私が通っていた中学校の校歌に「弛まず倦まず」という歌詞がありましたが、あれは実に重要な一言でありました。続けた者にしか栄誉は訪れないでしょう。私も弛まず倦まずがんばろう。
というわけで、倦むことなくまたまた、シュナイダー、テオリン、スミスの「トリスタンとイゾルデ」。
この演奏のことばかり書いている気がしますが、本当に飽くことも倦むこともなく、まったく素晴らしい演奏。何が素晴らしいのか?
やっぱりシュナイダーの指揮。オケのサウンドは複雑なレース編みのようにも思えるほどです。縦糸が音のダイナミクスだとすれば、横糸はしなやかなテンポコントロール。オケサウンドは絶妙な柔らかさとしなやかさを持ちながら、ひたひたと溢れるような淡い銀色の液体のように、聴く者を虜にし、聴く者の感涙を誘う。
素晴らしい!
それにしても、テオリン姐さんの歌はすさまじいです。ドイツ語の口蓋音までも聞こえてしまうというパワーです。あともう少しで実演に触れられるとは! 楽しみです。
弛まず倦まず──シュナイダー「トリスタンとイゾルデ」
「恍惚とした感じ」──バーンスタイン「トリスタンとイゾルデ」
通勤時間はサラリーマンに残された最後のリゾートである、という絶妙な文章をどこかの雑誌で読みましたが、どうやらそこにもスマートフォンが侵入し、仕事をやる人が増えてきたらしいです。
幸いなことに、当社は大変革新的な会社ですので、仕事をモバイルでやる、なんていう考えはどこにもございませんゆえ、私のリゾートはまだ守られています。個人的には、飛行機で欧州に行くときの12時間ほど、自由な時間は、この世には存在しない、と思っていますが、通勤時間も往復でたっぷり3時間もありますので、一週間通えば、欧州航路片道分に相当します。通勤時間が長いことは悪いことだけではないようです。
もっとも私の素晴らしい会社は関東地方の端にありますので、電車もバスもなんとか座れるわけで、だからこそこういうことがいえるのだとは思います。今年は異動ないしは会社移転のために私のリゾートも失われる運命にありますがけれど。それだけは残念。
今日のリゾートは、バーンスタインが振る「トリスタンとイゾルデ」です。バーンスタインの指揮はご存知のようにたゆたうテンポで、ゆったりとしています。まるでねっとりとした蜂蜜の中を泳いでいるかのよう。溺れてしまいそう。いっそ、そのまま。
この恍惚感はバーンスタインならでは。もう30年ほど前に、NHKFMで吉田秀和さんが、バーンスタインが振る「田園」を「恍惚とした感じ」と解説していたのを思い出しました。
バーンスタイン、ドイツ統一の時、第九の歌詞を変えた(歓喜freudeを自由freiheitに変えたんですねえ)のには、すこし引きましたが、この数年、いろいろ聞くようになって、いっそう好きになった気がします。もっと聴かないとなあ。
たかまるトリスタンとイゾルデへの期待
1月10日、新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」は千秋楽ですがなんとか無事に劇場へ行くことができそうです。イゾルデにイレーネ・テオリン、ブランゲーネがエレナ・ツィトコーワという垂涎のキャスティングでして、想像するだけでワクワクします。ネット上の「トリスタンとイゾルデ」関連の記事については、申し訳ないのですがブラインドを落として、目に触れないようにしております。どんな舞台なんでしょうか。
こちらの写真は2009年のバイロイト音楽祭で、イゾルデを歌ったテオリン様。指揮者ペーター・シュナイダーで、クルヴェナールはユッカ・ラジライネン。ユッカは、新国の「トリスタン」でもクルヴェナールを歌っています。
明日は、バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」を聴く予定。こちらは、トリスタンがペーター・ホフマン、イゾルデはヒルデガルト・ベーレンスです。
謹賀新年
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年は、聴いて、読んで、書いて、考える一年にしようと思っています。まあ、インプットしないとアウトプットできないし、アウトプットしないと思考もままならないと言うことで。
今年も懲りずに目標を。
- 読書はまた100冊を目指しますが、今年は内容にもこだわっていきたいところ。
- 映画も20本ぐらいは見たいです。少ないですが少しずつ感覚を戻していかないと。
- 音楽も、何か指標を付くってがんばりたいのだが……。
- ブログをはじめとして、今年は書くことを自分に課していきたい。弛まず倦まず。
- プロジェクトT、がんばろう。
今年は、総じて昨年より良い年になりそうな予感。いや、良い年にする。受け身ではいかんぜよ。
この年始休暇はNHK-FMを聴いておりました。今朝はリヒターの特集を諸石幸生さんの解説で。リヒターの指揮によるブランデンブルク協奏曲は、あまりにフィットしちゃって、なんだかもう全く違和感がない。この録音は、わたくしのiPodに数年前から入っていて、折に触れて聴いておりましたので、もうまったくデフォルト化してしまっています。安心感。だが、おそらくは、芸術のもう一つの方向として、驚愕とか苦痛というものもあるはず。そこを咀嚼するのが難しい。矛盾と区別こそが物事の意味を生成するのであるから。
ことしのまとめ
さて、2010年も今日で終わり。全般的に良い年ではありましたが、まだまだがんばれるはず。来年ももっとがんばろう。
毎年恒例の目標総決算を。
* 仕事頑張ろう。⇒ まあまあかな。
* 本百冊を目指しましょう。⇒ 達成した。これはうれしい。
* プロジェクトFFB ⇒ 未達成。。。
* プロジェクトT ⇒ 達成に近づいたが、まだまだである。
* ブログの更新回数 ⇒ 未達成。残念である。
* 体重減らそう。 ⇒ 未達成。体重は減ったがそれは筋肉が減ったから。残念。
* ジムに毎週行こう ⇒ 7月までは達成、8,9,10月未達成。11月、12月は達成。
* 風邪引かないように。⇒ 風邪は引いたが生活に支障なし。ゆえに達成。
まあ、100冊本は読みましたが、もう少しまじめな本も読みたいなあ、と思いました。来年も100冊がんばろう。大事なのは冊数じゃないんですけどね。
NHK音楽祭ハイライトをNHK-FMでやっていたので、ヤルヴィの運命を聞きました。テレビとビデオでも観たのでこれで三回目。テレビのハイライトでは、都倉俊一と緒川たまきが、ヤルヴィの斬新な指揮に冷たい炎を燃やしてたのが印象的。怖いですねえ。
ドイツ統一戦争── ビスマルクの思い出
あと4回寝るとお正月らしいです。いつものように「もう正月! 早いねえー」などという感想には飽きましたが、最近はむしろ、自分よりひとまわり若い人が「最近時間がたつのがはやくてはやくて驚いてます」と言っているのを聴くときのほうがショックを覚えます。まったく。
!http://lh4.ggpht.com/_iAlI3j9lUJw/TRnlMajhpkI/AAAAAAAAEyo/7F6teZS-nnI/s400/IMG_0485.JPG!
最初のドイツ統一の立役者の一人であるビスマルクの銅像。1999年にベルリンにて撮影。当時はまだドイツマルク時代。景気も今より悪くはなくて、まだ希望があった時代。
「ドイツ統一戦争」と題された、教育社歴史新書を読みました。この本、高校時代に読んでいたはずですが、今一度読み直すと、ものすごく興味深くて仕方がありません。高校時代、世界史の授業で、ドイツ統一のくだりを聞いたときの感動は忘れられなくて、世界史の先生に紹介してもらったのがこの本でした。ビスマルクの鉄血政策がテスト問題に出題されて、先生と少し議論したような思い出もあります。
今回読んでみて、なんとも一番興味深かったのは、戦前日本との類似点が多いこと。日本ですと、統帥権干犯問題というのがありましたが、ドイツ(プロイセン)でも同じ問題があったらしい。なおかつ興味深いのは陸軍大臣の立場で、日本においても陸軍が内閣に不賛意だった場合、陸軍大臣を引き上げる、ということをやって、内閣をつぶしたりしていましたが、ドイツ(プロイセン)においても陸軍大臣は議会と軍部の狭間にあって、極めて不安定な立場だったようです。
ドイツ的という言葉は、極めて多義的で、イギリス的とかフランス的という言葉よりも含意を多く含むものです。ドイツ統一に向けて形成されたドイツ的なものとは、プロイセン的な保守主義、反動主義、貴族主義であって、今我々が思うドイツ的とは少し齟齬があります。ですが、これもやはりドイツの一部でありますから、無視しては通れないところです。
ちなみにビスマルクは1815年の生まれで、ワーグナーは1813年の生まれ。両人とも、19世紀後半に、ドイツを高みに押し上げたのですが、両人の延長線上にナチズムが垣間見えるというのは、なんとも複雑な気分です。
そういえば、高校のころ、「小沢一郎はビスマルク的である」という言説を聞いて、なるほど! と得心した覚えがあります。
さかなクンおめでとう!──ラトルの「歓喜の歌」
だいぶ周回遅れとなったけれど、いい話だったのでエントリー。
22日に行われた天皇誕生日にあたっての記者会見の中で、クニマス再発見について、天皇陛下からのお言葉になんとさかなクンの名前が。これは、天地がひっくり返ったような気分でした。
“朝日新聞の記事":http://www.asahi.com/national/update/1224/TKY201012240087.html
“さかなクン記者会見(NHKかぶんブログ)":http://www.nhk.or.jp/kabun-blog/100/68347.html
クニマス再発見の立役者は、各種ニュースでは「京都大学中坊教授の研究グループ」と伝えられることがおおくて、さかなクンの果たした役割について詳細に言及する例は少なかった。
NHKのニュースでは、最初からさかなクンが登場していたので、少なくない人がさかなクンの関与は知っていたはずなのですが。さかなクンの果たした役割は少なくないのに、やっぱり世の注目は結局学者に向いてしまうのだなあ、と少々残念な気分でいたのです。もちろん、中坊教授の果たした役割も極めて大きいと思いますけれど。
さかなクンは、折り紙付きの魚類マニアではあったけれど、硬い学界と体び越して、日本のメインストリームから承認された瞬間が、あの記者会見であったはず。拍手喝采。
たとえ、在野であったとしても、厳しい努力をたゆむことなくすすめ、内にこもることなく人と交わり、発信を続けていれば、世に認められることもあるという証左。さかなクンの謙虚で屈託のない人柄によるところも大きいはず。だからこそ、極めて希なケースだし、さかなクンだからこそ出来たことなのだろうけれど。
おめでとう、さかなクン! 私もすごくうれしいのです。いろんな人が勇気をもらったと思いますので。
そして私は予言したい。次の園遊会にはさかなクンが呼ばれるだろう、と。
というわけで、今日も歓喜とともに第九を聞きましょう。ラトル&VPO。チェリビダッケを聞いたときほどの驚きは感じないけれど、ラトルらしいアーティキュレーションへの工夫や、ダイナミクスは健在です。ウィーンフィルの音は幾分か柔らかくて安心できます。ただ、チェリビダッケ&ミュンヘンフィルのような激しい驚きはない。ということは、ラトルの演奏は私にとってデフォルトに近づいているのか。
気がつけばクリスマスになっていましたが、平生とかわらぬ生活を送る一日で、午前中は目白へ向かい、午後は地元にとって返し図書館にて書きもの。これからヨガに行く予定です。
チェリビダッケの第九を聞いてみる。
いやあ、久々にチェリビダッケで感動。
最近、つとめて第九を聞くようにしているのですが、久々にチェリビダッケらしい演奏で感動しました。10年ぐらい前に発売されたチェリビダッケボックスから第九をば。
テンポの緩やかさは相変わらずですが、それが巧い具合にフィットしていて、たゆたう感じがすごく良いのです。特に第三楽章は本当に素晴らしい。白磁か青磁を思わせる端正で静謐な世界です。会社帰りに聞いていたんですが、結構癒されました。
この感じで田園をふるとどうなるんだろう。早速聴いてみたいと思います。
いよいよ年の瀬ですが、なんだか仕事はやまほどある。公私にわたって。だが、やることが多いと言うことは幸せでもある。くじけずこつこつがんばろう、
アバウト・ア・ボーイ(2002)
前々から、見たい見たい、と思っていた、ヒュー・グラント主演の「アバウト・ア・ボーイ」をやっと見られました。これは、カミさんの飽くなき執念によるもの。
おかげで、100分という短い時間でしたが、しばし現実を忘れておりました。
goo映画による情報はこちら。
“http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD2117/index.html":http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD2117/index.html
主人公のウィル、この人は完全にあっちの世界の人。印税ぐらしで、働くことなくロンドン中央に居を構え、しゃれたデザインの家具に囲まれて暮らしている。で、孤独暮らしを楽しみながら、恋愛を求めてさすらっている。って、こういう生き方って、怠け者の諸氏にとっては、極めて理想なんじゃないか。私も少しあこがれる。
だが、出会った女性に、「あなたはブランク(=もぬけのから、虚無)なのよ」って言われるあたりも、また的を得ている。苦労なく遊び暮らす男はやっぱり女性から見てもかっこわるいらしい。無職の男に近寄るまともな女性はよもやおるまいて。
だが、私は思った。この境遇なら、もっと高飛車で、人に気を遣うこともなく、わがまま身勝手に闊歩しているに違いないのである。高級車を乗り回し、札束でパタパタ扇ぎながら、夜の女を侍らせ、ワインやらシャンパンやらをくらっていてもおかしくない。
ウィルは違う。もう一人の主人公である中学生?ぐらいのマーカスに親身に接したり、マーカスの最大のピンチで助け船を出してあげたりする。わりに普通の常識を持っているらしい。そういう意味では、ウィルは自律できるペルソナであるようだ。わりとまともな教育を受けていた、と言うことなんだろうか。
マーカスというのは、鬱病の母親をかかえるいじらしい男の子なんだが、物語の最終部で、このマーカスのピンチに、ウィルが助け船を出してあげるシーン、あれはちと感動的で、老体にはこたえました。敵が味方になる瞬間というのは、あらゆる物語において感動と高揚をもたらすものなのです。
やはり、映画はためになる。読書で一〇〇冊は(内容はともかく)目標達成できそうなので、来年は映画を見る本数も目標に入れてみようか、と思案中です。
つれづれ
!http://lh6.ggpht.com/_iAlI3j9lUJw/TQ3rRPDgO0I/AAAAAAAAExA/UpJm0UDjM2o/s400/_MG_8306.jpg!
広島空港近くの三景園にて。絞りを開けすぎたのかもしれない。だが、デジタル一眼ならではの写真かも。絞りをあけて背景をぼかすというテクはあまりに常識だが、初めて実践したときの感動は今でも忘れられない。
さて、年末を控えて、忙しさも増しています。でも、忙しさを外に出すことほどみっともないことはないんだそうです。これ、学生の頃から漠然と思っていたんだが、最近つとにそう思う。せせこましくてけちけちしたうつせみにあっては、なおさら、気をつけないと、と思うようになりました。
それから、知人によれば、アメリカだと、急いでいる姿をみせるということは、実にみっともないことらしい。気をつけないと。
今年は、いろんな意味で多くを学んだ一年間で、有意義でした。そういう意味では良い一年だったはず。来年は、結果がでるともっと良いですなあ。