Art

東京国立近代美術館で開催されていました竹内栖鳳展に行ってまいりました。
10年ほど前、関西に出張する機会が何度か有り、そのたびに京都の平安神宮前にある京都国立近代美術館に出かけていました。そこで、日本画の素晴らしさや美しさの愉しみ方を覚えたものです。もちろんそれらの収蔵品の中には竹内栖鳳の絵もあったわけで、その淡い色彩が描くリアリティに感銘をうけたわけでした。
これはもう実物を見ないとわからないのですが、例えばカモやウサギの柔らかい羽毛を、絵の具のにじみの効果を使って表現している部分などは、おそらくは水の量を細かく調整するなどの緻密な計算のもとで成立しているものなのでしょう。その技巧の裏側には想像することさえ難しいほどの努力があるはずです。
明治から昭和初期にかけての風景が描かれている作品もいくつか有りました。画像では海の色の素晴らしさはわかりません。海の色は、深い群青色に緑色が加わったもので、現実の海を超えた美しさでした。
個々に描かれている海浜の風景は100年以上前のもので、我々はそれを現実として見ることはできません。ですが、我々は、かつての日本の海浜風景というものをなにか先験的に知っているはずで、その先験的知識と絵画を重ねあわせることで、一気に原体験へと昇華するのだと思います。それは実態を伴った、もしかしたら触ることすらできるほどのリアリティをもった体験でした。
このような芸術作品が持つ、現実へ働きかける力というのは、共通しているみたいで、私はこの直観をルーヴル美術館でヴェロネーゼの《カナの結婚》を観た時に感じました。

今日は一日中床に臥せっていました。ですが、一向に回復しません。明日は早出の召集がありましたので、早く寝ないと。
では、グーテナハト。

Concert,Richard Strauss

昨日は風邪で動けず、一日中伏せっていました。おかげで熱も下がりましたので、まずは国立近代美術館で、竹内栖鳳展、続いてサントリーホールでリヒャルト・シュトラウスを聞いてきました。
IMG_0021.JPG
先にサントリーホールのほうを。
東京交響楽団の音楽監督に来シーズンから就任するジョナサン・ノットが、リヒャルト・シュトラウスを振りました。
一曲目は《四つの最後の歌》。クリスティーネ・ブリューワーのソプラノ。コンマスの大谷さんのソロが素晴らしく感涙。
メインは《アルプス交響曲》。これは本当にすばらしい演奏。私はマゼールがバイエルン放送管を振った音源を思い出してました。
特に弦を歌わせるところの重みと厚みが素晴らしく、濃密なうねりが波のように押し寄せてくるのは圧巻でした。ノットは目立ってテンポを動かすことはなく、全てが統一された感じです。オケをしっかり統率している証左だと思います。
最近の私的妄想によりオーボエへの興味が累乗的に増しているわけですが、《四つの最後の歌》では、オーボエがソプラノのフレーズを吹いていて美味しいな、とか、《アルプス交響曲》で、嵐の前の雨音を吹いているのがカッコいい、とか、意味なく感情移入して聞いてしまいました。ほんと、習いにいかないとなあ。
個人的には、風邪をひいているせいか、耳鳴りがしていて、楽曲に集中できなかったような気がします。これは初めての経験。さすがに耳鳴りで音楽聴けなくなるというのは辛すぎです。
あすは、竹内栖鳳展について書きます。
帰宅したら、また熱が。全く……。
ではグーテナハト。

Miscellaneous

今週放送の読響クラシックライブは、先日聞きに行ったオール・アメリカンプログラムの放送でした。

https://museum.projectmnh.com/2013/07/13191306.php

私、テレビに映りました。

あの時の感動が再びで、しばし追憶モードという感じでした。本当に楽しいコンサートだったのです。

《シンフォニックダンス》での、オケメンバーの「マンボ!」の絶叫に、一緒に見ていたカミさんが、えらく驚いていました。

風邪治らず。連休は静養します。ではグーテナハト。

東京オペラ・オケ事情

東京では毎日のように、こんなにもたくさんのコンサートが。全く凄いものです。といいながら、この3週間はどこにも行けていません。宝の山を前にして。。
というわけで、今週末はアルプス交響曲を聞きに行くことにしました。来週末はリゴレットに行きます。というか、予習しないと。。
間違いはないように確認しましたが、何かあればご指摘ください。申し訳ないですがご使用に際しては自己責任でおねがいしますね。

場所 演奏者 オケ 演目 開演時間
10月14日(月) すみだトリフォニーホール 下野竜也[指揮]
ルイジ・ピオヴァノ[チェロ]
新日本フィルハーモニー交響楽団 シューマン/チェロ協奏曲 イ短調 作品129
ブルックナー/交響曲第6番 イ長調
14:00
オーチャードホール 指揮:ロジャー・ノリントン
ヴァイオリン:木嶋真優
NHK交響楽団 モーツァルト:交響曲第31番ニ長調 K.297「パリ」          
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219「トルコ風」
モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504 「プラハ」
15:30
10月16日(水) サントリーホール 指揮:クリスチャン・ヤルヴィ
ピアノ:小山実稚恵
東京都交響楽団 ラフマニノフ(ドゥンブラヴェーヌ編):コレッリの主題による変奏曲 <管弦楽版/日本初演>
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
ストラヴィンスキー:バレエ組曲『火の鳥』(1945年版)
19:00
オペラパレス 指揮:ピエトロ・リッツォ
演出:アンドレアス・クリーゲンブルグ
リゴレット:マルト・ヴラトーニャ
ジルダ:エレナ・ゴルシュノヴァ
マントヴァ公爵:ウーキュン・キム
スパラフチーレ:妻屋秀和
マッダレーナ:山下牧子
モンテローネ伯爵:谷友博
東京フィルハーモニー交響楽団 ヴェルディ:リゴレット 19:00
10月17日(木) 東京芸術劇場 小林研一郎 (Cond) 遠藤真理(Vc) 読売日本交響楽団 ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」作品9、幻想交響曲 作品14 サン=サーンス/チェロ協奏曲 第1番 イ短調 作品33 19:00
武蔵野市民文化会館 プラハ国立歌劇場 プラハ国立歌劇場管弦楽団 モーツァルト:魔笛 18:30
10月18日(金) サントリーホール 指揮アレクサンドル・ラザレフ
フルート:真鍋恵子
日本フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー: バレエ組曲『眠れる森の美女』
武満徹: ウォーター・ドリーミング
スクリャービン: 交響曲第3番 ハ長調 「神聖なる詩」
19:00
みなとみらいホール 広上淳一
ダニエル・ホープ(Vn)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 ブリテン:ヴァイオリン協奏曲
ホルスト:組曲「惑星」
19:00
10月19日(土) NHKホール 指揮:ロジャー・ノリントン
テノール*:ジェームズ・ギルクリスト
NHK交響楽団 ベートーヴェン/「エグモント」序曲
ブリテン/夜想曲 作品60*
ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」作品33a
ベートーヴェン/交響曲 第8番 ヘ長調 作品93
NHKホール 指揮:ロジャー・ノリントン
テノール:ジェームズ・ギルクリスト
NHK交響楽団 ベートーヴェン/「エグモント」序曲
ブリテン/夜想曲 作品60*
ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」作品33a
ベートーヴェン/交響曲 第8番 ヘ長調 作品93
サントリーホール 指揮アレクサンドル・ラザレフ
フルート:真鍋恵子
日本フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー: バレエ組曲『眠れる森の美女』
武満徹: ウォーター・ドリーミング
スクリャービン: 交響曲第3番 ハ長調 「神聖なる詩」
14:00
オペラパレス 指揮:ピエトロ・リッツォ
演出:アンドレアス・クリーゲンブルグ
リゴレット:マルト・ヴラトーニャ
ジルダ:エレナ・ゴルシュノヴァ
マントヴァ公爵:ウーキュン・キム
スパラフチーレ:妻屋秀和
マッダレーナ:山下牧子
モンテローネ伯爵:谷友博
東京フィルハーモニー交響楽団 ヴェルディ:リゴレット 19:00
10月20日(日) オペラパレス 指揮ウルフ・シルマー
演出アンドレアス・ホモキ
アルマヴィーヴァ伯爵レヴェンテ・モルナール伯爵夫人マンディ・フレドリヒフィガロマルコ・ヴィンコスザンナ九嶋香奈枝ケルビーノレナ・ベルキナ
東京フィルハーモニー交響楽団 モーツァルト:フィガロの結婚 14:00
10月22日(火) サントリーホール 指揮:ケン=デイヴィッド・マズア
チェロ:レオナルト・エルシェンブロイヒ
ヴァイオリン:ノエ・乾
ピアノ:モナ=飛鳥・オット
日本フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
19:00
オペラパレス 指揮:ピエトロ・リッツォ
演出:アンドレアス・クリーゲンブルグ
リゴレット:マルト・ヴラトーニャ
ジルダ:エレナ・ゴルシュノヴァ
マントヴァ公爵:ウーキュン・キム
スパラフチーレ:妻屋秀和
マッダレーナ:山下牧子
モンテローネ伯爵:谷友博
東京フィルハーモニー交響楽団 ヴェルディ:リゴレット 19:00
10月23日(水) タケミツメモリアル 鈴木雅明(Cond)、菊地裕介(Pf)、臼木あい(Sop)、上野由恵(Fl)、大島弥州夫(Ob)、伊藤 圭(Cl)、黒木綾子(Fg)、福川伸陽(Hr)、鈴木優人(Org)、新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 没後50年記念 フランシス・プーランクの夕べ
プーランク:
・3つの小品
・メランコリー
・モンパルナス
・フルートソナタ
・クラリネットソナタ
・六重奏曲
・オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲
・スターバト・マーテル
19:00
オペラパレス 指揮ウルフ・シルマー
演出アンドレアス・ホモキ
アルマヴィーヴァ伯爵レヴェンテ・モルナール伯爵夫人マンディ・フレドリヒフィガロマルコ・ヴィンコスザンナ九嶋香奈枝ケルビーノレナ・ベルキナ
東京フィルハーモニー交響楽団 モーツァルト:フィガロの結婚 18:30
東京文化会館 指揮:レオシュ・スワロフスキー
エヴァ・ホルニャコヴァ(S)
モニカ・ファビアノヴァー(Ms)
オトカール・クライン(T)
ヨゼフ・ベンツィ(Bs)
スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
東京都交響楽団 ドヴォルジャーク:スターバト・マーテル 19:00
10月25日(金) NHKホール 指揮:ロジャー・ノリントン
ピアノ:ラルス・フォークト
NHK交響楽団 ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番 作品72
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」
サントリーホール 指揮:ダン・エッティンガー
ピアノ:ファジル・サイ*
東京フィルハーモニー交響楽団 ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調*
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35
19:00
タケミツメモリアル 矢崎彦太郎(Cond)、浜田理恵/秦 茂子/コロンえりか(Sop)、小林真理(Mez)、与儀巧/大川信之(Ten)、萩原 潤(Bar)、東京シティ・フィル・コーア(Cho) 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 プーランク:歌劇「カルメル派修道女の対話」(演奏会形式、日本語字幕付き) 18:00
10月26日(土) NHKホール 指揮:ロジャー・ノリントン
ピアノ:ラルス・フォークト
NHK交響楽団 ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番 作品72
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」
サントリーホール 金聖響 東京フィルハーモニー交響楽団 佐村河内守: 交響曲第1番 <> 19:00
オペラパレス 指揮ウルフ・シルマー
演出アンドレアス・ホモキ
アルマヴィーヴァ伯爵レヴェンテ・モルナール伯爵夫人マンディ・フレドリヒフィガロマルコ・ヴィンコスザンナ九嶋香奈枝ケルビーノレナ・ベルキナ
東京フィルハーモニー交響楽団 モーツァルト:フィガロの結婚 14:00
みなとみらいホール アレクサンドル・ラザレフ(Cond) 横坂 源(Cel) 日本フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲 マーラー/交響曲第9番 18:00
10月27日(日) オーチャードホール 指揮:ダン・エッティンガー
ピアノ:ファジル・サイ*
東京フィルハーモニー交響楽団 ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調*
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35
15:00
東京芸術劇場 アレクサンドル・ラザレフ(Cond) 横坂 源(Cel) 日本フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲 マーラー/交響曲第9番 14:30
10月29日(火) オペラパレス 指揮ウルフ・シルマー
演出アンドレアス・ホモキ
アルマヴィーヴァ伯爵レヴェンテ・モルナール伯爵夫人マンディ・フレドリヒフィガロマルコ・ヴィンコスザンナ九嶋香奈枝ケルビーノレナ・ベルキナ
東京フィルハーモニー交響楽団 モーツァルト:フィガロの結婚 14:00
10月30日(水) サントリーホール 指揮イルジー・ビエロフラーヴェク
ナレク・アフナジャリャン(Vc)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 ドヴォルザーク: チェロ協奏曲
ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調
19:00
すみだトリフォニーホール リッカルド・ムーティ[指揮]
安藤赴美子[ソプラノ]
加藤宏隆[バス・バリトン]
東京オペラシンガーズ[合唱]
ロベルト・ガッビアーニ[合唱指揮]
東京春祭特別オーケストラ[管弦楽] ヴェルディ
歌劇《シチリア島の夕べの祈り》序曲
歌劇《シチリア島の夕べの祈り》第3幕より バレエ「四季」
歌劇《運命の力》序曲
歌劇《運命の力》第2幕より「天使の中の聖処女」
歌劇《マクベス》第4幕より「虐げられた祖国」
歌劇《ナブッコ》第3幕より「行け、わが想いよ、黄金の翼にのって」
歌劇《ナブッコ》序曲
19:00
10月31日(木) サントリーホール 指揮イルジー・ビエロフラーヴェク
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー: 交響曲第6番 「悲愴」
19:00
10月31日(木) すみだトリフォニーホール リッカルド・ムーティ[指揮]
安藤赴美子[ソプラノ]
加藤宏隆[バス・バリトン]
東京オペラシンガーズ[合唱]
ロベルト・ガッビアーニ[合唱指揮]
東京春祭特別オーケストラ[管弦楽] ヴェルディ
歌劇《シチリア島の夕べの祈り》序曲
歌劇《シチリア島の夕べの祈り》第3幕より バレエ「四季」
歌劇《運命の力》序曲
歌劇《運命の力》第2幕より「天使の中の聖処女」
歌劇《マクベス》第4幕より「虐げられた祖国」
歌劇《ナブッコ》第3幕より「行け、わが想いよ、黄金の翼にのって」
歌劇《ナブッコ》序曲
19:00

Book,Opera,Richard Wagner

1986年に刊行された高辻知義氏による「ワーグナー」。以前も一度読んだはずですが、もう一度読み直しました。

かなりまとまった緻密な一冊でした。ワーグナーを神格化することもなく、逆に誹ることもなく、中立の立場から冷静に論じていたと思います。

ただ、私は悠書館の「ワーグナー」を読んでしまっていたのです。悠書館の「ワーグナー」は最新の研究成果を取り入れた記述になっていました。ここで知った新たな事実は霹靂ものです。
ですので、私はこの高辻氏の記述の裏側に様々な事象を織り込んでいたようです。
たとえば、コジマがビューローと別れた経緯については、ワーグナーとコジマが通じたという事実と離婚という事実が記載されていただけですが、悠書館においては、ビューローが問題のある夫であったという事実が紹介されており、コジマの行動にある意味納得させられてしまうのです。私の中のビューローのイメージは、巨匠のそれですが、若き日は迷いのある日々だったようです。
さて、昨日はブログ休みました。どうにも先日の夜勤明けから、めずらしく風邪を患いました。
昨日は朦朧としながら、別件のインシデント対応を行いつつ、早めに帰宅してよく眠りましたので、今日は持ち直しました。

今日もこちらで落涙。ベン・ヘップナーは、柔和さだけでなく、雄々しさもあります。フォークトやコロにはない英雄的ヴァルターです。私の中のヴァルター像を変えなければならないかもしれません。
では、グーテナハト。

Miscellaneous,Oboe

妄想第二弾。
EWIにはオーボエ運指モードがあるんすね。これで、毎日高速スケール練習すればいいのだ。もちろんモノホンとは違う所多々ありなんだろうけれど、やらないよりはいいのでしょう。EWIは素晴らしい。

ついでに、この本を入手しました。妄想は妄想を呼ぶ。しかし、1時間の練習メニューまで載せてくれるのはありがたい。オーボエーに限らす、管楽器奏者はこれを読むべしでした。サックスの練習方法とも共通する部分があり、大変参考になります。

昨夜20時からの夜勤は、本日12時過ぎまで続きました。帰宅は13時半ごろ。さすがに体が疲れきっており、19時まで午睡というか本睡というか。
おかげで、リズムがめちゃくちゃです。そろそろ夜勤からは引退しよう。
では、グーテナハト。

Miscellaneous,Oboe

楽しすぎる妄想であるオーボエ始める計画。
高校3年のとき、何か一つ楽器をやりたくて、サックスを選んだんですが、まあ、理由は当時好きだった伊東たけしの影響が多々ありというところ。
ヤナギサワのアルトサクソフォーンを友人O君と一緒に購入に行きました。大学浪人が決まったタイミングだったので親から勘当されました。
浪人中は毎日30分ほど押入れの中に入ってサックス吹いてましたが、一年経ったら、スケールぐらいは吹けるようになっていて、ジャズ研に予定通り?楽器経験者として入れたというわけです。
しかし、ルーツはクラシックだったので、本来的にはオケと相乗りできる楽器を選ぶべきだったのでしょう。ジャズとオケのあいのり楽器は、トランペット、トロンボーン、フルートぐらいしかないけれど。
オーボエは、宮本文昭なんかで知っていて、高校生のときにコピーなんかしてましたね。宮本文昭がタモリがやっていた「クイズ音楽は世界だ」にでた時に、カッコいいな、と思いましたが、あ、オレにはソプラノサックスがあるから、と思ってました。
まあ、でも、茂木大輔さんの本を夏に結構読みまして、かなり焚き付けられてしまいました。読んでいたら、あの楽器ばっかり練習して時間を忘れる感覚が甦ってきたのでしょう。完全に無になって、自分が指と音の中に溶けていく感覚。
やっぱり、楽器やらないとわからないことはたくさんあるのだろうなあ、と。あとは、楽器やらないと脳が溶けてしまいそうで。。
さしあたり、EWIを練習します。
ちなみに、茂木さんの素敵な本「アイネクライネな我が回想」の書評が図書新聞に出てます。お近くの書店で是非茂木さんの本と図書新聞をご入手ください!
今日は土曜日ですが、夜中に会社に行きます。そちらも戦い。
では、今日は昼なので、チュース。

Richard Wagner

帰宅の電車。人身事故で、1時間立ち往生しまして、その電車の中で書いています。
しかし最近はずいぶんと良くなって、事故現場の様子を(タイムリーでもなく、正しいとも言えないのでしょうが)きちんと放送で伝え、運転開始時間の目処もきちんと伝えてくれます。何も知らされずにイライラすることもありません。これもホスピタリティの一環なんでしょうね。
さて、ワーグナー本をいくつか読んで、ずいぶんと理解が進みました。
というわけで、三年前にDVDから音源に落としていたブーレーズが振ったバイロイトでのリングの音源を聞いています。
この時の演出は、パトリス・シェローで、リブレットを拡大解釈して、リングの物語を19世紀以降の資本主義批判の物語に読み替えた、というのは周知の通りです。
当時のバイロイトにおいては画期的あるいは革命的な演出だったようです。
今からこの映像をみると、何が斬新なのかわからず、戸惑うことがあります。
確かに、我々はもうシェローのリング以上のリングを見ているわけですから、そこには新奇さを求めることはできなくなりました。
資本主義批判としての演出は、サヴァリッシュがバイエルン国立歌劇場で振ったレーンホフ演出のラインの黄金でも感じましたし。
あるいは、シェローの演出自体を多義的な解釈で咀嚼していく、とか、そういう見方になるのでしょうか。
っつうか、もっと映像も見ないと。
今週末は徹夜仕事です。
というわけでグーテナハト。

Miscellaneous

昨今切実な楽器やらねば強迫観念。いや、ほんと、聴いているだけではダメかも、と。

茂木大輔さんの本を読んだのと、のだめを読み直したのが原因。

そうか。オーボエは習わないとダメなんですね。サックスを独習した我流派の私には少しつらい。

でも、興味ありすぎなので、茂木大輔さんの、オーボエ教則本を予約してみました。
リードも高いんだろうし、楽器自体も高いし。
Twitterにも書きましてが、ジャズとオケ、相乗りできる楽器にすれば良かったですよ。フルートとか、ペットとか。

でも、伊東たけしが好きだったのだから仕方がないです。

では短くグーテナハト

Book

もしあなたが美を謳い上げるとすれば、それは美が存在するからではなくて、美を存在させるためなのです。多分これが批評家の正しい役目であり、尊厳なのです。多分そこから彼らも創造という作業に加わることができるのです。


メイ・ジンという美貌の中国人ピアニストをめぐる、フレデリック・バラードとレオ・ボルドフスキーという二人の音楽評論家の論戦は、不思議な結末を迎えました。
二人の架空の音楽評論家は、メイ・ジンをめぐる論争から、ほとんど個人攻撃とまでいえる過去の記憶への機銃掃射を互いに行い、血だらけになって傷つくのですが、奇妙なことに撤退と和解へと進んでいくのです。
それは、メイ・ジンを徹底的に攻撃したレオ・ポルドフスキーが、もう一度メイ・ジンの演奏を聴いたあとからでした……。
「ピアニスト」は西欧音楽の普遍性を論じながらも、書簡体小説として、書簡と書簡の間に横たわる空白の文脈への想像あるいは妄想へとさそう、文学を読む愉しみをももたらしてくれる「小説」でした。
もちろん、ここで論じられている問題は、既に論じつくされたことなのかもしれません。西欧音楽の普遍性なんていうものは、絵空事といえるのかもしれないわけです。
ですが、私は冒頭で引用した一節、これは敵であるフレデリック・バラードに対して、レオ・ポルドフスキーが、和解とも言えるメールを書くのですが、その中の一節です。
別に普遍的美などあろうがなかろうが関係なく、それがあるということを前提に、あるいは信じ、それを表現するということ。批評の素材として音楽そのものも重要だが、それを「美」として解釈することも、「美」を創造するプロセスである。
そういう議論です。
私はこの議論を諸手を挙げて賛意を示すわけには行かないのです。というのも、こうした言動は、当然では有りますが、批評家側からしか出てきません。これは自己賛嘆とでも言える言辞なのです。音楽家から同様な言葉が出てくればいいのですが、私はそうした言葉を聞いたことがないのです。
ですが、私の中に常にある疑問、生成者と受容者の関係に関する疑問の解決へと少し励まされた気がするのです。
生成できるものだけが、その美を享受することができるのか、という問題。生成者同士で、隠語のようにその秘術的な美を崇拝しあうのではなく、非生成者にも、美という秘仏の背光を浴びる権利あるいは可能性があるのではないか、ということなのです。さらに議論を進めて、その秘仏の背光を作り出しているのが非生成者である受容者ではないかということです。認識論的な問題かもしれません。受容者こそが生成された素材に美という価値を無意識に与えている。それを言語化レベルまで引き揚げることで、明示的な美を生成する……。
リスナーがいない音楽は意味が無い、といった浅い議論ではないはずです。
だからこそ、「創造」という言葉が出てくるのでしょう。
ただ、やはりどうしても、私はこの批評家が美を創造するという考えが、完全に胸のつかえをとるものではないようにも思っているのです。
総じて、本書には大きな満足を覚えました。そしていろいろなものを得ました。文学的にも美学的にも。
ただ、この後どうすべきなのかが、私にはわからないだけなのです。
ではグーテナハト。