2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

今日は七回目。公開すこし遅れてすみません。取り急ぎ。

ではどうぞ。

===

旧友フランケッティ

さて、イッリカが、「ラ・トスカ」のオペラ化のため、1894年にパリへサルドゥを訪ねたとき、同行者がいた。彼の名はアルベルト・フランケッティという作曲家だった。(写真がフランケッティ)image

フランケッティはプッチーニとは音楽学生時代からの級友だった。フランケッティは1893年の時点で、既にこの「ラ・トスカ」のオペラ化の権利を持っていた。

先に書いたように、1889年にプッチーニは「トスカ」のオペラ化をリコルディに求めているのだが、マノン・レスコー以前のプッチーニにそれを実現するだけの「評判」がまだ無かったのだろう。

プッチーニの「トスカ」への思いが封印されていた頃に、リコルディはフランケッティにオペラ化の権利を与えていたのだ。

だが、時代は変わった。

プッチーニの1893年のマノン・レスコーの成功で、リコルディは「トスカ」のオペラ化の適任者はプッチーニだと考えるようになったのだ。

実際、ヴェルディが「トスカ」に示した最大の賛辞は、プッチーニにそれとなく伝えられたらしい。あのヴェルディが絶賛する「トスカ」のオペラ化という仕事が、この上もなく魅力的なものであることに気づく。

こうして、プッチーニのやる気は「ラ・トスカ」のオペラ化へ向けられたわけだ。

策士 ジュリオ・リコルディ

このリコルディという人。リコルディ社の社主でジュリオという。

リコルディ社第三代目当主で中興の祖とされる多才な男だった。音楽教育を受け、教養と経営センスを持った人物だ。(写真がジュリオ・リコルディ)image

リコルディ社は、1808年に初代当主ジョヴァンニによって設立された音楽出版社である。リコルディ社は、ベッリーニ、ドニゼッティを見いだし、彼らの出版を手がけることで収益を上げた。

そして、その後ヴェルディを見い出すにいたり隆盛を極めるのだ。

だが、その後の「ヴェリズモ」ブームに乗り切れなかった。ヴェルディは年老いて、新たな作品の発表は期待できない。

そのような状況下にあって、ジュリオ・リコルディは次なる希望であるプッチーを見いだしたのだった。ソンツォーニョ・オペラコンクールに落選したプッチーニの才能を見抜き、「マノン・レスコー」の成功を導き出したのだ。

そんなジュリオ・リコルディにとって、フランケッティから「トスカ」のオペラ化権利を取り上げることはたやすいことだった。

台本作家イッリカと組んで、フランケッティに「トスカ」がいかにオペラ化に適さないか、という考えを吹き込み続けた。

フランケッティは良家の子息で、その資産をもってすれば、みずからで自作オペラを自費で上演することが出来るほどだった。

金に困らないお坊ちゃまは人が良かった。フランケッティはあっさりオペラ化の権利を放棄してしまう。

ジュリオ・リコルディは、契約破棄の一両日中に、プッチーニと「トスカ」のオペラ化の契約を済ましてしまうのだった。

こうして、ジュリオ・リコルディの辣腕が、偉大な芸術を後世に残すことになったというわけだ。

芸術作品(Opera)とはそうしたものだ。それは、誰かの意地や欲望、策略や悪意、それからほんの少しの偶然によって生まれる。それを後世の人々は必然と呼ぶのだ。

つづく

次回は「どうしてアンジェロッティは脱獄したのか?──「トスカ」の歴史的背景」です。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

バナー作りました。レガシーなデザインですが。こちらから入ると「トスカを」聴こうシリーズまとめてごらんになれます。

2008年にローマに旅行しました。ユーロ高絶頂の頃。当時1ユーロ180円で大変辛い時代でした。その後ユーロが急落したというわけでした。まったく。。。

これはジャニコロの丘から撮った写真。トスカの舞台です。

https://museum.projectmnh.com/ArcivesRoma2008.php

 

では、本日は第三幕のあらすじです。

====

第三幕

第三幕も同じく1800年10月18日未明のサンタンジェロ城。

辞世の歌「星は光ぬ」

サンタンジェロ城は、もともとはローマ皇帝ハドリアヌスの霊廟として立てられたものだが、ローマ教皇用の要塞として整備され、牢獄などにも使われていた。image

刑場へと向かうカヴァラドッシは時世の歌を歌う。

そこにスポレッタに伴われたトスカが現れる。カヴァラドッシに旅券を見せ、自由の身になったことを告げる。二人は喜び会い、希望を語り合う。

見せかけの銃殺刑

カヴァラドッシは、「見せかけの銃殺刑」へと向かう。

トスカは一部始終を手に汗を握りながら見つめる。

カヴァラドッシに銃口が向けられ、銃声が鳴り響く。崩れ落ちるカヴァラドッシ。巧い。演技が巧い。トスカはカヴァラドッシへと駆け寄る。

さあ、早く起きて、逃げよう、と。

しかし、カヴァラドッシは死んでいた。空砲ではなく実弾が込められていたのだ。

スカルピアの狡猾な罠だった。スカルピアが殺されたことに気づいた警官達が、駆けつけてくる。

トスカは観念し、サンタンジェロ城の屋上から身を投げ自殺する。

つづく

 

次回は「策士?リコルディ」です。

 

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

なにか原因が分かった気がする一日。常に人間は回り続けなければ五日は倒れるものだが、どうも回転数が低かったようだ。もっと回らないと。目が回るぐらいに。

 

さて、第二幕です。お役に立てば良いのですが。

かけば書くほど、どぎつい物語です。韓流ドラマにも匹敵するでしょう。いや、韓流ドラマよりえげつないのでしょう。

しかし、それが芸術に昇華するとこんなにも凄いことになってしまうというのがおもしろわけです。

それではどうぞ。

====

第二幕

第二幕の舞台はファルネーゼ宮殿。写真がそのファルネーゼ宮殿で、現在はフランス大使館として使われているため見学などは出来ない。

同じく1800年6月17日の夕刻。image

カヴァラドッシを拷問する。

スカルピアの部下スポレッタは、アンジェロッティを取り逃がすが、カヴァラドッシを逮捕し連行してくる。大広間からはトスカが戦勝祝賀会で歌を披露しているのが聞こえる。

トスカが秘密を漏らす。

スカルピアはカヴァラドッシを拷問し、トスカにアンジェロッティの行き先を教えるように命じる。カヴァラドッシの苦しむ声を聴き、トスカはアンジェロッティの隠れ場所を答えてしまう。

カヴァラドッシは怒り狂うが後の祭りだ。

ちょうどそこに、戦いの知らせが入る。

午前中に知らされたナポレオン軍敗北の続報だった。その後、ナポレオン軍はオーストリア軍を撃破したというのだった。

カヴァラドッシは勝利を叫ぶ。ナポレオン軍がローマに再び現れればのさばるナポリ王党派を駆逐できるではないか!

アンジェロッティのほうは捕縛されそうになったところで、命を落としたと連絡が入る。

スカルピアの提案

スカルピアはカヴァラドッシを再び地下牢へと連れて行き拷問にかける。

トスカに、カヴァラドッシを助けたいのならば身を任せるよう強要するスカルピア。

トスカは激しく抵抗する。この恥知らず。身の毛がよだつ。

だが、スカルピアは、トスカにこう提案する。

もし、あなたが言うことを聴くのならば、カヴァラドッシを銃殺する振りをして空砲を撃たせて助けてやろう、と。

トスカの接吻

トスカはやむなく提案をのむが、テーブルにあったナイフを見逃さなかった。

スカルピアに逃亡用の旅券を書かせている好きにナイフを握りしめ、スカルピアが振り返った途端に、スカルピアの胸にナイフを突き立てたのだ。

これが有名な「トスカの接吻よ!」という場面だ。

スカルピアは倒れ、トスカはカヴァラドッシの元へと向かう。

 

次回は「「トスカ」とはどのような物語なのか。第三幕から」です。

 

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

秋晴れの一日。

もうこんな学生のような生活はイヤだ!

ワーカーホリックかもしれない。

ウィキペディアより引用。

日本ではかつて、特に男性においては「滅私奉公」等の言葉に代表されるように、己の身を顧みず職業に邁進することこそが良いとする規範が存在し、己よりも職を優先することが、社会的に求められた。この中では、有給休暇を取ることすら罪悪のようにみなされた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E4%BA%8B%E4%B8%AD%E6%AF%92

そうそう。その通り。

アンダーラインおよび太字化は私によるものです。

考えを変えないとなあ。

===

さて、今日から3回は、それぞれの幕のあらすじを書いてみました。そこから想起される歴史的事実に思い至ると、あまりにも面白くて気狂いしそうなんですが、あらすじ編では自重して、その後に撮っておくことにします。

では、どうぞ。

===

ここで、簡単に「トスカ」のあらすじを、ここではオペラ版をもとに、簡単におさらいしておこう。

登場人物

主な登場人物はこの5人だ。

  • 画家である騎士カヴァラドッシ
  • ローマ随一の歌姫トスカ
  • ローマの新任警視総監スカルピア
  • 政治犯で自由主義者であるアンジェロッティ
  • スカルピアの部下のスポレッタ

ちなみにこの5人のうち4人が劇中で死を遂げる。

 

第一幕

まずは第一幕から。

舞台その背景

1800年6月17日午前のイタリアローマの聖アンレア・デッラ・ヴァッレ教会が舞台。

ナポレオンの侵攻により、ローマは旧来の教皇領からローマ共和国となるが、数年でナポリ王国の勢力下に入ったころのこと。

画家カラヴァドッシは、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会[i]で「マグラダのマリア」を描く仕事をしている。

アンジェロッティ

そこに友人で反体制派政治犯として収監されていたはずのアンジェロッティが逃げ込んでくる。

アンジェロッティは転覆したローマ共和国の要職にあって、現在は政治犯として拘留されていたのだが、脱獄を果たして教会へ逃げ込んできたというわけだ。

image(写真は聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の内部。ここでカヴァラドッシがマグダダのマリアを描いていたのだ)

自由主義者でもあるカラヴァドッシは、アンジェロッティをかばい、逃がしてやる。

トスカ登場

そこにカヴァラドッシの恋人のトスカが現れる。トスカはローマ中の寵愛を受ける歌手だ。

だが、トスカは、カヴァラドッシの様子がおかしいことに気づく。

それがアンジェロッティを逃したという理由であることを知らずに。

てっきり、別の女とカヴァラドッシが逢っているのではないか、という嫉妬心を覚えたというだけなのだ。

そう言えば、カヴァラドッシが描いている「マグダラのマリア」の目の色はトスカと違い碧眼だ。

スカルピア見参

そこに現れ様子をうかがっていたのが、警視総監スカルピアだ。

スカルピアはアンジェロッティを追って聖・アンドエレ・デッラ・ヴァッレ教会現れたのだ。

トスカの姿を見たスカルピアは、トスカの嫉妬心を煽り、アンジェロッティの逃亡先を突き止めようと考える。

と同時に、トスカを我がものにせんと企むのだった。

テ・デウム

教会では、迫り来るナポレオン軍が敗れたという知らせが入る。王党派は喜び、テ・デウム[ii]を捧げる。


[i] http://en.wikipedia.org/wiki/Sant%27Andrea_della_Valle

[ii] テ・デウムはカトリック教会の聖歌の一つで、「われら神であるあなたを讃えん Te deum laudamus」で始まる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A6%E3%83%A0

 

次回は「「トスカ」とはどのような物語なのか。第二幕から」です。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

雨の日曜日で、いろいろ捗りました。

今日は第3回で、トスカ成立におけるヴェルディのちょっとしたエピソードです。で、このエピソードがプッチーニにやる気を与えたらしいので無視できないのですね。

ではどうぞ。

====

「トスカ」の原作となったのは、劇作家であるヴィクトリアン・サルドゥによる戯曲「ラ・トスカ」である。

「ラ・トスカ」は1887年でのフランスにおける初演以来、圧倒的な成功を勝ち得ていたのだった。これは、あのサラ・ベルナールが主演を演じていたというところにもあるけれど。

この戯曲をオペラ化するに当たって、台本を担当したのはルイージ・イッリカである。イッリカは、プッチーニの出世作「マノン・レスコー」をはじめ、「ラ・ボエーム」、「トスカ」、「蝶々夫人」の台本を手がけた。また、ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」も手がけている。(写真はルイージ・イッリカ)

image

イッリカは台本への脚色をサルドゥと相談するためパリへ向かう。そのとき、パリには「オテロ」のパリ初演を準備するために当時81歳だったヴェルディが滞在していたのだった。ヴェルディはサルドゥと親しかったため、イッリカとサルドゥの会談に同席したのだった。

イッリカは、その場で「トスカ」の台本を朗読したのだが、第三幕のカヴァラドッシの辞世の歌に深く感銘を受けたのだった。

《私の愛は永久に消え、時は去り、私は絶望して死ぬ。今ほど人生をいとおしんだことはない》

ヴェルディは、年老いた自らに重ね合わせたに違いなかった。そして、もし自分がもうすこし若ければ、「トスカ」をオペラ化していただろう、と語ったのだった。

「オテロ」、「マクベス」など、シェークスピアの戯曲をオペラ化したヴェルディをして、そこまで感動させたこの「トスカ」とはどのような物語なのか?

次回は「「トスカ」とはどのような物語なのか?」です。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

プッチーニがヴィクトリアン・サルドゥの戯曲「ラ・トスカ」によるオペラ作曲を考え始めたのは1889年頃だった。プッチーニの二番目のオペラ「エドガー」初演の頃で、31歳のことである。

プッチーニは、楽譜出版社リコルディの社主リコルディに宛てた手紙の中で、オペラ化に当たって、サルドゥの許可を得られるよう依頼をしている。しかし、このプッチーニの「トスカ」への思いは、6年後にフィレンツェにおいて「トスカ」の実演に触れるまで封印される。

その間、プッチーニは、「ペレアスとメリザンド」のオペラ化を考え、メーテルリンクに会いに行くのだが、ドビュッシーに先を越されてしまったり、マリー・アントワネットの最期の日々を題材にしたオペラを考えていたりしていた。

だが、プッチーニはフィレンツェで「ラ・トスカ」実演に触れたことで、「ラ・トスカ」のオペラ化を具体的に考えるようになる。

これは、プッチーニが、ライヴァルを意識した結果でもあろう。当時のイタリアでは、レオンカヴァッロおよびマスカーニのヴェリズモオペラ(写実主義的オペラ)の潮流が吹き荒れていた時代であった。

image(写真:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ (1857-1919))

レオンカヴァッロの「道化師」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」などのオペラで知られるこの潮流は、元々は、ゾラやフロベールなどの文学上リアリズムの影響が音楽に現れたものだった。それまでは神話などを題材にしていた台本ではなく、殺人や情事など、現実的あるいは日常的なテーマを扱った台本によるオペラが作られるようになったのである。

プッチーニと、「道化師」を作曲したレオンカヴァッロとは、あの「ボエーム」を巡って、プッチーニとレオンカヴァッロ[i]はミラノの喫茶店で喧嘩をするほど、お互いのライバル意識は少なくなかったのだ。

プッチーニがオペラ化を企図する「ラ・トスカ」には、こうしたヴェリズモオペラの要素が満ちあふれていた。

  • 画家カヴァラドッシと歌手トスカの恋。
  • そして、政治犯を匿ったかどで拷問を受けるカヴァラドッシ。
  • カヴァラドッシを助けるために身を任せるよう警視総監スカルピアに強要されるトスカ。
  • そしてスカルピアを殺害するトスカ。
  • そして図らずも恋人を殺され、サンタンジェロ城から投身自殺するトスカ。

情欲と流血に満ちた素材は、まさに「ヴェリズモ=リアル=写実」である。

つづく

次回は「ヴェルディ翁を感動させた「ラ・トスカ」」です。

 

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

───

[i]実は、「ラ・ボエーム」にはレオンカヴァッロが作曲したバージョンが存在するのだ。

───

ちょっと力入れすぎですが、がんばります。今日も静謐な一日。明日もその予定。

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

はじめに

「トスカ」は、プッチーニの代表作の一つです。

描かれるのは、革命、理想、愛、典礼、情欲、秘密警察、拷問、刺殺、銃殺、希望そして絶望。まさに、スペクタクルと人間ドラマに彩られたオペラ中のオペラです。

音楽的にも魅力に満ちあふれています。キリスト教典礼の目眩く絢爛豪華なオーケストレーション。涙無くしては聴けない名アリアの数々。そして、情欲と葛藤がせめぎ合う緊張に満ちた音楽群。これは興奮と魅力に満ちあふれた音楽なのです。

この「トスカ」を10倍楽しむために、シリーズ「新国立劇場「トスカ」を聴こう」を連載することにしました。

もちろん最後は初台の新国立劇場オペラパレスへ行きましょう。息を吐かせぬ感動が待っているはずです。

<次回の予定>

「トスカ」成立の背景は?

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

2012/2013シーズン,Benjamin Britten,NNTT:新国立劇場,Opera

はじめに

音楽評論家の白石美雪さんの評が、10月16日朝日新聞夕刊に載りました。そのあたりのこと、を少し書いてみたい思います。

 

IMG_1361.JPG

 

この中で、今回のパフォーマンスを「個をつぶす集団を鋭く表現」と評価しています。合唱団の動きの質の大きさなども含めて。

 

断定無罪なピーター・グライムズ

逆に、ピーター・グライムズに不気味さがない、という点が指摘されていました。

本来であれば、殺人を犯したのではないか、という不気味さがもっとあってしかるべきではないか、ということ。

でないと、エレンがピーターを見限って「私たちは失敗したのよ We’ve failed」という理由が見あたらないというのです。

 

うーん、なるほど。

 

確かに、今回のプロダクションでは、ピーター・グライムズは絶対に徒弟を殺していない、と思いました。

だから、グライムズは、全くの潔白で、集団に圧迫される被害者としての側面しか持っていなかったと、言えます。

 

もし、そうでなく、グライムズが殺人を犯した可能性が示唆されているような演出であれば、物語としてもっと複雑で玄妙なものになっていた可能性もありました。

解釈多義性

実は、日曜日に、カミさんをつれてもう一度観に行ったのですが、カミさんもやはりそう言う意見だったようです。

カミさん曰く「解釈多義性がもっとあればね」とのこと。

カミさんは音楽ではなく物語と演出に集中していたらしく、なおさらそのように思ったのかもしれません。

 

難しいなあ。

 

解釈多義性はおっしゃるとおりかも。

 

もっとも、私は、理由はなくてもいいと思っています。世界が非論理であるならば、物語に論理がなくても許されるというのが私の意見です。

昔、小説教室についてのテレビを観たことがあったのですが、物語を作らせながらもそこに論理性が出現すると鋭い批判が飛び交ったのを思い出しました。

もっとも、今回のプロダクションはそこまで論理が破綻していたかというとそこまでではなかったとも思いますが。。

結論めいたもの

その場その場の体験、物語と視覚効果とそれを支える音楽の一瞬の煌めきが大事なんだろうなあ、などと。

物語と演出だけの舞台ならばそうかもしれませんが、音楽が加わると、全く様相がかわるのだなあ、ということだと思います。デュオニソス的とされた所以もここにあるのかもしれません。

それからもう一つ。

視覚面に加えて聴覚面もあることで、あんなにも強烈な体験が生まれたのだなあ、と思います。

シュトラウスの「カプリッチョ」ではないですが、音楽と詩と演出は切り離すことの出来ないものなのでしょう。って、紋切り型のまとめですが、まあそれがいったんは妥当な結論だと思います。

 

それではまた。フォースとともにあらんことを。

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

強烈だった「ピーター・グライムス」の月が終わりました。凄いオペラでした。

 

次は「トスカ」ですね。

 

プッチーニの大傑作の一つです。私は新国立劇場でこれまで二回みたことがあります。

二回目にみたのは2009年。このとき、音楽もさることながら、演劇的にずいぶん感動した覚えがあります。

このパフォーマンスが東京で、なんて恵まれている。新国立劇場「トスカ」。

 

こちらは、カプリッチョによせて書いた一文。第二幕最後の緊迫の場面に感動した記憶です。

音楽か、言葉か、演出か?

 

一回目は2003年のようです。ずいぶん生意気です。

http://shuk.s178.coreserver.jp/MS/2003/11/09232044.html

 

今回のトスカはノルマ・ファンティーニですね。アンドレア・シェニエで聴いた以来です。新国立劇場には何回も来ておられますが、私は一度しか聴いたことがありません。

無事に来てくださるといいのですが。

 

暫く続きます。トスカシリーズ。

ピーター・グライムスの振り返りも引き続き予定。このまま考えるのをやめるのは私的にもったいないので。

 

では。フォースとともにあらんことを。

2012/2013シーズン,Benjamin Britten,NNTT:新国立劇場,Opera

IMG_1329.JPG

なんだか引っ張りまくっていますが、今日もピーター・グライムスについて。

ピーター・グライムスの子供時代

先日から、ピータ・グライムスはどういう境涯だったんでしょう、などと考えることしきりでした。

ピーター・グライムス、きっと親に暴行されながら育ったんだろうなあ。

自分はそうされたくないんだけれど、そうしか出来ないんでしょうね。育てられたようにしか育てられないのが普通です。

で、そうした自分が本当に許せない状態。自己分裂しているわけです。

ピーター・グライムスの夢

そうしたことをすべて解決するのが、漁をして金を稼ぎ、村人を見返す、という、ほとんど無理な夢である、というのもあまりにリアルで怖いです。

こういう人って結構居るんじゃないかな。

今居るところで、がんばって見返してやる、みたいな。

でも、体制的あるいはシステム的に無理なんだけど、みたいな。パースペクティブを変えなければ実現しないのだが、パースペクティブを変えられない、あるいは変えられるという視点を持っていない、という状態なんでしょう。

家への憧憬

あとは、「家」に対する憧憬が端々でみられました。

おそらくは不幸な子供時代で両親から十分に愛されることはなかったはず。だから、自分の本当の両親が別のところにいるはずで、その「家」を常に追い求めているはずです。決して辿り着くことの出来ない「家」を探し求めるわけです。

女性の最も偉大なことは、女性の存在は「家」となることです。ピーター・グライムスにとっては、エレンとの結婚が大きな目標ですが、それは「家」を探し求める過程にあるはずです。

たどり着けない目的地

しかし、きっと、エレンと結婚しても、破局は免れないでしょう。ピーターの理想は高すぎる。現実を受容することが出来ないほど。

そうした理想を徒弟にも求めるから、乱暴するわけですね。。

必死に生きているんですが、生きれば生きるほど空回りして、周りから浮き上がっていくような感じです。

 

結局、今週末も仕事になりました。また行きたいのですが、無理ですかね。。忙しすぎですが、「海猿」の対策本部のような仕事状況になっています。

 

それでは、フォースとともにあらんことを。