聴くことができます。また、ストラヴィンスキーの影響もあるとか。特に《ペトルーシュカ》だそうで、あちらもこちらも人形がモティーフということになりますし。
特に、こちらにのせた第4舞曲の華麗さは特筆すべきものがあります。先ほどドビュッシーやラヴェルと書きましたが、そうしたフランス的な和声の素晴らしさに、リヒャルト・シュトラウスのようなオーケストレーションの華やかさや壮麗さが加わり、オケ音楽の醍醐味を十全に味わう事のできる名曲となっています。
この曲を実演で聴けると本当に良いのですが。
私が聴いていたのはブーレーズ盤です。記事の頭に載せたYoutubeの音源もブーレーズ。色彩の豊かさが実に雄弁です。素晴らしい演奏と思います。

Boulez Conducts Bartók
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もう少し続きます。
今日は公休。平日なんで、カラオケボックスが安いわけですので、楽器を吹いてずいぶんとストレスを発散しました。
今使っているリードはヴァンドレンV16の2番です。当初は2半でしたが、アンブシェアが落ちたので、2年ほど前に2番に変えたのです。ですが、どうも薄いです。やはり2半に戻ろうか、と思ってます。最近はリードも値上がってるんですかね。。
では、グーテナハト。

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父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
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ショルティの《カンタータ・プロファーナ》

さて、今日もバルトーク。昨日聞いた《カンタータ・プロファーナ》をショルティ盤で聴いてみました。
* テノール タマス・ダラクジー
* バリトン アレクサンドル・アガシュ
* ハンガリー放送合唱団
* ブダペスト祝祭管弦楽団
* 指揮者 サー・ゲオルグ・ショルティ
1997年6月にブダペストで録音された、ショルティ最後の録音です。
ブーレーズ盤よりもまとまりがあって、私的には好感度は高いです。音価の拡大解釈によるもたり感などは、ショルティですのでそうそうなく、さらにいうと堅実に作られたものと思います。80歳過ぎた最晩年の演奏で、使い古された言葉で言うと「円熟の」ということになるのでしょう。それぐらい安定した演奏だと思います。
それから、譜面まで確認できていませんが、テノールの高音域で難しい曲だと思います。今まで聞いた3バージョンとも、苦労して歌っているのを感じます。

家に帰ることができたショルティ

感動的な逸話を見つけました。
ショルティは格別の思いをこの《カンタータ・プロファーナ》に持っていたようです。ショルティはハンガリーを離れ海外で活躍した指揮者です。つまり、家を離れて森のなかで生きたわけで、ショルティ・ギエルジィからサー・ゲオルグ・ショルティとなったわけです。《カンタータ・プロファーナ》のなかで人間から鹿へと姿を変わってしまった9人の息子たちと同じ境遇です。
ですが、最晩年に故郷の村を訪れました。つまり、《カンタータ・プロファーナ》の鹿が出来なかった、自分の家への帰還を果たしたということになります。これができるようになったのは、政治体制の変革といった外的要因もあるでしょうし、ショルティの内面の変化などもあったのかもしれません。
鹿が家に帰れなかったのは、角が大きすぎて戸口から入れなかったからです。ですが、ショルティの家は、その大きすぎる角が通れるぐらいに戸口が大きくなった、ということになるのでしょう。
これは、ショルティが最後の録音に際して語った内容です。以下のサイトで紹介されていました。ちょっと感動する話です。
http://www.ne.jp/asahi/mi/mi/hibinokatte-text-99.02.htm
では今日はこの辺りで。日付変わりましたがグーテナハト。

Béla Bartók,Classical

カンタータ・プロファーナを聴く

昨日から聞いているカンタータ・プロファーナ。プロファーナというのは世俗カンタータという意味です。
こんなあらすじの歌詞がついています。

9人兄弟が、森へ狩りに行くが、魔法の橋を渡った途端に鹿に姿を変えられてしまう。息子たちを探しに出かけた父親は、森で出会う鹿を息子たちとは知らずに、弓矢を向ける。だが、鹿は自分たちが鹿に変えられたことを父親に告げる。驚き帰ってきて欲しいと父親は言う。母親も息子たちの分9本のグラスにワインを注いで待っているのだから。だが、息子たちである鹿はこう答える。もはや、角が邪魔をして家に入ることも出来ないし、グラスからワインを飲むことができる姿にはない。ただ、清らかな泉をのむことしかできないのだから。

あらすじは私の超要約です。あしからず。。
いろいろ解釈はあるようです。例えば、これは自然回帰を象徴している、であるとか、逆に、帰るところに帰れない状況を現しているとか。返信の不条理感でいうと、カフカ的でもありますが、むしろ不条理というより前向きさを感じるかもしれません。悪い変化の肯定的受容という意味では「砂の女」的かもしれない。
これも「父・バルトーク」を読んでから感じたことですが、バルトークの一つにテーマが自然回帰なんでしょうね。物質主義的資本主義を嫌悪していて、大量生産品ではなく手作りの家具を愛したり、アルプスの自然を愛したりと、エコロジスト的側面を持っています。また、民謡収集で地方を回った経験なども影響しているのでしょう。
多分、鹿のように自由に自然を謳歌したかったのかなあ、などと思います。決して鹿になったことが悲観的に思われていないように思うのです。悲しんでいるのは両親だけ。それは自分たちの子どもを失ったというある種利己的な理由に過ぎません。息子たちは森のなかで、両親とは違う世界で自立したと捉えられるはずです。広大な森で自由に生きる。ある種のユートピアを自然の中に見ていたのではないか、とも思います。
ですが、バルトークは二重三重に意味を重ねている気がします。きっと複層的に重なっているのでしょう。

フレンチク盤について


今日はいつもお世話になっているNMLでのなかから、こちらを聴きました。ヤノーシュ・フレンチクがブダペスト交響楽団を振った演奏。合唱もオケもいい感じ。かなり引き締まりながら、迫力のある演奏です。合唱がよくまとまっていて、パワーや気迫が迫ってくる感じがします。ブダペスト合唱団という団体によるものです。まあ、母国語で歌えるというのが大きなアドバンテージですよね。それは大きいでしょう。それからなにかしらの思い入れのようなものもあるのでしょう。
指揮者のヤノーシュ・フレンチクは、ハンガリーにとどまり指揮活動をしたハンガリー楽壇の巨匠指揮者のようです。恥ずかしいことに最近まで私は存じませんでした。
テノールのヨージェフ・レーティも高音域のピッチが少し気になりますが、ずいぶんのびのび歌っていていい感じでした。この方は、ハンガリーの方です。やはり歌い方が自然な気が。。48歳という若さでなくなっておられるようです。日本語はもちろん英語のウィキもないので、ドイツ語からなんとなく固有名詞と年代を拾って理解しました。http://de.wikipedia.org/wiki/J%C3%B3zsef_R%C3%A9ti
私は、この曲をながいことブーレーズ盤で聴いていましたが、実際はこのフレンチク盤のほうが好みです。

おわりに

どうも今日は体の調子がおかしいです。昨日、サックス吹いて、オーボエリードをピーピーならしていたから疲れたのかも。まったく。今日は早めに帰宅し、明日の仕事に備えました。
それでは、また明日。グーテナハト。

Béla Bartók,Concerto

短いエントリー。毎日バルトークばかり。困ったもんです。

今日のバルトークの言葉

バルトークは、ヨーロッパにおけるナチスドイツの台頭に聴きを抱き、1940年にアメリカに亡命します。ですが、バルトークは、経済的な問題を抱えてしまったのです。印税はイギリスとアメリカで二重課税され、ほとんどが税務当局に吸い上げられました。白血病にかかり、ピアニストとしての活動も行えませんでした。
第一次世界大戦は金を蓄えることの無意味さを教えてくれた。第二次世界大戦は何も蓄えるべきでないと教えてくれた。つまり、日々生きるのに必要以上に働く価値はないということだ。
せっかく収集した資料が戦争で破壊されたり、貨幣価値が下落したり。二つの大戦はそうした価値の破壊をもたらしたのです。
今日の世界においても同じなのではないか、という澱んだ不安に苛まれました。

今日のバルトークの音楽

今日もヴァイオリン協奏曲。シュテフィ・ゲイエルという女性ヴァイオリニストに献呈されたそうですが、生前はその存在を隠していたようです。ゲイエルの死に際して、パウル・ザッハーに遺贈されたそうで、パウル・ザッハーによって初演されたそうです。
パウル・ザッハーは、バルトークとも親しかった指揮者です。製薬会社令嬢と結婚したことで大金持ちとなり、その資産を活かして音楽家への援助をしました。現在もパウル・ザッハー財団というものが有ります。バルトークもパウル・ザッハーからの委嘱をうけて「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」を作曲しています。
今日は、ショルティ&チョン・キョンファの音源ばかり聴いていました。これはこれで素晴らしいですが、少し硬さがあるかも。

帰宅してからギーレンが南西ドイツ放送交響楽団指揮し、クリスティアン・オステルタークと録音している盤をNMLで見つけました。この音源の叙情性はショルティ盤を上回ります。これは、相当にドライな甘さです。

では、これから楽器練習します。みなさま、グーテナハト。

Béla Bartók,Classical

けだるい一日。ですが、タスクはほぼ完了。
今日も「父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出」を読み続け、別資料として「バルトーク物語」もすこしつまみ読みをしました。
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バルトークは二度結婚をしています。二回目の結婚は弟子のパーストリ・ディータと結婚します。ディターは大変に才能のあるピアニストで、バルトークとともに舞台に上がったりしていた模様。ディターとの間に生まれたのが「父バルトーク」の著者であるペーテル・バルトーク氏なのです。この二度の結婚の顛末がどうなったのか知りたいのです。「バルトーク物語 」においては、前妻が身を引いたことになっているんですが、実際はどうだったのか。バルトークの生真面目な性格に何が起きてしまったのか。
というわけで、今日はピアノ協奏曲三曲を2回ずつ聴きました。
私が好きなのは第二番です。特に第三楽章。
今日聞いたのは、ブーレーズがベルリン・フィルと演奏しているもの。ピアノはレイフ・オヴェ・アンスネス。後述のシフ盤を知らない時はこれがベスト。

探していると、バルトークがアンセルメと一緒に演奏している音源を見つけました。音質はかなり劣悪で寿司、SP盤をつなげているようで、音が途中で切れます。しかし、ダイナミックで激しくテクニカルな演奏には脱帽です。バルトークのピアノ演奏技術は相当で、学生時代には誰も弾けなかったリスト編曲の《タンホイザー序曲》を、彼だけが弾けたらしいですから。

こちらもかなりいい。第三楽章の破壊的パワーはブーレーズ盤をはるかに上回ります。全員ハンガリー人の演奏家だから? あまり関係ないと思うけれど、なにかしらの共鳴があるのかな、などと思います。今のところワタシ的にはベストかも。

明日もバルトークな一日になりそう。
ちなみに、沿線私鉄が遅れまくってました。理由は「多客」だそうですよ。乗客が多すぎて電車が遅れたり運休になったり。なんともかんともご苦労さまです。
ではグーテナハト。