つれづれ──泳ぐと言うこと
つれづればかりですいません。本を手に取ることも、音楽を聴くこともできない一日でした。
泳ぐ習慣をつけてもうすぐ7年になろうとしています。その割には、なかなか上達しません。クロールで500メートル泳ぐのがやっと、と言うところです。それ以上泳ぐと、体力を消耗してしまう感もあり、できる方々が毎日何千メートルも泳いでいるという話を聴くにつけて、やれやれ、と想います。500メートル泳ぐと大体15分程度ですが、まあ、その間に、さまざま考えたりしますので、そうそう無駄ではないのでしょう。発想が浮かぶタイミングのひとつが、泳いでいるとき、なんだと想います。
振り返ってなぜ泳いでいるのか、考えてみると、どうもこれ、辻邦生の教えに従っているような気がしてなりません。「言葉の箱」では、ギリシア人を引き合いに、健全な精神は健全な肉体に宿る、と言うことが述べられています。それを読んで、何かスポーツをやらんとなあ、と想ったときに飛びついたのが水泳だった、と言うことで、もちろんきわめてながい中断期を経て、7年前から本格的に泳ぎ始めたのでした。
やはり、泳いでいると、思考の進み具合がちがう気がしてならないですし、仕事の生産性も上がる気がします。まあ、普通の会社はそんなことはおかまいなしで、長時間労働を強いますので、自分で気をつけるしか在りません。
コロナの影響で、泳げる時間が縮まり、今後どうなるか分からないのですが、そうであったとしても、いろいろ工夫しないとなあ、と言う感じですかね。。はやく日常に戻ると良いのですが。
と言うことで、みなさまもどうかお気をつけください。おやすみなさい。グーテナハトです。
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