2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

先日から連載しているトスカの件ですが、その後も引き続き調査を続けています。その中でわかったことをお伝えします。

トスカ成立の話の中でフランケッティという作曲家が登場しました。もともとトスカの作曲権を持っていたのですが、ジュリオ・リコルディにしてやられて、プッチーニに作曲権を渡してしまうという話でした。

その際に、フランケッティはプッチーニの学友だったという話を書いたと思います。このエピソードは、プッチーニの伝記として有名なモスコ・カーナーの著作に登場します。私はそこから引用しました。

ところが、南條年章氏の「プッチーニ」(音楽之友社)おいては、それが誤解ではないか、という説が紹介されていました。

曰く、フランケッティは、プッチーニと同じマージという先生に習っただけなのだそうです。いわば兄弟弟子です。ですが、一緒に学んだことはなかったとのこと。プッチーニはルッカで、フランケッティはヴェネツィアで、マージに師事したということになります。

歴史の中に埋れた真実はその手がかりをつかむのは難しいです。

(イタリア語がわかれば良いんですけどね。あと10年すれば、翻訳エンジンの性能が上がるでしょうから、文献程度なら辞書がなくてもわかる日がくるでしょう)

このシリーズ、来年元旦には、形にまとめてご披露できるよう頑張ります。

 

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

セヴィリアの理髪師、劇が一瞬中断する瞬間がありますね。

それは、第一幕の最終部分、第16場のところです。

http://www.youtube.com/watch?v=SYwG4199BCg

「銅像のように冷たく動けなくなったわ」以降では、キャストがみんな止まって、六重唱が始まります。この映像でいうと、2分27秒のあたり以降です。

演出にもよると思いますが、新国立劇場の演出では、登場人物達が停止し、背景の警察達が曲の拍節に合わせて体を動かし始めます。ストーリーの中の時間速度が遅くなる、あるいは停止して、登場人物達がストーリーから抜けだす瞬間です。

これは一種のメタフィクションなのでしょう。

リブレットを読むと、一応、バルトロが銅像のように固まってしまったと揶揄する場面と理解できるんですが、実演を観るとそうは思えません。

バルトロだけじゃなくてみんなかたまる必要はないんです。

でも、Youtubeの演出もみんな止まってますし、先代の新国立劇場演出でもやはりかたまってしまいました。

なんだか、この場面いつも奇異に思えます。

それに、歌が終わった後に、場面転換を告げるかのように信じられないほど静謐な旋律が出てくるのですよ。

その後またドタバタハチャメチャな喜劇に戻るのですよね。

これはリブレットを読んだだけだと理解できない世界です。

ここだけ、際だっているのですよねえ。

ググってみたんですが、どうも答えは見つかりません。

Book,Classical,Japanese Literature,Literature,Murakami Haruki

今月の贅沢。Microsoft ナチュラルエルゴノミクスキーボード。

IMG_1695.JPG

トスカのことを書くのが久々の長文だったので、肩こりがひどくなってしまいました。せめて家では楽に文章を書きたいので試してみることにしました。

 

この本、以前から気になっていたのですが、図書館で見つけていそいそと借りて読んでいます。

驚きに満ちた本で、久々に感動しています。

小澤征爾の半端ない半生はもちろん、村上春樹の衒学的とも言える造詣の深さ。村上春樹ってジャズ畑のかたで、若い頃はジャズバーを持っていたぐらいなんですが、クラシックのききこみ方、こちらも半端ないです。小澤征爾もたじたじな場面もあったり。。

やはり天才は何をやっても天才なんですね。

それにしても思うのは、小澤征爾の人柄です。回想の中で、いろんなビッグネームに可愛がられたり仲良くなったりする話が出てきます。バーンスタイン、カラヤンはもちろん、クライバー、ルビンシュタインなどなど。フレーニやパヴァロッティとも親しいのですね。

小澤征爾が、「レコード・マニア」を余りよく思っていないということも。曰く、高いお金出してオーディオセットなんて買うけれど、お金を持っているということは忙しいと言うことで、結局音楽を聴く暇がなく、実は音楽について分かっていないのである、とのこと。

申し訳ありません。

私の人生、なんども変わっている気がしますが、この本でも変わったかもしれない。

これからは今まで以上にもっとまじめに音楽を聴いて、言語化していかないと、と決意を新たにしました。

そう思えるぐらい充実した一冊でした。大変おすすめです。

 

※ 本当かどうか分かりませんが、ウィキペディアによれば、小澤征爾の名前のうち「征」は板垣征四郎の「征」、「爾」は石原完爾の「爾」なんだそうです。

それではまた。

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

はじめに

昨日の興奮冷めやらぬままこちらのCDきいているんですが、ちょっと、これすごくないですか!! フィガロのPaneraiがスゴイ。。

http://www.icartists.co.uk/classics/catalog/cds/carlo-maria-giulini

 

これは、また後日として、昨日の続きです。

演出

今回のケップリンガーの演出は2005年に続いて2回目ですが、以下の二つ理由から、今回のほうがより楽しめた気がします。

一つは、ビジュアル面でしょう。今回の公演、皆さんカッコイイ方ばかり。ロジーナのコンスタンティネスクも美人さんですし、伯爵のボテリョもずいぶんとイケメンです。あとは、フィガロのイェニスの粋な身振りが素晴らしいです。

(2005年公演では、ロジーナの方がアルマヴィーヴァより背が高いという状況だったと言うこともありますが)

舞台設定

もう一つ。席が良かったです。今回も奮発して前の方だったので、舞台の細かいところまでちゃんと観ることが出来ました。いろいろな仕掛けをつぶさに観ることができて面白かったです。

たとえば、電気器具や調度品の時代考証も凝っていて、置かれている白黒テレビは当然ですが、第一幕冒頭でフィオレッロが持っている白いラジオがレトロ調で格好良かったです。

フランコ統治下のスペイン

舞台は1960年代のセヴィリアです。ですので、フランコの肖像がバルトロの部屋に飾られています。image

そういうこともありますので、どうやらグアルディア・シビルとよばれる治安警察が踏み込んできたという設定になっているようです。あの特徴的な帽子の形でそうだと分かりました。フランコ政権時代はこのグアルディア・シビルが国内統治に利用されていたようです。

若者と老人、フランコとアルマヴィーヴァ

今回の演出においては、アルマヴィーヴァ、ロジーナ、フィガロの三人の若者が、バルトロ、バリジオなどの年寄りに反旗を翻すという物語にも見えました。

演出のケップリンガーの説明においては、原作が書かれたが書かれたフランス革命前夜とおなじく、演出の舞台である1960年代のセヴィリアも「社会構造の変革を前にした「熱い時代」」であると語られています。

フランコ政権は1938年に始まり、1975年のフランコの死によって幕を閉じます。後継者として国王に指名されたファン・カルロス一世によりそれまでの全体主義体制から立憲君主制へと移行し、「スペインの奇跡」と称されるほんの少し前の時代です。image

来るべき新しい時代が3人の若者によって象徴されているのか、などと思ったり。

ですが、アルマヴィーヴァは伯爵位にあります。いわば旧体制に属しながらも、若い世代に属しているというゆがみが生じているのだ、と思います。

警察(グアルディア・シビル)の隊長がアルマヴィーヴァの伯爵位に恐れをなし、同時にフランコの肖像を担ぎ出すのはそういうゆがみがなせるわざでしょう。

(余談ですが隊長は、2002年に観た新国立劇場の「セビリアの理髪師」では堂々たる人物でしたが、今回の演出では権威主義的でだらしない男になってました)

あるいは、アルマヴィーヴァもフランコと重ねあわされているような場面もありました。ロジーナがバルトロの奸計でアルマヴィーヴァとフィガロの企てに疑いを持った瞬間、フランコの肖像が壁から落ちましたね。あれはどうしてなんだろう?と思うのです。

旧体制に属しながら新しい時代を切り開く人物であるアルマヴィーヴァはいったい誰なんだろう? ファン・カルロス一世なのかなあ、などなど。

いやいや、我々はこの物語の続編を知っています。モーツァルトの「フィガロの結婚」です。そこでは、アルマヴィーヴァがバルトロのような俗物に成り下がっています。そうした示唆なのか……。

 

次回に続きます。

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

IMG_1689

師走1日目、寒風吹きすさぶなか新国立劇場「セビリアの理髪師」でしばし気分を暖めてきました。

なんだか、純粋に楽しめたなあ、という感じです。こういう楽しみ方もありなんだ、とすこし驚きました。

ワーグナーやプッチーニ、シュトラウスは好きすぎるので、構えてしまうんですが、ロッシーニは結構苦手でして、かえってリラックスして聴けたのだと思います。

楽しい3時間でした。ありがとうございます。

主な出演者

指揮:カルロ・モンタナーロ

演出:ヨーゼフ・E.ケップリンガー

アルマヴィーヴァ伯爵:ルシアノ・ボテリョ

ロジーナ:ロクサーナ・コンスタンティネスク

バルトロ:ブルーノ・プラティコ

フィガロ:ダリボール・イェニス

フィガロ

フィガロのイェニス、声に張りがあって大迫力でした。軽妙な身振りも交えた演技はとても素晴らしいものでした。ああいう感じは欧米人ならではですね。

ロジーナ

ロジーナを歌ったコンスタンティネクスは、軽やかで澄み切ったソプラノです。モーツァルトやロッシーニによく合う声質です。ケルビーノ、ツェルリーナ、チェネレントラ、ドラベッラ、デスピーナなどがレパートリーのようです。実は、「ばらの騎士」のゾフィーなんかも合うのではないでしょうか。

アルマヴィーヴァ

アルマヴィーヴァ伯爵のルシアノ・ボテリョはイケメンテノールです。巧いのですが、早いパッセージがすこし苦手そうでした。気になったのはそれぐらいで、演技も歌も十分楽しめました。

バルトロ

バルトロを歌ったブルーノ・プラティですが、あのメタボっぷりは、さすがになにかおなかに入れてますよね。恰幅がよくて、日本語も交えたコミカルな演技が面白かったです。

指揮者モンタナーロ

カルロ・モンタナーロの指揮は、実にすっきりとした味わいでした。オケをきちんと統率している感じで、オケの鳴り方もいつもより細密でくっきりしているように聞こえました。

モンタナーロ、第二幕で劇に乱入しましたね。バルトロの歌詞を「違う違う!」と指揮台から叫んでました。もちろん仕込まれた仕掛けですので、みんな笑ってましたけれど。

次回は……

次回は演出面などを書きます。1960年代フランコ政権下のセヴィリアが舞台になっていると言うことで、仕掛けがたくさんありました。私は、どうもアルマヴィーヴァがフランコ政権体制側の人物として示唆されていたように思えてならないシーンがありましたので、調べています。が、どこまで追い込めるか。。

 

それではまた。

Opera

12月のプレミアムシアターの予定を。

オペラは1本ですね。

http://www.nhk.or.jp/bs/premium/

12月10日(9日深夜)

  • タングルウッド音楽祭
    ムター、ヨーヨー・マ、エマニュエル・アックス、ピーター・ゼルキン。なんとジェームス・テイラーまで!
  • ウェルザー・メスト指揮 クリーブランド管弦楽団
    ブルックナー交響曲第4番

12月17日(16日深夜)

  • マウリツィオ・ポリーニ 日本公演
    ポリーニ パースペクティブ2012

12月24日(23日深夜)

  • ミラノ・スカラ座 2012/13開幕公演
    「ローエングリン」

ヨナス・カウフマン、ルネ・パーペ、アニヤ・ハルテロス、トマス・トマソン、イヴリン・ヘリツィス

指揮はバレンボイム。2012年12月7日の公演が放送される予定です。

 

追伸

今日届きました!

実物の表紙はこんな感じです。

photo

それでは。You have.

Japanese Literature,Tsuji Kunio

image

昨日の言葉

「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」

ですが、

昨日書いたとおり、これは、辻邦生の大河小説「春の戴冠」でシモネッタとヴェスプッチ家の婚礼の場面で出てくるものです。

「春の戴冠」はルネサンス最盛期のフィレンツェを舞台にボッティチェッリやロレンツォ・メディチが活躍する政治小説、芸術小説、哲学小説です。

image

日本人の書いたものとは思えません。小さい頃から外国の児童文学ばかり読んでいた私にとっては、まさに天からの恵みのような小説です。

 

さて、シモネッタは、この「春の戴冠」においてはボッティチェッリ「春」のモデルになった人物とされるヒロインです。

 

シモネッタは、婚礼前に、「春の戴冠」の語り手である古典文学者フェデリゴにある告白をしていました。自分には名も知らぬ好きな男が居るのだが、結局分からないままで、やむなくヴェスプッチ家へ輿入れするのだ、と。

その婚礼の後半の仮面舞踏会の場面。

フェデリゴが、仮面をつけたジュリアーノ・メディチと話をしていると、そこに仮面をかぶった女性が現れます。

ジュリアーノ・メディチは、フィレンツェを支配するメディチ家当主ロレンツォの弟にあたる男です。ロレンツォとともに仮面をつけたまま婚礼会場に現れ、そのまま仮面を取らないでいるわけです。

image

仮面をつけていると、誰からも追われず責任をとる必要がない。勝手気ままでそれはそれでいい。でも、仮面をつけた女を愛することは出来ない。

 

だが、仮面の女性は、それに反駁します。

いや、ひょっとしたら、仮面をつけた男を愛せるかもしれない、と。

 

では、この場でお互い仮面を外して、愛せるかどうか試してみようじゃないか。

で、ジュリアーノと仮面の女性は仮面を外します。

 

仮面の女性はシモネッタ。

image

で、ジュリアーノは負けたという。婚礼の花嫁が自分のことをを愛せるわけないじゃないか、と。

 

ですが、シモネッタは気絶してしまう。

 

シモネッタの名も知れぬ好きな男とはこのジュリアーノ・メディチであったのだから。。

 

思うに少女漫画的な場面と言われるかもしれないです。だれか漫画化すればいいのに。なんて。

でも、ずいぶんと仕掛けのある場面で、一つの「春の戴冠」の中のクライマックスのひとつです。

 

もちろん、史実はそうではないと思いますけれど。

「春の戴冠」のなかのジュリアーノとシモネッタは、芸術的存在に昇華されていて、天使のように描かれています。本当はジュリアーノには隠し子が居て、その子が後に教皇クレメンス七世になる、とか面白い話がたくさんあるんですけれどね。

 

また読まないとなあ、「春の戴冠」。

 

またしばし夢の中でした。

 

それではまたあした戦場でまみえましょう。

Literature,Tsuji Kunio

image

うーん、やっぱり辻邦生は素敵だ。

大河小説「春の戴冠」の中の一節です。

 

「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」
全集138ページ

 

この大河物語のヒロインであるシモネッタが、ヴェスプッチ家へ嫁いだ婚礼の場面で、仮面をかぶったロレンツォ・メディチが歌う歌詞です。

現代日本において、こんな言葉を持ち出すなんて、ほんとうにきれい事なんでしょうけれど、それを忘れてしまったらおしまいだと思いました。

辻邦生が亡くなったときに、盟友の菅野昭正がこう言ったのを思い出しました。

その小説があまりに理想主義的だという人があるとすれば、それは日本の文学に理想主義が薄弱すぎるからである。
(日経新聞 1999年7月31日)

しばしの夢を見た気がします。

明日からまた戦場へ。

Japanese Literature

相変わらずトスカを聴きつつ、新国の次の演目「セヴィリアの理髪師」を聴いたりしています。今週はちょっとしたお祝い事で飲み過ぎました。反省。

最近、読んでいる森有正の「バビロンの流れのほとりにて」。10年ほど前にちくま学芸文庫から出たのを読んでいたんですが、最近また読み始めました。通勤電車で読む森有正はメチャメチャ刺激的です。

1953年に書かれたもの。終戦後8年絶った頃。ということは、感覚としては2005年頃に戦争が終わって、という感じになりますね。そんなときに、パリに渡ってこの思索ですか。天才は凄まじい。

辻邦生の「パリの手記」は明らかにこの「バビロンの流れのほとりにて」を意識しているんだなあ、と思ったり。

読めば読むほど含蓄のある言葉に呻き戦きひれ伏すのでした。

仕事とはいったい誰のためにするのだろう? 仕事自体のため、と答える人もいるし、自分自身のため、という人もある。どちらも決して本当ではない。仕事は心をもって愛し尊敬する人に見せ、よろこんでもらうためだ。それ以外の理由は全部嘘だ 。
70ページ

ここでの「愛し」というのは、神への愛をさしているんですけれどね。ここまで喝破されると、笑うしかありません。あはははは。

巨大な経験の堆積であるヨーロッパ文明というものが、こういう人間経験の無限の循環過程、その複雑な発酵過程だということに思い至った時、僕は何ともいいようのない絶望感に襲われる。歴史とか、伝統とか、古典とかいう言葉の意味が、もう僕にはどうしようもない、内的な重味をもってあらわれてくる 。
152ページ

いや、森先生、あなたがそうおっしゃるのならば、私はどうすればいいのでしょうか、といいたくなります。

文学は真実をまざまざと現前させ、苦痛と快楽を喚起するという感じです

明日から幸いにも三連休。貯まった家での仕事をこなす予定。写真も撮りに行きたいなあ-、などと思っています。

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

トスカ、まだまだ続きます。

そろそろ「理髪師」の予習もしないと行けないのですが。

今日はデイヴィス盤を紹介します。

デイヴィスの指揮はずいぶん好きなんです。「ピーター・グライムス」や「魔笛」に親しんでいました。

デイヴィスの指揮もきりっと引き締まっていて、緊張感が素晴らしいです。テンポコントロールがきまっています。

スカルピアのイングヴァール・ヴィクセルがエラクカッコイイですよ。スウェーデン生まれのバリトンで、昨年亡くなられたようです。鋭利で冷たい刃物のようなスカルピアです。

カレーラスも雄々しく雄叫びをあげます。第二幕でナポレオン軍の勝利に歓喜して絶叫するところは、さすがカレーラス!、と思います。

トスカを歌うモンセラート・カバリエがも豊潤でドラマティックです。

1976年にコヴェントガーデンで録音。

(もう36年も前ですか。。)

  • 指揮:コリン・ディヴィス
  • トスカ:モンセラート・カバリエ
  • カヴァラドッシ:ホセ・カレーラス
  • スカルピア:イングヴァール・ヴィクセル

最近夜更かし気味です。今日もそろそろ眠ります。

では。