Gerardo Finzi,Miscellaneous

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優先順をつけてことを運ぼうとしますが、たまにその優先順を間違ったり、あるいは、優先順位に従って行動できない場合があります。まあ、人間なので、機械のように常に合理的に動くことは難しいものです。結局、そうした優先順が妥当であればあるほど人生は幸福なのだと思います。もちろん、その優先順は人それぞれ。優先順が本当に自分にフィットしてれば、人生は幸福ですね。もっとも、優先順が間違っていたとしても、気づいた時に修正すれば良いのかも。

今日も、優先順を修正して難を逃れたような気がしないでもないですが、まあ、失敗したのだろうなあ。

今日もFinziな日々。

Clarinet Concerto

Clarinet Concerto

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なぜか、こちらを買って読み始めてしまいました。英語なので時間がかかります。

Gerald Finzi: His Life and Music

Gerald Finzi: His Life and Music

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Boydell Press (2007-02-15)

なぜか日本のAmazoneで「人気」となっています。私が買ったのが貢献しているのかも。なーんて。
スクリーンショット 2016-08-16 23.46.37

それではみなさま、おやすみなさい。

Classical,Gerardo Finzi


昨日のNHK-FMの「きらクラ」。やはり、ラジオはいいです。最近知ったいい曲はほとんどがNHK-FMです。スクリャービンのピアノ協奏曲もこの番組で知りましたが、今回知ったのはジェラルド・フィンジ。イギリスの作曲家で、1901年に生まれ1956年に亡くなりました。今年没後60年。ヴォーン・ウィリアムズよりふた回り、ベルクよりひと回り下の世代です。
昨日はオンエアされたのは、《牧歌(エクローグ)》という作品。Wikipediaによれば、初期のピアノ協奏曲の断片をもとに作成されたもののようです。

Centenary Collection

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なんというか、エンニオ・モリコーネの《ニュー・シネマ・パラダイス》のような雰囲気を持った作品で、懐かしさと優しさに包まれる曲です。

聴いていると、なにか悲しみさえ覚えてしまうぐらいです。なぜなら世の中とはまったく違うものなので、その存在が幻想であるということがわかってしまうので。願わくば、こういう世界が現実であればいいのに、と思うのですが、それは能わないことがわかっていますので、悲しみを覚えるわけです。
最期、調性は短調で暗くなるのですが、本当の最後はピアノの長調の和音で静かに終わり本当に良かったです。これが短調で終わってしまうのはあまりに悲しすぎますので。
ジェラルド・フィンジという方の人生も劇的で映画になりそう。ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズ、ボールトとの親交を結び、田舎でリンゴを育てる園芸家でもあった。余命10年を告げられ、自作の初演をラジオで聴いた翌日に生涯を終える。なんという人生なのかと思います。映画のシーンが勝手に現れてきます。ヴォーン・ウィリアムズとか出てくるんだろうなあ。きっと、フィンジの楽曲がふんだんに使われた映画になるはず。

こういったボックスも発売されるようです。今年アニバーサリーだからでしょうか。

A Finzi Anthology
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Gerald Finzi
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幸運な巡り会いに感謝しつつ、おやすみなさい。

 

 

Anton Bruckner,Miscellaneous

週末は実家にて短い夏休みでした。すべてを止めてみたのですが、まあ、やっぱりオフは必要なのかも、とあらためて。

これからの計画表を作ろうとしたのですが、それもやめて、夜は早く眠り、早めに起きてみたりしました。夏の日差しを避けて、夕方、涼しくなってから散歩をして、蝉の鳴き声が、クマゼミのそれからツクツクボウシのそれに変わりつつあるのを知り、酷暑の中に秋の気配を感じたり。散歩の途中で驟雨に襲われ雨宿りする場のない畑道で行き場を失ったり。
今日は仕事場で溜まった仕事を片付けながら、いろいろ悟ってしまい、まあ、なんとなく大きな流れに中にあるから流れのなかでベストを尽くそうと思ったり、あるいは、世界は悲しみの中にあるがゆえにそれを肯定することから始まるのだ、と思ったり。

今日はこちら。

ブルックナー:交響曲第7番「テ・デウム」
チェリビダッケ(セルジュ) プライス(マーガレット) ボルヒェルス(クリステル) アーンショー(クラエス・H.) ヘルム(カール)
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チェリビダッケのブル7。ブルックナーの交響曲の中でもっとも優雅な美しさを持っていると個人的には思います。チェリビダッケの指揮は、今聴くと、昔のような重さをあまり感じず、むしろのびやかなはばたきのようなものを感じます。

ちなみに、題名はこちらのパロディです。内容を思い出しただけで涼しい。。

長い冬休み (アーサー・ランサム全集 (4))
アーサー・ランサム
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それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハト。

Johannes Brahms

先日、クライバーのブラームスを聴いたと書きました。颯爽としている、と書きましたが、そうではないブラームスも聴いてみたくなり、そういう意味では、誰だろう、フルトヴェングラーかクレンペラーか、みたいな想像をしたのですが、ふと思いたってチェリビダッケのブラームスを。

ミュンヘンフィルではなく、もう少し若い頃のシュトットガルト放送管時代のもの。これ発売された時は嬉々として買ったのですが、いまはAppleMusic で聴けてしまいます。

今日はブラ4を。それにしても陰影の濃い演奏。テンポが異様に遅いというイメージを持たれがちですが、この演奏はそんなことはありません。また、結構あっさりとした表現もあって驚きます。

Conducts Brahms-Sym 1-4
Conducts Brahms-Sym 1-4

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Sergiu Celibidache
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それにしても、暑い毎日。こんな日にスーツを着て外出するのは辛いです…。ますます暑くなっているというのに。

今年からはクールビズは9月までらしく、10月からはネクタイが必要だそうです。裏の事情があるよのではないか、と思ったり。とにかく、今年は残暑がないことを願うばかりです。

それではおやすみなさい。

Johannes Brahms

昨日は近場に出張。パターンが違うと本も音楽も読めませんでした。しかも蒸し風呂のような天気。

今朝は、遠雷の音で目覚めました。どうやら東京南部や神奈川で随分雷がひどかったとのこと。交通機関も乱れたようで大変だった方もいらっしゃると思います。

今日は、いつものように仕事場に向かいましたので、久々に音楽をじっくり。クライバーのふるブラームス交響曲第4番。なぜかブラームスが聴きたくなり。。

Brahms: Symphonie No. 4 / Carlos Kleiber, Wiener Philharmoniker
Vienna Philharmonic Orchestra
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なんだか、クライバーのブラームス4番は、本当に颯爽としています。私のデフォルト音源はショルティだったのですが、そちらもやはり颯爽としているのですが、クライバーもやはり颯爽としています。それはそれで素晴らしいブラームス。確かに、夏に聴くには良いのかも。

ですが、もしかすると、秋や冬になるともっとどんよりとした黒々としたブラームスを聴きたくなるのかもしれない、などと思ったりもしました。

明日も暑い日が続きそうです。夏バテしないように気をつけながら過ごしたいと思いますが、皆様もどうかお気をつけてお過ごしください。

それでは、おやすみなさい。

Gustav Mahler

AppleMusicのおかげで色々な指揮者を聞けていますが、先日聞いてみた「はじめてのバーンスタイン」に触発されて、こちらをあらためて聞いてみています。

Mahler: Symphonie No 5 [12 inch Analog]
Leonard Bernstein Wiener Philharmoniker
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先日、バーンスタインの《田園》を聞いて、吉田秀和が「恍惚とした」と言った、という話を書きましたが、このマーラーの交響曲第5番もやはり「恍惚とした」ものなのだと思いました。美しさの向こう側にある揺らめく情念のようなものであったり、あるいは、破局の前の煌めきのようなものであったり、何かそういう危うさを感じる「恍惚」なのだと思います。言い方を変えると「官能」とも言えます。ゆらゆらと揺らめくリズムは、妖しく光り、危うさすら感じます。なんだか、私にとっては再発見とも言えるなあ、と。バーンスタインのマーラーを聞き直してみよう、と思っています。

それにしても、AppleMusicのおかげでいろいろな音楽を体系的に聞くことができるようになりました。いろいろ問題はあるにせよ、実は、これは音楽の新たな体験なのかもしれない、と思います。

今日は、自宅にていろいろと。夜、仕事の話をHangoutで1時間ほど。いい時代になったなあ、と思います。いろいろと刺激になりました。

それではみなさま、お休みなさい。グーテナハトです。

 

Johannes Brahms

先日、コンサートでブラームスの交響曲第1番を聞いたのですが、聴きながら何か、複雑な気分がありました。

ドイツ・ロマン派の真骨頂というべき音楽で、ビルドゥングス・ロマンのような、成長の物語で、まるで、ヘッセのような世界。これも、当時も本当に信じられていて、それが音楽で表現されたのがこの曲ではないか、と思ってしまったのです。

ブラームスの本心はわかりませんが、曲自体を聴くと、本当に純粋で理想へと向かういわゆる人間の成長の物語が聴こえてしまい、ブラームスの純粋さがよくわかったような気がしたのです。

もちろん、ブラームスが本当にそうかどうかはわかりません。ダブルスビークの可能性がありますから。

それでもなお、クララ・シューマンへの複雑な思いを勝手に想像したりして、なにか感慨深いものがありました。

その後、ワーグナー、マーラー、シュトラウスは、(恐らくは)西欧の自壊の前触れを感じとり、音楽自体の崩壊を予感させる作品を生み出し、ロマン派は終焉した、ということなのかと思います。(西欧の自壊:テキストの崩壊=ニーチェ、ユークリッド幾何学の終焉、主体の終焉=フロイト)

しかし、いまでもブラームスが好まれているのは、どこかに近代がなしえたことへの共感が、少しばかりはいまの日本にもあるから、ということなのかも、と思います。どこかへ進歩していこうとする。司馬遼太郎を読むと、それが、危険な方向に行くこともあるとのことですが、逆に日本人らしく「あいまい」に処理できるといいなあとも思います。これも司馬遼太郎の受け売りです。

今日はこちら。
ハイティンクのブラームス交響曲第1番。ロンドン響の弦の響きが力強く、ハイティンクらしい締まった演奏。

Symphonies 1-4 / Double Concerto

Symphonies 1-4 / Double Concerto

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London Symphony Orchestra
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そういえば、日本人の日本人らしさは、様々な文物を吸収するところ、と、司馬遼太郎が書いていたと思います。仏教と神道を融合したり。そうした融合の知恵、「あいまい」に処理できる能力が、もしかすると今でもブラームスを受容しているということと関係があるのかもしれないと思いました。

今日も仕事関係の用事で一日中外出。また明日から早出で働きます。

ではみなさま、おやすみなさい。

Ludwig van Beethoven

今日は、「はじめてのバーンスタイン」というプレイリストを。AppleMusic のレコメンドに現れましたので、聴いてみました。
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プレイリストの2曲目が《田園》だったのですが、こらはさすがに懐かしいものでした。懐かしさというより、何か過去へと引き戻される感覚でした。

これも以前書いたかもしれませんが、また書きます。
この音源は、私が音楽を聴き始めた80年代半ばに、父が録音していたカセットテープで何度も何度も聴いたものでした。それは、NHK FMの「名曲の楽しみ」をエアチェックしたものでした。カセットテープは、最初の出だしが少しかけたもので、テープのたるみを拾って、音がユラユラと揺れるところから始まっていたはずです。当時の私の理解では、交響曲の楽章というものは、必ず途切れるものだと思っていましたので、なぜ楽章数が足らないのか悩んだりしたものです。
曲が終わると、吉田秀和のアナウンスが入りました。
「いまのは、ま、言うまでもないんですが、ベートーヴェンのパストラール。レナード・バーンスタイン指揮の、ウィーンフィルハーモニー楽団の演奏でした」
という感じでした。たしか、パストラール、と言っていたと思います。その後、バーンスタインらしい「恍惚とした感じ」と、この演奏を表して、「では、まだ時間があるようですので、もう一度最初から聴いてみましょう」という感じで、また第一楽章がオンエアされる、という感じでした。
小学生の私には、この「恍惚」という言葉がよくわからなかったのですが、おそらく、その後の「恍惚」の理解においては、この演奏がひとつの要素を占めていたのだと思います。
それにしても、今日、この演奏を聴いた時、引き戻された感覚というのは、これが、プルーストのいうマドレーヌ体験のようなものではないか、と思いました。演奏の機微のようなもの身体が覚えていて、まったく違和感を感じません。デフォルト音源です。こういう、演奏がフィットするという感覚は、おそらくは《田園》の他の演奏音源を聴いたために、逆に強く意識するようになったものだと思います、恍惚、というのは置いておいて、たおやかで柔らかく、絶妙な起伏を持った演奏だのあらためて思います。あらためてすごい演奏を小さい頃から聴いていたのだなあ、と思いました。もっともらこの音源を聴いていたから、この音源が素晴らしいと思える、ということもあるのだとは思います。この音源によって耳が形成された、ということです。

まあ、繰り返しになりますが、AppleMusicのプレイリストはいいですね。思いもよらない曲を聴いて、今日のようなセレンディピティが起こります。

さて、今日は、ギリギリまで働いたのですが、なぜか心が落ち着くのです。ざっと、VBAでデータ処理のスクリプトを書いたところ、思いのほか上手く動いて、気分が良かったのかも。

明日は早出です。起きられるか?

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous,Richard Strauss

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最近、近所を自転車で走っている話は何度か書きました。

今年の冬から、春となり、夏来る、という感じで、同じ場所でも、風景は本当に変わります。

冬枯れの草原が、春になって花が咲き乱れ(本当に咲き乱れるのです)、桜が舞い散り、若葉に満ちるわけですが、最近は、その若葉も色濃くなり、青年の雄々しさを持つようになりました。

それどころか、早咲きのひまわりが、先週はその顔を空へ向けていたのが、今週になると、まるで老年のようにこうべを垂れて、勢いをうしない、人生の晩秋を感じさせたりもします。

あるいは、草原にも立ち枯れた草がすでに目立ち始めました。一方で蝉の鳴き声を聞いたりすると、また新たなサイクルが始まったということも思います。

ともあれ、同じ風景の中に、こうした違いを見出すということは、まるで、同曲異演を楽しむかのような感覚があります。

昨日も書いたように、シュトラウスの最後の四つの歌を、かつては、アンネ・トモワ=シントウで聴いて感激していたのが、昨日はジェシー・ノーマンの声で違う感動を感じる、といったような、そういう楽しみです。

それは、まるで縦糸と横糸を組み合わせるようなものでしょう。

機織りで長く張られた縦糸に横糸を通すと、絢爛な布地が出来上がるかのような。曲をたくさん聴くのが縦糸なら、様々な演奏を楽しむのが横糸。あるいは色々な場所に旅するのが縦糸だとすれば、同じところにとどまって季節の移り変わりを楽しむのが横糸です。

仕事も同じらしく、本来業務と言われる、収益を上げる仕事ばかりやっていてもうまくいかず、周辺事項や視点を変えた仕事も織り込まないといけないようです。

縦糸だけ伸ばしても本質は掴めなさそうです。質料と形相の関係に似ているような気もします。

ただですね、それでもやはり縦糸を伸ばすことに憧れます。理論上は無限に伸びる縦糸ですので。新しい楽曲を聴きたいし、新しい土地にも行きたいですね。それがなくなった時、初めて大人になるということなのかも、と思いました。

今日はこちら。やはりジェシー・ノーマンの(ナクソス島のアリアドネ》。

クルト・マズアの指揮はゆったりとしたもので、ジェシー・ノーマンの深みを十分に引き出しているように思えます。80年代の演奏ですが、冷戦のさなかにアメリカ人のノーマンがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共演するというのは興味深いです。しかし、こう言う演奏の違いがわかるようになって少し嬉しい反面、寂しさも感じることもあります。もっと新しい音楽、つまり縦糸を伸ばすことをやってみたいなあ、と思います。

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Miscellaneous,Richard Strauss

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休日。随分早くに目が覚めたのですが、なにかいい感じの夢で目が覚めて、気分が良かったです。今日、近所の市民センターにいたところ、広場に生い茂る木々から蝉の声が聞こえました。まだ梅雨あけもしておらず、6月もまだすぎませんが、ひたひたと夏が迫っています。ことしも猛暑だそうです。どうやって過ごそうか、という感じです。

そんな初夏に聴いたのはこちら。すこし季節にはあいませんが、ジェシー・ノーマンの歌うリヒャルト・シュトラウスの歌曲集です。

Richard Strauss: Four Last Songs; 6 Orchestral Songs
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昨日聴いた「はじめてのジェシー・ノーマン」というプレイリストには入っていた「Morgen」という歌曲が入ったアルバムで、1983年にクルト・マズアがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と一緒に録音したもののようです。「四つの最後の歌」がメインディッシュですね。33年前のアルバム。あの頃はまだ東ドイツがあってホーネッカーがいました。

メゾ・ソプラノような深みで歌われると、「四つの最後の歌」なども、重心がひくくなり、随分と落ち着いた味わいになります。たしかに、人生の晩秋の諦観とした静かな気分を想像させるに事欠くことはありません。この演奏を聞きながら、太陽の光を浴びながら死に至る場面などを想像してしまいます。この曲を聴いて急に後ろに引っ張られるように頭から血流が失われていく感覚。それはまるでヴィスコンティの「ヴェニスに死す」から、毒気のようなものをぬいた、常識的で大人な場面。マーラーの「アダージェット」よりも安らぎにみちている気もします。そのように人生を閉じれるように生きれるといいのですが。もちろん自分の努力だけでそれはなし得るものではないですね。世界や国、社会、あるいは自然や災害がどうなるかで簡単にどうとでもなるものです。昨日の常識は明日の非常識。そういう世界で、安らぎを得るのは、ただひたすら、偶然的なものに対する願いと祈りと感謝でしかないのかも、と思います。人生謙虚に全力で、というところですかね。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。