夕食の様子。宿の近所のスーパーマーケットにてプロシュート、サラダの盛り合わせ、パイ、牛乳、ビール、赤ワインなどを買い込んでくる。少々贅沢で、日本円で1000円は超えているけれど、外食したことを思えば本当に安い、という感じ。サラダと生ハムを一緒に食べると極めて美味で、ワインもやはり美味しくて、疲れと酔いとで眠り込んでしまう。翌朝は早く起きて朝のヴェネツィアを味わう予定。
ウォーキングしてきました──神々の黄昏を聴いています。
昨年、ニーベルングの指輪をDVDで見ていましたが、「ジークフリート」までで止まっていて、まだ「神々の黄昏」まで入っていません。DVDで見るとはいえ、さすがに長大な「ニーベルングの指輪」は見るためには意志力が必要。その場で理解することなんてできやしません。ですので、いつもオペラを見に行く前にやっている予習をしてから、DVDを見ようと思った次第。そういうわけで、まずは曲に慣れる、ワグナーに慣れるという意味で、ショルティの「神々の黄昏」を聴いています。しかし長いですね。なかなか進みません。ちょっと計画的に聴いていかないとなかなか歯が立たないようです。
昨日は、また小田急電鉄が主催する「のんびりハイク&ウォーク」に参加してきました。といっても、今回は山登りではなく、町歩きでした。ウォーキングとしては良かったです。ただ、町中を歩くので、森林の中を歩いて得られる清々しさはあまりなく、いつもの山行よりも帰宅してからの疲労度は激しかったです。
コースは、玉川学園前駅から、町田の市内をぐるりと歩いて鶴川駅まで歩くもの。住宅地中心とはいえ、多少はアップダウンもあり、公園の中にもコースが取られていたので、風景に飽きることもなく楽しめました。驚いたのは、玉川学園前に受付時間の20分前ぐらいに到着したのですが、既に受付には長蛇の列。団塊の世代の方々が多く、少々気後れしてしまいました。 一応10キロのコースで、標準的な速さで3時間かかるところを、最初のほうで結構飛ばしたおかげもあって、2時間強で歩き終えました。
コースには町田市の中心部の薬師池公園も含まれていて、園内には池や不動尊があったりして、なかなか良い雰囲気。巨大な銀杏の木も迫力ありました。
そんなこんなで、帰宅してから、異様に疲れてしまい、久々に長時間眠り込んでしまいました。おかげで今朝は早起きが出来ず。起きたのは8時前頃でした。久々に長い距離を歩いたので疲れていたのでしょう。起きてすぐに手早く準備をして近所のカフェへ。仕事をしたのですが、少々はかどりが悪い。最近は少し気が抜けている。これから気合いを入れ直して仕事に励みます。
ブラームスの三番の長さ比較
なんだか、ブラームスの3番ばかり聴いているような気がします。ヴァント氏のブラームスの3番を聴いたのですが、昔はあんなに良い、と思っていたのに、今聴くと何か物足りない気がします。要因の一つが録音で、僕の再生装置では音がくぐもってしまい、どうも感興が削がれてしまうのです。やはりiPodだけで聴くのではなく、ちゃんとしたオーディオで聴かなければならないのか、と思うと少し虚脱感を覚えてしまいます。オーディオはちと高いですし、部屋で大音量で聴くわけにも行かない。今の生活だと、やはりヘッドフォンを掛けて聴くしか選択肢がないのです。もっとも、それでも録音が良いアルバムは楽しむことが出来ますので、良いのですが、ヴァント盤のような演奏が楽しめなくなるのは寂しいですね。
ブラームスの交響曲第三番の演奏時間比較を作ってみました。
- 青が第一楽章、紫が第二楽章、薄黄色が第三楽章、薄緑色が第四楽章。
- 単位は秒。
- 繰り返しの有無や版の違いなどで時間が変わっていることも考えらえる。
第一楽章はバーンスタインが最も長いのですが、これは繰り返しをやっているからだと見ています。予想以上にバーンスタインはゆっくりとした演奏なのですね。
今度はチェリビダッケのブラームス3番を聴いてみる
バーンスタインの演奏を聴いてみて、はてチェリビダッケはどんな風に振っていただろうか、と思って一日中(というか、昼休みと帰宅時ですが)ブラームスの3番をチェリビダッケの演奏で聴いています。
展開部の切迫した熱気がすごいですね。1979年の演奏ですので、67歳頃の演奏でしょうか。最晩年の演奏のようにどっしりとした遅いテンポでオケを鳴らすという感じではなく、テンポをコントロール下に置いてダイナミクスをつけて演奏しています。ですが、バーンスタインの演奏よりもこざっぱりした感じです。最晩年の演奏の重厚なイメージが強かったので、これは発見でした。
第一楽章の展開部の暑さは比類ないもので、オケも何とかついて行っていると思うぐらいの熱気。ここまで熱いとは思ってませんでした。第三楽章は音量のコントロールが絶妙で、時折もたらせ気味のフレージングをとっている。質朴で甘美で憂愁なるブラームス。第四楽章はダイナミクスの幅が大きくてテンポ、フレージングもコントロールされている。意外に激しくてテンションも高い。裏拍を刻むあたりで少々ばらつく場面もあるけれどライブなのでそれも愛嬌。コラールのようなコーダは伸びやかに歌っていて静謐な空気に包まれれ静かに幕を閉じます。
驚いたのは、ホールの音の良さで、ライナーによれば、ガスタイクではなく、ヘルクレスザールでのライブ録音とのこと。音、良いですね。弦楽器の音が白く透き通っています。
- 作曲==ヨハネス・ブラームス
- 指揮==セルジュ・チェリビダッケ
- 管弦楽==ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
- 録音録画==1979/06/20
- 場所==ミュンヘン、ヘルクレスザール
今朝もなんとか早起きできました。最近は、仕事から帰って食事をしてすぐに眠ってしまい、明け方に起きてPCと戯れる、という毎日です。食事をした後すぐに眠ってしまうわけですので、おかげで体重が減りません。今年の目標に「痩せる」というものがありましたが、正月から体重はほぼ横ばいの状態です。まあ、横ばいと言うことは少なくとも太ってはいない、ということですので、良しとしましょう。
そういえば、ATOK2008を購入しました。ダウンロード販売で4725円ですので、店頭で買うより1000円も安い。しかもパッケージもありませんし、説明書もPDFで配布されますので、荷物が増えることもありません。というわけで、迷わずダウンロード購入しました。私は、辞書がセットになっているプレミアムセットを購入しました。こちらは7350円で、国語辞典、英和辞典、和英辞典などがセットになっています。入力しながら、はてこの言葉はここで使って良いのだろうか? みたいなことが不安になるとき、さっと辞書で用法を確認できたりします。今のところなかなか良い感じです。変換効率が向上していると謳われていますが、こちらはもう少し使ってみて見極めてみようと思っています。日本語入力の効率化は、文章作成速度を上げますので、文書作成を頻繁になさていて忙しい方にはお勧めです。
バーンスタインのブラームス3番にまた感動。
バーンスタインのブラームスを聴いています。先日はなんだかしっくり来なかったブラームスの交響曲第三番なのですが、昨日から聴き始めていて、あれ、これは素晴らしいじゃないか、などと急に意見が変わってしまいました。バーンスタインの語法になれてきたと言うこともあると思います。僕の中で何かが変わったと言うことですね。最初は気に入らない演奏であっても、聞き込むうちに理解できてくると言うことなのだと思います。こういう経験は何度あっても嬉しいものです。
第一楽章の冒頭はテンポ遅めなのですが推進力を失うようなことはなく、その後もスロットルを調整しながら飛行を続けるようなイメージです。最近バーンスタインを聴いて思うのは、その場その場で妥当と思われるテンポをしっかりと把握して主張している演奏なのだなあ、ということです。
それから、第二楽章後半の伸びやかな弦楽器が素晴らしい。バーンスタインに目覚めてまだ一ヶ月も経ってないうちにこうした判断をするのは危険かもしれませんが、こういうふうに弦楽器を引っ張って引っ張って歌わせるあたりがバーンスタインらしさの一つなのではないでしょうか。
有名な第三楽章も冒頭のチェロの旋律が泣かせますね。ここでもテンポは抑え気味で、叙情性たっぷり。いいですね。もしかしたらこういう演奏を湿っぽいものとして忌避する向きもあるかもしれませんが、私は嫌いではありません。もっと淡々と演奏するやり方もあると思いますが、今の私にはこちらの方がよりふさわしい演奏だと感じられます。
第四楽章は聴き慣れたテンポに復帰しますので、ほとんど違和感を感じることはありません。だからといって面白みを失っているわけでもありません。ある種の「ノリの良さ」のようなものを感じます。グルーヴ感と言う言葉を私はよく使っていますが、この言葉自体はジャズの演奏を評価するときに使うと便利な言葉だったりするのですが、そうしたグルーヴ感を感じるのですね。おそらくは、裏で支える弦楽器のピチカートの打点が的確だからそう感じるのでしょうね。
いずれにせよ、この二日間は、バーンスタインのブラームスに楽しませて貰ったという感じです。バーンスタインを見る目(聞く耳)が少しずつ醸成できてきたと思います。もっと聴いてみたいですね。バーンスタイン盤のお勧めがあれば、是非コメントなどで教えていただければ本当に嬉しいです。
- 作曲==ヨハネス・ブラームス
- 指揮==レナード・バーンスタイン
- 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
- 録音録画==1981/02/01
- 場所==ウィーン、ムジークフェラインザール
ジャズなど聴いたりしてみて──
1日更新を止めてしまいました。少し体調を崩していたようで、睡眠を取ってしまったという感じ。おかげで、体調も治りまして、今朝は早起きして、少々仕事関連の資料を作成。はかどりました。
音楽の方はと言えば、訳あって、ジャズミュージシャンのデビッド・ベノワDavid Bnoitを聴いている感じ。10年前の言葉で言えば、フュージョン系の方で、ピアニストでいらっしゃいます。最近ではスムース・ジャズというのでしょうか。
10年前は、ベノワ氏の音楽をあまり面白いと思わなかったのですが、最近になってようやく良さが分かってきたみたい。聴いていて気持が良いですね。おそらく私が歳を重ねたからだと思います。わりとゆっくりとしたテンポでメジャーキーでしっとりとピアノを弾く感じがいいですね。全体に明るい曲調で、妙に憂鬱ぶったりすることは全くありません。
昨日はといえば、クイケンのブランデンブルク協奏曲も聴いたり、アバドのポストホルンを聴いたり、とクラシックも聴いています。
あらためてバーンスタインの「復活」を。
バーンスタインが振るマーラーの「復活」を映像で見てみる。1975年のロンドン交響楽団との演奏で、バーンスタインは暗譜でこの曲を振り切っていて、時折ジャンプしたりして、とても元気である。
昨日聴いた8番と同じく、テンポ取りが本当に妥当なものに思える。結構緩急の差がある演奏。個人的にはこれぐらいダイナミックレンジが広いぐらいのほうが好きみたい。特にテンポを遅くしている部分に感興を得るものだから、逆にテンポが「速いだけ」の演奏は苦手めなのかもしれない。フィナーレの部分も相当テンポを落としていて、発露するエネルギーがすさまじい。昔、バーンスタインの復活をエアチェックしたことを思い出す。あの時もこのフィナーレにぐさりとやられたんだよなあ。
- 作曲==グスタフ・マーラー
- 指揮==レナード・バーンスタイン
- 管弦楽==ロンドン交響楽団
- ソプラノ==シーラ・アームストロング
- メゾソプラノ==ジャネット・ベイカー
- 合唱==エディンバラ音楽祭合唱団
- 録音録画==1973/9/
- 場所==イギリス、イーリー大聖堂
ここのところオーバーワーク気味だったので、昨日は少々休憩。だが、少し後悔。やはり突っ走っているときが一番よくて、立ち止まるとなかなか再加速出来ない。肉体的な(あるいは精神的な)疲労との相談もあるけれど、やはり走っているときは立ち止まってはいけないのだな、と改めて感じた次第。
最近は、岡本かの子「生々流転」を読んでいて、これがまたとても勉強になる。太陽の光が障子戸に当たっているのを、水飴色と表現しているあたりには感激する。人物描写も巧みだしなあ。もちろん話は戦前のことだから、なおさら興味深かったりして。そうそう、「フラッパー」という言葉が出てきて調べてみると、大辞泉には「おてんば娘。また、はすっぱに振る舞う様」と定義されていて、例文が当の「生々流転」の部分で「蝶ちゃんには、なかなか「フラッパー」なところがあるんだね」と記載されているので、その偶然におどろいてしまった。
あらためて感動したバーンスタイン/マーラー交響曲第8番
ブーレーズのマーラーの8番を聴いていたのですが、どうもしっくり来なくて、そういえば、今週ブラームスで感動したバーンスタインって、どういう演奏だったかな、などと思って、バーンスタインがウィーンフィルを振った8番の第二部を聴き始めると、期待に違わず素晴らしい演奏です。どうしていままで気づかなかったんだろう。
ザルツブルク音楽祭のライヴ録音で、随所にバーンスタイの声が聞こえます。歌っていますね。テンポのダイナミクス、音量のダイナミクスの取り方が素晴らしくて、人によってはあまりに情感的すぎるなどとおっしゃる向きもあるかもしれないのですが、今の僕にとっては妥当なものに思えます。神秘の合唱にまで至る輝かしい道程。じっくり歌わせるところは歌わせて、ノリの良いところはテンポ良く進んでいきます。この演奏もライブで聴くときっと凄いのでしょうね。
ソリストで言うと、法悦の教父を歌う、ヘルマン・プライさんが素晴らしい。芯のあるつややかな声で情熱的な歌いまわし。一気に好きになってしまいました。テノールのケネス・リーゲルさん、すこし狂おしい感じのテノールでマリア崇拝の博士を情感たっぷりに歌いあげています。
ただ、欠点もあって、以前にも書いたと思うのですが、オルガンの音が良くないのです。それだけが残念。まあライヴレコーディングだから仕方がないでしょうか。
- 作曲==グスタフ・マーラー
- 指揮==レナード・バーンスタイン
- 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
- 合唱==ウィーン国立歌劇場合唱団
- 少年合唱==ウィーン少年合唱団
- ソプラノ、罪の女==マーガレット・プライス
- ソプラノ、贖罪の女==ジュディス・ブレーゲン
- ソプラノ、栄光の聖母==ゲルティ・ツォイマー
- アルト、サマリアの女==トゥルデリーゼ・シュミット
- アルト、エジプトのマリア==アグネス・バルツァ
- テノール、マリア崇拝の博士==ケネス・リーゲル
- バリトン、法悦の教父==ヘルマン・プライ
- バス・黙想の教父==ヨセ・ファン・ダム
- 録音==1975年8月
- 場所==ザルツブルク音楽祭
サーバーメンテナンス
サーバーのメンテナンスがあったということで、昨日の午前3時頃から午後5時頃まで、ブログが見られない状態でした。サーバー運営会社によれば、ハードエラーで、ディスクを換装したのだそうです。障害なので仕方がないのですが、商用で使っておられる方も居ると思いますので、そういう意味ではちょっと長すぎるメンテナンスですね。ともかく、ご迷惑をお掛けしました。
イタリア紀行2007 その39 サントマ広場での食事と、フラーリ教会
ドゥカーレ宮殿を見終わって、ザッカリアの浮き桟橋へ戻って、大運河グランカナルを遡ってサン・トマへ向かう。グランカナルは、さしずめ街の大通りと言った感じで、ゴンドラはもちろんのこと、ヴァポレット、水上タクシー、宅配業者の輸送ボート、警察のボートなどが行き交っている。
ヴァポレットの後部座席に座ってのんびりとサン・トマへむかい、トラットリア・サン・トーマで昼食。広場にせり出した座席に座ると、太陽の光を浴びられて気持が良い。後ろには英国の奥様方が笑い声を立てて食事をしていて、前の方では若いカップルがミックスフライをつまんでいる。相方はラビオリを、私はイカスミのパスタを。興が乗って、ミックスフライとムール貝を頼んだら値が張ってしまい少ししょんぼり。昼食とはいえやはりヴェネツィアの物価は高い。観光地値段だなあ。でも美味しいので可。
サントマの教会の入り口の前でイベリア半島系の黒い髪の男ギターを弾いているのがみえるのだが、食事を終えた若いカップルが帰り際にギターの男に紙幣を渡している。パフォーマーにお金を渡すことなんて、日本では滅多に見かけることもなかったが、若いカップルの優しさ、あるいは習慣に少し感激する。
腹ごなしに街を歩いていると、突然高い鐘楼を持ったフラーリ教会の前へと出てくる。ここにはティツィアーノの「被昇天の聖母」があるというので、少し高い入場料をはたいて入ってみる。正面祭壇に掲げられた絵に対面。昇天する聖母の躍動感が伝わってくる。美術館にある絵も素晴らしいが、教会に所期の目的と共に掲げられる絵も素晴らしい。特に祭壇画ともなると、絵そのものの美しさに加えて、厳粛な空気が、絵を見る者にさらに大きな感歎を与える。
フラーリ教会前の広場が静かなたたずまいでとても気に入る。小運河にかかる太鼓橋に、揺らめく波間の光が反射している。人通りはすくなく、運河にも船は入ってこないし、他の都市なら聞こえてくるであろう自動車の音などもちろん聞こえないから、本当に静かである。こうした街が未だに残っていることに感動を覚える。ヴェネツィアの美しさは風景だけではなく、静穏な空気にもあるのだ。