Classical

なんどかこのブログでも描いた覚えがあって、いまさら、という感じもするのですが、ロシア五人組といたらこのCDについて書かずにはおられないのです。

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もうこのCDとの出会いも何度も書いたような気がします。一連のチェリビダッケ盤がEMIから市場に出回り始めたのが1997年末から1998年にかけてだったと記憶しています。ぼくがタワレコでクラシックCDを気が狂うようなペースで買いあさっていた頃でした。

そ れで、渋谷のタワレコでいつものようにCDをあさっていたら、流れていたのですよ、チェリビダッケのテンポの遅い「プロムナード」が……。度肝を抜かれま した。こんな遅い演奏、ありなんだ、って。それまでに聴いていた展覧会の絵は、カラヤン盤とジュリーニ盤でしたので、こんなにトリッキー(?)なテンポ 取りすること自体信じられなかったのです。こんなのありなんだ、と思うと共に、これってめちゃくちゃ格好がいいんじゃないか? と思ったわけです。ここま で遅いテンポで、これだけグルーヴ(?)できて、激しく歌っている演奏をするチェリビダッケはすごい! と思い、ボックスCDを買いにレジに走っていったわけ です。

それ以来、チェリビダッケの演奏、特にブルックナーを振った演奏にしばらくのあいだまるで金縛りにあったような気分で聴いておりま した。ブルックナーのテンポの遅さもやはりすごかった。でも歌ってるんだよなあ、チェリビダッケの演奏は。遅いテンポをとるにはそれなりの難しさがあると いうのは、ジャズコンボでフロント取っていたのでよくわかる気がするのですが(もしかしたらクラシックでは違うのかもしれませんが)、遅ければ遅いほど、曲の細部が拡大さ れて、素っ裸状態になるわけですよ。ごまかしのきかない世界。そこでチェリビダッケは雄々しく闘っているのだなあ、と思ったわけです。

そういう意味では、チェリビダッケの世界に誘ってくれた僕にとっては思い出深い盤がこの「展覧会の絵」だったというわけです。

ムソルグスキーのことというより、チェリビダッケのことになってしまいましたが……。趣旨とは違う感じで申し訳ありません。

Classical



森麻季さんのリサイタルに行くことにしました。7月4日水曜日です。四つの最後の歌(ピアノ伴奏盤)が聴けるようです。楽しみです。
7月4日のタケミツ・メモリアルでの公演は、まだチケット残っているようなのですが、一番ランクの低い座席は、舞台奥のP席でした。ということは、森麻季さんの背中を見て音楽を聴くという恰好、これは少々いただけませんね。ですので、下から二つめのランクの席を取りました。

他にも公演あるみたいです。詳しくは以下のリンクからどうぞ。

森麻季さんリサイタル

Miscellaneous

SAX

今日は予定通り近所の市民文化センターの会議室を借りて練習しました。最初の一時間ぐらいは快調。といても細かい指使いが全く駄目ですが……。そのうち、パーティションで区切られただけの隣の部屋にガールスカウトの女の子たちが入ってきて会合を始めてしまいました。うーん、音が筒抜けというのはこういうことを言うのだなあ、と……。でも気にせず吹きましたけれど。でも二時間でギブアップ。アンブシェアが弱っているので、すぐに音が不安定になってしまう。課題多し。まあ、今日のところはとりあえず曲をさらえたのでいいかな、と。頑張ろう、っと。

Movie

ハリー・ポッターと賢者の石 特別版 ハリー・ポッターと賢者の石 特別版
ダニエル・ラドクリフ (2003/11/29)
ワーナー・ホーム・ビデオ
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GW一日目
なんと早朝5時45分に起床。洗濯物を干して、軽い食事を作って近所のカフェへ。本を読んだりしてお昼頃に帰宅。珈琲を飲み過ぎて少々疲れ気味。やはりカフェインは控えめにした方が……。軽い食事のあとちょっとした午睡を。午前中は晴れていた空は、あっという間にねずみ色の厚い雲に占領され、雷鳴とどろき大粒の雨が降りしきっている。

午睡ののちに、予定通りパソコンの調性をする。古いPCからハードディスクを取り出して、メインマシンに追加。BIOSのブート設定などをかえたりして、何とか終了。予定の半分まで行きました。あともう一踏ん張りです。

さて、そのハードディスクのなかから、昔公開していた古いウェブサイトのデータが発見されました。いまから12年前にやっていたバンドのホームページ。インターネット草創期に作ったサイトだったのだが、いろいろ事情があって閉鎖したもの。HTMLをエディタで打ちこんで作っていたなあ。まだブログなんて全くない時代ですよ。懐かしいなあ。この4年間ぐらいデータを紛失していたので、どこに行ってしまったのだろう、と少し気になっていたのだが、出てきて本当に良かった。まだ大学を出たての頃の自分に出会った感じ。面映ゆいような、恥ずかしいような……。

明日サックスの練習に出かけるので、その準備。コード進行のMIDIファイルを作ってみる。明日は四曲ほど練習できるかな、と……。久々に思いっきり吹くので楽しみです。

今更で本当に申し訳ないのですが、ハリー・ポッターを見ました。本を含めるとおそらく10年ぐらいのディスアドヴァンテージでしょうか。なるほど、これは流行ってしかるべき。音楽がジョン・ウィリアムズ氏の作風、特にスター・ウォーズにそっくり、と思っていたら、音楽は、ジョン・ウィリアムズ氏でした。やっぱりね。

きょうは、そういうわけで、予定通りの一日。明日も予定通り過ごせると良いなあ。

Photo

yuuyake

今日は本当に綺麗な夕焼けでした。プルースト的に言えばモーブ色の夕焼けと言った風情。携帯のカメラで咄嗟に撮ったのですこしざらついていますけれど、色はこんな感じだったと思いますよ。明日は天気がよさそうですね。

Miscellaneous

KOI

やっとGWです!
本当に長い一ヶ月でした。明日から三日間+来週四日間、幸いにもお休みですので、エンジョイしようと思います。いろいろとやることあるな〜。有効に使おうっと。
とりあえず、やりたいこと列挙。

  • 本を読む
  • 音楽を聴く(特に「神々の黄昏」をみよう!)
  • サックスを吹く
  • 映画を見る(借りてきたDVDがあるので。ブレードランナーですが)

うーん、インドアなGWになりそうな予感。でも散歩して写真を撮ったりもしようっと。

Jazz

EWI

さて、今日のお昼休みに早速と楽器屋に電話をしてみました。EWI3000用のケーブルがウェブに出ていたので、EWI1000と互換性があるかどうか確認して貰ったのですが、互換性はないとの解答が……。一瞬、これでEWI1000とはお別れなのではないか、と思いましたが、その後メーカーに問い合わせて貰ったところ、EWI1000用のケーブルの在庫があるとのこと。お値段10000円なり。よかった。EWI1000が本当に駄目になってしまったのなら、EWI4000を買うところだったんですけれど、10000円の出費に抑えられそうで良かったです。あと数年間はEWI1000と一緒に戯れることが出来そうです。

Jazz

EWI

AKAIのウィンドシンセEWI1000を使っています。購入したのは1993年の夏頃、中古での購入でした。あれから14年経ちましたが、先ほどまでは、多少の問題を抱えつつも、何とか吹けていたのです。
ところが、ちょっとした練習をしていたところ、急にオクターヴのコントロールが出来なくなりました。あれあれ、と思って、接続ケーブルを抜いたり差したりしたら、ますますおかしなことに。音がまともに出なくなってしまいました。ネットでの情報では、コントローラと音源をつなぐケーブルが断線することが多いとのこと。どうやら、僕のEWIもご多分にも漏れず断線したのではないか、と考えています。代わりのケーブルを買わないといけないのですが、15750円もするらしい。とりあえず、明日楽器屋に電話してみます。

Jazz

tuitou
Infinity Infinity
McCoy Tyner Trio (1995/08/29)
Impulse!

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夕方から雨が降り始めた。会社からの帰り道、いつものバスがやってこない。五分ほどバス停に立ちつくしていたのだが、ようやくバスが坂道を登ってくる。傘を畳んで水を払ってからバスに乗り込む。この分だといつもの電車に乗ることは能うまい。疲れているというのに、ベンチのない駅で雨に打たれながら電車を待つというのか。疲れは人をしてとかく悲観的な領域へと誘い込むものなのだが、今日も油断をすると、悲観領域に足をすくわれるところだったのだ。

だが、心を強く持とう、と思って、昔からよく聴いた曲をiPodのホイールを回して探してみる。

あった、マッコイの1995年のアルバム、インフィニティ。フロントにマイケル・ブレッカーを迎えたマッコイのアルバムだった。まだ学生だった頃、CDウォークマンにこのCDを入れて学校に通ったものだった。「インプレッションズ」は、コルトレーンのモードの曲だが、雄々しいマイケル・ブレッカーのテナーの咆吼と、それに続くメカニカルなインプロヴァイズに卒倒したものだ。

そして、今日もやはり卒倒しそうになる。このインプロヴァイズの冒頭部分だけコピーして吹いたことがあるけれど、さすがに全部コピーは出来なかったなあ。それもまた自分の限界と言うことなのだろうか、などとすこししんみりしてしまうのは、いつ聴いても同じなのだ。こうして悲観領域に片足が入るか入らないか、といった状態で10分あまりの演奏を目をつぶって聴きづけた。雨脚の強まる中、電車がホームに進入してきて、やっと座席に着いた頃には、何とか気持を元に戻すことが出来たというわけだった。ありがとうマイケル・ブレッカー。

しかし、そんな元気だったマイケル・ブレッカーも、今は帰らぬ人となってしまったというわけだ。苛烈
でもあり残酷でもある時間と運命。残されたものは、これからもずっと時間と運命と闘わなければならないと言うことなのだ。

American Literature

死の接吻 死の接吻
アイラ・レヴィン (2000)
早川書房

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またよみました。アイラ・レヴィンの「死の接吻」。前回読んだ「ローズマリーの赤ちゃん」は衝撃的な幕切れを何度も読み返しましたが、今回もまたミステリの醍醐味を堪能させてくれました。

また文字の色変えましょうね。

最初に驚いたのが、ドロシィの章では、男の名前が明かされていなかったこと。そのことに気づいたのが、第二部エレンになってから。エレンがドロシィ殺しの犯人=ドロシィの彼氏を見つけようとするときに、容疑者二人が名前と共に浮かび上がってくるのだが、そのときになって、僕は彼氏の名前が明かされていないことに気づいたのですよ。文章の中では「彼」という三人称で語られているだけだったのです。そこでまず激烈なパンチを受けました。

次のパンチは、エレンの彼氏のバッドが、ドロシィ殺しの犯人=ドロシィの彼氏であったということ。それも強烈な登場の仕方。パウエルが、自分の部屋でドロシィの彼氏の住所を突き止めようとしたそのとき、アノニムな男として登場して、パウエルを射殺、それからエレンの前に姿を見せる。エレンは自分の彼氏が来たので安心する。っていうか、読んでる方から見たら、エレンの彼氏が、ドロシィの彼氏と同一人物だったなんて思わないから、一杯どころか何杯も食わされた気分でメタメタ。

マリオンへのバッドの近づき方とかは、種明かしされているので、これ以降はそうそう驚くことはなかったけれど、バッドの最後は印象的。指輪物語のゴクリ(ゴラム)の死に方に似ているなあ、なんて。

それから、ゴードン・ガントはどうしてあそこまでして真実を知りたかったんだろうか、と考えてみるのも面白いかもしれません。単なる第三者だというのに。まあ、彼が居なければマリオンもバッドの餌食になっていたのでプロットしてはひねりがないのかな、というところでしょうか。少し考えてみなければなりませんね

というわけで、この本もお薦めです。