Apple Music

はじめに

今日はApple Music のリスナーについての利点についてです。
ですが、実際には利点というのはかたるまでもない単純なものなのです。

当然ですが、なんでも聞けます。これに尽きます。

ハービー・ハンコックもチック・コリア、ベームのばらの騎士も、ベームのモーツァルトの交響曲全集もなんでも揃ってます。

私はこれで、ハービー・ハンコックのおさらいをはじめました。最新アルバムのThe imagine projectから、Riverへの遡ろうとしています。今日だけで2枚のCDを買ったのと同じことですので、すでに5,000円程度の効果があったことになります。

私は、昔よく聴いていたミュージシャンの最近の状況を真っ先に確かめたくなりました。

David Binny、Nelson Rangel、Najee、Spyro jyra

といった方々。

それから、なかなか手が出ない音源も聴けます。私が今聞いているのはこちら。

Parsifal
Parsifal

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R. Wagner
Mariinsky (2010-09-14)
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ゲルギエフの《パルジファル》です。 まともに買うと5,000円を超えてしまうわけですが、これも聞けてしまうという状況です。素晴らしいことこの上ありません。

実のところどうなのか?

リスナーにとっては、短期的には素晴らしいことのように思います。

ですが、実際にはどうなのでしょうか? という疑問がつきまとうのです。

少し古いですが以下のデータ。

http://soundrope.com/blog/howmuch-artists-online/

Apple Musicではありませんが、ストリーミングでミュージシャンが、月給で13万円を稼ぐためには、Spotifyで111万回以上の再生が必要なのだそうです。

消費者にとってはリーズナブルに見えますが、ミュージシャンにとって本当に収益となる仕組みになっているのか、という問題です。

音楽のコモディティ化

この十年ほど感じている、ミュージシャンのコモディティ化が進んでしまうのではないか、という問題です。

この20年ほどの技術革新でだれでも発信することが可能となりました。こうして私がブログを書いているのもこの技術革新のお陰です。また、だれもが素晴らしい写真を取ることができるようになったのはデジタルカメラの恩恵です。また音楽面でも同じでしょう。素晴らしいDAWソフトが沢山出てきましたので誰もが音楽を手軽に作るようになりました。

そして、現在の状況。どのような素晴らしい音楽を作っても、実際にお金になることはなく、だれもが同じように扱われてしまうコモディティな商品になってしまうのではないか。

それは結果的には、音楽全体にとっては不幸なことなのではないか、という疑問です。

今回のようなApple Musicのスキームによって、これまで音楽を聞かなかった人が音楽を聞くようになるかもしれません。あるいは、CDを買う機会を失っていたかつての音楽愛好家が音楽を聴くようになるようかも知れません(わたしのように?)。そうだとすると、音楽の裾野がひろがります。たとえ、音楽トラック一つの単価は下がったとしても、需要が喚起され、結果的にはミュージシャンの売上を向上させる可能性があるとされます。

ですが、本当にそうなるのか? という懐疑があります。

また、実際には、多数のリスナーを獲得したミュージシャンだけが生き残り、ニッチな分野で活躍していたミュージシャンは、かえって売上を落としてしまうかもしれません。

たとえば、現代音楽のような分野においては、5,000円のCDを10人買っていればよかったかもしれません。ですが、その10人がCDを買わずに、Apple Musicのようなスキームでのみ音楽を聞くようになったとします。そうだとすると、現代音楽はこれまで以上のリスナーを獲得しなければ同じ売上を得ることはできません。

そうだとすると、音楽はどんどん人気さえあればいい、とか人気がなければならない、という方向に流れることはないでしょうか?

いや、人気があるのはいいことです。ですが、芸術というのは人気とは相容れない部分もあることは確かです。民主主義と同じで、多数決が良いとは限りません。
そうだとすると、私には、このリスナーにとって、経済的に実にリーズナブルであるApple MusicやSpotifyに代表されるストリーミングによる音楽配信は、実際には、音楽というものを衰退させる者になりうるのではないか、と思ってしまいます。

これは、もちろんいろいろな方がおっしゃっていることだと思っています。

また、音楽だけではなく、その他の文学や技術がどんどんコモディティ化しているという昨今の私の世界認識もかさなっています。

希望はあるのか?

救いとして考えられるのは、Apple Musicがうたっているように、ユーザーが1億人、あるいはそれ以上になって、もっと音楽を聞く人が増えることです。そうすれば、かつてのAmazonで生じたロングテールのメリットというものが出てくるはずです。先に触れた、裾野の広がりを想像以上のものにするのです。

先ほど書いたような、現代音楽を聴く10人が、もしかすると100人に増えるかもしれません。あるいは、1万人になるかもしれません。そうすると、逆にニッチな音楽が生き残ることができるという事態にとうたつするかもしれないのです。

ともかく、これが、後世にあって「音楽を破壊した」などと言われないように祈るのみです。我々にできることといえば、せっせと好きな音楽を聞き続けるということだけでしょう。あるいは、たまにはCDを聴くとかコンサートに行くとか。

私は、完全にこれまでCDを買っていたレガシーな音楽リスナーが、Apple Musicに移ってきたという視点で書いています。この10年ほどのストリーミングやiTuneストアに代表されるダウンロード型のコンテンツに慣れた方々であれば、別の感想を持たれると思います。新鮮味もないでしょう。

これが、もし革命だとしたら、私は早く新しい世界観に慣れなければならないはずです。ですが、古い時代を知っている人間には、そうした古い時代を生きてきた経験を、新しい革命後の世界においても生かさなければならないのでしょう。ちょうど、戦前派と戦後派のせめぎあいのように。

おわりに

きょうはついつい長くなってしまいました。ここまで書くと、最近キーボートにいまいち慣れていなかったこともあり、指がなんだか変な気分です。これは、ちょうど数日サックスをサボったあとに感じるあの指の違和感に似ています。

次回は、今日書いた懸念とは別の懸念を書こうと思います。つまり、それは音楽と相対する我々の変容の可能性です。

それはまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Apple Music,Music

スクリーンショット 2015-07-05 20.31.48

はじめに

昨日、Apple musicのサブスクリプションを開始しました。 私にとってはずいぶん刺激的な経験でした。この感覚は、iPodを初めて手にしたときとおなじ感覚、と思っています。

あの時思ったのは、それまで数枚のCDしか持ち運べなかったのが、何百枚というCDを持ち運ぶことができる、というコペルニクス的転回ともいえる感覚でした。数ヶ月にわたって、嬉々としてCDをせっせとiPodに取り込んだのを記憶しています。

そもそもの懸念

今回のApple Musicに関しては、あのiTunes Matchの件を考えなければなりません。Apple Musicの導入によって、自分のミュージックライブラリが破壊されることはないか、というそもそもの話です。

Apple MusicもやはりiTunes Matchのように、iTunesと自分のコレクションの音源をマッチさせて、iCloudに音源を取り込む機能があります。ですので、自分のライブラリが破壊されてしまう懸念があります。

iTunes Matchに関する悲痛な投稿を発見。そこから類推される悲劇とは?

この1年前に書いた悲劇の記事ですが、検証できないまま今日に至りました。これまで検証しなかったのは、さすがに3,980円を実験代金として費消することに抵抗があったからです。

ですが、現在は無料期間ですので実験できそうです。 巧く行かなければやめればいいのですから。

ということで、音楽全曲とiTunes ライブラリをバックアップして臨みました。

実験結果

ですが、Apple Musicをサブスクリプションしただけでは何も起きません。iCloudミュージックライブラリをオンにしなければ、自分のミュージックライブリとiTunesのマッチングはオンとならないようです。

スクリーンショット 2015-07-05 20.41.25

そこで、iCloudミュージックライブラリをオンにしてみましたが、予想通りエラーとなりました。

理由は曲数上限である25,000曲を超える32,000曲ほどがiTunesライブラリに登録されているためです。ですので、今のところ、私にはiTunesライブラリを10,000曲削減しないと検証できないことになります。
(やるしかないか…、などと思いますが、今週は時間切れです)

ちなみに、iTunes Match の曲数制限は10月に100,000曲に増えるという情報もあります。この曲数の増加がApple Musicにも適用されればいいのですが。

さしあたりの状況

今のところ言えることは、Apple Musicの購読だけであれば、ミュージックライブラリが破壊されるといった問題はなさそう、ということです。

ちなみに、iTune Matchの件は、未検証ですので、本当に破壊が起こるかどうかはわかりません。米国の投稿からの類推をしたというところです。先に触れたように、遅くとも10月には、本件の結論がでそうです。その前になにか情報があれば良いのですけれど。

今日の二枚

というか、Apple Musicでウハウハしてしまい、今日はジャズのCDを何枚も聴いてしまいました。そのうち何枚かを。

Can't Help It
Can’t Help It

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Malene Mortensen
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先日から注目しているマレーネ・モーテンセン。モーテンセン自身もいいのですが、バックのピアノが素晴らしいのです。調べてみると、クリスチャン・サンズという天才ピアニストでした。まだ20代後半ですが、本当に素晴らしい。私が気づいたのはリズム感覚が最高ということです。

Man-Child
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Herbie Hancock
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ハービー・ハンコックのMan-Child。ハービーらしいカッコイイ一枚でした。冒頭のHang up your Hang upsの後半、後ろでホーン・セクションがパターンを刻む上で、ハービーのピアノが美しいソロを繰り出しつつ、ストリングス系のシンセが入ってくるあたり、最高すぎ。

くわしくはこちら

次回もApple Musicのことを書きます。

それではみなさま、お休みなさい。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

Photo

雨が続く毎日。東京地方はこの数日ずっと雨ですね。というより、私の記憶の中ではこの一年ほどで、こんなに雨が続いたという記憶がありません。

昨今なんだか週末にだけしか書けていないですね。最近、仕事のほうがなかなか忙しいのです。忙しさというのは、波のように周期を持って忙しかったりそうでなかったりするもので、最近は忙しい波にあえて乗っているという感じもあります。

まあ、止まない雨はありません。

IMG_1004.JPG

先日の新国立劇場の《沈黙》ですが、本当に考えさせられる内容でした。同じプロダクションで二回目ということもあり、どんな感じで観られるのか不安でしたが、思った以上に学びが多かったのです。

「日本には、日本のやり方がある。西欧の神を持ってくるのはありがた迷惑」

「日本人は、結局は神などは理解できず、神も大日如来も、同じものとしてしまう」

このような、西欧の日本化というテーマは、キリスト教だけではなく、随所にあるのでは、とも思うのです。具体的にここに書くことはしません。私の大学時代の先生は、日本の西欧文化受容の非徹底を嘆いておられたのですが、そうしたこととつながるのだ、と思います。

「グローバル」な昨今にあって、何がいいのか悪いのか、全くわからない世界になりつつある中で、この問題は現代的だなあ、と思いました。

今後の世界に不安が多い中、あまりに重いテーマを感じて、数日間は考えこんでしまって、書くに書けなかった、ということだと思います。

Miscellaneous

Photo

いよいよ入道雲が見え始めました。写真の雲は入道雲というには少し頼りないですけれど。

先日の新国立劇場《沈黙》ですが、いろいろ書きたいことがあるのですが、どうにもこうにも。というか書けない内容のほうが多いなあ、などと。

取り急ぎ今日は写真のみで。。

Wagner: Parsifal (4 CDs)
Wagner: Parsifal (4 CDs)

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今日はこちら。第二幕の「アンフォルタス!」とパルジファルが絶叫するシーンがもっとも心撃たれます。人間の弱さと強さ。

にしても、《沈黙》を観て思うのは、人間ほど怖ろしいものはない、ということかも。最近の読書傾向からしてかなりナーバスです。ちょっと怖いものを見過ぎました。

では取り急ぎ。おやすみなさい。

Richard Strauss

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凄烈な夕空でした。これは夕暮れの東の空です。夕焼けといえば西空ですが、反対側の東空を振り返ってもなかなかの風景があります。

Capriccio
Capriccio

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Karl Bohm
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今日はカプリッチョ。グンドラ・ヤノヴィッツの心あらわれる声を楽しみました。意外とテンポがダイナミックで驚きました。最近良く聞いていたのがシルマーなので、なおさらそう思ったのかもしれません。

オペラにおいては、詩か、音楽か、いずれが優位なのか? あるいは演出は? という問いを投げかけるオペラです。この問いを、伯爵夫人マドレーヌが、詩人オリヴィエと音楽家フラマンのいずれを選ぶか、というラヴストーリーになっているというのがなかなかおもしろいのです。私は、きっとマドレーヌは音楽家フラマンを選ぶと思いますが。

このオペラ、作曲されたのが、第二次大戦まっただ中なのです。初演は1942年です。まだ戦局は一進一退のころです。何を思ってこうしたオペラを書いたのでしょうかね。
ユダヤ人排斥のなかにあって、台本作家ツヴァイクとオペラを作れなくなったり、ナチスとうまく行かなくなったり、大変な時期だったはずです。

がゆえに、こんな、あるい意味他愛もない世間ずれしたオペラを書いたんだと想像してしまいます。

そういえば、オーウェルの「1984」の二重思考を思い出しました。。これも二重思考なのかもしれません。「戦争は平和なり」とか、「自由は隷従なり」という「1984」に登場する「二重思考」の言葉のように、この他愛のなさがあまりに不気味です。「1984」では、イングソックという社会主義的政権がアメリカやイギリスを支配しています。そこでは「2+2が5」とされていれば「2+2は5」と言わなくてはならず、「2+2は4」と言えない世界なのだそうです。先日書いたショスタコーヴィチは、交響曲第5番に隠されたメッセージを込めているという話のように、シュトラウスも、ナチス政権下にあって、言いたいことを言えなかったが故に、なにかを込めたんじゃないか、という漠然とした想像をしてしまうのですが、どうでしょうか。

それではおやすみなさい。グーテナハト。

Classical

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あー、買ってしまいました。

2年前に以下の記事を書きました。

驚愕!ウィーンフィル&ウェルザー=メストのスターウォーズ!

レイアのテーマと、インペリアル・マーチはまだYoutubeで聴けますが、テーマはYouTube では聴けなくなりました。
まるで、やっとの思いで水飲み場にたどり着いた気分です。

ライナーを読むと、選曲は小澤征爾によるものでした。また、本来は指揮もするはずでしたが、体調の影響で降板し、ウェルザー=メストに交代ということのようです。

真相はわかりませんが、私は、コルンゴルトからジョン・ウィリアムズに引き継がれた音楽が里帰りした、という物語をここに読み取って、感慨を感じています。

これも既出ネタですが、スター・ウォーズのテーマは、コルンゴルトの映画音楽Kings Rowと酷似しています。このkings Rowは、私がたまたま買ったコルンゴルト映画音楽集に収録されていたもので、初めて聞いた時はのけぞりました。

スター・ウォーズからコルンゴルトの交響曲へとさかのぼってみる。

この時の記事ではウェルザー=メストが選曲とかいていますので、訂正しておきます。

それではみなさま。良い1日を。チュース。

Organ

すべての写真-1981

線路が夕陽に輝いています。夕陽とはいえないかもしれませんが、これ18時少し前の写真だと思います。冬だと真っ暗だというのに。

早めの夕食を近所でとったあとの写真です。なんだか、夕食を明るいうちに食べ終われるというのは、しあわせな感覚です。

明日が夏至です。東京の日の入りは19時ちょうどでした。明後日からは、また当時へ向けた長い道のりが待っています。

さて、3月半ばに以下の記事を書きました。

四半世紀忘れない曲  マルセル・デュプレ《行列と連祷》

25年前に聴いた、マイケル・マレイのオルガン演奏の件でした。私がNHK-FMでオンエアされたと思っていたCDは、実際には別の音源だったのです。

その後調べたところ、当時NHK-FMでオンエアされたのはこちらの音源だったはずです。

当時の記憶では、オルガンはニューヨークのものと放送されていたはずです。さらにこのCDの録音は1987年で、25年前に聴くことができる録音です。

ちなみに、私が勘違いしていたCDの録音は1999年でした。。

Cathedral St John Devine NYC
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勘違いしたCDと一応並べてみたりして。

写真 1 - 2015-06-21

上のCDがパリのサン・シュルピス教会での演奏。1999年の録音。

下のCDがセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂での演奏。1987年の録音。

両方に、デュプレの《行列と連祷》とヴィドールのオルガン交響曲第6番終楽章が収められていて、混乱してしまったのです。

それにしても、オルガンというのは奥深いものです。以下の記事をざっと読みましたが、音栓を幾つも操作し、音を作っていくプロセスはほとんどシンセサイザーに近いものがあります。もちろん、その建物自体が楽器となるわけですから、このように同じ曲を違う教会のオルガンで聴くというのも、意味があることのように思います。

http://www2.yamaha.co.jp/u/naruhodo/21pipeorgan/pipeorgan1.html

ざっと聴いた感覚では、意外にもパリのサン・シュルピス教会のオルガンのほうが、ニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン教会のオルガンよりも華やいだ音に聴こえるということです。ニューヨークのほうがなにか静謐な大人びた音のように感じます。

どちらが良いとも言えませんが、静かな夏の夜に効くのはニューヨークのほうですね。。

この違いはもちろんオルガンだけの違いに拠るものではないでしょう。同じマイケル・マレイが演奏者であっても、録音年がちがいますから解釈も変わっているでしょうし。

しかし、このあたりは生半可な知識でどうこう言えるものでもないです。音源を聴く機材によっても見解はかわると思います。

音楽は本当に語ることのできないものなのですね。まあ、それで致し方ないのですが。

参考ですが、こちらのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂はこちら。1888年から建築を開始していますが、まだまだ未完成です。どうやら完成すると世界最大のゴシック教会になるようです。というか、太陽の光が美しいです。

StJohnTheDivineWilliamPorto.jpg
StJohnTheDivineWilliamPorto" by William PortoOwn work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

今日の東京地方は涼しい夜になりそうです。助かりますね。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

IMG_3622

近所のトウモロコシ畑です。夏が迫りますね。

さて、先だってのイスラム国のドタバタのなかで、池内恵氏の著作を二冊ほど読みつつ、Facebookで池内氏をフォローしています。

イスラーム国の衝撃 (文春新書)
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現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

池内 恵
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本当に素晴らしい方なのですが、池内氏のブログで、本当に興味深く、かつ重大な問題を提起しておられたのでご紹介します。
イスラーム教をなぜ理解できないか(2)リベラル・バイアスが邪魔をする〜米国のガラパゴス

私の理解においてはこのようなものでした。

  • イスラムの理解において、我々は欧米のリベラルな色眼鏡を通してみていて、イスラム教の価値観は、同じ人間であるからこそ欧米の価値観と通底するものがあり、最後には分かり合えるもの。が故に、民主化をすることで、イスラムの旧弊から人々は解放され、人々は欧米と同じくリベラルな、自由な生活を享受することができるのだ。が故に、民主化を進めることが必要なのである、とする。
  • だが、実際にはイスラム教はイスラムの教義を「こころ」の問題などではなく、現実社会に適応させるべきものであるとしているのであり、がゆえに、ISISの進めるイスラム統一国家の建設とカリフ制の再興というものについて、反対する理由もなく、あるいは、イスラムからの改宗者は死刑であり、姦通罪は石打ち刑でよいのである。

最後の以下の部分が、本当に身にしみます。

ハミードのこういった議論は、「アラブの春」以後の民主化の試みによって、実際にアラブ諸国の多数派のムスリムの民意が選挙で表出されたことを踏まえている。そこからハーミドが出した結論は、「政治的な自由化が行われば、非リベラルな思想の持ち主が多数派を占めるアラブ世界では、非リベラルな民主主義が誕生しかねない」というものだ。

民主主義が、結局のところ、欧米の良識派が目指すリベラルな世俗主義には向かわないのではないか、という状況は、欧米の色眼鏡で真っ暗に見える部分があって、そこを理解することは絶対にできないというなにか悲痛なものに思えました。

以前にも以下のエントリで触れましたが、「真理」という欧州のロマン派的な言説が潰えているということになると、ますますなにか「通底するもの」というものがあることさえわからなくなると思います。

ベルリンの記憶、そして未来へ

そうした真理は、100年前からメルトダウンを始めているわけですが、ここまで来たか、という感慨のようなものもあります。

メルトダウンについてはこちら。

辻邦生「西欧の光の下で」から──自壊してなお成長する西欧?

人々の間において「通底するもの」というのが、この20年ほど持っている私の中の問題意識だったということに改めて気づいたりもしたりと、本当に刺激の多い今日このごろです。結局は、互いに理解できないという悲観的な状況にあっても、なお、理解を信じて対話をするという、よくあるベクトル至上主義というか主意主義というか、そういうところに着地するしかない、ということなのかあ、などと。

それでは少し早いですがおやすみなさい。グーテナハト。

Miscellaneous

  

この週末は、ぐずついた天気になりそうです。今日も淡々と家事をこなす1日でした。

明日の東京地方も雨ですね。雨には雨の楽しみがありそう。このあじさいも、明日は雨にぬれてまた違う顔を見せてくれるでしょう。

ではおやすみなさい。

Book

リトル・ブラザー
リトル・ブラザー

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コリイ・ドクトロウ
早川書房
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コリイ・ドクトロウのことを知ったのはこちらの記事でした。

フリーとシェアのために戦うデジタル戦士「コリイ・ドクトロウ」への念願のインタビュー!

私は、このライフハッカーというウェブサイトが大好きで、毎日毎日かかさず読んでします。特に大好きなのがHow I Workというシリーズです。ここで、アメリカのギークうやスタートアップの人々が何を考えてどういうふうに仕事をしているのかを垣間見るのが面白く
そこからいろいろなスキルを盗んでいます。

それで、このHow I Workのインタビューに登場したコリイ・ドクトロウの代表作がこの「リトル・ブラザー」というわけです。

まだ三分の二ほど読んだところですが、本当に興味深く面白いです。

サンフランシスコがテロで大きな被害を受けてから、国家がテロ対策の名目で、市民の権利を徐々に制限していく過程を、高校生の視点から描いています。

と書くと、なんだかお硬い物語に見えてしまいますが、実際には主人公はITに通じたギークな少年で、ネットワークやセキュリティ知識を活かして、国家との知恵比べをはじめる、といった感じの、ジュニア向けともいえる小説になっています。

とはいえ、大人が読んでも実に読み応えがあり、たしかに、ITが発達した今日においては、この小説に描かれるように国家権力によって、情報が読み解かれ、個人の自由やプライバシーはなくなっていくのではないか、という、直面している不安のようなものを言い当てている小説だと思います。

そういえば、戦時中を過ごした年配の方は、インターネットを極度に恐れているように思います。辻邦生の奥さんの佐保子さんもやはりインターネットに恐怖を感じておられた、という話をどこかで読みました。

これは、おそらくは戦時中の情報統制の記憶と、現代のインターネットがもつ危うさがつながっているのではないか、などと思いました。

この本を読むと、私も、コーディングをしたくなります。コーディングは、文章を書くのと同じように、世の中を変える可能性を持つものですから。

それでは取り急ぎグーテナハトです。