Béla Bartók,CD紹介,Classical

バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人
ラトル(サイモン) バーミンガム市交響楽団合唱団 ハルシー(サイモン)
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) (2008-09-26)
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本業真っ盛り。
今日はラトルの《管弦楽のための協奏曲》です。
ラトルの好きなところは、絶妙なテンポコントロールと音量コントロール。それも大仰と思われないぐらい絶妙なコントロールを見せてくれるのです。何時頃か覚えていないのですが、ドビュッシーの《海》を聴いた時に感じた感動です。
この音源でもやはりそうです。インテンポな演奏でもなく、大時代的な情感の入った演奏でもないものです。熱くて冷静というコントロールされたものです。伸縮自在なゴムのような弾力性のある演奏。どこまでも拡散することなく、常に均整のとれた抑制美。だからといってダイナミズムはちゃんとある。湧き出す噴水の揺らめく形をいつまでも愉しむかのような感覚。そして、その絶え間ない形の変化は、どれだけ眺めても飽きることはない。
そんな感じの演奏だと思います。ショルティのような直線的で筋肉質な演奏とは違いますが、私はこういう演奏も大好きです。というか、ラトルのこういうところが大好きです。
それにしても、様々なスケールが入り交じるバルトークの音楽の絢爛さは格別です。その複雑な形状は、聴けば聴くほど新たな意味を見出すこと解釈多様性を帯びています。第二楽章で聞こえるバロック風の金管のファンファーレはなんなんでしょうかね? 現代文明以前の何かを懐古するもの、アメリカから欧州を懐古するものなんじゃないか、と思ってしまうぐらいです。
今日はこの辺りで。日々戦場。敵はどこにいるかわからない。
ではグーテナハト。

Béla Bartók,CD紹介,Classical

Solti Conducts Bartok
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G. Solti
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なんでこんなにバルトークな毎日なんですかね。バルトークに捉えられてしまった感があります。音楽も人格も高貴である、とtwitterでやりとりさせてもらったりしましたが、全くそのとおりだと思いますね。ほれこんでしまっているようです。
さて、代表作である《管弦楽のための協奏曲》を。通称オケコン。
ずっとブーレーズ盤を聴いていましたが、ショルティ盤のほうが好みにあってきた感があります。
ショルティのバルトークは、鋭く鮮やかです。アタックもするどく、よく統率されています。
どうもブーレーズ盤はこの点に関してショルティ盤に譲るのではないかと思っています。ブーレーズにはなにか冷たさのようなものを感じていて、それが私の中で引き締まった印象となっていたのですが、それはすこし違うようです。
ただブーレーズ盤に比べて木管に物足りなさを感じます。これは録音の問題なのかもしれません。
全体の完成度はショルティ盤の方が好みかも。
ラトルの音源もあるので、次回の「バルトークな日々」は、そちらを取り上げる予定です。
いや、ほんと仕事はスリリングです。ジェットコースターな日々。
今日は真正なグーテナハト。

Music

以下その1に続くエッセイ風。
https://museum.projectmnh.com/2013/10/30232014.php
私の友人N氏からの情報提供で、T-SQUAREの「宝島」という曲を色々聞いたという話です。
この曲はニュー・サウンズ・イン・ブラスシリーズの一つとして、真島俊夫さんにより1987年に吹奏楽用に編曲されたました。
こちらのCDのに音源があります。

原曲との違いはいろいろあって、前回にも触れましたが、ラテンフレーバーが加えられていること、メロディーが原曲と微妙に違うなどの違いが大きいです。個人的には、この編曲の白眉は、サビのテーマの後ろで動くホルンの旋律だと思っています。
数ある映像の中からこちら。中学生の演奏ですが、アルトサックスのソロの音が結構いいのですよ。このような音をだす宝島のソロはありませんでした。プロの楽壇の奏者より良い音しているかも、などと。

もう一つ紹介したい映像がありますが、そちらは次回。
ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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昨日に続き、《ホフマン物語》関連です。

彼女は、死んでいるという噂だ。いや、生きていないんだ。

僕は人形を愛していたのか!

第二幕でのホフマンのロマンスの相手はオランピアでした。オランピアは、今で言えばロボットでした。歌をうたうことはできて、「はい」という肯定の返事しかできないのです。
最近でもおもちゃ屋で売っているしゃべる人形と同じです。そんな人形に恋をしてしまったというのが
オランピアの幕では、オランピアのアリアのところで、ニクラウスの表情をずっと見ていました。真実を冷静に見極めているのはニクラウスだけ。ホフマンは色眼鏡をかけさせられていて、真実をつかめないのです。ニクラウスの冷たい微笑。恋は盲目ですが自動人形を愛するとは、今から思えば馬鹿げています。
1816年のかかれたE.T.A.ホフマンの「砂男」を原作に持つオランピアの幕ですが、原作当時は、オランピアに入れる魂を主人公が奪われそうになるという筋だてであるのに対し、オッフェンバックの《ホフマン物語》においては、科学技術の発展の結果としてオランピアが誕生したとされ、魔術的要素は少なくなっています。未完成だったホフマン物語はオッフェンバックが亡くなる1880年まで作られ続けました。19世紀後半ともなると、科学技術の捉え方も変わってくるということでしょう。
ここでは科学技術への楽観主義がみられるのでしょう。「歴史」が発展し続けていた時代です。まだまだ無限に人類は発展していく。その中の一つに、人類は神にも近づき、科学によって生命をも創り出すことができるようになるに違いない、という楽観主義であり、その極地がオランピアなのでしょう。これは、近代以前においてはありえないことです。フランス革命とニーチェによって、宗教価値観が変貌したからこそ可能になったことなのでしょう。スパランツィーニが科学技術の発展を称揚できたのはこうした背景があるはずです。
ですが、やっぱりオランピアは恋の対象ではありえなかった。ホフマンが「人形だったのだ」と悲嘆にくれることこそが現実です。壊れてしまったのは科学技術が未熟だからなのか、あるいは科学技術の構造的な問題なのか。前者であれば素朴な科学技術信奉であり、後者であれば科学技術の先行きを見通した批判精神があるのでしょう。
オランピアが、スパランツィーニとコッペリウスの金銭問題を発端に破壊されてしまうのも象徴的です。経済優位を見通したものなのだとすると、100年後を見通していると思いました。いくら科学が発展しても、経済に貢献しない科学技術は打ち捨てられるのですから。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/meisakudrama/meisakudrama/Coppelia.html
昨夜脱稿したので、本日は日付切り替え後投稿でした。ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

NNTT_Chirstmas

はじめに

もう12月。あと30回ほど寝るとお正月です。お正月は笛吹いてお絵かきして遊びましょう。

新国立劇場《ホフマン物語》

さて、新国立劇場《ホフマン物語》に言ってまいりました。まったく凄いオペラでした。
* 指揮:フレデリック・シャスラン
* 演出:フィリップ・アルロー
* ホフマン:アルトゥーロ・チャコン=クルス
* ニクラウス/ミューズ:アンジェラ・ブラウアー
* オランピア:幸田浩子
* アントニア:浜田理恵
* ジュリエッタ:横山恵子
* リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット:マーク・S・ドス
まずは、フレデリック・シャスランの巧みな職人芸的指揮が素晴らしかったです。微妙なニュアンスがツボにはまります。音量も細かくコントロールしてましたね。パーカッションの音を抑制していたのが印象的でした。アンサンブルが実にまとまっていて、安心して聞くことができました。
悪役4名はマーク・S・ドスが完全掌握です。シリアスな演技からコミカルな演技まで幅広くこなしていて、多才ぶりを発揮していました。目をギラリと光らすんですが、マイルス・デイヴィスのような目つきの鋭さでドキドキしてしまいました。
Twitterでも前評判が高かった浜田理恵さん、たしかに凄い。声の深みや豊かさは相当なものです。歌手の歌というものは一点の素晴らしさに加えて、持続する素晴らしさというものも必要なのですが、そういうところもいい感じでした。
あとは、ジュリエッタを歌った横山さんも。ジュリエッタの妖艶さがよくでていたと思います。抱きつくホフマンを尻目に、ギラッと目を輝かせる演技なんかも絶品。高級娼婦は恐ろしい。
チャコン=クルス、最初の《クラインザックの歌》のあたりでは、なにか物足りなさが会ったんですが、幕が進むに連れてどんどん良くなっていきました。第4幕あたりからは、あとを気にせずフルスロットルで歌ってくれました。鋭さと甘さのあるバランスある声でした。もう少し厚みがあると嬉しい。エラソーですいません。

アントニアの幕

それにしても、《ホフマン物語》はすごい曲です。歌詞の中身もさることながら、音楽的にもすごくて、こんなに単純なコード進行なのに、ここまで緊迫感と絢爛さを醸成できるのか、と関心します。
特に、アントニアの幕で、アントニアの母親が登場するところは、実にオーソドックスなコード進行ですが、母親の亡霊、悪魔の化身の医者、そして死に至るまで歌わされるアントニアの三人の金箔の盛り上がりが効果的に表現されています。あそこの1音ずつ上がっていくスケールが、緊迫感を増すのです。上がりきったところで、ミラクル博士が哄笑したりして。恐ろしい。
この場面を初めて観たのはウィーン国立歌劇場でしたっけ。安い席で舞台が全然見えない桟敷席の奥から必死に見てたんですが、あの時の恐ろしいまでの感動を思い出しました。ウィーンでの演出では母親の肖像画がバタンと開いてなかから母親の亡霊が現れるという恐ろしさでした。
今回のアントニアの母親は山下牧子さんだったんですが、あの方独特の妖しい魅力で、アントニアは冥界へと旅立ってしまったような感じでした。
ちなみに山下さんはステラ役かぶっています。アントニアの母親がステラという問題。深遠。

おわりに

8年ぶりに上演されたプロダクションでしたが、あらためて《ホフマン物語》を見ると、いろいろと面白い視点があることに改めて気づきます。科学批判、芸術批判などが織り込まれた「現代批判」の側面も持っているということになりそうです。オペラの愉しみというのが現代批判であるとしたら、《ホフマン物語》のアクチュアリティというものも考えることができるでしょう。これは明日考えてみたいと思います。
明日は健康診断に再検査。いや、別にどこが悪いというわけではなく、3日連続で徹夜勤務したり、半年で規定以上の深夜勤務をしたからだそうです。まあ、どこも悪いわけないんですけれど。
それではグーテナハト。

付録

昨日、近所のカラオケにカミさんと二人で行ってきました。
昔はできていたはずのピッチコントロールがぜーんぜんできてなくってショックです。
で、これはどういうショックなのか、というと(1)昔は、本当にうまかったけれど、今はうまくないというショック、あるいは(2)昔も下手だったけれど、最近になってピッチを聞き分ける耳ができて、昔からヘタだったことにいまさら気づいたショック、のいずれかどちらかなわけで、いずれにしてもショックであることにはかわりはないということになります。
(1)のほうがいいんだけど、(2)だったらイヤだなあ、と思います。
しかし、オペラ歌手の方々の微妙なピッチの違いが最近分かるような気がするので、もしかすると(2)である可能性のほうが高いのではないか、と危惧しています。だとすると。。いままで本当にすいません。

Oboe

妄想のオーボエシリーズ。レッスン二回目。
まあ、オーボエ本体持ってませんので、上達なんてするわけないんですが。
* H音に苦労。ピッチが取れない。まあ、一番難しいのだそうで、当然なんですが。
* リードに関してはクロウと倍音が出す方法をきちんと覚えておくこと。それがそれ時点でそのリードにたいしてフィットするアンブシェアの状況であるということ。
* アンブシェアもそうだし、口の中の容積であるとか舌の位置についても音に影響がある。そうしたことも意識するあるいは経験的に妥当な状況を作り出さなければならない。
* 腹筋で息を支えるのはサクソフォーンと同じであるが、どうも私の場合、それがオーボエにフィットしていない模様。というか、サクソフォーンよりシビアなのかもしれない。
* オクターブ上の高音域を吹いたら、「ソプラノサックス吹いていたでしょ?」と見破られた。確かに感じが似ている。
* 音の入り方も難しい。ピッチもそうだし、アタックが強すぎたり。これ、私はサクソフォーンでも難しいところなのでちょっと苦労しそう。
結論は、一刻も早く楽器を入手することです。12月末に一応借りる算段は付いており、それまでは、EWIやらサクソフォーンの方を頑張りましょう。
それから、この歳になって新しいことを始めるということの重要性も認識しました。会社では15人ぐらいの中間上役なんだが、この右も左も分からない、という状況に身をおくことで、なんか謙虚さとか初心回帰とか、そういういいこともあるなあ、と思います。
というわけで反則グーテナハトです。明日は《ホフマン物語》に出動します。

Oboe

ええ、そうです。いわゆる男というものは、メカニックが好きで、ものを削ったり、作ったりするのが好きなんですよ。
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こんなパーツを見ると、さっそく血が沸き立ってくるわけで。
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並べて悦に入ったり。
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そのまえに、楽器を入手しないといかんのですが。
はい。EWIで練習します。
明日レッスンです。二回目です。まだピッチが安定しないですが。。
ではグーテナハト。

Classical,Concert

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こちら、いつぞやとった夕焼け。近所にマンションが出来てしまった、私の家からは夕焼けが見られなくなりました。悲しい限り。
本日、東京都交響楽団演奏会を聞きにサントリーホールへ。ヘスス・ロペス=コボス指揮で、トゥリーナ、ラヴェル、ショスタコーヴィチの演奏会でした。
ですが、席が今ひとつだったことと、体調も今ひとつだったということで、正しい判断ができているのかわかりません。無理していくべきではなかったのだと少々後悔しています。
雰囲気はとてもよいコンサートでした。特に前半のラヴェル《スペイン狂詩曲》では、沸き立つ音が、噴水のように吹き上げていて、それはそれは圧巻でした。
後半のショスタコ「バビ・ヤール」が、ラヴェルのような「バビ・ヤール」で、これが、どうも私が感じていた曲のイメージを覆されてしまいました。
もっとどす黒い情念のあるドロドロとした世界だったのですが、それがあまりに美しくなっていたように思えてしまい。。
でも、これを愉しむことも出来ははずなのです。ですが、繰り返しになりますが、席が今ひとつで音を聞き取るのが難しく、辛い状況が続いたということなんでしょう。
さすがに当日券は選ぶのが難しいなあ、と思います。
というわけで、ちょっと難しかった一日でした。。明日はラストスパート。グーテナハトです。

Miscellaneous

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ホフマン物語、日曜日に聴きに行きます。今日は予習しました。こちらは過日の空。やはり雲のダイナミズムは素晴らしい。
短くグーテナハト。

Béla Bartók,Classical

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
ペーテル・バルトーク
スタイルノート
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はじめに

11月に入ってから、私のブログはバルトークに埋め尽くされている感があります。なにもかも、バルトークのご子息であるペーテル・バルトーク氏による「父・バルトーク」によるわけです。
バルトークのことを書いた日に限って、アクセスが増える気がします。twitterでもリツイート頂いたりもしました。
これは、これまでにはないことのような感覚を持っています。バルトークはかなり人気があるのだなあ、と思ったわけです。

福田総理とバルトーク

私の記事に付いている「関連記事」の中に、2007年に書かれたitmediaのオルタナティブ・ブログのなかで藤井等さんという方が書いておられる記事が出てきまして読んでいたのです。
“http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html":http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html
題して「福田総理とバルトーク」
2007年は福田総理の治世下でした。そんな折に、日経新聞の「春秋」欄に福田総理とバルトークの関連が書かれていたそうです。福田総理は、クラシック好きであり、
ここからが本題でして、バルトークが好きな世代は60歳から70歳台の方が多いのではないか、と推理されるのです。そのポイントは1981年。ブログの中には明示されていませんが、1981年はバルトーク生誕100年でした。この歳にバルトーク全集がLPで発売されたのだそうです。40枚組だったようです。
1981年といえば、オーディオが趣味として全盛だった時代です。私の父も、SONYの新しいカセットデッキとFMチューナー、外付けのFMアンテナを買ってましたね。
ちょうどそのころ働き盛りでバイタリティの会った方々が、今頃がちょうど60歳から70歳にあたるのではないか、というのが藤井等さんの推理です。
なるほど、そういう見方もありますね。

私がバルトークを知ったいきさつ

それで、この見方を補強する私のエピソードをお聞きください。
カミングアウトしていいですか。
私がバルトークの名前を初めて知ったのは、こちらの本でした。

この本を懐かしく思う方は多いと思います。那須正幹さんのズッコケ三人組シリーズ第6作です。この本では、ズッコケ三人組が江戸時代にタイムスリップして平賀源内の世話になる、というSF時空ものです。三人が江戸時代へとタイムスリップするのは、音楽室においてある鏡でした。この鏡を通り抜けることで、タイムスリップをしてしまうのです。この鏡は江戸時代においてはとある大名家が保有していましたが、原爆のからみで三人組が通う小学校に鏡が置かれるという設定でした。そうそう、ズッコケ三人組の舞台は広島市ですね。
で、この鏡を取り戻すために大名家のお姫様が音楽の先生になって小学校に赴任してくるわけです。美人な音楽の先生で三人組のハチベエはメロメロに。この音楽の先生が弾いていたの曲の一つがバルトークでした。ハチベエは、バカの一つ覚えのように「あれは、バルトークだな」とつぶやいたりするという設定でした。
この時弾いていたバルトークの曲は何だったのでしょうかね? 《ミクロコスモス》だったのか。
この本で私はバルトークの名前を初めて知りました。多分小学生の頃。
たしか、他にも作曲家の名前は出てきていたはずです。ショパンだったか、ベートーヴェンだったか。ですが、唐突にバルトークの名前が出てきて、幼いながらも私は奇異を感じた記憶があります。
この本、じつのところ刊行は1982年なのです! つまり、バルトーク生誕百年の翌年です。バルトークが流行っていた頃でしょうか。作者の那須正幹さんは、1942年生まれです。当時の御年は40歳。現在は71歳。先ほどの藤井さんの仮説に適合してしまいます。
那須正幹さんとバルトークの関連は残念ですがネットでは分からずじまいで、継続調査です。

おわりに

というわけで、今日もバルトーク。
あ、東京オペラ・オケ事情ですが、すこし重複あったのでこれから調整します。というか、この幅では見難いですね。レイアウトの変更は考えないと、と思っています。最近いらっしゃる方の解像度の横幅が1200ピクセル以上なので。。
それでは、グーテナハト。