Jazz

どうも、最近ワーカホリック気味です。昨日も、諸事情により早く仕事場を離れましたが、気が滅入るといったら仕方がありませんでした。

ちなみに、アメリカだとこういうことのようです。あまり仕事ばかりしているのは評価されないようです。お国柄ですね。

ビジネスで成功している人は、起きている時間のすべてを仕事に費やしているわけではありません。彼らは週末には家族や友人と団らんしたり、運動や家事を行ったりします。仕事は大事ですが、家族や自分の健康も同様です。週末にはこういったことを優先して、仕事と家庭のバランスを取りましょう。

http://www.lifehacker.jp/2015/06/150606_success_habit.html

なかなかできないことです。

ちなみに、ご存知と思いますが、こういうウェブ上の情報を引用して紹介するのが、もともとのブログの役割のようです。ブログとはウェブログの短縮形なのですが、ウェブのログをとっておく、といった意味ともとれるでしょうから。

それが、2000年頃にあった日記サイトの代替となっていって、私が作っているこうした個人ブログが幾つもできた、ということになるのでしょう。

今日はこちら。

Like a River
Like a River

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Yellowjackets
GRP Records (1993-01-19)
売り上げランキング: 67,627

Yellowjacketsの1993年のアルバムです。もう20年前ですか。

このアルバム、爽やかでクリアな音作りですが、一筋縄ではいかない部分も多々ある魅力的なアルバムです。

ボブ・ミュンツァーのソプラノサックスがいいです。変拍子のナンバーであるAzure Moonも素敵。マイルスに捧げられたDeweyもいいですね。

20年前に買った当初は、全く理解できなかったのですが、そのうちにこのアルバムが一番大好きなYellowjacketsのアルバムになりました。

でも、そういうYellowjacktesを沢山聴いていたのももう10年ぐらいまえのことになってしまいましたね。

さて、90年代前半の音楽は、なにかオプティミズムに彩られたものに思えます。冷戦が終わり、インターネットなどのIT技術が発展を遂げ始めた時代で、未来が輝かしく思えた記憶があります。

こうした文章をウェブ上に公開する、という夢のようなことができるようになったのもこの頃です。

いまでも覚えていますが、自分でHTMLを書いて、インターネット上に公開した瞬間、大きな感動を覚えたのです。在野であってもこうして自分の意見を表現できる時代なのだ、と。それが、日本でいうと2004年ごろからのブログブームにつながっていたのでしょう。

今はブログは下火になっているのでしょう。代わりにFacebookやTwitterがそうした自分の意見の表明をする場になっているということになるのでしょう。

そういえば、今日読んだ梅田望夫氏の「ウェブ時代をゆく」にも似たようなことが書いてありました。知識人とそれ以外ではなく、その中間層のようなものが生まれているのだ、という意見でした。2008年頃の意見ですが。そうした中間層のインフラがブログであり、Twitterであり、Facebook、少しまえで言うとmixiなのでしょう。

私の場合、それがゆえに、日和ってしまったということもあるのでしょうけれど。

せめて、私もアメリカ人に習って週末は健康的に過ごしたいものです。

ではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

いろいろと大変な時代ですので、スムーズに人生を送れる人など居るわけがありません。たまにいるかもしれませんが、それは本当に砂浜の中の砂粒一つぐらいです。

まあ、いろいろあっても、食べて、飲んで、寝る、ということができていればいいのかなあ、と思います。

もっとも、本当に辛いと、食べることもできず、飲むこともできず、寝ることもできず、だと思いますが、それが出来るだけでも感謝なのでしょうね。

で、今日も食べて、飲みましたので、そろそろ寝ることにします。

おやすみなさい。

Book

昨日から、思うところがあって、鈴木三重吉の「古事記物語」を読んでいます。Kindleで無料で読めます。多分
30年ぶりぐらいです。

古事記物語
古事記物語

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(2012-10-01)

古事記物語は、小学生高学年向けの本を何度も何度も読んでいた記憶がありますが、今回の「古事記物語」は、おそらくは当時読んでいた本の元ネタなのではないかと思いました。がゆえに、大人なら分かる激しさのようなものもいくらかあって、なるほどね、という感じです。

いや、本当に神話の世界とはいえ、殺戮の物語に満ちているなあ、というのが印象です。今日読んでいたヤマトタケルノミコトの討伐は、ほとんどだまし討ちのような記述になっていて、したたかだなあ、という印象です。八百万の多様性なんてものはなく、従わないものは有無をいわさず殺戮する、というトーンです。

こういうしたたかさ、というものは、その後の日本では失われていったんでしょうか。おそらくは、江戸時代の鎖国が日本を変えたということになるのだと思いました。

それにしても、ギリシア神話にそっくりなエピソードが幾つかあるのには、あらためて驚きます。イザナミを黄泉の国に迎えに行くのは、オルフェウスの神話とそっくりです。それから、大物主命の正体を突き止めるところでは、糸巻きが登場します。まるでクノッソス宮殿の神話とそっくりです。

先日、去年の伊勢神宮と出雲大社の遷宮を特集したNHKスペシャルを、レコーダーのなかから引っ張りだしていまさら観たのですが、そのときにあった、大国主命の国譲り神話が、おそらくは国をめぐる激しい攻防を神話にデフォルメしているのだろうなあ、というところは強く思いました。あんなにたんたんと国譲りするわけがないのですから。

先日フーコー関連書を読んだ時に思ったのが、正式文書に真実はない、ということでした。ですが、最近は、そうではなく、正式文書は全てが真実ではないが、いくばくかの真実は含まれている、のだとおもいます。古事記の中にも、失われた歴史がいくばくかは織り込まれているのだろう、などと想像すると面白いです。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

すべての写真-1753

新国中庭のパノラマ写真を撮ってみました。首都高速の騒音をブロックするための外壁に囲まれた水庭は本当に素敵です。

《ばらの騎士》に政治的意図はあるでしょうか? ヴェルディオペラだと、そこに政治的な意図がたくさん仕込まれていますので、いろいろと面白いのですが、シュトラウス=ホフマンスタールでそうしたことを考えたことがありませんでした。

もちろん、第一次世界大戦前の時代が変わりゆくことへの漠然とした不安のようなものがながれているのはたしかでしょう。爛熟の次に来る破局への予感のようなものでもあります。18世紀のフランス革命に向けたフランスの状況などを想像していたのかもしれません。

あるいは、現代においてもやはり、バブルの次に来る崩壊をなにかそこはかとなく感じていて、例えば、今のアベノミクス相場はもちろんのこと15年前のITバブルも、なにかそうした威勢の良さのあとに来る破局への漠然とした不安を感じるような気がします。

現実と乖離しているような株価の高騰が、日銀や年金機構が政策に基づき株を買い続けているという状況で、創られた株高状況とも言われているようです。

インフレ・ターゲットが設定されてはいますが、それに連動して、給与が上がっている実感がない、という話はよく聞きます。

(ですが、こちらのデータでは、2013年度においては、平均給与は2%とはいえませんが、それでも上がっている、とされていますので、面白いですね)

なにか、こういう爛熟の美と、次に来る破局の感覚、というのは、日本的とも言えるのでしょうかね。というか、辻邦生の「美と滅び」とか、太宰とか、三島の感覚とよく似ているなあ、と思います。それは、実はマンなのかもしれないですね。

ホフマンスタールの《チャンドス卿の手紙》は、なにか大人の諦念のようなものを感じるのですが、それがこのオペラの魅力だとおもいます。

というのは、ある程度人生経験を積んだ人の意見になると思いますが、きっと若い方々にはオクタヴィアンとゾフィーの恋愛成就ハッピーエンド物語になるのでしょうね。第二幕でさっそうと登場するオクタヴィアンは、きっと若い方にとっては、卒倒するほどのかっこよさです。

年代ごとにその魅力が発揮できるようになっているのかも、なんてことを思いながら観ておりました。

それでは取り急ぎ。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

Photo

いや、すいません。今日も、ちゃんと書けなくて。

でも、《ばらの騎士》については、今回はパフォーマンスも素敵すぎたのですが、それ以上に、劇についていろいろ気づきがありました。

前から思っていたのですが、とあるあのオペラ(あるいはオペレッタ?)と実に似ているのではないか、とか。

あとは元帥夫人のモノローグがことのほか味わい深く、8年前に比べてずいぶんと感じ方が変わっていたり、とか。まあこちらも歳をとっていますので当たり前です。もしかすると、元帥夫人の週末感のようなものはすでに超えてしまったような気がします。

ホフマンスタールが《ばらの騎士》を書いたのは30歳台後半です。確かに《ばらの騎士》を初めて観た時は、元帥夫人と同じぐらいの年齢でした。

ですが、私はすでにそこを超えましたので、ホフマンスタールの感じる終末感を超えていてもおかしくありません。この感覚、昔、少し上の世代のかたと《ばらの騎士》について語った時に、その方がおっしゃっていたことなのかあ、などと思いました。

ということは《ばらの騎士》については、別の見方ができるようになってきてもいいんだろうなあ、と思います。それが今回の課題かもなあ、などと。

で、夏が来てしまいます。今年の立夏は5月6日ですが、小学生の時にならった目安でいうと、5月までは春で、6月からは夏、ということに成りますので、とうとう夏がきました、ということになりますね。

冒頭の写真は、近所の桜の木とかえでのコラボ。

近所の桜。江戸彼岸で、染井吉野よりも早く満開を迎えています。

4月に撮影したあの桜の木、つまりエドヒガンは、冒頭の写真のように青々と生い茂っているわけです。

時のうつりゆくのはやはり早いものですね。もちろん、歳をとればとるほど早くなるわけですが、その早くなる加速度は歳をとればとるほど小さくなります。

それではまた明日。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

すべての写真-1748

なんとか行ってまいりました。新国立劇場《ばらの騎士》。

このプロダクションは、2007年、2011年につづいて3回目でしたが、3回見ても飽きない、本当に上品で洗練された演出です。

今日は時間がないのであまり書けませんが、取り急ぎ、標題に書いたこちら。

なぜ腹が立つの? これが世の中だというのに。

第一幕でおしかけてきたオックス男爵を追い払った後に嘆息するように呟く言葉です。

この言葉を日々眺めてみるといいかも、などと。

元帥府人は、これ以降ずっと機嫌が悪いですね。第三幕の登場時点でもやはり機嫌がわるいですね。観ているこちらも怒られている気分になります。元帥夫人は男性全員を怒っているのですから…。

今日は取り急ぎです。また明日。おやすみなさい。

Book,NNTT:新国立劇場

これも、私のタスク台帳にずっと残っていたのが、こちらの本について。

オペラ座のお仕事――世界最高の舞台をつくる
三澤洋史
早川書房
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新国立劇場の合唱指揮をしておられる三澤さんの本です。

オペラの舞台裏が分かる最高な一冊なのですが、私の積年の謎が解けた、と思った部分がありました。

今手元に本がないのですが、たしか「バイロイトの合唱ではなく、ベルカントをめざすことにした。日本人にはそちらのほうがあっている」といった趣旨のことを書いておられたと思います。それが、2011年の夏以降だされていた、と記憶しています。
どうもその辺りに、新国立劇場合唱団のレベルアップの秘密があるのではないか。そう思いました。

一方、私が「新国立劇場の合唱が変わった!」と思ったのが2012年3月の《さまよえるオランダ人》公演でした。あの時の男声合唱の迫力、力強さには身を乗り出して聴き入った記憶があります。

それ以降の合唱の力強さにはいつも感服しています。演技もきっちりやられますし、声もすごく出ていて、スゴイなあ、といつも思っています。

ここ数年、合唱指揮の三澤さんが、指揮者に乞われてカーテンコールに呼ばれるシーンを良く目にするような気がします。それほど素晴らしいということなんだと思います。

明日は運が良ければ《ばらの騎士》です。ハイティンク、ショルティ、ウェルザー=メストで予習しました。どんなパフォーマンスなのか。期待大です。

ではグーテナハトです。

2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,Miscellaneous,NNTT:新国立劇場

IMG_0716.JPG

先日の新国立劇場《椿姫》について。書きたいことがタスク台帳に残っていましたので、忘れないうちに書かないと。。

ヴェルディらしい楽しさがありましたが、やはり、台本はかなり無理をして刈り込んでいるのですね。第二幕の最初のところ、ヴィオレッタが宝飾品を売り払っている、ということに気づいたアルフレードは、張り裂けるように自分の未熟さを恥じ入り、パリへと向かいます。

この部分の劇の長さがバランスがおかしいほどに短いのです。

特に今回の新国立劇場の演出だと、あれあれあれ、という間にアルフレードが激昂して去っていき、そのあと、ヴィオレッタがすかさず登場、という感じで、なんだか紙芝居のような展開の早さでした。

オペラ化するにあたっては、台本を大きく省略することは多いですので、まあ、当たり前といえば当たり前なのです。

あとは、今回の演出ですと、ジェルモンの登場もかなりスピード感がありました。

それにしても、最近の新国立劇場の歌手の皆さんは安定しています。昔は、なんだかこのあとはずさないか、と心配になってしまうようなこともあったのですが、この数年は、そうした不安のようなものもなく、自然体で集中して見ることができるように思います。本当にすばらしい劇場になってきたんだなあ、と思います。

開場して17年。私が初めて観に行ったのが2002年ですので、あれから13年がたちますが、どんどん成熟しているような気がしてなりません。

今週末の《ばらの騎士》も期待ばかり、です。

では、とりいそぎおやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss

今日は四半世紀に渡る友人と日本酒を東京駅構内の日本酒バーにて。

すべての写真-1724

たまには、こういう機会を作らないと怒られます。夜遅くまで働かないと結果が出せない、と思われるのは問題なのです。

日本酒といえば、学生時代においては「ヤバイ酒」でした。

日本酒の熱燗となれば、徹夜を覚悟したものです。 ですが、その友人によれば、それは粗悪な日本酒だからということで、昨今はそんな日本酒ではない日本酒が多いとのこと。昨今といっても、この10年ぐらいなのでしょうか。完全に時間感覚が合いません。

日本酒の素養は全くありませんが、甘口、辛口、熱燗を味わいました。最後に熱燗が出たのは、翌日に向けて体調を整えるためとのこと。暖かいお酒はアルコールの分解をたすけ、翌日に備えるためなのだとか。(天邪鬼なわたしは、酒飲みにとっての福音と思いました)
なんだか人生の楽しみを覚えてしまったような。

さて、 今日は、週末に向けてショルティの《ばらの騎士》を。第一幕を聴いています。最後のマルシャリンのモノローグの部分?意外にも濃くて甘い味わいです。ショルティらしい。もっとすっきりした辛口の味わいと思いました。

R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」
ショルティ(サー・ゲオルク) ユングヴィルト(マンフレート) クレスパン(レジーヌ) ミントン(イヴォンヌ) パヴァロッティ(ルチアーノ) ヴィーナー(オットー) ドナート(ヘレン) ディッキー(マレー) デルモータ(アントン) ラクナー(ヘルベルト)
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そうか。齢を重ねるというのは、ねっとりとした甘い味わいにも似たものなのか、などと思います。酸いも辛いも越えた甘さのようなもの。飲み干せば、その先には甘い酩酊と倦怠という魅惑と倦怠が待っている。が故に、さらにそれを越えなければならないということ。

マルシャリンのモノローグは、そうした、時間と齢の超越がありますので、これでいいのかなあ、などと。 新国立劇場の第一幕の最終部分、降りしきる雨が窓をつたい、そこで元帥夫人がタバコを吸うという、シーンが有ります。あの身を切られるような倦怠と諦念こそが、人生の行き着くところではないかともおもいますが、そこまで行くのはまだまだ先なのかなあ、とも。まだまだそこにいくには小童すぎます。

先日、ラジオを聴いていたら林真理子さんがゲストでして、「咲いてこそ花!」という言葉をおっしゃってましたが、花が咲いて甘い匂いをだして、その先の倦怠、というのが人生なのかも。 なにはともあれ、明日には現実に戻らないと。

ではみなさま、ゆっくりお休みください。グーテナハトです。

Miscellaneous

写真 1 - 2015-05-27

Apple Watchを使い始めたのが4月29日でしたので、ちょうど4週間になります。音楽にも本にも全く関係ありませんが、感想などを。

総評

総評ですが、いくつか。

これは、iPhoneと密接な関係にあるデバイスです。iPhoneが母艦で、母艦の偵察機的な役割を果たすのがWatchである、といえます。 4週間つかいましたが、Appleは、うまくバランス撮ってってきたなあ、と思います。

背景が黒なのは、バックライトをなるべく使わず、バッテリーの消耗を防ぐためでしょうし、ウェブ閲覧ができないのは、Watchの画面でウェブをみても意味がないから割り切ったのでしょう。

また、時計の種類も抑えていますし、まだ、サードパーティの時計をリリースさせていません。粗悪なサードパーティアプリが出てくると、過度にバッテリーを消費する、などの影響があるかもしれず、そうしたことを懸念しているためではないか、とも思っています。

それから、デジタル時計ではなんと秒読みがありません。これはスペックを抑制することで実用性を確保した結果といえそうです。。

日本のメーカーなら、多機能勝負するところを、ドライにバランスを取っているというわけで、さすが、と思います。

逆にいえば、こうした割り切りに不満を持つ向きもあるはずですけれど。たしかに、操作がもたつ場面も多々あります。Siriがうまく立ち上がらなかったり、アプリケーションを開くのに時間がかかったり、ということです。特にグランスに入っていないアプリを立ち上げようとするとかなり時間をとります。そうしたパフォーマンス面は、今後のチューンナップなどで改善していけばいいなあ、と思っています。

私の思うメリット

ですが、それにもまして余りあるものがあります。この辺りは個人の価値観の差かもしれませんが、iPhoneをかばんやポケットにしまって、観られないような環境にあっても、Watchがあれば、常に外界とのコンタクトがとれているという安心感です。

さらに、音ではなく振動で通知を知らせてくれますので、うるさいところで聞こえないのではないか、とか、マナーモードにしていて聞こえないのではないか、などの杞憂に悩まされることはないのです。

手首に振動が来れば、さすがに気づくことができます。ですので、安心して仕事に集中することができます。

たとえば、子育てをしている方とか、介護をしている方など、緊急の連絡を常に受けたいような方にとっては、いつなるか分からない電話を過度に気にすることなく仕事に集中できるはずです。

そうでなかったとしても、たとえば、30分と決めて仕事に集中しよう、という時などは、タイマーが振動で30分という時間を教えてくれますので、仕事場のメンバーに気兼ねせずタイマー設定を行えます。

もしかすると、仕事をする上で、直接的ではないにせよ、間接的に大きなアドバンテージをもたらすデバイスなのかも、と思っています。

(Watchの振動ですが、そうそう強いものではありませんので、眠っている時には気づくことはないとおもいます)

取り急ぎグーテナハトです。まだ続くかも。。