Japanese Literature

ふぅ、意外とハードな一日。午後から所用で都心に出たのですが、待ち時間が長すぎて、予定を2時間弱超過。ところが、その隙間時間のおかげで、「ハンニバル戦記」読了してしまいました。うーむ、久々に歯ごたえのある歴史物語に没頭できました。この感じ、5年ほど前に永井路子さんの全集を貪り読んだときに似ている。もう、先が気になって仕方がない仕方がないという感じなのです。

それにしても、現世的な戒めにたくさんであったなあ。

  1. リーダーは、なぜか明朗快活な場合が多い。ハンニバルに勝利した、スピキオ・アフリカヌスもその一例にもれない。
  2. リーダーは、その権力によるよりもむしろ互恵的関係によって部下を統率したほうが良い。すなわち、率いられる人々に、じぶんがいなくてはこのリーダーは成り立たない、とも思わせることに成功したリーダーが、優れたリーダーである。一方的な権力の押しつけであってはならない(2008/05/25追記)
  3. 敗軍の将はその責を問われることはない。なぜなら、敗北すること自体により、自尊心を失うという罰を与えられているのだし、敗北によって学んだことを、次の勝利へと結びつけることができるからである。
  4. 成功が人を頑固にする。成功体験によって得た自信が、抜本的改革に対するブレーキとなるのである。成功した人=年輩者が保守的傾向となるのはそのためである(2008/05/25追記)。

などなど。

仕事でプロジェクトマネージャとして、プロジェクトメンバを統率しなければならない局面が多々あるわけですが、塩野さんがおっしゃるようなマネージャになるのは難しい。プロジェクトがシステム不具合を発生させたら、くだんのプロジェクトのマネージャさんはいっせいに袋だたたきにあうのです。会社の人はもっとローマ人を見習ってほしいと思います。などなど。

ポエニ戦争は三度にわたって発生するわけですが、第二次ポエニ戦争におけるローマとハンニバルの死闘を知らないで人生を終えるのはもったいないです。これほど人智を結集した戦争はなかなかないでしょうね。戦争の勝利の鍵が兵力数から機動力に移った戦争だったわけですね。それはハンニバルが騎兵を活用してローマの強力な重装歩兵を打ち破るのですが、こんどはスキピオが騎兵ばかりでなく、歩兵をも高起動化させて、ハンニバルを打ち破るあたり、すごいですね。しかも、機動力を活用した戦術が、時を経ずしてローマの部隊司令官にまで浸透していくあたりも、ローマの組織力の強靭さを物語っているのです。

最近の米軍が情報化を推し進めと高機動化しているというのも、考え方の発端としては、ハンニバルや(その戦術的師であった)アレキサンダー大王にも関係があるのだな、というわけで、実に興味深いです。

単なる歴史物語であればこんなに面白いわけはない。歴史は繰り返すことは決してありませんが、現代に適用できる価値、アクチュアルな価値が読み取れる歴史物語だからこそこんなに面白い。

辻邦生先生の歴史物語が、人間の生き方自体とか、生とは何か?という内面へ向かうものであるのに対して、塩野七生さんの歴史物語は、いかに生きるか、という、実践的な外へ向かったものである、と感じています。そして、そのどちらもアクチュアルな価値が豊潤に含まれているのです。

Japanese Literature

今 朝は激しい雨に見舞われました。昔は山の頂であっただろうところに住んでおりまして、十数メートルぐらいの坂道をおりた谷あいに最寄り駅がある感じ。もち ろん、住宅街化されてますので、昔日の面影はわずかに残った一隅の雑木林のみではあるのですが。 それで、今朝のような大雨になると、道路に水があふれ、激流となって谷あいに流れ込みます。すると、谷あいはもう水浸しになるんですね。

駅 に行くまでに、川の中を歩き、池を越えて、という感じ。足首まで完全に水に浸ってしまい、革靴なのにもう子供の長靴のように、歩けばチャポチャポと音がな る始末。 当然靴下は水に浸ってますので、靴下を脱いで素足で革靴を履く。足元「だけ」が石田純一状態。これで一日仕事ですよ……。取引先とミーティングがあるとい うのに恥ずかしい限り。

そういうわけで、通勤電車も大雨で遅れてしまい、30分遅れで会社に到着。でも定時の30分まえなのでらくらくでし たが。 幸い、通勤電車では座席に座れたので、電車が遅れた分だけ、ゆっくり本を読めました。

今日は塩野七生さんの「愛の年代記」を読みながらいよいよ「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」に突入しました。

ここにいたるまでに、実は、さかもと未明さんの「マンガ ローマ帝国の歴史」三冊を読んでいます。最近なぜかローマづいています。そういうわけで、音楽もロー マ帝国に関係あるものになってしまいまして、シュトラウスの「サロメ」とか、レスピーギ「ローマの祭」などをついつい聞いてしまう感じ。

「マンガ ローマ帝国の歴史」は、ローマ帝国の通史かと思いきや、カエサルからネロ帝までの限られた時代を描いているものでして、カエサル、オクタヴィアヌスと いった名君の偉業をえがきつつも、当時の爛熟した社会風情を奔放に描いている感じ。帝政ローマ以降の内憂外患の端緒となる時代の雰囲気がよく描かれていました。

楽しめましたが、帝政ローマ以降よりも、共和制ローマ時代のほうがなんだか興味深く思っていて、ちょっと肩透かしを食らった感じです。もっとも漫画でロー マのすべてを描けるわけはなく、ローマ帝国の絶頂期でもあるカエサル、オクタヴィアヌス界隈を描くことに注力したのは正解だと思います。ただ、このマンガを最初に読むと、ローマ帝国についてはネガティブなイメージを持ってしまう可能性もありますので、注意が必要ですね。

ともかく、共和制ローマのメルクマールであるポエニ戦役を描いた塩野七生さんの「ハンニバル戦記」がとても楽しみですね。今週はこの本が読み終われば万々歳です。

音楽も聴きますが、本もむさぼるように読みましょう、ということで、がんばります。

 

Opera,Richard Strauss

昨日は、せっかく書いたのにアップできず。ちと本業が忙しくて、ということで。今日からは日次更新予定です。

通勤時間に聞いたのは、シノポリの振る「サロメ」。昨日はカラヤンの「サロメ」でしたが今日はシノポリを聞くことができるという幸福。うれしいですね。シュトラウスもまさかiPodに自分のオペラがいくつも入れられて、電車やバスの中で聞かれるようになるとは想像すらしなかったでしょうね。考えてみれば贅沢なお話だと思います。

ちょっと調べてみようと思って、Googleで「サロメ シノポリ」で調べていたら、1月29日版の本ブログの記事が出てきてしまいました。あらら。そうか、ウシャコワさんのサロメの予習をしていたときにこの「サロメ」を聞いていたのでした。 サロメを歌っておられるステューダさん、混ざりけのないきれいで豊かな声。音量のダイナミクスレンジもあるし、テンポも意外といじっている感じでした。それも割りとゆっくりめに演奏していて、ハーモニーが良く聞き取れる。幸せですね。

リヴァーヴ感がいいなあ、と思っていたら、ベルリン・イエス・キリスト教会だったのでした。ドレスデン・ルカ教会よりも残響時間は少な目ながらもいい音です。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ジュゼッペ・シノポリ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
  • ヘロデ==ホルスト・ヒーターマン
  • ヘロデヤ==レオニー・リザネク
  • サロメ==チュリル・ステューダ
  • ヨカナーン==ブリン・ターフェル
  • ナラボート==クレメンス・ビーバー
  • 録音日時==1990年12月
  • 録音場所==ベルリン・イエス・キリスト教会

Opera,Richard Strauss

今日も日差しが戻っています。昨週の天気の悪さが不思議なぐらい。ですが、今日は休日にしては盛りだくさん。午前中は都内のスタジオで来週に迫ったジャズコンボのリハーサルを二時間。昼食を、バンドメンバーと摂りながら他愛もない世間話に舌鼓を打つ。もう10年以上もつきあっている方々でしたので、懐かしい話も織り交ぜながら、あるいは初めてあったときから10年以上経って、お互いの境遇が変わっていることに驚かされたりしながら、という感じでした。

今日は、カラヤンの振るサロメを聴いています。予想していたのですが、やはりオペラに戻ってきてしまいました。久々に聴くシュトラウスは実に美味です。もちろん単なるおいしさではなくて、歯ごたえもあれば粘りも腰もある。録音の感じも僕好みで、低い倍音が豊かで、リヴァーヴ感もほどよい感じに聞こえます。

ホセ・ファン・ダムさんのヨカナーンがすばらしいです。意志力に満ちた力強い声。ヨカナーンの境遇や性格をよく映し出しているなあ、と思った次第。とても良いですね。ベーレンスさんのサロメは、どうしてもブリュンヒルデに聞こえてしまう。いけませんね。僕の中でショルティ盤のリングのイメージが抜けきらない。僕の聴き方が悪いのですが、とにかく力強い歌唱です。

サロメ、本当に難しいですよね。演奏もそうですし、聴くのも同じく。さすがに何度も聞かないと理解が深まらないです。それでもなんどとなく聴いてますので、徐々に分ってきていると良いのですが。とにかく、聴いていて楽しい、という領域には入ってきています。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • ヘロデ==カール=ワルター・ベーム
  • ヘロディアス==アグネス・バルツァ
  • サロメ==ヒルデガルト・ベーレンス
  • ヨカナーン==ホセ・ファン・ダム
  • ナラボート==ヴィエスワフ・オフマン
  • 録音日時==1977年5月、1978年5月
  • 録音場所==ウィーン、Sophiensaal

Miscellaneous

いやあ、今週は長く感じましたが、ある意味あっという間に終わってしまった感じもしています。ツィンマーマンの「軍人たち」のショックから、会社での出来事を思い返してみたり、塩野七生さんの本の余韻に浸ったり。ともかく、充実していたことには間違いないと思います。とある仕事を、少々やっつけですが期日までに提出することも出来ましたしね。

今日はビジネス書を読みながらバーンスタインのブラームスを聴いておりました。先日からブラームスの室内楽を聴いていましたが、オケのブラームスはどうだったかしら、などと思って聴いてみたわけです。ですが、おもったより感動しないのです。不思議なことです。以前はあんなに凄いと思ったのに……。やはり室内楽には室内楽なりの濃密な緊張感というものがあって、それはオケを支配する緊張感とはまた別の種類のものではないか、と思うのです。指揮者も居ないわけですから、お互いの息づかいや挙措で間合いを計りながら音楽を作っていくというのは、おそらくはオケやソリストとは全く違うメソッドなのではないか、などと想像しています。そして、室内楽を聴いてしまった僕には、まだしばらく室内楽的緊張感が必要なようで、ちょっと室内楽の世界を渉猟してみようかな、などと思った次第。でも、明日になったら「ばらの騎士」聴いていたりして、みたいなこともおこりえますが。

明日は一日フリーですので、自分の仕事に取りかかることが出来そうです。午前中は近所のカフェでまた一仕事。午後はゆっくり家の雑務に取り組んで参りましょう。日曜日はと言えばサックスの練習です。明日、また譜面をさらわなければ成りませんね。頑張ります。

Japanese Literature

久々の天気に恵まれた木曜日。後二日でウィークデーは終わります。週末は週末でやらねばならないことがありまして、いまから予定を見直しています。

さて、先日から読んでいるこの本。読了しました。

題名からして面白くて、優雅という言葉と冷酷という言葉のコントラストが効果的です。

内容もやはり面白いのですが、はたと気づいたのは、塩野七生さんが女性であるということ。つまり、チェーザレにたいする共感が、偉大なるタレント(才能)をもつ男性への普遍的な感情に昇華しているのではないかということ。

身近な例で大変申し訳ないのですが、たとえば「のだめ」における千秋真一とか、あさのあつこさんの「バッテリー」におけるピッチャーの原田君とか、その他少女マンガなどで見られるような(といっても僕は少ししか読んだことありませんが)、女性の描く男性像は、ほとんど神業に近い技量を持った天才であることが多いです。

チェーザレ・ボルジアの場合もそうです。武芸に優れ、卓越した政治能力があり、部下を魅了する十二分なカリスマ性に恵まれている。父親がローマ法王であることを十二分に利用できる「血統」を持っている。などなど。 「解説」にも書かれていたことなのですが、加えて、ほとんど恋愛感情的にちかい共感が文章から沸き立ってくるのを感じました。

物語は、チェーザレの父親であるアレッサンドロ六世の即位から物語は始まり、一時は枢機卿の衣をまとうのですが、弟を「殺して」まで(文章では示唆されるだけです)、教会軍の司令官の地位をつかむ。フランス王との駆け引きを繰り広げながら、北部イタリアのロマーニャ地方の法王領内の僭主たちを次々と追い落とし勢力を広げてゆく。その手腕たるややはり神業的で、読んでいて溜飲が下がる思いすら感じます。気分いいですね。

後半部はその輝かしい生き方が暗転するわけですね。そのあたりの転落の筆致もすばらしい。「運命の女神に嫌われた」とチェーザレに語らせるわけですが、前半の「つき」を後半ではまったく失ってしまっている。それを、ユリウス・カエサルがルビコン川を渡ったときのような決断力が、大事なときになかったのだ、という言葉で残念がる塩野さんの文章には寂しささえ感じます。もちろん、チェーザレ自身その時点でマラリヤに侵されていたわけで、正常な判断ができなかったということもあるのですが。だからこそ運命に見放されたということなのでしょうけれど。

終幕部、チェーザレが死に至る場面の淡々とした筆致も見事ですね。雄弁でありながらもあっさりとした語り方でチェーザレの人生の終わりを描いていて、あっけなささえも感じる。どんなに偉大なペルソナも絶対に死には打ち勝てない。死んだら負けなのだ、という思い。惜別の思い。 そんなことを思いながら、一気に読み終えてしまいました。

余談ですが、マキアヴェッリの「君主論」はチェーザレに大きく拠っているのですが、そうした「古典」をほとんど読んでいないことに悔恨の念を覚えました。二次文献、三次文献だけじゃだめですね。一次文献を読まないと……。

今日聞いた曲はフランクのオルガン曲。本の色調によくマッチしています。詳しくは後日。

Classical

今日も朝から冷たい雨が降りしきる。季節は完全に逆戻りです。昨日は上着を着ていかなかったので寒い思いをしましたが、今日は薄手の上着を着て出勤です。

電車の中ではブラームスのピアノ四重奏曲第一番を。第二番は長調ですが、第一番はブラームスらしいト短調の暗く静かな世界。この曲、本当に大好きでした。というか、今日改めて聞いてまた好きになりました。

実はこの数ヶ月は「オケの曲しか聴くまい」とこっそり思っていたのですが、訳あって昨日ブラームスのピアノクインテットを聞いてから、ブラームスの室内楽を聴きたくて仕方がなくなった感じです。

この曲はシェーンベルクが管弦楽版に編曲しているので、管弦楽版もよく聞いていました。なんでも「うまいピアニストは、表に出すぎてバランスが悪いし、下手なピアノはなお悪いから、オケ版に編曲したのだ」といった具合のことをシェーンベルクは言っていたようですが。

ところがどっこい、室内楽版も私にとってはすばらしくて、学生時代のある時期狂ったように聞いていました。 ちょうどそのころだったと思いますが、パトリス・ルコント監督の「仕立て屋の恋」を見に行ったことがありまして、その中で最終楽章の緩徐旋律が効果的に使われているのに驚いた次第。飯田橋の古い映画館でのことでした。今もありますね。ギンレイホールでした(それにしても、最近映画見ていないですね……。マズイです)。

実演も三度ほど聞いたことがあるのですが、一番すばらしかったのはベルリンフィルメンバーで構成されるベルリン・フィルハーモニー・ピアノ四重奏団のもの。演奏はリズムが時計のように正確で躍動感のある演奏。四人がばっちり合っているんですよね。あれは名人芸でした。すばらしかったです。

さて、今日聞いているのは、くだんのベルリン・フィルハーモニー・ピアノ四重奏団の演奏。演奏会場でCDを購入してサインをして貰ったCDです。 残念ながらAmazon、タワレコ、HMVでは取り扱いなしです。

第一楽章はゆったりとしたテンポながら、スピード感を失わない演奏ですし、テンポも柔軟に変化します。第三楽章の主旋律もよく歌っていますね。ナイーヴなドイツ的良心とでもいいましょうか、実にロマン主義的旋律でして、懐かしささえ感じます。こういう感情はもう現実世界において求めることはできません。ノイズキャンセリングフォンで聞けば、しばしの現実逃避ということになりましょう。まあ闘うことをやめずに逃げることは許されるでしょうから。

第三楽章の中間部は舞曲風です。シェーンベルクが豪放に編曲していたのを思い出します。軽やかな舞曲が重みのある主題へと変調していくのもなかなか聞き応えがあります。第四楽章の、あの「仕立て屋の恋」の主題、とてもゆっくり演奏するのですが、やっぱり躍動感は失われない。さすがですね。

しかし、この感動はどうやって伝えればいいのかわからないぐらいですね。 冬のドイツ、ハイデルベルク、ネッカー河、哲学の道……。昔の一人旅を思い出します。しばし時を忘れて物思いにふけるのでした。

Heiderberg22
Heiderberg22 posted by (C)shushi
Heiderberg21
Heiderberg21 posted by (C)shushi
Heiderberg1
Heiderberg1 posted by (C)shushi

Classical

なんだか入梅してしまったような天気でした。それも寒さと一緒です。入梅というより春雨前線下にあるとでも言ったほうがいいでしょうか。冷たい空気が頬に突き刺さるたびに、ある種の快さを覚えます。

こんな日はブラームスを聞きたくなります。ピアノ五重奏曲を聴きました。 アマデウス弦楽四重奏団とエッシェンバッハの盤です。この演奏をはじめて聞いてからもう15年たっているでしょうか。当時、大学の先生からCDを貸していただいたのがブラームスの室内楽体験の始まりでした。少し間を置いて10年ほど前にブラームスの室内楽を狂ったように聞いていたころを思い出します。

当時はまだBOSEのクワイエットコンフォート(ノイズキャンセリングフォン)など持つこともかないませんでしたので、ダイナミックレンジの広いオケの曲やオペラなどは聴くことができなかったのです。 その点室内楽はある程度ダイナミックレンジに限りがありますので、電車の中でも聞きやすかったのです。ブラームスの室内楽で言うと、ピアノ四重奏曲第1番、ピアノ三重奏曲第1番、ピアノ五重奏曲、クラリネット五重奏曲などを特に愛聴していました。コンサートにも何度か行ったものです。懐かしいですね。

最近は、オケ曲、オペラが多かったと思います。このブログで室内楽を取り上げた機会もあまりなかったですね。

この演奏、僕のデフォルト盤ですので、良いも悪いもなく体に染みこんでいる感じなのです。室内楽的ダイナミックレンジがきちんと取れています。テンポはあまり動かさず冷静でありながらも、強烈なフォルテを味わうことができる劇的で力強い演奏です。それ以前にテクニックが卓越していて、欠け落ちたところを感じさせません。もちろんレコーディングですので編集はあるにしても、です。

しかし、この哀感に満ちたこの曲は、憂愁感たっぷりで、いろいろな感情が心にかわるがわるわきあがってきます。決して明るい曲とは申せませんが、悲劇を観劇するのと同じように人間の内面を開かせるのに十分な力を持っています。僕の場合は過去の出来事が特に想起させられて、朝から少し気だるい気分になっていました。

Tsuji Kunio

今日は一度4時頃起きたのですが、ダウン。5時半に起き上がりました。思ったより疲れているのでしょうか。昔のように早く起き上がれない日が続いています。

というわけで、通勤列車のなかでも本を読むのが難しい状態なのですが、それでも辻邦生氏「言葉の箱」を読んでいるところです。この本は非常にコンパクトで、講演の様子をおこしたものと言うこともあり、非常に読みやすいです。小説家を目指す人々に小説の作法のようなものを辻先生が語りかけるわけですが、それがまた実にわかりやすい。辻先生の小説論と言えば「小説への序章」が思い出されるのですが、哲学的とも言える議論が少々難解だったりしますが、この本ではそんなことはない。夏目漱石の有名な「F+f」の話や、大切なのは、詩、言葉、根本概念である、と喝破するあたりも見事。小説を書かない者にとっては、創作の舞台裏を垣間見る感じです。

文庫版がでたのはもう数年前のことになります。その前に単行本で刊行されたのですが、訳合って二冊も勝ってしまったのでした。文庫版はamazonではまだ入手できるようです。

Opera

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NNTT2 posted by (C)shushi

NNTT1
NNTT1 posted by (C)shushi

今日は朝から雨模様。昨日は帰りが遅かったので少々疲れ気味。朝は早く起きられたのですが、午前中はなんだか疲れてしまって、どうにも気が引き締まりません。

このコンディションで予習なしで「軍人たち」に臨みます。だいじょうぶかなあ、と少し不安でした。予約していたCDは結局届かないまま。予習なしですので、とりあえず入場してすぐにパンフレットを買って熟読態勢。うーむ、なんだか「ヴォイツェック」と「ルル」を彷彿させるようなあらす じです。

幕が開くと、大勢の真っ白な男女が舞台上にいろいろな方向を向いて並んでいます。頭も顔も洋服も靴もみんな真っ白。曲調は、なんだかベルクかウェーベルンのイメージ。そのうちに、一人の女性を遠巻きにひとりぼっちにさせます。その女性が主人公のマリー。舞台は横に長い立方体のなかに置かれていて、黒い壁に白銀の殴り書きがたくさん。まずは白と黒の色の世界を見せつけられます。

マリーは、装身具商人の娘で、織物商人のシュトルツィウスと相思相愛にあります。マリーは青い服を着ていて、堅実な市民女性と言った風体。

ところが、軍人デポルト男爵から芝居に誘われます。デポルト男爵は舞台奥の窓から姿を見せるのですが、やはり顔を白く塗り、頭もスキンヘッドで真っ白。ただ、軍服は真っ赤。窓の向こう側も真っ赤な世界。さしずめ、社会の背面にある軍隊の世界を暗示しているのか、というところ。今までの白と黒の世界に、赤い軍人の世界が浸食してきます。

デポルト男爵の誘いにマリーは舞い上がってしまいますが、マリーの父親は軍人の品行の悪さをよく分かっているので芝居に行かないように諭すのですが、もしや男爵と結婚することになれば、貴族階級に入り込むことが出来るという打算的な考えも頭に入ってくる。もちろん、シュトルツィウスとのことも維持しておくように、と商人らしい手堅さをも見せる訳です。

シュトルツィウスは軍人たちがたむろっているカフェに姿を見せる。カフェには軍人たちがたくさん。もちろん全員真っ赤な制服を着ていて、カフェの椅子もテーブルも真っ赤。カードに興じ、酒を飲む軍人たち。テーブルにカードを放る音や、コップを置く音、スプーンで叩く音は、スコアに指示されていると言うわけで、パーカッションの役目を果たしています。

カフェの机を軍人たちが動かして、小さな舞台を作り出すと、そこに淡いグリーンのドレスを着て赤い制帽を着た夜の女が現れて、ジャズ・コンボが演奏する4ビートに乗って、扇情的なダンスを繰り広げ、三人の軍人(ダンサー)と絡み合う。揶揄する軍人たち。ジャズコンボは、クラリネット、トランペット、ギター、ベースの四人で、パーカッションが4ビートを刻みます。パーカッションの刻みはジャズ的グルーヴ感はありませんでしたが、四人のコンボはグルーヴしていて、ダンサーとうまくコラボレートしている。この場面、ものすごく印象的でした。

そこにシュトルツィウスが現れるのですが、マリーをデポルトに寝取られたといって、軍人たちに笑われます。シュトルツィウスはマリーに非難の手紙を書きますが、デポルトは却って、マリーに絶縁状を書かせようとします。ここで、マリーの老母が登場するのですが、椅子に座って鏡を持っている。あまりに不気味な老母の姿。マリーは、赤い靴を履いたりしていて、徐々に軍人たちの影響下に入っているのが示唆されています。

シュトルツィウスは、マリーからの手紙に打ちのめされます。シュトルツィウスは舞台左側から布を引っ張ってきて、その布をシュトルツィウスの母が追いかけるように裁断していきます。シュトルツィウスの持つマリーから手紙を、母親がはさみで切り刻んでしまいます。シュトルツィウスは復讐を決意します。オーケストラはマタイ受難曲からの引用を演奏。

立方体の舞台の奥の壁が徐々に傾きはじめ、傾いた壁の奥から兵士たちがまるで爬虫類のように匍匐前進してマリーに迫ってくる。強烈な映像。夢にでますぜ、これは。

ここまでで1幕から2幕が終了。あまりに刺激的で強烈な舞台、演出、演奏なので、すごい充実感。個人的にはものすごく楽しめていて(楽しいという言葉がふさわしいかどうかは分かりませんが)、ヴェルディやプッチーニがオペラである、とする向きには本当に退屈だったようで、「もう帰ろうか……」とつぶやいている年配の男性がいたりしました。

3幕のはじめ。女性が兵士たちの好色な目にさらされている。兵士たちの不品行が象徴的に描かれています。マリーは、デポルトからマリ大尉に相手を変えています。そして、ラ・ロシュ伯爵へとどんどん相手を変えている。冒頭の市民的なマリーの姿は全くない。

突然、真っ黄色なロココ調の衣装を着たラ・ロシュ伯爵夫人が登場。息子のラ・ロシュ伯爵が品行が、悪いという噂が立っているマリーとつきあっていることを重く見ていて、息子に旅に出させておいて、マリーには面倒をみてあげよう、などと提案する。マリーの衣装もいつの間にか伯爵夫人と同じ黄色い衣装。だが、結局は衣装を脱がされてしまいます。脱がされた衣装を集めるマリーの老母。どうして老母がココに出てくるのか不明。でもいいんです。なんでも。もう何が何だか訳が分からない。物語的必然性というより、すでに感覚的必然性で、あらゆる要素が縦横無尽に関係し合っていて、それがすでに自明であるかのように提示されてきます。そうした意外性の刺激の強さ。

マリーは軍人たちに囲まれてしまい、囲みを解かれたときには、血濡れた服を着て、スキンヘッドになっている。ここで舞台は右に30度傾く。舞台が傾くなんて、腰を抜かしました。マリーは必死に傾斜を昇ろうとするのですが、昇ることが出来ない。マリーが落ちぶれていくのが象徴されています。シュトルツィウスは、マリ大尉の従卒になっているのですが、スープに毒をまぜて、デポルトに飲ませ、自分も毒をあおって死にます。

転落したマリーは、いまや物乞いをしている。物乞いの相手は自分の父