ディースカウ/ブレンデル/シューマン「詩人の恋」作品48・「リーダークライス」作品39

Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48 Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48
Dietrich Fischer-Dieskau、 他 (1990/10/25)
Philips

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シューマンの「詩人の恋」作品48と「リーダークライス」作品39を、ディースカウとブレンデルのコンビで。
詩人の恋はハイネの詩に曲がつけられています。どれもがロマン的な恋愛感情を歌ったものでです。あまりに若々しすぎて、ふつうの健康な人間にとっては女々しい詩かともとらえられてしまうおそれがあると思います。ですが、詩人や音楽家のように、常に魂と格闘している人間にとっては、アクチュアルな問題なのです。それは恋愛感情にとどまるものではなくて、たとえば真善美の追求といった問題にまで拡大できるのだと思います。解説書には、シューマンが妻(クララ・シューマン)に対して抱いていた感情がこの曲を作らせしめたと書いてありましたが、果たしてそれだけなのでしょうか、という疑問を抱いてしまいました。単なる恋愛感情を赤裸々に述べるのではなく、もっと高次なレベルにまで昇華できうるのが芸術家の芸術家たる所以の一つなのではないでしょうか。
「詩人の恋」では、歌詞が未解決の和声で終わることが多いのです。それを解決するのが伴奏のピアノなのですが、この仕掛けも、すこしうがって考えてみると、詩人が歌手でピアノがその相手だったりするのではないか、とも思えてきます。最後の解決はピアノが与えるのですが、それは、詩人にとって必ずしも望んだ解決ではないはずで、だからこそ短調の和声で曲が閉じられることが多いのです。
「リーダークライス」のほうはアイヒェンドルフの詩に曲がつけられています。「詩人の恋」にくらべて、詩の意味するところは多くのアレゴリーで覆われていて、その深い森の中に分け入っていく努力を必要とします。やはりそこには喪ったものに対する愁然たる思いが満ちているような気がします。9曲目「悲しみ」では夜鶯の歌に込められた深い嘆きには誰も気づかない、と訴える部分があります。この部分も健康的な大人にしてみれば、なんと女々しいことを!と思う向きが多いと思います。しかし、それが芸術家の栗シミなのでしょう。ただの石ころに見えるものであっても、それが宝石の原石であることを見抜き、懐でゆっくり暖め熟成さえ、いつの日か美しい宝石に磨き上げてしまうのが芸術家というものなのでしょう。
12曲目「春の夜」は、春の到来に寄せる歓喜が歌われているように思えますが、果たしてそうなのでしょうか?ここでも夜鶯が登場し、「あの人はおまえのもの!」と歌います。しかしそこに込められた真の意味は、誰にも分からないのです。それは9曲目「悲しみ」で暗示されています。春ほど美しい季節はありませんが、春ほど残酷な季節もないのです。皆が皆春の美しさを享受できるとは限りませんから。
ディースカウは低音から高音まで本当によく聴かせてくれています。低音で雄々しい詩人を歌うかと思うと、今にも消え入りそうなナイーブな高音で、嘆く詩人をも演じています。ドイツの生んだ良心がここにもあるのだな、と思ったのでした。

ディースカウ/ブレンデル/シューマン「詩人の恋」作品48・「リーダークライス」作品39” への2件のコメント

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    こんにちは。「楽興の時 十二章」で、Shushiさんと辻邦生作品の出会いなど、臨場感が伝わってきて興味深く拝見させていただきました。
    先ほどフィッシャー ディースカウを聴いてみたいなどと自分とこでコメントしていたら、なんとこちらで紹介されているではないですか。シンクロしてる、ラッキーだ〜!
    この文章を読んで、ますますディースカウ聴いてみたくなりました。Amazon検索してみます。(買うのは中古CDだろうけど)

  2. SECRET: 0
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    コメントありがとうございます。辻作品との出会いを書く機会をカーラビンカさんに頂いたことを感謝しています。僕はどうも締め切りがないと書かない質のようなので…。このCDを聴いてディースカウ、あらためてすごいと思いました。聴いて頂けたならば僕もうれしいです。

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