Italy2007

パラティナ美術館の上階は近代美術館になっている。ルネサンス期の絵画を見た後に、近代美術館の比較的新しい絵画群を見ると不思議な気分になる。すでに絵画のイニシアティブはフィレンツェにはない。フランスへ移っているのだろう。そういうわけで、いわゆるよく知られた画家の作品は少ない。それに、体調もあまり良くなかった。午前中、たっぷり時間をかけてウフィツィ美術館を歩き回り、昼食後はパラティーナ美術館を堪能したわけで、さすがに疲れもピークを迎えている。美術館に行くと言うことは、すなわち体力勝負をする、ということと同義である。そう言う意味では近代美術館には申し訳ないことをしてしまった。あまり絵が目に入ってこない状態で室内をまわることになってしまったのである。疲れた身体に鞭を打ってまわっても余りよいことはない。今日に限って言えばオーバーワークだったと言うことなのだ。

ところが、展示の最後に強烈な印象を持った絵に出会うのである。プリニオ・ノメルリーニ(Plinio Nomellini)というリヴォルノ生まれの画家で、1866年に生まれ1943年になくなっている。ネットで検索していたところ、プッチーニと知り合いだったという。この画家のIl primo compleanoという絵に衝撃を受けたのだ。点描画風の絵で、窓から暗い室内に光が差し込んでいるだが、日なたの部分はもちろん日陰の暗い部分にも赤、青、緑といった原色系の点が粒状にちりばめられているのだ。暗い影だというのに、明るい色彩感を持っているのである。窓からの光が部屋全体に輝き拡散して居るのが分かるのである。光の魔術というのはこういうことを言うのかもしれない。画面には母親と四人の子供。一番小さな子は母親に抱かれている。暗い部屋なのだが、皆が幸せそうな顔をしている。

ノメリーニの別の絵もやはり凄い。「正午」という題名の絵なのだが、明るい日差しの差し込む森にテーブルを運び込んで家族が昼食を撮っている風景が、点描にも似た儚い筆致で描かれている。黄金色の日差しが画面に一杯に拡がっていて、食事の幸福感が強い力で迫ってくる。画面を縦に分割する木の幹が描かれていて、それが画面の構図を堅牢強固なものにしている。画面から迸る色の流れにのまれて、甘美に惑溺される思い。

画集などを検索してみたのだが、日本、米国、英国のAmazonでは取り扱っていないようだ。日本語の文献もない。イタリア語版のWikipedeiaには項目があるものの、すぐには読み下せない。悲しい思い。継続調査が必要だ。

 

Italy2007

Italy2007

つづいて、パラティーナ美術館へ。レストランをでて、暗く狭い路地を登っていく。暗い路地には小さな商店が幾つもある。煙草屋、小さなスーパー、花屋。暗い路地をぬけると一気にぬけきった青空と輝く堅牢な石造りの宮殿が視界の中に拡がる。ピッティ宮殿だ。トスカナ大公国時代には大公が住み、イタリア統一に際しては、一時イタリア国王の居城ともなったピッティ宮殿内には、パラティーナ美術館などの美術館が設置されている。今回の旅の目的の一つである、ラファエロの聖母子像を観ることができるはずである。

ここでも入場に際しては手荷物のX線検査と金属探知器の洗礼を受ける。この街の観光スポットでは、どこもそうした取り扱いをしている。

さて、パラティーナ美術館の陳列は近代以前の並べ方である。通常の美術館に於いては、年代別、地域別に分類されていることが多いのだが、ここはちがう。バラバラに、壁一面に絵画が下げられているのである。これには思ったより違和感を感じた。上の方の絵が光ってよく見えないのである。とはいえ、有名なラファエロの二つの聖母子像をは目の高さに架けられていて、とても見やすい。

Italy2007

小椅子の聖母。写真とは全く見え方が違う。絵の具の厚みと筆遣いがよく見てとれる。実物を前にしてしか見ることのできない現実感。絵がいままさにここにあるのだ、と言う緊張感。そして絵の奥に拡がる実在がいまそこにあるという感触。

Italy2007

大公の聖母。ラファエロにとっては、女性を愛するということが、仕事と同じぐらい重要事だったに違いない。絵の構図の手堅さは凄い、と感じ入る。

Italy2007

ウフィツィを後にして、アルノ河の対岸に渡る。ヴェッキオ橋にはたくさんの観光客。渡りきってすぐに右折して、暗い通りを東に歩き続ける。目的地は、連れが探してくれた美味しい料理屋さん。地元の人が行くらしく、手頃な値段で楽しめるらしい。ということで、サンスピリト教会の脇を通って、路地に面したトラットリアに入る。奥の部屋の席まで案内されるのだが、地元の男達がたくさん食事をしていて、不思議なことに入ってくる男達と頻繁に挨拶を交わしている。まるで、このレストランのお客全員が知り合い同士なのではないか、と思えるほど。実際にそうなのかもしれないけれど、こういう風景は日本では全く思いつかない。もちろん写真食堂のような限定された食事場所でならあるかもしれないけれど。というか、本当にお互い人なつっこくしゃべっていて、イタリア語で僕らに話しかけてくる男もいて、スリリング。給仕のお姉さんは色黒で男勝りな口調で、お客とやり合っている。みんな食事を心から愉しんでいる感じ。隣の男は、白身魚を頼んで、黄緑色のねっとりとしたオリーブオイルをたっぷりかけて食べている。醤油のような存在なのだ、と聞いたことがある。まさにそう言うことなのだろう。

Italy2007

これは連れが食べたジェノベーゼ。

Italy2007

これは僕が食べたキノコのスパゲティ。

Italy2007

これがデザートにとったケーキ。10月頃だけ味わうことが出来るパイらしく、上には赤い葡萄の実が一面に。食べると、葡萄の甘酸っぱい匂いと共に、葡萄の種のジャリッと言う食感。種なし葡萄ではなく、種ありなのだが、よく焼けているので、種ごと食べられるというわけ。美味なり! 隣のテーブルの親切な男が、ToscanaのTipicoと言ってくる。どうやらトスカナ地方の典型的なデザートなのである、ということを言いたかったらしい。言葉が通じないというのに話しかけてくるなんて言う経験はこれまではなかった。少なくともドイツではなかった(のだが、イタリア旅行の帰り道寄ったドイツで、親切な何人ものドイツ人に出会うことになるのだから、本当に旅行というものは面白いものである)。

Italy2007

italy2007

Italy2007
Originally uploaded by SHUK.SOID

ウフィツィには、ラファエロの絵がいくつかあるのだが、このラファエロの自画像と言われている画にご対面。それから、レオ10世の有名な絵も。世界史図表に載っているものと同じだ。感動。
Italy2007
しかし、残念だったのは、ヒワの聖母が修理中だったと言うこと。なんと模写の絵が飾られているのだが、あまりに酷い出来映えで、連れと顔を見合わせてしまう。なんともかんとも、もう少し良い模写をかけないものだろうか? 

ラファエロでいえば、パラティーナに何枚かあるので、そちらを楽しみにすることにする。

Italy2007


Italy2007
Originally uploaded by SHUK.SOID

ちょっと休憩。

イタリアといえば、アイスクリームの発祥地(だそうである)。ということで、ジェラートを何度か頂くことに。訪れたのは市庁舎から北に少し行った路地裏にあるお店。ガイドブックにも載っているので、日本人の旅行者の姿も。

何を食べたか? Bosco、Pesca、Limone、Cocoの四つ巴。すなわち、ベリー、桃、レモン、ココナッツ。あまりに美味しそうなので、一番大きなカップを選ぼうとしたのだが、若い女性店員に、本当に良いのか、と再確認され、上から二つめのカップに盛って貰う。少しお高いのだが、満足なり。

Italy2007

Italy2007


Italy2007
Originally uploaded by SHUK.SOID

今回改めて圧倒された感のあるボッティチェルリの偉大さ。
美術史には明るくない僕がまとめるのも、越権行為かとは思うのだが、羞恥を捨ててあえてまとめてみると、以下の3点なのではないだろうか?

・ 斬新さ
・ 細密さ
・ 大胆さ

そのうち斬新さについて。

ウフィツィを見終わってから、ピッティ宮殿に向かったのだが、3階にあった近代美術館で、19世紀以降の絵画を見た時に改めてボッティチェルリの偉大さに思い至ったのである。そこに展示されていた、19世紀以降の絵画は、描写性と言う観点から見ると、極めてすばらしい作品ばかりで、写真と見まがうほどであったり、あるいは、写真以上に対象物の実在を表現できている。だが、斬新さはない。ルネサンス以降の遠近法であるとか、描写性を発展させてはいるものの、質的変化を起こすまでにはいたっていない。ここから急激に質的変化を遂げたのが、ターナーであったり、印象派以降の絵画であったりするわけである。

ルネサンス期に起こった絵画の質的変化は、、ジオットに始まり、ボッティチェルリにおいて完成を見る。それは、高い描写性、ルネサンス以前の宗教との明らかな断絶、「ものから目をそらすな」(辻邦生師「春の戴冠」より)の結実なのである。ジオット以降徐々に起きていた量的変化が絵画史における稀有な質的変化、創造的進化を遂げた瞬間、それがボッティチェルリなのである。

そんなことを思いながら、ボッティチェルリの部屋で至福の時間を過していく。

Italy2007


Italy2007
Originally uploaded by SHUK.SOID

ボッティチェルリのことを書く前に、暫しの休憩。

ウフィツィのコの字の一番奥のところ、アルノ河沿いの窓からの風景。ヴァザーリの回廊が延びているのが見える。ヴェッキオ宮殿からウフィツィを経て、ヴェッキオ橋を渡りピッティ宮殿へ向かう回廊。

去年、BS−ジャパンで、ヴァザーリの回廊の特集をしていたのを観たのだが、本当にすごい。5ヶ月で作り上げてしまうヴァザーリの才能。それは芸術家としての美的センスだけではなく、数多の職工をまとめ上げるプロジェクトマネージャ的才能だと思う。

当時の番組ページが残っていたので、下記もごらんを。
http://www.bs-j.co.jp/vazari/

Italy2007


italy2007
Originally uploaded by SHUK.SOID

次はヴィーナスの誕生。中央のヴィーナスの美しさは何にも代え難い。貝に縁取られた金色の絵の具が大胆に思える。ただ、これは20世紀に入ってからの修復によるものとも言われるけれど。

なにより感激したのは舞い散るバラの意匠。いままで漫然とネットや画集で観ていた時には気がつかなかったバラの飛散が醸し出す祝祭感におののく。日本で考えていた「ヴィーナス」はこんな絵だったのだろうか、いままで僕は何を観てきたのだろうか、と自問反問することしきり。

Italy2007

Italy2007


Spring
Originally uploaded by SHUK.SOID

いよいよ、ウフィツィに入館です。入館にはまるで空港の手荷物検査のように、荷物にはX線がかけられ、金属探知器をくぐる。その先にチケットに印字されたバーコードをかざすとゲートがまわって入館できるのだが、商売が巧いのは、その直前に各国語のガイドブックがおいてあるところ。ここはすかさず購入。だまされたような何とも言えない気分。

とにかく三階の展示室まで上がり、ジオットの部屋をパスって、ボッティチェルリの部屋へ急ぎます。途中の部屋にあった、フィリッポ・リッピとフィリピーノ・リッピの絵に感動。素晴らしい。ここは後でもう一度観ることにして先を急ぐ。

そしてその次の部屋が、ボッティチェルリの部屋でした。少し薄暗い室内には何とも言えぬ香気が漂っている感じ。ガラスに保護された巨大な絵が二枚。一つは「春」、もう一つは「ヴィーナスの誕生」。

まずは「春」をじっくりと眺めること10分ぐらい。実際にみる「春」は、雑誌の四色刷やインターネットの画像とは全く違う。全体の構図は大きな迫力となって迫ってくるし、微細な部分をじっくり眺めると、空恐ろしいほど細密な文様が認識となって振ってくる。ヴィーナスが手からかけている、金の刺繍が施された蒼いショールの文様の緻密さには驚くばかり。神は細部に宿る、と言うけれど、まさにこの絵には神が降りてきている。間違いなく。

Italy2007


Italy2007
Originally uploaded by SHUK.SOID

ウフィツィというのは、イタリア語でオフィスという意味だそうで、トスカナ大公国時代のコジモ一世がヴァザーリにつくらせたそうだ。

写真はアルノ川沿いからウフィツィの入り口を眺めているところ。奥にヴェッキオ宮殿が見える。