Opera


休憩時間は残り六分。オペラシティにおいてはデジタル数字が一種のモティーフになっていて、新国立劇場の東側の通廊にはデジタル数字がいくつも光り輝いています。この休憩時間残を表すデジタル数字もそうしたコンテキストの中のもの。
さて、昨日に引き続き「愛の妙薬」について。

演出

今回の演出、モダンで素敵でした。Elisirという題名にちなんだ、アルファベットのオブジェを利用したもので、視覚的にも楽しめました。で、不思議なんですが、elisirって、薬という意味ではない。elisirとは「芳香性のある植物をアルコールに溶かしたリキュール」と伊和辞典には書いてありました。これも、明日書くことになるであろう私の妄念のなかで大きな意味を持つはず。
それから、分厚い本も重要な役目を果たしています。パンフレットによると、ヒロインのアディーナだけが本を読むことができるという設定。彼女が読んでいるのが「トリスタンとイゾルデ」の本ということで、舞台上には巨大な本が両側に三冊ずつ、計六冊が据え付けられている形です。背表紙の文字は、奥からドイツ語、日本語、イタリア語で「トリスタンとイゾルデ」と書いてあるという寸法。この巨大な本が稼働して舞台を構成します。本の表紙にはTRISTANOとISOTTAの文字が。つまりイタリア語でいうところの「トリスタンとイゾルデ」の意味。それから、番号の書かれた書物が時に台になったり、椅子になったりする。プロンプターボックスも分厚い本の形をしていたりと、書物自体が重要な意味を占めています。
一応リブレット的にはバスク地方と指定されていますが、衣装的な時代性もあえて曖昧にしています。七〇年代から八〇年代のものでしょうか。舞台が欧州であることに疑いはありませんが、時代や場所はあえてぼかしている感じ。
演出自体はスタイリッシュで非常に好印象です。少し笑えたのは薬を売るのが、ドゥルカマーラに付き従う二人の赤いドレスのモデルのようにスタイルの良い売り子の女性二人なんですねえ。で、第二幕の冒頭、指揮のパオロ・オルミが登場すると、二人の売り子売り子の女性がオルミに薬を売ろうとする。オルミは、お札を出して薬を買って、コンマスにも勧めたりして、と、二幕冒頭で物語り世界と実世界が結節するという面白い演出がありました。こういうの、たまにあるんですけれど、私はこの類の舞台と現実のつながりが、夢と現実の橋渡しをしているようで大好きです。そういえば、昔「セヴィリアの理髪師」をシラクーザの出演で見たとき、シラクーザは舞台からオケピットに向かって指揮をしていましたねえ。こういう演出ラヴです。
演出のチェーザレ・リエヴィはイタリア人の演出家で、ウィーンやメット、チューリヒでも舞台を手がけているようです。チェーザレって、ラテン語読みだとカエサルですね。

解釈

解釈が一番面白い。でも、今日は時間がないのでここまで。明日書きます。予告だと、
* アディーナの心変わりの真の理由
* ドゥルカマーラの現代性
* ベルコーレはリクルーター
などを予定しています。

Opera

はじめに

「愛の妙薬」見て参りました。いやあ、ちょっと舐めてかかっていました、わたくし。大変に反省しております。「行くのやめようかな」なんて考えていた私は本当に愚者以下です(なぜって、最近のこのブログのコンテキスト下にあっては愚者といえば英雄ですから)。
今シーズンは、「オテロ」、「ヴォツェック」、「トスカ」、「魔笛」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」、「パルジファル」と立て続けに重いオペラばかり見ておりました。それで、「愛の妙薬」はプレミエだというのに、イタリアオペラは苦手なので、みたいな甘えた考えでいたわけですが、本日、その意見は180度方向が変わりました。「愛の妙薬」、このオペラも妄念横溢中。これも一日じゃかけません。というか、本日もあまりに充実した一日で、なんだか夢みたいです。明日からは、「組織」へ戻りますけれど。

オペラの前

今日もカミさんが友人達と新宿でランチをするとのことで、私も濡れ落ち葉のようにカミさんについていって、高層ビル群の一つのイタリアンでランチをご一緒にいただきました。とっても良い天気。今日のカミさんの友人達も良い方ばかり。女性五名(一名は小学生)の中に入りましたが、居心地の悪さもなく、楽しいひとときを過ごせました。というか気を遣ってくださったんです。本当にありがとうございました。



1時間ばかりで私は中座して、初台に向かいました。ちょっとぎりぎり。普通オペラやらコンサートには遅くとも45分前には到着するようにしていますが、今回はルール逸脱でした。

新国到着

いつものように新国の入り口の生け花は素敵です。


で、今日は本当にショックでした。この罪のないはずのあらすじの裏に、こんなに重大でアクチュアルな問題が隠されているだなんて。あー、オペラトーク行っておくんだった。

あらすじ

というわけで、まずは「愛の妙薬」のあらすじの把握から。予習の段階ではきわめて単純に思えました。ずばり三角関係です。
ある種ちょっと木訥で純粋なネモリーノは、女農場主アディーナに恋をするんですが、男前の軍曹ベルコーレが現れてアディーナに求婚する。アディーナもまんざらではない感じ。でもちょっとネモリーネの態度も気になる。私が結婚するんだから、もう少し焦ってもいいんじゃないの? みたいな。
実は、単純素朴なネモリーノは、怪しい薬売りのドゥルカマーラから、「愛の妙薬」を買っていたのです。これ、「トリスタンとイゾルデ」の話に出てくる媚薬と同じという触れ込みなんだが、実は単なる安ワインに過ぎない。効くわけないんだけれど、一日経ったら効果が現れると信じ込んでしまう。だから余裕かましているんだけれど、アディーナがベルコーレと今日結婚しちゃうおう、という話になってしまったので、あわてて、頼むから明日に延ばして、と泣き言を言う始末。
ネモリーノは居ても立ってもいられず、またまたドゥルカマーラから「愛の妙薬」を買わなければ、ということになるんだが、お金がなくて買えない。そこで、ネモリーノは、軍曹ベルコーレから軍隊へ入営することを条件になにがしかのお金を入手し、「愛の妙薬」(もちろん安ワインなんだけれど)を買ってのんでしまう。
そうこうするうちに、病気にかかっていたネモリーノの伯父が亡くなり、ネモリーノに遺産が転がり込んでくるという噂が広まる。町中の女性という女性がネモリーノに色目を使い始める。これぞ「愛の妙薬」の効果! 驚いたアディーナはベルコーレを捨ててネモリーノと結婚してめでたしめでたし。偽薬である「愛の妙薬」がなんだか本当に効き目が出ちゃったよ、あはは、みたいな。
でもですね、ことはそう簡単じゃないんですよ。ここに隠されたテーマは実に興味深く、私の明日とも関係があるのです。
続きはまた明日。

European Literature,Opera,Richard Wagner

この本、25年前に読むべき本でした。全く、若き私は怠惰な人間でございました。でも、この本はヴァーグナーの楽曲に触れていないと理解できないのも確か。若き貧乏な日々に、オペラのCDなんて買うことは能わず、ましてやオペラに行くなんてことは難しいことでしたので仕方がないというところでしょうか。まあ、今もお金持ちではありませんけれど。

はじめに

トーマス・マンは、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」と題された講演ををミュンヘンで行ったのが1933年2月10日のこと。その後、マンはアムステルダム、ブリュッセル、パリを回ったのですが、その間、ドイツにおいてはナチスが全権を掌握してしまい、マンはドイツに帰ることができなくなるという時代背景があります。

ナチスがワーグナーの音楽を利用したという事実は消えることのないことですが、マンが必死にヴァーグナーとナチズムの相違点を整理しようという意図が見えた講演録でした。

心惹かれる文章。

このたぐいの本の書評を書くのはきわめて難しいのですが、私の方法論は引用をつなげていくという者になってしまいます。まだ書評能力が低いのです。まあ、それはそうとして、気になったところを。

劇場の聴衆の只中で味った深い孤独な幸福のあの幾時間、神経と知性とのおののきと喜びとに充ち満ちた幾時間、この芸術のみが与えうる感動的で偉大な意義を窺い知ったあの幾時間かを、私は決して忘れることができません。

29ページ

これは、激しく同意します。あの孤独とも一体感とも言えぬ劇場独特の儀式的パフォーマンスを秀逸に表した一文です。

ヴァーグナーが芸術を一つの聖なる秘薬と考え、社会の障害を癒す万能薬と見なした(中略)。ヴァーグナーにとっては、芸術が持つ浄化し聖化する働きは堕落した社会に対する浄化手段、聖化手段として見なされるものでした。美的聖別という手段によって社会を贅沢から、金力の支配から、愛の欠如した状態から解放しようと望みました。

13ページ

うまくいっているかどうかはともかく、リングの最終幕ヴァーグナーが意図していたことをマンが咀嚼してくれた感じです。でも、そこまで単純化できるかどうかはわからないです。というのも、こうした社会正義、革命的な思想を、若き日のヴァーグナーは持っていたのですが、一方で、借金を重ね奢侈な生活を楽しみ、バイロイトという「ヴァルハラ」を築くという、おおよそ庶民とはかけ離れた行動をしているのですから。

全体感

全体を読んで思ったところ。

ヴァーグナーというのは単なる音楽家であったわけではないということ。詩人でもあり音楽人でもあった故に、楽劇が誕生したのだという事実。両者に秀でていたということが重要。逆に言うと、両方から圧迫を受けていたわけでそれがヴァーグナーの苦しみでもあった、という論調でした。

ヴァーグナーは若き日に革命運動に身を投じますが、あれは、社会を改正するといった動機よりもむしろ、自分の音楽をきちんと発表できる場にしようとするという動機の方が強かったのではないか、という指摘がありました。もっとも、ワーグナーは芸術が人間を救済する手段であると考えていましたので、終着点は同じなのかもしれませんけれど。このあたりは、シュトラウスがナチスに協力した経緯とも少し似ている感じがしました。

ワーグナーをロマン主義者として定義付けするところがあるのですが、ここが実に面白い定義付けをしています。また引用しちゃいますと、

性的オペラの中で芸術と宗教とを結び会わせ、芸術家のこのような神聖なる非神聖さをルルドの洞窟の奇跡劇としてヨーロッパの真ん中で舞台に載せ、退廃した末世がみだらに信仰を熱望するその心をに向けて開示してみせるという能力

99ページ

これ、この前「パルジファル」を聴いたときに引き裂かれるように感じたことと一致するんです。聖化と性化の二律背反(と捉えるのも間違いかもしれませんが)があまりに不思議で不協和音に思える。それが最後に解決するのがブリュンヒルデの自己犠牲であり、パルジファルによるアムフォルタスへの癒しとクンドリの救済というところでしょうか。

ここでいう「性化」とは、一種のセクシャルなものを含むのは事実ですが、それ以上に、いわゆる「愛」と捉えるべきだとも思いました。そういった言説をヴァーグナーがしているということもこの講演の中で述べられていました。

この本は、二回ほど読みましたが、まあ、いろいろと前提知識が必要だったり歴史的背景の理解が必要だったりということで難儀なものでした。折に触れてちびりちびりと、ブランデーを飲むように読むと良い本でしょう。お勧めです。

Opera,Richard Strauss

第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。

で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています

2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。

https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php

でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。

ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。

「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。

R.シュトラウス:4つの最後の歌
シュテンメ(ニーナ) シーゲル(ゲルハルト) ホワイト(ジェレミー) グロドニカイテ(リオラ)
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おすすめ度の平均: 5.0

5 新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね

ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ(全曲)(DVD付)
ドミンゴ(プラシド) シュテンメ(ニーナ) 藤村実穂子 パーベ(ルネ) ベーア(オラフ) コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
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そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。

シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。

公式ホームページはこちら

レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。

逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。

それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。

あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。

今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。

Opera

4月の新国立劇場は「愛の妙薬」。三種類ほど音源を用意したんですが、パヴァロッティとサザーランドのコンビがすばらしいです。予習盤ランク一位は今のところこのパヴァロッティ盤です。

三大テノール

パヴァロッティは本当に偉大。おそらく、人によっては好き嫌いがあると思います。私も最初はちょっと受け付けられなかったのですが、5年ほど前から、かなりいいと思えるようになって来ました。

三大テノールのうち誰が最も好きか、という議論はよくある議論です。オペラを聴き始めたころは文句なしにドミンゴでした。カラヤン盤トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」に陥落という感じ。

パヴァロッティは、これもカラヤン盤「ボエーム」で聴いたのが最初だったと思いますが、なんだか自然さにかけるような気がしていたのです。

カレーラスはこれもカラヤン盤「トスカ」で聴いたのが最初でした。迫力はあるのですが、こちらも少し力に寄りかかった感じで自然さにかけた気がしていました。

パヴァロッティ開眼

それで、いろいろ聴くようになるうちに、パヴァロッティの株が僕の中で急激に上昇し始めました。

何が原因なのか? 

おそらくはパヴァロッティのライヴ盤(ハイド・パーク)や、イタリア歌謡集を聴いてからではないか、と。あの南国的地中海的悦楽の表現は聴くだけで元気付けられます。それから、私はヴェルディ作品が苦手なのですが、その中でも「アイーダ」については、その重い扉を開けてくれたのがパヴァロッティでした。

4年前のトリノ五輪の口パク問題とか、スコア(総譜)読めないんじゃないの? 的な議論とか、まあ、いろいろあるみたいですけれど、イタリア的なイタリア人ですので、許せちゃう。

やっぱり行きます。

実は、仕事が忙しくて、今月の「愛の妙薬」はパスろうかと思ったのですが、パヴァロッティ盤を聴いて考えを変えました。やっぱりいきますです。私は本当にヴェリズモ以前のイタリアオペラ(この中には残念ながらモーツァルトも含まれるのですけれど)は苦手ですので、なおさら勉強のためにも。

あー、イタリア行きてー。でも行く時間ないっす。悲しみ。

愛の妙薬

しかし、このオペラ、実に罪のないストーリです。ヴァーグナーの毒々しさとか暗鬱とした大洋のうねりのようなものはない。こんなに楽しそうなオペラを見聞きするのは何時ぶりだろう? 「オテロ」、「魔笛」、「ヴォツェック」、「トスカ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」、「パルジファル」と続いてきた今年の僕のオペラ生活において「愛の妙薬」ほど単純で愉快なプロットはありませんでした。たぶん「 チェネレントラ 」以来だと思います。

愛の妙薬(wiki)

新国のチェネレントラ

きっと良い思い出になるはず。楽しみです。

もっとも、単純に見れば、だとも思うのです。やっぱり解釈の面白さは存在します。愛の妙薬と「トリスタンとイゾルデ」の関係とか、「ヴォツェック」との関係とか。これは、実際に見てから書いてみましょう。

Opera

今日は寒くなるそうですね。日本海側では吹雪だとか。季節感が狂ってしまう。とはいえ、今年の桜写真のストックから一枚。芸風が全部同じなのは許してください。

さて、このシリーズも第三回となりました。堀内修さんの「ワーグナー」という新書からの引用です。本当にすばらしい。感謝です。

もっともワーグナーに特化していますので、イタリアオペラとなるとどうなるかわかりません。これは、継続的に研究していきます。

シュピール・テノール(テノール・ブッフォ)

最も軽く透明感のあるテノール。高音域がにごらない。

  • <フィデリオ>ヤッキーノ
  • <後宮からの逃走>ペドリロ
  • <さまよえるオランダ人>舵手
  • <トリスタンとイゾルデ>牧童
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>ダーヴィット、フォーゲルサンク
  • <ラインの黄金>ミーメ
  • <ジークフリート>ミーメ

リリックテノール

軽妙な歌をこなせるテノール

  • <ドン・ジョヴァンニ>オッターヴイオ
  • <リゴレット>マントヴァ公
  • <さまよえるオランダ人>エリック
    *<ローエングリン>ローエングリン
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>ヴァルター・フォン・シュトルツィング
  • <ラインの黄金>フロー
  • <パルジファル>パルジファル

キャラクター・テノール

癖のある個性的表現のできる声

  • <ボリス・ゴドゥノフ>シュイスキー
  • <リエンツィ>ボロンチェリ
  • <トリスタンとイゾルデ>メロート
    *<ラインの黄金>ローゲ

ヘルデン・テノール

低域を充実させつつ力強い高音も出せる強力なテノール。

  • <サロメ>ヘロデス
  • <オテロ>オテロ
  • <リエンツィ>リエンツィ
  • <タンホイザー>タンホイザー
  • <ローエングリン>ローエングリン
  • <トリスタンとイゾルデ>トリスタン
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>ヴァルター・フォン・シュトルツィング
  • <ワルキューレ>ジークムント
  • <ジークフリート>ジークフリート
  • <神々の黄昏>ジークフリート
  • <パルジファル>パルジファル

ルネ・コロや、ジークフリート・エルザレムは、間違いなくヘルデンテノール。ハインツ・ツェドニクはシュピールテノールでしょうか。

明日は、バリトン/バス篇です。

Opera

執拗に桜。だが、美しすぎる。桜がなぜ美しいか。それは緑色の葉っぱなしで咲くから。従って、葉桜ともなるとその魅力は減じてしまう。

今日は二日目。そのとして、メゾソプラノ、アルトについてのまとめ。

ドラマティック・メゾ・ソプラノ

  • <コジ・ファン・トゥッテ>ドラベッラ
  • <ドン・カルロ>エボリ公女
  • <リエンツィ>アドリアーノ
  • <タンホイザー>ヴェーヌス
  • <ローエングリン>オルトルート
  • <トリスタンとイゾルデ>ブランゲーネ
  • <ラインの黄金>フリッカ
  • <ワルキューレ>フリッカ
  • <神々の黄昏>ヴァルトラウテ、ヴェルグンデ、第二のノルン
  • <パルジファル>クンドリ

リリック・メゾ・ソプラノ

落ち着いた、低域の安定した声。

  • <ヘンゼルとグレーテル>ヘンゼル
  • <蝶々夫人>スズキ
  • <さまよえるオランダ人>マリー
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>マクダレーナ
  • <ラインの黄金>フロスヒルデ

ドラマティック・アルト

起伏のある表現が可能な低い声。

  • <サムソンとデリラ>デリラ
  • <トロヴァトーレ>アズチェーナ
  • <ラインの黄金>エルダ
  • <神々の黄昏>ヴァルトラウテ、第一のノルン

ティーファー・アルト

最低音域の女声。暗い色彩を求められることが多い。

  • <仮面舞踏会>ウルリカ
  • <ジークフリート>エルダ
  • <神々の黄昏>第一のノルン、フロスヒルデ

わたしが新国で見たエレナ・ツィトコーワはドラマティック・メゾ・ソプラノであるはず。おそらくここには、「ばらの騎士」オクタヴィアンも分類されるでしょう。アンネ・ゾフィー・フォン・オッターもドラマティック・メゾ・ソプラノでしょうか。クリスタ・ルートヴィヒは、ドラマティック・メゾ・ソプラノですし、「蝶々夫人」でスズキも歌っていますので、リリック・メゾ・ソプラノとも言えましょうか。

ちょっとこのまとめは勉強になります。

Opera

散りかける桜の花のなかから美しいところを選んでみました。このレンズ、かなり絞らないとエッジが効かないんですが、少々暗めでしたので、絞りきれず、若干ぼやけた印象に見えるのが玉に瑕。カメラ道も厳しいです。

さて、先日読んだ堀内修さんの「ワーグナー」に声の種類と、それに応じた配役について、ワーグナーを例にとって詳細に説明してある大変秀逸な部分がありました。私の勉強をかねて、4日に分けてまとめてみたいと思います。

本日は第一回ということで、ソプラノ篇です。

スーブレット

非常に軽い声のソプラノ

  • <フィガロの結婚>スザンナ
  • <バラの騎士>ゾフィー
  • <リエンツィ>平和の使者
  • <タンホイザー>若い牧童
  • <ラインの黄金>ヴェルグンデ

リリック・コロラトゥーラ・ソプラノ

非常に高い声でのコロラトゥーラがある。

  • <後宮からの逃走>ブロンデ
  • <ホフマン物語>オランピア
  • <ラインの黄金>ヴォークリンデ
  • <ジークフリート>森の小鳥

リリック・ソプラノ

もっとも自然な領域。高温も低音も均等に出せる。

  • <魔笛>パミーナ
  • <アラベラ>ズデンカ
  • <タンホイザー>若い牧童
  • <ラインの黄金>ヴェルグンデ

ユーゲントリッヒ=ドラマティック・ソプラノ

十分なやさしさ、やわらかさを持ちつつもう少し強さのあるもの。

  • <カルメン>ミカエラ
  • <オテロ>デズデーモナ
  • <エレクトラ>クリソテミス
  • <リエンツィ>イレーネ
  • <タンホイザー>エリーザベト
  • <ローエングリン>エルザ
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>エヴァ
  • <ラインの黄金>フライア
  • <神々の黄昏>グートルーネ

ドラマティック・コロラトゥーラ・ソプラノ

振幅のある劇的な歌唱。コロラトゥーラもできること。

  • <サロメ>サロメ
  • <椿姫>ヴイオレッタ
  • <神々の黄昏>ヴォークリンデ

ドラマティック・ソプラノ

振幅の激しい劇的な歌唱。多くのオペラで主役となる。

  • <トスカ>トスカ
  • <ペレアスとメリザンド>メリザンド
  • <サロメ>サロメ
  • <タンホイザー>ヴェーヌス
  • <ローエングリン>オルトルート
  • <ワルキューレ>ジークリンデ
  • <神々の黄昏>第三のノルン
  • <パルジファル>クンドリ

ホッホドラマティッシャー・ソプラノ

強力な声で非常に激しく劇的な表現を行う。

  • <エレクトラ>エレクトラ
  • <さまよえるオランダ人>ゼンタ
  • <タンホイザー>ヴェーヌス
  • <ローエングリン>オルトルート
  • <トリスタンとイゾルデ>イゾルデ
  • <ワルキューレ>ブリュンヒルデ
  • <ジークフリート>ブリュンヒルデ
  • <神々の黄昏>ブリュンヒルデ

テオリン様や、エヴァ・マルトン、ヒルデガルド・レーベンスは、間違いなくホッホドラマティッシャー・ソプラノですね。上の表にはありませんが、トゥーランドットもこちらに分類されるはず。フレミングはユーゲントリッヒ=ドラマティック・ソプラノに分類されましょうかね? 「ばらの騎士」マルシャリンや、「カプリッチョ」伯爵夫人マドレーヌはこちらかと。

ソプラノと行っても一言じゃ言い表せませんね。メゾとコンバートすることもありますし。

明日は、メゾ・アルト篇です。

Opera

近況

水曜日の夜勤のダメージをまだ負っていて、ぎりぎりの電車で会社にいっちまいました。情けないのう。がんばれ。

どうもお疲れのようで、ヘッドフォンを家に忘れてしまいました。こういうときのためにバックアップのイアフォンをバッグに忍ばせてありますので、事なきを得ました。本当によかった。会社にもバックアップイアフォン置いておこう、と決意。

私、音楽がないと生きていけません。いわゆる昔のタワレコ的に言うと「No Music, No Life」という感じ。そういう意味では音楽中毒。あ、中毒というと、ほかにもいろいろ。物書き、活字、コーヒー、レッド・ブル、飛行機、薬……。あとはここにEWIが追加となる予定。いろいろあるなあ。でもがんばろう。

パルジファル再び

さて、自分のブログ読み直していたら、またパルジファルが聞きたくなりました。昼休みのひと時、カラヤン盤の第三幕を聴きながらしばし涙にくれるひととき。なんで、こんなに感動的なんですかね。こういう感情は、言葉にしてしまうと、するりと逃げられてしまうんですが、そこをどう書くかが腕の見せ所なんですがね。

ワーグナー本を読んでいたら、いまさらワーグナーについて語るなんて、結局は先人の道を辿るに過ぎないんですが、頭の体操としては面白いですし、考えるプロセスも面白い。ここに音楽的な知識をつけて、解釈していけるようになるのが夢というか目標。今からでは遅いかもしれないですが、何事も遅いということはないといったのは誰でしたっけ。まあ、がんばります。

「パルジファル」聖性と性性の混合なんですけれど、これがますますもって不思議さや不可解さを助長している。「パルジファル」の作曲は1877年に始まり1882年7月26日にバイロイトで初演されている。フロイトが精神分析理論を展開するのは開業した1896年からで、あのグスタフ・マーラーもフロイト治療を受けていたりする。ちなみにフロイトもユダヤ人。

しかし、クルト・モルのグルネマンツは本当にすばらしいですねえ。今日はイアフォンなので、声のよさを十全には楽しめていないかもしれませんけれど、それにしてもすごい。これ、いいオーディオで聴いたらもっとすごいんだろうなあ。

Opera

本日の各紙朝刊を飾っている、第二弾の事業仕分け。対象は独立行政法人と言うことで、新国立劇場が属する独立行政法人である日本芸術文化振興会がどうなるか、と気にしていましたが、一旦の対象である54の独立行政法人からは除外されている模様です。

朝日新聞のソース

http://www.asahi.com/politics/gallery_e/view_photo.html?politics-pg/0408/TKY201004070549.jpg

時事通信のソース

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010040700827

だからといって、まだ決定ではなく、4月20日頃に首相が決断するそうです。

それから気になるのは、事業仕分け機能自体のこと。

行政刷新会議

この事業仕分けはあくまで「判定」であり、仕分け人に予算削減を行う権限・強制力はない

この記載がwikiにあるのですが、先だっての記事のように、実際に大なたでなぎ払うという正確のものではなく、パフォーマンス重視であるかのようにも思えてきます。

これ以上は差し控えますが、私が昔読んでいた「音楽芸術」の記事を思い出しました。当時やっていたバンドのホームページに載せていた記事を引用。12年前に私が書いたものです。グーグル・デスクトップ・サーチ(GDS)で瞬時に検索に引っかかってきました。だからGDSラヴ。

それで、今月号の「音楽芸術」1誌は、ガーシュイン特集で、興味深い論文が掲載されていて結構楽しんでいます。「ガーシュインとアメリカ文化」と題された特集では、まず十九世紀終わりから二十世紀初めにかけてのアメリカ文化の概説的な論文があって(「ジョージ・ガーシュインとアメリカ文化」瀬川昌久)、当時のアメリカを取り巻く社会的、文化的な動向(産業化、欧州大陸からの移住者の増加、文学の動向、大恐慌…)が述べられ、ガーシュインの生きた時代についての共通認識地盤を得ることができました。 大恐慌期にアメリカ政府は「ニューディール芸術計画」というを推進し、芸術家の失業救済事業を行っていた、ということを初めて知り、同じ不況でも今と昔ではやることが違うなあ、と思ってしまいます。財務省絵画・彫刻部、雇用促進局文化部門などと言った政府機関が美術家を雇用し、公共建築物の装飾を担当させたり、その作品の定期的な提出を条件に給料を支払うなど、今ではなかなか聞いたことのないような政策をとっていたとのことです。

ちなみにこちらの引用で述べられている「不況」は山一証券破綻前夜の大不況のこと。この後我々はさらにITバブル崩壊と、リーマンショックという二つの不況を経験したことになります。どうりで歳食ったわけだ。

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続)新国立劇場関連の事業仕分についての続報

続々 新国立劇場関連の事業仕分についての続報

1 「音楽芸術」1998年9月号 音楽之友社