Gustav Mahler

マーラー : 交響曲第6番イ短調 「悲劇的」 マーラー : 交響曲第6番イ短調 「悲劇的」
シカゴ交響楽団 (1994/04/22)
ユニバーサルクラシック

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この一ヶ月ほどで、最も好きな曲達の仲間入りを果たしているマーラーの交響曲第6番ですが、今日はショルティ盤を聞いてみました。のっけから切れ味のある鋭い演奏。スネアドラムのキレがとても良いです。雄々しさをも感じます。だから、美しいアルマのテーマもどこか力強さを感じさせます。アルマ・マーラーの奥底まで見透かしたような演奏。シカゴ交響楽団は本当に巧いですね。もちろん、シカゴの管が巧いという先入観があるから、というのもあるのでしょうけれど、ホルンのフレージングとかいともたやすく吹いているように聞こえるのですが、本当はとても難しいのだろうなあ、と思います。いろいろと意見はあるみたいなのですが、僕個人としてはショルティのマーラーはそんなに嫌いではないな、とおもいました。今日も気づけばマーラーを聞いていました、という感じです。


今朝は5時半に起きました。この一ヶ月のなかでは一番早起きかも知れません。少し疲れていましたが、少々仕事を。途中で脱線しましたが、8時に朝食をとるまではなんとか続けられました。朝食はシリアルにレーズンを入れてミルクを注いだもの。こういう朝食はとても大好きです。

食べながらNHKの「小さな旅」を見たのですが、祐天寺界隈が取り上げられていました。その中でも感銘を受けたのが、祐天寺で戦後からパン屋を経営しているおじいさんの話。昔ながらの形をした、あのグローブのような形のクリームパンを丁寧に丁寧にラップに包んでいるのです。その真摯で優しい姿をみて感涙。途中から見たので文脈が分らないのですが、パン屋はなぜか午前1時に開店するのですが、その時点でパン屋の前には長蛇の列。しかも若者が多い。シャッターを開けるおじいさん。若者達はおそらくは深夜まで仕事をしたり遊んだりして祐天寺に帰ってきたのでしょうが、その彼らが、夜食や翌日の食事にとパンをどんどん買っていく。やはりおじいさんの人柄に惹かれて買っているということもあるでしょうし、パンももちろんおいしいのでしょう。祐天寺近くに住んでいたら絶対に買いに行きたいなあ、と強く思ったのでした。

日本もいろいろ世知辛くなっていますが、こういうあたたかい話もまだ残っているんだ、と思うと、幸せな気分になりました。きっと、あのパンを食べている人も、いろいろ大変な世の中なかで、必死に生きているのだとおもうのですが、パンを食べてひとときの幸せを感じて、おじいさんからもパンからも生きる力をもらっているのでしょうね。久々にいい話を観て良かったです。最近、ニュースを見たり聞いたりすると憂鬱になるので、あまりニュースを見ないようにしてますし、新聞も読まない感じなのですが、こういうテレビ番組でしたら何度でも観たいな、と思いました。

今日は何とか日内に更新できました。先週はいろいろあって一日遅れで何とか書きつないでいるという感じでしたが、週末休めたおかげで何とか書けた感じです。明日からの一週間も仕事的にいろいろありそうですが、更新して行ければいいな、と思っています。


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Book

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社
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ますますフィレンツェ付いているわけですが、今日はちょっと都内に出掛けたもので、軽い文庫版の「わが友マキアヴェッリ」を持って行きました。「春の戴冠」は今日はお休み。

所有しているのは、上の写真の「ルネサンス著作集」ではなく、中公文庫版でして、購入したのはおそらく10年ぐらい前。ですが、二度ほど手には取ったものの、どうにもこうにも入っていけず、書棚にしまわれたままでした。それで、最近また「春の戴冠」を読み始めたと言うこともありましたし、先日取り上げた塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか」を読んだと言うこともありまして、また取り出してみたというわけです。

「春の戴冠」を一度読み通していますので、コシモ・メディチからロレンツォ・メディチへ至る大体の歴史は押さえてあったということもありますし、「ルネサンスとは何であったのか」で通史的な知識も得ているので、今回はちゃんと入っていけました。今日は、最初のマキアヴェッリの人となりについての考察を読んで、その後に続く、ロレンツォ・デ・メディチの卓越した外交手腕と、素人裸足の芸術家気質の両面性をフィレンツェの歴史に寄り添いながら考察している部分までを。相変わらずの冷静な筆にまたうなりました。今日は二時間ほど読んだ感じですね。


今日は午前中に虎ノ門でちょっとした用事、その後神保町のカフェで一仕事。午後は、神保町の鍼灸院で鍼をうってもらい、灸をすえて貰いました。身体が軽くなった感じです。それからまた神保町のカフェで仕事。夕立が来るという天気予報でしたので、曇り始めてきたのを見計らって帰宅しました。

今日は隅田川花火大会だそうですね。僕の住んでいるあたりでも、花火の鳴る音が聞こえましたので、外に出てみると、遠くで花火が上がっているのが見えました。それも別々の場所三箇所で、です。いろいろなところで花火大会をやっているのですね。最後に花火を見たのは五年前。それ以来見てないですね。花火を見ながらビールを飲むと気持ちいいのでしょうけれど。

明日こそは「窖」について書けるでしょうか? 仕事のはかどりかたからいって、少々厳しめかもしれませんね。


ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ポリーニ(マウリツィオ) (2002/09/25)
ユニバーサルクラシック

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今日聴いたのは、ラヴェルの弦楽四重奏とフォーレのヴァイオリンソナタ。帰宅してからはブラームスのピアノ協奏曲第二番をポリーニとアバドの演奏で。ポリーニのブラームスは、10年ほど前に発売されたものですが、当時タワーレコードで聴いて偉く感動した記憶があります。溶けるように美しい序奏に感動した覚えがあります。イタリア人の演奏するドイツもの、は良いなあ、と改めて思いました。

Tsuji Kunio

美しい夏の行方―イタリア、シチリアの旅 (中公文庫)
辻 邦生
中央公論新社
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フィレンツェずいている今日この頃ですが、新潮文庫から出ている、題名も装丁も写真も、そしてもちろん文章もとても美しいこの本を読みました。アリタリア航空南回りで東京からローマに着いた時の祝祭的な気分、ローマの暑い一日を愉しみ、アッシジで聖フランチェスコの聖蹟に親しむ。途中で天使のような女の子に出会ったり。そしてフィレンツェ。ですが、そこで辻先生を待っていたものは……。

1989年に大判本で出版されましたが、もとは「マリー・クレール」という雑誌のために書かれた紀行文です。そして、この新潮文庫版が出版されたのは1999年7月3日。おなじ7月29日に辻先生は軽井沢で倒れられ息を引き取られましたので、おそらくは生前に出版された最後の本なのではないかと思います。

さしあたっては、前半のローマからフィレンツェの部分を読みまして、後半のシチリア紀行は今回は読まずに、「春の戴冠」に戻りました。こちらでは、ジュリアーノ・メディチが騎馬槍試合で、メディチ家のライバルであるパッティ家のロドルフォを打ち倒しますが、シモネッタの病も進行して……。サンドロ・ボッティチェルリは、いよいよ「春」の構想を練り上げてゆきます。上巻の喜びと悲しみのクライマックスが徐々に迫ってきています。

Miscellaneous

今日はフォーレの弦楽四重奏曲を聴ききながら辻邦生師の「春の戴冠」を読んでいました。今日は騎馬試合の模様で、ジュリアーノがパッツィ家のロドルフォと闘うシーン。騎馬試合の祝祭的な雰囲気を豊に響く言葉が色彩豊かに織り成すさまは圧巻です。もう騎馬試合のシーンを読んだだけで満腹です。素晴らしい。「窖」についての考察は週末にやれればやりたいと思っています

Book

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生
新潮社 (2001/04)
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読み終わりました、「ルネサンスとは何であったのか」。歴史ともエッセイとも物語とも言えませんが、魅力的で吸い込まれるような文章にうなってしまいました。

ルネサンスの道行きについて、勃興地フィレンツェから、ローマ、ヴェネツィアへと辿っていきながら、語り手と聴き手の対談形式で明らかにしていくという構造。フィレンツェではダンテ、ボッカチオに始まり、ボッティチェッリ、ダヴィンチ、フィチーノやボルツァーノといった人物が、メディチ家の庇護のもと活躍していきます。当時のフィレンツェはルネサンス文化の中心地であり、多才な頭脳が集まり生まれた地なのでした。フィレンツェは、メディチ家のロレンツォの死によってその役割を終え、中心地はローマに移ります。

ローマでは教皇達がルネサンスの庇護者となる。ここで活躍するのはミケランジェロであり、ラファエロなのです。ローマがドイツ傭兵に略奪され破壊されるに至り、ローマを守る、カトリックを守るために、反宗教改革の波が訪れ、ルネサンスの自由精神は抑圧され、異端審問が繰り返されるようになるわけです。そうしてルネサンスの中心地はヴェネツィアに変わる。

ヴェネツィア共和国は、教皇や皇帝の支配から独立を守り続けた自由都市で、異端審問でさえ、聖職者だけではなく非聖職者が審問に加わることで骨抜きになってしまう。そうした反宗教改革からも守られたヴェネツィアにティツィアーノに始まり、ティントレット、ヴェロネーゼなどに続くヴェネツィア画派が勃興していく。

ルネサンスを総括して「見たい、知りたい、分かりたい」の衝動、意志の進行として捉えています。 なおも、最後には、ルネサンスとは日本的な語彙で表現すれば、その中に心眼と克己、僕なりに言い換えると、美的なものへの終わりのない執心と、人間の強い意志の発露、という形でも総括しているのだと思います。それから、ルネサンスの遺産を(1)芸術品、(2)精神の独立への執着、(3)一元論的(多元論的)思考、としているあたりもさっぱりしていますね。

最後に僕の心を捉えた一文を。

「謙虚は、創作者には必要不可欠でしょうか?」 「必要不可欠ですね。誰にも負けないという傲慢不遜も、不可欠な条件ですが」

いいですね。そうだと思います。ですが、普通の人ならば精神不安定に陥るだろう、と書いてあって、それでも双方を駆使するのが創作者なのである、と締めくくられていますが……。

この本は折に触れてぱらぱらと読みたくなる本です。明日からはまた「春の戴冠」の世界にどっぷりと浸かっていこうと思います。


今日は寝起きも良くさっぱり。往路も復路も「ルネサンス……」を読み続けました。復路はラヴェルの弦楽四重奏を聴きながら。あ、お昼休みにはシノポリ氏の「エレクトラ」を聴きました。仕事の方は、会議が多くて辛いですね。明日は朝から夕方まで会議だらけ。会議、疲れますが、それが仕事なので前向きに取り組むことに致しましょう。


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Book

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生
新潮社 (2001/04)
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塩野七生さんの著作を読んでいます。辻邦生師の「春の戴冠」を読んでいるなかで、ルネサンス全体のことを押さえようかな、という意図です。 塩野さんは本当に文章が巧いですね。そして論理的で解明です。ルネサンスの単著を、聖フランシスコとフリードリヒ二世に捉えるあたり、とても新鮮です。

全体で章は四つに分かれています。

 1.フィレンツェで考える
 2.ローマで考える
 3.キアンティ地方のグレーヴェにて
 4.ヴェネツィアで考える

今日は、2.の途中まで読み終わりました。マクロな視点でルネサンスを捉えることが出来るとても良い本ですが、塩野さんの他のルネサンスについての本も読んだ方がよいかもしれませんね。

ルネサンス著作集

気がつけば、未読は2「ルネサンスの女たち」と7「わが友マキアヴェッリ」です。これもこの先2ヶ月の間には読みたいと思っています。 「ルネサンスとは何であったのか」については、明日、読み終わった感想を書いてみたいと思います。

Gustav Mahler

いけませんね、本当に。大遅刻です。

音楽、ちゃんと聴けていませんね。ブーレーズのマーラーの6番を執拗に聴いています。ブーレーズの指揮、都会的でスタイリッシュな感じ、と書きましたが、結構速度は粘っこく動かしているような気がしています。テンポで都会的色合いを付けているのではなく、やはり響きの面でコントロールしているのですね。そういうことが分かってきました。

シノポリ盤のマーラーの9番も少し聴きましたが、うーん、なんともとりつく島がないような……。山腹に本来あるべきはしごがなくて登れないような気分。



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Gustav Mahler

寝坊してしまいました。昨日の疲れがまだ残っているようです。疲れ具合は、6月30日のときよりも少ないのではないかと思っていたのですが、今日になってみると、足の筋肉の痛みが増している……。

それでも体にむち打っていつもの休日のように近所のカフェで仕事を。いつもiPodをもってカフェに行くのですが、聴く音楽によって、仕事のはかどり具合が違います。なかなか仕事に入っていけなかったのですが、ブーレーズが振るマーラーの9番を聴き始めてようやく仕事に乗れてきた感じです。

午後には帰宅したのですが、家の仕事をやっているうちにあっという間に夕方に……。それで憂鬱になるのはサザエさん症候群という奴でしょうか? 本当はやりたかった仕事が出来なくて少々欲求不満気味。それでも家の仕事をやったので、良かったかなあ、と思っています。

Gustav Mahler
Mahler: Symphonie No.6
Mahler: Symphonie No.6

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Gustav Mahler Pierre Boulez Vienna Philharmonic Orchestra
Deutsche Grammophon (1995/04/11)
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今日、図書館から借りてきたブーレーズが振るマーラーの交響曲第6番をiPodに入れました。改めて聴いているのですが、こういう純粋な感じ、整理された感じ、あるいはスタイリッシュな感じ、きらいじゃないなあ、と思いました。吉田秀和さんは「はたしてこれはマーラーなのだろうか」と書いておられましたが、こういうマーラーも良いのではないか、と思います。確かに、ウィーン的なものとボヘミア的なものの混交、都会と田舎の混じり合いといったマーラーの特徴が後退しているということは言えると思うのですが、かえってそうしたすっきりとした感じのほうが良いなあと思うこともあるのです。ショルティが振るマーラーにも似たようなイメージを感じたこともあります。繰り返しますが、僕はブーレーズ盤の6盤、大好きです。

それにしても気になるレヴァインのマーラー。タワーレコードのウェブサイトではいくつか入手できそうなのですが、6番だけ扱っていません。Amazonでは6番も扱っていますね。小遣い帳とにらめっこしながら、買うか買うまいかと悩んだのですが、結局プルースト関連の本を買ってしまったので、レヴァインはお預け。月末の給料日になったらもう一度小遣い帳と相談しようと思っています。あるいは、都心に出る用事があれば、タワーレコードの実店舗でも見てみたいなあ、と言う思いも。これはきっと買うと思いますです、はい。


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Classical

結局、今日も大山登山をしました。今回は緊張の単独登山。単独登山をするならば、(1)人より早く登って、緊急時に助けてもらえるようにしよう、とか、(2)地図とコンパスをもって現在地の同定をきちんと出来るようにしよう、とか気をつけました。

今朝はスムーズに起きられました。朝食を食べて軽く準備をして出発。予定通り始発の電車に乗って秦野駅を目指します。車窓の外の丹沢山塊は低く垂れ込めた雲に覆われていて、本当登っても良いのか、と少々逡巡しましたが、まあ大丈夫だろうと、前向きに。秦野駅には予定通り6時1分に到着。バスの停留所まで走って、6時5分の蓑毛行きに乗り込みましたが、乗客は三人だけ。私以外は地元の人。こんなに早いとさすがにだれもいらっしゃらないなあ、と言う感じ。

蓑毛バス停には6時半に到着。すぐに登り始めます。今日はもう歩き始めたときから足が痛いなあ、と言う感じで、5分も歩くと息が上がってしまい大変。デッドポイントです。それでもなんとか一時間は登り続けました。前回登った道と同じでしたので、前回よりも気分は楽でした。どうも休憩タイミングが分らなくて、一時間ぶっ通しで歩いて7時半から10分間休憩。下社へのトラバースのあたりです。それからまた50分歩いて8時半には頂上へ到達。コースタイムより早いペースで登ったことになったようです。

Oyama Oyama

山の事故は下山時によく起きると言いますので、下り坂ですがゆっくりと降りていきました。前回は初っぱなにとばしすぎて膝が痛くなるというアクシデントに見舞われましたが、今回は膝の痛みもほとんど感じず。10時には阿夫利神社の下社に到着。前回はここからケーブルカーで降りたのですが、今回は徒歩で降りてみることに。男坂という傾斜がきつくて短い時間で降りられるコースを選んだのですが、石段が急で、降りる側から見れば結構怖い。しかも石段だらけなので膝への負担が辛かったです。ともあれ何事もなく大山ケーブルバス停に10時半には到着。単独登山でしたが何とか辿りつきました。

冒頭でも触れましたが、雲が低く垂れ込めている天気でしたので、山の中にはガスが流れていて、神韻とした雰囲気を醸成していました。最も大山は信仰の山ですからね。

Powershot Pro1

写真は、CanonのPowershot Pro1で撮りました。弟が4,5年前に買ったデジカメなのですが、重くて使いづらいのでしばらく貸してあげる、と曰ったので、お言葉に甘えて借りている次第です。本当なら一眼デジタルカメラを持って行きたいところなのですが、重くてさすがに持って行けません。Powershot Pro1にはCanonが誇るLレンズが採用されていて、確かに写真の写り方は良いと思います。今回はRAWイメージで撮ってみたのですが、いつも使っているPICASA2では巧く現像できないみたいです。

Gustav Mahler

マーラー:交響曲全集 マーラー:交響曲全集
オムニバス(クラシック)、アルノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1995/07/07)
ユニバーサルクラシック
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さて、音楽の方はと言うと、マーラーの6番を聴きながら帰宅しました。いつも聴いているアバドの盤です。やはりアバド盤に戻ってくると落ち着きますね。一番好みなのかもしれません。曲の輪郭がくっきりとしていますし、ドラマティックです。それにしてもこの曲は多義的ですね。調子が良いかと思えば地獄に落とされるような苦しみを味わう。それでも聴けば聴くほどますます好きになっていくのだから驚きです。

6番は葉っぱに埃がついたので水をかけて払ってやったでちブログさんでも取り上げられていて、とても勉強になっています。僕も「アルマのテーマ」の美しさには圧倒されている感じです。レヴァインのマーラーを紹介してくださっているのですが、全集を大人買いしようかしまいかと少々思案中です。吉田秀和さんもレヴァインのマーラーについては褒めていらっしゃいますし。残念ながら図書館にもありませんでしたので、もう買うしかないのではないかと思っています。いま一番欲しいCDです。

夕食を食べたあと、近所の夏祭りに出かけてみました。人がたくさん。有機野菜が安くてついつい買ってしまいました。ジャズバンドの演奏があったので最初から聴いてみることに。四管編成というのでしょうかね、トランペット、トロンボーン、テナーサックス、フルートが並んで演奏しているのは壮観でした。さらに二曲目からはボーカルさんも登場。女性ジャズボーカルはいいですよ、本当に。とても癒されます。定期的に聴きに行きたいぐらい。それにしても、ジャズの女性ボーカルのMCの進め方というのは本当によく似ていますね。すごく嬉しそうにメンバーを紹介したり、とても前向きだったり、愉しそうだったり。ボーカルたるものステージの雰囲気をつくっていく責任があるということなのだと思います。逆に言うと、そういうことが出来る方こそボーカルを勤められるのだ、とも思います。ともかく、祭りの舞台というコンディションやPAに限界がある中でとてもよく健闘されていたと思います。愉しかったです。
やら疲れて眠ったらしいです。


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Miscellaneous

今日は金曜日。会社はやっと今日でおしまい。

 Rosen

新国立劇場から、クラブ・ジ・アトレが届いたのですが、表紙の写真は、あの感動的な「ばらの騎士」第一幕からではないですか! ニールントさん、ツィトコーワさん、格好良すぎる。感動です。中には12月のバレエ「くるみ割り人形」の先行予約の申込用紙が入っていました。「くるみ割り人形」、チャイコフスキーの三大バレエのなかで曲的に一番好きなので、聴きに行ってみようかなあ、などと。オペラに比べてもリーズナブルですしね。

今日もあまり音楽は聴けずじまい。どうも疲れているようです。明日、また山に行って調子をもどそうかな、と思っています。というのも、6月30日に登山をしたのですが、7月2日からの一週間、本当に体調が良かったのです。明日登ることが出来れば、良い気分転換になるのではないか、と予想しています。やはり自然の力は偉大だなあ。