Richard Strauss

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凄烈な夕空でした。これは夕暮れの東の空です。夕焼けといえば西空ですが、反対側の東空を振り返ってもなかなかの風景があります。

Capriccio
Capriccio

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Karl Bohm
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今日はカプリッチョ。グンドラ・ヤノヴィッツの心あらわれる声を楽しみました。意外とテンポがダイナミックで驚きました。最近良く聞いていたのがシルマーなので、なおさらそう思ったのかもしれません。

オペラにおいては、詩か、音楽か、いずれが優位なのか? あるいは演出は? という問いを投げかけるオペラです。この問いを、伯爵夫人マドレーヌが、詩人オリヴィエと音楽家フラマンのいずれを選ぶか、というラヴストーリーになっているというのがなかなかおもしろいのです。私は、きっとマドレーヌは音楽家フラマンを選ぶと思いますが。

このオペラ、作曲されたのが、第二次大戦まっただ中なのです。初演は1942年です。まだ戦局は一進一退のころです。何を思ってこうしたオペラを書いたのでしょうかね。
ユダヤ人排斥のなかにあって、台本作家ツヴァイクとオペラを作れなくなったり、ナチスとうまく行かなくなったり、大変な時期だったはずです。

がゆえに、こんな、あるい意味他愛もない世間ずれしたオペラを書いたんだと想像してしまいます。

そういえば、オーウェルの「1984」の二重思考を思い出しました。。これも二重思考なのかもしれません。「戦争は平和なり」とか、「自由は隷従なり」という「1984」に登場する「二重思考」の言葉のように、この他愛のなさがあまりに不気味です。「1984」では、イングソックという社会主義的政権がアメリカやイギリスを支配しています。そこでは「2+2が5」とされていれば「2+2は5」と言わなくてはならず、「2+2は4」と言えない世界なのだそうです。先日書いたショスタコーヴィチは、交響曲第5番に隠されたメッセージを込めているという話のように、シュトラウスも、ナチス政権下にあって、言いたいことを言えなかったが故に、なにかを込めたんじゃないか、という漠然とした想像をしてしまうのですが、どうでしょうか。

それではおやすみなさい。グーテナハト。

Classical

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あー、買ってしまいました。

2年前に以下の記事を書きました。

驚愕!ウィーンフィル&ウェルザー=メストのスターウォーズ!

レイアのテーマと、インペリアル・マーチはまだYoutubeで聴けますが、テーマはYouTube では聴けなくなりました。
まるで、やっとの思いで水飲み場にたどり着いた気分です。

ライナーを読むと、選曲は小澤征爾によるものでした。また、本来は指揮もするはずでしたが、体調の影響で降板し、ウェルザー=メストに交代ということのようです。

真相はわかりませんが、私は、コルンゴルトからジョン・ウィリアムズに引き継がれた音楽が里帰りした、という物語をここに読み取って、感慨を感じています。

これも既出ネタですが、スター・ウォーズのテーマは、コルンゴルトの映画音楽Kings Rowと酷似しています。このkings Rowは、私がたまたま買ったコルンゴルト映画音楽集に収録されていたもので、初めて聞いた時はのけぞりました。

スター・ウォーズからコルンゴルトの交響曲へとさかのぼってみる。

この時の記事ではウェルザー=メストが選曲とかいていますので、訂正しておきます。

それではみなさま。良い1日を。チュース。

Organ

すべての写真-1981

線路が夕陽に輝いています。夕陽とはいえないかもしれませんが、これ18時少し前の写真だと思います。冬だと真っ暗だというのに。

早めの夕食を近所でとったあとの写真です。なんだか、夕食を明るいうちに食べ終われるというのは、しあわせな感覚です。

明日が夏至です。東京の日の入りは19時ちょうどでした。明後日からは、また当時へ向けた長い道のりが待っています。

さて、3月半ばに以下の記事を書きました。

四半世紀忘れない曲  マルセル・デュプレ《行列と連祷》

25年前に聴いた、マイケル・マレイのオルガン演奏の件でした。私がNHK-FMでオンエアされたと思っていたCDは、実際には別の音源だったのです。

その後調べたところ、当時NHK-FMでオンエアされたのはこちらの音源だったはずです。

当時の記憶では、オルガンはニューヨークのものと放送されていたはずです。さらにこのCDの録音は1987年で、25年前に聴くことができる録音です。

ちなみに、私が勘違いしていたCDの録音は1999年でした。。

Cathedral St John Devine NYC
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勘違いしたCDと一応並べてみたりして。

写真 1 - 2015-06-21

上のCDがパリのサン・シュルピス教会での演奏。1999年の録音。

下のCDがセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂での演奏。1987年の録音。

両方に、デュプレの《行列と連祷》とヴィドールのオルガン交響曲第6番終楽章が収められていて、混乱してしまったのです。

それにしても、オルガンというのは奥深いものです。以下の記事をざっと読みましたが、音栓を幾つも操作し、音を作っていくプロセスはほとんどシンセサイザーに近いものがあります。もちろん、その建物自体が楽器となるわけですから、このように同じ曲を違う教会のオルガンで聴くというのも、意味があることのように思います。

http://www2.yamaha.co.jp/u/naruhodo/21pipeorgan/pipeorgan1.html

ざっと聴いた感覚では、意外にもパリのサン・シュルピス教会のオルガンのほうが、ニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン教会のオルガンよりも華やいだ音に聴こえるということです。ニューヨークのほうがなにか静謐な大人びた音のように感じます。

どちらが良いとも言えませんが、静かな夏の夜に効くのはニューヨークのほうですね。。

この違いはもちろんオルガンだけの違いに拠るものではないでしょう。同じマイケル・マレイが演奏者であっても、録音年がちがいますから解釈も変わっているでしょうし。

しかし、このあたりは生半可な知識でどうこう言えるものでもないです。音源を聴く機材によっても見解はかわると思います。

音楽は本当に語ることのできないものなのですね。まあ、それで致し方ないのですが。

参考ですが、こちらのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂はこちら。1888年から建築を開始していますが、まだまだ未完成です。どうやら完成すると世界最大のゴシック教会になるようです。というか、太陽の光が美しいです。

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StJohnTheDivineWilliamPorto" by William PortoOwn work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

今日の東京地方は涼しい夜になりそうです。助かりますね。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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近所のトウモロコシ畑です。夏が迫りますね。

さて、先だってのイスラム国のドタバタのなかで、池内恵氏の著作を二冊ほど読みつつ、Facebookで池内氏をフォローしています。

イスラーム国の衝撃 (文春新書)
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現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

池内 恵
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本当に素晴らしい方なのですが、池内氏のブログで、本当に興味深く、かつ重大な問題を提起しておられたのでご紹介します。
イスラーム教をなぜ理解できないか(2)リベラル・バイアスが邪魔をする〜米国のガラパゴス

私の理解においてはこのようなものでした。

  • イスラムの理解において、我々は欧米のリベラルな色眼鏡を通してみていて、イスラム教の価値観は、同じ人間であるからこそ欧米の価値観と通底するものがあり、最後には分かり合えるもの。が故に、民主化をすることで、イスラムの旧弊から人々は解放され、人々は欧米と同じくリベラルな、自由な生活を享受することができるのだ。が故に、民主化を進めることが必要なのである、とする。
  • だが、実際にはイスラム教はイスラムの教義を「こころ」の問題などではなく、現実社会に適応させるべきものであるとしているのであり、がゆえに、ISISの進めるイスラム統一国家の建設とカリフ制の再興というものについて、反対する理由もなく、あるいは、イスラムからの改宗者は死刑であり、姦通罪は石打ち刑でよいのである。

最後の以下の部分が、本当に身にしみます。

ハミードのこういった議論は、「アラブの春」以後の民主化の試みによって、実際にアラブ諸国の多数派のムスリムの民意が選挙で表出されたことを踏まえている。そこからハーミドが出した結論は、「政治的な自由化が行われば、非リベラルな思想の持ち主が多数派を占めるアラブ世界では、非リベラルな民主主義が誕生しかねない」というものだ。

民主主義が、結局のところ、欧米の良識派が目指すリベラルな世俗主義には向かわないのではないか、という状況は、欧米の色眼鏡で真っ暗に見える部分があって、そこを理解することは絶対にできないというなにか悲痛なものに思えました。

以前にも以下のエントリで触れましたが、「真理」という欧州のロマン派的な言説が潰えているということになると、ますますなにか「通底するもの」というものがあることさえわからなくなると思います。

ベルリンの記憶、そして未来へ

そうした真理は、100年前からメルトダウンを始めているわけですが、ここまで来たか、という感慨のようなものもあります。

メルトダウンについてはこちら。

辻邦生「西欧の光の下で」から──自壊してなお成長する西欧?

人々の間において「通底するもの」というのが、この20年ほど持っている私の中の問題意識だったということに改めて気づいたりもしたりと、本当に刺激の多い今日このごろです。結局は、互いに理解できないという悲観的な状況にあっても、なお、理解を信じて対話をするという、よくあるベクトル至上主義というか主意主義というか、そういうところに着地するしかない、ということなのかあ、などと。

それでは少し早いですがおやすみなさい。グーテナハト。

Miscellaneous

  

この週末は、ぐずついた天気になりそうです。今日も淡々と家事をこなす1日でした。

明日の東京地方も雨ですね。雨には雨の楽しみがありそう。このあじさいも、明日は雨にぬれてまた違う顔を見せてくれるでしょう。

ではおやすみなさい。

Book

リトル・ブラザー
リトル・ブラザー

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コリイ・ドクトロウ
早川書房
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コリイ・ドクトロウのことを知ったのはこちらの記事でした。

フリーとシェアのために戦うデジタル戦士「コリイ・ドクトロウ」への念願のインタビュー!

私は、このライフハッカーというウェブサイトが大好きで、毎日毎日かかさず読んでします。特に大好きなのがHow I Workというシリーズです。ここで、アメリカのギークうやスタートアップの人々が何を考えてどういうふうに仕事をしているのかを垣間見るのが面白く
そこからいろいろなスキルを盗んでいます。

それで、このHow I Workのインタビューに登場したコリイ・ドクトロウの代表作がこの「リトル・ブラザー」というわけです。

まだ三分の二ほど読んだところですが、本当に興味深く面白いです。

サンフランシスコがテロで大きな被害を受けてから、国家がテロ対策の名目で、市民の権利を徐々に制限していく過程を、高校生の視点から描いています。

と書くと、なんだかお硬い物語に見えてしまいますが、実際には主人公はITに通じたギークな少年で、ネットワークやセキュリティ知識を活かして、国家との知恵比べをはじめる、といった感じの、ジュニア向けともいえる小説になっています。

とはいえ、大人が読んでも実に読み応えがあり、たしかに、ITが発達した今日においては、この小説に描かれるように国家権力によって、情報が読み解かれ、個人の自由やプライバシーはなくなっていくのではないか、という、直面している不安のようなものを言い当てている小説だと思います。

そういえば、戦時中を過ごした年配の方は、インターネットを極度に恐れているように思います。辻邦生の奥さんの佐保子さんもやはりインターネットに恐怖を感じておられた、という話をどこかで読みました。

これは、おそらくは戦時中の情報統制の記憶と、現代のインターネットがもつ危うさがつながっているのではないか、などと思いました。

この本を読むと、私も、コーディングをしたくなります。コーディングは、文章を書くのと同じように、世の中を変える可能性を持つものですから。

それでは取り急ぎグーテナハトです。

Jazz

どうも、最近ワーカホリック気味です。昨日も、諸事情により早く仕事場を離れましたが、気が滅入るといったら仕方がありませんでした。

ちなみに、アメリカだとこういうことのようです。あまり仕事ばかりしているのは評価されないようです。お国柄ですね。

ビジネスで成功している人は、起きている時間のすべてを仕事に費やしているわけではありません。彼らは週末には家族や友人と団らんしたり、運動や家事を行ったりします。仕事は大事ですが、家族や自分の健康も同様です。週末にはこういったことを優先して、仕事と家庭のバランスを取りましょう。

http://www.lifehacker.jp/2015/06/150606_success_habit.html

なかなかできないことです。

ちなみに、ご存知と思いますが、こういうウェブ上の情報を引用して紹介するのが、もともとのブログの役割のようです。ブログとはウェブログの短縮形なのですが、ウェブのログをとっておく、といった意味ともとれるでしょうから。

それが、2000年頃にあった日記サイトの代替となっていって、私が作っているこうした個人ブログが幾つもできた、ということになるのでしょう。

今日はこちら。

Like a River
Like a River

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Yellowjackets
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Yellowjacketsの1993年のアルバムです。もう20年前ですか。

このアルバム、爽やかでクリアな音作りですが、一筋縄ではいかない部分も多々ある魅力的なアルバムです。

ボブ・ミュンツァーのソプラノサックスがいいです。変拍子のナンバーであるAzure Moonも素敵。マイルスに捧げられたDeweyもいいですね。

20年前に買った当初は、全く理解できなかったのですが、そのうちにこのアルバムが一番大好きなYellowjacketsのアルバムになりました。

でも、そういうYellowjacktesを沢山聴いていたのももう10年ぐらいまえのことになってしまいましたね。

さて、90年代前半の音楽は、なにかオプティミズムに彩られたものに思えます。冷戦が終わり、インターネットなどのIT技術が発展を遂げ始めた時代で、未来が輝かしく思えた記憶があります。

こうした文章をウェブ上に公開する、という夢のようなことができるようになったのもこの頃です。

いまでも覚えていますが、自分でHTMLを書いて、インターネット上に公開した瞬間、大きな感動を覚えたのです。在野であってもこうして自分の意見を表現できる時代なのだ、と。それが、日本でいうと2004年ごろからのブログブームにつながっていたのでしょう。

今はブログは下火になっているのでしょう。代わりにFacebookやTwitterがそうした自分の意見の表明をする場になっているということになるのでしょう。

そういえば、今日読んだ梅田望夫氏の「ウェブ時代をゆく」にも似たようなことが書いてありました。知識人とそれ以外ではなく、その中間層のようなものが生まれているのだ、という意見でした。2008年頃の意見ですが。そうした中間層のインフラがブログであり、Twitterであり、Facebook、少しまえで言うとmixiなのでしょう。

私の場合、それがゆえに、日和ってしまったということもあるのでしょうけれど。

せめて、私もアメリカ人に習って週末は健康的に過ごしたいものです。

ではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

いろいろと大変な時代ですので、スムーズに人生を送れる人など居るわけがありません。たまにいるかもしれませんが、それは本当に砂浜の中の砂粒一つぐらいです。

まあ、いろいろあっても、食べて、飲んで、寝る、ということができていればいいのかなあ、と思います。

もっとも、本当に辛いと、食べることもできず、飲むこともできず、寝ることもできず、だと思いますが、それが出来るだけでも感謝なのでしょうね。

で、今日も食べて、飲みましたので、そろそろ寝ることにします。

おやすみなさい。

Book

昨日から、思うところがあって、鈴木三重吉の「古事記物語」を読んでいます。Kindleで無料で読めます。多分
30年ぶりぐらいです。

古事記物語
古事記物語

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(2012-10-01)

古事記物語は、小学生高学年向けの本を何度も何度も読んでいた記憶がありますが、今回の「古事記物語」は、おそらくは当時読んでいた本の元ネタなのではないかと思いました。がゆえに、大人なら分かる激しさのようなものもいくらかあって、なるほどね、という感じです。

いや、本当に神話の世界とはいえ、殺戮の物語に満ちているなあ、というのが印象です。今日読んでいたヤマトタケルノミコトの討伐は、ほとんどだまし討ちのような記述になっていて、したたかだなあ、という印象です。八百万の多様性なんてものはなく、従わないものは有無をいわさず殺戮する、というトーンです。

こういうしたたかさ、というものは、その後の日本では失われていったんでしょうか。おそらくは、江戸時代の鎖国が日本を変えたということになるのだと思いました。

それにしても、ギリシア神話にそっくりなエピソードが幾つかあるのには、あらためて驚きます。イザナミを黄泉の国に迎えに行くのは、オルフェウスの神話とそっくりです。それから、大物主命の正体を突き止めるところでは、糸巻きが登場します。まるでクノッソス宮殿の神話とそっくりです。

先日、去年の伊勢神宮と出雲大社の遷宮を特集したNHKスペシャルを、レコーダーのなかから引っ張りだしていまさら観たのですが、そのときにあった、大国主命の国譲り神話が、おそらくは国をめぐる激しい攻防を神話にデフォルメしているのだろうなあ、というところは強く思いました。あんなにたんたんと国譲りするわけがないのですから。

先日フーコー関連書を読んだ時に思ったのが、正式文書に真実はない、ということでした。ですが、最近は、そうではなく、正式文書は全てが真実ではないが、いくばくかの真実は含まれている、のだとおもいます。古事記の中にも、失われた歴史がいくばくかは織り込まれているのだろう、などと想像すると面白いです。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

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新国中庭のパノラマ写真を撮ってみました。首都高速の騒音をブロックするための外壁に囲まれた水庭は本当に素敵です。

《ばらの騎士》に政治的意図はあるでしょうか? ヴェルディオペラだと、そこに政治的な意図がたくさん仕込まれていますので、いろいろと面白いのですが、シュトラウス=ホフマンスタールでそうしたことを考えたことがありませんでした。

もちろん、第一次世界大戦前の時代が変わりゆくことへの漠然とした不安のようなものがながれているのはたしかでしょう。爛熟の次に来る破局への予感のようなものでもあります。18世紀のフランス革命に向けたフランスの状況などを想像していたのかもしれません。

あるいは、現代においてもやはり、バブルの次に来る崩壊をなにかそこはかとなく感じていて、例えば、今のアベノミクス相場はもちろんのこと15年前のITバブルも、なにかそうした威勢の良さのあとに来る破局への漠然とした不安を感じるような気がします。

現実と乖離しているような株価の高騰が、日銀や年金機構が政策に基づき株を買い続けているという状況で、創られた株高状況とも言われているようです。

インフレ・ターゲットが設定されてはいますが、それに連動して、給与が上がっている実感がない、という話はよく聞きます。

(ですが、こちらのデータでは、2013年度においては、平均給与は2%とはいえませんが、それでも上がっている、とされていますので、面白いですね)

なにか、こういう爛熟の美と、次に来る破局の感覚、というのは、日本的とも言えるのでしょうかね。というか、辻邦生の「美と滅び」とか、太宰とか、三島の感覚とよく似ているなあ、と思います。それは、実はマンなのかもしれないですね。

ホフマンスタールの《チャンドス卿の手紙》は、なにか大人の諦念のようなものを感じるのですが、それがこのオペラの魅力だとおもいます。

というのは、ある程度人生経験を積んだ人の意見になると思いますが、きっと若い方々にはオクタヴィアンとゾフィーの恋愛成就ハッピーエンド物語になるのでしょうね。第二幕でさっそうと登場するオクタヴィアンは、きっと若い方にとっては、卒倒するほどのかっこよさです。

年代ごとにその魅力が発揮できるようになっているのかも、なんてことを思いながら観ておりました。

それでは取り急ぎ。グーテナハトです。