Classical

花粉症の季節ですね。春と言っても手放しで喜べない方は多いと思います。

僕自身は小さい頃花粉症で目をやられていたにもかかわらず、最近ではまったく症状も出ないという感じなのですが、家族はかなりやられていて、毎年酷い有様なのです。

それで、なにか良い方策はないか、とネットを見ておりましたら、「泡盛が花粉症に効く」というキャッチフレーズ。ソースは泡盛会社のウェブページですので、へえー、そんなんだ、ぐらいに見ていたのですが、たまたま自宅に泡盛があったので、試しに飲んでみることに。

そうしたら、例年に比べて症状が軽くなる日が多くなった、と言うのです。完全に良くなったわけではないですが、少しは効き目があるみたい、とのこと。

ちなみに、僕もお相伴にあずかって飲んでいるのですが、この「萬座」という泡盛は素晴らしい。甘みと柔らかさが群を抜いてます。

さて、昨日はモーツァルトを聴いておりました。

僕は、モーツァルトを云々するほどに聞き込んでいるわけではないとしても、ある種清涼剤のようなすがすがしさをモーツァルトに覚えることがあります。特に少し疲れ気味の時には、ジェフリー・テイトが振る交響曲全集から、35番、36番、38番、39番などを選んで聴くことが多いです。

テイトの指揮は研ぎ澄まされた爽やかなもので、大時代風というわけではなく、さらりと流れる演奏です。編成が小さいと言うこともあるかもしれませんね。ある意味面白みが掛けるという評価を下す向きもあるかもしれませんが、僕にとってはご馳走なのです。

この一ヶ月はワーグナー漬だったので(昨日も、そうは良いながらもワーグナーを聴きましたが)、丁度良い休憩になりました。

Miscellaneous

今日はゲーベルのバッハを散漫に聴きながら、部屋の片付けなどをしていたら、あっという間に一日が終ってしまいました。今年度中には部屋をある程度片付けて綺麗にしたいと思っていますが、なかなかはかどらないですね。

近頃オーバーワーク気味だったらしく、ワーグナーも少し休憩。明日からまた仕事ですが、頑張りますよ。

近所の早咲きの桜が開花していて、四分咲きぐらいになっています。今日は本当に暖かくて、窓を開け放していたぐらいです。写真は携帯でとりましたので少々クオリティに問題がありますが、ご容赦を。

Sakura2008

Richard Wagner

ワーグナーを巡る13は以下の通り。

  1. 生年は1813年5月22日
  2. 死亡日は1883年2月13
  3. バイロイト祝祭劇場の会場は1876年8月13
  4. タンホイザーの完成は1844年4月13
  5. タンホイザーが幕を下ろしたのは1861年3月13
  6. タンホイザーのパリ再上演は1895年5月13
  7. Richard Wagnerの名前のアルファベット字数を加算すると13になる。
  8. 生年の1813を足すと13になる。
  9. 亡命生活は13

「ワーグナー」、三光長治、新潮文庫、1990年 11頁

このうちいくつかはコントロールできるけれど、1.、2.、7.、8.はコントロールできない数字ですね、もっとも、誕生日などの記録自体改竄している可能性はあるなあ。もし本当ならば、不気味なぐらいです。

Classical,Richard Wagner

新潮文庫に収められているワーグナーの伝記を読みましたが、なかなか興味深かったです。

ワーグナーの略歴は知っていましたが、きちんとした伝記を読むのはお恥ずかしいことに初めてでした。興味深かった点をリストで。

  • 実は小さいころから音楽に秀でていたわけではなかったのだ、とか、そのことである種批判されたりしたようですね。
  • トリスタン和声は、音楽的な意図からではなく、純粋に、そう書きたいからそうなってしまったのだと言うことみたい。
  • 父親が誰だかわからない、という出生ににまつわる謎が、ジークフリートが言う「父親がわからない」というせりふに反映されているようです。
  • ワーグナーにまつわる13という数字の謎とか(出生年の1813をすべて足すと、13になるなどなど)、予知夢を見たり、コジマとの間でテレパシーもどきの現象がよく起きていたとか……。オカルティズムに半分足を踏み入れたような感覚を覚えました。

ほかにもあるのですが、それは明日まで。今日は急いで更新です。

 

Classical

久々の更新。いろいろあったもので……。これから遡及しようと思いますが。

そんなこんなで、元気になりたいなあ、と思ったときに、聴こうと思ったのが、パヴァロッティの声。ばらの騎士のイタリア人歌手を歌ったパヴァロッティの記憶は新しいし、パヴァロッティのロドルフォ(ボエーム)なんかにも親しんでいたけれど、そういえばソロアルバムを聴いたことはないなあ、と思って図書館から借りてきました。

1991年にハイドパークで行われた野外コンサートの模様。ライナーによれば、このときは既に輝かしい若い時代の声は影を潜めているというのですが、パヴァロッティの若い時分の声の凄さを知らない向きにとっては、このCDに収められているパヴァロッティの声だけで十全な愉悦を味わうことが出来ます。

ピッチも余り狂わないし(何度も聞いているとすこし揺れている部分があるのが分かるぐらい)、歌のフィナーレで徐々にクレッシェンドしていく歌い方とか、少しはしり気味に歌うあたりとか、本当にパヴァロッティらしくて、聴いているだけで嬉しくなってしまいます。

ライナーには、イタリア民謡として紹介されていますが、ビシオの「マンマ」、良い曲だなあ。ほんのひとかけらの憂いをまぜた華麗で明るい曲。歌詞はと言えば、イタリアらしい母性信仰なので、日本語訳を読むとすこしひいてしまいますが。

ともかく、聴いて良かったなあ、このCDは。元気づけられました。

 

Italy2007,Travel

今日一日でイタリア旅行は終わる。明日は早朝の飛行機に乗ってフランクフルト経由で帰国することになっている。 そのヴェネツィア最終日、まずはサン・マルコ広場の鐘楼に昇り、ヴェネツィアの全景を眺めてみようと思う。

サン・マルコ広場に到着したのはそんなに遅い時間ではなかったのだが、鐘楼の登り口には長い列が出来ている。さすがは世界レヴェルの観光地であるだけあって、すさまじい人混み。

鐘楼にはエレベータが付いていて、アルバイトとおぼしき若い青年が、あたかもエレベータガールのように、ドアの開け閉めをしているのだが、分厚い文学書を読みながら仕事をしているのだ! エレベータが鐘楼の頂上に登り降りする細切れの時間をつかって、少しでも読書を進ませようとする意志の強さと言ったら、言葉が出ない。

待つこと十数分でようやくエレベータに乗ることが出来て、鐘楼の頂上へと辿り着く。天気の良さは格別で、雲の類も何一つ浮かばぬ純正な青い空。家並みの赤い屋根瓦がどこまでも続いている。すばらしいのは、フィレンツェでも同じだったが、衛星放送を受信するパラボラアンテナまでも屋根瓦と同じ色に塗られていると言うこと。景観にたいする生真面目な態度に感銘を受ける。

今朝もやっぱりアクア・アルタ気味で、排水溝から海水が逆流している。鐘楼を降りて、サン・マルコ大聖堂の入り口へと続く長い列の最後尾に付いたのだが、聖堂の正面は海水に浸っていて、我々の列は、水の上に渡された板の上を進んでいく。聖堂の玄関もやはり水浸しだった。

サン・マルコ大聖堂の絢爛さと言ったら言葉も出ない。天井を形作る幾つもの円蓋の内側は金色のモザイク画で飾られている。このモザイクの放つ煌々たる気配だけで聖堂内が照らされているようだ。ヴェネツィア巡礼の目的ともなった、聖マルコの遺骸が納められた石棺にはラテン語の碑文が刻まれている。蝋燭の静かな光が心地よい。さすがにこの雰囲気ではカメラを構えにくい。

 

Italy2007

鐘楼から見下ろした広場。排水口から海水がわき出している。その様子を撮影する男。

Italy2007

遠景。巨大な客船が停泊している。

Italy2007

サンマルコ広場。やっぱり排水口から水が湧いている。屋根瓦の統一感が素晴らしい。

 

Tsuji Kunio

辻邦生師が著した「小説への序章」は、哲学書とは違う意味で歯ごたえがあり、初めて手に取ってから十年経ってもまだまだ楽しむ(苦しむ?)ことができます。小説を書くことを基礎づけるための粘り強い論理と、芸術家的、小説家的な直感による議論が交錯していて、容易に落ちることのない城のような堅牢さです。

ここでは、小説が普遍的な価値を持つためにはどうあるべきか、個人的所産である文学作品がどうしたら人間一般に受け入れられるのか、人々に対する力をもつことができるのかというという議論が展開されています。

個人的体験と、普遍的妥当性、客観的必然性の結節点を探る試みは、例えばルソーの内的展開などを例にとって、「苦悩」によって主観性を突き詰めたところにある意識一般、間主観性のようなものにあるものとしているのです。自省的になるのは決して客観からの逃避などではなく、むしろ主観を深化させたところで、はじめて普遍性や客観性をもちうるのだ、というアクロバティックな議論。ですが、それしか方法がない、という議論でもあり、超越論的とも言えるわけです。

辻邦生師は、若い頃から哲学に親しんでいて、この本においても哲学的な知識を総動員して展開していく議論も、決して容易に読み解けるものなのではないのですが、この本に向き合う度に新たな発見を得て、少しずつ理解が深まっていくのが楽しいわけです。

小説がどうしたら人々に対する力を持ちうるのか、という問いは、ひっくり返せば、どうすれば文学を享受する事ができるのか、という問いにもつながります。書き手の方法論だけではなく、読み手の方法論としての重要性も、この本の議論において見いだせると言えましょう。

 

Opera,Richard Wagner

Hagen

niebelung_hagen.mid

ハーゲン、とても気になる存在です。グンターの異父弟にして、アルベリヒの息子。奸智にたけた男。そんな男がもし現代に生まれたらどうなっただろう?

企業組織の立場から言うと、絶対に必要な人物でしょうね。もしハーゲンが企業の中に収まることができたとしたら、間違いなく権力を持って出世していくはず。ある種の目的に向かっては手段を選ばず、それが仮に善意に悖るものであったとしても平気でこなしていく。こういうある種の狡賢さがなければ、企業組織で生きていくことは難しいでしょうね。今の世の中においてなら、ハーゲンは間違いなく命脈を保てる。そして「指環」(に相当するもの)もきちんと手に入れるのでしょう。

ですが、そうした時代も少しずつ変わってくるのかもしれません。コンプライアンスな世の中になりつつありますから。まあ、お互いたたき合っている世の中とも言えますけれど。

ハーゲンの動機はレヴァイン盤(図書館から借りてきた)のライナーに載っていたものを載せてみましたが、この旋律が変形して、ジークフリートを呼ぶ不気味な「Haiho!」という呼びかけが加わると途端に背筋が寒くなります。それに応えるジークフリートの純朴さ。あまりに純朴すぎて、だいじょうぶかな、とやきもきしたり、歯がゆさを感じたり……。

そんなことを思いながら、今日は神々の黄昏を聴き続けておりました。

Richard Wagner

サヴァリッシュが振ったバイエルン国立歌劇場の指環のDVD、少しずつ見ています。本当はGWにまとめてみようと思ったのですが、毎日20分弱ぐらい時間を作ってみようと思って、見始めたのです。昨夜で三晩目でした。今の僕にとって、どうしても演出がネックで心の底から堪能できずにいるのですが、それでも、字幕を見ながら音楽を聴き、映像を見ると言うことは、オペラの理解にとっては実に有用だな、と言うことを感じながら見ています。時間があれば今晩も見ようかな、と思っている次第。ルネ・コロさん、巧いのですが、衣装がちょっとなあ……。

一方で、ショルティ盤の神々の黄昏を聴いて音楽的な予習を行うと同時に、以下の本も読んでいます。

ワーグナーと「指環」四部作 (文庫クセジュ)
  • 発売元: 白水社
  • 価格: ¥ 999
  • 発売日: 1987/10
  • 売上ランキング: 295102
  • おすすめ度 5.0

指環の全体の把捉にとても役立ちます。とりあえず三分の一程読みました。指環自体とはそうそう関係ないのですが、ドイツ語のDonnerstag=木曜日は、雷神Donnnerドンナーから来ているとか、Freitag=金曜日は、美神Freijaフライアから来ているのだ、と言うのを知らなくて、ひっくり返りました。辞書を見ると載っているのですが、今まで気づきませんでした。無知蒙昧に反省&知ることが出来て良かったです。

この二週間ぐらいでしょうか、少々指環に魅入っている感じ。今まで知らなかった美しい旋律やライトモティーフを幾つも覚えたりするのは、本当にエキサイティングな体験です。これだから音楽は止められませんし、オペラを聴かずにはいられない、といった感じです。職業にするには大変な世界だと思いますが、こうして聴取者として関わる分にはとても幸せです。

Miscellaneous,Music

クラシック音楽の再生ともなると、気にしはじめると大変なことになってしまいます。

私も5年ほど前に、オーディオを新調しようと思って、情報収集をしました。スピーカはPIEGAというメーカの音が綺麗で澄んでいるなあ、という印象を持ちましたが、左右セットで50万円はなかなか出せないですね。

せっかくスピーカを買っても、マンション住まいなので十分な音を出すことは出来ませんし、しかも自宅にいるのは夜~朝だけと来ているので、音にはますます気を遣わなければなりません。結局オーディオを新調しても聴く時間が限られてしまうなあ、ということで断念したのでした。

結局、音楽を聴くのはヘッドフォンとiPodの組み合わせが多くなりました。

通勤時間や、夜、朝に聴くとなると、結局はヘッドフォンをかぶらざるを得ないのです。

それに、通勤時間に聴くとなると、騒音の中で聴くことになりますので、自ずと音量が上げてしまいます。そうすると音漏れが気になる。しかも、ダイナミックレンジの大きなオーケストラの音は、ピアノの部分は聞こえず、フォルテの部分は音漏れするという状態に陥ってしまいます。そういうわけで、数年前まではダイナミックレンジの比較的小さな室内楽ばかり聴いていたことがありましたね。

ですが、2年ほど前にヘッドフォンをBOSE社のクワイエットコンフォート2に変えてから状況が変わりました。周知の通り、この製品はノイズキャンセリングを導入しているので、通勤時間の騒音をある程度カットしてくれますので、ダイナミックレンジの広いオーケストラ(オペラ)曲のピアノの部分もちゃんと聞こえてくれる。ですので、音量を下げても大丈夫なので、フォルテの部分の音漏れも防ぐことが出来ます。少し高い製品で、値引きなどもほとんど行われない商品ですが、秀逸なヘッドフォンだと思います。あえて難を言えば、低音域が強調されすぎているのではないか、というところでしょうか。でもそれも最初のうち、気になっただけで、だんだんとなれてきたので、最近では全く気になりません。

そういうわけで、知らず知らずのうちに、通勤時間にもオーケストラ(オペラ含む)を聴くことが出来るようになりました。

再生機について言えば、4年ほど前まではソニーのCDウォークマンでしたが、持ち歩くCDが多すぎて荷物が増えてしまっていました。そこで、当時から流行りだしていたiPodを導入したのでした。iPodの音質についてはいろいろな意見があるようですが、私の場合、とにかくたくさんの楽曲を持ち歩きたい、という要件がありましたので、迷わず選択したわけです。気分によって、オペラを聴くか、オケを聴くか、あるいはジャズを聴くかというふうなフレキシビリティを重視したわけです。

高級オーディオにはかないませんが、私の生活スタイルにあった再生環境を持つことが出来て、本当に助かっています。昨日も今朝も、やっぱりこの再生環境で、ショルティ盤のヴァルキューレを聴いています。