Miscellaneous

私が尊敬するJamie Todd Rubinさんが、昨年の氏のブログのアクセス履歴を示しておられたので私も真似してみます。

昨年一年間のページビューは32,686だそうです。月当りだいたい2723ビュー、一日だと、だいたい90ビュー、というところでした。

以下のリンク先によると、少し古い記事ですが、一ヶ月に5000ビュー以下ののサイトが63%を占めているそうです。ですので、平均的なページビューということになるのでしょうか。

http://www.garbagenews.net/archives/1104114.html

いくつか山があるのですが、2月の山はおそらく佐村河内問題のためです。3月の山は新国立劇場の《死の都》関連かと思われます。また7月に山がいくらか現れているのは辻邦生関連記事を書いたからかもしれません。10月前半は《パルジファル》について書いたからかと思われます。

ちなみに、8月の山はWordpressへ移行するにあたって、作業ベースで何度もアクセスしたからかも。プロならそうした作業についてはアカウントされないよう成業するのかもしれませんけれど。

というわけで、本日もなんとか。正月休みはまだ1日ありますので、やり残したことをしっかりやりましょう。いまのところ、7割ぐらいしかできてないかも。。

ちなみに、今日もマゼール三昧。ローマ三部作最高でした。

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ではグーテナハトです。

CD紹介,Classical,Richard Strauss

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新年二日目。皆様いかがお過ごしですか。

わたくしは、いつもの休日とおなじように淡々と過ごしております。今年は事情により、自宅からあまり離れておりませんので、なおさらです。
今日は家族でこちらの一枚を。

写真 1 - 2015-01-02

昨年なくなったマゼールのボックス。この音源は既に持っていて、5年前に一度紹介してました。

ツァラも大きいぜ、マゼール。

5年前に書いたとおり、本当に「大きな大きな」演奏です。演奏家が違うとここまで曲が変わるのか、ということがよく分かる名演だと私は思っています。絶妙なテンポのずらしがたまらないです。ラトルやペーター・シュナイダー、チェリビダッケもそうですけれど、こういうコクのある演奏は、カラヤンのような筋肉質で冷静な指揮とは違い、聴いていて何度も驚く楽しみというものがあります。「意味」というのは驚きや違和感において生じるもので、均一なところには生じることはありません。

もちろん、違うタイプのカラヤンの演奏もかつてとは違う驚きがあったからこそ、ということはありますので、念のため申し添えます。

マゼールは最近来日していました。聴きに行ければよかたのですが、なかなか時間がとれません。難しいものです。

そういえば、シュトラウスがこの《ツァラトストラはかく語りき》を作曲した理由って、なんだっけ、というのをなにかの演奏会パンフレットで読んだ記憶がありました。ニーチェ思想が流行っていたころのことですので、それに影響されて書いた、ということもあるのでしょうが、私がパンフレットで読んだのは、逆説的にあえて大袈裟な交響詩にしたてて揶揄したのである、というようなものでした。

ちなみにこのボックス、こちらの演奏が収められています。ベートーヴェンのとシベリウスの交響曲全集。シュトラウスの主要オケ曲。チャイコフスキーの交響曲全集、ホルスト《惑星》、レスピーギのローマ三部作など。オケ好きにはたまらないボックスです。前述のとおり、シュトラウスの音源は持っていたんですが、その他の音源があまりに魅力的なので買ってしまったのでした。

Photo

東京地方は雪は降りませんが寒さはなかなか厳しいものがありました。明日も一応西高東低のようで、寒い一日になりそうです。みなさまお身体にお気をつけて三が日をお楽しみください。

それではグーテナハトです。

Miscellaneous

IMG_1788.JPG

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

本当は、年明け前までに書きたかったのですが、諸事情により、年明けですがまずは昨年のまとめを。

エントリー関連

昨年は、176篇のエントリーを書きました。半分より少ないんですね。。もっとがんばらんとなあ。

今年もっとも人気のあった記事はこちらでした。新国立劇場《パルジファル》関連のエントリーでした。やはり、新国立劇場関連のエントリーは沢山ご覧になっていただけており、感謝しております。

愚者パルジファル──新国立劇場《パルジファル》その2

それからもうひとつ多く見ていただいているのが、歌手の種類というシリーズです。ドイツ・オペラの用語になっています。

いずれも、こちらを参考にしています。ワーグナー入門書としてわかりやすい本です。

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堀内 修
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リアル関連

リアルの方では、昨年は図書新聞に3篇の書評を載せていただきました。なかでも、《魔笛》に関しては面白い体験をしました。

初詣の祈祷に《魔笛》を見た!

以下の本の書評を書いている最中のことでしたので、シンクロニシティを感じました。この本を読んでいる中で、レヴィ=ストロースに興味を持ちました。その流れで構造主義関連の本を何冊か読み、ミシェル・フーコーに関心を持つに至った、というのが昨年のストーリーでした。

《魔笛》の神話学: われらの隣人、モーツァルト
坂口 昌明
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2015年はこうしよう

今年は辻邦生生誕90年になります。なにかしらのことをこの場でできればと思っています。

また数年前にやっていた一年100冊読む、またできれば、と思ってます。

完読するとは限りません。タッチして、なにかしら学ぶことを前提に、いくらか読めば読んだことにします。立花隆の教えです。

あとは、コンスタントにきちんと音楽を聴いたり楽器をやったりしないととおもいます。オーボエは、プライベートな事情で現在冬眠中ですが、サックスやピアノなど、他の楽器もありますので。

あとは、秘密のプロジェクトもいくつか。。

おわりに

前身のブログから数えて、今年は12年目になるみたいです。少しは前進しているものと思って、続けていきます。

みなさまの今年一年が素晴らしいものでありますように。よい三が日をお過しください。

それでは、グーテナハト。

Book,Opera

Photo

先日の続きです。

オペラと映画、といった時に、レリスは「映画がオペラを救う」とありましたが、実際にはそうではないのでしょう。映画はオペラの座を奪ったのでしょう。オペラの後継が映画なのです。

逆に言うと、そういう意味では、映画はオペラを救ったとも言えると思います。

人々にプロットと音楽を一度に見せるという機能を持っていたのは、かつてはオペラや演劇でしたが、その主役は映画になった、といえるのですから。オペラや演劇という、コストのかかるプロットから、映画というコストレス(あるいは、収益率の高い、かもしれませんが)なしくみができたと言うことが重要なのかもしれない、などと思いました。

やはり、大勢の観客が一堂に集まって、一つのスペクタクルを共有するというのは大事なことなのでしょう。たとえ、観客同士が知己でなくとも。

その感覚を、黒田恭一さんが「はじめてのクラシック」という本で書かれていたのを覚えています。もう30年以上前に読んだのですが、確か第九の感動的なレコードを聴いていたのだが、聞き終わると虚しさを感じた、というった話だったと思います。

映画館での映画も、オペラも演劇も、観客が一つの機会においてある意味「拘束」され、一つのプロットに向き合うという仕組みが、大切なのではないか、と思います。

後もう3つねるとお正月。お正月には餅食べて、お掃除をして、休みましょう。早く書け書け年賀状。

頑張ります。。

ではグーテナハトです。

Book,Opera

Photo

また、レリスの《オペラティック》を、NHK-FMの《神々の黄昏》を聴きながら読みつまんでいます。美しい装丁ですね。

オペラ映画について書いているところが、いつも私が考えていることが書いてあり、面白かったです。というか、これはすでに1958年には考えられていたことなんですが。

オペラ映画は、オペラではない、ということが書かれています。レリスが《蝶々夫人》のオペラ映画を見た後に、指揮者であるマッソンに「これからは、オペラは映画によって救われるのではないか」というのですが、マッソンはそうではないと応えるわけです。

「パフォーマンス」としての側面が映画では消えてしまうわけで、そうすると失敗する恐れのないハイCは、その価値をなくしてしまうのだ、と。成功するまで何度も何度もやり直しが出来るわけですから、その魅力は減じてしまう、というわけです。

その場その場の音組織は全く変わらないわけですが、我々はやはり文脈の中におけるその音の意味を捉えているわけです。だからこそ「パフォーマンス」という観点があり、そこで音楽に命が吹き込まれている、ということなのでしょう。

これは、実に非論理的なものです。ですが、その類例が、今年の2月にあったあの「愉快な」佐村河内事件に見て取ることができるでしょう。たとえば、どんなに技術的に問題があったとしても、それが自分の息子や娘の演奏であれば、素晴らしい演奏に聞こえる可能性だってあるということなのですから。

レリスは「真のオペラ愛好家はオペラを実際に意味肉人間である」というようなことを言っています。それはまさにその通りなんですね。音だけ聞いても理解した事にはならず、映像を見ても、なにか煮え切れないものが有ります。実演に接して何時間も椅子の上にいて、その場に居合わせるということが、大切なことなのです。ですが、それは現代日本においてはハードル高いですね。

もっとも、1958年と違うのは、ライヴ映像がリリースされているとか、ライブビューイングを見ることができるようになった、という具合に、映画とは違う形のコンテンツがあるということだとも思いました。ライヴのDVDを見るとか、いろいろな工夫をしてみないといけないです。

冬至を回って徐々に春に近づいています。インフルエンザ大流行だそうです。みなさまどうかお気をつけて。私も最近はマスクをしてでかけています。

ではグーテナハトです。

Chorus

今日は、ゆえあって自宅にて待機。最近疲れ気味で、午後、うとうととしてしまったのですが、NHK-FMをつけると、サヴァリッシュが1986年にN響を振ったメンデルスゾーンオラトリオ《エリア》が流れていました。

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で、あらためて驚いたんですが、ルチア・ポップが歌っていたんですね。日本に来ていたとは。。テノールは、ペーター・ザイフェルト。バリトンはベルント・ヴァイクル。いずれもドイツ系の名だたるみなさん。本当に透徹とした歌で、ウトウトしながら聴いていてごめんなさい、という感じでした。サヴァリッシュの指揮も堂々たるものでした。

私、この《エリア》が録音された1986年ごろから本格的に音楽を聴き始めています。この《エリア》の演奏会の録画放送の予告編を見た記憶があります。あれから28年ですか。。早いものです。。

あ、レリス「オペラティック」も引き続き読んでいます。京劇やハイチのブードゥー教までもが言及されています。刺激的。っつうか、もっとオペラ見ないとなあ、とあらためて思いました。

それでは取り急ぎグーテナハトです。

Book

イブイブな今日。一応あさから規則正しく生活したつもりでしたが、できることは限られています。

最近、家では(承認を得ていないかもしれないですが)家のための庶務雑事を行っていて、なかなか自宅で家を読むという感じにはなりません。まあ、それはそれで納得はしています。

なので、今や自宅での読書は贅沢ですね。読書だけでなく、映画を見るといった行為の贅沢となってしまった感はあります。

では、どこで本を読むのかというと、これはもう仕事場へ行く電車の中しかありません。ですが、それはそれでやることもあり、なかなか時間の捻出が難しいです。

そうは言いながらも今日はこちらをほんのすこしだけ読みました。

オペラティック (批評の小径)
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シュールレアリズムの系列に連なる詩人で、どうもオペラも相当詳しかったようです。詳細は今後。ですが、気になるフレーズが。歴史劇は自由主義へ、ヴェリズモは社会主義へ。その集大成がヴォツェック、だそうです。その通りですわ、まったく。。

では取り急ぎグーテナハトです。

Computer,MAC

APPLE MacBook Pro with Retina Display 13.3/2.5GHz Dual Core i5 MD212J/A
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Macを使い始めてそろそろ2年が経ちます。

昔から使いたいと思っていましたが、夢がかなったのが2013年の2月ごろでした。

もちろんいいことばかりではありません。不満もあります。ですが、Windows にはない何かを持っていることはまちがいありません。

デザインはもちろんですが、操作性がユーザー目線である、ということが一番だと思っています。

製作者目線のプロダクトというものがあって、そういうプロダクトは、得てしてユーザーに適応を強いるものですが、Apple製品は、ユーザーの欲求にそった操作性を実現しているのだと思います。もちろん完璧ではないにしても。

最近の不満は、Apple哲学に乗れない部分が出てきたことかもしれません。iPod classicの売り止め、iTunes Matchにおけるクラシック音楽への不安、など。

https://museum.projectmnh.com/2014/05/05195909.php

  

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さて、Appleの理念は、テクノロジーとリベラルアーツの交差点、なのだそうです。

リベラルアーツとは、語源としては、いわゆる中世ヨーロッパの大学で教えられた自由七芸で、文法、論理学、修辞学、幾何学、算術、天文学、音楽です。ただ字義通りに捉えるのは本質ではないようです。学問全体、捉えるべきなのでしょうか。リベラルアーツは、教養とも捉えられますので、実利に直結しない、学問一般なのかもしれません。

そういう考えが、理念としてもあるいはファッションとしても、魅力的なテイストを生み出しています。それはそれ自体に価値もあるのでしょう。あるいは、ターゲットとしている層の欲求を喚起するあまりに秀逸なマーケティングなのかもしれません。おそらく後者かな、などと。

先日、とある記事を読んでいたのですが、Macユーザーを対象としたデートマッチングシステムがアメリカにはあるそうです。Macユーザーのための出会い系サイトです。もちろん、この出会い系サイトというのは、欧米人は普通に使いますので、日本とのニュアンスの違いは理解して欲しいのですが。それぐらい、一つの価値観として成立しているということなんでしょうね。

http://patch.com/california/cupertino/cupidtino-the-dating-website-for-machearts-in-progress

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/0f020a28-67b3-11e1-978e-00144feabdc0.html#axzz3MdkwidWu

そこには、レガシーな経済への反抗というテーマも隠されていると私は勝手に思っています。それらもなにか一つのテイストを生み出しているのでしょう。それは、アメリカ西海岸におけるヒッピー文化とのつながりがあるはず、というのも私の勝手な理解ですが。

調べてみると、以下の様な記事が。
http://nmuta.fri.macserver.jp/home105.html

世界はいろいろつながっているみたいです。

それではグーテナハトです。

Giacomo Puccini,Opera

はじめに

船便のボジョレーだそうです。

先日のんだボジョレー。船便だそうです。一ヶ月ぐらいしてから届きました。なかなか美味しくいただきました。ボジョレーなのにラベルが英語って、いったい。。

Puccini: La Boheme
Puccini: La Boheme

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今日のNHK-FMの「名演奏家ライブラリー」はミレッラ・フレーニでした。私も、フレーニの音源は沢山持っています。特にオペラを聴き始めた頃に聴いたカラヤン盤《ラ・ボエーム》は思い出深いですね。その他、シノポリ盤《マノン・レスコー》も素晴らしいです。

《ラ・ボエーム》は、番組の一番最後にオンエアされました。フレーニとパヴァロッティ。まさに教科書というかカノンというか、そういう規範的なボエームです。

第一幕の後半部、ミミが、ロドルフォの部屋に来て蝋燭の火を借りに来るんですが、これは逆ナンパではないか説が有力ですね。そういう解釈に従った演出もあるそうです。メルビッシュ湖上音楽祭でやったボエームがその解釈をとっていた気がします。蝋燭の火を借りて「おやすみなさい」といったあとに、とつぜん鍵落とすんですから。わざとらしいと行ったら、という感じです。

ロドルフォは詩人ですが、ミミも造花を作っているといいながら、それは詩なのだ、といったりして、まったく。。

たしか、プッチーニは原作にあったミミの強気な性格をかなり弱めたんですが、それでもなお残っているという感じなのでしょう。

一九世紀におけるボヘミアン

ボヘームというのは、ボヘミアンという意味。まあ、ボヘミアからきたロマの方々を自由人としてみて、そこから、自由奔放な考え方をする若者たちをボヘミアンと称したということで、《ラ・ボエーム》。描かれた若者たちはボヘミアン。

ロドルフォは詩人、マルチェロは画家、ショナールは音楽家、コッリーネは哲学者。一九世紀パリ。

この頃、もっとも先進的な職業がこれらだったんでしょうね。

私の大学の先生が入っていた言葉が思い出されます。哲学に優秀な人材が集まっていたのは二〇世紀初頭までである、と。

逆に言うと、それ以前は哲学に優秀な人材が集まっていたはず。もちろんそれは哲学に代表される文化一般であるはずで、文学、絵画、音楽、哲学という人文系職業にも優秀な人材が集まっていたはず。

というのが私の勝手な想像で、それはつまり、第一次世界大戦までパリにあったサロンにおいて、文学、絵画、音楽、哲学などが力を持っていた、というのはプルーストを読むと何となく分かるなあ、というわけです。

現代におけるボヘミアンは?

現代でいうと、彼らはだれなんだろう、と思うことがあります。ビジネスマン、起業家? 

私は、NYやシリコンバレーでITベンチャーを立ち上げている人々がそれに当たるのではないか、と思うのです。ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブスとか、そういう偉大な起業家たちがそれではないかと。

一九世紀にあって、文化が先鞭をつけた自由主義が世界を変えると思われていたわけですが、今、世界を変えうるのはITであるはずです。

パリを手に入れるぜ、というのは、今で言うと、NYやシリコンバレーで一旗あげるぜ、とうことになるんでしょうね。私はそう思ってます。

わたし、一つウソを書いています。つまり、世界を変えうるのはITだった、ということだったのかもしれません。つまり過去形。

あの1990年代後半のインターネット時代の開幕の熱狂はどこへ行ってしまったのか。ITバブル真っ盛りの時「世の中が変わったのであるから、市場は絶対に落ちない」という幻想がまことしやかに語られていたのも思い出します。

その次に訪れたのは、ITバブルの崩壊、リーマンショック。それから、ネットを舞台にしたサイバー戦争です。ネットは自由をもたらすものと思われましたが、とある大国では規制がかけられ、いまや監視装置になっています。

私は戦前に若い時代を過ごされた年配の方がネットに恐怖心を抱くのは、こうしたことを察しているからではないか、と思っています。

では、次にボヘミアンたちはどこに行くんだろう? 何を作るんだろう。最近、そんなことを考えてます。

ではグーテナハトです。

Miscellaneous,Movie

グッバイ、レーニン! [Blu-ray]
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グッバイ・レーニンという映画がありました。2003年の映画です。

ベルリンの壁が崩れて14年あまりのころの作品です。

ネタバレになるのであまり触れませんが、たしか熱心な党員だった母親が心臓発作を起こしてしまい、過度なショックを与えないように、息子がベルリンの壁が崩壊した事実を伏せるため活躍する、という話だったかと。

舞台は壁崩壊直後の東ベルリンです。

とても秀逸な映画で、しかもめちゃくちゃおもしろくて、映画館で身をよじって笑いました。本当におすすめの映画。

たとえば、母親がテレビを見るわけですが、テレビでは壁崩壊のニュースがひっきりなしに流れます。ですので、テレビニュースを捏造して、壁崩壊の事実を母親に知らせないようにするんですが、このパロデイ精神が本当に面白くて面白くて。

東ベルリンに西ベルリン市民が訪れるわけですが、これを「西ドイツが崩壊して東ドイツに市民が逃げてきた」みたいな説明をするニュースを創ったり、まあ奇想天外で面白いです。

とにかく、壁の中に囲われていた人々が、必死になって、自由を渇望し謳歌するというベクトルが伝わってきました。きっと当時の我々には想像のつかないことだったと思います。

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夕闇のブランデンブルク門。デジカメを初めて買ったころなので下手くそな写真ですが。当時の街の様子はつかめるかもしれません。

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こちらは、ソヴィエト連邦との友好を記念したモニュメント。今もあるのでしょうかね。。

目に見える壁ならまだよいのでしょう。壁が透明なのが、壁崩壊後の壁のあり方なのかも、などとおもいます。

そうした壁は、もともとあるものでもあり、新たに創られたものでもあり、あるものは有用で、あるものは有害なものでしょうね。

仕事場に同僚が出ていて、気もそぞろな土曜日の夜です。みなさま、どうかお身体にお気をつけて。

ではグーテナハトです。