Classical

バーンスタインの演奏を聴いてみて、はてチェリビダッケはどんな風に振っていただろうか、と思って一日中(というか、昼休みと帰宅時ですが)ブラームスの3番をチェリビダッケの演奏で聴いています。

展開部の切迫した熱気がすごいですね。1979年の演奏ですので、67歳頃の演奏でしょうか。最晩年の演奏のようにどっしりとした遅いテンポでオケを鳴らすという感じではなく、テンポをコントロール下に置いてダイナミクスをつけて演奏しています。ですが、バーンスタインの演奏よりもこざっぱりした感じです。最晩年の演奏の重厚なイメージが強かったので、これは発見でした。

第一楽章の展開部の暑さは比類ないもので、オケも何とかついて行っていると思うぐらいの熱気。ここまで熱いとは思ってませんでした。第三楽章は音量のコントロールが絶妙で、時折もたらせ気味のフレージングをとっている。質朴で甘美で憂愁なるブラームス。第四楽章はダイナミクスの幅が大きくてテンポ、フレージングもコントロールされている。意外に激しくてテンションも高い。裏拍を刻むあたりで少々ばらつく場面もあるけれどライブなのでそれも愛嬌。コラールのようなコーダは伸びやかに歌っていて静謐な空気に包まれれ静かに幕を閉じます。

驚いたのは、ホールの音の良さで、ライナーによれば、ガスタイクではなく、ヘルクレスザールでのライブ録音とのこと。音、良いですね。弦楽器の音が白く透き通っています。

  • 作曲==ヨハネス・ブラームス
  • 指揮==セルジュ・チェリビダッケ
  • 管弦楽==ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
  • 録音録画==1979/06/20
  • 場所==ミュンヘン、ヘルクレスザール

今朝もなんとか早起きできました。最近は、仕事から帰って食事をしてすぐに眠ってしまい、明け方に起きてPCと戯れる、という毎日です。食事をした後すぐに眠ってしまうわけですので、おかげで体重が減りません。今年の目標に「痩せる」というものがありましたが、正月から体重はほぼ横ばいの状態です。まあ、横ばいと言うことは少なくとも太ってはいない、ということですので、良しとしましょう。

Just MyShop(ジャストシステム)

そういえば、ATOK2008を購入しました。ダウンロード販売で4725円ですので、店頭で買うより1000円も安い。しかもパッケージもありませんし、説明書もPDFで配布されますので、荷物が増えることもありません。というわけで、迷わずダウンロード購入しました。私は、辞書がセットになっているプレミアムセットを購入しました。こちらは7350円で、国語辞典、英和辞典、和英辞典などがセットになっています。入力しながら、はてこの言葉はここで使って良いのだろうか? みたいなことが不安になるとき、さっと辞書で用法を確認できたりします。今のところなかなか良い感じです。変換効率が向上していると謳われていますが、こちらはもう少し使ってみて見極めてみようと思っています。日本語入力の効率化は、文章作成速度を上げますので、文書作成を頻繁になさていて忙しい方にはお勧めです。

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Classical

バーンスタインのブラームスを聴いています。先日はなんだかしっくり来なかったブラームスの交響曲第三番なのですが、昨日から聴き始めていて、あれ、これは素晴らしいじゃないか、などと急に意見が変わってしまいました。バーンスタインの語法になれてきたと言うこともあると思います。僕の中で何かが変わったと言うことですね。最初は気に入らない演奏であっても、聞き込むうちに理解できてくると言うことなのだと思います。こういう経験は何度あっても嬉しいものです。

第一楽章の冒頭はテンポ遅めなのですが推進力を失うようなことはなく、その後もスロットルを調整しながら飛行を続けるようなイメージです。最近バーンスタインを聴いて思うのは、その場その場で妥当と思われるテンポをしっかりと把握して主張している演奏なのだなあ、ということです。

それから、第二楽章後半の伸びやかな弦楽器が素晴らしい。バーンスタインに目覚めてまだ一ヶ月も経ってないうちにこうした判断をするのは危険かもしれませんが、こういうふうに弦楽器を引っ張って引っ張って歌わせるあたりがバーンスタインらしさの一つなのではないでしょうか。

有名な第三楽章も冒頭のチェロの旋律が泣かせますね。ここでもテンポは抑え気味で、叙情性たっぷり。いいですね。もしかしたらこういう演奏を湿っぽいものとして忌避する向きもあるかもしれませんが、私は嫌いではありません。もっと淡々と演奏するやり方もあると思いますが、今の私にはこちらの方がよりふさわしい演奏だと感じられます。

第四楽章は聴き慣れたテンポに復帰しますので、ほとんど違和感を感じることはありません。だからといって面白みを失っているわけでもありません。ある種の「ノリの良さ」のようなものを感じます。グルーヴ感と言う言葉を私はよく使っていますが、この言葉自体はジャズの演奏を評価するときに使うと便利な言葉だったりするのですが、そうしたグルーヴ感を感じるのですね。おそらくは、裏で支える弦楽器のピチカートの打点が的確だからそう感じるのでしょうね。

いずれにせよ、この二日間は、バーンスタインのブラームスに楽しませて貰ったという感じです。バーンスタインを見る目(聞く耳)が少しずつ醸成できてきたと思います。もっと聴いてみたいですね。バーンスタイン盤のお勧めがあれば、是非コメントなどで教えていただければ本当に嬉しいです。

  • 作曲==ヨハネス・ブラームス
  • 指揮==レナード・バーンスタイン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 録音録画==1981/02/01
  • 場所==ウィーン、ムジークフェラインザール

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Jazz

1日更新を止めてしまいました。少し体調を崩していたようで、睡眠を取ってしまったという感じ。おかげで、体調も治りまして、今朝は早起きして、少々仕事関連の資料を作成。はかどりました。

音楽の方はと言えば、訳あって、ジャズミュージシャンのデビッド・ベノワDavid Bnoitを聴いている感じ。10年前の言葉で言えば、フュージョン系の方で、ピアニストでいらっしゃいます。最近ではスムース・ジャズというのでしょうか。

10年前は、ベノワ氏の音楽をあまり面白いと思わなかったのですが、最近になってようやく良さが分かってきたみたい。聴いていて気持が良いですね。おそらく私が歳を重ねたからだと思います。わりとゆっくりとしたテンポでメジャーキーでしっとりとピアノを弾く感じがいいですね。全体に明るい曲調で、妙に憂鬱ぶったりすることは全くありません。

昨日はといえば、クイケンのブランデンブルク協奏曲も聴いたり、アバドのポストホルンを聴いたり、とクラシックも聴いています。

Classical,Gustav Mahler

バーンスタインが振るマーラーの「復活」を映像で見てみる。1975年のロンドン交響楽団との演奏で、バーンスタインは暗譜でこの曲を振り切っていて、時折ジャンプしたりして、とても元気である。

昨日聴いた8番と同じく、テンポ取りが本当に妥当なものに思える。結構緩急の差がある演奏。個人的にはこれぐらいダイナミックレンジが広いぐらいのほうが好きみたい。特にテンポを遅くしている部分に感興を得るものだから、逆にテンポが「速いだけ」の演奏は苦手めなのかもしれない。フィナーレの部分も相当テンポを落としていて、発露するエネルギーがすさまじい。昔、バーンスタインの復活をエアチェックしたことを思い出す。あの時もこのフィナーレにぐさりとやられたんだよなあ。

  • 作曲==グスタフ・マーラー
  • 指揮==レナード・バーンスタイン
  • 管弦楽==ロンドン交響楽団
  • ソプラノ==シーラ・アームストロング
  • メゾソプラノ==ジャネット・ベイカー
  • 合唱==エディンバラ音楽祭合唱団
  • 録音録画==1973/9/
  • 場所==イギリス、イーリー大聖堂

ここのところオーバーワーク気味だったので、昨日は少々休憩。だが、少し後悔。やはり突っ走っているときが一番よくて、立ち止まるとなかなか再加速出来ない。肉体的な(あるいは精神的な)疲労との相談もあるけれど、やはり走っているときは立ち止まってはいけないのだな、と改めて感じた次第。

最近は、岡本かの子「生々流転」を読んでいて、これがまたとても勉強になる。太陽の光が障子戸に当たっているのを、水飴色と表現しているあたりには感激する。人物描写も巧みだしなあ。もちろん話は戦前のことだから、なおさら興味深かったりして。そうそう、「フラッパー」という言葉が出てきて調べてみると、大辞泉には「おてんば娘。また、はすっぱに振る舞う様」と定義されていて、例文が当の「生々流転」の部分で「蝶ちゃんには、なかなか「フラッパー」なところがあるんだね」と記載されているので、その偶然におどろいてしまった。

Classical

ブーレーズのマーラーの8番を聴いていたのですが、どうもしっくり来なくて、そういえば、今週ブラームスで感動したバーンスタインって、どういう演奏だったかな、などと思って、バーンスタインがウィーンフィルを振った8番の第二部を聴き始めると、期待に違わず素晴らしい演奏です。どうしていままで気づかなかったんだろう。

ザルツブルク音楽祭のライヴ録音で、随所にバーンスタイの声が聞こえます。歌っていますね。テンポのダイナミクス、音量のダイナミクスの取り方が素晴らしくて、人によってはあまりに情感的すぎるなどとおっしゃる向きもあるかもしれないのですが、今の僕にとっては妥当なものに思えます。神秘の合唱にまで至る輝かしい道程。じっくり歌わせるところは歌わせて、ノリの良いところはテンポ良く進んでいきます。この演奏もライブで聴くときっと凄いのでしょうね。

ソリストで言うと、法悦の教父を歌う、ヘルマン・プライさんが素晴らしい。芯のあるつややかな声で情熱的な歌いまわし。一気に好きになってしまいました。テノールのケネス・リーゲルさん、すこし狂おしい感じのテノールでマリア崇拝の博士を情感たっぷりに歌いあげています。

ただ、欠点もあって、以前にも書いたと思うのですが、オルガンの音が良くないのです。それだけが残念。まあライヴレコーディングだから仕方がないでしょうか。

  • 作曲==グスタフ・マーラー
  • 指揮==レナード・バーンスタイン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 合唱==ウィーン国立歌劇場合唱団
  • 少年合唱==ウィーン少年合唱団
  • ソプラノ、罪の女==マーガレット・プライス
  • ソプラノ、贖罪の女==ジュディス・ブレーゲン
  • ソプラノ、栄光の聖母==ゲルティ・ツォイマー
  • アルト、サマリアの女==トゥルデリーゼ・シュミット
  • アルト、エジプトのマリア==アグネス・バルツァ
  • テノール、マリア崇拝の博士==ケネス・リーゲル
  • バリトン、法悦の教父==ヘルマン・プライ
  • バス・黙想の教父==ヨセ・ファン・ダム
  • 録音==1975年8月
  • 場所==ザルツブルク音楽祭

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Miscellaneous

Spana

サーバーのメンテナンスがあったということで、昨日の午前3時頃から午後5時頃まで、ブログが見られない状態でした。サーバー運営会社によれば、ハードエラーで、ディスクを換装したのだそうです。障害なので仕方がないのですが、商用で使っておられる方も居ると思いますので、そういう意味ではちょっと長すぎるメンテナンスですね。ともかく、ご迷惑をお掛けしました。

Italy2007


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ドゥカーレ宮殿を見終わって、ザッカリアの浮き桟橋へ戻って、大運河グランカナルを遡ってサン・トマへ向かう。グランカナルは、さしずめ街の大通りと言った感じで、ゴンドラはもちろんのこと、ヴァポレット、水上タクシー、宅配業者の輸送ボート、警察のボートなどが行き交っている。

ヴァポレットの後部座席に座ってのんびりとサン・トマへむかい、トラットリア・サン・トーマで昼食。広場にせり出した座席に座ると、太陽の光を浴びられて気持が良い。後ろには英国の奥様方が笑い声を立てて食事をしていて、前の方では若いカップルがミックスフライをつまんでいる。相方はラビオリを、私はイカスミのパスタを。興が乗って、ミックスフライとムール貝を頼んだら値が張ってしまい少ししょんぼり。昼食とはいえやはりヴェネツィアの物価は高い。観光地値段だなあ。でも美味しいので可。

Italy2007
Italy2007

サントマの教会の入り口の前でイベリア半島系の黒い髪の男ギターを弾いているのがみえるのだが、食事を終えた若いカップルが帰り際にギターの男に紙幣を渡している。パフォーマーにお金を渡すことなんて、日本では滅多に見かけることもなかったが、若いカップルの優しさ、あるいは習慣に少し感激する。

腹ごなしに街を歩いていると、突然高い鐘楼を持ったフラーリ教会の前へと出てくる。ここにはティツィアーノの「被昇天の聖母」があるというので、少し高い入場料をはたいて入ってみる。正面祭壇に掲げられた絵に対面。昇天する聖母の躍動感が伝わってくる。美術館にある絵も素晴らしいが、教会に所期の目的と共に掲げられる絵も素晴らしい。特に祭壇画ともなると、絵そのものの美しさに加えて、厳粛な空気が、絵を見る者にさらに大きな感歎を与える。

Italy2007
Italy2007

フラーリ教会前の広場が静かなたたずまいでとても気に入る。小運河にかかる太鼓橋に、揺らめく波間の光が反射している。人通りはすくなく、運河にも船は入ってこないし、他の都市なら聞こえてくるであろう自動車の音などもちろん聞こえないから、本当に静かである。こうした街が未だに残っていることに感動を覚える。ヴェネツィアの美しさは風景だけではなく、静穏な空気にもあるのだ。

Italy2007

Classical

いやあ、久々にびっくりしました。昨日の通勤往路の後半から、ふと思い立って、バーンスタインのブラ1を聴いてみたのですよ。先日バーンスタインのブラ3を聴いたときにはレヴァイン盤のほうがいいなあ、などと思っていたので、あまり期待などせずに、リラックスした気持ちで、です。

第一楽章はなんだか、もっさりしている感じで、あまり気持ちも乗らなかったのですが、第二楽章以降、あれ、この演奏すごいかも、と思ったのです。バーンスタインのテンポ取りが伸縮自在で、全体のテンポは遅めと言っても良いのですが、各所への目配りがきちんとなされていて、その時点時点のテンポが必然性を持って迫ってくるのです。この感じは、昨年聞いたバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」でも感じたことです。そうかあ、これがバーンスタインの音作りなのか、といまさらながら改めて感じ入っています。

特に良かったのは第二楽章。ここでバーンスタインに開眼したのです。膨らみのある静謐さで、ブルックナーの緩徐楽章のような雄大さをも感じます。弦楽器が本当によく歌っているのですよ。すばらしいですね。ヴァイオリンの独奏が出てくるあたりのゆったりとした雰囲気、たまらないです。第三楽章のゆったりとした舞曲調のアンニュイな気分。クラリネットがいいなあ。第二主題のバロック建築的な構成美。大きく心を揺さぶられて溶けてしまいそう。第四楽章の気迫、それも巨大な客船が波をわけて大洋を渡っているような安定感と幸福感。 コーダーに至る躍動感と言ったら、言葉になりません。

それで、第一楽章を昼休みに聴きなおしているのですが、もっさりした演奏、だなんてえらそうなことを言って申し訳ありません、という気持ちでいっぱいになりました。私の中で何か変化が起きたらしく、第一楽章にもやはり感動したのでした。

思い出したのですが、25年ほど前かもしれませんが、吉田秀和さんは、バーンスタインがウィーンフィルを振ったベートーヴェンの田園交響曲を「恍惚とした美しさ」と表現したのでした。まさに、このブラームスにも恍惚とした感じを感じずにはいられないのでした。

それから、随所に聞こえるバーンスタインの低いくぐもった歌声。録音に混ざっているのですね。キース・ジャレット状態です。

今更ながら、バーンスタインのことが分かるようになった気分です。本当に嬉しいですね、こういう瞬間は。音楽聴いていて良かったです

  • 作曲==ヨハネス・ブラームス
  • 指揮==レナード・バーンスタイン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 録音==1981/10
  • 場所==ウィーン楽友協会大ホール

Opera,Richard Strauss

昨日からショルティの「ばらの騎士」を聴いています。Amazonよりタワレコのほうがかなり安いですね。2000円も安いです。

主要メンバの中で一番印象的なのが、オックス男爵のユングヴィルトさんで、芯のある輪郭のくっきりとした声で、オックスを歌い上げています。オックスの性格も巧く表現しています。それから、パヴァロッティのイタリア人歌手のすばらしさ。カメオ出演ですが、本当に素晴らしいですね。以前にも増してパヴァロッティの偉大さが心にしみわたりました。ショルティの指揮は虚飾を排した流れるような指揮ですが、たとえば第三幕の序奏の部分では強力な音を聞かせてくれます。こういう迫力もショルティの持ち味なのでしょう。

週末に時間のあるときに、ばらの騎士のスコアを見ながら少し聴いてみたのですが、この曲は本当に難しいのですね。二拍三連の三拍目から歌い出さないといけなかったり、どこが裏でどこが表か分からないところがあったり。オケの方々、歌手の方々を改めて尊敬する次第です。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ゲオルク・ショルティ
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 元帥夫人==レジーヌ・クレスピン
  • オックス男爵==マンフレッド・ユングヴィルト
  • オクタヴィアン==イヴォンヌ・ミントン
  • ゾフィー==ヘレン・ヴィナー
  • イタリア人歌手==ルチアーノ・パヴァロッティ
  • 録音==1968/11
  • 場所==Sophiensaal, Viennna

Japanese Literature,Tsuji Kunio

Tsuji

辻邦生師の文庫版「サラマンカの手帖から」を読んでいます。おそらく手元にある新潮文庫版は絶版です。私も10年ほど前に状態のあまり良くないものを古書店で探し出したのですが、それがまたとても良い作品ばかり収められているのです。

  1. ある告別
  2. 旅の終り
  3. 献身
  4. 洪水の終り
  5. サラマンカの手帖から

この中で一番好きな作品は、もちろん「サラマンカの手帖から」でして、何度となく読み返して、新たな発見に驚くわけですが、今回は「ある告別」の方に取り組んでいます。この作品を以下の七つの部分に分解しながら考えてみました。

1 パリからブリンディジ港まで(51ページ)

エジプト人と出会いと死の領域についての考察

2 ギリシアの青い海(57ページ)

コルフ島のこと、若い女の子達との出会い、若さを見るときに感じる甘い苦痛、憧れ、羨望、生が滅びへと進んでいくもの

3 現代ギリシアと、パルテノン体験(63ページ)

4 デルフォイ、円形劇場での朗読、二人のギリシア人娘との出会い(66ページ)

ギリシアの美少女達の映像、生に憧れることが、流転や没落をとどめる力である。

5 デルフォイからミケーナイへ(72ページ)

光の被膜、アガメムノン、甘美な眠り

6 アテネへもどり、リュカベットスから早暁のパルテノンを望む(73ページ)

7 アクロポリスの日没(75ページ)

若者達が日没のアクロポリスに佇む。彼らもまた若さの役を終えていく。見事な充実を持って、そのときを過すこと。若さから決意を持って離れること。そのことで、若さを永遠の警鐘として造形できる。ギリシアこそが、人間の歴史の若さを表わしていて、ギリシアだけがこの<<若さ>>を完璧な形で刻みつけている。

考えたこと

辻邦生師のパルテノン体験は、三つの文学的啓示のうち第一の啓示であるわけですが、「ある告別」のテーマこそ、このパルテノン体験に基づくものです。パルテノン体験は、「パリの手記(パリ留学時代の日記を再構成した作品)」に始まり、評論、エッセイ、講演などで繰り返し語られていきますが、時代が下るに連れて熱を帯び、繰り返される毎に純化され抽象化して語られていきます。「ある告別」におけるパルテノン体験は、その原初的なものであると考えられます。

パルテノン体験は、芸術が世界を支えている、美が世界を支えている、という直観を喚起するものでしたが、「ある告別」におけるパルテノン体験は、ギリシアが人間の歴史の「若さ」を完璧な形で歴史に刻みつけたものであるのだ、と言う直観につながっていきます。そして、「若さ」を刻みつけ、そこから雄々しく離れていくことが直観され、以下の引用部分へとつながっていきます。

おそらく大切なことは、もっとも見事な充実をもって、その<<時>>を通り過ぎることだ。<<若さ>>から決定的に、しかも決意を持って、離れることだ。(中略)<<若さ>>から決定的にはなれることができた人だけが、はじめて<<若さ>>を永遠の形象として──すべての人々がそこに来り、そこをすぎてゆく<<若さ>>のイデアとして──造形することが出来るにちがいない。

<<ただ一回の生>>であることに目覚めた人だけが、<<生>>について何かを語る権利を持つ。<<生>>がたとえどのように悲惨なものであろうとも、いや、かえってそのゆえに、<<生>>を<<生>>にふさわしいものにすべく、彼らは、努めることができるにちがいない。

若さの形象(=あるいはそれは美の形象とも捉えることが出来ると思いますが)の永遠さを直覚し、コミットすることによって、一回性の<<生>>への眼差しを獲得し、悲惨なる<<生>>をも充実したものにするべく努められるようになる、ということなのでしょうす。

「若さ」が「美」と重なり、「美」があるからこそ「悲惨な生」を生き継ぐことが出来るのだと言うこと、すなわち、嵯峨野明月記的文脈における「世の背理」を哄笑するという境地が述べられているわけです。

「美」が何を指し示すのかを考えるのは面白くて、個人的には、「美」全般が含まれるように思うのですが、エッセイや講演録には「芸術が世を支えている」という具合に、「芸術」という言葉で限定されることが多いようです。そうしたことを考えていたときに、この「ある告別」においては、「美」が「若さ」と重ね合わされているという発見をしたわけで、実に面白いな、と感じています。

さらに言うなら、若さを失い、死へと進んでいく必然的な滅びの感覚こそが、たとえば「春の戴冠」でフィレンツェの未来がひたひた閉じていくような感覚で、それは辻邦生師がトーマス・マンから受けた影響なのだ、とも考えるのでした。

「ある告別」は講談社文芸文庫にも収められていますね。今ならこちらのほうが入手しやすそうです。辻邦生全集ですと第二巻に収められています。