Miscellaneous

20061206161000
今日の夕暮れはなんと美しいのでしょうか……。まるで晩秋のそれのようです。暦は冬ですが、太陽がわすれものを取りに来た戻って来たようです。

Tsuji Kunio

旧Museum::Shushiの記事から。

このWeblogは幾つか意図があってはじめたのだが、そのひとつが、辻邦生についての自分の考えをまとめる場にしてみたい、という点。「辻邦生」なんて、書くのはあまりに恐れ多い。辻先生と書くことにしよう。何も媚を売るわけではなく、純粋な尊敬の念から、そう書きたいのだ。

いつも迷っていた、辻邦生さんのことを文中で書くときのこと。かつてのブログにその解答が載っていました。移行後も、辻邦生さんのことは「辻先生」という表記にしようと思います。

Tsuji Kunio

安土往還記 安土往還記
辻 邦生 (1972/04)
新潮社

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戦国の英雄、織田信長を描いているのですが、単なる信長公記の焼き直しではありません。語り手の南蛮人が、織田信長の天下統一事業を高い次元のイデアを目指すものとして語りつづっているのです。信長はシニョーレという代名詞で語られます。信長の天下統一事業は、生半可なものではありませんでした。よく知られているように比叡山の焼き討ちや、謀反人への容赦ない処罰など、半ば神がかったものでした。天皇の権威をも揺るがそうとする勢いは、日本という国の意義自体をも揺るがすものだったといいます。語り手はそうした事績を非日本人としての客観的まなざしで語り続けます。最後に信長が安土城で催す松明行列のシーンが圧巻です。その後訪れることになる本能寺の変のことを我々が知っているだけに、その圧巻な催しに寂寥感を覚えざるを得ないのです。
辻文学においては、高い理想を掲げ目指すのだが、現実との軋轢により挫折せざるを得ない、という構造を多く見ることができます。「春の戴冠」においては、サヴォナローラ事件がそうですし、「ある生涯の七つの場所」では、スペイン内戦の人民戦線がそれに当たります。「背教者ユリアヌス」でも、ユリアヌスは遠征先の砂漠で斃れることになります。「安土往還記」においてもやはりそうした構造に基づいていると言えるでしょう。こうした一連の物語は、現実社会においても、性急な改革を戒め、地に足をつけたゆっくりした着実な改革が大事なのだ、ということを語っているように思えてならないのです。

Tsuji Kunio

「クロード・ジャド」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2006年12月3日 (日) 05:03
フランスの女優、クロード・ジャドさんが亡くなりました。この方は、辻邦生原作の映画「北の岬」に出演されていました。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<古い日時計:黄色い場所からの挿話 XI>「夏の海の色」

鎧戸の透き間に太陽が金色の尾羽を並べたように反射していた。涼しい室内はその反射光で明るみ、別途に向こうむきに寝ているエマニュエルの浅黒く日焼けした肩の丸味がほの白く光っていた。

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、205頁

むう。もうこの冒頭分だけで参ってしまう。

鶏が庭土をつつきながら野菜畑の方へ歩いていた。真夏の昼下がりの光がポプラにも草地にも野菜畑にも納屋の屋根にもまぶしく降り注いでいたが、鶏のク、クと鳴く声と納屋の前に飛ぶ蠅や羽虫のうなりを覗くと、すべてが森閑と静まりかえっていた。

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、205頁

午睡の習慣がある南欧の厳しい夏の風景。静謐で美しくまるでセザンヌの絵のようです。

「さっき教会の前で日時計を観ていたんだよ。横の庭においてある……」

「ええ、知っているわ」

「あれを見ていたらね、時間が、太陽の動きと一つになって、ゆっくり動いていて、決して流れ去らず、また明日になると、太陽とともに、時間がやってくる──そんな気持ちになったんだ。時間は無邪気な子供みたいに日時計の石の文字盤の上に戯れていて決して無くなることはない。いつもゆったりしていて、明日も同じように、そこに、たっぷりと姿を現す……

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、207頁

スピードと効率性を重視する現代社会において、日時計などというものは無用のものかもしれないのですが、日時計に着目することで、かつて時計を知らなかった時代にわれわれがもっていた「時間」への郷愁が浮き彫りになってくるのでした。

これ以降あらすじです


あらすじ

エマニュエルと「私」は南仏の小さな村にいる。午睡をする二人。翌日近くの街の古代ローマ遺跡を見学するのだが、その帰りにブリネ神父と出会う。どうやらこの町はエマニュエルが幼い頃両親と離れて育った街で、エマニュエルは両親に愛されていなかったためこの街に預けられたのだとおもっていたのだが、父親の日記を読むことでそれが違っていたことがわかったのだ。こうしてエマニュエルは再びこの村に戻ってきて思い出を確かめようとしているのだった。ブリネ神父はエマニュエルの両親のこともエマニュエルのこともよく知っていて、二人が愛し合っていたこと、エマニュエルを愛していたことをエマニュエルに語る。

二人が泊まっているマルタン老人の家に戻ると、老人は検問があっただろう、と言う。どうやら二人が古代ローマ遺跡を見学した町で殺人事件があったらしい。男が妻の前の亭主を殺害したというのだ。男は単独で逃走しており、妻はそのまま残ったのだという。二人はどうして単独で逃走したのか、愛し合っているのならば二人で逃走するべきではないか、と話をする。「私」は男が女のために人殺しまですることが非現実におもえるというのだが……

「そうかしら」エマニュエルは眼を細めて、丘の上のポプラを眺めた。「私は反対のような気がするわ。人間が誰かを殺したくなるほど、純粋に憎めるのは、名誉心からでも物欲からでもなく、やはり愛からだと思うわ」

「嫉妬からということもある」

「それだって愛があるから起こるのよ」

「もちろんそうだけれど」私はエマニュエルの表情が複雑に動くのを見て言った。「愛にしろ何にしろ、現代人は誰もそんなものを信じようとしないからね。そんなものを信じた貌に出会うと、急に鼻白じんだ表情をする」

「現代人の虚栄心ということもあるわ」

「そうだね。そういう面は確かにある」
「追いつめられた人の眼で見れば、多少、違ってくると思うわ」
「しかし現代人は追いつめられた人間を笑おうとしているのじゃないかな」
「それはまだ自分も追い詰められていることに気がついていないからよ」
「何に追い詰められているんだろう?」
「この世に投げ出されているという事実よ」
「ばかに哲学的なんだね」
(中略)
「でも、それから目をそらすわけに行かないわ」
「僕も同意見だよ」
「そうだと思っていたわ」
「どうして?」
「そこから私たちがはじまっているからよ」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、214頁

ブリネ神父を尋ねる二人。エマニュエルの昔のことを話そうというのだ。ブリネ神父は日時計についてこう語る。

「日時計は私たち人間の全生活が昼と夜、天候、季節と深く結びついていたことの証であり、その名残です」神父は二重顎をひくようにして言った。「私たちは昼と夜が指し示す通りの生活をしました。朝早く目覚め、昼は働き、夜は休みました。夜働くものはなく、昼、光のない地下街であたら区などということもありませんでした。雪の日、風の日、私たちは厚い壁の中で、それに耐えました。雷鳴に怯え、雪の日には、暖炉の火が、おいしいご馳走と同じでした。日時計の時代は、人間の愛も豊かでした。それは家族や村の人々と結びついて感じられていたからです。切り離された現代の愛は、孤独です。ちょうど現代の都会生活に季節が無く、昼も夜もないように」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、215頁

ブリネ神父によれば、エマニュエルの母はシリアの考古学を専門にしていて、エマニュエルが生まれると、シリアから戻りたい、自分の仕事を辞めたいといったのだそうだ。エマニュエルの父もおなじくエマニュエルが生まれることを望んでいたが、結果としてエマニュエルの母がエマニュエルの誕生のために自分の仕事を捨ててしまうのではないか、と考えていたのだ。父は、『もしお前がエマニュエルのために、今仕事を打ち切ったら、お前は、後になってこの子を憎むようになるよ』といって、この村に預けることにしたのだという。
辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、218頁

ブリネ神父の家を後にするとき、検問のことをブリネ神父に尋ねる。少し考え込む風なブリネ神父の表情。

その後、殺人犯の男が逮捕されたというニュースを知る。ブリネ神父にそのことを言うと、神父の顔は妙に歪んだ感じで、落ち着きがなかった。

あとから考えてみると、どうやらブリネ神父が男を逃がしたのではないか、と二人は考えるようになる。どうしてなのか、と思いを巡らせる二人。

「ブリネ神父はあの男が逃げることを望んでいたね」
「さ、それはわからないけれど」私はエマニュエルの横顔を見て言った。「なにか日時計の持っているものと似たものが、あの男の殺人の中にあったのかもしれない」
「どういう意味?」
エマニュエルは前を見たまま言った。
「つまり季節や天候や人間の群れと固く結びついた何か──見えない掟のような何か──そんなものがあったんじゃないかな」
エマニュエルは黙って、頭を横に振った」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、222頁

Opera

ロッシーニ:セビリャの理髪師 ロッシーニ:セビリャの理髪師
アンブロジアン・オペラ・コーラス、アンプロジアン・オペラ・コーラス 他 (1998/05/13)
ユニバーサルクラシック

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久々に新国立劇場に出かけてセヴィリアの理髪師を観てきました。

フィガロのラッセル・ブラウンはすばらしい。よく通る渋い声色を使って、うまくフィガロを歌っていたと思います。個人的にはバルトロのマウリツィオ・ムラーロも良かったと思います。彼の声は日本人には出せないヨーロッパの声を観ることができました。ヨーロッパの声というのは、貌の骨格からくるのか、あるいはその体躯からくるのか分かりませんが、豊かな倍音を含んだ渋い怖いなのです。日本人のバスの方々にその声色を見いだすのはとても難しいです。ですが、ドン・バジリオを歌われていた妻屋秀和さんの声色は、ヨーロッパの声に近いものを感じました。体格は声色に本当によく比例するようです。

演出は1960年代スペインを舞台にしたドタバタハチャメチャ喜劇に仕上げられていました。好き嫌いはあるかもしれませんが、大胆かつ愉快な解釈は嫌いではないので楽しめました。

そうそう、ロジーナのダニエラ・バルチェッローナも良かったですよ。彼女も体格的にがっしりしているので、含まれる倍音の豊穣さは聴いていて安心できましたし心地よかったです。

第一幕と第二幕の最後の合唱部分、指揮者と歌手のコミュニケーションがとれておらず、冷や汗をかきました。あとトランペットのピッチが…、厳しかったです。まあ、初日なのでそういうこともあるのだろうな、ということで、とても勉強になった演奏でした。

基本情報
名称(和) セヴィリアの理髪師
名称(欧) Il Barbiere di Siviglia
作曲者 ジョアキーノ・ロッシーニ
幕形式 全二幕
台本 チェーザレ・ステルビーニ
初演 1816年ローマ

配役情報
配役 氏名
指揮 ミケーレ・カルッリ
アルマヴィーヴァ伯爵 ローレンス・ブラウンリー
ロジーナ ダニエラ・バルチェッローナ
バルトロ マウリツィオ・ムラーロ
フィガロ ラッセル・ブラウン
ドン・バジリオ 妻屋秀和

Classical

ブラームス:交響曲第1番&第2番&第3番 ブラームス:交響曲第1番&第2番&第3番
北ドイツ放送交響楽団 (1997/09/26)
BMG JAPAN

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昨日に引き続きブラームスの交響曲第1番をヴァントと北ドイツ放送交響楽団のコンビで聴いてみました。
のっけからテンポの速さに驚かされます。そして、誰かが扉を叩いているような切迫したティンパニーの連打にまずは打ちのめされます。テンポのコントロールが自在に行われ、ダイナミックレンジも広いです。雄々しいブラームスです。甘えや弱音を挟み込む余地は全くありません。もちろん時折優しい貌を覗かせることもあるのですが、雄々しい雄叫びを感じることの方が多いのです。悲痛なまでに魂の深いところにある情念を汲み上げ続ける意志力と集中力。最終楽章の最終小節に至るまで一分の隙も見せない集中力の持続。これもまたドイツ的(あるいは北ドイツ的)強靱な意志力の表出なのだと感じ入り、かつ畏れを抱くのでした。

Tsuji Kunio


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1992年、百の短篇とよばれる「ある生涯の七つの場所」の文庫版第一巻「霧の聖マリ」が発売された。僕がこの短篇を手に取ったのは、辻邦生さんが済んでいた高輪のそば、品川プリンスホテル内の書店だった。大学受験で上京した宿泊先が品川プリンスホテルだったのである。「霧の聖マリ」の最後に辻邦生さんの文庫版あとがきが入っていて、その最後に「一九九一年師走 東京高輪にて」とあった。品川プリンスホテルの裏はすぐ高輪であることを知っていた若い僕は、ニアミス、あるいはシンクロニシティの神秘に心をふるわせたのだった。
一年間の浪人が決まり、いよいよ勉学に励まなければならない状態にあった。家族は僕のことを無視し続けていたが、何とか予備校に通って、勉強にいそしんでいたつもりだった。
そんな中でも読書だけは忘れなかった。「ある生涯の七つの場所」は1992年一年間をかけて二ヶ月おきにゆっくりと文庫版が刊行されていた。僕は隔月刊行の文庫を待ち続け、予備校近くの書店で発売日には早速と買い求め、通学電車の中で時を忘れて読み続けたのだった。百の短篇が織りなす時代のタペストリーの全体像を思い描くには、それなりの準備が必要だと思うのだが、百の短篇一つ一つに織り込まれた人間の情念や美への揺るぎない信念を感じるには、短篇一つを読むだけで十二分に味わうことができた。
一つの短篇を読み終わるたびに訪れる、まるで大理石を削りだして生まれた彫刻をみるような甘美な気分や、人間の情感がもたらす不思議な物語に触れた時に訪れる人知を越えたものへの憧憬を、ゆっくりと楽しんだのを覚えている。
僕の辻邦生作品へのひとかたならぬ思いを形成し、読書の楽しみを教えてくれたのは、浪人中に読んだ百の短篇なのである。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<泉:黄色い場所からの挿話 VIII>

ある生涯の七つの場所について、少しずつ書いていこうと思います。本当は最初から書き始めるのがよいのでしょうが、僕の好きな「夏の海の色」から始めてみようと思います。

この掌編では水の描写を楽しむことができます。たとえばこんな冒頭部分など。

泉は村の広場の真ん中にあって、石に彫られた獅子の口から勢よく迸る水はきらきら光る弧を描きながら、浅い水盤の上に落ちていた。水盤を溢れた水は、もう一段下の水槽に、薄い簾状の滝になって、音をたてながら流れていた

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、11頁

水盤を溢れて、簾状に落ちてゆく水は、水と言うより、硬質の滑らかなガラスのような感じで、とくに水盤の縁をまるく、しなやかに越えていく透明な脹らみは美しかった。

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、13頁

ただ感嘆のみ…。

エマニュエルと「私」のことは、これからどうなるかを知っているだけに、複雑な気分。エマニュエルは本当に強い女性だと思います。そして、エマニュエルを産み出した辻邦生の「物語り」に深い驚きを覚えてしまうのです。物語作家は、ある種文中人物に憑依されて、文章を書いているのではないか、と思います。

この事件にもやはりスペイン内戦の暗い翳りが感じられるのです。おいおい読み進めていくことで明らかになってきます。

───これから読む方はここから先は読まない方が良いかと存じます───

あらすじ

アルプスの麓、夏の休暇にチロル地方の小さな村で暑さを避けているエマニュエルと「私」。ゆっくりとした時間でエマニュエルは論文の準備をする。

「ゆっくり時間のあった時代の仕事さ」
「いいえ、ここには、いまも、ゆっくりした時間があるわ」
「そうかもしれない。ここに来てから、まるで時間が過ぎてゆかないものね」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、12頁

その村の泉にまつわる奇怪な出来事。人間の手首が切られて泉の中にうち捨てられていたというのだ。ひまわりの花もたくさん浮かべられていたのだという。その手首の持ち主は、マルティン・コップと言うのだそうだ。私とエマニュエルは推理を始めるが、もちろん妥当な結論に至ることはできない。

エマニュエルが論文を提出したあと、「私」はエマニュエルと実はきちんとした関係(結婚と解釈するのが妥当だろう)をしたかったのだが、エマニュエルはそれを拒むのだった。

しかしエマニュエルはそうした危険を感じながら、日々新たに情念を確かめる生活でなければ、男女がともに暮らす理由はないと考えているのだった。
「それは人間を過信した傲慢な態度じゃないだろうか」
(中略)
「過信?」エマニュエルはそういうときのつねで、頬のあたりがほっそり窪んだ感じの顔を俯けて言った。「私はそうは思わないわ。むしろそのことだけは、もっと信じたいと思うわ」
「しかしまるでむき出しに風の中に晒されているようなものじゃないかな」
「それに疲れて、駄目になったら、私ね、悲しいと思うけれど、安全地帯にいて、惰性的な形を保った方が良かったとは言わないと思うわ」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、32頁

クリスマス休暇に入ると、エマニュエルと「私」は別々に休暇を過ごすことになった。「私」は日本人の友人とともに北フランスの小さな村で過ごすことになった。そこで出会ったニコラの家に招かれる。旧式の複葉機と男が映った写真を見つける。ニコラの父親だという。スペイン市民戦争に人民戦線側について参戦したのだという。人民戦線が敗れたのち、飛行機に乗って脱出しようとしたのだが、相棒の男に飛行機を奪われ、果てに指を切られてしまったのだという。ニコラの父親はひまわり畑のなかを自分の切断された指を探し回ったのだという。ニコラが指のことを聴くと、ひどく機嫌が悪くなったのだそうだ。「私」は、あのチロルの村での奇怪な出来事を思い出し、ニコラの父親がマルティン・コップを殺めたのではないかと推理する。エマニュエルに手紙を出す「私」。エマニュエルから返事が届く。

「私は世の中に恐ろしい偶然があり、符号があることを認めています。それでも、なぜか、それを信じてはいけないような気がするんです。その理由はいろいろありましょう。その中で有力な理由は、私が運命の力を最小のものに見なしたいと思っていることかもしれません。私が偶然の力を過小評価しなければならないと考えているからかもしれません」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、40頁

Classical

ブラームス:交響曲第1番 ブラームス:交響曲第1番
ベーム(カール) (2006/02/15)
ユニバーサルクラシック

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「のだめカンタービレ」でブラームスの交響曲第1番が取り上げられたので、家にある幾枚かをゴソゴソと探し当てて、早速聞き始めてみました。最初にサヴァリッシュ盤。ふむ、良い感じです。そして次にベーム盤。ベームがベルリンフィルを1959年に振った盤です。ベームって、亡くなってからは不遇だと聞くけれど、いいなあ、と思います。何がよいのかというと、この滑らかなデュナミークに体が揺さぶられるような感じ、です。特に第2楽章のたゆたう感じ。ホルンとヴァイオリンのユニゾン。もう50年近く前の録音になるのですね。半世紀近い時間を経てもすり減っていない音楽だなあ、と思います。椅子に座って目の前のスピーカを見つめていると、いやなことを忘れてしまうぐらい。これもドイツの良心なのではないか、と思うのです。
ところで、ブラームスの交響曲第1番の定盤って誰の盤になるのでしょうか?あまりレコード批評を読まないので、分からないので、ちょっとその類の本でも読んでみようかなあ、と思うのでした。あまり批評に振り回されるのは苦手なのですけれど。