Opera,Richard Strauss

昨日からショルティの「ばらの騎士」を聴いています。Amazonよりタワレコのほうがかなり安いですね。2000円も安いです。

主要メンバの中で一番印象的なのが、オックス男爵のユングヴィルトさんで、芯のある輪郭のくっきりとした声で、オックスを歌い上げています。オックスの性格も巧く表現しています。それから、パヴァロッティのイタリア人歌手のすばらしさ。カメオ出演ですが、本当に素晴らしいですね。以前にも増してパヴァロッティの偉大さが心にしみわたりました。ショルティの指揮は虚飾を排した流れるような指揮ですが、たとえば第三幕の序奏の部分では強力な音を聞かせてくれます。こういう迫力もショルティの持ち味なのでしょう。

週末に時間のあるときに、ばらの騎士のスコアを見ながら少し聴いてみたのですが、この曲は本当に難しいのですね。二拍三連の三拍目から歌い出さないといけなかったり、どこが裏でどこが表か分からないところがあったり。オケの方々、歌手の方々を改めて尊敬する次第です。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ゲオルク・ショルティ
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 元帥夫人==レジーヌ・クレスピン
  • オックス男爵==マンフレッド・ユングヴィルト
  • オクタヴィアン==イヴォンヌ・ミントン
  • ゾフィー==ヘレン・ヴィナー
  • イタリア人歌手==ルチアーノ・パヴァロッティ
  • 録音==1968/11
  • 場所==Sophiensaal, Viennna

Japanese Literature,Tsuji Kunio

Tsuji

辻邦生師の文庫版「サラマンカの手帖から」を読んでいます。おそらく手元にある新潮文庫版は絶版です。私も10年ほど前に状態のあまり良くないものを古書店で探し出したのですが、それがまたとても良い作品ばかり収められているのです。

  1. ある告別
  2. 旅の終り
  3. 献身
  4. 洪水の終り
  5. サラマンカの手帖から

この中で一番好きな作品は、もちろん「サラマンカの手帖から」でして、何度となく読み返して、新たな発見に驚くわけですが、今回は「ある告別」の方に取り組んでいます。この作品を以下の七つの部分に分解しながら考えてみました。

1 パリからブリンディジ港まで(51ページ)

エジプト人と出会いと死の領域についての考察

2 ギリシアの青い海(57ページ)

コルフ島のこと、若い女の子達との出会い、若さを見るときに感じる甘い苦痛、憧れ、羨望、生が滅びへと進んでいくもの

3 現代ギリシアと、パルテノン体験(63ページ)

4 デルフォイ、円形劇場での朗読、二人のギリシア人娘との出会い(66ページ)

ギリシアの美少女達の映像、生に憧れることが、流転や没落をとどめる力である。

5 デルフォイからミケーナイへ(72ページ)

光の被膜、アガメムノン、甘美な眠り

6 アテネへもどり、リュカベットスから早暁のパルテノンを望む(73ページ)

7 アクロポリスの日没(75ページ)

若者達が日没のアクロポリスに佇む。彼らもまた若さの役を終えていく。見事な充実を持って、そのときを過すこと。若さから決意を持って離れること。そのことで、若さを永遠の警鐘として造形できる。ギリシアこそが、人間の歴史の若さを表わしていて、ギリシアだけがこの<<若さ>>を完璧な形で刻みつけている。

考えたこと

辻邦生師のパルテノン体験は、三つの文学的啓示のうち第一の啓示であるわけですが、「ある告別」のテーマこそ、このパルテノン体験に基づくものです。パルテノン体験は、「パリの手記(パリ留学時代の日記を再構成した作品)」に始まり、評論、エッセイ、講演などで繰り返し語られていきますが、時代が下るに連れて熱を帯び、繰り返される毎に純化され抽象化して語られていきます。「ある告別」におけるパルテノン体験は、その原初的なものであると考えられます。

パルテノン体験は、芸術が世界を支えている、美が世界を支えている、という直観を喚起するものでしたが、「ある告別」におけるパルテノン体験は、ギリシアが人間の歴史の「若さ」を完璧な形で歴史に刻みつけたものであるのだ、と言う直観につながっていきます。そして、「若さ」を刻みつけ、そこから雄々しく離れていくことが直観され、以下の引用部分へとつながっていきます。

おそらく大切なことは、もっとも見事な充実をもって、その<<時>>を通り過ぎることだ。<<若さ>>から決定的に、しかも決意を持って、離れることだ。(中略)<<若さ>>から決定的にはなれることができた人だけが、はじめて<<若さ>>を永遠の形象として──すべての人々がそこに来り、そこをすぎてゆく<<若さ>>のイデアとして──造形することが出来るにちがいない。

<<ただ一回の生>>であることに目覚めた人だけが、<<生>>について何かを語る権利を持つ。<<生>>がたとえどのように悲惨なものであろうとも、いや、かえってそのゆえに、<<生>>を<<生>>にふさわしいものにすべく、彼らは、努めることができるにちがいない。

若さの形象(=あるいはそれは美の形象とも捉えることが出来ると思いますが)の永遠さを直覚し、コミットすることによって、一回性の<<生>>への眼差しを獲得し、悲惨なる<<生>>をも充実したものにするべく努められるようになる、ということなのでしょうす。

「若さ」が「美」と重なり、「美」があるからこそ「悲惨な生」を生き継ぐことが出来るのだと言うこと、すなわち、嵯峨野明月記的文脈における「世の背理」を哄笑するという境地が述べられているわけです。

「美」が何を指し示すのかを考えるのは面白くて、個人的には、「美」全般が含まれるように思うのですが、エッセイや講演録には「芸術が世を支えている」という具合に、「芸術」という言葉で限定されることが多いようです。そうしたことを考えていたときに、この「ある告別」においては、「美」が「若さ」と重ね合わされているという発見をしたわけで、実に面白いな、と感じています。

さらに言うなら、若さを失い、死へと進んでいく必然的な滅びの感覚こそが、たとえば「春の戴冠」でフィレンツェの未来がひたひた閉じていくような感覚で、それは辻邦生師がトーマス・マンから受けた影響なのだ、とも考えるのでした。

「ある告別」は講談社文芸文庫にも収められていますね。今ならこちらのほうが入手しやすそうです。辻邦生全集ですと第二巻に収められています。

Miscellaneous




http://www.towerrecords.jp/company/pdf/20080128w%20point.pdf

昨日は所用のため朝から都心へ出掛けていました。帰ったのは23時頃。思ったより疲れていて、今朝は久々に寝坊をしてしまいました。今日も所用のため外出。先ほど帰ってきたところです。

とはいえ、昨日はしっかり新宿のタワーレコードに行ってかなり久々に大人買いを……。ポイント二倍は魅力的でした。巷で評判のブーレーズのマーラの8番を買ったり、クイケン兄弟の「音楽の捧げもの」を買ったりと、充実した(?)買い物を愉しみました。あっという間にポイントが溜まりましたので嬉しいですね。その分財布は寂しくなりましたけれど。

今日はそう言うわけであまり音楽を聴けず。今はショルティの「ばらの騎士」を聴いていますが、こちらについてはまたあらためて書きたいと思っています。

Italy2007

朝食を終えて身支度をして、意気揚々として宿を飛び出した。ヴァポレット51番は定刻通りにザッテレの浮き桟橋に横付けされるのだが、乗客が溢れんばかり。スーツケースをもった夫婦、ビデオカメラを構えたサングラスをかけた太った白髪の男。僕も負けじとカメラを構える。昨日と同じように濃いブルーの空を背景に、茶色い鐘楼が見え始め、ドゥカーレ宮殿が花色に輝き、その向こうにサン・マルコ大聖堂の複雑な装飾が見えてくる。サン・マルコ広場は朝早いというのにもう人だかりがしているのだが、そんなことは全く気にならない。ドゥカーレ宮殿と鐘楼が現れただけで溜息が出てしまう。これが同じ地球上の風景なのだろうか。この海が日本まで繋がっていることが信じられないほど。

サンマルコ広場傍のザッカリアという桟橋に到着しゴンドラが何隻もつながれた桟橋の傍にでる。潮位が高く、広場に水が溢れようとしている。これがアクア・アルタっていうやつか、と言う感じ。広場の排水溝から海水が逆流しているのも分かる。

Italy2007

ドゥカーレ宮殿に入るのも一苦労。一番面白かったのは、地図の間で、18世紀頃?の日本地図もあって、京都のところにはMeacoとつづられていて、九州にはBungoとつづられていた。

ドゥカーレ宮殿から撮った、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島。

Italy2007

Classical

レヴァインさんのブラームスを聴いています。レヴァインさんのレコーディングを意識して聴くようになったのはこの一年以内だと思います。レヴァインさんの演奏は驚くほど自分の気持とフィットするので驚いています。このブラームスの交響曲第三番も昨年の10月に一度取り上げておりましたね。演奏はといえば、ダイナミックレンジの幅が広く、またテンポを微妙に調整して、曲の持つ推進力を損なわずに気品ある雰囲気を巧く表現しておられます。第三楽章の悲哀に満ちた旋律も素晴らしくて、溶けてしまいそうです。第四楽章のドライブ感も美しさを保ちながらも気迫のこもった演奏です。

それにしてもウィーンフィルの音は素晴らしくて、特に弦楽器の豊かな柔らかさに心が打たれます。ウィーンらしい典雅な情緒が滲み出ているというところ。1992年に楽友協会大ホールでの録音ですが、残響音もほどよく柔らかくて、渋みのあるブラームスをうまく中和して、優雅な響きに仕立て上げています。

ブラームスの交響曲の中で、一番好きなのは最近では三番になっています。初めて聴いたブラームスの交響曲は四番で、小さい頃にショルティ盤を聴いて感動していたのを覚えています。それから一番に興味が移って、これはサイトウ・キネン・オーケストラの結成時に小澤征爾が振っているのを映像で見て感激したからです。それ以降は、チェリビダッケやヴァントの全集を聴いていましたが、徐々に三番が自分の気分にフィットするようになってきました。昨日から、レヴァイン盤のほかに、カラヤン盤とバーンスタイン盤を通勤時間に聴きましたが、この中ではレヴァイン盤が一番気に入ったという感じです。

  • 作曲==ヨハネス・ブラームス
  • 指揮==ジェームス・レヴァイン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 録音==1992/11/01
  • 場所==ウィーン楽友協会大ホール

関連記事;http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/2007/10/17212817.html

また雪ですね。今朝も起きてみると、庭も道路も真っ白。今週の頭から通勤は寒さとの闘いですね。昨年よりもずいぶんと寒くて、毎日凍えています。

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Classical,Miscellaneous




http://www.towerrecords.jp/company/pdf/20080128w%20point.pdf

2月9日、10日、11日は、タワーレコードWポイントセールだそうです。先だっての日曜日、新国立劇場に出掛ける前に寄ってみたのですが、Wポイントセールの看板が出ていたので、買うのを止めました。今週末、所用で新宿方面へ出掛けますので、ついでに何か買ってしまおうかな、と画策中です。
ちなみに、上のバナーからは、オンラインショップに行けるのですが、オンラインショップもやはりWポイントセールをやるみたいですね。私のように、実店舗でもオンラインショップでも買う方にとっては、どちらで買おうか悩みどころですね。

Italy2007

New Year

旅も中盤にさしかかり、さすがに疲労はあるのだが、なんとか早起きをして、ヴェネツィアの夜明けを観に行く。といっても、まだ7時半ちょっと前ぐらい。この日の日の出は7時17分。まだあたりは薄暗い。宿から出て数十メートル歩いたところで、ちょうど朝陽が昇ってくるのに出くわす。幅の広いジュデッカ運河に客船が煙を吐きながら進んでいく。海辺の街灯の形が素敵である。気温が低く、さすがに外に長居は出来ず(防寒着をあまり持ってこなかったのだ)、早々に宿屋に引き上げる。朝食はコンチネンタルスタイルで楽しみにしていたビュッフェタイプではない。トーストされたパンにイチゴのジャムをつけて食べ、珈琲を飲む。

Opera,Richard Strauss

Salome in NNTT

行って参りました。サロメ@新国立劇場。

結論。面白かったですが、初日と言うこともあって、さすがにすこしこなれない感じはしました。

ウシャコワさんは、初のサロメ役ということもあって、少し硬くなっていたでしょうか。出端は少し緊張して居たのかもしれません。にもかかわらずパワフルな歌でしたし、中盤以降は少しずつ盛り返してきたかな、と言う感じ。レパートリーとしては、ミミ、蝶々夫人、リュー、ヴィオレッタ、デスデモーナという感じですので、サロメはご本人にとっても、性格的に新たなる境地と言うところなのではないでしょうか。さすがに難しいのでしょう。

ちなみに、七つのベールの踊りも以前みたものとくらべて格段に良かったですね。さすがにオペラグラスで見るのは憚られました。オペラグラスでみていたら、下卑た男だと思われてしまいそう。それぐらい扇情的な場面もあったのでした。

ヨカナーンのヴェーグナーさんも良かったですね。ヴォータン歌いなのだそうですが、さすがの歌唱力。途中で歌詞をロストした様な気がして、聴いている方も動揺するぐらいだったのですが、その後は安定した歌唱を披露。ああいう声は西欧人しか出せないのだろうなあ、と思うぐらい。

一番良かったのがヘロデ王を歌ったヴォルフガング・シュミットさんで、ヘロデ王の神経質な性格をよく歌い出していて、しかも歌も安定していて、舞台を引き締めていたと思います。

オケは良かったと思います。こちらも出端は勢いが感じられず、少し心配になりましたが、中盤以降がよかったです。レヒナーさんの指揮はやはりテンポコントロールをしっかり取っていた演奏でしたね。

二週連続でシュトラウスのオペラを見ると言うことが出来るという僥倖に恵まれました。これは本当に感謝ですね。

次のオペラ予定は少しあいて、4月13日に新国立劇場で「魔弾の射手」を観る予定。またそろりと予習を始めようと思います。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 演出==アウグスト・エファーディング
  • 指揮==トーマス・レスナー
  • 管弦楽==東京交響楽団
  • ヘロデ==ヴォルフガング・シュミット
  • ヘロディアス==小山由美
  • サロメ==ナターリア・ウシャコワ
  • ヨカナーン==ジョン・ヴェーグナー
  • ナラボート==水口聡
  • 日時==2008/02/03
  • 場所==新国立劇場大劇場

ウェルカム・フラワーは、昨週とは違うものに変わっていましたね。おしゃれすぎ。これから新国に行ったら毎回写真撮ろう!

Salome in NNTT

雪の降りしきる中の新国立劇場。

Salome in NNTT

「オペラ・パレス」とはちと言いにくいですね、さすがに。面映ゆい。

Salome in NNTT

Opera

いよいよ今日は新国立劇場のサロメです。

ナターリア・ウシャコワさんの略歴が、新国立劇場から送られてくるThe Atreに載っているので見てみたのですが、やっぱりこの人も工業大学で物理学専攻だったそうで、ベルリンへ物理学のために留学しようか、と言うところまで行ったそうです。クライバーもそうでしたが、やっぱり音楽には理系の頭も必要なのですね……。

現在はウズベキスタンに属しているタシケントで育ったそうで、歌自体は、小さい頃からオペラが好きだったとのこと。それで、物理学をから音楽に転身してサンクト・ペテルブルク音楽院へ留学。ネトレプコと三年間同じ部屋に住んでいたのだとか。

ウシャコワさんの冷徹なサロメの性格分析が興味深い。ウシャコワさんによれば、サロメはただのわがまま娘で、ほしがるものは何でも与えられていた「子供」なのであって、初めて「ノー」と行ったのはヨカナーンで、首を切られたヨカナーンの唇に血の味を感じたとき、自分の望んだことの意味を知るのである、という解釈。なるほど、ですね。

ただ、個人的には、どうしてサロメがヨカナーンの唇を欲したのか、というところがどうにも難しくて仕方がない。ヨカナーンのことを悪し様に言っておきながらも、唇を欲するとは如何にも猟奇的でなのであって、わがまま娘だからというだけではなく、頽廃的な欲求がそこに隠れているに違いないのです。それは、人類誕生からあった心の闇の部分なのであって、おそらくは皆が皆、多少の違いはあれ持っているものなのであり、それをオペラで見せつけられるときに、自ら持つ闇が揺り動かされ、感興が生じるのです。

今日の東京地方は雪ですね。明け方から静かに降り続いています。電車が止まらずに無事に新国立劇場に行けますように!

Snow

Opera,Richard Strauss

ちなみに、楽譜も届きました。正解は以下の譜面の通り。三連符でしたか。だから、頭とか裏とか分からなかったのですね。未熟でした。しかし、言い訳を言わせて貰うと、その後、拍子が変則になって、4/4→(3/4→3/3)×3回→5/4→3/4と、一小節ごとに拍子が変わっている。変拍子です。これじゃあ全くとれなくてもやむなしだなあ。指揮者はどうやって振るんだろう? 

Salome

salome_02.mid