Johannes Brahms

Celibidache: Sacred Music & Opera

Celibidache: Sacred Music & Opera

posted with amazlet at 16.09.08
Sergei Celibidache
EMI CLASSICS. (2011-10-17)
売り上げランキング: 3,115

夏も終わり、秋めく毎日。残暑はありますが、空の表情も本当に変わりました。セミに変わって虫の声が聞こえる日々です。すこし寂しさを感じます。

変なタイトルですが、なんか面白いので、あえてこのタイトルにしてみました。つまり、チェリビダッケがミュンヘン・フィルを振ったプラームスの交響曲第2番は、まるでブルックナーのような響きがする、ということです。

第二楽章なんて、ほとんどブルックナーの何かの交響曲の緩徐楽章のように聞こえます。9番とか7番とか。ゆっくりとオケを歌わせるので、そんな感じに聞こえます。

もちろん、ミュンヘンフィルとガスタイクで録音したブルックナーの交響曲のサウンドが記憶にありますので、そういう印象をうけてもおかしくないのですが、それでもやはり、ほかの指揮者のブラームスとは印象が違います。弦のうねりはもちろん、金管の咆哮が、ブルックナーの交響曲に出てくるワーグナーチューバに聞こえてくるのです。

そんなことを思いながら何度も何度も聞いてしまいました。

仕事の山は、高かったのですが、なんとか超えた気がします。ですが油断は禁物。次の山が迫ります。
どの山に登るのか、という問題もあるかも。

それではみなさま、よい1日を。

Johannes Brahms,Miscellaneous

先日からのブラームス交響曲第2番ばかりきくプロジェクト。先日以降、カラヤンとバーンスタインを聴きました。

特に感銘を受けたのがバーンスタイン。

ブラームス:交響曲第2番、大学祝典序曲
バーンスタイン(レナード)
ユニバーサル ミュージック (2015-08-26)
売り上げランキング: 8,376

これも先日書いたバーンスタインの田園の件と同じく、これも恍惚としたブラームス。緩徐楽章の恍惚とした美しさに酩酊してしまいます。この曲はブラームスの田園交響曲と呼ばれていますので、そういう共通性を、感じても不思議ではありません。深い悲しみとそれを咀嚼する静かな諦念のような境地。この曲を聴きながら、遠くに見える山を眺めていたい気分。まあ、若いときだと違うように聞こえるのかもしれません。

録音はウイーンフィルとのもの。もちろんAppleMusic にて。録音はおそらく1982年。

次回はチェリのブラ2を書こうと思います。
今日は朝から晩まで頭を使いました。明日も明後日も盛りだくさん…。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms

半年に一度の仕事の山が来ています。それも険しい山が。1年前、半年前、そして今回と三回目で、少しずつ改善はしますが、問題はその都度違いますので、その場のインプロバイズで乗り切る感じ。

この二週間、ブラ2ばかりいろいろな指揮者を聴き比べています。

ラトル、ヤンソンス、ミュンシュ、バレンボイム、ハイティンク。指揮者やオケの個性がわかり、本当に勉強になります。これは全てAppleMusicのおかげです。これだけ聞くのに、昔なら5千円はかかっていたのでしょうが、今は月額1000円弱で聴けます。

あとは、他の有名な指揮者とか聞かないと。

ざっと書くと、ラトルは解釈が独特で聴いていて驚いたり唸ったりします。ベルリンフィルも巧いです。渋みのある重い赤ワインのようなサウンド。

ヤンソンス盤はオーソドックスですが、意外とかろやかな印象。

ミュンシュ盤は録音が古く少し難しさを感じます。

バレンボイム盤は、堂々とした正統派で、個人的には少し苦手な指揮者だなあ、と思っていたのですが、印象が変わりました。さすがだなあ、と。

シカゴ響の機能性も素晴らしく、最終部分の金管はしびれます。ハイティンク盤は、正統的でありながら、緻密で実直で緊密で、職人的な仕事と、芸術的的な仕事をあわせ持った素晴らしい演奏。

今のところ、一番の好みはハイティンク盤かなあ。

Symphonies 1-4 / Double Concerto
Symphonies 1-4 / Double Concerto

posted with amazlet at 16.09.01
London Symphony Orchestra
Lso Live UK (2005-10-11)
売り上げランキング: 21,925

先日も少し書きましたが、ブラ2は若い頃はあまり聴きませんでしたが、今聴くと本当にいい曲。ロマン派的な明るさポジティブさがあって、すさんだ日々に差し込む太陽の光のような力があります。

もうしばらくブラ2な日々が続きそうです。

それでは。

Johannes Brahms

Brahms - The Symphonies

Brahms – The Symphonies

posted with amazlet at 16.08.25
EMI Classics (2009-07-07)
売り上げランキング: 3,612

ダブルスピークではありません。本当に立派、という言葉がふさわしい演奏で、勉強になります。

ラトルがベルリンフィルを振っているブラームスの交響曲全集をAppleMusic で聞いてます。

本当に現代的でありかつ重みのあるブラームスだなあ、と勉強しながら聞いています。気をてらうような仕掛けはあまりないのですが、ラトルを聴くと耳にすることのある、かなり目立った感じの音量コントロールが品のあるダイナミズムを作り出しているように思います。また、微妙な間合いで盛り上がりを作ったりするのも本当にカッコいいなあ、と思います。

ベルリン・フィルも引き締まったサウンドで、最高峰のオケとはこういうものか、とあらためて感動します。決して華やかさはないのですが、品格と重みを備えた美しさだなあ、と思います。

私は特に交響曲第2番がいいなあ、と思いました。この曲、ブラームスの4つの交響曲のなかでも、あまり共感できなかった曲でしたが、なにか夢のような風情が、現実の諸々との鮮烈なコントラストを描きだしていている気がして、心が和みました。

2009年発売です。少し古いアルバムですが、AppleMusic で聴けるようになり、本当にありがたいです。
いよいよ夏も終わりに近付いています。暑いなかにも秋の風情があり、なにか秋に向かうにあたっての安堵と寂しさのようなものを感じます。四季があるというのは、日本に生まれた者にとって大切なことだと思います。

それでは。

Miscellaneous


よく、肯定語で否定を示唆するというものがあります。字義通りの意味と真の意味が真逆であるというもの(とわたしは理解しています)。ジョージ・オーウェルの「1984」に出てくるダプルスピークにあたるものとも。たとえば、戦争をする国家機関は平和省という名前だったりします。

英語のallegeという単語は、いうという意味とともに、それが疑わしいという語感を持ったものであったり、あるいは、ドイツ語のganz という言葉は、字義通りだと「すごく」という強調の意味ですが、時に、「まあまあ」「そんなに良くない」というニュアンスを持っていたり。

あるいは、30年ほど前に出た、誉め殺し、という言葉も、やはりそうしたダブルスピークのような意味合いを持ちます。

結局、ダブルスピークというものが生じた時点で、全ての言葉は機能停止に陥るわけで、言葉の文脈から、真実を探らなければならず、ダプルスピークであるがゆえに、真実は絶対にわからないわけです。あらゆるテキストは信用できないものになってしまいます。

疑いだしたらキリがないわけで、そこで行き詰まるのですが、多分その先にあるのは、ただ単純な肯定なのかも、と思ったりしています。以前書いた「人生は良いものだ」という認識です。この認識は、おそらくは、人生が良いばかりではないので人生をより良いものにしなければならないということと、人生は良いものではないので、だからこそ、良いものと方法論的に思わなければならない、という二つの意味が込められているように思うのです。辻邦生のいう「戦闘的オプティミズム」もこういうことなのかもしれません。

わたしの知っている方は、自分の会社を本当に愛している、と言います。話をよく聞くと、それは会社にいる時間が最も長い以上、そこを方法論的に肯定するのが最善だ、という、認識あるいは諦念がありました。立派でした。

ダプルスピークもあれば、あるいは本当の悪いこともあるのかもしれませんが、少なくとも、ダブルスピークの疑いがあるうちであれば、字義通り良い意味である可能性もあるわけですから、それはそれでいいそのまま受け取ることが、「人生は良いものである」という方法論的認識においては、有用であると言えます。むしろ自分にとっては最善とも言えるかもしれません。

ダプルスピークを含めてさまざまな仕組みに触れていると、すべてが揺らいでしまうわけですが、不動の大地に足を付けられない以上は、不動の大地であると言い聞かせながら、道なき沼を進むことが大切であると思いました。それが「人生は良いもの」という言葉なのでしょう。

しかし、それすら良きダブルスピークなのか、とも思ったり。トートロジー。しかし、有用なダブルスピークであることは間違いないです。言語の持つ字義と価値の問題。困難。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

そういえば、むかし稚内に行ったことがありました。

本当は海外に行きたかったのですが、同時多発テロの時期で、海外旅行は危険と思われていました。それじゃあ、日本の最北端に行ってみよう、と思ったのでした。

羽田から札幌へはボーイング777で。札幌で一泊し、翌朝、雨降るなかバスで丘珠へと向かい、YS11で稚内へと向かいました。YS11は機材繰りの影響で1時間以上遅れて丘珠を離陸しました。最初で最後のYS11でした。その記憶といえば、窓のすぐそこに回るプロペラと、帽子入れと称される座席の上に設えられた薄い荷物入れでした。
稚内では、ちょうど港近くのホテルに泊まりましたが、どうやら繁華街は南稚内という隣駅だったようで、なにかうら寂しい雰囲気を感じたものです。

高台の公園へと散歩していると、東京から直行してきたボーイング767が低く市街地へと進入してくるのが見え、この最北の街も東京とつながっている街なのか、といくばくかの感慨のようなものを感じたのを覚えています。また、「稚内は日本で一番ヨーロッパに近い街」という看板があり、ロシアがヨーロッパだとすると、たしかにそう言えるとも思うわけですが、そこになにか、日本の最北端のさまざまな難しさを感じたりもしたものです。
わたしの勝手な記憶のなかに、稚内の街を歩き回っているときに、木造の民家が修道会のものだあることを示す古びた木の標識を見つけた、というものがあります。それは、夢なのか、あるいは辻邦生の「北の岬」を読んだ印象が作り出したものなのかはわかりません。ただ、あ、もしかするとこういうところに、「北の岬」のマリー・テレーズが住んでいたのかも、と思った記憶もあって、何が本当なのかはわかりません。検索すればわかる問題かもしれませんが、差し当りは夢かうつつかわからないことにしておきます。
この「北の岬」は、Kindleで読めるようになりましたので、先日買ってしまいました。

北の岬(新潮文庫)
北の岬(新潮文庫)

posted with amazlet at 16.08.20
新潮社 (2016-06-17)
売り上げランキング: 25,623

北の岬は、もう20年近く読んでいませんでした。こうした恋愛小説はもう読めないなあ、と思ったりしたので敬遠していた気がしますが、今回再読してみた次第です。やはり、普通の恋愛小説な訳はなく、形而上学的な光の差し込む品格のある小説だなあ、と改めて思いました。

明日以降のもう少し書いてみようと思います。

取り急ぎおやすみなさい。

Gerardo Finzi,Miscellaneous

Photo

優先順をつけてことを運ぼうとしますが、たまにその優先順を間違ったり、あるいは、優先順位に従って行動できない場合があります。まあ、人間なので、機械のように常に合理的に動くことは難しいものです。結局、そうした優先順が妥当であればあるほど人生は幸福なのだと思います。もちろん、その優先順は人それぞれ。優先順が本当に自分にフィットしてれば、人生は幸福ですね。もっとも、優先順が間違っていたとしても、気づいた時に修正すれば良いのかも。

今日も、優先順を修正して難を逃れたような気がしないでもないですが、まあ、失敗したのだろうなあ。

今日もFinziな日々。

Clarinet Concerto

Clarinet Concerto

posted with amazlet at 16.08.16
Naxos (1999-01-19)
売り上げランキング: 3,452

なぜか、こちらを買って読み始めてしまいました。英語なので時間がかかります。

Gerald Finzi: His Life and Music

Gerald Finzi: His Life and Music

posted with amazlet at 16.08.16
Boydell Press (2007-02-15)

なぜか日本のAmazoneで「人気」となっています。私が買ったのが貢献しているのかも。なーんて。
スクリーンショット 2016-08-16 23.46.37

それではみなさま、おやすみなさい。

Classical,Gerardo Finzi


昨日のNHK-FMの「きらクラ」。やはり、ラジオはいいです。最近知ったいい曲はほとんどがNHK-FMです。スクリャービンのピアノ協奏曲もこの番組で知りましたが、今回知ったのはジェラルド・フィンジ。イギリスの作曲家で、1901年に生まれ1956年に亡くなりました。今年没後60年。ヴォーン・ウィリアムズよりふた回り、ベルクよりひと回り下の世代です。
昨日はオンエアされたのは、《牧歌(エクローグ)》という作品。Wikipediaによれば、初期のピアノ協奏曲の断片をもとに作成されたもののようです。

Centenary Collection

Centenary Collection

posted with amazlet at 16.08.15
Nimbus Records (2001-02-27)
売り上げランキング: 325

なんというか、エンニオ・モリコーネの《ニュー・シネマ・パラダイス》のような雰囲気を持った作品で、懐かしさと優しさに包まれる曲です。

聴いていると、なにか悲しみさえ覚えてしまうぐらいです。なぜなら世の中とはまったく違うものなので、その存在が幻想であるということがわかってしまうので。願わくば、こういう世界が現実であればいいのに、と思うのですが、それは能わないことがわかっていますので、悲しみを覚えるわけです。
最期、調性は短調で暗くなるのですが、本当の最後はピアノの長調の和音で静かに終わり本当に良かったです。これが短調で終わってしまうのはあまりに悲しすぎますので。
ジェラルド・フィンジという方の人生も劇的で映画になりそう。ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズ、ボールトとの親交を結び、田舎でリンゴを育てる園芸家でもあった。余命10年を告げられ、自作の初演をラジオで聴いた翌日に生涯を終える。なんという人生なのかと思います。映画のシーンが勝手に現れてきます。ヴォーン・ウィリアムズとか出てくるんだろうなあ。きっと、フィンジの楽曲がふんだんに使われた映画になるはず。

こういったボックスも発売されるようです。今年アニバーサリーだからでしょうか。

A Finzi Anthology
A Finzi Anthology

posted with amazlet at 16.08.15
Gerald Finzi
Naxos (2016-09-09)
売り上げランキング: 262

幸運な巡り会いに感謝しつつ、おやすみなさい。

 

 

Tsuji Kunio

Photo

昨日、何とか予定を立てて、もう一度辻邦生ミニ展示を観に、目白の学習院大学史料館へ。前回は23日の講演会のなかだったのでずいぶん混み合っていたのですが、昨日はゆっくり見ることができました。

今回も「春の戴冠」のメモをずいぶんと眺めいりました。メモを取るのも忘れてしまった感じ。ただ、自己を棄てるということに美がある、といったことが書いてあったような気がします。誤解される表現かもしれませんが、生死を超越したその先にある価値のようなのかも、と思います。

今日も「春の戴冠」の最後の部分を読んでみたのですが、謎は深まるばかりです。

もっともそういう感覚が、最近よくわかるようななってきたので、少しずつ辻文学が理解できるようになりつつあるのかも、と思ったりしています。

文学は人生論ではありませんが、辻文学は語られる哲学であるはずで、おそらくは哲学の主題は人生である以上、辻文学を読んで自らの人生を考えるということも許されるのではないか、と思いました。

今日は取り急ぎ。おやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner,Miscellaneous

週末は実家にて短い夏休みでした。すべてを止めてみたのですが、まあ、やっぱりオフは必要なのかも、とあらためて。

これからの計画表を作ろうとしたのですが、それもやめて、夜は早く眠り、早めに起きてみたりしました。夏の日差しを避けて、夕方、涼しくなってから散歩をして、蝉の鳴き声が、クマゼミのそれからツクツクボウシのそれに変わりつつあるのを知り、酷暑の中に秋の気配を感じたり。散歩の途中で驟雨に襲われ雨宿りする場のない畑道で行き場を失ったり。
今日は仕事場で溜まった仕事を片付けながら、いろいろ悟ってしまい、まあ、なんとなく大きな流れに中にあるから流れのなかでベストを尽くそうと思ったり、あるいは、世界は悲しみの中にあるがゆえにそれを肯定することから始まるのだ、と思ったり。

今日はこちら。

ブルックナー:交響曲第7番「テ・デウム」
チェリビダッケ(セルジュ) プライス(マーガレット) ボルヒェルス(クリステル) アーンショー(クラエス・H.) ヘルム(カール)
EMIミュージック・ジャパン (2012-07-25)
売り上げランキング: 34,220

チェリビダッケのブル7。ブルックナーの交響曲の中でもっとも優雅な美しさを持っていると個人的には思います。チェリビダッケの指揮は、今聴くと、昔のような重さをあまり感じず、むしろのびやかなはばたきのようなものを感じます。

ちなみに、題名はこちらのパロディです。内容を思い出しただけで涼しい。。

長い冬休み (アーサー・ランサム全集 (4))
アーサー・ランサム
岩波書店
売り上げランキング: 461,212

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハト。