Miscellaneous

ふふふふ。がんばれ。神様は気まぐれで残酷だ。。。
さて、壊れかけていますが、元気です。なんだか最近宵っ張りですが。
新国から会報誌が送られてきました。「トリスタンとイゾルデ」のオペラトークがあるのですが、平日(木曜日)の19時からですって。。。 仕事的に絶対に行けない日程です。で、悔しいことに、大野和士さんが登場されるとのこと。うー、はやく職場が都心に引っ越さないかしら。。 あと一年の辛抱です。
今日はドホナーニ指揮の「ばらの騎士」。マルシャリンはヤノヴィッツ。ちと音質が残念なので、聞き込みが足りないです。まだまだ聴いていない音源がたくさんですが、地道にがんばろう。
明日はオフ。明後日は所用。次のオペラはアンドレア・シェニエ。今週末は、プッチーニ「つばめ」の放送が “WFMT":http://www.wfmt.com/main.taf?erube_fh=wttw&wttw.submit.EpisodeDetail=1&wttw.EpisodeID=21528&wttw.Channel=WFMT であります。 

NNTT:新国立劇場,Opera

ふう、やることたくさん。頑張ればどうこうと言う問題でもないからなあ。
さて、めげずに音楽聞いています。帰りがけの電車の中で、たまたまiPodの中の映像を見ていたのですが、シュナイダー&テオリンの「トリスタンとイゾルデ」の映像が出てきました。
!http://lh4.ggpht.com/_iAlI3j9lUJw/So_Frj7-5jI/AAAAAAAACgo/a8BOIBN_0-M/s400/WS000263.JPG!
どうということはないシーンのはずなのに、落涙。最近、涙もろいなあ。齢のせいか、疲れているのか。
しかし、前に書いたように、やっとオペラに感動できる体に戻ってきたというところなのです。良い兆候だ!
つい先日、新国立劇場からアンケート依頼が届きました。「より充実したサービスを手今日するとともに、さらに満足できるような劇場運営のあり方の指針とすることを目的」とするものだそうです。
というわけで、いろいろ書いてみました。ここではすべては書きませんが、設問の一つにあった「オペラファンの裾野を広げるとしたらどういうアイディアがあるか?」というもの。
これは難しいなあ。
ファンが増えたら、ますますチケット取りにくくなっちまうじゃないか。。。
なーんて。
でも、裾野を広げるにしても、間口はきわめて狭いから、なかなか容易なことではないはず。劇団四季みたいに、戦略的に広告出したり、露出を増やしたり、芸能界とタイアップしてイメージアップする、とかかなあ。嵐のメンバーから一人ぐらい、全公演招待するとか。オペラ以外の目的で集客できるかも。で、そのうち何人かにオペラに興味持ってもらうとか。
まあ、前提もなにもないなかだと戯言になりますね。
でも、本当に裾野を広げないと、予算も削られるだろうし、経営も圧迫されてくるはずで、下手をすればこの間まであった「自主公演停止」なんてことになりかねない。今が踏ん張りどころで、みんな必死なんだと思う。
いろいろ思うところはあるけれど、もっとまじめに考えて回答してみようと思います。

NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart


指揮者のミヒャエル・ギュットラーは長身のイケメン王子様という感じ。オケが小さいので、ピットの床が高く設定されているからというのもあるのですが、かなり目立って見えました。
ギュットラーは、ドレスデン生まれの若き指揮者ですが、なかなか難しく味のあることをしてくれています。序曲はかなりの高速で、今日は、このテンポでやるのか。なかなかスタイリッシュで、若々しい演奏になりそうだな、と予想していたのですが、そのうちに、すさまじいほどの緩急のメリハリをつけ始めて、一筋縄ではいかないところを見せてくれました。
ともすれば、テンポの処理がすこし激しくて、歌手もオケモうまく追随出来ず、ハーモニーが一瞬崩れる場面もあって、ハラハラしたり。ケルビーノのアリアも、相当テンポ落としていました。ちょっと歌いにくそうな感じ。
実は似たような経験をしたことがあります。実は、2003年にウィーンで「フィガロの結婚」を聴いていますが、そのときの指揮は小澤征爾で、ケルビーノはアンゲリカ・キルヒシュラーガー。あのときも指揮と歌がかみ合わず、ハラハラしたんですが、またも同じ経験をしてしまいました。
あそこはやっぱり難しいのですかね。
やはり、いろいろな指揮を聴くと勉強になります。先日のウルフ・シルマーが素晴らしかっただけになおさら。羨ましいことにまだまだ若い方ですので。がんばってほしいです!
オケは、先日の「アラベラ」を見た直後とあって、編成の小ささが奇異に感じるほどでした。先に触れたとおり、ピットの床はグッとあげられていて、コントラバスのネックがすごく高く感じました。
これで、フィガロの結婚の話は一段落です。次は11月の「アンドレア・シェニエ」。このオペラ、プチ-二的絢爛な音楽で魅了されています。予習がんばらないと。

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昨日の公演ですごいハプニングを目撃しました。冷や汗。。
ケルビーノがバルコニーから庭に飛び降りて逃げるシーン。
ケルビーノのポケットには、軍隊の辞令が入っていて、飛び降りた先の庭で落としてしまい、庭師に拾われてしまうという設定なのですが、なんと、飛び降りる直前に、舞台に辞令と思われる冊子を落としてしまったのです! 
あっ、と思っていたら、スザンナを歌ったエレナ・ゴルシュノヴァがさっと拾って、そのままタンスの中に隠れたんですね。
ところが、あとではしごを伝って登ってくる庭師は、ケルビーノの辞令をなぜかちゃんと持っていて、伯爵に差し出していました。あれは予備ですね。
3月の「神々の黄昏」でも、指環がなくなってしまうハプニングがあったそうですが、あのときも舞台裏では大騒ぎで、なんとか予備の指環で凌いだのだそうです。
今回も、舞台の方は肝を冷やしたと思います。でも、これぞ生の舞台のよさなのでしょう。
あすは、指揮について。あえて時間をおいてます。

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行って参りました。今シーズン第二作目の「フィガロの結婚」
このプロダクションは、2003年がプレミエでした。あのときもやはり芸術監督が交代した時期でした。先々代の芸術監督であるノヴォラツスキー最初のプロダクションと言うことで、アンドレアス・ホモキの演出にウルフ・シルマーの指揮という陣容。スザンナは中嶋彰子さんでしたねえ。2007年にも上演しているようですが、私は7年ぶりでした。
2003年の「フィガロの結婚」で忘れられないのが、ケルビーノを歌ったエレナ・ツィトコーワでした。度肝を抜かれましたよ、あのときは。深みのあるメゾで、グッと来まして、この方はすごい! と直観しました。その後、新国には「コジ」(これは聴いていません)、「ばらの騎士」でオクタヴィアン、「ラインの黄金」&「ワルキューレ」でフリッカ、と何度かお目にかかりましたが、やはり2007年のオクタヴィアンは、忘れようにも忘れられません。
それで、今回のケルビーノは、ミヒャエラ・ゼーリンガー。今回も度肝を抜かれましたよ。この方はすごい。ツィトコーワと同じく深い色調のメゾ。文字通りしびれました。演技も巧いし、カッコイイし、言うことないです。案の定、レパートリーはズボン役のオクタヴィアン、作曲家(ナクソス島のアリアドネ)、オルロフスキーときますから。私はこの方のオクタヴィアンを是非にも聴きたい!
別に私がどうこうというわけではないですが、2003年に有名になる前のガランチャを新国で見て、この方は絶対にあがってくる、と思っていたら、本当にスターになってしまいましたからね。ゼーリンガーさんもそうなると良いなあ。
素晴らしかったのは、伯爵夫人を歌ったミルト・パパタナシュ。ギリシア生まれのソプラノで、お美しいだけではなく、堂々とした演技にふさわしい気品のある見事な歌で感動しました。第二幕冒頭のアリアではもううっとりするばかり。気になったのは、後にも触れますが、すごく微妙なアーティキュレーションかなあ。すごく注意しないと分かりませんでしたが。これには別の原因も絡んでくるはずです。
あとは、フィガロを歌ったアレクサンダー・ヴィノグラードフ。エッジの際だつ艶やかなバリトンでした。さすがヨーロッパ人の持つアドヴァンテージ。体格も立派。かなわないなあ。
明日に続きます。

Opera,Richard Strauss

アラベラを観たあと、もっとも理不尽さを感じるのは、この喜劇で一番得をしたのがヴァルトナー伯爵であるということ。
おそらくは借財をマンドリカに返済させることができ、カード賭博の資金をも無心し続けるに違いない。
ヴァルトナー伯爵はこれからどうなるんだろう? 
マンドリカは森を売って、結婚費用に充当しようとしたけれど、きっとヴァルトナー伯爵の無限大の無心は、半永久的にマンドリカに向けられるでしょう。マンドリカは単なる地主ですから、いつまでも土地を切り売りするわけには行かないのです。いやいや、もしかしたらヴァルトナーはマンドリカの領地をも賭けの対象にしてしまうかもしれない。あんなに請求書が来て、裁判に訴えられようとしているというのに、懲りずにカードにのめりこむのは現代社会においては完全に病気。
なにはともあれ、マンドリカとアラベラの幸せの前提はヴァルトナー伯爵の更正か、あるいは腕前を上げていただくかか、のいずれかにかかっているといえましょう。
っつうか、娘の幸せを壊すんじゃない! ズデンカだって女の子なんだから! ⇒ ヴァルトナー
※  “アラベラ":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9_%28%E5%B0%8F%E6%83%91%E6%98%9F%29 っていう小惑星があるらしい。
 

Opera,Richard Strauss

アラベラの物語は、スルりと入ってくるようなものではありません。なにか、居心地の悪さを感じます。音楽は完璧に状況を描写していて感動するのですが、状況をよくよく考えると、不思議なことがたくさんありすぎます。
まずはマッテオ。
わかりやすいティピカルな男。
アラベラこのことが大好きなんだが、完全に一方通行で、ズデンカが作った、アラベラの手紙で妄想たくましくしている。これ以上望みがなければ、ガリツィア最前線に出るか、ピストル自殺を企てている。おめでたいロマンチスト。おそらくは、体面を気にする男なんだろうなあ。アラベラも一種のステータスシンボルなはず。
でも、ズデンカが男装しているのを見破れない。ところが、ズデンカが女性だと分かるとやいなや、我が友、我が恋人、我が天使と持ち上げる。結局、アラベラへの恋慕の念なんてたいしたことないのだ。アラベラの姿に似ていて、容易に手に入れられるズデンカにひょいと乗り換えたということなのか。。。
やばい。毒舌過ぎる。
ちなみに、この居心地の悪さ、後ろになにか大切なことが隠されている気がしていて、必死に掘り起こそうとしているのです。がゆえの悪あがき。私は、ホフマンスタールもシュトラウスも尊敬しています。この居心地の悪さこそが、彼らの企みではないかと思うのです。
ちなみに、マッテオが絶望して志願を口走るガリツィアは、今で言うとウクライナの西部地方で、ポーランド分割の際にオーストリアが手に入れた土地で、1860年代にガリツィアでは叛乱が起きていたようです。
“http://en.wikipedia.org/wiki/Galicia_%28Eastern_Europe%29":http://en.wikipedia.org/wiki/Galicia_%28Eastern_Europe%29
次は、この喜劇の中で最も得をした夫婦である、ヴァルトナー夫妻について。

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しかし、アラベラとマンドリカのカップル。いったいこの後どうなるんだろう、と気になって気になって仕方がありません。
あんなにマッチョで嫉妬深くプライドの高いマンドリカと、やはりプライドがあるけれど、気まぐれで、夢見心地なアラベラの結婚生活が、穏やかなものであるとは思えません。見ていて、そこがすごく気になります。
アラベラとマンドリカがおかれた歴史的背景を考えてみましょう。シュトラウスの設定では1860年ごろですので、第一次大戦とオーストリア帝国の滅亡を見たか見ないかごろに二人とも天寿を全うするでしょう。いや、アラベラは1920年ごろまで存命だったかもしれません。
ただし、ですよ。今回の演出の時代設定は1930年ごろです。ということは、ナチスがドイツの政権を握り、第二次大戦では、クロアチアやスロヴェニアはパルチザンとドイツ軍の熾烈な戦いが起こり、その後は社会主義化されてしまうわけです。当然マンドリカの土地は収奪されるでしょう。極めて過酷が運命が待ち受けているに違いありません。それを思うと切ないなあ。
さて、今回の演出では、マンドリカの領地の地図を従者が見せる場面がありました。あれ、トウキョーリングで、登場した地図にそっくりだったと思いませんか? わたしは、双眼鏡で必死に字を読みました。そこに、ギービヒの領地とか書いてないかな、と。でも、そんなことは書いておらず。
なんともかんとも、心配になる二人の行く末なのでありました。
まだ続きます。妄想と深読みのシリーズ。

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昨日の「アラベラ」公演行ってきました。
オペラで泣いたのはいつぶりだろう? 今年の4月、「神々の黄昏」@新国で泣いて、4月の「パルジファル」@上野で、号泣して。その後、なんだか気が抜けてしまった感じでした。今年の3月は、「カプリッチョ」の最終部分、聴くだけで泣いてしまうぐらいだったのですが。4月の後半以降は、本当にアンテナの感度が弱まってしまって、何を聴いてもなんだか白々しく聞こえてしまうような感じで、本当に危機的な状況だったのですよ……。やっぱり、「影のない女」@新国のショックが大きかったんだろうなあ。
それでもなんとか、いろいろ聴いていたんですが、どうにもこうにも、というところ。
で、やっとその呪縛から解放されました。
昨月、オペラトークでも、解説の田辺秀樹氏が、シュトラウスの和音をポロロン、と弾いたところで、思わず涙ぐんでいましたので、そろそろ感動できるかな、と思っていたんですが、やっぱり大丈夫でした。
リヒャルト・シュトラウス万歳!
第一幕、ブルーの色調のホテルの部屋で、まあ、占い師とアデライデが出てきて、ズデンカなんかと、会話するあたりから、なんとなく緊張してみていたのですが、アラベラのミヒャエラ・カウネが登場して、歌い出した途端に、腹筋のあたりがグッときて、落涙してしまいました。カウネの歌声、それはもうシュトラウスの数ある女主人公にぴったりな声でして、この方の元帥夫人や伯爵夫人マドレーヌを聴いてみたいと思うのでした。ズデンカのラスムッセンは、少し声量に物足りなさを感じたんですが、ピッチはよくて、なかなか良い感じ。第一幕の二重唱は素晴らしかったですよ。もっと泣けたのは、第一幕の最後のほうでアラベラがなんとも苦悩する場面。ここでの指揮者ウルフ・シルマーの牽引力は素晴らしかった。カウネとシルマーでグイグイと高みへと昇って行くのを目の当たりにして、もう感動せずには居られない。ここでも激しく落涙。すごいですよ、まったく。シルマーもカウネもすごいんだが、やっぱり一番すごいのはシュトラウスのオーケストレーションだと思うのです。
そうそう、マンドリカを歌ったトーマス・ヨハネス・マイヤーは、昨年の「ヴォツェック」でタイトルロールを歌った方。ヴォツェックはかなりの素晴らしさで、度肝を抜かれましたが、今年のマイヤーも、マンドリカのマッチョですこしチャラい感じをよく出していました。ピッチも声質も申し分ないと思うのですが、ただ声量がちょっと、というところもありました。これは、シルマーのオケのコントロールの問題なのか、マイヤーの声量自体の問題なのか、PAの調整によるところなのかは不明。でも、それもこれも許せる。
マイヤーのマンドリカ、かなりの不良貴族ぶりで、私は首肯できたのですが、かなり際どい線を行っていましたので、気に入らない方もいるんだろうなあ、と思いました。だって、金のネックレスまでしているんですから。それから、妻屋さんのヴァルトナー伯爵の演技も、気にする人はいただろうなあ。かなりコミカル過ぎる演技でしたので。これについても私は首肯できます。とても楽しめました。ああいうセンス、妻屋さんは日本人のなかでも上を行っていると思います。もちろん、本場の欧州人の洒脱さには我々日本人はかなわないのでしょうけれど。
そういえば、マイヤーも妻屋さんも、昨年の「ヴォツェック」で協演しているんですよね。妻屋さんの医師役もコミカルだったなあ。妻屋さんって、すごく面白い方なのかしら。いやいや、舞台でコミカルな人って、意外と気むずかしかったりするもんですので、分からないなあ。でも興味ある。だって、妻屋さんがいなければ新国は成り立たないのでは、と思うぐらい、新国に出演しておられるのですから。
少し話を戻して、ミヒャエラ・カウラー。オペラトークで、田辺秀樹さんが「今回のアラベラは美人だ! 期待してください!」と言っておられましたが、確かにお美しい方。でもって、すごく大柄です。声は深みも持ち合わせるけれど、なおもまた若々しさ、瑞々しさのようなものも持っておられる。少し気になったのは、中高音近辺で、ビブラートに入るタイミングが少し遅いのでは、と思ったことぐらい。あとは、演技も良かったですよ。アラベラの気まぐれでまだ、娘娘している感じをよく出していたと思います。
ああ、あとは、衣装。面白いなあ、と思う反面、あれれ、と感じるところもありました。マンドリカの衣装は、完全に首肯しますが(好き嫌いあると思いますが)、アラベラの衣装は、ちょっといろんな意味で面白かったです。
明日は、深読みと妄想シリーズです。

Opera,Richard Strauss

ふふ。がんばれ。
さて、いよいよ11日は「アラベラ」ですが、どうにもこうにも。また仕事入るかもしれないし。困ったなあ。今日は最後の予習ということで、カイルベルト盤をば。前にも少し書きましたが、少しく録音に引き締まりがないのは時代が時代ゆえに致し方がないとして、やっぱり、良いですなあ。第一幕からしてぐんぐんと引き込まれます。なにげに、脇役のエレメールが歌うあたり、実は好きだったりして。
とある、偉大な先生のツィッターで、今回の新国のアラベラは、カットがない、と言っておられるのを読みました。さすが学者ともなると、そこまでスコアを読んで音楽を把握しているのかあ、というところ。僕にはそこまではできんなあ。せいぜい何度も聴いて記憶するぐらいで、100%覚えているわけではないし、総譜も読めぬゆえ。譜面もあやしい。えーっと、学生時代しごかれましたが。
今日はあいにくの天気。明日の福岡はどうかなあ?