大きさの変わる銀のベッド──新国立劇場「神々の黄昏(神々のたそがれ)」 その2
先ほども書いたように、ブログの設定間違っていて、コメントができない状態でした。ログを見たら少なくとも27回はアクセスがあるので、コメントをせっかく書いてくださったのに、消えてしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。本当にお詫び申し上げます。
この写真は私が大好きなバルコニー席へと通じる通路。バルコニー席は狭いので扉がいくつも並んでいます。神韻としていて、これからのパフォーマンスへの期待が高まります。
さて、演出面について。今日はベッドの大きさについて考えてみます。非常に面白いですよ。
第一幕、演出の方々は「ローズルーム」とおっしゃっていましたが、ブリュンヒルデとジークフリートは、「ヴァルキューレ」から使われている銀色の傾いたベッドに一緒に眠っている。ブリュンヒルデはオレンジ色のトレーナーで、「ジークフリート(Siegfried)」の「S」を象徴する例のスーパーマンマークが書かれているジークフリートのトレーナーには「B」の文字の上に、ヴァルキューレの兜が描かれたもの。
で、ここのベッドの大きさがポイント。バックステージツアーで、演出の方とお話しする機会があったのですが、彼女の指摘によれば、「ヴァルキューレ」の最後でブリュンヒルデが眠りについた銀色のベッドはあまりに大きいものだった。けれども、「ジークフリート」で覚醒する際には、銀色のベッドは一回りも小さくなってしまっていました。で、今回の「神々の黄昏」においては、「ローズルーム」の中に収まった小さなベッドになってしまう。そして最終場面、ジークフリートが荼毘に付される場面では小さな銀色のベッドが舞台上手に置かれている。時間がたつにつれてベッドが小さくなっているのです。演出の方は、これはブリュンヒルデやジークフリートが神性を失っていったからだ、という風に捉えておられました。
ただ、私はちょっと違う感想を持ったんです。実は、ベッドの大きさは変わっていないのではないか。逆に、神性を失いつつあるブリュンヒルデとジークフリートが大きくなっているのではないか、と。これ、私が執拗に主張する「神々は貴族であった」という仮説に基づくものなんです。神の力は小さくなり、神が作った銀色のベッドは徐々にその力を失っていく。それに対して、人間の力のほうが強くなってくる。だから、ベッドと人間の大きさの比率が異なったのではないか、と思うのです。もちろん、ここでいう神は貴族であり、人間とはブルジョワや大衆であるという仮説です。
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