Classical

今日も引き続き「トリスタン」を聞いています。

この演奏の録音ですが、ドレスデンのルカ教会というところなのです。この教会の音、とてもすばらしいです。程よいリヴァーブ感がたまらないで す。この教会での演奏のCD、たまたま三つ持っているのですが、音を聞いただけでわかってしまったぐらいです。

ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲
コロ(ルネ)、ライプツィヒ放送合唱団 他 (2000/03/01)
ユニバーサルクラシック

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シューマン:交響曲全集&「マンフレッド」序曲 シューマン:交響曲全集&「マンフレッド」序曲
サヴァリッシュ(ヴォルフガング) (2005/03/02)
EMIミュージック・ジャパン

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バッハ:無伴奏VNソナタ全集 バッハ:無伴奏VNソナタ全集
ズスケ(カール) (2000/04/26)
徳間ジャパンコミュニケーションズ

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クライバーさんの「トリスタン」はもちろん、サヴァリッシュさんのシューマン「春」、そしてカール・ズスケさんのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ全集の三枚ですね。もちろん他にもありそうです。限られた枚数しか持っていない僕が三枚も持っていると言うことなのですから。あるいは、もっと持っているけれど分かっていないだけなのかもしれません。有名なのでしょうかね?

それで、昨年ドレスデン旅行に行ったとき、このルカ教会を探そうと思っていたのですが、Google Mapで探しても見つかりません。どこなんでしょうか……。どなたかご存知の方、教えてください。

Opera

ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲
コロ(ルネ)、ライプツィヒ放送合唱団 他 (2000/03/01)
ユニバーサルクラシック

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 今日もクライバーのトリスタンを。

急に聞き始めた理由ですが、僕の大学時代のサークルの先輩がオケに入団されたというお話を聞いたからです。今度の演奏会では、トリスタンとイゾ ルデの愛と死を演奏されるとのこと。それで急に聞きたくなったというわけです。もちろん、「勝手にワーグナー」ということもあったのですが。

そこで、今日も第一幕から第二幕にかけて会社からの帰りに聞いていたのですが、第二幕の二重唱の甘美さに打ち震えたのでした。すごいですね、こ の美的世界は。このまま融けていってしまいそうです。それで、マルケ王が登場するのですが、ここであのクルト・モルさんですよ。新しいほうのカラヤン盤ば らの騎士でオックス男爵を歌われているモルさんですが、ここでは長大な独唱を聞くことが出来ますね。あのなんともいえない豊かな倍音を含んだモルさんの歌 声が静かに歌い始めるところ、感動的です。マルケ王の難しい立場の心の揺らぎを本当にうまく表現されていますね。そして本当に男らしい。

モルさんの歌は、 「ばらの騎士;オックス男爵」と「指環:ファーフナー/フンディンク」で聞いたのでが、ここまで長く歌っておられるのを聞いたのはこの「トリスタン」だけ ですね。いいなあ、本当に。なんだか聞いているだけで、ドイツの森と草原に夕日が沈んでいく静謐な情景を思い浮かべてしまいます。これはすばらしいです。 このCDは、クライバー師とか、ルネ・コロさんとか、そういう演奏家が参加しておられるという理由で購入したということもあるのですが、モルさんの存在感 も相当だと思います。というか、ディースカウさんもいらっしゃるし、プライスさんもいらっしゃいますし。かなりベストなアンサンブルですね、これは。

Classical

バッハ:オルガン作品全集 バッハ:オルガン作品全集
ヴァルヒャ(ヘルムート) (1997/06/04)
ユニバーサルクラシック

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今日は珍しくバッハのオルガン曲を聴きました。なんでも、バッハの音楽を聴くとクリエイティブになるとか言うので、騙されたと思って聴いてみたわけです。確かに聴いていると、遅々として進まなかった仕事が少し進んだり、違う視点で考えを発展させることができたような気がします。まあ、単に「気がした」というだけだと思いますので、いつも良いことばかりではないと思います。

それで、どういうバッハを聴いたのかというと、ヘルムート・ヴァルヒャのバッハオルガン曲集です。もちろん全てを聴くことはできないので、まずは1枚目から。有名なトッカータとフーガニ短調BWV565から聴きはじめましたが、聞き進んだ最後のほう、幻想曲とフーガハ短調BWV542にいたく感動しました。バッハの短調の曲には人を厳粛にさせる何かが宿っているようで、それに後押しされるような感じで仕事を進めておりました。

ヴァルヒャさんは、天然痘(種痘の注射とも言われているらしいですが)で失明された方ですが、よくもここまで演奏されているな、という驚きがまず来てしまいますが、それ以上に、どんなに曲でも冷静に弾いているように感じます。僕のバッハオルガン曲の入り口は、マリー・クレール・アラン女史によるもので、彼女の演奏は今から思えば本当に激しい情感のこもったもののように聞こえましたが、ヴァルヒャさんはそういった情感的なものよりも、まるで織物を丹念に織っていくような手堅さ、構造性、冷静さを感じました。一歩一歩着実に頂上を目指しているような感じです。

というわけで、仕事は何とかおしまいになりました。今日も朝からカフェに出掛けて仕事に取り組んでいたので、5,6時間は取り組んだことになるでしょうか。遅いですね、仕事が。もっと早くやれるようにならなければなりません。まあ大分回り道をしながらでしたので、仕方がないのですが。今日は昼食もカフェにて取りまして、いったん帰宅。少々消耗気味だったので、一時間ほど午睡をとりました。午睡の後は家で再び仕事を。これが結局19時頃までかかってしまいまだ終らない感じ。食事を摂って、また始めて、ようやく終りました、というところです。これで明日から普通に会社に行くことが出来そうです。明日からまた会社ですが、暑くなってきましたので、昼休みのウォーキングはしばらくは無理かもしれません。

明日からはまた「春の戴冠」を読み始めようと思っています。パッツィ家の叛乱の緊迫した場面を通り抜け、ジュリアーノの死を悼みつつ、ロレンツォの統治が続くフィレンツェですが、この後も様々なピンチに直面していくはずです。そして、サンドロ・ボッティチェッリも次の大作「ヴィーナスの誕生」を書くことになっていきます。楽しみですね。それから、「トリスタンとイゾルデ」の続きも聴かないと。ああ、やりたいことが溢れかえっている感じです。

今日も読んで頂きありがとうございます。暑いですが今月もなんとか毎日更新を目指して行きたいと思います。

Miscellaneous

IEでレイアウト崩れが発生していたようです。原因はボッティチェルリの「春」を載せたことによるもの。横幅サイズが500PXだったのですが、今のCSSだと、レイアウト崩れを起こしてしまうようです。
ちがいました。そもそもCSSがおかしかったみたい。数ヶ月前に少し手を入れたんですが、そのとき以来おかしかったのでしょう。FIREFOXでは大丈夫だったのですが、IEだと右サイドバーが下に行ってしまっていたようでした。ああ、なんと言うことでしょう。もう数ヶ月間はこの状態だったのですね。
しかも悪いことにいつも使っているFirefoxでは何ともなかったので気づくのが遅れてしまいました。というわけで、「春」の画像サイズを小さくしてみました。これで大丈夫だと思います。春の画像は元の500PXにもどしてみます。

本当にIEユーザーの方にはご迷惑をお掛けしました。

これからは、定期的にIEでもチェックしないと駄目ですね……。無念。

Opera

Apple iPod 80GB ホワイト MA448J/A Apple iPod 80GB ホワイト MA448J/A
(2006/09/13)
アップルコンピュータ
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最近iPodの音が大きく感じるようになりました。おかしいです。原因として考えられるのは、

  • iPodのファームウェアアップデートが自動的に行われて、音量レベルが大きくなった?
  • iTuneのアップデートで、音量レベルが大きくなった?
  • iPodを落とした(!)拍子に、音量レベルが大きくなった?
  • BOSEのノイズキャンセリングヘッドフォンが壊れて音量レベルが大きくなった?
  • 僕の耳が良くなった?

と言ったところでしょうか。というわけで全く持って訳が分からないままです。

いずれの原因にせよ、いままで音量MAXで聴いていたちょうど良かったのに、今では音量MAXだと大きすぎるし、音漏れもしているみたいです。昨日いつものように音量MAXで機嫌良く「トリスタンとイゾルデ」を聴いていたら、隣に座ったおばさんに睨まれてしまいましたし。あわてて音量下げましたが。まあ、自分で音量を調整できる幅が拡がったようなので、勘違いだとしても良いことだな、とは思います。

それで、今日もクライバー師の「トリスタンとイゾルデ」を聴いておりますが、どうしても第一幕しか聴けないです。第一幕、好きなんですよね。特に媚薬を二人で飲んで覚醒する場面、月並みですが、涙なしには聴けないですね。二人で思いがけない結果に喜びとまどっているときに船が港に着いてしまう。クルヴェナールが喜びに溢れた歌を歌うのだが、イゾルデはとまどっている。なんということでしょうか。こういうことは実際にありますからね。ワーグナー自身も同じような状況にあったですし。

ワイドショー的に言えば不倫の愛であるわけですが、そういう卑近な雰囲気におとしめることが出来ないどうしようもない運命性にまで昇華されていることが普遍的に受容されている要因の一つなのでしょう。つまり、おそらくは「死」の導入ですね。愛と死なわけです。武者小路のようですが……。普遍的ですね。そしてこういう言い方が許されるとしたら、魅力的なテーマなのだと思います。

ちなみに、20年ぐらい前に武者小路実篤の「愛と死」を読んで、なんで愛する女に死なれた主人公が自殺しないのかなあ、と不思議に思た、という思い出があります。イゾルデはやはり死へ至りましたので、若い頃の僕にとってもぴったりと来る収束と言うことになるでしょう。今は少し歳を重ねましたので違う思いを持っていますが。

愛と死 (新潮文庫) 愛と死 (新潮文庫)
武者小路 実篤 (1952/09)
新潮社

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今日はいつものように6時半に起床。食事をして少し本を読んでから近所の眼科へ。7月14日に眼鏡の処方箋を作ってもらったのですが、できあがった眼鏡がバランスが悪くてかけられなかったので、改めて処方箋を作り直してもらいました。眼の見え方というのは、客観的にはかることができないですね、「あ、ちょっとぼやけました」、「ぶれて見えます」、「これだと度が強すぎて違和感を感じます」、「これは左右のバランスが悪くて、頭の左側が痛くなります」、などと、主観的、直感的な表現でしか結果を計ることができない。僕も大変でしたが、病院の方もやりにくそうでした。

今の眼鏡だと、左が1.5見えているのに対して右が0.8しか見えていなくて、バランスが悪いので直さなければならないと言うことは分っているということもありますし、バランスの悪さが、眼の疲労や肩の痛みの原因になるのはよく分っていますので、ここは何とかわがままを言ってなんとか良い形に調整して貰いました。ただ、眼科での見え方と実際に眼鏡が出来てからの見え方は変わってくることもありそうなので、今回の処方が上手くいくかどうか少しドキドキしています。

その後、いつもの言っているカフェにて仕事を開始。いつもは9時前にはカフェに行っているのですが、今日は11時過ぎにカフェに入りました。今日は暑いと言うこともあるのか、いつもよりお客さんが多いです。このカフェは、フランチャイズなどではなく、ご夫婦二人で切り盛りされているカフェですが、20席のお店であるにもかかわらずとてもお忙しそうなのです。

ドトールでこの規模なら、もっと簡単に回せるのでしょうけれど、このお店は、注文があってから初めて豆を挽いて一つずつドリップしているので手間がかかるのですね。さらに、供される珈琲の種類も多い。僕はあまり詳しくないのですが、いろいろな産地の珈琲を飲むことができるというわけで、ドトールのように単品だけ出しているのではないのです。だからその分商品管理にも気を遣っているだろうし、種類が多い分だけ注文の手間も半端ではない。それでも頑張って切り盛りされておられるのがよく分かりますので、毎週通ってしまうのですね。

休みの日でも午前中はお客さんも限られていますので、仕事がはかどることが多いです。ただ、お昼にかかるに連れて徐々にお客さんも増えてきますので、昼を回ったら遠慮して店を出ることにしています。朝からお昼まで珈琲一杯で占拠するのも悪いですからね。それで家で昼食をとって、たまに午睡をして、また本を読んで、みたいなパターンになることが多いですね。

明日も充実した一日でありますように。

読んでくださいましてありがとうございました。22

Opera

今日、聞いたのがこの曲。リスタンとイゾルデの恋愛譚ですね、ワーグナーの手によって他の追随を許さぬオペラとなって今も人の心を打ち続けているわけです。クライバーの指揮で聴いております。

ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲
コロ(ルネ)、ライプツィヒ放送合唱団 他 (2000/03/01)
ユニバーサルクラシック

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ともかく、今日は第一幕を聞きました。クライバーの指揮は、テンポの変化や音量の変化を自在変幻に行って、ダイナミックなハーモニーを産み出しています。ほとんど軍隊的に統御された弦楽部は、全く乱れを見せていません。コントラバスからビオラまでが一斉に早いパッセージを弾くところがあるのですが、この統率のとれた演奏に感歎したと同時に、クライバーが「運命」の第三楽章のコントラバスから始まるフーガを思い出したのでした。クライバーのようなカリスマ的指揮者の魔法にかかるとオーケストラも素晴らしい力を発揮するようです。

イゾルデはマーガレット・プライスさんなのですが、ものすごく巧い。ピッチの崩れなど全くない。それでいて美しさの中に力強さを包含している。イゾルデの悲愴でありながらもりりしく矜持を持って行動しているのが分かるのです。

トリスタンのルネ・コロさんの声の美しさは言うまでもなし。クルヴェナールのフィッシャー・ディスカウさんの歌はいつ聴いてもその人と分かる。実は、彼は微妙にピッチをシャープ気味に歌っているのではないか、と最近思い始めました。それはピッチが狂っているという風ではなく、意図的に狂わせていると言う風に聞こえるのです。そう言えば昔こんな記事を読んだことがあります。ランディーとマイケルのブレッカー兄弟は、トランペットとテナーサクソフォンでテーマをとるのですが、ピッチの微妙な違いが音楽的に良い方向に傾くことがあるのだ、というような記事だったと思います。テンポをずらして歌唱をより浮き上がらせる方法というのもあると思いますが、あえてピッチを変えて歌唱を浮き上がらせる方法もあるのではないか、と思ったのでした。

このCDでは大好きなクルト・モル氏がマルケ王を歌っていますが、登場は第二楽章から。明日以降聞いてみたいと思います。

それから、本当に遅刻してしまいましたが、「勝手にワーグナーの日」にも参加させて頂きます。


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Sunset Sunset

昨日の夕方の夕陽は言葉に表せないほどの夕陽でしたね。一時帰宅した時に慌てて撮りましたが、なんとか良い写真が撮れたかも。心が洗われます。夕陽好きの僕は秋生まれですね。8月とはいえもうそろそろ立秋です。季節が回るのは早いものです。

Miscellaneous

いやあ、今日はさんざんでした。iPodを家に忘れてしまったのですね。それで、やむなく本を読むだけの通勤でした。

春の戴冠 春の戴冠
辻 邦生 (1996/02)
新潮社

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辻邦生師の「春の戴冠」の上巻やっと読了。物事というのは予定通りに進むことは少ないのですが、やはり少し手間取りました。原因は、今回は「スロー・リーディング」で読んでみたと言うことです。以下の本を参考にしました。確かに読む冊数とかスピードとかが受容なのではないよなあ、と。でも頭のいい人なら早くきちんと理解できるんだろうなあ、とか……。まあ、妙に焦るようなことはなくなりましたので、良かったとは思います。

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書) 本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)
平野 啓一郎 (2006/08/17)
PHP研究所

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それから、塩野七海さんの「ルネサンスとは何であったのか」と「わが友マキアヴェッリ」を間に挟んで読んだこと。

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集) ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生 (2001/04)
新潮社

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わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集) わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生 (2001/10)
新潮社

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これは「春の戴冠」の背景知識を知る上で本当に役立ちました。特に「ルネサンスとは何であったのか」は、ルネサンスを巨視的にとらえるには最適な本だと思います。対談形式でわかりやすいですし。「わが友マキアヴェッリ」もおもしろいですね。舞台は「春の戴冠」の後半に始まり、「春の戴冠」のその後を知る上ではとても役立っています。

でも、本を読めば読むほど、読みたい本が出てきて困りますね。そうやって読みたい本リストを作っていっても良いのですが、あまりに厖大で手に負えないリストができあがってしまい、読めないこと、読めていないことに悩むようになるので、リストはあえて作らない方が良いかな、などと考えたりして、でも気づけばリスト作ってたりして……。みたいな感じです。

明日からは「春の戴冠」の下巻に入ります。上巻では、ボッティチェッリの「春(ヴィーナスの統治)」ができあがり、シモネッタが息を引き取る場面で終わりました。「春」の解釈を語り手フェデリゴが行うのですが、とても興味深いです。左端のヘルメスはジュリアーノ・メディチがモデルだったり、登場人物が9人なのは三位一体×3なのである、などなど。絵を見る上での前提知識を得られて大満足でした。もちろん、この本の価値はそれだけでは決してないのですが。

 Spring

というわけで、「春の戴冠」については、明日に続きます。

Miscellaneous

Capriccio Capriccio
Richard Strauss、 他 (2005/09/13)
Deutsche Grammophon

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なんだか疲れているみたいで、家に帰るとすぐに寝入ってしまう感じです。とはいえ、通勤復路には久しぶり(といっても一ヶ月前には聴いているのですが)にカプリッチョを聴いて心を休めました。ヤノヴィッツさんの"Morgen mittag um elf !!"が良いなあ、なんてぼんやりしながら聴いていました。

読書の方はというと、塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ」と辻邦生師の「春の戴冠」を交互に読みながら通勤中。ああ、「窖」のこと、かけていませんね。今週はかけるといいのですが、少しずつ読み直しながらノートを取らないとかけそうにはないようです。

しばし苦しい時期が続きそうですが、こういうときこそ音楽を聴いて気持ちを奮い立たせなければ!

Miscellaneous

今日もあまり音楽聴けませんでした。シュトラウス先生の「カプリッチョ」の終幕の場をベーム盤で聴いて少し心を休めたぐらいです。あとは、図書館で借りてきたデル・モナコの歌う「マノン・レスコー」などなど。「マノン・レスコー」は録音時代が古いので少し古めかしい雰囲気が出ているように思います。

先だって、「葉っぱに埃がついたので水をかけて払ってやったでちブログ」さんのコメントに「色眼鏡を書けないように、耳にフィルターをかけないように音楽を聴きたい」と書かせて頂いたのですが、頂いた返答に「人間は色眼鏡をしているものだから、そうであることを忘れてはならない」という旨、書いてありました。そうなのです。その通りなのでした。色眼鏡は皆が皆かけていて、外すことは出来ないのです。かつてそう習ったことがありました。その通りです。しまった、と思いました。

ですが、それでも色眼鏡がない、という状況を求めようとする何かあるような気がしてならないのです。

それで二つを分けて考えると、

  1. 色眼鏡をかけていることを認識した上で、認識する
  2. 色眼鏡をかけないように認識しようと意志する

という風に表せるのかな、などと、事務室で仕事をしながら考えてしまいました。

おそらく前者が認識論的方法で後者が形而上学的方法なのかなあ、などと分類してみたりして。どちらがよいとも言えないのですが、1番は近代的で、2番が古典的、と言った感じでしょうか。

いずれにせよ、普通は色眼鏡をかけて認識していますので、そのことを念頭に置くと言うことがスタート地点になると言うことは言えると思います。

もう少し考えてみたいと思います。