Japanese Literature,Tsuji Kunio

雲の宴〈上〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/01
  • 売上ランキング: 565691

「この世は絶望に満ちているからこそ、芸術の意味が、はっきり見えてくるんです」

辻邦生『雲の宴(上)』朝日文庫、1990年、236頁

今週は、辻邦生師の「雲の宴」を読んでます。「雲の宴」は、朝日新聞に連載された新聞小説です。辻邦生師の新聞小説と言えば、「雲の宴」に加えて、「時の扉」、「光の大地」があります。そのいずれにも言えることだと思うのですが、一般の人々を読者に想定しているのかとても平易な文章で構成されていて、他の辻邦生師の小説群とは呼んだ心地が少し違います。

この「雲の宴」のテーマは、文明が忘れかけている「生きること」の意味だと思うのですが、もちろん一言で集約することなど出来はしません。物語のおもしろさもあれば、舞台の飛躍も素晴らしい。東京はいいとして、パリから、ウィーン、ブカレスト、コンスタンチノープルへと進んでいくのには驚きました。読むのは二度目だというのにすっかり忘れていて面食らってしまったほどです。もっとも10年ぶりぐらいの再読ですので仕方がないと言えば仕方がないのですが。

小説の冒頭で、1980年のフランス大統領選挙でミッテランが勝利した場面が出てきます。「春の光 駆けて」では辻邦生師が実際に遭遇したミッテラン勝利の様子が描かれています。つい先だって読んだばかりでしたので、すこし運命性を感じましたね。

箴言のように随所にちりばめられた言葉に胸を打たれながら呼んでいるのですが、冒頭で引用した部分などは、辻邦生師の芸術への信頼のようなものが語られていて印象的に思います。これと同じことは「嵯峨野明月記」でも言われていますね。辻邦生師自信が、芸術と現実の狭間で苦しんでおられたということを、辻先生の奥様である佐保子さんの講演会で聴いたようにに記憶していますが、ある意味では戦闘的と行って良いほど芸術に打ちこむことで、厳しくて「背理」とでもいえる現実と向き合うのだ、という強い意志の現われだと思っています。

世界はこの20年間でずいぶんと変わりましたが、良い方向に変わって面もあれば、悪化してしまったこともあります。しかし、言えることは、現実は冷厳として我々の前に立ちはだかっていることにはかわりはないのだ、と言うことです。そうした意味に於いても、今「雲の宴」を読むことはアクチュアルなことなのだ、だからこそこんなにものめりこむことが出来るのだ、と言うことなのです。

Classical,European Literature

前にも書いたかもしれないが、音楽を、言葉や文章に表すことの難しさといったら、本当にこの上ないものだ。

もちろん同じことが、絵画や彫刻にも当てはまるだろうし、長編小説に対する感想であってもそうだろうし、風景や人間を描写しようとしたときにも同じような思いを抱くのである。とにかくきわめて困難な仕事のひとつであることは確かだ。

かつて取り上げたように、ホフマンスタールはこう述べる。

ある話題をじっくり話すことが、そしてそのさい、だれもがいつもためらうことなくすらすらと口にする言葉を使うことが、しだいにできなくなりました。(中略)ある判断を表明するためにはいずれ口にせざるをえない抽象的な言葉が、腐れ茸のように口の中で崩れてしまうせいでした。

ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』檜山哲彦訳 岩波文庫 1991、109ページ

チャンドス卿の手紙 他十篇 (岩波文庫)
ホフマンスタール 桧山 哲彦
岩波書店 (1991/01)
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非凡なホフマンスタールさえこう述べているわけで、ましてや僕にはもっと難しいとおもうし、ホフマンスタールがこの文章を述べている地平にさえもたどり着いていないのかもしれない、と思うのだ。

冒頭に書いた「音楽」を「文章」化すること。それも、音楽用語を使わずに行うこと。四度跳躍とか、リタルダントとか。それでいて読み手にある感じを頂いてもらうということ。厳しいがそうせねばならぬ。

Tsuji Kunio

辻邦生全集〈8〉
辻邦生全集〈8〉

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辻 邦生
新潮社 (2005/01)
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サラマンカの手帖から
サラマンカの手帖から

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辻 邦生
新潮社 (2000/00)
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風邪も大分と治まって、また旅行前の静謐な時間が戻ってきました。変わったところといえば、朝早起きが出来なくなったことでしょうか。以前までは
5時ごろには目が覚めていたというのに、6時半になってようやくと起きています。 音楽のほうはといえば、マーラーの3番の5楽章、6楽章を聴いたり、メンデルスゾーンの八重奏曲を聴いたり、パッと・メセニー を聴いたり、といった具合で、すこし散漫な選択をしています。

昨日から、辻邦生師の小説を再読中。昨日から今日にかけて、「サラマンカの手帖から」、「ある告別」、「旅の終り」を読みました。それぞれの舞台は、「サラマンカ」がスペイン、「ある告別」がギリシア、「旅の終わり」はイタリア、です。奇しくもいずれも南ヨーロッパですね。「サラマンカ」は何度も読み返しているのですが、読むたびに新しい発見があります。今回はスペインの「砂漠」の巧みな描写に魅せられてしまいました。こんな具合なのです。素晴らしいです。

空は手の染まりそうな青さで拡がり、地平線まで雲一つなかった。ただ赤茶けた大地の涯は、暑熱のために白くかすんで、ゆらゆらと透明な炎が立ち上っていた。

素晴らしいですね。これを読んで、ダ・ヴィンチのモナリザの背景を思い出すのでした。あの背景が持つ大気の感じ、遠くがかすんで見える感じを、文章で表現するとこういうぐらいになるのだろうな、と思うのです。クロード・ジュレの絵の持つ大気感を、場所をスペインにして描いてみると、こういう表現になるのです。「ゆらゆらと透明な炎」ですよ。これだけでもうコロリといってしまいます。

もちろんテーマとしては、ある過ちを犯した若い二人が、その過ちに打ち克って、生きることの意味を再発見していく過程が描かれているのですが、読むたびに、ああ、生きるということをもっともっと精一杯味わわなければならぬ、少しの問題や悩みなんていうものは取るに足らないもので、そんなことのために生きることをおろそかにするなんてことはできないのだ、と思うのでした。

Tsuji Kunio

Haru

春の戴冠 春の戴冠
辻 邦生 (1996/02)
新潮社

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春の戴冠を読んでいます。前回は8月8日に書いていますので、一ヶ月間ぐらい書いていませんでした。

語り手フェデリゴの父マッテオも亡くなり、サンドロの父マリアーノも亡くなっています。そしてなにより、ロレンツォ・メディチも亡くなります。ミラノの後継者争いや、ナポリ王の死去によって、フランス王シャルルがイタリアへ軍を進めるのですが、ロレンツォの長子であるピエロは父親のような果敢な判断をすることが出来ずに、フランス軍に屈してしまい、フィレンツェを追放されます。変わって権力を握ったのはジロラモ・サヴォナローラです。ドメニコ派修道士であるジロラモは、虚飾を廃し、悔悟することで、フィレンツェは新しいエルサレムになるのだ、と民衆を扇動しています。たまたまジロラモがフランス軍の侵入を予言していたこともあり一気に民衆の心をつかむのですが、やがて、原理主義化していき、少年少女が反キリスト教的、異教的なもの、卑俗なものとみなしたものを、人々から取り上げ、火にかけるのです。焚書ですね。

物語的なおもしろさはさておいて、辻先生がサヴォナローラの登場以降のフィレンツェの状況を描くに当たって、文化大革命や60年代の学生運動など下敷きにしていらっしゃるんだな、と言うことを感じ続けています。理想を求めて性急な改革を求めるのはあまりに不幸な結果をもたらすのです。辻先生の本を「あまりに理想的すぎる」という風に捉える方もいらっしゃるようですが、そうではなく、理想は理想で大事だけれど、現実も現実で尊重しなければならない、という厳しい中庸の道を取っておられるのだ、と改めて感じています。

Book

西洋古代・中世哲学史 (平凡社ライブラリー) 西洋古代・中世哲学史 (平凡社ライブラリー)
クラウス リーゼンフーバー (2000/08)
平凡社

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うーん、なぜだかよく分りませんが、リーゼンフーバー師の「西洋古代中世哲学史」を手に取ってしまいました。実は、この本、大学一年生の時の教科書だったので、試験前とかかなり読み込んだ記憶がありますが、改めて読んでみると全く覚えていない。悲しいぐらいに。

それでも、昔授業でやったトマス・アクィナスの哲学大系、意外とおもしろかったなあ、と思って、トマス・アクィナスの項目をおもむろに開いて読んでみました。

内容はさっぱり覚えていないか、当時から理解できていなかったのか、のどちらか。ともかく、トマスの認識論から存在論にかけての項を読んでみます。前提知識として、プラトンとかアリストテレスの哲学大系を知っておかないと行けないわけですが、そうした知識も今は全くなくなってしまったので、何度か読んで議論についていくのがやっと。なんだか懐かしくて若返った気分。こういうのは継続が大事だから、毎日少しは哲学の本を読むことにしよう、と強く決意したのでした。


それにしても、どうしてこうも人間界は複雑で悪意に満ちた世界なのでしょうか。もちろん、善意に満ちた領域もあるのですがその領域は日に日に小さくなっている気がする。もっとも、善意に満ちたと思える領域も、裏では泥沼化した権力闘争が繰り広げられていますし。

競争経済が悪いとは言いませんが、何事もバランスが大事で、拝金主義になってもいけないし、とはいても家計を維持しないと生きられない。どこに出口があるのでしょうか?

久々に哲学の本を読んで、そこに繰り広げられる真善美や理想世界や存在者を求めようとする意志を感じ取るにつけて、哲学と現実との乖離を改めて感じて、独りで哀しむのでした。

Book

暑い日が続いております。
通勤電車は思ったよりも混んでおらず、ゆったりと会社に着きました。暑いですね。72年ぶりに日本の最高気温記録が塗り変わったといいますから、相当な暑さなのだと言うことですね。

物語イタリアの歴史―解体から統一まで (中公新書) 物語イタリアの歴史―解体から統一まで (中公新書)
藤沢 道郎 (1991/10)
中央公論社

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Italy

「物語 イタリアの歴史」を読んでいます。以下の10人のイタリア史の登場人物を中心にローマ帝国滅亡からイタリア統一までを物語風に取り上げています。もちろん、イタリア通史というわけではなく、10人の登場人物を通してイタリア史を見るわけですから、多少偏りがあったり、足りない部分もあるとは思うのですが、イタリア史の全体を把握するのには都合が良いと思います。

  1. 皇女ガラ・プラキディア
  2. 女伯マティルデ
  3. 聖者フランチェスコ
  4. 皇帝フェデリーコ
  5. 作家ボッカチオ
  6. 銀行家コジモ・デ・メディチ
  7. 彫刻家ミケランジェロ
  8. 国王ヴィットリオ・アメーデオ
  9. 司書カサノーヴァ
  10. 作曲家ヴェルディ

僕としては、塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか?」で、ルネサンスの先駆者として取り上げられていた聖フランチェスコとフェデリーゴ(フリードリヒ二世)が登場人物であったと言うこともありましたので、ルネサンス前史としての15世紀までの歴史を把握できたのは良かったと思います。

一応、大学入試では世界史が一番得意だったのですが、大分頭からぬけていますし、高校の世界史ではやらなかった細かい話も当然たくさんありますから、また謙虚な気持で歴史の勉強をしないと行けないな、と思っているところです。

遅刻気味ですが、本日はこれまで。お読み頂きありがとうございました。

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わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集) わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生 (2001/10)
新潮社

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読み終わりました、「わが友マキアヴェッリ」。面白かったですね。

ロレンツォ・デ・メディチ以降トスカナ大公国成立までのフィレンツェの歴史と、それを取り巻くイタリア史、さらにはルネサンス中期の行方がよく分る本でした。塩野さんの冷静な筆致に唸りました。マキアヴェッリの書簡などにも全て目を通していらっしゃるようで、マキアヴェッリの人となりがよくわかります。天才ではありますが、俗物的なところもある二面的な人物といったところでしょうか。本当によく仕事のできる、良い意味での「官僚」でいらしたのだな、と思いました。それでいて文才もあるから、「君主論」や「政略論」も物にして、なおかつ戯曲も書いていると来れば本当にマルチな才能ですね。

今、辻邦生師の「春の戴冠」も並行して読んでいますが、「わが友マキアヴェッリ」は「春の戴冠」以降のフィレンツェを書いていると言っても差し支えないと思います。少し重なっているところもあるのですが、「マキアヴェッリ」の焦点は、マキアヴェッリが国際政治の舞台で活躍するロレンツォ・デ・メディチ以降のフィレンツェに焦点が合っていますから。

「わが友マキアヴェッリ」に描かれているのは、イタリアへの勢力拡大を目指すフランスのヴァロワ家と神聖ローマ帝国ないしはスペインのハプスブルグ家の両家が激突するイタリア戦争の舞台裏といってもいいでしょう。本を読んであらためてウィキペディアのイタリア戦争の項目を読むと興味深いです。あるいは、イタリア戦争について先に押さえておいてから読むともっと楽しめると思います。

というわけで、いったん読了しました。次に読む予定の本もやはりイタリア史関連です。

Tsuji Kunio

春の戴冠 春の戴冠
辻 邦生 (1996/02)
新潮社

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辻邦生師の「春の戴冠」も読んでいます。パッツィ家の叛乱が一段落するのですが、教皇からの圧力は厳しく、とうとうナポリ王フェルディナントによって戦争が引き起こされ、王子アルフォンソの軍がフィレンツェ軍と戦闘状態に入ります。間の悪いことにフィレンツェでは疫病が蔓延。ロレンツォ・デ・メディチは教皇に破門され、フィレンツェも聖務禁止になってしまいました。この状況を打破すべく、ロレンツォ・デ・メディチはわずかな供回りと共にナポリ王国へと交渉に出向くことになるのです。

サンドロはといえば、「物から眼をそらすな」という言葉に則って、デッサンを続け、パッツィ家の叛乱の首謀者達が首をくくられている場面を描いた絵を完成させます。サンドロは「神的なもの」、つまりプラトン哲学風に言えば「イデア」なのですが、それを物一つ一つに沈潜していくことによって獲得しようとしています。それとは反対に物を何でも知ろう見よう聞こうとする人物としてルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチが登場するのです。このあたりは、「嵯峨野明月記」や「小説への序章」の議論を思い出します。

それにしてもパッツィ家の叛乱で描かれるフィレンツェ市民の騒擾の描き方は本当にすごかったですね。この理性を失った感情的で、ある意味「動物的」なフィレンツェ市民の行動は、後に訪れることになるサヴォナローラ騒動への伏線となっているわけですね。人間とは本当に難しいものです

「小説への序章」では、ディケンズ論が展開されていて、ディケンズの文章表現についての考察が述べられているのですが、こちらは間違いなく「春の戴冠」において実際に生かされていますね。このあたりも今度書いてみれたらいいな、と思います。

ああ、「窖」についてはかけていませんね。フィチーノがプラトン・アカデミーで行った饗宴で、窖について述べているのですが、そのあたりをまとめられればいいと持っているのですが、これは本当に気合いを入れてかからなければならなそう。すこし時間を下さい。


暑いですね、本当に。昼休みのウォーキングも自粛中です。これだけ暑いと、ちょっと歩く気になりません。会社帰りにちょっと回り道をして帰ってみたり、といったところで歩数を稼ごうとしています。しかし、電車は空いていますね。来週はほとんどガラガラなのだと思います。学生さんもいらっしゃらないですし、お盆休みということもあって休みの会社が多いでしょうし。しかし僕の会社は休みにはならないのです。かわりに10月頃休もうかと思っていますが。

明日は、友人が上京すると言うことなので、一緒に食事をすることになりました。一緒に富士山に登ろうとしていたあの二人です。富士山の話を聞いたり、彼らの山の話などを聞けるかな、と思って楽しみにしています。

Book

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社
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ますますフィレンツェ付いているわけですが、今日はちょっと都内に出掛けたもので、軽い文庫版の「わが友マキアヴェッリ」を持って行きました。「春の戴冠」は今日はお休み。

所有しているのは、上の写真の「ルネサンス著作集」ではなく、中公文庫版でして、購入したのはおそらく10年ぐらい前。ですが、二度ほど手には取ったものの、どうにもこうにも入っていけず、書棚にしまわれたままでした。それで、最近また「春の戴冠」を読み始めたと言うこともありましたし、先日取り上げた塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか」を読んだと言うこともありまして、また取り出してみたというわけです。

「春の戴冠」を一度読み通していますので、コシモ・メディチからロレンツォ・メディチへ至る大体の歴史は押さえてあったということもありますし、「ルネサンスとは何であったのか」で通史的な知識も得ているので、今回はちゃんと入っていけました。今日は、最初のマキアヴェッリの人となりについての考察を読んで、その後に続く、ロレンツォ・デ・メディチの卓越した外交手腕と、素人裸足の芸術家気質の両面性をフィレンツェの歴史に寄り添いながら考察している部分までを。相変わらずの冷静な筆にまたうなりました。今日は二時間ほど読んだ感じですね。


今日は午前中に虎ノ門でちょっとした用事、その後神保町のカフェで一仕事。午後は、神保町の鍼灸院で鍼をうってもらい、灸をすえて貰いました。身体が軽くなった感じです。それからまた神保町のカフェで仕事。夕立が来るという天気予報でしたので、曇り始めてきたのを見計らって帰宅しました。

今日は隅田川花火大会だそうですね。僕の住んでいるあたりでも、花火の鳴る音が聞こえましたので、外に出てみると、遠くで花火が上がっているのが見えました。それも別々の場所三箇所で、です。いろいろなところで花火大会をやっているのですね。最後に花火を見たのは五年前。それ以来見てないですね。花火を見ながらビールを飲むと気持ちいいのでしょうけれど。

明日こそは「窖」について書けるでしょうか? 仕事のはかどりかたからいって、少々厳しめかもしれませんね。


ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ポリーニ(マウリツィオ) (2002/09/25)
ユニバーサルクラシック

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今日聴いたのは、ラヴェルの弦楽四重奏とフォーレのヴァイオリンソナタ。帰宅してからはブラームスのピアノ協奏曲第二番をポリーニとアバドの演奏で。ポリーニのブラームスは、10年ほど前に発売されたものですが、当時タワーレコードで聴いて偉く感動した記憶があります。溶けるように美しい序奏に感動した覚えがあります。イタリア人の演奏するドイツもの、は良いなあ、と改めて思いました。

Tsuji Kunio

美しい夏の行方―イタリア、シチリアの旅 (中公文庫)
辻 邦生
中央公論新社
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フィレンツェずいている今日この頃ですが、新潮文庫から出ている、題名も装丁も写真も、そしてもちろん文章もとても美しいこの本を読みました。アリタリア航空南回りで東京からローマに着いた時の祝祭的な気分、ローマの暑い一日を愉しみ、アッシジで聖フランチェスコの聖蹟に親しむ。途中で天使のような女の子に出会ったり。そしてフィレンツェ。ですが、そこで辻先生を待っていたものは……。

1989年に大判本で出版されましたが、もとは「マリー・クレール」という雑誌のために書かれた紀行文です。そして、この新潮文庫版が出版されたのは1999年7月3日。おなじ7月29日に辻先生は軽井沢で倒れられ息を引き取られましたので、おそらくは生前に出版された最後の本なのではないかと思います。

さしあたっては、前半のローマからフィレンツェの部分を読みまして、後半のシチリア紀行は今回は読まずに、「春の戴冠」に戻りました。こちらでは、ジュリアーノ・メディチが騎馬槍試合で、メディチ家のライバルであるパッティ家のロドルフォを打ち倒しますが、シモネッタの病も進行して……。サンドロ・ボッティチェルリは、いよいよ「春」の構想を練り上げてゆきます。上巻の喜びと悲しみのクライマックスが徐々に迫ってきています。