「天草の雅歌」の解説より

2014-08-19

なんだか続く暑い毎日。徐々に消耗しています。最近は、上着を着て出かけています。どうも仕事場や地下鉄の空調が強すぎて強すぎて仕方がないのです。早く秋が来ないかな、と。私が生まれたのは秋。秋ラヴ。

天草の雅歌 (新潮文庫 草 68F)
辻 邦生
新潮社
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篠田一士さんが新潮文庫の天草の雅歌の解説を書いておられますが、その中で実に心を打つ言葉がありましたので紹介します。

こうした愛の讃歌のなかに、作者がにがい思いをこめて、ひそかに仕組んでいるのは、われわれの内面を久しいあいだにわたって律してきた鎖国的心性への容赦ない批判であり、

こうした、鎖国的心性というのは、私の理解では、自らの利益を守るために、国を閉じることが得策として、貿易を封鎖し、国を閉じたということです。そこには進取の気鋭のようなものは一ミリもありません。単なる保身と停滞です。その先にあるのは既得権益を十全に用いた支配の構図ということになるでしょう。それがこの「天草の雅歌」において語られていたのだと思っています。そしてそれは今もなおアクチュアルな問題としてあるはずです。混血のコルネリアは、日本と海外の架け橋となるべく働くわけですが、そうした個人的検診というものも国家の巨大な慣性の力には為す術もなかったわけですね。

では、我々に出来たことは何だったのか。主人公の上田与志は、あえて密航を企て、捕縛され、最後は切腹を与えられます。巨大な慣性には個人の死でしか報えないのか。ハンガーストライキのような身を捨てた抗議でしかなしえないのか。それでもなお巨大な慣性はジリジリと動き続けるのでしょうから。

今日は少々考えすぎました。また明日まで、おやすみなさい。

Tsuji Kunio

Posted by Shushi